『ピアノを弾くということは、聴くということなのです。』
先日、大人の生徒さんから内田光子がインタビューを受けている記事の切り抜きをいただきました。(ありがとうございました〜♪)この言葉はそこに書かれていた言葉で、一番印象に残った言葉です。
そう、あの演奏会のとき、内田光子は自分の演奏を聴いていた!弾いていたというよりも聴いていたんだ、と納得。内田光子の演奏会以降、私自身自分の音を聴くようになった気がします。あの音色は衝撃的だった。ただ音色がきれいだった・・・だけではこんな風に私自身の中に入ってこなかったでしょう。それは演奏者が「聴いていた音」だったから自然に私の中に入ってきて、普段ピアノに向かうときの「耳」が影響を受けたんだと思います。
そしてもう一つ印象に残った言葉・・・。
『私にとっては、音楽を言葉に換えるのはとても興味深い。』
以前から「言葉の表現力」がいまいち足りない。というか全然足りない!!と思っていた私。音楽を言葉で表現することができたら、どんなにかイメージがはっきりしてよいことか。これは自分にとってだけではなく、指導するにあたっても重要なことです。公開レッスンなどに行き、生き生きとしたよいレッスンだったと感じるレッスンをなさる先生は、この言葉が豊富で表現豊かなのです。言葉が音楽している・・・そんな感じです。
クラシカチャンネルで、内田光子がハイドンやシェーンベルクを解説して演奏する番組があります。これを見ると、まさに言葉が音楽している!なんと生き生きとしたはっきりしたイメージだろうかと感心します。そして、それは内田光子だけではなく、クラシカチャンネルに出てくる様々な演奏家に感じることでもあるのです。先日ミューズ資料館に投稿した井上直幸の「ピアノ奏法」というビデオでも同じことを強く感じました。
私は音楽を「音」として聴くことが多く、なかなか映像としてイメージできずらい性格です。色だったり感情だったり・・・そういうことに置き換えることもありますが、たいがい「音」だけで感じてる。そうするとイメージがあいまいになりやすいのです。いつか「表現」する単語をたくさん紙に書いて集めてみたいと思っています。
楽譜の奥にあることを紐解いていくことはとても大切。けれど、最後は感性です。分析したところで、それが「音楽」していなければピアノを弾く意味がありません。理論だけでもダメだし、感情だけでもダメだし、その両方のバランスが自分の中でいい具合に根付いた曲が、いい演奏になるのだろうな・・・と思います。内田光子の演奏は、まさにそれを極めたようなすばらしい演奏で、ほんっとしびれちゃう。自分の感性にぴったりくる演奏家に出会えたこと、これは最高の幸せ♪
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