よく、アメリカ人は「この戦争は間違っている」という言い方をする。 たしか、ベトナム戦争の最期もそんな感じだった。 短期間で終わるかと思われた戦争が泥沼化し、退くに退けない状態が長くつづき、戦地で行われた人道に悖る行為がメディアを通じて世界中に発信され、国際世論がアメリカを批判したとき、アメリカ人は同じような発言をした。「この戦争は間違っていた」
では、正しい戦争なんて存在するのか。 …するはずがない。 のっぴきならない事情があって殺人を行っても、自己の快楽のために殺人を行っても、その人が殺人犯であることにかわりないように、戦争そのものは間違った行為にほかならないし、イデオロギーに左右されてしかるべきものではない。(よく裁判で、殺人行為に至った心情に理解が及んだ場合、情状酌量の余地があると罪が軽減されるのは、ただ私達第三者が安心するからにほかならない。しかし、殺人は殺人でその罪は同等である) なのに、こういう言葉が出てくるというのは、味方に被害が少なくスムーズに事が終結したならば、彼らにとってその戦争は「正しい」と判断されたからではないだろうか。
日本はあまりにも平和で、今この瞬間、爆撃を受けている国があるという事実がどうにも信じられない。 ジョージ・ブッシュが、国民の士気を高揚し、大義のもと戦争を賛美できるのは、遠く海を隔てた地にいてデータでしか戦況を目にしていないからだ。前線をリアルに感じ取るだけの想像力が欠如しているからだ。 本当に戦争が正しいと思うのなら、人殺しが正しいことだと思うのならば、まず自分が剣を手に取って前線に立つべきだ。 人殺しがしたければ、フセインとブッシュとブレア、3人で行えばいい。 実際に戦争で被害にあっているのは、力がなくて逃げることすら出来ない、女や子供や老人が大部分のはずだ。そして、アメリカから来て前線で戦っている兵士たちも、社会的地位の高いWASPや熱烈な戦争賛美者や愛国主義者ではなく、本土では立場の弱い、アメリカ人と認められるために頑張っている中南米やアジア系移民が大部分のはずである。
私はこの戦争について、故意に注意深く目をそらし続けてきた。 あまりにも自分勝手で、愚かで、言いたいことがありすぎて、気持ちがかきみだされるからだ。 しかし今日、アメリカの13歳の少女、シャルロット・アルデブロンさんのスピーチを読んで、このままではいけないと思った。 なにも出来ないけど、なんらかの形で自分の考えを表明しておかなければならないと思い、ここに記す。
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