30歳までの Count Down
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朝から弔問客の対応。 早い人では6時半に香典を持ってきたので おれも7時には着替えて対応に追われた。 6時半は早すぎだろ・・・。
昼過ぎから近くの寺で葬儀。 じいちゃんの後輩にあたる人が弔辞を読んでくれたけど、 それでおれも知らなかったじいちゃんの一面を知ることができた。 農業をしている姿しか知らなかったけど、若い頃はずっと 製材業の仕事をしていたらしい。 昔から手が器用なことは知っていたけど、これで納得。
小学校の頃、夏休みの課題で何か木を使ったものを作らなきゃ いけないってのがあったけど、おれは何も作れなかったので じいちゃんに泣きついたら、小学生じゃ無理だろってくらいの 立派な椅子を作ってくれたことがあった。 今思えば、よくあんなもんを「おれが作りました。」って 言えたな・・・。 実家は親父が4年くらい前に新築にしたけど、その前の家は じいちゃんがほとんど一人で建てたって話だし、 木を使った何かを作ることがきっと好きだったんだろう。
葬儀が終わってから、うちのお墓へじいちゃんの骨を納骨。 戒名を授かったけど、じいちゃんには院号が付けられた。 おれも知らなかったけれど、この院号を付けるか付けないかは 遺族に任せられていて、院号を付けると値段が上がるらしい。 親父はじいちゃんに院号を付けたのは、立派にじいちゃんを 送ってやりたいという気持ちからだと言っていたけど、 おれには単なる見栄のように感じられた。 この院号は、一度付けると末代まで永遠に「院」を 付けなきゃいけないらしく、途中で取ってしまうことは できないらしいので、よほどじゃない限り付けないんだそうだ。 65へー。
つーか、親父・・・もっと先のことまで考えろよ・・・。
夜、こういう機会じゃないと集まらない親戚が大勢集まり、 実家で酒を飲んだ。 じいちゃんから見て「孫」にあたるのはおれを含めて全部で11人。 叔母は4人とも親父の姉ってこともあり、おれがその中では一番年下。 11人中、結婚しているのは7人でおれを含めて4人がまだ独身。 その中で誰が最初に抜け出すかって話になったけれど、 おれが最初に絶対結婚してみせると、じいちゃんに誓った。
103日後に30。
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