30歳までの Count Down
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朝起きてすぐに外を見ると、外は雪。 低気圧が発達して雨だって予報では言ってたけど 気温が結構下がってくれたおかげで雪になった模様。
朝食時に、社長から『今日は一緒に滑ろう。』と言われ 仰せのままにこの日はうちら4人と社長とその息子(同い年)で 滑ることに。
天気はというと、低気圧が予想以上に発達してくれたおかげで 10m先がまともに見えないくらいの猛吹雪。 風が強くてゴンドラもリフトも半分以上は止まっていたので 滑れるコースは限られていたけれど、降りたての新雪は やっぱり滑りやすくて寒さと風さえ我慢すれば かなり良いコンディションだった。
志賀高原には沢山のスキー場があるけど、それらはどっかしらで コースが繋がっていたりして、リフトを乗り継いでいけば 端のスキー場から反対側のスキー場まで行くことができる。 何回も志賀に来たことがある社長は、一番コースを熟知していて うちらをいろんなコースに連れ回していたけど、かなり疲れたし もう滑るのはお腹一杯でおれは早く上がりたかった。
15時半の時点で車を置いてあるスキー場から真逆にあるコースを 滑っていたので、いい加減もう戻らないとまずいなと思っていた 矢先に事件が。
社長の息子が1mくらいの間隔しかない木と木の間を抜けようと したときにバランスを崩したらしく、そのまま木に激突。 おれは一番後ろを滑っていたので、ぶつかった瞬間は見てないけど (つーか、物凄い吹雪で前見えない)、息子が倒れていた光景は 言葉が悪いけど、まさしくマンガみたいな絵だった。 息子は腰を強打したらしく、そのまま動けなくなってしまい スキー場のパトロール隊に救助してもらうことに。 スキー初めてから20年以上経つけど、一緒に滑ってた人が ケガをしてパトロール隊に運ばれていくのは経験したことがないし 当然自分もスキーでケガしたことは一度もないから、 ある意味貴重な経験をした。
結局、息子はパトロール隊の指示で救急車で麓にある病院に 搬送され、おれらも着替える間も与えられずに病院へ直行。 で、診断結果は腰の打撲。 骨イッてるとは思ってなかったから、結構冷静に事態を見てたけど 病院内で東京に電話したりとあたふたしている社長を眺めながら、 「早く帰りてえ。」と内心思っていた。 つーか、なんでおれらまで病院付き添わなきゃいけないんだろ・・・。
1時間くらいして医者から『帰って良い。』と言われ、 やっと東京戻れることになったけど、スキー場からそのまま病院に 連れてこられたのでウェア着たまま。 仕方ないので、病院の職員入り口らしき場所(外)で着替えたけど 出入りする病院の職員や看護婦に生着替え(パンツあり)を見られつつ、 「おれ、長野まで来て何やってんだろ・・・。」と5回ほど思った。
社長と息子とは病院前で別れ、うちら4人も東京へ向かったけど 途中のサービスエリアで飯を食いに立ち寄ったら、 偶然、そこで社長とその息子が飯を食っていた。
もう、お前等の出番はいいよ・・・。
当然、まだ息子は一人で歩けるような状態ではないようで、 社長が息子の肩を支えながら、レストランを出て行く姿が かなり印象的だった。
願わくば、自分の息子だけではなく、 社員にもそうやって気配りをして欲しい。
で、家着いたが23時。 めっさ疲れたわ。
もう二度と、会社のスキー旅行には参加しません。
この日は、114日後に30だった。
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