ケイケイの映画日記
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2017年07月23日(日) 「彼女の人生は間違いじゃない」




東京までデリヘル嬢として週末だけ上京する若い女性が主人公で、それ相応の扇情的な場面があるにも関わらず、ヒロインを含む、登場人物全ての心を覆う哀しみが手に取るように届き、とても切ない作品です。監督は廣木隆一。

震災後の福島の市役所に勤務するみゆき(瀧内公美)。農業を営んでいた父(三石研)は、まだ立ち直れておらず、毎日パチンコ屋に入り浸る日々。みゆきの同僚新田(柄本時生)は、広報課勤務で、日々職務に励んでいますが、その重圧から疲弊しています。みゆきには秘密があり、週末父には英会話学校に通っていると嘘をついて、東京でデリヘル嬢として、働いていました。

父娘が住むのは、仮設住宅のようです。狭い空間を綺麗に整頓してるみゆき。仏壇がないのは、遺体が発見出来ないからでしょう。遺影の前に、小皿で御飯をよそう姿、どんな時でも手を合わせ、いただきます、ごちそうさまを言うみゆきの姿に、子供の躾の行き届いた、良き母であったのだろうと、その姿が透けて見えます。

対する父は、亡き妻の面影を追い求め続けています。画面には映りませんが、震災直後は、もっと腑抜けたようだったんじゃないかな。私と同年代くらいの男性は、妻を大切に思っていても、実際は自分優先、妻は居て当たり前。老後になったら二人仲良くあちこちと思っている人が多いでしょう。その老後が無くなり、きっと悔恨の日々なのです。

働かず、賠償金を食いつぶし、パチンコ三昧の父親に苛立つみゆきの気持ちも、充分わかる。若いみゆきには6年経った、なのでしょう。しかし父には未だ6年、なのです。これがみゆきを無くし、夫婦が残ったのなら、妻は賠償金が無くなるまで、夫の気の済むようにさせていたかもな、と思います。父の伴走するのは、みゆきには酷だと思いました。父は少しずつ立ち直ってきているのに、娘にはその兆しがわかりません。

一方みゆきも、傷ついた自分を誰かに守って欲しいのです。しかし父も別れた父も、自分の気持ちにいっぱいいっぱいで、彼女を抱きしめてはくれない。ここで何故娘を、好きな女を、しっかり抱きしめてやれないんだと、歯がゆい私。とても現実的です。現実はドラマや映画のように、ここ一番で女の気持ちを抱き止める男の方が少ないはず。そして女は、どんどん一人で強くなっていく。
何故東京でデリヘルなのか、明確な答えは出てきません。現実からの逃避行。自分を壊してしまいたく、衝動的にデリヘル嬢になったのでは?福島の原発は、東京へ送る電力を作っていました。自分を壊すなら、自分の人生を変えてしまった東京が、相応しいと思ったのかと想起しました。

彼女がデリヘルを続けているのは、ドライバーの三浦(高良健吾)の存在が大きいのだと思います。三浦は確かに彼女を守っていました。デリヘル嬢であるのは、みゆきの多面性を表すのではなく、守って欲しい彼女の心の現われではないでしょうか?

老夫婦からの墓の懇願に、何とか応えようと頑張る新田。一方では、卒論に福島の震災を選んだ東京の女子大生からは、デリカシーのない質問に閉口しますが、立場上怒れないのでしょう。新田の家庭も、震災で両親が変貌してしまい、彼が年の離れた弟を養育している状態。

新田が弟を慈しんでいるのは、弟に愛情を与えることで、彼がそれに応える弟から、滋養を貰っているからです。みゆきの父が、親を亡くした子に、野球を教えることで、立ち直るきっかけを掴もうとしているのも、そう。淡々とエピソードを映す画面の中、みゆきの父が、何度も何度も「母ちゃん!寒いだろう!」と泣きながら叫び、亡き妻の冬の衣服を海に投げ込むシーンには、号泣しました。父の立ち直りへの儀式なのだと思いました。

蓮沸美紗子扮する写真家は、何故震災後の人々の心を捉えたのか?彼女の両親は被災地の出身。幼い頃、彼女もこの地で思い出がたくさんあり、この土地を愛しているのです。同じ外へ向かっての発信でも、そこが東京の女子大生とは、違うのでしょう。

それに気付いた時、はたと自分を省みました。私も被災地を愛しているのかと言うと、違います。被災地を心配する気持ちは、愛情ではなく同情なのだと思い知りました。東電勤務の夫婦のエピソード、浪岡一喜の霊感商法など、この作品で起きた数々の事は、事実に則しているそうです。外にいる私たちは、言葉を発するのではなく、かの地の人々を無言で見守る。かの地の製品を買う。時々義捐金を送る。風化させない、それに尽きるのだと思います。

一筋の光が、全員に当たるラスト。彼らの歩みは、これからもゆっくりでしょう。私も震災を決して忘れないと誓いたい。みゆきは、デリヘルは止めると思います。これからは父が守ってくれるはずだから。そして、また恋をして欲しいと、強く思いました。


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