ケイケイの映画日記
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2026年09月05日(土) 「時には懺悔を」



久しぶりに打ちのめされました。賛否両論ある作品ですが、私は絶賛です。監督は中島哲也。

金に汚い仕事ぶりで、「死んだ方がましな人間」と仲間内で囁かれていた探偵の光本(佐藤二朗)が殺されます。調査を依頼されたのは、元同僚で、今は一匹狼の佐竹(西島秀俊)。師匠の寺西(役所広司)から託された、新人探偵の聡子(満島ひかり)を助手に、捜査を進めます。そこには9年前の障害児誘拐事件が絡んでいました。

「死んだ方がまし」な人はいないと思いますが、「生きていても意味がない」と、世間に思われている人は、いると思います。その思考は、やまゆり園の事件につながる事だと思います。私はそれは間違っていると、否定している作品だと思いますミステリー式に光本の死を追いはしますが、この作品の肝はそこじゃない。私は親にとって、子供とは?を問う作品だと思いました。。

独りで障害児の育児に対峙する辛さや葛藤は、佐竹の妻の由紀(柴咲コウ)や、誘拐された子の母の民恵(黒木華)を描く上で、画面からもよく伝わります。「この子がいなければ」という負の感情にも、理解も示している。しかし子供が居なくなっても、彼女たちに安息は訪れないのです。

民恵が息子探しを光本に依頼したのは、純粋に息子の今を知りたかったからだと、私は思う。でもそれだけじゃない。精一杯障害児の息子の世話をしたのに、失った途端、精神状態がおかしくなった由紀共々、彼女たちが持ち続けるのは、「この子がいなければ」と思った、自分に対しての罪悪感です。

事件を辿りながら、現在は別の家庭を築く民恵に、聡子は息子の養育を迫ります。彼女は娘と離れ離れ。会う事を拒否されている。隠れて娘を見つめる慈愛深い聡子の表情が切ない。迸る行き場のない母性の先に、民恵の息子がいました。でも聡子が民恵の息子・新(しんすけ)に、肩入れするのは、娘の身代わりではないと思います。

新が画面に出て来た時、その障害の強さに、少したじろぎました。しかし何度も画面に出てくる新が笑う時、私も笑顔になる。その時ハッとしました。見知らぬ子供の笑顔を観て、こちらまで笑顔になる経験は、誰しもある事です。そこに障害の有る無しは、関係ないんだよ。暑苦しいお節介で、新の養育を民恵に迫る聡子は、同じ母親として、民恵に罪悪感の上乗せをして欲しくないのだと思います。

新を誘拐し、そのまま数奇な経緯で父親として一人で育てている哲雄(宮藤官九郎)。捨てようと思えば出来たはず。亡き妻の「運命」という言葉は重かったと思います。でもその言葉に従ううちに、新こそが自分の生きる目的になる。「こいつだけだもん、俺の家族」「俺みたいな人間がまともに生きてこられたのは、こいつのお陰」。この言葉が実の親ではなく、血の繋がらない父から出た事が、どれ程尊いか。そして哲雄は、多くの福祉支援を受けていた事に、私は注視します。

死ぬ間際に、光本が何をしたか?あれこそ血の繋がった父親の業かと思います。障害児の息子の死に、自分を責め酒浸りとなり、自暴自棄になった佐竹もまた、親の業を背負っていたと思います。寺西は、そんな佐竹を甘ったれと断罪します。しかし、彼に調査を依頼したのは、父親から逃げ続ける佐竹に、逃げられぬ爆弾投下だったんじゃないかなぁ。これもまた、師匠としての親心かと思います。

クドカンが素晴らしかったです。いつもながらの飄々とした演技の中、新によって人として変わった様子が、手に取る様にわかる。ろくでなしだったでしょう、それが謙虚で思慮深く、誠実な人にしていました。彼は彼のまま。変貌ではなく、成長だと感じました。

とても苛烈な作品です。私が痛感したのは、親で有る事は、重い業を背負っているのだなという事。決して子育てする親を、孤独にしてはいけない。哲雄の境地になるには、多くの支援が必要だと思いました。子育て経験のある私は、きっと出来る事がありそうです。

中島哲也は、「下妻」から観続けて、ピークは「告白」。ここまでは文句なしに大好きでしたが、「渇き」「来る!」は、イマイチでした(いや、イマニ、イマサンくらい)。その後のパワハラ騒ぎで、もう終わるのかと残念でした。でもこの作品を観て、どっこい生きていた。私はやっぱり思うのです。監督・中島哲也は素晴らしい。


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