幸福な亡骸 - 2003年11月18日(火) たまたまついていた某午後の情報番組にて、芸能人のファッションチェックなるものをやっている。 ふと見れば画面には小雪さん。字幕には“映画『嗤う伊右衛門』舞台挨拶”云々。 あー映画もうできたんだー……とよくよく見れば、小雪さんの斜め後ろに妖しげな着物姿の御仁が。 京極さーん!! 京極さんだ!! ……いや冷静に考えればいらして当然なのですが。 思いがけない事にTVの前で小躍りする。ワイドショーなんて普段全くチェックしないもんだから、このように偶然見かけたりすると妙に喜んでしまうらしい。 それにしても映画版伊右衛門。どんな感じなんだろう……。 映画化を意識したわけではないのだけれど、先日読み返したばかりだったりする。 妖怪シリーズも大好きなんだが、京極作品の中で敢えて一冊挙げるならば私はやはり『嗤う伊右衛門』だろう。 初読のときは、登場人物たちの気持ちが擦れ違っていく様をひどく怖いと思った。 読み返すと、今は怖いというより哀しい。 映画となれば、原作とはまた違った切り口の『嗤う伊右衛門』がそこにあるのだろう。 それでも、凛とした岩様と伊右衛門、決して器用ではないが真摯なふたりの姿を銀幕で拝めるのを期待したい。 - 彼女は存在しない - 2003年11月12日(水) 『ウーマン・イン・ブラック』観に行ってきました。 席もコンビニの先行で取った割にかなり前寄りの通路すぐ脇。 やっぱり舞台に立ってる役者さんの表情がちゃんとわかるのっていいです。 上川隆也&斉藤晴彦で再演してくれて良かった。観に行けて良かったです。 ……怖かったです。物凄く純粋に怖かったです。 来るぞ来るぞという予定調和(by塗仏)。しかもどうして行きの新幹線の中で『嗤う伊右衛門』なんか読んできちゃったんだ自分……怖さ倍増。 劇場内もこころなしかひんやりと涼しく……ううう。 上川さんがすぐ横を駆け抜けて行かれました……。こんな至近距離で擦れ違うことはもう生涯無いでしょう。芝居をしてる上川さんの表情、初めて生でちゃんと観ました(今までは2階席からしか見たことない)。 しかし8日は大学の説明会、今日に加えてキャラメルも観に行きたい……ってさすがに出かけすぎだろ。交通費嵩みすぎ。金は無いし親には白い目で見られるし(自業自得か?)。田舎者はつらいぜ。 - 絶望アッパーカット - 2003年11月03日(月) THE BACK HORN「イキルサイノウ」ツアーに行って参りました。 会場のライブハウスJの10周年イベントも兼ねており、やはりツアー中のセツナブルースターとの合同イベント。そのせいかどうか前回JUNKBOXに来たときよりも混んでいたような気が(後ろにはセツナの身内の方らしき人々もいたし…)。何にせよ嬉しいことです。 入口の物販にてCD(スペースシャワーTVのコンピ)とグッズを購入。 グッズの物販の隣は地元CDショップの出張販売で、昔の仕事仲間と2年ぶりぐらいに再会。コンピ以外のCDは既に全作購入済みの為買えなかったのに、隣のグッズを買っていたらCDのほうのおまけのポスターを戴く。すまんねWさん。 Jでライブを見るのは初めてだったのですが、後ろのほうが一段高くなっていて比較的見やすいのがありがたい。てかライブハウスってこれが普通? 他にライブハウスというと前述のJUNK(前も後ろも床の高さは同じ)しか知らないのでわかりませんが。 ライブが始まり、まずはセツナ。 初めて聴いたのですが、なかなか良かった。強いて挙げるとするならSyrup16gと同じニオイがするような音。結構好きです。 セツナが終わったあと後ろにいた女の子たちが「うまくなったね〜、かっこよかったね〜」と口々に言ってましたが、着々と腕を上げているのであろうことが伝わってくる気がしました。 バックホーンが出る前に機材を運び出したり……という作業があるわけですが、Jのスタッフのみならずセツナのメンバーも自ら機材を運んだりしている。偉いなあなどと思いつつ見ている内にステージにはバックホーンのドラムやら何やらがセッティングされ、ふと気が付くとドラムの前に座って位置やなんかをチェックしているのは松田さんじゃありませんか。よく見ればベースをチェックしているのは岡崎さんだし後ろ向いてギター持ってるのはもしや菅波さん?? こういうのってスタッフの人たちがやるもんだとばかり思っていたのでなんだか新鮮でした。それとも私が無知なだけか? まあいいや。 さていよいよバックホーンのライブ。 1曲目は「惑星メランコリー」、続いて「サニー」「幾千光年の孤独」。前のほうは相変わらず物凄い人の波がうねっていて、(後ろにいてよかった……)とひそかにホッとしてみたり。頑張って中央の辺りに立っていたおかげで山田さんや菅波さんの顔が良く見えました。 アルバムの楽曲を中心に昔の曲もあり。全身全霊を込めたプレイにはいつも圧倒される。しかし最終の新幹線の時間が迫ったため、「未来」の前奏を聴きながら駅へダッシュ。最後まで聴けなかったのはとても残念でしたが、観に行けてよかった。「羽根」も「赤眼の路上」も聴けたし。 世界を創り、人物を生み出し、自分を吐き出す。 表現するという作業は、そういう作業の積み重ねのような気がする(どこに重きを置くかは人それぞれとして)。 自分を吐き出すことに重きを置くとその表現が内側へと向かってしまうのは仕方のないことで、決して悪いとは思わない。けれど人前で表現するからには外側へも向かわなければ、と思う。それは観衆に媚びるということとは全く違う、表現の技術の問題。 媚びる必要はない。けれど人前で表現するからには伝えなければならない。 以前アマチュアのバンドの演奏を聴く機会があったときにそんなことを思った。 バックホーンにしてもセツナにしても、激しさの中にもどこか安心して聴いていられる部分がある。 エンターテインメント的なものとは勿論違うのだけれど、渾身の力で演奏する、鋭さや激しさを持ちながらも聴き手を拒絶しない。 それは何年も観衆の前で歌い続けていくことで生まれる余裕とでもいうのか。「力」といってもいいと思う。 ……書いている内によくわからなくなってきたな。ともかく観に行けて最高に良かったと思えるライブでした。あと上りのあさまは最終を十時近くにして戴けるととてもありがたいのですが(それは無理だろ)。 -
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