2005年12月29日(木)
今となっちゃ笑える、伝説の偏差値


「ドラゴン桜」の再放送をまったりと堪能しつつ、一方では


「そもそも平均偏差40未満だった人間が、たった1年未満の勉強で以て
センター試験であんだけの点数が取れるって、東大受ける前に奇跡じゃねぇ??」



と、ホントに極々普通の感想を抱いた、偏差値低めだったアサミンジャーです、どうも♪
あたくし自身は私立一本だったので、高校3年の冬、名物センター試験は受験しなかったんですが、
大概、翌日の新聞に入ってくるその問題をずいっと見渡しても、
半分できるかどうか、ものすげぇ不安なところだったことはよく覚えているので、
やり方によっちゃ、あんな奇跡的なことも起きるんかいな??と、ホントに感心しましたよ(笑)。
足切りが存在する国公立の二次試験に臨む前に、ほとんどの大学から門前払いを喰らいそうな
そんなオノレの実力に、私立の受験を前にしたあたくしが暗黒世界に叩き落されたことは、
まぁ、云わんでもわかりそうなことで( ̄∇ ̄;)
無論、あたくしが受けたところは全部、センター無関係の、英・国オンリー受験という
物凄く偏りのあるところばっかで、文系のクセに、漢文すら受験科目に入ってないってどうなの??
ってなところばかりでしたよ( ̄∇ ̄;)

なので、いくらテレビの中での出来事とはいえ、「あいつら、スゲェ♪♪」
フツーに憧憬のまなざしだったりも(苦笑)。
確かに、学歴なんて人生の付録中の付録みたいなものだけれど、実際、あって邪魔なものでもなし・・・・。
「東大なんて・・・・」と僻んだ事を言うには、とりあえず、そこに入れるだけの実力を伴ってから
吐くべきなんだよな・・・・と、そこんとこでも妙に納得したり。
事実、あのホリエモンは、東大の学生証欲しさに、たった半年の集中学習で見事受験を突破。
4年次のゼミまで進んでおいて、あっさりと辞めて会社を立ち上げた。
ホント、頭のいいヤツの発想と行動ってのにいちいち呆れつつも、一方では感心するよ。
俗物の塊だからこそ、あの人は金儲けができるのかもなぁ。


番組の中で連呼される、「平均偏差36」という言葉に、恐らく昔のあたくしだったら
かなり慰められたことだろう(爆)。
中学時代はともかく、高校時代の平均偏差(例えば全国模試レベル)たるや、ホントに惨憺たるもので
泣きたくなるのを通り越して、もう笑うしかねぇだろ・・・・みたいな状況だったことも幾数回。
皆、結構まじめに勉強しているであろう中、あたくしはやりたい放題の好き放題で、
ちっとも勉強らしい勉強をしなかったもんだから、当然といえば当然なんだけど、
正直なところ、「勉強の仕方がわからなかった」という科目も沢山あることは事実なのだ。
(振り返ると、まずはよくそんな状況で高校に進学できたものだよなぁ・・・・と思うこともある。)




もう、いよいよ点数が取れなくなってきて、そして模試の回数も増えてきた高校3年。
友達や恋人と交わす会話の中にも、受験や定期考査の話もバンバン出るようになった時の事である。

当時、あたくしが交際していたタカは高校が別で、彼は元々あたくしが志願していた高校に通っていた。
もうその頃ともなると、16の春に抱いた変なやっかみは消えていて、
自分の通う学校のことが好きにもなっていて、すごく充実した日々をあたくしも送っていた。
校内考査のことはともかく、全国模試の結果は共通の母体から算出されるものでもあり、
互いの弱点克服やら、得意科目についてもよく話をしていた。
ただ、うちの高校に比べて彼の高校は、夏前から毎週のように自由参加の全国模試を盛んに取り入れ、
その回数たるやハンパなものではなかった。
加えること、校内の実力テストやら定期考査やらが重なるので、いつもテスト漬けみたいな生活で、
正直、こんな環境ではあたくしだったら発狂するなぁ・・・・( ̄∇ ̄;)と心のどっかで思っていた(苦笑)。

この高校には、中学時代にあたくしと仲のよかった子がわりと多く進学していたので、
彼との会話の中でも、結構そういったメンバーの話が多く登場した。
事実、彼がいた生徒会執行部のメンバー6名のうち、3年生次にメンバリングされた彼を含めた4名中、
3名は同じ中学出身で、自分の高校の執行部よりもメンツをよく把握できたというくらいで(笑)。
彼の仲良しの中にも、あたくしの見知った顔がかなりよく登場したので、
勉強の話以外にも、話題に困るようなこともなかったのをよく覚えている。
加えて、あたくしが高校で仲のよかったミユキおじょ〜が彼と同じ中学で
彼とも元々非常に仲がよかったため、そういった意味でも外野が上手に繋がっていたので困らなかった。


そんなある日。
いつものように、彼と待ち合わせをして色んな話をしていたのだけど、
話題が終わったばかりの定期考査の話になった。
どちらの高校も2期制で、前期中間が終わるタイミングがほとんど同じ。
答案が返ってくるタイミングも似たようなもの。
一喜一憂のタイミングも正に同時期だったので、高校が違っても感情にズレというのが少なくて、
非常に便利ではあった(苦笑)。
あたくしのクラスは私立文系特化型だったので、3年に進級すると同時に、
数学と理科の授業が一気になくなり、それまで数学と理科で泣いていたあたくしなんかは
非常に救われていたわけだけれど、定期考査なのに、英語の考査が4〜5つあったりして、
逆に辟易とし始めていた頃。
それこそ平均偏差を出すと、50に満たなくて、「ひぇ〜〜っっ!!」・・・・であった。
その「ひぇ〜〜っっ!!」な感覚を、よくタカに聞いてもらっていた(笑)。

あたくしが、大学受験から逆算して猶に1年をきった時点でオロオロしているのを話したら、
タカがこんな話をしてくれた。


「ほれ、お前と同じ中学のさぁ、吉見ちゃん(♂)って覚えてねぇ??」

「あれ?? 彼ってキミと同じ高校だっけか?」

「そうやって(笑)。」

「彼がどうしたん?」

「あいつなぁ・・・・開校以来の伝説を作ったんやて。・・・・化学の学年末で。」

「え?? おかしいなぁ・・・・吉見ちゃんってさぁ、
小さい頃から理科全般がすごく得意やったように思うんやけど。」


「それがさぁ・・・・『8』だよ!? 『8』!!
ぎゃははははははは _(__)/彡☆ばんばん!」


「え?? 8点?? マジで??」

「いやいや、そんなもんじゃ伝説にならねぇよ( ̄ー ̄)ニヤリッ♪
偏差値が『8』やったんや。」


「( ̄□ ̄;)!! 偏差値8って・・・・一体、どうやったら取れるの???」



・・・・コ、コレは確かに「伝説」である。
高校に入った初年度の学年末(数学)でただひとりの赤点をマークし、ブービーと20点も水をあけられた
このあたくしでさえ、その時の偏差値はきちんと35以上あったのである(爆)。
点数的にはもっと酷かった、初年度、2年目の実力テスト(数学)で、
200点中たった一桁しか獲得できなかった時ですら、仲間が大勢いたせいか(笑)、
偏差値だけは40くらいあったと記憶している。
限りなく0点に近い点数を、限りなく少人数で競った時ですらこのくらいの数値がつくというのを
身を以て体験したので、そもそも偏差値なんてものは、そこまで転落するものではない・・・・と
知っていたので、彼から聞かされた「8」という数値は、奇跡というかある意味で衝撃的であった。
しかも、話題の人であるこの彼は、0点は免れたというのだからさらに奇跡的だ。
一体どんなからくりで以て、「8」なんていう数値が記録されたのか、非常に気になった。


「実はなぁ。学年のほとんどの連中が、満点に近い点数を出したんやて、そのテスト。
で、吉見ちゃんだけがコケたもんだから、こんなことになったってわけ。」


「へぇ〜〜〜〜っっ!!!(感心)」

「0点はわざと狙えば取れるけど、この偏差値は狙ったところでそうそう取れるもんじゃねぇよ。
しかも吉見ちゃんは0点じゃなくしてこの数値を叩き出したもんだから、
本人も何かあっけらかんとしてたなぁ(笑)。」


「うん・・・・コレはかなりスゴいかも・・・・( ̄∇ ̄;)」



補足で聞いたのだけど、この時のこの化学のテストは、満点をとっても偏差値がそれほど高くなく、
50ちょっとくらいだったそうだ。
ま、そらそうだわなぁ。。。
平均点が例えば98点だったら、100点を取ったとしても殊更取り立てていい数値がつくはずもない。
母体の平均値が50として、そのポイントからどのくらい離れているかというのを数値化したのが
「偏差値」というものだから、大概の考査や模試においても、最下位を記録したとして、
数値が30を割り込むことは本当に珍しい。
況してや、一桁の数値が存在するなど、それまで事実上はありえないと思っていたのだけれど、
こうして伝説を作った人間が隣の高校にいるのである(笑)。
いやはや、我々は実に「偏差値」に踊らされた世代ではあったけれど、
踊らされつつも、その数字のからくりの矛盾に気づいたりすると、もうゲーム感覚だ(爆)。
この伝説を作ってしまった本人も、あまりの出来事に傷つくアレもなく、
寧ろしばらくはネタにしている風であったと、タカも語っていたし、
1度や2度の失敗で、バカみたいに凹んでいても仕方ないかもなぁ・・・・という材料にも
実際なったりしていたし。


進路決定も、いわゆる「旅」みたいなもんだから、最低限の地図は必要だったりする。
自分がどこに立っているのかというのをきちんと把握するための座標や磁石の代わりも必要だ。
それが我々の時代は「偏差値」だったわけで。
今でも、競争率の高い学校を受験しようとしている人たちにとっては、密かに使われているアイテムだ。
コレを公的に廃止した流れの中で、自分のことがわからなくなったり、迷いを感じたりした人たちを
後年、沢山見てきて、

「競争は事実上残っているのに、地図と磁石だけ隠されたら、コレは大変だなぁ・・・・。」

と、正直、そう思った。<塾講師バイト時代等々
コレばかりに傾倒するのもどうかとは思うけれど、一時期、本当に全くなくなりそうになって、
塾が必死に独自のものを作成する流れができたくらいだ。アレにはビックリした。
(それをコッソリ学校の先生が聞きにきたりとかもして・・・・( ̄∇ ̄;))


いや、しかし・・・・。
あんまり褒められた成績を治めたわけではないこのあたくしが言うのもアレだけれど、
この一件は、以来あたくしの中で、
「平均偏差36の人間が東大に合格する!」なんてことよりも、よっぽど難しいんじゃないか・・・・
という位置付けになった。
どんな形であれ「伝説」を創るってのは、そうそう簡単なことではない。
現役当時のあたくしが、「東大合格!」と「史上見たこともないような低い偏差値をマーク!」という
2つの伝説を天秤にかけた時、どっちが自分がより近いところにいるかなんて、
そんなことは考えなくても明々白々なんだけれど(自爆)、
実現可か不可か!?というのを考えた時、「あれ・・・・? そうなると東大なの??」という結論に
達してしまうところなんかは、あたくしが小心者で凡人である所以なのかもしれない(爆)。
あぅ・・・・既に現役ではないので、好きなことを言えるけれど、
恐らく現在当事者だったら、泣きそうな二者択一( ̄∇ ̄;) 小せぇな、あたくし・・・・。

↑つくづく勉強しない人生だなぁ、オイ( ̄∇ ̄;)


うむ・・・・あたくしも「できない子」なりに、1つくらいは伝説を残すような学生でありたかったな(笑)。
いや、文中に登場した少年「吉見ちゃん」は、非常によくできた人なんですが、
やっぱり、そんな彼だからこそ「伝説」になったのかしら?(苦笑)
「伝説」を創りあげても、普通に進級できた彼はホンモノかもしれない(爆)。


2005年12月27日(火)
だんまりを決め込んだアイツを饒舌にさせる方法


世が冬休みになったらば、あたくしの大好きなアニメ・「名探偵コナン」の再放送が
朝枠、1時間くらいでやるに違いないから、すげぇ楽しみっっ♪(●⌒∇⌒●)
・・・・と、11月の末くらいはそんなことを考えながら、この時期を心待ちにしていたのですが、
何のことはない( ̄∇ ̄;)
よみうりテレビの情報番組がガッツリと中京テレビの枠に進出しやがりまして、
朝枠がすっかりそれに食いつぶされ、楽しみだったコナンは、ついこの間の土曜日、
たったの30分、1本だけ細々と再放送しただけで済んでしまった。・・・・ぎゃふん( ̄∇ ̄;)
「手作りコナンDVD全集」の製作が暗礁に乗り上げました(トホホホホ)。
つか、そんなものを手作りしている暇があったら、掃除しなさい、掃除を!!(自爆)


テレビっ子・アサミンジャー、未だ健在。
厳寒の昼下がり・・・・ちっとも面白いテレビがやっていない中、唯一、見るに耐えるものといったら
「ドラゴン桜」の再放送くらい(苦笑)。
本放送で見逃したので、ここでサクサクやっつけてみるのもいいかと思って、それをつけていた。


特別に集中していたわけではないので、あれこれ片付け物をしながら、音楽でも流すことにした。
最近、まともにCDすら聴いてない( ̄∇ ̄;)
2005年、全般的にどんな曲に人気が集中していたかというのも、即答できないくらいに疎くなってきた。
そんな環境下、定期的に我が家に楽曲提供(笑)してくれるのがママさんで、
実家に立ち寄るたびに、何かしらCDをもたせてくれる。
ただ、そのCDこそ「手作り」だったりするので(爆)、名古屋からの帰路に聴いて帰ろうと思っても
車のプレイヤーが反応しないこともかなりの頻度であって、
結局、聴けずじまいのモノもかなりあったりする( ̄∇ ̄;)
そういうCDを部屋中からかき集めてきて、まったりと聴きたっかたのだ。





























がっっ!!





























出動せよといわれて、すぐに稼動できないのが我が家の家電たちの日常(爆)。
特にご無沙汰チックな「非日常」なヤツらは、そういう症状が顕著で参ってしまう( ̄∇ ̄;)
あたくしが数年前・・・・まだぷよ2と交際を開始して間もない頃だったと思うけれど、
丁度その年のクリスマスに彼からもらった、鮮やかすぎるピンク色のCDラジカセ(どんな趣味やねん)が
とうとう本格的にだんまりを決め込みやがった・・・・。

これがまた、実に微妙な症状で、CDだけが動かない( ̄∇ ̄;)
MDは無事なのである(苦笑)。
でも、聴きたいのは新たに入手したCDであったり、MDには落としていないヤツばっかりだったりして
ホントに微妙な状況になってしまっている。
うぅ・・・・我が家は、音楽もまともに聴けない環境なのっ??
そりゃ、PCさえ起動させれば聴けないこともないけれど、
マザーボードをとっ変えた時に、出すべき金をケチってサウンドポートをアナログ仕様にしてしまったため
せっかくかなり上等なスペックのアンプがあるのに、音が出力できなくなってしまったのである。
仕方なしに、インカムのしょぼい音でしかPCからは出力できない・・・・。
あぅ・・・・ますます音楽が縁遠い家庭だ、ここは( ̄∇ ̄;)


実は少し前。
やっぱりこのような症状に見舞われてしまった時に、何とか急場を凌ごうと
手動でCDの回転に勢いをつけさせ(爆)、何とか持ちこたえたことがあった。
我が家にあるCDプレイヤーは、フタ開閉式のヤツで、フタを閉めると自動的に読み取りを開始する。
・・・・はずなんだけど、フタを閉めても一向に回転の兆しを見せず、
閉める直前にCDを指で回転させ、その反動を利用しようという、何とも原始的で
ある意味では直情的とも言える(爆)善後策をとったわけなのだ。
ところが、意外とやこの方法は功を奏し、その時は本当に「何とかなった!!」のだった(爆)。
相手が機械とは言えども、多少はアナログな方法が通用することに気をよくして、
すっかり修理云々のことを考えておくのを忘れていた( ̄□ ̄;)!!


しかし、そこはあたくし( ̄ー ̄)ニヤリッ♪
以前通用した「あのテ」のことを忘れたわけではない。
CD側の不備もないように、専用のパワークロスできちんと汚れやら埃やらは除去、
レンズもきちんと磨いて、いざ、手動回転!!(笑)









・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。









見事なほどの無反応( ̄∇ ̄;)

ねぇねぇ・・・・今度こそ本当にダメなわけ??
たまにしか動かそうとしない、このあたくしにとうとう愛想を尽かしたわけ??
新しく新調する金なんかどこにもないよ??
そんな状況下、こういう謀反を起こしちゃうの?・・・・アンタってば( ̄∇ ̄;)

等々、心の叫びもむなしく、きちんとCDが入っているにもかかわらず
表示部分には「NO DISC」の文字が何度も何度も表示され・・・・(苦笑)。

あぅ。しばらく我が家での自由で優雅な音楽鑑賞は無理っぽそうです・・・・。
1時間ほど格闘して、もういい加減諦めモードが漂い始めたその時・・・・。





























動くし( ̄∇ ̄;)





























一体、どんなからくり?? どういう仕掛け??
あたくしにはさっぱり理解できません( ̄^ ̄)
こうやって人心をいいほど翻弄しておいて、音楽から心が離れようとしたその瞬間に、
まるで媚びるように動き出したコイツの気持ちがさっぱりわかりません!!


とはいえ、せっかく「機嫌」が直ったんだからってんで、本当に聴きたかったCDを改めて投入し、
投入しただけではやっぱり動かないこともあったりするんで、そこは手動の力も加えながら
心機一転、音楽鑑賞を楽しんだわけです。

↑あぁ・・・・とりあえず満足♪



後程、どうしてこういう症状に見舞われてしまうのかという原因を追及するため、
音楽を聴きながら、プレイヤーの取扱説明書をじっくりと熟読してみる。
すると、そこには逆ギレを無理矢理食い止められそうな、嫌な一文が載っているのであった。

↑( ̄□ ̄;)!! 思い当たるフシだらけ

あんまりな注意書きに、一瞬、魂が抜け落ちていくのがわかった(爆)。
まさか、特売で手に入れたコイツが、あたくし自身よりもデリケートな反応を見せるとは
本当に意外だったのである(苦笑)。
しかも、機械のクセに、嫌になるほど人間っぽくて参ってしまう・・・・。
いよいよコイツもゴミになってしまうのかなぁ、と諦めかけた瞬間に、
まるで「捨てないでくれぃっ!!」と懇願するかのように奇跡の復活を遂げるところなど、
ホントに機械っぽくない( ̄∇ ̄;)
とはいえ、一度はだんまりを決め込みかけたアイツが、再び饒舌になってくれて、
新しい曲や懐かしい曲を届けてくれたことには感謝しよう。

ついつい、アルフィーとかを聴いてた(爆)。無性に高校時代が懐かしくなった。
時代に逆行するかのように、そんなアーティストを選んで聴いていたあの頃のことが、愛しく思えたり。
当時、本当に流行していた曲は全く別モノだったりするのだけれど、
当時一番流行った曲より、その頃一番よく聴いていた曲たちの方が、
記憶への訴えかけは大きい事を知る。
これからも沈黙を決め込むことなく、饒舌でいてほしいものだよ・・・・CDプレイヤーよ(笑)。


2005年12月26日(月)
寒くて、赤くて、美味しい


玉ねぎとにんにくのみじん切りを、徒然に炒めて、
真っ赤なトマトソースを仕込んだ。うむ・・・・渾身の作品( ̄¬ ̄)♪
パスタは勿論、こりゃ、ロコモコにもなるし、ピザソースにもなるぞぉ♪
ハイスピードで鍋の中身が半減したけれど、見なかったことにしよう(笑)。


今年の総括を・・・・と思ったのだけど、こんな日に総括かよ( ̄∇ ̄;)と思ってしまったので、
そこは自分の生理に忠実に。
最近、毎日書けてないので、もう、ここは思い切りまったりといくことにする( ̄^ ̄)




この日。
久々に昔の色んなことを思い出していた。
暖冬続きなここ数年、近年稀な大寒波に見舞われて、そういえばこんな寒さを感じたのって
いつくらいぶりなんだろう・・・・と、漠然とそんなことを思っていた。
わりと、冬という季節は誰かと一緒にいることが多くて、
身も心も冷えきるような、凍結気分を味わうことは、そうでなくても人生の中で少なかった。
イヴェント軽視派のこのあたくしが、どうしてそうなったかのかというのもちゃんと裏付けがあって、
例えば、寂しくならないようにイヴェント前に東奔西走しなくても、
何でかイヴェントの時には誰かがそばにいてくれるタイミングだったりしたので、
特別焦ったためしがない。
秋に誰かとの関係を清算しても、冬にはまるでスライドするように別の人がそばにいたりした。
勿論、寂しくはなかったし、退屈もしなかった。
高校に入ってから大学を卒業するまで・・・・いわゆる「青春時代」の間は、
そういうことに特別心血を注がなくても、結構楽しかったりして、そして幸せだったりもした。


大学を卒業してから数年間。
いいサイクルで好きな人はいたけれど、特定のステディはなく、
でも、生活をしていく上で、格別「寂しい」と感じたこともなかったような気がする。
冬場は経済市場において、本当にイヴェントの多い季節で、
ひとりでいることを気の毒がられたりもしたけれど、イヴェントとは離れたところで
小忙しく暮らしていることも多かったせいか、他人が言うほどではなかったようにも思える。


で、だ。
そんなふうに安定した生活を手に入れる前に、必ず、物凄い凍結気分を味わったはずなのだけど、
それがいつか??なんてことに思いを馳せると、物凄く遡らなければならないということに気づいた。

今年、みっちり振り返って、もうこれ以上掘り起こすこともないと思っていたけれど、
あたくしの思考は、15の頃まで遡って、そこで見事に止まった。
・・・・そうか。
あの頃に徹底的に「寒い」状況を味わったから、以後、動けなくなるほどの凍結状態にならないように
どっかで無意識に「調節」を施していたのかもしれない。

16以降の冬は、普通の女の子を気取るように、休日になればオーブンを使ってお菓子を作ってみたり、
別件でも頗る忙しかったはずなのに、ひとりで街を闊歩してウィンドウショッピングをしてみたり、
恋人に感ける振りをしてみたり、実際に感けてみたり、あるいはまるっきり除外してひとりでいたりと
かなり、自分の状態に対して自由なスタイルとスタンスで楽しんでいた気がする。
これらは全部、15の時に経験するはずのことだったんだ・・・・あたくしの中の予定では(苦笑)。
当時、総てを取り上げられたので、翌年からあたくしはまるで爆発するかのように
自分では「コレは違うな・・・・」と感じていても、あえてやってみたり・・・・なんてことを沢山した。


18の冬。
大学受験を間近に控えていたけれど、あたくしにはこれまでにないガッツリとしたステディができて、
始終、その人と一緒にいるような生活をしていた。
まぁ・・・・この性格なので、どっかでかなり醒めていて(笑)、全身全霊でのめり込んでいたわけではない。
15の時に学び、悟ったのである。
好きな人にのめり込むのを差し止められた方が、精神的に物凄くきつくて、
受験勉強にも支障を来す・・・・と。
よっぽど適度に遊んでガス抜きをした方が、自分の実力に見合った、ちゃんとした結果が出せる、と。
人生初の受験で、抱えなくてもいいストレスを抱え込んだことで、本当に不本意な結果に終わったことが
どの時代から振り返っても不甲斐ない事のように思えて仕方がなかったのだ。
無論、18になる頃には、自分の通っている学校に対してそれなりの愛着・・・・「愛校心」みたいなものも
ちゃんと芽生えて、誇らしくさえ思えるようにもなったんだけど、
16の春に感じた、あのとてつもなく情けない感覚は、いつまでたっても拭いきれない
嫌な思い出として残った。

まぁ、18の冬。大学受験という重圧の中であれこれ考えたことは、
結果的に自分が思う進路にズバリと決められたことで、全部水に流してしまえたのだけれど、
結果が出せなかった15の冬に思ったことは、いまだ未練たらしく抱えたまま・・・・。
そういうことなのである(笑)。


15の冬にしたかったこと。
カズコ(仮名)たちの誕生日が冬休みに入ってすぐに控えていたので、
皆で一緒に祝いながら、1日くらいは何もかもを忘れて楽しく過ごす。
ついでにクリスマスなんかも巻き込んで、あたたかい気持ちでいられたらと思っていた。
冬休みが明けたらすぐにシン(仮名)の誕生日もあったから、そのために時間も割きたかった。
如何せん、3年越しの片思いがこの年にようやく叶っていて、堂々と祝ってあげられるチャンスが
初めて到来したのだから、秋口からあたくしの心は必要以上に躍っていた。
13の時も14の時も、この日は彼のことばかり考えていて、何もできないのがすごくもどかしかった。
3年目、やっと願いが叶う・・・・冬を迎える前は、あったかい理想で胸がいっぱいだった。

全部ナシになったというのを知った時、あたくしは言い知れない「寒さ」を感じたのだった。




この日、珠玉のトマトソースが出来上がったのを見て、あたくしはそこそこ満足だった。
我が家にはオーブンがないので、冬場、温かい料理を作ろうと思っても、
ある程度の限界が生じるけれど、そういうのも関係なく2度目の冬。
多少寒くても何とでもなっていくという現実と、何とでもなってしまうという寂寞感が
同時に心を揺さぶるのだ。
今年の冬は異様に寒いのだけれど、何故かあたくしは、例年になく汗をかくようになっている。
それは多分、何もかもが満たされている証ではなくて、
やっぱり何かが足りなくてぽっかりと空いた「あそび」の部分の中で、
満たそう満たそうとするいっぱいの作用が、熱を佩びているからなのかもしれなかった。
この逸る気持ちを落ち着かせるには、いつの時代かに、この手からこぼれおちていった
大事なプレゼントや、とっておきのケーキのレシピなんかを掻き集めることでは足りない気がする。
後々余るくらいに、沢山のプレゼントやお菓子や料理のレシピは手に入れたけれど、
結局、満たされることはなくて、いつもどこかで不足している。


でも、今思うのは、その「不足」分がいいような気がする。
足りないなぁ・・・・と感じるからこそ、自分が生産する側に回ろうと必死になる。
外は寒いけれど、家の中で必死に動こうとすると、やっぱりうっすらと汗ばむ。
エアコンも昼間はずっとつけていない。

↑どっかおかしい(爆)


この冬は、寒いけれど、ある意味「熱い」(笑)。
色んなものが剥がれ落ちていくのと同時に、新しい何かも芽生え始めている、そんな感じ。


2005年12月22日(木)
あしあと


最近、毎日の更新が難しい状況になっておりますが、まぁあんまり気にせずに┐( ̄∇ ̄)┌オホホ
色々と新鮮な出来事もあったのですが、それは順不同に随時ということで。


そういえば、実家に新しい家族がまた増えちゃったんですよ(笑)。
店に居つくようになった仔猫のウメちゃんが実家に合流してまだ日も浅いというのに、
また新メンバーですよっっ!!
うちはモー娘。ですかっっ??
・・・・( ̄∇ ̄;)まぁ、そんな勢いです。


今度は犬です(爆)。
しかも、ちっちゃいのではなく、いきなりもんすごい巨大なのが現れて、
小さな我が実家の居間のおおよそを占領する有様(笑)。
名はラティ。メス2歳。ゴールデンレトリーバー・・・・。
ゴールデンの2歳・・・・。マジで巨大( ̄∇ ̄;)
体長1m以上。体重25kg。
・・・・え?? 25kg????
そこらの幼稚園児以上のサイズですわ・・・・はぁ( ̄∇ ̄;)
冗談みたいな存在感を醸し出す、この新メンバー。
まぁ、ビックリするほど気が小さく、ビックリするほど従順。ビックリするほど大人しい。
たまに、古株のネコと目が合うと、体重が6分の1以下のちいちゃなネコの方が断然強気!!
たまに鼻っ面をひっかかれそうになっている、この均衡が何とも面白い。

でかい身体で擦り寄ってきて、決して吠えず、どっちかというといつも申し訳なさそうな顔をしているので
ネコたちよりはかわいげがある(爆)。
でも、今まであたくしには一切なつかなかったネコが、この間来訪した時に
コタツの中で、あたくしの足を枕に寝ているという珍事を起こしたので、
彼女(ラティ)の登場が大きくこの家で作用しているといっても間違いではなさそうだ。
うむ・・・・可愛げのなかったあのネコたちが最近、異様に可愛く見える(爆)。


ネコ関連でもう1件。

まだ先週末に降った雪が全部とけきっていないうちに、次のドカ雪がやってきた。
もう・・・・今年の冬はどうかしている。
元々、この土地はこんな雪国ではないはずなのだ。
年の瀬を前にしてこの有様というのは、近年、なかなかない。
今朝。
本当に無駄な早起きをした(早朝3:50起床)。
雪が降る、降ると天気予報でしつこくやっていたので、朝日が上る前の窓の外を少しのぞく。
新しく降った雪が、うっすらと積もっている。
嗚呼・・・・少し降ったらしいな。
そんなことを思いながら庭に目をやる。
すると、小さな小さな足跡が、庭のど真ん中を斜めに横断している。

あら。
きっと寒かったんだわね。

いつも近所を徘徊している、お決まりの野良猫のことがふっと頭をよぎった。
どうやら昨夜は、我が家の軒先を寝床にしたようだ。
雨が降っていたらしく、その間、ずっとそこにいたみたいだった。
それが雪に変わった明け方頃、いったん止むのを待って、もっと温かい場所を探して去ったのだろう。
始終見てはいないけれど、そんな物語が容易に頭に浮かんだ。

直、その足跡もすっかり隠し切るように、勢いよく粉雪がどさどさとよく降った。
多分、また積もるんだろう。

↑あぅ・・・・低気圧〜


2005年12月17日(土)
MAO!


マオ・・・・。
と聞いて、「おぉ・・・・『中華一番』に登場する、青い髪をした少年のことだな♪」と真っ先に思う
そこのあなたは、かなりコアだね( ̄ー ̄)ニヤリッ♪
しかし、何も今日は、この世で一番中華鍋が似合う少年の話をしたいわけではなく、
今、恐らく、一番世間を騒がせているであろう、才能溢れる15歳の少女のことが話したいんです(笑)。


見てましたよ・・・・GPファイナル・・・・。
ついこの間のNHK杯も欠かさず見たんですけれどね。
あれには彼女は出ていなかったので、その感想は割愛させていただいて、いきなり本題。


SPの時に、あたしゃ、久々にオノレの中に旋律みたいなものが走りましたよ!!
いやはや、話題になっているとはいえ、本当にこの子はすごいんだ・・・・と。
フリーはともかく、SPではそこそこの緊迫感でもって、及第点以上を弾き出したと思われる安藤美姫嬢。
彼女の選曲した、「Merry Christmas Mr.Lawrence」の曲調が
こんなにも悲しげに仕上がるなんて、新しい発見だな・・・・と思いながら、
テレビ画面からひゅんひゅん飛んでくる美姫嬢のインテンションに、ある種の感心を抱きながら
あまりにも訴えかけるものが強くて、こっちまで泣きそうな気分になりながら、
彼女の演技を見ていた。
いや、何の世界にせよ「演技」をする人というのは、見ている人の情動を掻きたてる才能に
凡その才能が左右されてしまうので、美姫嬢も相当の才能の持ち主なんだなぁ・・・・と
一番滑走の彼女に、本当に感動していたわけなんですが。


その後次々に出てくる、若き才能の塊たち・・・・しかも、今期世界で6位までに入った
屈指の実力者たちだけしか演技を披露することができない、究極の大会だけあって、
大変見応えのあるものであった。
が、やはり表現力や力強いスケーティングを総合して考えると、あの化け物のような17歳が
如何に非凡であるかを思い知らされる。
物凄く強いインテンションの持ち主であるということを再認識させられる。
この間のNHK杯でいきなり優勝してしまった、中野友加里嬢も確かに
物凄い実力の持ち主だとは思うけど、何となく「弱い」というか「面白くない」ように思う。
素人目から見て、こちらがどういうふうに思うか・・・・という点で、少し弱いように思える。
確かに、この大会の美姫嬢は少々不安が残り、荒い部分もあったように思うけれど、
それを見事な表現力でカバーして、日本人離れしたダンステクニック、スケーティングで以て
自分の見せ方というのに徹していたように思う。
中野嬢はそういった点で、とても模範的で、悪い言い方をすると少々面白味がない。


さて、そんなSPで5番目に登場した、朱色の可愛らしい衣装の浅田真央嬢。
身体のラインは、本当に悲しいくらいに未完成で(苦笑)、まだまだ少女。本当に可愛らしい。
なのに、彼女が踊った「カルメン」はビックリするほど完成度が高くて、
加えること、こちらが笑顔になるほどに生き生きとしていて、
この暗い世の中に舞い降りてきた、正に「氷上の天使」という言葉がピッタリのお人形のようだった。

何て楽しそうに演技をするのだろう・・・・この子、本当にスケートが大好きなんだわ・・・・。

思わずそんなことをため息とともに思ってしまうほどに、彼女は楽しそうに嬉しそうに
自分の演技をまっとうしていた。
コメンテーターが述べていたが、本当に彼女一人だけ空気が違っていた。
あとの5人は真剣勝負・・・・正にトリノを賭けた「試合」をしているのに対し、
彼女だけそういった雰囲気を微塵も感じさせず、まるでパーティにでも参加しているようであった。


あたくしは自分の表情筋を疑った。


美姫嬢の時には、本当に悲しくなってしまうほどに強張っていたのに、
真央嬢のスケーティングを見ていたら、何だか本当に楽しくなってきて、自分まで嬉しくなってきて、
いつの間にか、凄くニコニコしていたのだ(笑)。うむ・・・・端から見ると不気味かも(爆)。


要するに・・・・そういうことなんだ。
見ている者を幸福な気分にさせてくれるようなものを、日本や世界が求めている、その需要に
彼女はまるで雛形でもとったかのようにキッチリと当てはまっているのである。
しかも、オリジナリティ満載で、抱きしめたいくらいにキュートだ。
15歳という年齢もそれに影響していることとは思うのだが、
15歳にしか表現できない「何か」があるとするならば、彼女のそれは本当にピカ1で、
今世間が言っているように、コレを世界に出さないでどうするんだ??と、詰まることそういうことになる。
彼女があんまりにもトリノにこだわっていないようなので、あたくしは無理に
今までのルールを改正する必要はないと思う。
報道でもあれこれと取りざたされているようだけれど、彼女は自分が好きだと思える演技を、
自分の思うようにやりきった後で、もう一度構成をやり直しても遅くないほどに、
まだまだ時間がたっぷりあるので、ゆっくり完成させていって欲しいと心から願う。


そんな彼女は、自分がまだ「少女」であることをきちんと自覚しているのか、決して背伸びをしない。
無論、技術は、女王スルツカヤを脅かすほどに、超シニア級であることは明々白々となったわけだけれど
その他の部分・・・・要するに、表現力の部分で、彼女はあまり「女性」を意識しすぎていないのが
凄く好感が持てる。
脱ジュニアを果たしたことで、大人の仲間入りを意識せざるを得なかったこととは思うのだけれど、
そういう世界の中で、「少女らしさ」をきちんと売っていけるというのは
物凄い冒険でもあり、自分をきちんとわかっていなければ、なかなかできないだろうな・・・・と思うのだ。
17歳にして、かなり肉感的で女性らしいラインを手に入れてしまった美姫嬢と、
今の彼女とでは明らかにタイプが違う。
美姫嬢は、それこそ脱ジュニアを果たしてから、イメージを一新しようと必死にもがき、
挫折や淘汰を味わい、表情にも苦渋の色が混ざって複雑な顔をできるようになってきたのだけれど、
真央嬢はまだそういうのを考えなくてもいいようだ。
恐らく、これから本格的に身体が完成してきて、今までのように自分が思うようなバランスや、ジャンプが
できなくなる時期が訪れるかもしれない。
女性のボディバランスというのは、けだしそういうふうにできているのだから仕方がない。
女王スルツカヤのメリハリのあるボディラインを見ていると、彼女のよさと真央嬢のよさというのが
全く別次元にあるのだというのが、非常によくわかる。


フリーで披露した「くるみ割り人形」の構成は、恐らく、彼女でないとダメなのだろう。
本当にお人形のように、軽く軽く、難易度の高い技を次々と繰り出し、
ひょっとしてこの子は、着氷せずに氷上約3mmくらいのところを浮いてんじゃないかと錯覚させるように
軽やか・・・・かといって重心がぶれているわけでもなく、寧ろ、恐ろしいほど安定している。
とうとう、宣言どおり、ノーミスで演技を終えた。何て少女なのだろう!!


案の定、会場の観客たちは、スタンディングオベーション。
そりゃ、ライブで見ればあぁなるのかもな・・・・。テレビで見ているだけでも十分に見応えがあったし。
あれは凄いわ。
スルツカヤや美姫嬢がが苦虫を噛み潰したような、かなり複雑そうな顔をしていたのも頷ける。
素人のあたくしが見ても、幸福感で満たされて、心の底から

「あぁ・・・・いいものを見たなぁ・・・・幸せだなぁ・・・・( ̄¬ ̄)♪」

と思えたくらいだから。


そんな彼女も、ジュニア時代は同じクラブに所属していた美姫嬢や姉の舞嬢に連敗を喫し、
本当に勝てない日々が続いたのだという。
誰よりも負けず嫌いで、誰よりも練習熱心、ジュニア時代に向かえた自立の転機から、
誰よりも本番に強くなる「マオ」が出来上がるまでには、一朝一夕の努力では物語れないようだ。
まだ若いとはいえ、凝縮された困難が彼女の背中にあったりして、
しかし、それを思わせない満面の笑顔と最高の演技・・・・評価されなければウソだ。
いつしか姉は妹の実力に恐れ戦き、銀板とは別にもうひとつの居場所を求め始め、
今やシニアの先輩である美姫嬢のことをも、彼女は実力で脅かそうとしている。
そしてこの日、まるで比べ物にならないポイント差で以て、完全に凌駕してしまった。
「いちばん」になった彼女は、五輪がどうのとかいうそういうのをまるで別のところに追いやって、
本当に本当に嬉しそうに笑っていた。


日曜の夜に、エキシビジョンをやるらしい。
新聞で1カットだけ見かけた、あの「オーバー・ザ・レインボー」のドロシーが見てみたい。
(以前の大会で見逃したので)
フィギュアスケートで、こんなにも感動したのは初めてかもしれない。
彼女より倍は生きているあたくしは、凄くいい体験したなぁと、とてもいい気分になりました。

↑ここのコメントだけ、浮いてたり(笑)


2005年12月13日(火)
ガ●トのCM


ここしばらく、ファミレスというところに行っていないわけだが、
かといって、別段に恋しいという感情もなく、そもそも外食があんまり得意ではないあたくしは、
ひとり暮らしの時分から、なるべく外食を避けて通ってきたくらいに、ストイックな生活をしていた(笑)。


それは何もファミレスに限った話ではなく、外食に頼るようになったらおしまいだよな・・・・と、
どっかで思っているフシがあるようで、結婚してからも、数えるほどしか外で食事はしていない。
そうかといって、昨今は少々体調が芳しくないので、食事の支度すらもままならないわけなのだけれど、
それでも外に出ようとしない、この生粋の「出不精」を誰か何とかしておくれよ( ̄∇ ̄;)
そもそも、山賊が料理人であるという時点で、あたくしの中での「外食」というものの
位置づけがどっかでずれてんのかもしれないなぁ(苦笑)。
彼が料理人になる前から、本当に自分が幼い頃から、あたくしは殊更、外食するのを嫌った(笑)。

・・・・外で食べるものって、あんまり美味しくない。

( ̄∇ ̄;) 4〜5歳の小童が、どんな肥えた舌してんねんっ!?・・・・と
当時のオノレにツッコみたいところですが、時というのは一定のベクトルで以てでしか流れない。
つまんないガキだったよ、ホント(トホホホホ)。


そんな最近。
ボンヤリとテレビを眺めていると、ここしばらくですっかり食べ物の嗜好が変わったにもかかわらず、
相変わらず「辛いもの」には目を奪われる、わかりやすいアサミンジャー
地球の平和を守るためならば、究極に辛いものでこの体を刺激すべきだわよ( ̄^ ̄)
という奇妙な勘違いの中、赤い料理が大好きなのである(爆)。

唐辛子(一味より七味)とか、和辛子、マスタード、黒胡椒なんてホントに大好きなのである。
1回おでんを仕込むと、チューブの辛子の半分がなくなる勢いなのである。
もう、そのくらい好きなのである(笑)。
体力が落ちてしまってからは、食べるだけで疲れるという離れ業を披露しているわけなのだけれど、
なるべく少ない量で、加えて効率的に食べるだけで代謝を上げるには、やっぱり辛いものなのである。
香辛料の力を借りて、無理やりに汗をかいている( ̄∇ ̄;)

そんなあたくしの心を奪い去っていくような、TVCMが最近、断続的に流れるのである。
某大手ファミレス・ガ●トの冬季限定メニューのCMである。


画面いっぱいに登場する、キムチチゲうどんの映像( ̄¬ ̄)♪
真っ赤な汁、とろけそうな卵、太くて美味しそうなうどん・・・・あぅ、全部好き(爆)。
このCMを見る度に、食欲と食指を擽られ、いつもより余分に食べてしまう・・・・なんていう現象も起き出し
コリャそろそろ、自分できちんとペース配分をしたり、節制しないと、大変な冬になるよな・・・・
と本格的に考えていた矢先の出来事であった。
また同じCMがテレビで流れてきて、あたくしはガッツリとその映像を見てしまい、

「おのれ、にっくきガ●ト・・・・」

と思うや否や、次の瞬間には、大してお腹が空いているわけでもないのに、
何かにとり憑かれたように冷蔵庫から野菜やら何やらを出して、うどんを仕込みだすあたくし( ̄∇ ̄;)
しかもキムチ味( ̄∇ ̄;)( ̄∇ ̄;)
完食したら、動けなくなった(爆)・・・・美味かったけど。


最近のあたくしにとっての、鬼門のCMといえば、このうどんのCMに加え、
モスチキン、ケンタッキー、¥100マック等々、ジャンクなモノばっかり・・・・。
だからなるべく外に出ないようにしている(笑)。

この間の日曜日も食料を買い出しに行った出先で、ソース味のものが食べたくて食べたくて仕方がなくなり
ぷよ2を巻き込んでたこ焼きを食べてしまった。
その次の日もこの嗜好は尾を引いていて、お昼にひとりで、焼きそばを作って食べた。
そして、この日・・・・あたくしは様々な五感からの影響が極まって、ついに激辛のキムチうどんを作り、
とうとう動けなくなった・・・・と、このような顛末( ̄∇ ̄;)
うむ・・・・あまりに情けない。


↑異常事態である!


自制のため、買ってきた野菜やその他材料を駆使して、
煮物や、なるべく油の少ないようなものなどを作るようにしている。
けれど・・・・どこでどう間違うのか、間食に、フライドポテトなどが欲しくなるのである(苦笑)。
こういうときの食欲には、なぜか勝てない。
今まで勝てた験しがない( ̄∇ ̄;)


2005年12月09日(金)
強烈に感じたこと


・・・・などと銘打って書き始めてしまうと、凄くパンチのある、中身の濃そうな、
それこそ「強烈」な内容を期待されてしまうかもしれないのだけれど、
そこんとこは最初に断っておこう・・・・┐( ̄∇ ̄)┌オホホ
そんな大した話じゃなくて、ごくごく日常的なことで、
なのに今まで特別意識したことがないようなことを、この日たまたま、凄く強烈に思ってしまったわけ。


この日の夜。
これまた「強烈」な吐き気に苛まれながら、それでもオノレのカラダのために
「DAKARA」くらいは枕元に置いておこうと、ベッドメイキングだけ済ませて、
廊下からリビングに行こうとした時だった。

それはそれは強く、こう思った。


「うわぁ・・・・あたくし、この家、すげぇ好きかもっっ♪」


(苦笑)。
もうね、ぶっちゃけるまでもないけれども、皆々様の期待を裏切ることなく、
この家の掃除たるや全く行き届いておりませんことよっっ!!( ̄^ ̄)(笑)

入籍したその日から、ここがうちらの城となったわけで、
かれこれ1年半ほどまったりと居ついているわけだけれど、
いい加減どうなのっ?? この我が家色全開なアトモスフィア!!(爆)
あたくしが寝るためのベッド、あたくしが歩くための廊下、あたくしが勝手に仕切っている冷蔵庫、
もはやあたくししか立たないキッチン(笑)・・・・(ぷよ2はどうした? ぷよ2は?)
ガッツリこの家のホステスとして納まったあたくしを、大いに満足させてくれる空間が、
「ここ」であるということに、正に今日、痛感するかのように気づいちゃったのである。


今までも、うすうすは感じたりもしていた。
だけど、何だろう・・・・。
こんなにも強烈にこんなことを思うなんて、自分でも凄く意外な出来事だったわけさ。
でも、この空間とであった瞬間から、あたくしの人生は事実上、大きく変わっていったのも
また紛いようのない事実なわけで・・・・。


そもそも、この家のことを心底惚れこんじゃって、「ここ、いいなぁ・・・・( ̄¬ ̄)♪」と思ったのが発端で
→→で、結婚・・・・となったわけで、この物件を見なかったら、もっと結婚は先になってた、
もしくは結婚してないかもしれなかったわけだ(爆)。
結婚なんていい人との良縁、巡りあい、ある種は運命??みたいなもんだと半分くらいはそう思ってたけど
人だけじゃねぇな・・・・なんて、しみじみ思うわけ。
「空間」との良縁が幸いすることもあるってことだ・・・・まぁ、あたくしの場合は(笑)。
そんなこんなで、あたくしのお気に入りの物件である「ここ」に居つくにあたっての総てのお支度は、
親とかぷよ2とかのスネをがりがりやって成立したようなもんで、
ホントにあたくしってば、つくづくラッキーだよな・・・・と思うわけだ。


出不精のあたくしは、あれから1年半、ここにいることの方が多くて、
居心地もいいものだから、それが当たり前の生活になっちゃって、
挙句にゃ、やっぱりお掃除だけはできなくて( ̄∇ ̄;)主婦としては最下ランクと自覚もしている。
そんなこの日、ホント、思い出したかのように、思いついたかのように、しみじみと


「ここが好きやぁ〜♪ ( ̄¬ ̄)♪」


なんて、強烈に思ってしまったわけだ。
そしたら、そういうことを思う自分が、無性に可笑しく思えてきて、
凄まじき吐き気も、一瞬だけどっかに吹っ飛んだ(笑)。


今度、あのぐちゃぐちゃのリビングを一掃して、ぷよ2とあたくしと1個ずつ、
ステキ座椅子を買おうと思うの。ニ●リで(爆)。
価格調査に行ってみたら、恐ろしいほど安く市場に出ているので、
思わず衝動買いをしそうになったけれど、すんでのところで踏みとどまった(笑)。
座椅子を買ってしまったら最後、コタツも同時購入しなければならなくなりそうなのが、
非常にイタいけれど、そこはそれ・・・・財布の紐は結局あたくしが握っているので、
家にいる時間が短いぷよ2には限界への我慢に挑戦していただく┐( ̄∇ ̄)┌オホホ

↑名古屋名物??


あったかいものと冷たいものを同時に食すのって、結構、いい贅沢だよなぁ・・・・と思いながら(笑)。
コイツと座椅子のことでときめいていたら、かなりわくわくしてきて、
顔が土色のわりには元気にしていた。
この汚い部屋も特別にいとしいし、そうかといって掃除をサボる理由にはならないけれど、
やっぱりあたくしは、この場所が好きだわ。


2005年12月07日(水)
長い長い冬の1日


ここんところ、1日が非常に長く感じる。
別段、嫌なことがあったわけでもなく、寧ろハッピーなことばっかりで、
それの派生で、方々に不義理を立ててしまって申し訳なく思っているのだけれど、
精神的にはわりと安定している。


そういえば毎年12月2日には、昔馴染みにはおなじみ(笑)、ヨシオのことを必ず思い出していたものだが
今年は9月28日に大々的な整理整頓を行ったせいでか、思い出している暇もなかった(笑)。
丁度1年前くらいに、夢遊病チックな「遁走」までかましたのだけれど、
アレを機に、総てが鎮静化していった感じもする。

冬の夜は長い。
あれこれと考え事をするのには非常に向いているのだけれど、
ここしばらくのあたくしの生活ときたら、本当に頗る健康的で、
3食以上の食事をきちんと食べ、アレだけ苦手だったお掃除やお片づけにも目が向くようになり、
そうやってパタパタ動いているうちに日が落ちていって、
自動的に夜は寝ているといった具合で、物思いに耽る平安女房みたいな生活とは
かなり縁遠い色になってきた。
・・・・パタパタと動くといえども、動けるときにそうしているだけで、
実は少々体力が落ちているせいか、実働時間はかなり短い(苦笑)。
「できる時にできる事を」というスタンスでやっていると、
考え事をしている暇が必然的にどんどん削られていくのである( ̄∇ ̄;)


寝る前に飲む薬は自主規制して、半量だったところから更に3分の1にまで減った。
処方の6分の1以下。
本当は全部ナシにしてしまいたいところだったのだけれど、2日間試して、相当しんどかったので、
今の量に(仕方なく)戻したのだ。
しかし、惰性で飲んでいた分をカットしたら、それはそれで毎日が過ぎていって、
普通に生活できているので、また数日して、ここから半分にカットする方向で考えている。
おぉ・・・・そういえば、発作もしばらく出ていない。素晴らしい!!


諸先輩方から沢山メールもいただき、そのお返事も間々ならないわけだけれども
それらは今後ゆっくり書いていこうと思います。
精神的に安定はしているけれど、何というか、「余裕がない」感じで(苦笑)、
自分的にキビシイと思ってしまうんで( ̄∇ ̄;)
待っててください・・・・一両日中に近況報告いたします♪>各位


↑こういう幸せの形なのか?


2005年12月05日(月)
こころあたたまる


食べたり、食べられなかったりの日格差の激しい中、美しい文面のメールを頂いた。
自分の環境や体質が、目まぐるしくどんどん変化する中、それは清々しく美しい書面であった。
あたくしは自分の中の感覚が、例えば結婚する前であるとか、
芝居で凄く忙しい時期であるとか、納期ギリギリの原稿を前にした瞬間であるとか、
そういう感じに立ち返っていくのが具に感じ取れた。
近年、あんまりなかったことで、それは気持ちよくて、心温まるものであった。


見ず知らずの方からではあったが、とある共通項に、思わず吹き出してしまった(笑)。
この人は、あたくしにとっては、少なからずとも「戦友」であろう(爆)。


12月に入ってから、PCを立ち上げていられる時間が極端に減ってしまった。
ちょっと体力的にもたなくて( ̄∇ ̄;)<え・・・・? トシ???( ̄□ ̄;)!!
年始くらいを目安に復活できることを祈っているけれど、まぁコレばっかりはどうともいえないので、
オノレのペースで、いつもどおり、まったりといきたいもんだとは思う。
(今日はたまさか大丈夫っぽい。)

↑珍しいこともあるもんだ(笑)

あさみ


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あなたの毎日にずぅむいん・・・・

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