2002年10月28日(月) みんなのおかげ


自分の絵を見られることに、なんとなく抵抗があった。
というよりも、恥ずかしかった。
アトリエの先生や生徒はみんな絵が好きだから、
見られるのにはまったく抵抗はない。
仲良しの友達も、私の性格をよく知ってくれているから大丈夫。
問題は、ただのクラスメイトや顔見知り程度の人だった。
私の絵はけっして上手といえる類のものではないので、
「へんな絵」とか「へたくそ」とか思われるのが怖かった。

それでも、最近は学校に絵を持ち歩く機会が増えた。
正確には、絵の写真、だけれども。
推薦の書類に使うので、ポケットファイルに入れて持ち歩いていたのだ。
授業中や休み時間に書類を作ることがあって、
そうすると、みんなやっぱりファイルを見たがるので、
照れながら見せるようになった。
みんな私の絵を見てどんなことを思うんだろうと、ドキドキした。

「すごく優しい絵だね」
これは、美術選択で一緒になった中西さんの言葉。
同じクラスになったことはあるけれど、
そんなに仲良くもないし、私とは雰囲気も全く違う子だ。
けれど、彼女は絵やデザインがとても好きで、
だからかも知れないけれど、私の絵を誉めてくれた。
それが本当に本当に嬉しかった。

他のみんなも、「すごーい」「うまいね」なんて言ってくれて、
私は今までよりももっと自分の絵が好きになれた。


2002年10月23日(水) ・・・・・・・・・


今朝、通学に使っている駅で飛びこみ自殺をした人がいた。
怒り。ショック。疑問。好奇。視線。
駅の中は様々なもので渦巻いていた。

私はといえば、「どうして?」そんな気持ちでいっぱいだった。
ど う し て 死 に た い な ん て 思 う の ?
死にたいなんて思ったことが一度もない私が
健全すぎる幸福すぎる人生を送ってきただけなのだろうか。
そんな私は残酷なことを考えてしまう。
こ ん な と こ ろ で 自 殺 な ん か し な い で よ !
死ぬのは勝手だ。
けれど、こんな風に他人を巻き添えにすることなんかない。
きっと、自殺した人は心に暗いものとか傷とかを抱えて入たんだと思う。
こんな簡単な言葉で済ましてはいけないような、
私なんかには計り知れないような、ものずごいなにかを。
けれど、その人は分からないんだろうか。
それを見た人が何も思わないわけはないってことを。
電車の運転手さんが苦しまされるということを。
家族や友達がもしいるなら、その人たちに迷惑がかかるってことを。
私が自殺現場に着いたのは処理が終わってからだった。
言い方は悪いかも知れないけれど、よかったと思った。
友だちの一人は、ちょうどその人の近くにいて見てしまったと言っていた。
学校までの道のりを一緒に歩いたのだけれど、
洗濯ものが上から落ちてきたり、虫が草むらから出てきただけで、
ものすごく驚いて叫んでいて、本当にかわいそうだった。

今朝の出来事は「遅延証明書」というたった一枚の紙で済まされた。
それから、新聞の後ろの方にほんのちょこっと載っただけ。
自殺した人は、腰を打っただけで済んだらしい。
どうしても、死について考えてしまう。
嫌でも自分の残酷な部分が見えてきてしまう。
こんな出来事なんか大嫌いだ。


2002年10月19日(土) えほん


小さいころ大好きだった絵本、どうして捨てちゃったんだろう。
書評を読みながら、そんなことをふと考えました。
「わたしのワンピース」「はろるどとむらさきのくれよん」「もりのはいしゃさん」…
大好きな絵本はたくさんあったのに、今、本棚に並んでいるのはほんの少し。
字が読めるようになり、少し難しい本が読めるようになったのは、小学校低学年のこと。
すると、急に絵本が子どもっぽいもののように感じてしまい、
ほとんど処分してしまったんですよね。
今も物置のどこかに、絵本が詰めこまれたダンボールがあるんじゃないだろうか、
そんな淡い期待までしてしまいます。
どうして取っておかなかったんだろう。
なんで捨ててしまったんだろう。
今となっては、まさに後悔の嵐です。
けれど、もし今残っていたとしても、
小さいころに読むのと、大人になってから読むのとでは
感じ方がぜんぜん違うだろうとも思います。
"今"感じていることって、とても大切なものなんですよね。
日記は続かない私だけれど、本の感想なら続けて書けるかもしれない。
自分だけの書庫があるのってうらやましいと常々思っていたけれど、
実際に読んだ本を全部残しておくのは金額的にも場所的にも無理。
だったら、その一部をノートに残して、
いつでもパラパラとめくれるようにすればいいのかもしれない。
そんなことを思い立って、急に、読書感想ノートをつけてみることにしました。
どこまで続くか分からないけれど、
自分のあしあとがそういう形で続いていたら、
けっこう素敵なことかも知れない。


2002年10月13日(日) 図鑑


無趣味だったお父さんに登山という趣味ができたのは、
2年前のちょうど今ぐらいの季節のことだった。
製本組合の中まで「ハイキング部」なるものを作り、
高尾山に行ったのが楽しかったようだった。
それ以来、その中の仲良し中年3人組でハイキングに出かけるようになり、
いつのまにか本格的な泊りがけの登山をするようになっていった。
楽しそうに登山や仲間のことを話すお父さんを見ると、
私まで嬉しくなる。

「今週末、また、すぎちゃんとてっちゃんで山に行くんだ」
先日の夕食のときも、お父さんはにこにこしながらそう言った。
このところ、ひどい頭痛や吐き気が続いていたため、
しばらく登山に行っていなかったのだ。
だからこそ、喜びもひとしおだったのだろう。
「てっちゃんが急いで登ったり下ったりするから、
まわりの風景なんか見てらんないんだよなぁ。
だいたい、オヤジ3人組じゃあ花の名前もわからないんだけどさ」

父はきっとなにげなく話していたのだと思う。
けれど、その言葉は私の中に強く残っていた。
そして、次の日の絵画教室の帰り道、
私は少し遠回りをして本屋さんに立ち寄った。
「野山の草花」「高山植物」「ポケット図鑑 山の花木」
目当ての本は何冊かあった。
どの本も山登りにはおあつらえ向きのサイズで、
それぞれに美しい植物の写真がプリントされている。
値段が少し張るものの、
どうしてもそれをお父さんにあげたかった。

夕食の食卓で「お父さんこれあげる」とぶっきらぼうに手渡した。
誕生日でもなんでもないときのプレゼントはなんとなく恥ずかしい。
だから、がさごそと袋を開ける音だけ聞いて、
「ありがとう」と言ったお父さんの顔は見なかった。

今、お父さんはきっと目的地の民宿で眠っているところだ。
明日頂上に着いたら、またメールをくれるのかな。
あげた図鑑を開いてくれたのかな。
どうか、元気で楽しそうに帰ってきてますように。


2002年10月01日(火) drop


関東地方は台風の影響で雨降り。
学園祭、音楽祭の疲れがドッと出て、お昼近くまで眠ってしまった。
とろとろとした眠気に雨音が心地よく響く。
TVの音声や風などと同じ物音なのに、私を邪魔しない雨音が私は好き。
しとしと。ざあざあ。ぱらぱら。
どんな物音をたてていても、
雨音は私の中にすーっと入りこみ、私を安心させてくれる。
どうしてこんなに安心するんだろう。
もしかすると、お母さんのお腹ではこんな音がしていたのかもしれない。
こんな具合に、雨音は私を普段とは違う考えへと連れていってく。
そしてまた、雨の日はには読書がよく似合う。
布団に足を入れ、ベッドを背もたれにして、本を、ひたすらに読む。
今夜もしも雨が降っていたならば、
私はどんなふうに眠りにつくんだろう。
本を手にしたまま。
なにか考えごとをしながら。
「おやすみなさい」と言ってから切った電話のあとに。
しとしと。ざあざあ。ぱらぱら。



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