2002年09月25日(水) グーになっても


学園祭まであと3日を切り、
普段盛り上がらないうちのクラスも、にわかに活気付いてきた。
おそろいで作ったクラスのパーカーももうじきできるはずだ。
私はといえば、模擬店の責任者と調理係になってしまい、
なんだかんだで毎日忙しく過ごしている。
あまり話したことのない女の子たちと調理について話したり、
もう一人の責任者の飯村とメールや電話でやりとりしたり、
いつもの日常では味わえないような充実した忙しさ。
この忙しさが期間限定のものだと分かっているからこそ、
全力投球したいなぁと思っている。
たぶん、みんなもそうなんじゃないかなぁ。
「おれんち呑み屋だから、大鍋持ってこられるかも」
「店名は丼・キホーテがいいな」
「うちらで100均行ってみるよ」
「松井の親戚が養鶏場やってるから、鶏肉寄付してくれるらしい」
非協力的だと思っていたクラスのみんなが、
ちょっとずつでも学園祭のことを考えてくれているということが嬉しい。

高校生活最後の学園祭。
"最後"という言葉は少しせつなくて、少しさびしい。
それでいて、どんなときよりも人を輝かせる言葉だと思う。
当たり前のことだけれど、
明日になればまたカウントダウンする指が少なくなるんだ。
その指が全部折れ曲がったグーの形になって、
学園祭が終わってしまっても、
通り過ぎた"最後"がいつまでも鮮やかなものだったらいい。
今はぐちゃぐちゃに書きこまれたようにしか見えない企画ノートが、
何年後かにはこのキラキラしたときを思い出させる宝物になっていたら。
そんなことを願いながら、今日はもうおやすみなさい。



2002年09月15日(日) 見上げてごらん夜の星を


「見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光が
ささやかなしあわせを 祈ってる」

私たち部員の合唱に合わせて、
おじいちゃんおばあちゃんが首を動かしてリズムをとったり、
一緒に歌ってくれているのが見えた。
敬老の日。
グリー部は学校近くの老人ホームに招待されて、
何曲か歌をお披露目してきた。

歌い終わってから、一人のおばあさんが話しかけてきた。
「あのね、あんたたちの歌を聞きにきたのよー。
そしたら、着いたころにはもう終わっちゃっててねぇ。」
私たちよりだいぶ背丈が低いおばあさん。
本当に私たちの歌が聞きたかったのだということが伝わってきた。
「ねぇエリコ、もう1度歌えないかなぁ?」
私も、なかっちゃんと同じ気持ち。
「すいません、もう1度歌わせてもらえませんか?」
フットワークの軽いなかっちゃんはすぐにスタッフの人に交渉した。

ううん、なかっちゃんが交渉したのは
フットワークが軽いからというだけじゃない。
たった一人のためにでも歌おうという気持ちを持っているからだ。
いつだったか、なかっちゃんは「音楽の道に進みたい」と言っていた。
自分が歌う本当の意味を改めて感じた今日。
その意味をもっとずっと前から知っているなかっちゃんに、
音楽の道はぴったりだと思う。
彼女なら、たった一人でも聞いてくれる人がいるならば、
その人のために歌うことができるだろう。

なかっちゃんの交渉の甲斐もあり、
私たちは休憩時間にもう1度歌うことができた。
歌い終わったあと、あのおばあさんがまたやってきて、言った。
「よかったわよー。ほんとに良かったー。
また聞かせてちょうだいねー。」
ああ、やっぱり歌っていいもんだなぁ。


2002年09月14日(土) 今


朝、チャイムとほとんど同時に教室にすべりこむ。
後ろのドアにいちばん近いしょうこが「おはよう」と言ってくれる。
続いて、その左ななめ前の席のちほが「おはよう」。
しょうこの2つ前で、ちほの右ななめ前が、自分の席。
重たい鞄をドスンと机に置いて、席に着く。
まもなく担任の金子先生がやってくる。
川名くんが号令をかける。
毎朝、こうして私の学校での1日が始まる。

推薦入試、センター試験と説明会が続くこのごろ。
指定校推薦をだれそれが受けるという話題が持ち上がったり、
授業中に他の科目の参考書を広げる子が多くなったり、
のんびりしているうちの学校でも、
いよいよ受験生らしい空気が感じられるようになってきた。
こんな風にずっと続いてきた私の毎朝も、あと少しでおしまいだ。
毎朝だけじゃない。
休み時間の友だちとのくだらないおしゃべり。
たいくつで、先生の喋り方やくせばかりが気になった授業。
放課後の楽しい部活動や委員会。
そんな、学校での毎日までが終わってしまうんだ。
それまで笑い合っていた仲間たちとは離れ、
きっと別の新しい仲間ができる。
私は今の日常を思い出して懐かしむのかしら。
ただひとつ思うことは、
思い出になっていない今を精一杯に生きたいということ。
いつか今を思い出したとき、
自然と笑みが浮かぶようなものにできたらいいなぁ。


2002年09月10日(火) おじいちゃん


夕食後、いつものようにパソコンのある応接間に向かった。
応接間の前はおじいちゃんたちの部屋だ。
部屋の明かりをつけると、
その、前の部屋に横たわるおじいちゃんの姿が見えた。
ハッとした。
寝ているのか、倒れているのか、はたまた死んでいるのか。
おじいちゃんの部屋の引き戸のところまで行って
おなかのあたりをよくよく見てみると、
かすかにへこんだりふくらんだりして、息をしているのだと分かった。
ホッとした。
おばあちゃんにタオルケットの場所を聞き、
おじいちゃんに、そっと、かけてあげた。

こんなことで、おじいちゃんの年齢を感じてしまった。
この間まで60代だったおじいちゃんは着実に年をとって、もう73歳だ。
私のように大きな変化がないから分からないだけで、
おじいちゃんも少しづつ変わっているんだ。
おじいちゃんの半そでのシャツから出ていた腕は、
細くて、白くて、血管が目立っていて、
間違いなくおじいさんの腕をしていた。
時間が昼寝時じゃないだけで、
場所が布団の上じゃないだけで、
自然と体を心配してしまうような年になっているんだ。

しばらくして、おじいちゃんはのそのそと起きてきた。
ドン、ドン、という鈍い音は、
おじいちゃんが外付けの階段を降りて行く音。
遅くまで仕事をしている事務の三上さんの様子を見に行ったのだろう。
やさしいおじいちゃん。
おじいちゃんと一緒にいられるのも、
後少しなのかも知れないと思ってしまったんだよ。


2002年09月08日(日) 描いてみよう


8月、1枚も絵を描かなかった。
どうしてなんだろう。
今、アルバムをめくって、そこに写っている人たちを見たり、
街角や学校のワンシーンが自然と頭に焼きついたり、
こんなにもいろいろな絵が思い浮かんでくるのに。
そうだ、私が描きたいものは、なんでもない日常だったんだ。
なんでもない日常がいちばん幸せで、美しいものだから。
ピアニカを嬉しそうに吹くしまちゃん、
洗濯物を干すお母さん、
公園で休憩している郵便屋さん。
私の大好きな家族や友達や、私の大好きな町のいろんな人々を、
描いてみたいだけなんだ。描いてみよう。
私の目に心にそういうものが美しく幸せに写っているうちに。
私の中でそういうものが過去のものになってしまわないうちに。


2002年09月03日(火) ただの…


私のひょんな一言から大げんかになったのはおとといの夜。
別れ話になりかけたあと、突然彼が言った。
「明日、会いに行っていい?」

つい2時間前まで、私は彼の手を握っていた。
学校をさぼり、親に黙って東京に来てしまった彼の手を。
駅前の噴水のまわりに腰掛けて、
くだらないことたわいのないことを喋っていると、
彼のお母さんから電話がかかってきた。
口をへの字に曲げて、涙を浮かべて、「ごめんなさい」。
彼の顔はまるで叱られた小学生みたいで、
ごめんね、あんな状況なのに、思わずかわいいと思ってしまったんだよ。

当たり前のことだけれど、彼の親にすれば心配でたまらないはずだ。
そんな親心も分かっているつもりだ。
それでも、こうして、制服を着て、駅で待ち合わせて、
平日の放課後にデートできるということを喜んでしまう私を許してください。
恋愛の形が普通の高校生とは違うとしても、
私の心は普通の高校生の女の子のものでしかないのだから。
6限目の授業終了のチャイムをどんなに待ち望んでいたことか。
駅へ向かう道の途中でどんなに胸をふくらませていたことか。
今日だけでいいから、この幸せを許してください。



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