日記×エッセイ...みち

 

 

塊魂の中の一曲とACIM - 2017年06月30日(金)

今朝起きたら、塊魂(有名なゲームですね)の中で使われている一曲がわたしの頭の中に流れていました。
でもわたし自身うろ覚えで、ろーん ろんりー ろんりーすたー♪ 立ちー止まらないでーねーえ♪みたいな感じで頭に流れていたので、歌詞を調べようと思い、ネット検索。
現在の生活圏内に塊魂が入ってきてるわけではまったくないんですよね。ゲーム、全然しなくなっちゃったものなあ。

で、基本こういう、今の日常で全く聞いていない歌が頭に流れるというケースの時は、夢を見た時と同様な扱いでわたしはその歌の歌詞を調べます。

朝の出勤前に検索したそれを見て、しまったと思いました。出かける直前なのに泣けてきてしまった。
今のわたしが欲しい言葉だったってことはわかるものの、頭ではちょっと明確さはないみたいな感じで泣けてきました。

正確なタイトルは「LONELY ROLLING STAR」。
歌詞はこちらになります。

これをわたしはACIMでいう聖霊さんがわたしに向かって言っているように受け取って泣けてしまったのでした。

ずうっと一緒にいるということ。
待っててくれるということ。
前を向いていこうって励ましてくれること。
それから、「LONELY ROLLING STAR」ってわたしに対して冗談ぽく言われたようにも感じました。
自分で自身のこととしてそう言うのと、人に温かくわたしの言葉に添ってそう言われるのとでは全然違うなあっていうような、そういった感じがしました。

聖霊さん、たまには電話します(笑)


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つらつら - 2017年06月29日(木)

書きたいことが出てきても書く時間が取れないよう〜ということで、ダイジェスト。

NAOTの靴を買ったので現在履き慣らし中。
初めてこの靴に足を入れた瞬間、インソールの凹凸にナビされてできたわたしの姿勢の感覚に、かなり感動しました。今のところまだ靴に当たる感じのところがあるので今度どうなるか観察中。


鍼灸日記。
手足が血行が良くなってかゆいという時期を超え、暑い!
お腹がだいぶ温かくなりました。(熱いこともある)
いまだ変化中でございます。最終的にはどんな状態なのだろうね。


ジャックさんのクラスを受けてきたよ。
そして猫ちゃんにもまたまたお会いしてきました。ああ、相変わらずのハンサムぶり。穏やかに遊ぶことを教えると、あんなに穏やかな感じになるのねと思いました。動きがやわらかでかわいい。あと、後ろ頭のライン。

・・・あ、じゃなくて、これは猫日記だ。

ジャックさんのクラスは、収穫多かったです。今回は「プレゼンスの共有」。
質問する前に、最近個人的にもやもやと抱いていた疑問質問の答えを全ておっしゃっていただけたので・・・いやはやなんなのかね。
具体的に質問してないのに(というかそれについての話題も出していないのに)、具体的な答えが返ってきました。うーん、なるほど。

経験することと言葉の関係とがつながりました。相手(クライエント)に言葉をかけるときに、わたしはそれを自然にやっているわと思いました。施術の説明をするときもそれをすればいいのだなということがつながりました。
頭を使ってうんうん言おうとしてしまい、そうすると自分の体の感覚から離れてあまりいい感じしない〜と思っていたところだったので、いやあ助かります。

プレゼンスを共有するってどういうこと?ということが少しわかりました。

共有に必要なことに「対等・平等」がありましたが、最近気になっていたわたしが陥りやすいことがまさにここだったので、どこに気を付ければいいかがわかりました。

アドレナリンが出ることは恐れと関係しているということを以前聞いてはいたけれど、今また聞けたのがよかったです。
(今それについての疑問があったので)

などなど。他にもあったと思うけど思い出したのがこれらでした。

以上ダイジェスト。


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つらつら - 2017年06月25日(日)

今日は日曜ですが1時間ほど職場へ行ってきました。
職場では各自に担当している機械というのがあって、わたしが6年間担当していた機械は契約更新とともに次世代の機器へ交換ということになったので、さようならすることになりました。次世代の機器は先月末から動き始めています。
処分してくれる業者さんの立ち合いのために、今日は職場へ行ってきました。

その機械は自分がメインで担当していたというのはあるのですけど、あれれ?と思ったのは感情が出てきたところ。
週末に業者さんが運びやすいように洗浄されて、バラバラに分解されたのですが、分解されてもう使われないんだなって明らかにわかるような姿を見た時にもなんだか寂しい気持ちになりました。
対象は機械なのにそういう感情が出るものなのだなあ。

だからなんだか今日は告別式的な感じ。ある種。

大きな機械なので、4トントラックで業者さんが来ました。
県内ではATMとか運んだりもしてるのだそうです。(ATMは重いらしい)

手際がとても良くて、お互いに声かけながら落ち着いて仕事されているさまを見ていて、かっこいいなーと思いました。
4人でいらしてたのですけど、仕事を仕切る親方さんも職人って感じがしたし、いちばん年配の方も話すさまを聞いているだけで大丈夫だなって安心感を与えられる感じを醸していて、わたしもああなりたいなと思うのでありました。
(おじさんになりたい?)

かっこいいのは仕事ぶりだけではなくて、トラックもまたかっこよかったです。消防車にテンション上がる子供のようですけど。
処分される機械を乗せてリフトアップされ、すんなりとトラックの中に収められていく。それが彼らの手際の良さも相まってとてもかっこよかったのですよ。するすると収められていきました。

かっこいいなーという感情とともに、告別式を終えられた感じです。
6年間働いてくれた機械も、今日来てくださった業者さんがたも、ありがとうございました。お疲れさまでした。


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つらつら - 2017年06月23日(金)

任せておけばなるようになるものだなあ、と最近思います。
というか、自分の望むことも自分でよくわからんようなところがわたしにはあるので、それだったら差し出してもらったほうがいいわなと。ACIMでいう聖霊さんに。

自分で一生懸命計画したり頭を使ったりしなくても、それは自分の望むことかどうかそれに気づいて正直になる(伝え方ということに関しても)、そういうことに気を付けているだけでよいというか、むしろするんと物事が進んでいくように感じています。

「自分はこれが不得意だから頑張ってやらなきゃ!」とか、以前はよくやっていることでした。
でも最近思うのは、不得意だということを認識していて、それでできるようになりたいなと望んでいればいいのだなということ。そうすれば、見本を見せてくれる人を見つけられるし、自分ひとりで無理やり頑張って「うまくいかない!」とかそんなことをして道草を食わなくていいなと。その分、自分のできるところ、得意としているところを使える機会も増えますし。

ただ素直になる。

恥ずかしいなあと感じているなあ、とか。
そういうとき、これまでは何か(恥ずかしがっていることを隠そうとしたり、恥ずかしいことにならないように頭を使ったり)をしようとしていたけど、「恥ずかしいんですよー」でいいんだなーみたいな感じになっています。

そうしてたら、中学生の頃のことだったり、20歳そこそこの頃のわたしだったりの思い出がほろほろと浮かび上がってきて、あーそんなに頑張らなくてよかったんだわねーとか、あれがうまくいかなったのはよかったわねーとか思うのでありました。

あとね、ネコちゃん。
ジャックさんのところで感じたネコちゃん。自分の夢の中で感じたネコちゃん。
ネコちゃんから感じた、やわらかーい、もうかわいいしかないその感覚を、自分のこころのどこかに置けている感じになっています。
それに気づいたのは、人に関して「かわいいなあ」と感じたことからでした。あ、ネコちゃんに対するのと同じ感覚だ、って思いました。

たくさんのネコちゃんに会うぞー。


あと、ACIM関連。
K.ヤマダさん翻訳の文章を読んでいて、この方の翻訳好きだなあ!って思って、もっと読みたいんですけど本とか出されていないのかしら。
K.ヤマダさん翻訳でUrtext読めたらもうそれは最高だ!
ただ思うだけですけどね。


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今日見た夢 - 2017年06月22日(木)

最近見る夢は、なんだか幸せです。
毎日何かの夢を見てるのは見てるのだけど、
「覚えておいて、起きたらわたしはそれを書き出してまた楽しむんだ、、、スヤァ」
とフラグを立て、再び起きたときは案の定忘れているという感じです。

今日のは大枠だけ覚えていたので書き留めると、ネコさんに通じた!と喜んでいる夢でした。ネコさんに伝えられたことの至福感ときたら、はんぱないです!

言葉の意味で伝わったというよりは、わたしがちゃんと伝えようとしていて、そして相手(ネコさん)に本気で関わろうとしているとき、伝わるんだなあって感じました。
(夢です!)

ネコさんすごーい!こういうところが素敵よ!と熱意をもって伝えました。
そして、わたしの言いたいことが伝わった!と感じたのは、ネコさんの表現からなのですけど、今思うとネコさんは伝えたい!とかそういう感じではないけどわたしに伝えられていて、いやあすごいなとまた改めて思う始末です。
(夢についての話です)


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つらつら - 2017年06月19日(月)

今のわたしは、ぷかーっと水の上に浮かんでいるような感じです。なんかそんな感じ。

おもしろい感覚だなあと楽しんでいるところ。
もちろん(今のところ)日常の中で、これまでとても親しみのある(それでいてあまりうれしくはない)感覚を感じることもできるのだけど、このぷかーっと浮かんでいる感覚を認識できてよかったなあと思っているところ。

例えば何か言葉が自分にやってきたときに、これまでのように「それに対してどう答えるか?」「わたしはそれをどう考えるか?」ということをするのではなくて、単にそれを自分に浸透させてみる感じ。
考える前に、もう直で経験しちゃう感じ。

自分に言葉を浸透させてみたら重くなる感覚がしたり、あるいは目の前が開けたような明るい印象がしたり、そういう反応を感じて感覚したことに気づく、ということをしています。
で、いろいろ考えることなく、その感覚に一致することを言ったり自分でどう思ったかを認識したりする。

これがとても楽で。
いいものを教わった、と思っています。
ACIMの解説をされているサイトさんの文章から教わりました。

信じないのなら、どうして信じてないのかわからないなら、自分に経験させてあげればいい。
自分でいろいろと計画する必要もなくて、経験していいよと許可して迎え入れる態勢でいる。
信じてない理由がそうしてうるけてきたら、それを相手にしない。

ああ、それってなんてかっこいいんだろう!

ということで練習中です。
そして、そんなわけで経済的な心配も、やるやる詐欺を責めるわたしも一気に解決しました。
うーん、何が違うんだこれは?なんでこんなに解決しちゃうんだろう?
(考えたがり)

「なんとかなんじゃね?」
「どうなるのかわかんないけど、わからないからどうなるのか楽しみ!」
「そしてまったく心配がなーい。」

今、こんなマインドになっているのはどうして?

わからないけど、もっともっと自分に浸透させたい。知性でわかるより先に浸透させてしまおう。

あー、この「浸透させる」っていうのも傾聴のレッスンのひとつかもなあって思うのでした。なんか似てる。


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つらつら - 2017年06月16日(金)

今日夢の中で、プレゼンシングソマティクスの施術をしていました。
わたしは施術者で首と頭に痛みがあるという方に手を置いて言葉がけをして、クライエントと一緒に感覚していくということをしていたのですが、目を覚ますとわたしの手はわたしの体に置いてありました。
なので、わたしはそのまま夢の続きのように自分の体で続けました。

そうして得られた感覚はとても穏やかで静かで、ああそうだ、また忘れていた、と感じました。
ほんとうに忘れてしまうなあ。

最近日常を過ごしていて、人とのやり取りからとか目に入ったニュースからとかをきっかけにいろんなことを思ったのだけど、このわたしの考え方っていうのは恐れがあるからこのように思うのだなあ、と朝のセッション(?)で少し恐れから離れたことでそう思いました。
わたしの中に恐れがなかったら、こういう考え方にならないなあって。

恐れがない考え方はこうだからこう考えよう、こう考えるのが良い、正しい、そうするとどこかきゅうっとした感覚になるけれど、そうではなくて、単に恐れのない感覚に戻ってみる。
思い出してみる。
恐れがないとき、恐れがあるときと同じような考え方にはならないんだな、変わるなあって、単に気づく。


わたしはまた、やるやる詐欺状態になっていたので、その自分を見ていました。
やるやる詐欺といっても、わたしは冬に崩した体調回復を優先したかったし、7月までは自分が施術することに関してはお休みとしています。興味深いのは、なのに出てくるということ。だから要は、自分を責める自分がまた出てきたぞということです。

わたしは「食べていける、住むところがある」その確保があって、それから「新しい仕事」と考えます。
一方で、「新しい仕事をする」ことで「食べていける、住むところがある」そういうことが確保できると、そう信じてはいないのだなということも思いました。

施術の技術に対してとか施術の内容に対してとか、そういったところとは別の何かに関して、わたしは自分に自信を持っていない。
うーむ。

それから気づいたこととしては、たぶんその持っていない自信に関連しているのだけど、わたしは大切なものほど自分の気持ちを「今」言わないというところがあるな、ということ。
そのときじゃなくて、過ぎ去ってから言うとか。
うーむ。時が経ってから伝えるということが適していることもあるけど、そうじゃない類も中にあるなーみたいな。それは相手を思ってのことか、それとも?ってところですかね。



小沢健二の「流動体について」が頭にまた流れる現在です。

もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?


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ACIM読み読み。 - 2017年06月14日(水)

大畑学さんの翻訳してくださってるUrtext1章のkindle本を読みながら、CIRCLE OF ATONEMENT 出版のACIM本(英語)に訳を書き込んでいます。
というのは、わたしは誰かの考えが加わらない状態でACIMの文章を読みたい、そしてできれば英語の文章と翻訳とを合わせて読みたいからです。
翻訳された日本語と英語とで、自分の中で受けとってる印象が異なることに気づいたのでどちらも一緒に読みたいのでした。
(わたしは英語ができないため、日本語は必須です)

で、そんなこんなでもう少しで1章の書き込みが終わってしまいそうです。kindleのほうには入っていない文章もあるので、そこはグーグル先生かウェブリオ先生に聞きながら埋めていく予定です。

大畑さんのUrtext翻訳は今のところ1章までの出版なので、

「ああ困った!え!この先は自力で行くの?このわたしの英語力で?いやまさか!」

と、だだっ広い海原の真ん中にポツーンという心境になりました。

・・・

誰かー

・・・

Urtextを翻訳されてませんかー


と検索したところ、全部の箇所ではないのですが、イエスさんとヘレンさんビルさんとのやりとりがわかる部分を翻訳されている方のブログを見つけられました。
以前も検索しているので、なんで見つかったのかどうやって行きついたのかわかりません。
(検索した単語は何だったのだろう・・・)

ということで、しばらくはそれを拝読させていただきます。


ちなみに第1章を読んでみての感想。
印象というか読後感が全く異なるなあ・・・と改めて思います。

何を言っているのか意味がわからないという感覚はまるで出てきませんし、なるほどーって読めるし、だからかもしれませんがなかなかガツーンと来ました。
セックスについての記述とか、ぎゃーって感じでした。ひとつ読むごとに、あー、うあー、ってわたしの何かが死んでいきました(笑)
ざっくりわたしの中の何かがなくなるしかないというね。
知ってしまった、知ったら知らなかったところに戻れませんねって感じ。
いやあ、そうか。そうだよな・・・。
うへえー。

なんかまだ感覚として追いつけていません。
恐れかあ・・・そうかあ。

それからACIMで言ってる「レコード」について。
アカシックレコードとの違い。
これはわたしは、ACIMで示してるレコードのほうが好きだなあと確認した感じです。


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今朝見た夢の話。 - 2017年06月12日(月)

今朝方に見た夢は、学園恋愛ドラマでした。オダギリさんとか深津さんとかキャストに出てきて超豪華でした。

うーん、すごいわかる。すごい覚えある。そういうことよくやってきたし今もする自信(?)がある、と思い返せるストーリーでした。
こうして他人事のように自分のしがちなことを見てみると、自分ではその時に「間違えた」「隠したい」とか思うことも、自分ではできないからそういう風に整えてもらえてるのかもなーと思う感じがしました。

石井ゆかりさんの占いでひどく納得したのが、わたしの星座を表す言葉で「感受性の豊かな人々ですが人の“感情”には、少々鈍感な部分があります。」というのがあって、これもすごく客観視できました。

先月にジャックさんからクラスを受けに行くときに、かわいいかわいいニャンコさんにメロメロになってきましたが、あのときにニャンコさんに自分が与えていた、与えることで感じていた感覚を、今朝の夢では自分に向けられていて、それがとても心地よい夢でした。
(とても心地よいけど、相手の感情には全然気づかないという展開。どうにも感情に興味がいきにくいのでした。)
向けることも心地よいですが、向けられることも心地よいですねー。

取り引きとか駆け引きとかそういうのが全然なくて、まあそもそもがニャンコさん相手の感覚と似ているのでそういうのが出るわけもなかったわけですが、だから超いい夢でした。


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つらつら - 2017年06月08日(木)

ここ数日は、ずうっと照合しているような感覚で過ごしていました。
そのためか、今日は寝坊。職場がいつもの場所ではなくて始業時間が30分遅いので遅刻せずに済みました。(ACIMの朝の15分のワークもできました)


最近照合していたこと、ひとつめ。

職場で新しく入ってきた方がいるのですが、その人に機械の起動のさせ方を一緒にやりながら教えたら、「おもしろい」「楽しい」と言われました。
別の人にも以前教えてもらったことはあったそうなのですが、わたしに教えられて「楽しかった」と。

「楽しい」?

どこに楽しさを感じたのかなあ・・・と思っているところです。
楽しいって何が?と本人にも聞いてみたのですけど「よくわからないけど楽しい」って言われました。うむ。

単にやり方を教えていただけで楽しくしようとかそういう意図はなかったので、果たしてその人は何にそう感じたのか・・・。
(その人自身もわたしもよくわからないという)

またその人に「楽しい」と言われる機会があったら、また聞いてみよう。



もうひとつは、その日その日のACIMのLessonがとても役に立つ感じのことです。

おとといがLesson149。
「自分が癒されるとき、自分一人だけ癒されるのではない」
「天国は自分が決めるべきこと」
その通りだなあ、、、と起こったことと照合して感じました。
わたしは自分にあるこの感覚を癒していこう、とその日思いました。そしてそうして癒したなら、それはわたし一人だけの影響ではなくなるなあとその日の出来事を思い出して感じました。人とやり取りをするわけだから、影響せざるを得ないなあって。

昨日がLesson150。
「贖罪を自分自身のために受け入れる」
「救いのみが治癒すると言える」
その通りだなあ、、、とまた思いました。
おとといに起きたことで、わたしは心の中で相手を責めていました。積極的に責める思考にいたわけではないけれど、自分の体の中で感じる感覚はまるきり他の人を責めているときの感覚だったので、相手を赦すということは自分自身のためにもやらないと、と思いました。
わたしが贖罪を受け入れることで、わたしの体の中に持っている感覚も変わるのも明らかにわかりますし、なのになんでいつまでも持っているの?というね。

で、今日ですね。Lesson151。
もう、説明文がわたしの内面に起きたことそのまんまで、いやあありがてえ、ありがてえ。。。
何が起きているか知性で理解もできますし、すでに自分の焦点がそこにあるので、今感覚として持っている制限が自分から外されていくのが体験できます。

さて、おとといわたしに何が起きたのかというと、わたしは話していた相手の人に「判断」をされました。
わたしは決めつけられることが好きではありません。
ただちょっと興味深いのは、自分の感情より先に傾聴の習慣が先に出てきたことですかね。
「○○さんは××というように感じられているのですね?」
そう言った後に「今、この人に決めつけられた!」という怒りが自分の中に現れました(笑)

わたしに怒りが出たのは、Lesson151のようなことを相手の方がやっていない、と感じたことからなのですが、まあなんてことでしょう、一昨日、昨日、そして今日とACIMのLessonをしていくことで、わたしもそれできていないじゃーんということを確認しました。

自分の見ている世界を疑ってはいない。そうして裁く。
なんだかねえ。。。

わたしは裁いてる、そう思ってからのLesson151の文章が痺れます。
「あなたは裁くことなどできない。あなたは自我の裁きを信じることができるだけ。」
きゃー!この流れ!
いつもたまりません。天才か。何度読んでもそういうことになるんですよね。すごいですよね。

一昨日のやりとりで感じた感覚は「よい」とは思わないのだけど、わたしにとってはそれはすごく馴染みがあるのでドラマに入りやすいものなのでした。

明らかにこの人とはそのドラマに入ってしまうから離れておこう、と去年思ったことがあったのですが、、、ええと、どう足掻いてもわたしはそれを取り組むことにはなるみたいなので、ちゃんとそれについて理解しようかな・・・と思いました。

ちょっと話が一見変わりますが。
スピリチュアルなことを学んでいる人、スピリチュアルなことが好きな人に対してわたしは違和感を感じることが時にあります。
これまでは「この人にとってはそうなんだろう」と、「触らぬ神に祟りなし」的に関わらないようにしていましたが、矛盾が以前よりも少しだけど見られるようになってきたので、わたしがそれをどう思っているかというのが以前よりわかるようになってきています。
だからそれをちゃんと持っていよう、と思うようになってきてるなと思います。
以前のわたしは(今よりも)自分のことがよくわかってないから(今よりも)ブレブレだった、というのもあるかもねーと思っています。

矛盾、違和感を感じた際に、裁くのではないやり方で接していく。
それが、ただ今の目標。
つまりもっと傾聴ができるようになりたい。
本当に相手に耳を傾けていたなら、わたしは自分から怒りが出るような感じはしていません。うまく言えませんけど、怒りが出るときって別のものに耳を傾けちゃってるんだよなーというか。あ、エゴに耳を傾けてるのか。

まあ怒りが出たら出たで、自分自身に耳を傾ける機会になるからいいですけどね。


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なんとなくのハンマートゥー - 2017年06月05日(月)

ということで、ハンマートゥーをちょっと調べてみました。

足の指が長い。小さい靴を履いてた。逆に、大きい靴を履いてた。などなどでなりやすいんだとか。それでいうなら、わたしは「大きい靴を履いてた」ではあるかなあ。

調べていて、すごい!と思ったこと。

ハンマートゥーだと足底腱膜が強張りやすくて、
足の甲が疲れやすくて、
ふくらはぎが疲れやすくて、
かかとが疲れやすくて、
背中が疲れやすくて、
首が疲れやすくて、、、

これ、わたしじゃないか!と思いました。

あれ?
ということは、つま先を癒したら首も背中もかかとも・・・疲れないとかいうんだろうか・・・?

ということで、実験くんです。

つま先を癒すってどうやるんじゃー。
どうするとつま先気持ちいいべかー。

と思っていたところ、足の指の甲で手のひらを置いて温度を感じてみるだけで超気持ちいいことを発見。すごく眠くなります。
それから、とんとんと足の指の甲側を刺激しても気持ちがいいです。
ということで、足の指にとんとんしてからのセルフプレゼンシング。

しばしやってみまっす。


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つらつら - 2017年06月04日(日)

先日のクラスでジャックさんに足のワークをしていただいて、自分が普段どれだけ足の指に力を入れて歩いていたかに気付くようになりました。
全然気づいてなかったのだけど、そう言われてみれば(別に誰にも言われてはいないですが)この感覚はいつもあったなあという。
いつもあったから気づきませんでした。
いつもあるものを少しの時間でもなくしてみることで気づくことがあるなあと思います。
(リトリートもそういうことかな?)

歩くときに足の指に常に力が入っていて、なんで指に力が入っているのかわからないけど、力が入っていて。
で、試しに力を入れずに歩いてみたら、へろ〜って感じで、ぺったんぺったん歩く感じになりました。
楽だけど多分これじゃない感じがあるのですが、ちょっとしばらく足指を感覚して歩いてみようかなと思います。どの歩き方がしっくりくる?

おもしろいのは、足の指の力を入れると足首も力が入って動きが制限され、ふくらはぎも力が入るというその連動に気付いたことです。
先日インテークにて、「足首がー」「ふくらはぎがー」と自分に起きていることとして伝えたのですけど、セッションではそうして伝えた足首やふくらはぎに時間をかけるというより、足の指とか足の裏にジャックさんは多く時間をかけていて、そうしてこの結果になっています。
やっぱりおもしろいなあ・・・。
来期はFDSをもう一度受けようかね・・・。FDSはわたしはワークを習いたての頃に習ったものなので、今習ったらおもしろそうねこれね。

なんとなくの槌指。
こういうものだと思ってたし、痛みや変形があるわけでもなかったから全然気にしていなかったなあ。
手と足は構造が似ているというのもなるほどなという感じです。腕の筋肉がこわばっていることで引っ張られて、手の指が丸くカールするように形作るみたいなことが足でも起きてるのかもねと思いました。
すごくおもしろい。



ちなみにジャックさんのクラスの時に聞いたかっこいい女性。
わたしのイメージではアンジェリーナ・ジョリーです。
なんでかっていうと、去年の10月に星総合病院で開催されたピンクリボンのイベントでお話を聞きに行ったとき、アンジェリーナ・ジョリーの話が出てきていて、そこで「かっこいい!」と感じた感覚とまるきり同じだったからです。
わたしがアメリカの人にかっこいいと思うのはこういうところだったり、それからその人自身がその人自身の力で立てるように手助けしてくれる、信頼しているけどその人の力を奪うようなことはしない。アンジーが行っているような、そういう力強さのある優しさみたいなところがわたしは大好きで。

そのアンジェリーナ・ジョリーをイメージさせる女性にわたしは「かっこいいなー」って思うと同時に、それが自分の足をすごくリラックスすることがわかるのでした。

うーん、なんていうのかな。「そういうかっこいい人が助けることができるようなわたしでいよう」みたいな。そういうかっこいい人に「助けられたい!」みたいな(笑)
それは「助けてー!ヘルプミー!」っていう必死な感じではなくて、助けてもらえる時に自分の準備ができているようにしておきたい、すんなり助けてもらえるようになりたい、とりあえずお会いした時に、たとえ足がプルプルしていたとしても立ってはいたい、そういう感じ。

それが、リラックスさせたわたしの足にしっかりさも与えます。

直接会ってもいないのに、それだけ人に影響を与えられるそういう人の存在を感じて、わたしはワクワクします。噂には聞くけど、あーこういうことか!みたいな。
かっこいいなー。マネしたい!(笑)


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つらつら - 2017年06月03日(土)

他の人の姿を見て、「あれ?わたしもそういうことをしてたけど、今そうしてないんだな」と気づいたことがありました。

例えば体の調子が崩れた、と。
お腹いたーいとか、頭いたーいとか。

そういう時に、「これはなんだろう?」と意味をつけることを以前わたしはよくしていました。
今も「これはなんだろう?」とは思うのですけど、それを自分の力で探し出そうとはしていないということに気づきます。子供が大人に「これなにー?」って聞くような、そういうような問いかけ。

「これはなんだろう?」と思って、「ああ、昨日薄着だったよね」とか思ったとしても、それが正しい、それだけが正しいとしない、そういう感覚もあるなと思いました。
以前のわたしは、自分で意味づけたものを正しいとぎゅっと掴んでた、今よりもそうしていたなという感じがします。

以前の自分と同じ傾向のことをしている人がクライエントとしていらした場合、自分はどうだったかな?と思い出そうとする機会になるなあと思いました。
逆に、わかるわ〜!とそこに引っ張られる可能性もあるなあとも思いますが(笑)

こうして書いていたら気づきましたが、正しいとしてぎゅっと掴んでるときって、自分を責めていたり相手(状況)を責めていたりする、そういうフィーリングも一緒にあったなあと気づきます。




今日の夢。

少なくとも6階以上の建物。
学校もあって、買い物するようなお店もある建物。
(こうして書いてみると、大きい建物の夢を見ることって多いなあと思う)

で、上のほうの階に教室があります。高校生くらい。そこでクラスのちょっとわるいひとたちが策略していて、教室の黒板にチョークで「→mirror」と書きました。教室の右側には廊下があって、その突き当りにドアがあります。そこに皆を誘導しようとしています。
ちょっとわるいひとたちは、そこの部屋に入れてちょっと判断をなくさせてサイダーを売りたいようです。

わたしの中でのわるいひとというのがサイダーを売るレベル・・・?と夢から覚めて自分でも思いましたがそうではなく、「本人の判断をなくさせて」「だまして」というところが肝です。
最近ニュースになっていることにも影響されてる夢かもしれないです。

で、mirrorの部屋に教室で黒板を見た人たちが入っていく感じになりました。開閉やドアの隙間から出てくる空気?を感じたら、わたしは自分の身の危険を感じました。
わたしには中に入るとかも無理で、ドアが見える場所でこうしているだけで影響があることを感じて、どんどん頭の中が眠くなるのを感じていて、このままだとわたしは気を失うと思ったので、エスカレーターを使って階下に降りていきました。
降りていくけど、時間の経過とともにどんどん影響が出ている、そういう感覚がしました。

という夢。


起きたら、今まで眠っていたのにも関わらず、脳みその中心部分辺りが超眠い感覚・・・というかあんまり物事を考えられない?というか・・・考えることはできるんだけど種類を問う感じ・・・。
恐れとか罪悪感とか、そういった類のものには全く頭が働かない、そういう感じがしました。

階下に降りるっていうのは、夢占い系ではあまりよくないとされているようです。そんなこと言ったってーって感じですけど。

今のわたしは鏡の部屋に入れなかったんだなと。
わたしは策略しているのを見ていたから、「自分の判断で入る」ということもできたし、サイダーを買っても買わなくてもよかったわけですけど、「だましてる、あのひとは悪い人だ」とそこに理由をつけて鏡の部屋に入らなかった。
理由をそういう風につけたとも言えるなあ、と思いました。

鏡の部屋はちょっと気になっています。


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つらつら - 2017年06月02日(金)

石井ゆかりさんの占い(アプリ)を先日登録したので、自分の基本性格などの情報を読んでいたら、「あ、このまま進んで大丈夫だ」と思いました。
それどころか、なんか楽しみ!
バッチコーイな内容すぎて、ほんとに?と思うので、確かめるためにも進むしかあるまい。
問題があるとしたら、ちょっとびびっているところくらい。畏れ多い。



鍼灸を受けにいったけど、こういうお仕事をされている方たちは、施術中そして施術を終えてもずっとお話しをし続けるお客さんに対してどう接しているものなんだろうなあ。
自分が治療院に伺ったらちょうどそういう方がいらしていたので思いました。

プレゼンシングソマティクスだと自分の体を感覚し続けていただく施術なわけで、そういう施術であってもこういう風にしゃべり続けられたら、ということを想像して、それはなかなか手ごわいぞう!と思いました。
これはわたし自身がぶれるかもしれないし、どういう風に伝えたらいいかなって思いました。
頭ではわかるんだけどねえ。自分の反応が出るなあ。


現在は普通に鍼灸を受けていて、「今、鍼はどこだ?」と感じた時にはどこですか?とこちらから鍼灸師さんに問う、みたいに受けています。感じられるときには、ここだよね・・・小さな固い感触で(他にも、細い線のような感覚が、とか)体のこの辺りに感じてるな・・・呼吸を使ってこちらからも触れに行ってみようかな・・・とかセルフでやっています。

そんなわけでほぼセルフプレゼンシングなのだけど、実験くんに付き合っていただいたおかげかもしれませんが、それ以前のセルフプレゼンシングと比べると何かが違います。やりやすい。
これが話で聞いていた「クライエントとの関係性を育てる」ということかしら?と思っているところ。逆バージョンですけど。


...

つらつら - 2017年06月01日(木)

昨日の続きです。

「身体は露呈する」というテーマでしたが、本当にそうだなあと感じました。
デモを見せていただいて、自分の身体にもセッションしていただいて、そして自分も施術をして(ワンツーマンで見ていただけて)、そんな感じでなかなか贅沢な感じだったのですけど。

昨日、自分の身体を施術してもらうとなった時に、どこが気になるかなーどこをやってもらおうかなーと思ってみると、わたしは足首とふくらはぎでした。
ふくらはぎはいつも(小学生の頃から)張っているんですよね。足首は可動域があまりないような感覚がするし。
そうして歩いて感覚してみると、あれ?足の裏の地面への着き方がおかしいぞとそこで初めて気づきました。それから足の着き方と連動している感覚なのですが、からだの外側(横側)は使っている(固くしている)のに体の中心線はすかすかしてるぞ?と感じました。
すかすかした感覚のことはこれこそ気づいていなかったので、「へええ〜〜」と自分で驚いてしまってその場ではシェアすることにはなりませんでした。驚きすぎ。

そんなこんなでワークしていただいたのですけど。

プレゼンシングソマティクスは、今持っているより強い痛みは与えない穏やかな施術で、もし痛みを感じたらそれはやりすぎの信号になるので施術者に伝えます。

で、昨日施術を受けた時もとても穏やかで、
「今どうなってるの?わたしの足!」
「目をつむって感じていると、どう動いてるのかよくわからない!」
みたいな感覚も受けましたがとても穏やかで痛みもありませんでした。

ですが。
夜、ふくらはぎが攣って目が覚めました。
足が攣るってわたしあまりなくて、人生で2、3回目とかそんな感じなのですけど。

ええ?足が攣る?なんで?みたいに思いました。施術は穏やかだったし何か運動したわけでもないし、理由が見当たらなかったからです。
(ちなみに、足が攣った時ふくらはぎをとんとんとして感覚したらすぐに治りました)

そうして今日1日過ごしていたら気づいたのは、いつもに比べて足首が超動く!ということ。それから、ふくらはぎが超疲れてる!ということでした。筋肉痛でもあります。
足首が自由に動く分、これまで使わないできた筋肉を自動的に使うことになってるかしら、と思ってはいます。
(それが合ってるかはわかりません)

こういった一連のことに、わたしの今を表しているととても感じました。
足首に可動域が少ないことやふくらはぎが張ることはもうずっと長い間のことなので、いつしか当たり前のようにというか、改善したいとか思うこともなくなっていました。

でも、「今」のわたしには「気になるもの」になっていました。

前に足を進めるのには、足首が柔らかいほうが歩きやすい。
これまでは特になくても大丈夫だったんです。そうであっても困らなかったんです。
身体だけの話ではないなあと、からだから知る感じがあるなあということもあります。
からだの外側だけ固く使っていたんだなあとか。
足首に可動域が少ないということは、前方か後方に偏ったまま動きがあまりないってことだなあとか。
後方は過去って言うよなあとか。
本で読んだから、人がそう言ってたからそう思う、という感じでは思わないのですけど、自分の感覚と照らすとどこかに「うんうん」とうなづく感じがあって、でもちゃんと「そうだ」みたいな感じにはしようとせず、ちょっとあいまいな感じをそのままに感じています。

あと、もうひとつ気づいたのは「違和感」について。
「この人はこう言っているけど・・・なぜか本当にそうだとは思えない」
こういう感じがあった時に、なんでそう自分が感じているかがわからないことってこれまで結構あったんですけど。
わたしがなんかこの人に対して思い込んでいたりするのかな?と自問してもなんかしっくりこなかったり。

で、この違和感の正体も知ることができました。
「数分前にこの人はAはしないって言ってたのに、今はAをしている話をしてる」みたいな、そういう矛盾を聞いたときに違和感を感じていたことがわかりました。
本当にわかりやすくそういう矛盾を言っている人もいますけど(政治家さんとかにも見ますが)、もっとわかりにくーく自覚のない表現というのはあるなと確認しました。
結構自分はそういうのに気づけていると思っていたので、あ!これもそうか!みたいに思って、まだまだですねえと思いました。



話が変わりますが。
ACIM集中クラスの時の録音を聞き返してみたら、「わたしのお母さんみたいだな」と声を聴いての自分の印象について感じました。
わたしは外見以外は母と似てるってあんまり思ったことがなかったのですけど、わたしが母に対して好きだなあと感じていた要素を自分の話し方を録音を通して聴いて、そう感じました。
自分の持ってる自己イメージと自分、違うとは思ってたけど思ってた以上に結構違うっぽいぞ?と改めて思いました。

で。
数秘で見てみたらおもしろいことがわかりました。
母親がハートで求めていたもの。そしてわたしが調和されているときの表現。
その数字が同じでした。
だからわたしが母の好きだったところに似てくるというのは、わたしにとって「うまくいってる」、そういう指標になるなと思いました。

ちなみに言えば、母が調和されているときの表現と、わたしがハートで求めていたものの数字も同じでした。
そして人生のテーマ(なにを練習するか、体験するか)の数字は二人とも同じです。

おもしろい関係性だったのだなあ。


...




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