朝、内観したこと。 - 2017年01月27日(金) 朝起きて、なんか辛いなあと感じたので、何が辛いのかなあと思って、思い浮かんだ3つほどのことを書き出した。 1、自分の会社の上司ではないけれど、企業の上のほうの方の使う言葉からその人が恐れから行動していることがわかること。 それをわたしはしたくないが「強要される」ように感じて、辛い。 でも、自分が「強要される」と感じていたことに気づいてみたら。 たとえ人に「強要された」としても、自分がそれを選ばないなら強要できないのか、と気づいて楽になった。 2、自己を振り返ったり、自分がそこで何ができるかと考えようとせず、世の中を恨む、そこに同意できないこと。 「同意しないといけない」ように感じて、辛い。 でも、自分が「同意しないといけない」と感じていることに気づいてみたら。 共感したとしても、同意はしなくていいのか、と気づいて楽になった。 3、過去のその人の言動が戻ってきて恐れてしまう。また言われるんじゃないか。 決めつけられたり、自分の話に耳を傾けてもらえないことへの恐れから、辛い。 でも、過去にその人がしたことからその人を恐れているのか、と気づいてみたら。 今は、今のその人。と気づいて楽になった。 実際そのあとその方とお話しをして、決めつけられたりご自分の持っていきたい話の方向しか受け入れなかったり、という過去の経験と似たような感じがありました。 でも、それが特に気にならなかった。 脅すような言葉の使い方をしてたけど、脅すようなこともするんだなあとか、自分の周りのことをこの人はそう見ているのだなあとか、そのようなことがわかる、という感覚で、傷ついたり恐れたりがなかった。 恐れることは正しい、恐れていないことはわかっていない、物事を知らない、幼い、成長していない、反省していない、足りないこと、そういう考え方を今もわたしは信じているところがあるなあ、って思いました。 今朝見た夢の中で、魚座のAさんが「いやだ、やめる」と言った。それはわたしから離れていくことでもあって、少し寂しく感じ、そして同時にうらやましいなとも感じた。 いやだ、やめる、と言えることが。 いやだよなあ、わたしもやめたいもの、とすごく思った。 朝起きて、これらのことを書き出した。 わたしは、自分の中の魚座のAさんの部分を見ないようにしてしまいがちだなあと思った。占星術の何かで見ましたけど、魚座は「I believe」なのだそう。そしてわたしはなぜか魚座に惹かれる。 朝書き出してみて思ったのは、わたしはわたしの中の魚座さんと一緒にいるようにしよう、ということ。 それから、今書き出してみて思ったのは、わたしから離れていくような感じがするのは「わたしがやめないままでいようとしている」からだな、ということ。 わたしの中の魚座さんが、いやだ、やめる、と言ったとしても、ニコニコ笑っていたとしても、一緒にいようと思った。ついていこうと思った。 そして、わたしも信じる。 ... ACIMワークブック学習期間中。 - 2017年01月23日(月) コースのワークブックを現在トレーニング中です。 わたしは今回で3回目のトレーニングになります。 今回始めてから2週間くらい経ちました。そうして思ったんですが、まったくこれまでのワークとは別のものと感じます。 これ、毎回そう感じるのでしょうね。 1回目の頃は「こういう設定ということでやろう」というような感じでワークしていました、確か。 それまでの自分の信じているものとは全然別の価値観を本の中では言ってくるのだけど、別にこの本に書かれていることを信じる必要はないって書かれてるし、まあせっかくやるのでそういう「てい」ということでやりましょう、と受け入れていた感じ。 2回目の頃は1回目との違いを見ていました。2回目は最後まで終えたかどうかよく覚えていません。 1回目も2回目も、この考え方を覚えよう、自分に言い聞かせよう、みたいな感じでワークしていました。 そして今回3回目。 今のところですが、覚えようとか言い聞かせようとかそういうのが出てこないなと。 内容を覚えちゃったから、とかそういうことではなくて、「何を言いたいのかがわかる」という感覚で読めています。 「あ、このことについて言っているのか。このワークではこのことを認識できるようにしているのか。」という感じで、ひとつひとつに何を練習しているのかについて、ほうほうそういうことかと納得しながら進んでいる感じがあります。 1回目、2回目の時はなかった感覚ですね。 今回なんというか、自分に言い聞かせるということをしていない、ということに気づいて少し戸惑いました。 わたしは昔から自分に言い聞かせるという方法をよくとっていました。 だから、どうしてこの変化が出たのかしら、と思ったのでした。特にそうしないようにしようとか思ってもいないのに。 そう疑問を持ったところでひとつ思い浮かんだのは「共感」でした。 ほんの1時間前くらいに気づいたことがありました。 以前だったら、ある話の流れになったら「あ、それはね。。。」と口出しをしていた状況なのに、今は口出しをしたい欲求が出てこなくてスルーして、うんうん、わかるなあ、と心の中で思うのみ、と、自分の行動が変化していることに気づきました。 わたしはこの変化に対して、共感することのわたしの中での優先順位が高くなったのかな、と思いました。その感覚を感じているその人と一緒に、わたしもその時間を共有していたいな、というそういう感じ。 それを思い出したんです。 共感し、その感覚を感じている自分と一緒にその時間を共有していたい。 あれ? 変化は他者に向けてだけではなくて、自分に対しても起こっているのか・・・? と新たな疑問が出てきたので、ちょっと観察していたいと思います。 ... つらつら - 2017年01月22日(日) 昨日こちらに書ききったと思っていたのですが、いまだ高まった感覚が全く冷めないままの状態です。 なんなのかな、この感覚は・・・ といつものように見ていたわけなんですけれど、わたしにとって「歌声を聴いた」「美しかった」それだけの話ではないからなんだな、と思います。 何にこんなに高まっているのかというと、一方的ではないやりとり、なんですよね。それが見られたことなんですよね。 学生さんたちが楽しんでいるなって感じられて。 それは、福島県の高校生も、ハーバードの大学生も。 ホームステイ先として受け入れた方の画像なのかな、短い滞在の間の画像を何点か見かけたんですけど、お互いがいい顔してるなあって感じて。 帰っちゃって寂しいなーとかコメントがあったりして、楽しかったんだろうなあって思って。 文章としてうまく書けないのがもどかしいですし、わたしのフィルタを通したものでしかないのかもしれない、とどこかで思っていたりもしますが、同じ時間を楽しく好奇心をもって共有したその感覚を得ている、ひとりじゃなく仲間と一緒に体感している、知識だけじゃなく自分の肌で感じて体験している、そういう学生さんたちがいる、、、そういうことにわたしはわくわくした感じしか感じられないんですよね、もうね。 「戻らない!」と決めたんだからまあいいか、と味わっています。 ... ハーバード・グリークラブ郡山公演に行ってきました - 2017年01月21日(土) わたしの中での始まりは、おとといの19日。 TwitterのTLでパックンの記事が流れてきたことがきっかけでした。 ハーバード・グリークラブ郡山公演があるということ、その記事を読んだ次の日20日に公演があるということをその時に知りました。 パックンの記事を読んで、それがまずうれしくて、土地のことを知ってくださっている、わかろうとしてくださっている、という感覚がしました。 わたしは小学生の頃に合唱をしていて、安積黎明高が安積女子高の時代に部員みんなで練習しに伺ったことがありました。 お姉さん方の声がすごく美しくて、ああ、わたしもがんばろう!って思ったのを覚えています。 ちょっと過去を振り返ってみたのですが、どうもわたしは、やりたいことがあってそのために、というよりも、友達と一緒にやりたいなということだったり、先生がおもしろいからその先生についていく、みたいにして始めるところがあって、中学校の合唱の先生にはわたしは特についていきたい感じがなく(一応書いておくと、先生がわるいわけではありません)、合唱はわたしはそこでやめてしまいました。けれど、歌うこと、合唱を聞くこと自体は好きなままで、自分が歌わなくなっても惹かれる種がある感じです。 ちょうど公演のある20日は日勤の日で、仕事の遅番でもなかったので行こうと思えば行ける感じでした。でも直前の情報になっちゃったので、気持ち的にはどこか迷ってて。 そして、友人を誘いました。その友人が好きそう、と思ったから誘ったのですが、ある部分で迷いから出るためにということも含まれているかもしれません。 そうしたら、仕事が終わるのが公演時間に間に合わないということで残念ながら断られました。 そうだよねー。わたしも早く仕事が終われるから行けるんだもんな。と納得し、迷いはそのまま持ち越すことになりました。 天気予報では20日辺りは冬将軍がやってくるというお知らせがあったので、雪が降ったらもっと行きたくなくなるだろうなあ、、、と思いました。暖かにして家の中にいるのが好きなので。 その時はそう思いました。 実際20日になり、開場時間の夕方に時間が近づくにつれ、行きたい気持ちはどんどん膨らんでいきました。 何かがわたしに行け!と言っているような感じ。 夕方は雪が降り始めてきていて、雪の粒も大きくて、でもわたしの予想を裏切って、行こう行こう!絶対行こう!というモードになっていました。 この辺は自分でも説明ができなくて、誘って断られた友人に「今日は仕事早退して行こうよ!」と言いたくなる謎の衝動も出ました。友人に説明ができなかったので実際は連絡しなかったのだけど、そのくらいの確信というか衝動というかがありました。行きたい、行かねば!という。 結論。 行ってよかったです!すごいよかった! ここはどこなのかと思いました。(郡山ですよ) 中央公民館のホールでの公演だったのですが、初めの頃のわたしはこんな感じです。 まずロビーに入った時から品の良さのようなものを感じました。会場の椅子は質素だけどいい感じね、と座って、公演時間になり、進行してくれるパックンが登場して、あらシュッとしてかっこいいわねと思って。 で、クワイアの皆さんが登場。うー、イケメンばかり。いろんな人種の方々。皆、賢そうで姿勢がいい。 この時点で眼福なんですけれど、声がまた・・・。 すごく素敵でした。 ステージはとても楽しくて、演者同士、演者と観客がやりとりするような、あの感じがありました。 演者自身がとても楽しそうだし、見ていて楽しいし、参加したくなる感じ? 選曲でも冬の夜にみんなでワイワイと楽しむような内容の曲が入っていたりして、一方的ではなくやりとりを楽しむ、ということを感じました。 一部が終わって、少しの休憩があって二部へ。 二部が始まって、ライオンキングの曲を歌うのを聞いてて、この頃に自分がほぐれていることに気づきました。ほぐれてなかったんだなあということに気づきました。 ほぐれてきたところに、浸透力半端ない歌声。曲順が素晴らしいと思いました。まだ一部では受け入れ態勢じゃなかったなあって感じて。 二部では美しいPPAPも聴けました(笑) 歌声を聞いていたら、感覚として引き上げられたように感じて、「戻りたくない!」と思いました。何に対してとかではなくて、この感覚のままでいたい、と感じました。ハートを開いたあの感覚。 それをしばらく感じていて、「戻らなくていい!」と決めました。ハートを開いたこの感覚のまま進みたい!と。 戻ってしまうと思っているから戻りたくないと思うんだなあ、と思ったりしながら、そう決めました。 歌声を聴いていながら、沈黙を聴きました。 歌の終わりの瞬間に耳に入る静けさ。 曲によっては、歌の中でも聴こえてくる静けさ。 この心地よさったらないです。 地元高校生とのコラボも、何もかもが全部よかったです。 コラボで歌いだす前に、部員の方にパックンがお話を聞くことをしていたのですけど、ハーバードグリークラブの方々の厚みのある声から刺激を受けたというような内容を話していて、わたしが小学生の頃に、安積女子高のお姉さん方の声に感じたことと同じことを、その「お姉さん方」の位置にいる高校生が今感じている、そういうように感じました。なので、まるで小学生の頃の自分がそこのつながりの中に入っているように、そこに含まれているように感じました。 きっとその学生さんもご自身が与えられたと感じたものを、小学生の頃のわたしのような誰かに与えているんだな、と思いました。 すごいね。人間ってね。一人だけの存在それだけじゃない。感謝しかない感じがしました。 最後の曲がアベマリア、アンコール曲は花は咲く。 とてもよくて、アベマリアではスピリチュアルな感じというか、心が鎮まる感覚がして、花が咲くではもっとその先、みたいな感覚がしました。映画「この世界の片隅に」や「ファンタスティックビースト」を見ていて感じた時のように、花が咲くを聴いていたら、わたしのお腹はぽかぽかとしてきました。 何が共通しているのかなあ、と考えてみたのですけど、なんか、「人と、優しさをもって関わる」みたいなもののときに、わたしのお腹はぽかぽかとするみたいです。 公演が終わり、目元がうるうるしている状態なのに、終わってそれほど間をあけずに「9時になりました。9時15分に正面入り口が閉まります。」という、余韻に容赦ないアナウンスが入り笑いました。 また来てほしいです。 最後に、花は咲くの歌詞を添付します。 どんな歌詞だったかな、と読むために調べたのですが、出だしの「真っ白な雪道」に笑いました。 公演が終わってロビーに出て、そこから見える冬将軍・・・ 雪が本気で吹雪いていて、これまた「ここはどこだ?」という感じに。(郡山です) 会場に来たときは地面が見えていたのに、あほかと思うほど雪がぼっさぼっさで、雪をえっさほいさと下ろしてから車に乗る、みたいな。 スノーブーツ履いて行ってよかったです・・・ この真っ白なすっごいことになってる雪道にも春風が香るんだな、と物質的に見せてもらったような気がしました。 完璧です。 【花は咲く】 真っ白な 雪道に 春風香る 私は懐かしい あの街を思い出す 叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた いまはただなつかしい あの人を思い出す 誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましてる 誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に 花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう 夜空の向こうの 朝の気配に 私は懐かしい あの日々を思い出す 傷ついて 傷つけて 報われず 泣いたりして 今はただ 愛(いと)おしい あの人を思い出す 誰かの想いが見える 誰かと結ばれてる 誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に 花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう 花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう 花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために ... - 2017年01月19日(木) 変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。 変えたいと思うのなら変わるかもしれないし、ずっと持っていたいなら変わらない、変えないかもしれない。 出来事やその時に感じたことは変わらずにあったとしても、それに対して「今」感じること、今の自分とそのこととの関係性というのは、過去の自分とそれとの関係性と同じままでなくていい、変えていける可能性はあるなあとは思うのだけど。 そう思う一方で、変えなくちゃいけないとか、変わったほうがいいとか、そういう感じも違うなあと思う。 安全な場所で、信頼している方と、恐れがなく、それを感情ではなく体の感覚を使って感じる、感じようとできる、その機会と可能性を信じて。 ... 初夢と初ACIM - 2017年01月03日(火) あけましておめでとうございます。 三が日中に、すでに初仕事もあったり、ジャックさんのACIM集中クラスに参加しに行ったりで、正直なところ、すでにそれほど正月気分はありまへん。 今年見た初夢は、次のような感じでした。 ガラス戸で装飾のきれいな木製の大きな茶色の棚。それが部屋の壁を埋めるようにわんさと並んでいました。 棚の中には使える椅子が数脚入ってるものもありました。大抵は空っぽ。 棚の中にある椅子を手放していいかなあ、と思いました。椅子も棚も誰かからいただいたものみたいな感覚があって、まだ全然使えるしきれいなのにいいかなあ・・・と少し迷っている感じ。 棚の中には入ってないけど、本もたくさん置いてあります。これは頂き物ではなく、わたしの本。 部屋はそれなりに広いけど、この棚を全部置いておくわけにはいかないなあと思っています。というのは、さすがにこんなに棚だらけでは見栄えがよくなくて嫌だから。棚で窓も埋められていて、このままでは部屋自体が居心地がよくありません。 たくさんある本も、ひとつひとつの棚が大きいので全部入る(それでも余りそう)のですが、もう読まないものはいらないなあと思いました。 家具をどう配置したらいいかな、と思っているというところで目覚めました。 夢辞典でみると、家具はアイディアとか態度とかなのだそうです。個人的にはそれはしっくりする解釈でした。まあ、それはそれとして夢を見た感覚を今夜は寝る前に意識的に感覚してみようかと思います。 今年初参加のACIMクラスのテーマは、「神の教師」でした。 これだけ何回もジャックさんのクラスに出ておいて、まだまだクラスで経験していないことがたくさんあるのがすごいなと思いました。 成長しないと見えないこともあるな、と思った日でもあります。 ちょっとしたワークをしました。そんなたいそうなものに思えないワークでした。何かを話すための前段階、くらいの感覚でわたしはノートに書き始めました。 あるお題があってそれを書く、という本当に何の変哲もなさ過ぎるワークだったのですけど、わたしは感謝で胸がいっぱいになって、まだ時間があったのですけれどわたしは途中でノートに書くのを止めました。 それ以上胸がいっぱいになるのは避けたくなって、だから書き続けられなくて、でもいつまででも書き続けていられそうでした。 自覚がない、全く気づかない、気づかないそのままで、こうして過ごしてこられるんだなと思いました。ほんと、マジックショーみたいな感じ。何が起きているんだろう。 そして、気づいちゃったよ・・・という感じに。気づいていいんですけども。 それから、今日のACIMクラスに出る前に自分でワークしてたことがありました。 それはまだもやっとしてたし、やる気が失われたような拗ねてたような感覚があったのですが、そこら辺もすっきりしました。 それに対して何が関わってすっきりしたのかがよくわからないのですけど、今日クラスを受けたからこの感じがあるというのは確か。なんでだろう、何が関与したんだろう・・・。 今日クラスを受けてみて、もう一度、数年間受けていたクラスの録音も聞き返したほうがいいのかもしれないな、と思いました。 何度も見て聞いているのに、ジャックさんどう答えるのかなー、すごいなー、と聞いていただけでした。これまでは。 自分がそれをするもの、という風にはわたしはこれまで見ていなかったんですよねー。 できるようになれたらいいなーと思いつつ、自分がすると思っていないという・・・そういう風に両立できるものなのだなあとしみじみと思います。 「こういう時、どうするんだろう?」と疑問を持って、やっと、初めてそこで見られる、気づけるのだな、と思いました。 疑問を持ったから見せてくれたというわけではなくて、ずっと見せてくださっていたのに全く見れていなかったという。 いやはやいやはや。 今年の初めがこれか。 ...
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