自分の知らぬ所で進行してゐた見合ひ話が、自分の知らぬ所で纏まりかけて、自分の知らぬ所で斷られてたら、如何思ひますか。
話が壞れて嬉しくても、勝手に色々動かれ言はれ、擧句の果てに斷られた理由迄知つてしまったら、腹が立ってきませぬか。
僕今それ程腹が立ってないです。何故だらう。慣れてしまったんでせうか。
僕には非が無く、僕の親にも僕の祖父母にも非は無いけれど。僕等以外に非の塊が存在するのだからどうしようもない。
2004年04月16日(金)
「かかる憂きこと聞きつけて思ひ疎みなん世には、如何でかあらむ。」
頭を占めるこの言葉を追ひ出す爲に、必死に逃げ道を切り拓き續けてゐる。
今ある道のうちのどれもが選び難いのならば、別の道を作ってしまへとばかりに走り續けてゐる。
だが、逃げ道はどれもが繋がってゐて、ひとつが腐れば全てが腐り落ちる。
道を全て選べば即座に全てが失われ、かといって安易にひとつを選んでは他が腐り果てる。
どの道を選べば安定して歩めるのかは判り切ってゐるし、どの道ならば僕がまた自分が見出した道を踏み外し轉がつていくのかも知ってゐる。
今は交差してゐる複數の道筋は、後一年も歩めば反對の方向に伸びていくのだとも知ってゐる。
それでも、僕は道を選べずにモラトリアムの延期ばかりを望んでしまってゐるのだ。
2004年04月13日(火)
母方の親族と聲を交わす度に、彼らと顏を合はす度に、叫び出したくなる。
「申し譯ありませぬ。わたくしは歌人にも詩人にも學者にも實業家にも、何にも成れませんでした。」と、淡々と僕は彼らに對して言へるけれど、そろゝゝ彼らも氣付いてゐるんぢやなかろうか。僕が精一杯意地を張つて何でも無い振りをしてゐるのを承知の上で彼らは僕に接してゐるのではなかろうか。
せめて、遊びであっても歌人として認められてゐれば彼らは僕を認めただらうか。せめて、彼等が感服するやうな學歴を身につければ彼らの態度はまう少しだけ好意的なものに變化したのではなかろうか。
自業自得の言葉の意味は、他人に言はれるよりも深く自分で感じてる。
何處まで行けば休んでよいのか判らぬから、後ろを振り返り振り返り走り續けてゐる。
今の儘走り續ければ、腐つた學者か實業家にはなれるだらう。
ゴールは既に見失った。自分で用意した道は、自分の好みの儘に捻じ曲げた所爲で進み辛くてかなわぬ。
だが、此處には止まれぬ。
2004年04月10日(土)