久し振りにあるサイトを見たら直ぐ目の前に在つた筈のゴールが消えてゐた。
戀人が自分の許へ戻る事を冀うある女性のメツセージも直ぐに消えてしまつた。
彼女が夢描いたゴールはあくまでも當面の目標であり、其のゴールは新たな目標のスタートラインとなり、其處から新しいゴールへの途が拓けてゐる筈だつたのに。
まこと。
以前の彼女の發言は其の言葉で埋め盡くされてゐたのに。
もう彼女は眞も實も誠も信さえも搜し求めはし無いのだらうか。
2003年02月20日(木)
風邪の熱で朦朧とした頭を抱えて人樣のサイトを見て回り、半分以上が11日に發見された自殺した三人について觸れてゐるのを見て嘲つた。
彼等について觸れた人の大半が「死ぬ事は良く無い」だとか「死を覺悟するだけの強い意志があるなら生きていく事もやらうとすれば出來た筈だ」なんて意の事を同じ樣に述べ立ててゐるのにも嘲えた。
自殺系サイトで知り合つた人達が共に死ぬ、そんなのは今に始まつた事では無い。一昔前には雜誌の文通相手募集欄やQ2で集まつてゐた類の仲間が手段を變へて集まつただけの話だ。
TVのNEWSで彼等が知り合ふ切缺となつたものに對して、「インターネツトの…」と特に取り上げるのを見ても僕には無理に話題作りしてゐるだけのやうに思へた。
自殺願望なんて誰だつて一度は抱くものだと僕は思つてゐる。
一度は抱いた其の願いを破棄して己の命を絶たずに生き續ける理由を「死ぬ事で敗者となるのが厭だから」と答える人も居るだらうし、「死ぬのは怖いから」といふ人も居るだらう。
強く意識してさえなければ死ぬ事も生きる事も實は酷く簡單だ。
強く強く意識していくからなかゝゝ死への決斷が出來無くなり、生き續ける事が苦痛になるのだ。
自分が負け犬だといふ事を、何處か一つの點において自分は決して勝者では無く敗者である事を認めてしまへば生きていくのは簡單なのだと僕は思つてる。
「完全に自分の命を絶つ事さえ出來無い負け犬なのだ」と、認めてしまへばだらゝゝと氣の緩んだ儘生き長らえられる。そう僕は自分の經驗から學んだのだから。
2003年02月15日(土)
僕は奧床しいのでは無く、臆病なだけです。
大人しくも無く、徒用心深いだけなのです。
僕の性質を捉えた世辭に一々反論して返してみました。
こうしてどんゝゝ敵が増えていくのでせう。
2003年02月06日(木)
今でも判らぬ。
全くもつて理解出來ぬ。
ねえ、如何して貴女は貴女に全面協力してた僕を「裏切つた!」と罵つて僕を惡者にした物語を他者に語り續けたのか?
僕は今も貴女が判らぬ。
今でも物語の先を語り續けてゐると傳へ聞く貴女の事を如何しても僕は理解出來ぬ。
2003年02月05日(水)