「アンタ、裏表有り過ぎ。」と女友達に謂われてしまう、其の理由は自覚してた筈でした。
僕は同性の前ではイイコぶり、猫を被ろうとする。多少、己の意に染まぬ事でも相手が望むなら出来るだけ為そうとする。
出来るだけ相手に避けられ無い様に、嫌われ無い様に、そんな想いが行動の源。
野郎に対する態度と女性に対する態度が全然違う、女性には親切で野郎にはぞんざいに…そんなの理解出来無いと亦女友達に謂われてしまった。
男性に親切にするのならまだ理解出来るのらしい。女なんて結局男が絡むと裏切る生物なのだから同性を全面信用し無いし機嫌取りもする気にはなれ無い、と友達は謂う。
僕の行動を「女性には意地を張らずに大人しい素の自分を出してお付合い、野郎には嫌われても如何でも良いからいい加減に接している」と捉えるか…「女性は信用出来無いから上辺を繕ってお友達ごっこ、野郎は心から信用出来るから取り繕わずに本音で接している」と捉えるのか…正直どっちでも構わ無い。本当は如何なのかなんてもう忘れてしまった。
同性も異性も本当は信用出来無い。同性の思考は読め無いし、異性なら尚更。其れでも同性に嫌われたくは無いと思うのは小さい頃から女性にだけは嫌われぬ様振舞えと教え込まれてきた所為だ。
僕の裏はどれで僕の表は何?
大声出して笑って間抜けな行動続けた侭何も知ら無い振りを今も続けて居たら君は僕を嫌わずに居てくれたのか?
2002年01月27日(日)
…如何してこう厭な追体験ばかりしてしまうかな。
僕が高三の正月から年賀状を余り出さ無くなった理由は「受験で忙しいから」では無く、高二の正月に「年賀状送り返されてショックだったから」なのだと思い出させられてしまった。
己の日記なんて掘り返して読むものじゃ無いな、痛いものが多過ぎる。特に高二の頃の日記なんて読むべきでは無かった。完全に忘れてたのに亦知ってしまったのだから。
「お友達」やってた女の子にいきなり裏切ったとかぐちゃぐちゃ謂われ訳の判らん内に僕の悪口言触らされた挙句僕があげた誕生日プレゼントも年賀状も全て付き返され…如何やら彼女の彼氏の事が関係してるらしいと知ったのは随分後。
僕は友達が好きな人を横から取る程節操無しに思われてたらしい。彼は僕の友達であって決して恋愛対象では無かったし、僕は其処迄節操無しでは無かったのだがな。
嗚呼、こんな事なんて思い出したか無かったよ。
彼女に誤解され決め付けられ何も信じて貰え無かった時の感情なんて追体験したか無かった。
2002年01月21日(月)
「年長者が若者に対して彼等の事を深く知ら無くても理解出来ていると考えるのは自身の経験を過信した驕りだと知っています。私と似た様な人生を辿りつつある若者の考えさえも完全には判りません。私が貴方を理解していると思うのは唯の傲慢。」
そういう内容の事をヒステリックに叫ばれた。
延々と続く彼女の愚痴を聞き乍彼女は何歳なのか計算し五十を超えている事に気付いて愕然とした。僕は彼女を最初に会った頃の三十代の侭だと思っていた。違うんだ、外見上そんなに歳を重ねて無い様に見えても確実に年毎に彼女は年を重ねていたのだ。
ヒステリックな叫びの原因は僕。
僕が他人に如何「判る」と謂われ、其の言葉がどれだけ的外れなものであったのかを述べた所為。
彼女は其れを自分の事だと思ったから、僕に自分の考えを伝え様とした。
「でも、貴女は僕を判る為に必要な駒を殆ど手に入れてますよ。」
この科白を彼女が如何解釈したのか僕には判ら無い。
彼女の「判る」は他の人程的外れでは無かった。だから、其れは彼女の事では無かったのだが…。
「年長者」「若年者」其等の言葉は確かに僕達を指す言葉の一つ。
年齢なんて関係無しに僕は貴女には理解されていると思って居た。
2002年01月16日(水)
振袖の女のこだらけでした。
振袖着てる人は大体三通り。勘違いした一昔前のコギャル風メイクか、明らかにレンタルの安っぽい振袖と濃過ぎる化粧か、ちと地味だけど品の良い振袖に薄化粧かの三通り。
振袖集団の中に一人だけポツンとスーツの僕、「如何して着物じゃ無いの?」と次々に訊いてくるお嬢さん達に「面倒だったから。」と本音返答。
一人だけ厭味な口調で訊いて来た厚化粧のお嬢さんには「振袖みたいな晴れやかな着物って自分は其れが似合うと自信が無いと着れない場合もあるんですよ。」とにこやかに返してみました。どうせ彼女の事だからきっちり僕が口に出さ無かった厭味を読み取ってくれるだろうなと思っていたら、案の定聞いた瞬間に表情歪めて僕の傍から立ち去っていきました。
「貴女の振袖姿は似合って無いですよ。其の派手派手しい着物が自分に似合うとでも思って着て来たのですか?」此れが裏。目出度い場所で其処迄露骨に謂えませんでした。
僕が来るから来る気になったのだと親友に謂われ、君が来るから僕は来る気になったのだとつい本音を漏らしてしまった。
僕と同様に振袖では無くスーツで着た彼女を見て「同類だ!」と嬉しかったのだがよく考えたら彼女は既婚者だからもう振袖は着られ無いのであった。
振袖以外のものを着て来た女性は全体の5%程であり、其の内未婚者は僕含めて二名だけだという事実に気付いたのは式が終わってから。
てか、「中学の卒業時のクラス毎の席になっておりますので、自分のクラスの場所に座って下さい。」と式の始まる前に謂われてつい其の場で苦情述べ掛けました。友達に気にするな、と謂われて止めましたけど。
皆思い思いの席に座っているのに移動させられた、なんてのは如何でも良くて。
其の会場に着ていた成人の中に地元の中学出身者では無いのが四人だけだからと其の四人を無視するな!と主催者の無配慮に対して僕は怒っていました。
怒っていたのはあくまで自分の為、僕は四人の中の一人だったから。
2002年01月14日(月)
「精神的に怖い」と評されて喜んじゃいけないのだろうか。昔のチャットの知り合いが僕についてそう謂っていたらしい。其の人とメッセしてた二人から別々に聞いた。
1999年時に僕が放っていた電波を奴は忘れて無かったのだな、と嬉しかったです。2000年に約半年振りにチャットで話し掛けたら僕の事を忘れていた様でしたので。
教えてくれた二人に僕は精神的に怖いか如何か訊問。両方にはぐらかされたみたいです。
片方は「精神的に怖い」理由を説明してくれましたが…「あー、そんなのあったね」で終わり。
僕は母が血塗れで倒れて居た事さえも他人に話す時は笑って謂います。
笑わずに哀しくて堪ら無いといった表情なんかで其の事実を口に出したら、「気の毒に」なんて憐れまれたら、僕が僕に戻れ無くなります。
それに僕が話す事実がどれだけ他人には重いものであろうと僕にとっては其れが日常。
自分が理解出来無い世界の生物は怖い、其れが当然なのらしい。
「精神的に怖い」
此れはあの頃の僕にとっては褒め言葉。
今の僕にとっては唯の尤もな指摘。
2002年01月10日(木)
貴女が闇だと思っている其の暗い空間の隣りにもっと濃く重い空間が在る事にいつ貴女は気付くのだろう。
「お前はいつも気楽でいいよな。」
あのお嬢さんがいつも僕にそう苦笑いして謂う度、僕は作り笑いを浮べ乍「本当に気楽に居られたら良いのに。」と心中で呟いて居ます。
田舎の旧い家の柵、其れは彼女の家にばかり存在するものでは無いのに。多少質が異なってもほぼ同類の柵が田舎の旧家には夫々在るのに。
そして彼女が抱える其の柵に他の要素が加わったものを僕も抱えて居るのです。
「自分だけが苦しんでいると思ってるからあの子が嫌い。」お嬢さんが誰かに放った其の科白、そっくり其の侭お嬢さん自身に返って来ると判っていたのだろうか。
僕だけが苦しんでいると莫迦げた科白は謂いはしまい。だが、貴女だけが苦しんでいるのでは無いとは謂いましょう。
貴女の周りの人間達の作り笑いは、其の柵も苦も全て見無い振りでは無く受け入れた上での作り笑いなのだと、貴女はいつ気付いてくれるのでしょうか。
いつになったら貴女は貴女の持つ闇の隣りにある此の闇に触れるのでしょうか。
2002年01月02日(水)
変る瞬間は高速道路に居て、何の感動も何も無しにぼんやり黒い空を眺めてました。
正確には暗闇と空を観ていたのだけど、細かい事は如何でも良い。
去年と同様の疑心と去年とは違う観点を持って新年を迎えて居ました。
僕は此の人の役に立てた事があるだろうか。
僕は此の人にとって何なのだろうか。
此の人は何故僕を見捨て無いのだろうか。
若しかしてもう僕は見捨てられ始めて居るのだろうか。
進展が無いのは全部僕の所為だろうか。
延々考えて結論は未だ出ぬ侭。
明けましてお目出度う御座いました。
2002年01月01日(火)