7時半起床。8時10分出勤。17時45分退社。漫画喫茶でテレビ。帰宅後、読書。
7時半起床。8時20分出勤。17時45分退社。100円ショップで虫眼鏡購入。(仕事用)アカチャン本舗でベビーフード購入。(仕事用)本屋で本購入。ドトールで読書&仕事。帰宅後、仕事用の新WEBサイトプランニング。
自然に任せれば、いつか良くなる。 悩むぐらいなら寝るのが一番。
8時半起床。映画館へ。昼食後、図書館へ。帰宅後、DVD鑑賞。昼寝。ネット。
週末が待ち遠しくもあり、敬遠したくもある。 最近はそうした気分です。
一言で言うと、寂しいのです。 何もすることがない週末ほど、ストレスフルな時間はありません。 しかし、私には友人と呼べる友人が居ないのです。 人と一緒に過ごす時間が、一番大切な時間だとは分かっています。 しかし、そうした人もいないのです。
じゃあ、友人作ればいいじゃないか。 言ってる間に、恋人でも作れよ。
そういう簡単な問題ではありません。 ところで、「友人」とはどんな人ですか? そして、「恋人」とはどんな人ですか?
私は、人間関係に定義を持ち込む風潮に違和感を感じています。 「友人」とか「恋人」とはどんな人であるか?という定義を考えること、まったく無意味です。 相手ある話であり、私が定義したところで相手が同じ定義を持っていなければ、二者間の関係を示す定義として意味が無いからです。
自分が相手のことをどう感じれば「友人」や「恋人」と呼べるのか? 私にはまったく不可解です。
なんとなく漠然と「友人」や「恋人」にあこがれるのは事実です。 しかし、実体の無いものにあこがれることが、逆に寂しさを引き起こすのだと思います。
実体のない「友人」や「恋人」という定義にもてあそばれる人間。 そして、そこから生み出される得体の知れぬ寂しさ。
人間はなんて自己欺瞞的な存在なのでしょう。 全てはイリュージョンなのに。
そんなイリュージョンにだまされ、それに気付く自分がいることがとても苦しいのです。
7時半起床。8時10分出勤。13時退社。帰宅後、洗濯。図書館。漫画喫茶。ネット。
7時15分起床。8時15分出勤。17時50分退社。19時からテニス。22時帰宅。ビール&冷奴。
ラジオの天気予報で、「今日は天気が崩れるかもしれません。」と言っていました。 なぜ、雨が降ると「天気が崩れる。」のでしょう? 別に崩れてはいないのです。 単に雨が降るだけです。
雨が降る天気に対してなぜかネガティブな印象があります。 これは誰の陰謀なのでしょう。 この陰謀に負けてはいけません。
雨が降る事は、決してネガティブなことはないんです。 夏の晴れた日は、汗かきの私には最悪です。
世の中には誰が決めたか分からない、 根拠のない印象操作が溢れています。
自由人は言葉に惑わされない。
7時半起床。8時15分出勤。17時45分退社。ドトールで読書。ブックオフで本を物色。帰宅後、読書。ネット更新。
毎日こうやって書いていると、自分は囚人なみに規則正しい生活を送っているなと感じます。 「規則正しい」と書きましたが、「規則」に「正しい」なんて、まったく自由からは程遠いですね。 「日課」だとどうなるでしょう? 「毎日の課題」? 「一日の課題」? いずれにしても「課」という言葉からは「課題」という言葉しか思いつきません。
最近、私の高校時代の校訓を思い出します。
自由・自治・創造
今更ではありますが、素晴らしい校訓です。 県立高校としては唯一制服の無い学校でした。 校則も無いに等しい学校でした。
しかし、実際に自由で、自治して、創造的だったか? と問われると、答えはノーでした。 みんな校則は何にも無いにも関わらず、男は学生服のズボン、女はスカートをはいていました。 結局、制服っぽい格好でみんな来ていました。 一部の人間は完全に私服でしたが、周りからは変わった人扱いされていました。 今になって考えると、「自由・自治・創造」と言いながら、実は周りの目や世間体を気にしている現実でした。
今の私の日々の生活を見てみると、高校の校訓とその実態に似ているような気がします。 なんだか自由なようで、自分で人生をコントロールしているようで、何かを創りだしているかのようで、実は縛られているのです。
私は本当の自由・自治・創造を手に入れたいのです。 それが私の目標です。
7時半起床。8時20分出勤。17時45分退社。徒歩通勤。ドトールで読書。20時半、帰宅。帰宅後、ネットでサイト製作。
最近、犬の散歩している人が増えているような気がします。 どうも気にかかるのですが、皆さん犬をつなぐロープが長くないですか? そして、あまり周りに気を使わない人が増えています。
完全に歩道を塞いでしまう形で散歩していたり、道路を横切るように犬が歩いている場合が良くあります。 ちょうど道路にロープを張って、人を引っ掛けるような状態になっているのです。
とても危険です。
そのうち犬を轢いてしまいそうです。
7時半起床。8時15分出勤。17時50分退社。18時半旅行から帰った親と会う。21時帰宅。21時からネット。
高校野球の優勝校で暴力沙汰があったと報道がありました。 優勝を辞退することでしょう。 今大会は私も実際に甲子園に足を運んで観戦するほど、楽しませてもらいました。 しかし、こうして優勝校が辞退することで、今大会の価値は無いに等しくなります。 他の出場高校にも失礼な話です。
しかし、世の中細かいことでギャーギャー騒ぐようになりましたね。 本当に懐の狭い国民になったもんだ...
11時半起床。近くのラーメン屋へ。帰りにDVDレンタル。帰宅後、ビデオ鑑賞。酎ハイ飲んで、昼から酔っ払う。21時半ぐらいに布団に入るが、寝たのは2時。
7時半起床。8時20分出勤。13時退社。15時から宝塚カートフィールドで、カート体験。17時半、ステーキご馳走になる。19時半漫画喫茶。
7時半起床。8時15分出勤。18時退社。19時テニス。21時ビール&冷奴&ネット。体調は改善傾向。
朝から体調悪く、職場の同僚に飲みに行こうと誘われるも断る。帰宅後、翌日の勉強会の準備。
7時半起床。バイク通勤。8時15分出勤。18時半退社。本屋で本購入。ドトールで読書。21時帰宅。ネット。
一昨日より、喉に痛みを感じています。 風邪ですが、特に何も処置はしていません。 ほったらかしです。 栄養と睡眠だけで治そうとしていますが、栄養はいいとして、睡眠が短くなっています。
風邪は根治できない病気だそうです。 病気になって医者に行っても、ほとんどが対処療法的に薬を投与されるだけです。 菌やウィルスを殺す薬や、痛みや熱をごまかす薬、そして、それらの薬の副作用を抑える薬などです。 病院とは結構いい加減なところなのであります。
私の母親は、「早めに病院に行けば治る。」と言いますが、私は信じていません。 病院に行こうが行くまいが、あまり変わりないと考えています。 休養と栄養さえしっかり取れれば、医者なんて要りません。 風邪を治せる医者は世界のどこにもいないのです。 戦って治してくれるのは、自分の免疫力なのです。
私は、たぶん大きな病気にかかっても、何もせずに死んでいくんでしょうね。 でも、それでいいと思います。 死ぬのが早くなるか遅くなるかだけの問題ですからね。
7時半起床。バイク通勤。8時10分出勤。18時半退社。ドトールで読書。買い物に関西スーパーへ。帰宅後、サイト更新。
「子供が乗っています。」「Baby in the car.」
このステッカーを付けて走っている車を良く見かけます。 これはどういうことを知らせているのでしょうか?
「この車には子供や赤ん坊が乗っているので、事故に巻き込まないでね。」という意味でしょうか? それとも、「この車には子供が乗っているから、何が起きるか分からないので気をつけてね。」という意味でしょうか?
私には意味がさっぱり分かりません。
というのも、私は、このステッカーがあろうがなかろうが、同じ態度で運転するからです。 後ろから走る私は、「前の車を事故に巻き込むつもり」はないし、「前の車に何が起きるか分からない」と気をつけながら走っています。
それとも、「私達には素敵な子供ができました!いいでしょう!」って意味なのでしょうか?
後ろからそのサインを見ながら、いつも首をかしげる私です。
10時起床。午前中、ダラダラ。午後から漫画喫茶で「太陽の帝国」を読む。その足で甲子園球場までサイクリング。沖縄尚学vs酒田南の試合を途中から最後まで観戦。午後、友人と飲む。
6時半起床。バイク通勤。8時10分出勤。13時退社。帰宅後ネット。16時から祖母宅。家族で食事。21時帰宅。風邪で寝込む。
7時起床。バイク通勤。8時5分出勤。17時50分退社。19時からテニス。21時半帰宅。ネット更新。
ここ2〜3日、職場を変わりたいと考えています。 ハローワークで検索をかけて、いいところはないかと探しています。 職種が問題ではありませんし、仕事そのものが嫌いなわけではありません。 問題は職場です。
仕事を楽しんでいる人が少ない。 皆、目がキラキラしていない。 何か新しいことをやっていこうよ!というエネルギーを感じない。 私は、そうした雰囲気に対して何とか対抗していこうとしました。 情けない話ではありますが、今はその元気もなくなって、いわゆる燃えつき状態です。
私の精神力の弱さと指摘する人もいるでしょう。 そうかもしれないし、そうではないかもしれません。 分かりません。 どちらにしても、重要なのは私が今、この職場に対してエネルギーを失っているという事実です。
こうしたものは時間が解決してくれるのかもしれません。 今はとにかく自分の気持ちを落ち着けて、冷静に物事を考えることが必要です。
相談できる人がいないのは、非常に寂しいことです。 それも職場の問題点の一つです。
7時起床。8時15分出勤。18時15分退社。退社後、ドトールで読書。本屋をウロウロ。金沢創氏の本を探すも見つからず。20時半帰宅。飲酒ながらネット更新。
私は、「興味があればとにかくやってみる。」ということを信条にしています。 そうした、やってみる中には多くの新しいスポーツがあります。 子供の頃からやるような野球やサッカーの類ではなく、ウィンドサーフィンやロッククライミングなどです。 こうしたスポーツを始めるにあたり、私は常にスクールに通うようにしています。
スクールに通うためには、たいてい、そのスポーツの専門ショップに問い合わせます。 不思議なことに、ショップに問い合わせをかけた際に、親切で親身でさわやかな応対を受けたことがほとんどありません。
社会の常識から外れた対応が多く、不愉快な思いをすることも多々あります。 専門ショップとなると競争相手がいないので、サービス向上という部分に気が回らないのでしょうか。
面白いことに、応対が悪いショップでスクールに通った後、そのスポーツを続ける確率はゼロです。 理由は、人(スタッフ)に魅力がないからです。 スポーツの魅力よりも、人への魅力がスポーツをさらに面白くするのでしょう。
どんなサービスを受けるにしても、人は人を見てそのサービスを判断するのです。 マニュアル的な対応で笑顔を振りまかれても、それはマニュアルで決められた笑顔だと分かります。 心のこもったサービスというのは、また違うし、心が込められたサービスは容易に分かります。
さて、私が所属する医療業界は、ある意味サービス業です。 もちろん、単なるサービス業ではないので、単純な比較はできません。 人の健康や命を預かるわけですから、シビアな面もあります。 お客様といってへりくだっていては出来ない仕事もたくさんあります。
しかし、人は人を見てそのサービスの良し悪しを判断するという部分については、もう少し他のサービス業を見習うべきでしょう。 対応の悪い専門ショップと同じように、競争がない医療業界は、病院を頼ってやってくる人たちに対してとても傲慢です。
スポーツなら自分の趣味の範囲ですから、やめれば済みます。 しかし、医療はそういうわけには行きません。
医療業界は、サービス業と同じではありませんが、サービス業の精神は持つべきでしょう。 そうした医療機関が少なすぎると思います。
7時起床。8時10分出勤。18時退社。仕事後、スターバックスで読書。20時半帰宅。ネットサーフィン。
私が働いているところは、他のスタッフと離れた場所にあります。 私の部屋は小さくて、私の仕事が最低限できる程度の設備しかありません。
今までは、帰宅前に必ず他のスタッフが居る場所に顔を出し、「お疲れ様でした。」と一言言って帰っていました。 しかし、最近一言言わずにさっさと帰っています。
以前、私が遅くまで残業していた時に、コーヒーを入れようと離れた場所のスタッフルームに行きました。 ところが、鍵は閉まってるし、電気は消えて真っ暗。 誰も何も言わずに帰っていたのです。
私が帰る際に、一言「お先に失礼します。」と言っていたのは礼儀という側面もあります。 もう一つは、私が職場を離れていなくなる、という仕事上知らせる必要があるからというのもあります。 私が居なくなってから、どこかから電話がかかってきたりしても、「○○は帰宅しました。」ということを言ってもらうためです。
一般企業に勤めていた経験がある私には、この感覚は当たり前のものでした。
本当ならば、私の信念を貫き通すには、嫌でも一言を言って帰るべきなのでしょう。 でも、今はそれが素直にできません。
組織の団結力というのは、こういう些細なところから崩れていきます。 人と接する仕事をしていながら、人のことが分かっていない職場。
しかし、そういう職場に馴染んでいくって、こういうことを言うのかもしれません。 だめだ、明日から自分の信念貫きます。
7:30起床。仕事後、無印良品で買い物。ドトールで読書。帰宅後、ネット更新。24:30就寝。
10:00起床。皮膚科へ。帰宅して旅行写真をアップロード。15:00頃三宮へ。本、衣服の買い物。帰宅後、漫画喫茶で雑誌。24:00就寝予定。
7:30起床。9:00から桜島へ。13:00鹿児島市内で昼食。16:50の飛行機で帰阪。18:00到着。帰宅後洗濯。23:30就寝。
6時半起床。徒歩通勤。仕事後、ドトールで「三代目魚武濱田成夫: 人生よ あなたは、まるでこの俺様の子分。」を読む。帰宅後、片付け、ネット。25時就寝。
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