生死について

今日、実習先の先生に薦められて「はっぱのフレディ」を読みました。「感動するわよ〜。」と言われてた割には、さらりと読んでしまって先生には不満なようでした。

人間は必ず死ぬんだし、それに対して悩みを抱いても仕方がないのですが、実習先の病院におられる高齢の患者さん達は少なからず「死」というものと毎日向かい合って過ごされています。中には「死ぬのが怖い。」とこぼす患者さんもいるそうです。そんな患者さんに、先生は「はっぱのフレディ」を朗読するそうです。

「はっぱのフレディ」を読んで感じたのは、生きるって何だろう?という疑問です。死を考えるには生を考えなければならないし、逆に、生を考えるには死を考えなければならないようです。「はっぱのフレディ」は死について語られています。だから、その反動として生とは何かを考えざるを得ない。

昨日の日記とほぼ同じことになりますが、生きるも死ぬも自然の流れの中では大したことない当たり前のワンシーンなんですよね。僕らが何気なく踏み出した一歩の足の下に、一匹の蟻んこの生と死のワンシーンがあってもおかしくないわけで、人間だって蟻んこと対して変わりやしません。お葬式だの、お墓だのと付随するもので面倒なことはあるでしょうけれど、死んだ本人は知る由もありません。

そう考えると、生に執着することも、死を恐れることも、単に気負いすぎということになります。あまり、生や死に価値を見出そうとしてはいけないのかもしれません。自然という大きな大きな視点で生死を語ることに、居心地の悪さを感じられる方もおられるかもしれませんね。確かに、これほどの大きなスケールで人間の生死を考えると、人間の存在価値そのものが危うくなることは確かです。しかし、人間の存在価値を真剣に考えているのは人間しかいないわけですから、結局、自分にとって都合の良い価値しか思いつかないんですよね。

「はっぱのフレディ」で、フレディは最後に土に返り、そして、木々の栄養となってまた新たな命を育てます。人間も同じですよね。自然の流れの中では、僕らが考えるような生死なんて基準を超えた連綿として続く「生」があるわけです。

地球そのものが生命体なのだから、恐れるべき死なんてないんじゃないのだろうか?なんて思います。

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2002年10月31日(木) カバン
2003年10月31日(金)

自然体

昔は、「テレビをつけるとダラダラと見てしまう。よくないなあ。」なんて日記にも書いていたものですが、最近は、そんなこと思わなくなりました。「ダラダラ見たいからダラダラ見てるのであって、別にいいじゃないか。」と思うようになりました。これまで自分で自分を縛ってきたのかもしれません。こうやって流れのままの自分を許すようになると、不思議とあせる気持ちがなくなり、過ごしやすくなります。

科学的な話ではないのかもしれませんが、物事には必然というものがあるのではないかと思うのです。成せば成るということわざがありますが、成るように成るという言い方もあります。正反対の意味を持っていますが、実際はどちらも正しいのではないかと思います。結局、心の持ちようが、すべてを決定するわけです。こう言うと、人間は心の持ちようで人生をコントロールすることが可能なように聞こえます。しかし、未来を予想できない私たちには、成せば成るとか、成るように成るとかと信じる根拠が実際はないわけです。

水の流れが自然の気まぐれならば、人間の心の流れも自然の気まぐれだと思いませんか?大きな自然という法則の中で生かされている人間が、自分の意思ですべてをコントロールするのは無理だと思いませんか?自分の気持ちをコントロールできていると思っても、実はそれはそういう流れの中にいるのであって、自分の力ではないのかもしれません。

自然体で生きたいものです。

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2003年10月30日(木)

変わった人

実習先の朝礼では当番が決まっていて、誰かが毎日一言を言わなければなりません。実習生は別枠で一言を言わなければならず、数の少ない実習生は短い周期で一言がまわってきます。私も実習生ですから、二日に一度は一言の日がまわってきます。

私が話する内容は、やはりこのサイトで話をするようなことで、決して面白くて笑うような話ではなく、生き方についての話です。できるだけ、体験談を交えて単なるまじめ話で終わらないように工夫しているつもりです。

ところが、リハビリ部長がいつも私を批判します。今日なんかは「そんな考え方は早くやめたほうがいい。」などと平気で朝礼で言うわけです。失礼極まりない人でしょ?別に私の話は正しいか正しくないかを言ってるわけではなく、世の中にはいろいろな考え方があって、そうしたさまざまな視点を知ることは単に楽しいじゃないですかという話をしてるのに、変なチャチャをいれてくるわけです。

世の中にはホント変わった人がいるものです。

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2003年10月28日(火)

新たな視点

このところ思慮を巡らすことも少なくなり、新しい発見も少なくなってきました。本当は、世の中は不思議なことだらけで、ちょっとした視点の変換で何でも新鮮な気分で観察することができるのでしょうけれど、最近は、視点の変換なんてことを意識することさえなくなってきました。

実習をしていて思うのですが、人間は視点の変換なんてことは実は面倒臭いのではないでしょうか。一人の患者さんも視点を変えればさまざまな症状を観察することができます。しかし、毎日毎日同じ患者さんを見ていると、だんだんと見るところがなくなってきます。これ、実は見るところがなくなるのではなく、見る自分の視点がなくなってきているのです。

視点というのは、自分で新たに気が付く瞬間もありますし、本やテレビやインターネットで得た知識を土台にして出来上がるということもあります。しかし、新たな視点を持つために必ず必要なのは、新たな視点を持とうという自分の意思なんですね。でも、それが面倒くさい作業なんです。なぜならある程度固まった枠の中で患者さんを見ていれば楽ですからね。

実習も残り数週間となってきました。今後は、できるだけ新たな視点を意識的に持って観察していきたいと思っています。面倒くさがってはいけませんね。

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2003年10月27日(月)

楽しい度

いやはや、長い一週間です。明日も土曜日ですが午前中があります。長く感じますね。

以前のサラリーマン時代は忙しくて、長さよりも忙しさが中心でした。今は忙しさよりも、一週間が長がさが中心です。

どちらにしても、本当の意味で楽しんでいないんでしょうね。ダメだなあって毎日感じます。楽しさは歩いてこない、だから歩いて探すのです。←訓練で水前寺清子の唄を歌って思いつきました。

絶対に楽しい仕事をさがしてやります。言語聴覚士がそれになればいいけど、実習だけから判断すると今のところ楽しい度は4/10です。あんまり楽しくない。

まだ、結論を出すには早いので、とりあえず実習をがんばります。

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2003年10月24日(金)

人生モラトリアム

毎日毎日、同じような1日が流れていくこと、なんか退屈です。

実習を終え、国家試験に合格し、言語聴覚士として就職すると、今の実習で体験しているような変わり映えのしない毎日を過ごすことになるのかと思うと、どうも気持ちが萎えてきます。

サラリーマンを辞めて、やりたいと思って飛び込んできた世界なのですが、実はそれほど変わり映えのしない世界に戻っていくのではないか?そんな不安がよぎります。

バカみたいな話ですが、やっぱり自分には9時〜5時の世界が性に合わないのではないかと思うのです。まっとうな世界で生きておられるかたがたには大変おもしろくない話しでしょうけれど、どうもなじめない。

乗りかかった船ですから、言語聴覚士はしばらくやっていくつもりです。でも、同時に自分にとって最適な生き方を探り続けたいと考えています。ゴールはないんですよ。モラトリアムな人生でもいいじゃないですか。

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2002年10月21日(月) 科学的とは?
2001年10月21日(日) 楽しむ
2003年10月21日(火)

自分らしさ

昨晩は、用事でたまたま高知に来ていた友人と会って、一杯やりました。

自分は、新しい環境に適応してうまくやっていると思っていましたが、親しい友人と会うと「ホッ」とする自分を客観手的に発見して、「あ、意外と俺って緊張しながらこの2週間弱を過ごしてきたんだなあ。」と感じます。


自分らしさを追及すればするほど、自分とは何かということが分かりにくくなるのですが、こうして気の許せる友達と合ったときに自然体になれる自分を感じることで、自分らしさを再発見できます。

新しい土地に適応していくにはやはり時間がかかりますね。気の許せる仲間をどれだけ早く見つけられるかということがキーポイントになると思いますが、お互いが気が許せるようになるには、思いとはうらはらにどうしても時間がかかってしまいます。

ほんの数時間でしたが、自分らしさを再確認して、今週からも実習をがんばりたいと思います。

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2002年10月19日(土) 働きかける
2003年10月19日(日)

歌のちから

訓練に歌を取り入れているのですが、80歳ぐらいの高齢者の方に合う歌を選ぶと、本当に知らない曲が多々あります。こういうのってどうやって覚えればいいんでしょうね。いろんなサイトを回ってMIDIなどを聞いて覚えようとしています。

今のところ、レパートリーとしては、こちらに来てから覚えた「よさこい節」をはじめ、「青い山脈」「リンゴの唄」「北国の春」「舟歌」などですかね。後は唱歌をいくつか一緒に歌っています。たとえば、「幸せなら手をたたこう」という曲がありますが、手や足を使う代わりに、ことばを発する器官である唇や舌などを動かすというように、アレンジして使うと面白い訓練が可能になります。

失語症の患者さんでまったくことばが出ない人でも、歌は唄える場合が多いようです。ことばは左脳ですが、歌は右脳を使うからだそうです。左脳の機能が落ちているなら、右脳を歌で刺激してことばの機能を再度編成してもらうなんてことが可能なようです。

歌の力はすごいのです。

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2003年10月16日(木)

ちょっと疲労

今日は、患者さんとのマンツーマンの訓練は一回しかなく、後はグループ訓練や、ベッドサイドを回って担当患者さんの様子を見るといった感じの1日でした。

二週間経って、最近、人と話すことに疲れてきたかもしれません。今日、ふと「この仕事向いていないかな...」なんて思う瞬間がありました。でも、思い直しました。今は、実習先という環境で、なかなか自分らしさを出す瞬間もなく、患者さんや先生方に気を使う毎日だし、しかも縁もゆかりも無い土地で暮らしてるわけだし、精神的に疲れているだけなんだろうって。

多分、本当の意味で慣れるにはもっともっと時間が必要なんでしょうね。今、私が慣れていない度が十だとすれば、実習終わる頃にそのうちの一つに慣れれば良いほうでしょうね。

あんまり「うまく」やることは考えずに、「自分らしく」やることを考えます。楽しくやりたいですから。

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2003年10月15日(水)

自分の生活の質とは?

今週は短い週なので、ちょっと気楽です。

さて、担当患者さんの評価もほぼ終了しかかっています。評価が終わると今度は訓練計画を立てるわけです。うん、一応、なんとかスケジュールどおりです。

評価というのは、患者さんの様子を観察したり、検査を行ったりするわけです。その評価から、問題点を見つけて、その問題点を改善するためのアプローチを考えていくわけですね。

しかし、先生にも言われましたが、評価で問題点ばかりを見ずに、できる点もしっかりと見ることが大事だと言われました。どうしても、療法士というのは問題点を見つけて、それを改善することばかりに目が行きますが、患者さんの残存能力をうまく引き伸ばしていくということも大事なことなんですね。

リハビリテーションというのは、決して治すことではないんですね。患者さんを、人間として質の高い生活を取り戻す最低限のレベルまで引き上げていくことなんです。高齢者の患者さんにとって、質の高い生活とは、治ることではなくて、今のまま平穏に生活できればいいって人もいるわけです。そうした場合は、今のままで居られるように現状維持がリハビリテーションの目的となります。

「何が何でも良くしましょう。」って、そんなことないんですよ。リハビリの現場に居ると、自分にとっての生活の質とは何なのか?考えさせられますね。

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2003年10月14日(火)

もう14日

日曜日は映画を観てきました。マッチスティック・メンという映画です。これが思いのほか面白くて、終わったあとにホンワカ気になってしまいました。平凡を手に入れるって意外と難しいなあとも思いました。まあ、内容はまったく違って詐欺師の話なんですが、そういったホンワカ気分を味わえる映画になってます。監督がリドリー・スコットてのも驚きですが。

今日は、朝から温泉に行ってきました。高知の市街地に三翠園という旅館があるのですが、その中に温泉があります。900円で入れるんですが、人は少ないし、お湯は良いし、露天風呂はいい眺めだし、かなりリラックスできました。午後は勉強しまっす。

早いものでもう二週間が経とうとしています。生活リズムもできてきて、早寝早起きでなかなか更新を忘れてしまうのですが、また、近況報告しますねえ。

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2002年10月13日(日) アルバイト始めました
2003年10月13日(月)

すいませんが。。。

担当症例をマンツーマンで持つようになって、毎晩、実習日誌・観察記録の記入、検査や訓練の準備で気が付くと、更新を忘れて寝てしまいます。

土曜の午後から連休入りますし、また、そのときに書きますね。

すべて順調に行っております。からだも健康ですし、実習も楽しくやってます。問題は時間が無いってことぐらいかな。

あとは、いつも眠い!

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2002年10月10日(木) 話す事は放す事
2003年10月10日(金)

新しい土地

高知での生活にも慣れてきました。まあ、病院の人たちとの関係は置いておいて、それ以外の面では楽しくやっております。

何が楽しいって、やっぱり新しい土地になじんでいく自分自身の変化が一番楽しいですねえ。やはり、私は一つの土地でじっとしていられない性質なんでしょう。この最初の違和感が、自分の行動によって親近感に変わっていく瞬間なんて最高に気持ちがいいです。

毎日、歩いて病院まで行っていますが、周りの風景が当たり前になってくるわけですよ。まるで、もう昔から高知に住んでいるかのような錯覚に陥るわけです。都会とは違う空気が流れていて、なんだかゆっくりとした時間の流れの中で、実習という適度の緊張感を持った生活を送っている自分がいるわけです。

さて、今週の木曜日から実際に患者さんとマンツーマンで訓練を始めます。私の病院は慢性期の患者さん、特に高齢者の方が多いからか、実習生が担当する患者さんの数が非常に多いのです。今回、私は5名の方の担当をします。ほぼ毎日3〜4名の訓練に携わるわけですから、実習とはいえなかなか大変です。なにせ、初めて患者さんとマンツーマンでやるわけですからねえ。

まあ、不安な気持ちはありますが、肩肘張らずに自分らしさを前面に出した訓練をしていこうと考えています。ただ、高齢者相手なので学校で習ってきた通常の検査や訓練というのがなかなかそのまま適用できないという点が、ちょっと悩みどころかもしれません。

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2003年10月07日(火)

なんかねえ

実習先の人たちとうまくいかないです。こちらがかなり気を使っているにも関わらず、みんな冷たい感じ。まあ、たぶん土佐人気質みたいのもあるんでしょうけれど、よそよそしいんです。私としては、がんばってんですけどねえ。たぶん、頑張りが足らないのかもしれません。

ただ、あんまり無理しても仕方がないので、なるようになれと思っています。人間関係ってのは非常にややこしいですね。

今日の朝礼で、昨日、偶然に友達と出会ったことについて話しました。でもですよ、反応がないんです!誰も私のことを知ろうという気もないように感じてさびしいですよ。私は話しかけてがんばってるんですけどねえ。

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2002年10月06日(日) やってみる
2003年10月06日(月)

偶然とはいえ…

朝から高知中心街に出て、プリンタのインクと紙を買いました。その後、日曜市という市に行きました。そのままぶらぶらしてると、高知城まで来てしまったので、そのまま高知城を観覧。なかなか良い眺めでした。高知は山に囲まれているのですね〜。午前中に回った場所で撮影したカメラを、その足で現像に出して、近くでお茶をしながら待っていました。

ここで、奇跡が起こります。なんと、オーストラリアのときに同じ寮にいた日本人の友人とばったり再会。しかも彼も山口から高知に出張に来ていて、たまたま今日は仕事していたらしいのです。こういった偶然の再会、私は4回目です。すごいことですよね。

世の中、ホント何が起こるかわかりません。積極的に動く人生を送ってよかったと感じる瞬間です。

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2003年10月05日(日)

眠い日が続きます

慣れない早起き生活で、もう眠くて仕方がありません。昨日までは、要領がつかめず寝るのも遅くて、日中が大変でしたが、いろいろと考えて今日から早く寝れるように考えました。ということで日記も書く暇ができました。

明日、土曜日ですが実習はあります。ほとんどの病院が土曜日もやってるようで、午前中だけとなります。明日は、実習後、高知の中心地に出て土佐料理を食べて近くの温泉にでも行こうかなと思っています。日曜日は、高知の日曜市や高知城など観光地へ出向いて写真を撮ってきます。訓練で使いたいと思ってるんです。

実習中は、学校が借り上げたレオパレスに住んでいますが、必要最低限の物しかない生活は意外と快適です。やっぱり一人暮らしがいいかもしれない。

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2003年10月03日(金)

実習一日目。

ここには実習の内容は書きません。となると、他に書くことがあまりないんですよねえ。

実習では観察記録というものや実習日誌というものを毎日書かなくてはいけません。書かなくてはいけないというよりも、自分のためにも記録に残しておくことが望ましいのでやるわけですが、普通、みんな手書きで書きます。でも、私は面倒臭いし、字が汚いので、ノートパソコンにカタカタと打ち込んで作ります。

外国ではこの手のレポートというのは手書きはだめで、必ずタイプが必要なのですが、日本ではタイプよりも手書きという先生が少なくありません。書く側にすれば、パソコンでタイプするほうが便利なんですよね。もちろん、パソコンより手書きの方がやりやすいという方も多いのは事実ですが。

実習中は本当に勉強以外にすることがないと言っても過言ではないでしょうね。今日も、食事の時にテレビをチラッと見た程度で、後は勉強してました。せっかくの臨床ですからね、得られるものは得ておきたいと考えています。先は長いので、気合入れすぎず、抜きすぎずでやっていきます。

過去の今日
2002年10月01日(火) ギター
2003年10月01日(水)

日記 / issy