知らんけど

2003年07月30日(水) スキューバ始めたい

なんだか、沖縄の話ばかりを書いている気がしますが、まあ、いいでしょう。とてもうきうきわくわくしながら生活できているのは沖縄のおかげなので。

昨日、試験が終わりました。これから学生ならではの夏休みが始まります。でも、一応実習に向けての勉強を開始しようと思っています。やはり、実習で大きな成果を得たいので、基本的な知識や技術のことで無駄な時間をできるだけ減らしておきたいのです。自分でできる事、本から学べる事は、実際の現場では本当に些細な問題なのでしょうけれど、その些細な問題がわかっていないがために、本当に知るべき事、体験すべき事を見逃してしまう可能性があるのです。基本は疎かにしないこと。すべてに通用することでしょう。

勉強はするのですが、せっかくの夏休みですから、夏休みらしいこともしたいなあと考えています。お金との相談になりますが、できたらスキューバダイビングのライセンスを取得したいなあと思っています。まあ、沖縄の影響ですね。スキューバーのライセンスがあれば、いつでももぐれる環境な別けですからね。せっかく目の前に広がる海をただ陸から見ているだけではもったいないですからねえ。これも就職先があればの話しですけれども。

テストが終わったわけですが、なんとも試験とは無駄な感じがして仕方がありません。何のためにテストがあるのかはもちろんわかっていますが、それがどうした?という感じが拭えません。テストで良い点を取るための勉強なんて、ほとんど現場では役に立たないのになあと思うと、切なくなります。ま、ともかく今回はすべての科目で適当にやってそれなりの点数が取れると思います。試験なんて損なものなんですよね。ん〜、終わっても満足感なしです。

本日、甲子園に阪神vs横浜を観に行ってきました。



2003年07月28日(月) いつか答えは出る

沖縄に気持ちが向き始めてから、精神的にとても調子が良いのです。今の生活に一つの大きな目標ができたからだと思います。でも、それだけではなくて、なんとなくですが、自分らしさを活かせる生活とは何かという事がわかった喜びもあるのでしょう。

小中高とどちらかと言うと泣かず飛ばずの人生で、勉強ができるわけでもない、運動もずば抜けているわけでもない、受験も大して成功しなかった、充実感を感じた生活は人生の中で1年くらいしかありませんでした。本当は色々な人生があって良いはずなのに、なぜか窮屈な人生を歩んできたような気がします。周囲の人の目であったり、学歴であったり、そうした外部に求めた価値観が私を窮屈に感じさせていたのでしょう。

その窮屈さから飛び出して、自由な環境で自分らしさを伸び伸びと出せたのが、オーストラリアでの生活でした。日本で染み付いた学歴志向からだけは、なかなか抜けきれずに、日本でも大学に行き直しましたが、素直に自分らしさを出せる生活ができたオーストラリアでの経験は、以降、私の強烈なアイデンティティを生み出しました。ただ、そのアイデンティティが強烈であったがために、日本では、また、そのアイデンティティが窮屈な檻の中に押し込められた感がありました。

これまで感じてきた何か判然としないモヤモヤ感は、こうしたアイデンティティの行き場所の無さだったのではないかと考えるのです。私が私らしさを出せる環境をさがすこと。そうした視点を持てたことは非常に大きな1歩です。沖縄がそうした環境かどうかはまだわかりませんが、自分の人生において何が大事なのか?それを考えつづけたことは無意味ではありませんでした。捜し求めていた答えなのかどうかは、これからわかるでしょう。ただ、探していなければ決して見つからなかった道なのです。いつか答えは出ると信じること、大事ですね。



2003年07月27日(日) 沖縄に住みたい(2)

生活の豊かさを求めて、私は沖縄に移り住む事を真剣に考えています。

こんなところに住めたらいいなあ〜。そんな気持ちを持った事はありませんか?私は常日頃から、そうした思いを色々なところに持っています。例えば、5年のオーストラリア在住中に2年間滞在したブリスベン、最高でした。残りの3年を過ごしたウーロンゴン、海山に囲まれた楽園でした。交換留学で訪れたカナダのバンクーバー、寒い冬でしたが海と山に囲まれたすばらしい環境でした。この4月に訪れたタイのバンコク、決して美しいとは言えない環境でしたが、人々が自由に自分らしさを出して生きている姿は心に大きな衝撃を受けました。

でも、海外に移り住む事はたやすい事ではありません。沖縄に移り住む事も、決してたやすいことではないでしょう。恐らく、オーストラリアやカナダとはまったく違う文化ですし、同じ日本とは言え、様々なカルチャーショックを受ける事でしょう。でも、それを凌駕するような海や山や空があり、豊かな時間が流れる中で自分に正直になれる文化がそこにあります。ビーチに行くだけでエンターテイメントなのです。クレジット会社のCM風に言うならば、「ビールのつまみになる空と海、プライスレス。」なのです。まさに、お金で買えない価値が沖縄にはあるのです。

ある意味、私は都会生活の落伍者です。競争は嫌だし、欲もそんなに無いし、派手に遊ぶ事もありません。ゆっくりした時間と、おいしいお酒と食べ物、そして楽しい仲間とのひとときがあれば充分に幸せを感じる事ができます。それでいいではないか?いい意味で開き直ることにしたわけです。



2003年07月26日(土) 沖縄に住みたい(1)

沖縄に就職しようと真剣に考えています。沖縄の本を買い込み、沖縄のサイトを探しまくり、沖縄の友人に連絡を取り、沖縄への実習を先生に訴え、就職担当の職員の方にも沖縄を志望に入れてくれと頼むなど、前準備を進めています。なぜ沖縄か?これまでこのサイトで沖縄などという言葉を出した事があるのは、2001年12月28日(金)の日記以来です。

沖縄との縁は、私が中学生の頃からになります。父親が転勤で沖縄に住んでいた事があり、その頃に何度も沖縄に足を運びました。それからも沖縄を訪れた事が何度かあります。中学生の頃の沖縄の印象は、「なんか違う国みたいだ。」というもので、あまり好印象ではなく、特に沖縄への憧れを抱いた事はありませんでした。

私が沖縄を強く意識するきっかけは2つあります。一つはオーストラリアで5年住んでいたということ。それと、もう一つは最近訪れたタイです。

私の今の自我が作り上げられたのはオーストラリアでした。空、海、人々、そういった雰囲気の中で伸び伸びと自分らしさを発見し、育めたのはオーストラリアという環境があったからなのです。そうした今は感じない環境の豊かさを再び与えてくれそうなのが沖縄だと感じています。タイでは、日本での生活で忘れた人間らしい生活というものを目の当たりにしました。物質的な豊かさではなく、本当の意味での生活の豊かさを実感できる人生を送れる環境をタイに見ました。タイに行ったときに、「ん?沖縄の雰囲気に似てる。」と感じてから、沖縄の存在がずっと頭の中にあったのです。

では、明日は沖縄に私が求めているものをもうちょっと具体的に書いてみますね。



2003年07月25日(金) 愛情欠乏か?

うだうだと日記に暗い話しを書いていますが、実際のところ頭の中だけでぐるぐる回っていて、特に現実として生活の中に暗い影を落としているわけではないので、もし、心配されている方がおられたらご心配なく。

最近の孤独感(寂しさ)というのは、非常に強いのです。実は、失恋したからなんです。ははは。笑ってしまいますが、今回の相手は結婚まで意識した人で、真剣に考えていただけにうまく行かなかったことが非常にショックだったのです。しかし、将来のことを考えた相手であったために、自分自身の将来をも真剣に考えるという結果になり、色々と悩む種が蒔かれてしまったのです。

昔、このサイトで書いたとおり、「あなたにとって彼女(彼氏)とはどんな存在?」と聞かれたら、「生きる理由。」と答えられる彼女が欲しいと思っていますし、。そのような存在価値を見出せる女性と、苦楽を共にしたいと考えているので、私にとっての恋愛とは人生そのものになり得るのですねえ。ま、この恋愛観に関しては、昔の日記にも書いてあると思います。

寂しさが強いために、様々なところで気持ちが分散しているような気がします。マズローという心理学者が唱えた「欲求の階層」のどっか一部が満たされていないのかななんて思ったりします。自己実現というピラミッドの高い部分を安定させるためにも、恋愛に限らず満足できるような愛情の授受が必要なのかもしれません。

実は、就職する地域として沖縄を考えています。また、沖縄の話しはあしたでも。



2003年07月23日(水) 見なおし

孤独について書いてから、しばらく自分のサイトにアクセスすることさえためらっていました。ここで表現する事に何の意味も見出せなかったというのが理由です。自分自身で悩み続けていたし、思う事はたくさんあったけれど、それをわざわざ日記という形でネット上で表現することに何の意味も見出せませんでした。私が求めていたのは、解決だったからです。

で、何を悩んでいたのか?と問い直すと、意外と適切なことばが浮かんできません。芥川竜之介が自殺の際にしたためた遺書の中に自殺の理由として、「将来に対する漠然とした不安。」と書いていたそうですが、まさに私の悩みも「漠然」としているのです。生きているということ自体が私にとっては非常に漠然としたことであるということが一つの原因でしょう。

生きていること自体が漠然としている。生きている実感がないということです。映画のマトリックスの世界ではないけれど、現実というものがなんだかボンヤリとしていると感じるのです。自分が向かっているパソコンの画面は現実なのか?テクテクと歩いていると見える建物や看板は現実なのか?私にはまったくもって現実として認識しきれないでいるのです。

生きているという実感を得られない。そうした漠然とした不安が覆い被さってきて息苦しい。

この感覚鈍磨の状態で、ただ植物のように「在る」ことはできます。時間通りに起床して、電車に乗って学校へ行き、時間割通りに授業を受けて、試験がくれば適当に準備をしてやり過ごす。刹那的に、帰りに友達とお茶をしながら自分が本来過ごすべき、夢のような現実について語りあう。でも、生きているとは実感できないのです。

今、私は自分の生き方そのものを根本から見なおそうとしています。



2003年07月21日(月)

もうすぐ復活しますので、少々お待ちを。



2003年07月16日(水) 生きてます

いやはや、なかなか。

落ち着くまで少々お待ちを。



2003年07月10日(木) 眠れない夜に…

眠れない!

睡眠不足が続いているにも関わらず眠れません。その理由は漠然とした不安です。「自分は本当にこのままでいいのだろうか?」「何が何でも言語聴覚士になってやろうなんて気持ちにならないのだけど、どうしてなのだろうか?」「本当は何がしたいのだろうか?したいことなど無いなら何をして生きれば良いのだろうか?」そんな漠然とした不安が心に押し寄せてきます。

そうした不安を誰に吐露するわけでもありません。昔からそうなのですが、こうした不安を人に話す事を避けてきました。どれだけしゃべっても、口から出てくる言葉が私の気持ちを的確に表していると思えないということがあります。そして、恐らく親との関係にも原因があるかもしれません。親に自分の不安を話しをした事はないと思います。なぜなら、そういう事を聞いてくれて受け入れてくれるような親ではないからです。だからかどうかわかりませんが、ずっと孤独感を胸に抱いて生きてきました。中学生の頃には宮元武蔵が大好きでした。彼のストイックに孤独を追求していく姿に自分をだぶらし、「独行道」という彼の言葉を座右の銘にしていたくらいです。

一時は孤独を受け入れた生活を送っていましたが、最近では自分の弱さが無視できなくなってきました。すぐに不安になったり、気落ちしたりと安定感がありません。そして、またそれを独りで抱え込み深みにはまっていくのです。普段からテンションが低く、とても割り切った考え方や行動を取る背景には、こうした落ち込みからくる孤独感が大きく影響していると自己分析をしています。

孤独であるということは、「他人はわからないだろう。」「他人はわかってくれない。」「他人にわかってもらえないなら敢えて言わない。」「自分の力でなんとかできる。」といった気持ちを生みます。逆に自分がこれだけ孤独に耐えているのだから、「他人も自分と同じように自分で解決すればいい。」「他人の気持ちなどわかりっこない。」「なぜ他人は自分で責任を取ろうとしないんだ。」という冷めた気持ちになるのです。

私の性格、存在を支えるものは何なのか?

この孤独からの脱却の仕方がわからずに苦しんでいます。自分らしく、すべてをさらけ出して生きればいいと口では言いながら、まったくもって私の「自分らしさ」がわからないのです。わからないものを出せるはずも無いわけで、すると「ここに生きている私とは一体何なのだろう?」という疑問が湧いてきます。まさにアイデンティティクライシス、自己概念の危機という事態なのです。実は勉強どころではないのではないか?とさえ思っています。何か、私という人間の存在をたらしめる意味らしきものを見つけられなければ、生きている意味さえ掴めないのです。

何も感じず、考える事もなければ不安さえ起きないのでしょう。こうした不安を考える暇もないほど夢中になれるもの、そうしたものを探す事こそ、今の私には求められているのかもしれません。しかし、それは一体何なのでしょうか?どこにあるかも、いつみつかるかもわからないまま探りつづけることは新たな不安を呼び起こすのです。

一体、私は何なのか?どうしたら良いのか?

夜は更けていき、時間は容赦無く進んでいきます。



2003年07月08日(火) 事態の好転を

この1週間、悪い事が立て続けに起こっていてかなりブルーです。しかも、その悪い事が人間関係ときていて、精神的な疲労がピークです。

自分の思い通りに行かない事があることはわかっています。そんな時でも、一つ一つの状況の中で、自分のやりたい方法、やりたい思いをぶつけていけば、それが自分の思い通りになろうがなるまいが、納得という形を持って前に進んでいけます。しかし、今はそうした状況毎での私の対応もなぜか中途半端で、「意欲」の減退を感じているのです。

まあ、そうしたこともあって、TOPページに自分への励ましの言葉を書いてみました。自分のあるべき姿を常にイメージすることで事態の好転を狙っています。



2003年07月07日(月) 今日も愚痴ですいません

7月も1週間が経ちました。時間が経つのが早くて、気持ちが焦ります。「こんなのでいいのだろうか?」という疑問が湧いてきます。で、答えは「いいわけない。」なのです。

学校では刺激がなくて、何かを感じる事があまりにも無さ過ぎるのです。面白くない授業を耐えて、ただ座って話しを聞いているだけの学校生活は苦痛以外の何物でもありません。私は臨床家として、実際の患者さんに訓練を行うことになるのですから、毎日毎日、机に座って話しを聞いているだけでは、臨床家としての技術を身につけられません。

先生に直接言えば良いのでしょうが、あまり生徒の言った事が実現されない学校の体制にはあきらめ気分です。後1ヶ月で授業もないし、今は耐えるのみと思って毎日学校に通っています。

凡庸な教師はただしゃべる
よい教師は説明する
すぐれた教師は示す
偉大な教師は心に火をつける
(ウイリアム・アーサー・ワード)



2003年07月06日(日) リニューアル開始

バイトが終わり、日曜日はフリー!!ということで、さっそくホームページのリニューアルにとりかかりましたが、コンセプトが漠然としていてどうして良いかわからずになんとなく始めてみました。これまでのような日記オンリーのサイトから、自分自身の成長がわかるような記録媒体としてのサイトを意識しています。

自分自身の記録であると同時に、訪れた人に私という人間がわかるような自分プロモーション的な要素も含めていきたいと思っています。こうして考えてみると、なかなか自分をプロモートするのは難しいということに気がつきます。自分らしさを理解し、自分の売れる部分はなんなのかを良く考える必要があるということで、単なるホームページ作りの域を越えた楽しさを感じています。

まあ、今日中にはなんともなりませんが、ゆっくり手を入れていきます。



2003年07月04日(金) 気楽な人生

近頃、だいぶん調子が良いのか、かなり多弁になってきました。気持ちも上向き、体も良い意味で筋肉痛、なんだろうこの高揚感。

実は、結構、しゃべりはじめると止まらないタイプです。しょうもない冗談を言うのも好きです。でも、ある時期からずっと思うように話せない、面白い話しが浮かばない、人の話しにも興味が湧かないという時期が続いていました。今、授業で吃音(どもり)の勉強をしていますが、まさに、一番ひどかった頃はどもっていたことさえあります。精神的なストレスを感じていたのかもしれません。

今の学校に入ってからもしばらくは同じ状態でしたが、最近、とても気が楽になってきました。岡本太郎氏の本に出会ったのが大きかったかもしれません。とにかく自分らしさを素直に出していくという当たり前のことを実践し始めてから気持ちが非常に楽になりました。時を同じくして、そうした生き方を説く本に数冊出会い、また、今、特別に吃音の授業に来てくれている先生の生き方や考え方も同じようなものだったので、気楽に生きていくことを強化されている状態です。

・できるだけ好きなことをする。
・したくないことはできるだけしない。
・周りの人間や、ルールが何と言おうが自分らしさを主張する。
・一つのことにこだわらない。
・弱さを受け入れる。
・人生6割で成功の法則

こうした気楽な生き方をこのホームページで、更に深めていければと考えています。



2003年07月03日(木) ブレインストーミング

もう学校を休まないと自分の心に誓ってから約2週間、いまだに頑張って通っております。別に通う事がすばらしいのではなくて、自分自身をコントロールすることができる自分というのがすばらしいのです。

さて、今日の一時間目も眠い目をこすりながら頑張っていきました。今日はスペシャルゼミということで、「臓器移植」のお話をその道のスペシャリスト、多分偉い片なのでしょうが、90分間お話されていました。全然面白くなかったです。面白くなかったので、今後のホームページのあり方をずっと考えていました。で、とりあえず思いついたものをノートに書いてブレインストーミング。紹介してみます。

・自分にとって機能的なホームページ作り
・読書関係…自己啓発書、言語聴覚士関連の図書紹介・感想
・自己啓発…自分はどんな人間を目指しているのか?
・ギター…練習記録
・フィットネスクラブ…体重・体脂肪・筋量の変移、毎週の運動内容
・言語聴覚士関連…国家試験・実習・考え方・勉強報告・
・パソコンを使った言語聴覚士用の教材・訓練の研究、研究会
・夢広場…欲しいもの、目指すもの、自分の望む将来像を映像化
・英語…オーストラリア、カナダの生活体験談、青春を振り返る
・食べ物記録…行ったレストラン・カフェ・バー紹介
・テレビ鑑賞記録…観たテレビ番組の記録
・マイルーム定点映像ギャラリー…散らかり方、片付けの記録
・作成サイト紹介
・履歴書
・音楽紹介
・片付け before & after

えっと、思いつくままに書き連ねた結果です。さて、これを全部できるのかどうかという疑問がまず湧きますが、多分、それは無理かなあ。何か面白いのありましたか?私としては、今後、言語聴覚士という仕事につくわけで、その分野は一つの柱としてははずせないと思っています。後、自分探しを基本とした自己啓発という部分も私のライフワーク的な要素がありますのではずせません。その二本の柱に、自分の生活素のものをのっけていくのも面白いかなと思って上記のようなリストになったと思います。

話しはまったく変わりますが、パソコンを注文しました。富士通FMVLT90Dというモバイルノートです。高い買い物です。でも、今後仕事でパソコンを使った訓練と言うものを自分の軸にしようかと考えているので、値段は高いですが思いきって買いました。色々な使い方を考えています。→購入するパソコンはこれ



2003年07月02日(水) だらだら

さんかくのしそうというタイトルを変更しようかと考えた事もありましたが、タイトルは残したままにして、ホームページの使い方をちょっと変えていこうと思っています。

とりあえず、なんとなく気持ちの変化をそのままトップページに反映してみました。と言っても、かなり中途半端な状態です。暫定のトップページということでご了承下さい。どんなホームページとして変えていきたいかということを検討中です。これまでは自己表現の場として利用してきましたが、その範囲を広げていきたいなと考えています。ただ、やることが増えて更新が滞るということは避けたいので、何とか労力のかからないものにしていきたいと考えています。

ホームページのあり方を変えるにあたって、やはり柱になるものを据えないといけません。私が今楽しくやっていること、すきなことなどを中心に柱を組んでいくつもりです。やはり、基本は日記になるのでしょうけれどね。まだ、具体的な方向は見えてきませんが、単なる記録ではなく、そこから何かのヒントが生まれるような使い方ができればと考えています。

だらだら書いてしまいました。何だか最近書く意欲が湧きません。と言って書かないといつまでたっても書く意欲なんて湧きませんから、だらだらでも書いておきます。


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