思考過多の記録
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僕の心の奥底には、誰も見たことのない、僕自身ですら知らない、底知れぬ暗闇が広がっている。 その世界の扉は閉ざされ、どんな光も音も、そこに届きはしなかった。
その暗闇の存在のために、僕はどんな人と会っても心から笑えず、どんな人の心の底の世界とも繋がることができなかった。 僕の心の暗闇は、ブラックホールのように他人の魂を引きずり込もうとする。 だから、誰もが僕の暗闇からの言葉を恐れ、忌み嫌い、僕から離れていった。 僕の本当の友達ですら、その暗闇の存在を知ってはいても、そこに近付こうとはしなかった。 そして、僕が誰を愛しても、その人は僕から遠ざかろうとした。 まるで、見てはいけないものから目を背けるように。
そんな僕の心の暗闇に、ある日、思いもかけず光が差し込んだ。 僕は、思わずその人を見る。 その人は、これまで会った誰から発せられていたものとも違う、不思議な光を放射していた。 純粋で透明な、水晶のような不思議な輝き。 それは、冷え切った大地を暖め、生命を呼び覚ます。 どんな光も届かなかった深い深い絶望の淵の底に、その光は一筋の線を描いて進んでいく。 その時、どす黒く見えていた暗闇の水が、にわかに青く輝き出す。 まるで海の底かと思っていたその場所が、空だったことを示すかのように。
あなたは、僕の心の奥底に差し込んだ一条の光。 あなたは、僕の生命を呼び覚ました暖かき光。 あなたは太陽。 あなたは日輪。 あなたこそ、僕を照らし出すもの。 あなたこそ、僕を暖かく包み込むもの。
そして、僕はあなたの光で蘇ったもの。 僕こそ、あなたの光を生かせるもの。 僕こそ、あなたが照らし出すべきもの。
先月半ばのことだが、会社で組合主催のある催し(?)があった。 今年の8月に広島で開かれた原水爆禁止世界大会に、うちの会社の組合員が上部団体からの派遣という形で参加していた。 その報告会があったのである。
今回広島に行ったのは、若手で女性の組合員。おそらく、まだ20代後半であろう。 彼女は、実際広島に行くまでは、原爆投下という「事実」は知っていても、それが実感を伴うことがなく、どちらかといえば無関心派だったという。しかし、今年広島に行き、日本各地や世界で草の根で核兵器廃絶のための運動に携わる人達の報告を聞き、また交流し、そして実際に原爆を体験した方から貴重な体験談を聞いたことで、相当意識が変わったと言っていた。 「あなた達の世代が、体験者から実際に話を聞くことのできる最後の世代よ」と言われたこともあって、彼女は、 「私達が、被爆者の方々の体験を追体験して、後々の世代に伝えて行かなくてはならない、と思いました」 とはっきりと言っていた。 その現場では、被爆者の方が体験を話している途中で涙で言葉が詰まり、聞いていた彼女や他の人達も、同じところで涙が出てしまった、とも言っていた。
こうしたことは本当に大切なことだと感じる。 その時にも言ったのだが、戦争や原爆を実際に体験した人達は、「皮膚感覚」を持ってそれを語ることができる。 一方、僕達戦後生まれの世代は、もはや世の中に戦争の空気が残っていない中で育ったため、意識的に戦争(原爆)体験者の話を聞かないと、どんなことが実際に起き、世の中がどんな空気で覆われ、そして戦場では何が起きていたのか、全く知らないままになってしまう。 例えばそれを写真や映像などの「記録」で見て、自分の「知識」に加えようと(勿論、それがあった方がないよりずっといいのだが)、実際の体験者の証言の重みにはとても叶わない。 僕達が自分の子供に戦争や原爆投下を伝えようとしたとき、自分の中にどれだけ体験者の方々の「皮膚感覚」が残されているかが重要になる。 そしてそれでもなお、間接的にしか伝えられないことによって、僕達が実際に体験者の方々から聞いたときのような生々しさや「皮膚感覚」=現実感が薄められてしまうのは避けられない。
この社会から完全に「皮膚感覚」が失われた時、もし例えば今回の中国漁船の「公務執行妨害事件」のようなことが起きたとき、ネット世論に代表される偏狭なナショナリズムと、その危険性を知らずにそれに乗って行動してしまう政治家・無責任な知識人に一般国民が踊らされないとも限らない。 そうなった時、僕達はそれまで経験したことのない「熱い戦争」に一直線に突き進む可能性がある。 誰も、その危険性に対して重みのある、そして説得力のある警鐘を鳴らすことができないからだ。
だからこそ、僕は今まで何度も主張しているのだが、こうした原爆の被害や、空襲の被害、また沖縄戦の悲劇や最前線での兵士の悲劇等、まだ実態権者が生きているうちに早くその体験談を多くの人々が聞き、それをおのが想像力で「皮膚感覚」に限りなく近い「記憶」にすることが、焦眉の急である。 そして、そうした生々しい「記録」の集大成をデータベース化し、社会の「記憶」として次世代へ継承していくのだ。 資料館等を作ることも勿論大切だが、その他に例えば学校の社会科の授業やあの戦争を検証するテレビ番組・記録(またはドキュメント)映画、書籍等々、あらゆる手段を使って「記憶」を形成し、誰でもいつでもそれにアクセスできるようにしておく。 こうして、たとえ生々しい証言を直接語る語り部が消えたとしても、まるで言霊が残存するように、「記憶」は消えずに残る。 言うまでもないことだが、この「記憶」の中には、先の大戦で日本が主にアジアで犯した罪についてのそれも含まれなければならない。
今回広島に行った彼女もそうだが、今若手を中心に、先の戦争自体に対する知識や関心が急速になくなってきているのを、僕は危惧する。 先述したように、そうした人間が社会の一定以上の割合に達し、あまつさえ政治家でさえも観念としての「戦争」しか語れなくなった時、この国は再び誤った方向に向かう可能性は高いと言わざるを得ない。
今の日本は危うい。 本当に、今が正念場である。 僕達の年代にできることは、僕達自身がもう一度この「記憶」を正確に辿ると同時に、日本社会としてこの「記憶」を若い人達、それこそ自分の子供や孫の世代に受け継いでいけるように、その環境を準備することではないか。 そうすることで、同じ過ちを二度と繰り返さない、賢い社会が形成されるのである。 また、もし国が方向を誤るようになった時、その「記憶」を元にいち早く危険性を察知し、全力でこれを阻止することのできる思慮深さと行動力を、我々もそうだが、特に次にこの社会を担う若者達に養っていくことが何よりも今求められていると思うのだ。
昨年、オバマ大統領が「核なき世界」を明確に目指すと宣言し、今年の平和祈念式典には、国連事務総長や、フランス等の他の核保有国の代表に混じって、初めてアメリカの駐日大使が列席した。 時代は動いている。 次を担う若者達が、二度と再び戦争の惨禍に巻き込まれることのないように、切に願う。 と同時に、それをただ願うだけではなく、そうなるように僕達の世代が中心となって動いていかなければならない。
自分も、もうそういう世代になってしまったのだな、と、若い報告者の言葉を聞きながら、しみじみと思ったのだった。
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