思考過多の記録
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2009年02月27日(金) 新聞を読まない首相

 麻生首相が27日の衆議院予算委員会で新聞批判をしたそうである。
 政治家のメディア批判は、何も今に始まったわけではなく、江戸時代も明治時代も、いや、その前から、メディアと権力は戦ってきたし、それが正しい姿だといえる。
 しかし、麻生首相のやつは、ちょっと質が違うように思う。



 麻生首相は、「新聞を読まない。」と発言したそうだ。その理由がまたふるっていて、「偏った記事が多い。」からだそうだ。
「自分のことが書いてあると、大体(事実と)違うからあまり読まない。他の人もそうなんだろうなと思う。」
とまで言ったそうだ。
 これは要するに、「自分への批判には一切耳を貸さない。」ということであり、「世間の空気をあえて読まない」ということであろう。いわば、開き直りである。
 この手の首相は、「鈍感力」を備えた小泉氏、天然のKYと言われた安部氏がいるが、麻生首相はこの2人とはまた違うと思う。



 自分に人気がないのはマスコミの偏った報道のせいだと思い込んでいて、それを国会で発言してしまうのは、やはり問題だと思う。
 それは、国会という公の場での発言だけに、暗に報道機関に「俺に批判的な記事を書くな」と圧力をかけたと受け止められかねない。
 新聞は確かに無謬ではないが、全く中立的な新聞などないし、そんなものは存在価値もない。
 各社が独自の編集方針に基づいて紙面を作っているのであって、勿論その紙面は無色透明であるはずもない。
 また、新聞は「社会の公器」とも言われる。
 その時そのときの社会の姿や問題点を映し出し、現場の声や読者の反響などを載せている。
 つまり、社会の実態を掴もうと思えば、新聞やテレビ等のマスメディアや、最近このマスメディアに対抗して出てきた、個人やある団体によるネットラジオなどでの情報発信を利用するのが、一国民としては唯一の手段といえる。
 例えば、東京にいたら分からない地方の医療の実態等は、新聞やテレビでしか伝わってこない。
 そうした情報を完全に遮断して、社会のリアルタイムの姿や問題点を知らずして政策が作れるわけもなく、もしそうして作り上げられた政策があるとすれば、それは、社会の諸問題を解決するのに役立たない。



 首相は、おそらくそういう情報は自民党や政府を通して得られると思っているのだろう。
 しかし、新聞やテレビと同様、そうした情報にもバイアスはかかっている。
 そして、国民の側に近いのは、何だかんだ言われてもやっぱり新聞やテレビ等の報道機関なのである。
 自民党や官僚が上げる情報は、自分達の既得権を保護するため、または拡大するため、選挙で票を得たいためのもので、末端の国民のニーズとしばしばずれる。
 それだけをよりどころとして政策を作れば、一部の特定利益団体の利益になり、ひいては自民党(や公明党)の議席を確保するためにはなっても、国民のニーズにはこたえられない。
 しかも、そうした政策が、予算委員会で多数決によって決められ、他でもない一般国民の税金を使って行われるのである。
 その音頭を取っているのが、麻生首相というわけだ。
 定額給付金を強引に押し通したのは、その証左といえる。


 それよりもなによりも、自分への批判に耳を貸さないというのは、人間としてどうなのかと思う。
 しかも、それが一国の首相ともなれば、「どうなのか」では済まされない。
 自分や自分の政策への批判に謙虚に耳を傾け、修正すべきは修正し、もしそれでも実行したい政策があるのなら、きちんと国民に向って説得すべきだ(このことに関しては、稿を改めて書く)。
 主権者は国民であり、その負託を受けて仕事をするのが、総理大臣だからである。
 どうも麻生首相は、そのへんの基本的なスタンスがお分かりでないらしい。



 漫画ばかり読まないで、毎日一度は新聞各紙にきちんと目を通すのが、政治を行う者の基本的な姿勢だと思う。
 それが、国民に対する誠実さの表れではないかと思うがどうだろうか。
 麻生首相は政治家家系なので、政治家の顔しか見えていないし、政治家の声しか聞いていないように見える。
 べらんめい口調で呼びかければ庶民に近付いたと思っているとしたら、あまりに単純だ。
 繰り返しになるが、新聞を読むことは社会の今を知ることだ。
 そしてそれは、政治家にとっての必要最低条件である。
 社会の実態に目を閉ざし、自分への批判に耳を塞ぐのでは、もはや首相として、いや政治家としての資格はない。
 一刻も早く退陣して欲しい。
 そして、二度と政治家として国会に現れないで欲しい。


2009年02月26日(木) 「おくりびと」と「つみきのいえ」に思うこと

 アカデミー賞に日本の作品が2本も入って話題になっている。
 僕は残念ながら、「おくりびと」も「つみきのいえ」も見たことがない。「おくりびと」は予告編だけは何回か見ていたが、あまり興味を引かれるような映画ではないと思った。
 ただ、題材は面白いな、と思った。
 「つみきのいえ」に至っては、その存在すら知らなかった。
 アニメ全般にアレルギーがあって、「ガンダム」や「エヴァ」以外では、あまり見ようと思わなかったのだ。



 受賞後に両作品ともダイジェスト的にいくつかのシーンが紹介されているが、どちらも目の付け所というか、アイディアの勝利的な部分があると思う。
 「おくりびと」では納棺師という、あまり、というか殆ど脚光を浴びることのなかった職業を取り上げ、その独特な所作の一つ一つに込められた死者への尊崇の念ともいうべきものを表現している、のだと思う。
 それをきっちり表現したのが、役者・本木雅弘である。彼の演技一つで、何のメリハリもない退屈な映画か、そうではなく映像に様々なことを語らせる雄弁な映画かが分かれる。
 また、こうした職業は、様々な「死」と出会い、向き合う。
 その姿を通して、それぞれの死者の生前の生き様や、死者と遺族の関係性等を描くことが出来る。たぶん、そうなっているのだろう。



 「つみきのいえ」も作りがうまい。
 温暖化のために水没しつつある家を、上に継ぎ足し継ぎ足し増築しながら生きている1人の老人が主人公である。
 この老人が下の階、すなわち水中に没したかつて使っていた部屋に入って行く度に、そこで起きた人生の一こまを思い浮かべるという構成は、なかなか巧みだ。
 幾層にも重なった家は、すなわちその老人の人生の年輪を象徴し、また、それが水中にあるということが、もはや失われてしまって二度と戻ってこないという「思い出」というもののアレゴリーになっている。
 また、それを引き立てているのが、加藤久仁生監督の鉛筆を使った柔らで優しいタッチの絵である。
 12分間で台詞は一切なしだというが、これほど「人生」というものをコンパクトに、しかも的確に描いた作品も珍しいだろう。



 要するに、二つの作品とも、着眼点の勝利と、それを支える役者の存在感や独自の世界を持つ絵のタッチの両方があって、初めて賞に選ばれるような作品になり得たのであろう。
 映画とアニメーション、それぞれの特性を熟知し、活かしたことが大きい。
 何も声高に叫ばないのに、いろいろなことを観客に伝えるヒントが、この二つの作品にはあるように思う。
 翻って、演劇には何が出来るだろうか。
 生の役者が、目の前でリアルタイムにあるものを表現していく、その特性を最大限に活かし、なおかつエンターテインメントにするにはどんな方法論があるのだろうか。
 これまで多くの人達、例えば寺山修司や唐十郎、鈴木忠志、最近では平田オリザや安田雅弘といった人達によって試みられてきた演劇の方法論は、どこまで芸術の可能性を開いたであろうか。



 そして僕は、これからどんな方法論でこの世界に切り込んでいけばいいのだろうか。


2009年02月22日(日) それでも、希望は、革命。〜『チェ 39歳別れの手紙』〜

 チェ・ゲバラの半生を描いた映画の後編、『チェ 39歳別れの手紙』を見た。
 この作品は、キューバ革命を成し遂げた後、新たなる革命の地を求めて、盟友であるカストロに一通の手紙を出してゲバラがキューバを出国したところから、ゲバラが処刑されるまでを描く。



「まだ私を求めている人達がいる。だから私は、ささやかながらその人達に力を貸そうと思う。君はキューバの指導者だからできない。しかし、私にはそれができる。」
 そんな内容の手紙をカストロに書いた後、ゲバラはキューバの閣僚の座を放棄し、1965年に出国(これは僕の生まれた年だ)。1966年に身分を偽ってボリビアに入国した。
 当時のボリビアは、レネ・バリントス軍事独裁政権下にあった。
 ここで反政府武装勢力と合流。山中に潜伏する。しかし、武装闘争に懐疑的だったボリビア共産党からは援助を受けられず、農民達も革命軍には冷淡で、次第に食料が乏しくなってきた。
 『チェ 28歳の革命』の時に見られた、食料を運ぶ兵士達のシーンは、本編では極端に少なかった。
 兵士達の士気も決して高いとは言えず、諍いを起こしたり、食料を勝手に食べたり、戦闘の途中で逃げ出したりする者もあるという体たらくだった。
 それでも何とか隊をまとめようとするゲバラだが、なかなか思うようにいかない。通信機が水で使えなくなってしまったり、カストロからの援助も滞った。
 炭坑夫達がゼネストをするというので、それに呼応しようとするが、それは政府軍によって潰されてしまった(ストに参加した炭坑夫達は虐殺された)。



 そして、今回は「あの国」の影がちらつく。
 自国の「裏庭」にこれ以上共産主義政権を作らせないため、アメリカが動いたのだ。
 アメリカ(CIA)は特使を送って軍事政権にてこ入れし、ゲリラ対策を伝授。国軍兵士にゲリラ戦の訓練を施した。
 また、農民達も、軍に情報を提供するなど、自分達を虐げているはずの独裁政権に協力した。
 キューバ革命の時のように、村や首都でデモが起きることもなかった。
 このため、ゲバラ達は苦戦を強いられることになった。激しくなり始めた喘息の発作も彼を悩ませた。
 別れた隊同士の連絡がつかなくなったり、移動中に軍の待ち伏せ攻撃にあったりして、多数の兵士が傷付き、命を落とした。
 そして、農民の密告により、1967年10月8日、ボリビア・アンデスのチューロ渓谷という場所で、圧倒的多数の政府軍の攻撃を受け、ついに身柄を拘束される。



 ゲバラは渓谷から離れた村に連行され、そこの農家に監禁される。
 この時、見張り役の青年兵士との会話のシーンがあるのだが、これは史実かどうかは分からない。
 その兵士は、自分の叔父がゲバラに処刑されたと明かす。
 ここで兵士が、
「共産主義者も神を信じるのか。」
と尋ねたのに対して、ゲバラは、
「ああ、キューバでは人々は神を信じている。」
と答える。続けて兵士が、
「あなたは神を信じているのか。」
と尋ねると、ゲバラはこう言う。
「私は、人間を信じる。」
 ゲバラは兵士に、
「縄を解いてくれ。」
と頼むが、兵士は動揺し、外に出てしまう。
 この兵士の行動にはいろいろな解釈があろう。僕も何通りか考えたのだが、どれも本当らしく、またそうでもなさそうに思えた。



 そして翌日、その村に軍の幹部とともにヘリで到着したCIA職員が「ゲバラを殺せ」という電文を受信。
 このシーンのずっと前の方に、大統領が、
「バティスタの最大の過ちは、カストロを生かしておいたことだ。」
と言うシーンがある。
 その「教訓」というわけである。
 「処刑」は銃殺刑で、「首より上は狙うな」という条件付きだった。
 2人の兵士が志願するが、そのうちの1人は、前のシーンで見張り役だったあの青年兵士だった。かなり躊躇した末の志願のように描かれている。
 最期の瞬間は、カメラがゲバラの視線になる。怯む兵士に「ちゃんと撃て」と言い、兵士に2度発砲されて下向きになり、焦点が定まらなくなってもう一度上を向いたときに、あの青年兵士の顔が目に入る。
 そこまでである。



 映画のラストは、ゲバラの遺体がヘリで運ばれていくところだ。
 飛び上がっていくヘリを無表情で見つめる農民達が印象的である。
 下を流れていくジャングルの木々の映像が、いつしかあのキューバに密告するときの船から見た海の映像になる。
 そこで、まだ髭も生やしていない、若きインテリの名残が残るゲバラの不安げな様子を映し出し、ぷっつりと映像は途切れる。
 そして、長い長いエンドロール。
 極が終わってしまっても、延々と続く。
 まるで、ゲバラが辿ってきた人生や、その思いの長さを表現しているからのようだ。



 ゲバラのボリビアでの戦いは、何故失敗したのだろうか。
 最大のキーは、国内に「不満」がたまっていなかったことだろう。
 炭坑夫達は過酷な労働と安い賃金で働かされているので、それに対して立ち上がったが、ボリビアの街のシーンを見る限り、軍事独裁政権下でもさほど人々が不平を抱いているようには感じられないように描かれていた。
 また、ゲバラがある村で、村人を集めて自分達への支援を呼びかけるための説得をするシーンがある。
 小さな子供が病気になっても、病院までは遠くて交通費もかかる。医者にかかれば勿論高い診療費がかかる。そんな金がない貧しい農民の子供は死んでしまう。そういう状況を変えるには、自分達が戦って勝利するしかない、と。
 しかし、そこで村人の1人がした唯一の質問は、
「村では戦闘はするのか?」
というものだった。
「自分達は関わりたくない。」という意識がありありと見えるのである。
 彼等には、独裁政権が自分達を搾取していることが見えていない。
 自分達が現場にいるのに、である。



 で、僕が今回感じたことは、「だから庶民は、いつまでたっても搾取されるのだ」ということである。
 どんなに苦しい状況でも、それを変えるには相当なエネルギーがいる。
「まあ、こんなもんか。」
と思ってしまえば、それで毎日何とかやり過ごせる。
 社会を変えることを考えるより、今日どうして生きるかを考える。それが庶民である。
 これは、今の日本で言えば「ロストジェネレーション」世代に象徴的に現れている。
 自分達が派遣切り等で酷い目に遭っているのは、為政者と財界がぐるになって彼等を搾取する制度を作り上げたことが原因である。にもかかわらず、彼等は「自分で選択した働き方だから、切られるのも、次が決まらないのも、図辺手自分のせいだ」思い込んで(思い込まされて)しまう。
 その結果、自傷行為にはしったり、秋葉原事件のように不特定多数に向かって暴発したりすることになる。
 挙げ句の果てには、搾取されている者同士、例えば正社員と派遣社員が対立したりすることになる。
 まさに支配者の思う壺だ。



 そして、やはり武装闘争にはその庶民からの精神的・物的な支援が必要不可欠である。
 そのことで、戦う側の士気も高まるし、行動範囲も広がる。
 戦う側だけ前のめりになり、民衆がついてこなくては、革命は成り立たない。
 前回、「革命には武装闘争が必要だ」と書いたが、その考えはこの映画を見ても変わらない。
 しかしやはり、それだけではダメなのである。
 何よりも、革命を欲する人民達のマグマのような怒りの力が必要だ。それを武装闘争がサポートし、具体的な行動に民衆を駆り立てるようにならなければならない。
 たった1人のカリスマでは、やはり革命はできないのである。



 調べて分かったことなのだが、ゲバラがキューバ出国を決意した直接の原因は、どうやらゲバラが国際会議でソ連の外交姿勢を批判したため、ソ連から「ゲバラをキューバ首脳陣から外さなければ、物資の援助を減らす。」と通告されたことだったらしい。
 ボリビアでの軍事的敗北の影には、先に述べたようにアメリカの力があった。
 当時も、そして今も、大国は小国に対して大きな影響力を持ち、おのれの利益を守るためならどんな理不尽なこともやる。
 こうした世界の構造を変えるためには、「世界同時多発テロ」ではなく、「世界同時革命」が起こらなければならない。が、それは残念ながら今のところは空想の域を出ない。



 日本においても、また世界においても、労働者や農民と言った、被支配者による横の連帯は難しい。
 利害の対立が仕組まれているし、何より庶民は上からの圧力に弱い。
 今でも日本の農村などに行くと、例えば不要と思われるダム建設や、危険を伴うウラン再処理施設建設等でも「国が決めたことだから。」と、特段異議を唱えない風習が根強く残っている。
 国は国民のために働き、国民の幸福のために政策を行う、それを国民がチェックする、という当たり前の構造が理解されず、国(お上)から降りてくるものに庶民(国民)が従うという図式が、今でも生きているのだ。
 これは、独裁政権が続いているような国ほど顕著に見られる光景である。
 勿論、日本も広い意味では「自民党独裁」が続いている、まるで第三世界のような政治状況であることは、議論の余地はない。



 インテリ出身のゲバラは、勿論そのことを理解していたはずだ。
 だから、行く先々で医療行為を行い、民衆の支持を得ようとした。
 そして何よりもゲバラの偉大なところは、「革命に終わりはない」と知っていたことだろう。
 ソ連による圧力で首脳陣を退かざるを得なかったからといって、キューバにとどまって静かに暮らしていくこともできたはずだ。
 しかし、彼は他の虐げられた人々の救済に向かったのである。
 自分に得なことなど何もない、自ら進んで過酷な道を選んだのだ。
 そこには、『チェ 28歳の革命』で言われていた「愛」があっただろうし、「人間を信じている」という彼の信念があったのだろう。
 それが情熱となって、かれに安息の地を与えなかった。
 自分の利害と直接関係のない人間達のために戦った男。
 自らの信条と理想にどこまでも忠実に生きた男。
 それが、チェ・ゲバラだったのである。
 彼の功績は死後全世界で認められ、熱狂的な人気を誇ったこともあったという。
 今でも中南米ではカリスマ的存在だそうだ。
 彼のやったことは、誰もができることではない。しかし、彼はやった。
 だからこそ、後世に名を残し、多くの人々に影響を与えたのである。



 革命成功までの輝かしい軌跡を描いた前編と違い、後編は見ていて胸が苦しくなるような、切ない映画だった。
 しかし、人類史の中で、彼のような人間が存在したことは、今後も永遠に語り継がれよう。
 そして僕も、彼の思想・信条に共鳴する1人となった。



 僕は夢想する。
 関東山脈の山の中、奥多摩の奥深くの森の中、生駒山中、その他日本中のあらゆる山の中、そして山村に、何十人、何百人ものゲリラが潜むようになる日のことを。
 彼等はお互いに連絡を取り合い、各地の自衛隊の基地を奇襲攻撃する。
 また、山中で自衛隊との交戦を繰り返す。
 時には駐屯するアメリカ軍との交戦もあるかも知れない。
 東京・大阪・名古屋・福岡・札幌といった大都市では、労働者達が立ち上がり、デモをかけ、ゼネストを行う。
 そしてある日、ついに各地から合流した革命軍は首相官邸と国会議事堂を制圧し、首相はヘリで国外へ逃亡、経団連会長は拘束される。
 司令官であるリーダーが、民衆の喝采の中で、高らかに国民中心の「新政府」の樹立を宣言する…。



 おそらく、こんな光景は見られまい。
 特に若い世代には、どこのおとぎ話だろう、と思われているだろう。
 「エンピツ」サイトにおけるこの文章のアクセス数の極端な少なさが、彼等の無関心を物語っている。
 それが自らの首を絞める、危険な無関心だとも知らずに。
 しかし、「希望」を捨てなければ、まったく可能性がゼロとも言えないだろう。
 もし僕が目の黒いうちにこうした闘争が起こったならば、前戦では戦えなくても、何らかの援助を行ってサポートするだろう。
 それは金銭的なものかも知れないし、文筆によってかも知れない。
 その行為によって、公安に拘束されようとも、獄中で拷問を受けようとも、僕は決して後悔しないだろう。そして、自分の信念を曲げないだろう。
 かつて地球上に、人々のよりよい暮らしの実現を目指して戦い、ついに帰らなかった1人の男の存在を思い出せば、きっとどんな困難でも乗り越えられる。



 今年はキューバ革命から50年である。
 あれから半世紀を経て、時代はまた『蟹工船』に戻った。
 ならば、前にも書いたように、次はチェ・ゲバラの登場である。
 そして僕は、もう一度言う。
「希望は、革命。」だと。


2009年02月20日(金) 希望は、革命〜『チェ 28歳の革命』〜

 さて、『チェ 28歳の革命』に関しての話である。
 チェ・ゲバラことエルネスト・ゲバラは、もともとはアルゼンチンの裕福な医者の息子として生まれた。
 喘息持ちで、自らも医者を目指して医大へ進むも、在学中に南アメリカを友人とバイクで旅をし、そこで見た独裁政権下の人々の貧困に憤激したのがきっかけで、医者になった後も「革命」と「人民の解放」を志し、メキシコに渡ったところで、後のキューが革命の盟友となるフィデル・カストロと出会う。
 映画はここから始まる。



 映画は、ゲバラとその行動を決して美化してはいない。同時に、「共産主義」イデオロギーの宣伝映画でもない。少なくとも、僕はそう感じた。
 一人の革命家の辿った道を、そのまま映像化したという感じだ。
 随所に、革命後に行われたという設定の、アメリカ人によると思われるインタビューや、国連での演説のためにジュネーブを訪れた時の映像、そして国連での演説のシーンが挿入される。
 この「革命後」の映像はすべてモノクロで、再現部分がカラーだ。
 まるで、「革命後」が記録であり、革命前の時代がリアルであるかのように感じさせられる。
 革命軍に合流し、キューバに密入国した初期の頃は、彼は医者であり、喘息持ちということもあって、前線ではなく、傷病兵の手当てや運搬の仕事に回された。
「この体験が、私を革命戦士にした。」
 インタビューに答えてゲバラはそう語っている。
 ジャングルの中を、いつ敵に襲われるか分からない状況の中、傷付いた兵士を延々と運んでいかなければならないのである。
 僕は初めて知ったが、普通軍隊が、特に敵地に侵攻している場合は、動けなくなった傷病兵は見捨てられる。理由は簡単。足手まといだからだ。
 しかし、革命軍は兵士を見捨てない。2人がかりで布と木で作った簡易の担架で運んでいくのだ。
 これは相当しんどい作業であろう。
 また、医薬品も十分にあるとはいえない中で、傷病兵の手当てをするのも想像を絶する苦労があったものと思われる。
 ましてや、自分自身が喘息持ちとなればなおさらだ。



 この困難を克服し、また冷静な判断力や人心を掌握する力を買われて、ついにはカストロに次ぐナンバーツーの地位を与えられる。
 そして、対立する各勢力をまとめる政治力を発揮し、また兵士を率いて前線に立って勝利を重ね、民衆の支持も得て、ついにカストロらと首都に進軍。
 ここにバティスタ政権は崩壊した。
 これがキューバ革命であり、ゲバラはその立役者の一人であった。
 映画はここまでである。
 だが、ゲバラの情熱はここで終わらなかった。この続きは『チェ 39歳別れの手紙』で描かれる。



 僕はこの映画で、三つのことが印象に残った。
 一つは、ゲバラが革命に対して語った言葉である。革命後のインタビューで語られたという設定である。たぶん完全な映画用の創作ではないだろう。
 一言一句史実どおりなのか、それは確認できないが、ともかく彼はこう言っている。
 質問は、「革命に大切なことは何か。」といった内容だったと思う。

「『愛』だ。まず、真実への愛、正義への愛、そして、人間への愛。」

 そうか、と僕は思った。
 確かに、「愛」は見返りを求めない、純粋で崇高な感情である。
 何のためにジャングルを幾日もさまよい、敵の弾丸に傷付き、革命を成し遂げようとするのか。
 「権力」や「名声」を得るため、また「共産主義社会の実現」「国を守るため」といった抽象的な理由では、その過酷な道のりを、人は到底歩むことはできない。
 ただ「愛」だけが、それを可能にする。
 そして、映画の中で何度も出てくるフレーズ、「祖国か、死か。」
 これも、祖国に暮らす民、そして祖国の豊かな自然への「愛」から出てくる言葉である。
 祖国を救うことができなければ、死を選ぶしかない。
 「愛」とは、突き詰めればこのall or nothing の世界なのである。
 間違えてはいけないのは、「祖国のために死ぬのが尊い」とはゲバラは一言も言っていないことである。そのあたりが石原慎太郎や小林よりのりあたりと違うところで、よく押さえておかなければならない点だ。



 二つ目は、やはり革命は大事業だということである。
 綿密に計画を練り、兵士を訓練し、様々な組織を結集し、信念を貫き通す。
 実に強靱な体力と精神力がなければ、とても成し遂げられるものではない。
 僕は、現代の労働者達が「蟹工船」の状態まで戻ってしまったとしたならば、次の段階は「革命」しかないだろう、と思っていた。いや、その思いは今でも変わらない。
 しかし、実際その遂行に当たっては、並の人間では乗り越えられないような状況に常に直面する。
 小さな幸せを捨て、エゴを捨て、とにかく「事業」の達成のために全身全霊を賭けることを惜しまない。そんな人間が一定数以上集まらないと、革命は成功しない。
 そして、そんな人間達を引きつけ、的確に動かし、精神的な支柱になるカリスマ的な指導者も必要だ。
 カストロやゲバラは、そうしたカリスマの代表である。
 そういうことを考え合わせると、はやり革命は一朝一夕にはならない。
 長く苦しい戦いを戦い抜き、多くの犠牲を払ってこそ、革命は成立する。
 勿論、戦死だけではなく、一般の人々の支持は不可欠だ。
 例えば、今イスラエルのガザ地区を実効支配するハマスは、元々は武装集団だが、医療や教育等、普通の人々の福利厚生も行っている。
 ゲバラも、転戦先の集落で、村人の診察や治療を行っていた。
「本物の医者を見たことがない。」
と治療を受けた少年が言うシーンがある。
 こういう地道な活動があって初めて、闘争は民衆の支持を得られ、それが革命につながるのである。
 映画の中でも、ゲバラに治療を受けた16歳と14歳の兄弟が、一緒に戦いたい、と志願してくる。最初は追い返そうとしたゲバラだったが、兄弟の情熱に負け、隊に加えることにする。
 そして、ゲバラのナレーションが続く。
「闘争にとって重要なのは、1人の無名の戦士の活躍である。それが全体の士気を高める役割を果たす。」
 そういう戦士を1人でも多く獲得できなければ、革命は成功しない。
 そして、それを束ねるカリスマ的なリーダー。
 とにもかくにも、忍耐力と強い意思、冷静な情勢判断と果敢な行動が必要とされる。
 本当に難しく、壮大な事業なのだ。



 そして、最後。これは意見の分かれるところだと思うが、革命には武装闘争が不可欠だということだ。
 こう書くと、「過激派を擁護するのか」とか「テロを容認するのか」とか反論されそうだが、それはちょっと違う。
 ゲバラも最初は武装闘争には懐疑的だった。
 しかし、実際に運動に身を置くことで、武装闘争積極派に傾いていった。
 それは、故なきことではない。
 そもそも「暴力」は、「権力」によってのみ正当性を与えられる。平たくいえば、権力者だけが暴力を合法的に振るえるということだ。
 警官が抵抗する被疑者を警棒で殴ったり、時には蹴ったり、ピストルで撃ったりするのは「暴力」だが、これは警察官の職務の範囲内とされる。しかし、逆に被疑者が警察官を殴れば、「公務執行妨害」で逮捕される。両者の違いは、その「暴力」が「権力」によって担保されているか否かである。
 これは別に僕独自の考え方ではなく、社会学などでは常識である。
 そして、「革命」とは、「権力」の転覆であり、交代である。
 であるならば、「革命」を成し遂げようとする側は、合法的に使用される「暴力」に対抗するだけの手段=「力」を持たねばならない。
 「権力」は、自分達に刃向かうものには容赦なく「暴力」を使うことが出来る。だから、それを跳ね返す「力」が必要だ。
 かつての学生運動のように、ゲバ棒を振り回したり火炎瓶を投げたりするくらいでは、ほんのお遊び程度だ。やっていた人には悪いが、あれは「革命ごっこ」であって、本物の「革命」ではない。
 はっきり言えば、組織され、訓練された軍事力が必要なのである。
 くどいようだが、その理由は、「権力」が同じく組織された軍事力を持っているからだ。
 ゲバラ達の戦いはゲリラ戦だ。
 少人数で、効率よく敵(国軍)の拠点を叩く。不意を突いて襲いかかる。そうでなければ物量に勝る正規軍には勝てない。
 ベトナム戦争も、アフガニスタン戦争も、基本的にはゲリラ対正規軍の戦いだった。そして、いずれも正規軍が撤退を強いられている。
 「権力」が「暴力」を失ったとき、または有効に使えなくなったとき、革命は成功する。
 勿論、血は流れるだろう。命を落とす者もいるだろう。
 しかし、それなくして革命はなしえない。何故なら、今述べてきたとおり、最終局面では、「力」対「力」の戦いになるからである。
 誰も傷付かない革命など存在しない。何しろ、社会全体が変わるのである。必ず犠牲者は出る。それを恐れていては、いつまでたっても何も変わりはしない。
 ただし、そこには重要な条件があって、先に述べたように、その武装闘争に一般民衆の支持があること、そして、「愛」があることである。
 日本赤軍の間違いは、おそらくそこにあったのだ。彼等は、畢竟頭でっかちの「理論」と自分達の組織のことしか考えていなかったのだ。



 勿論、僕はデモや非暴力による抵抗運動を否定しない。しかし、本当の革命は、おそらくそういうものと武装闘争がセットになったときに成功するのだと思う。
 希には、東ドイツが崩壊したときのように、国民が西側に「逃散」することで、「暴力」によって押さえ込む相手自体がいなくなってしまうという場合もあろう。
 しかし、あの東欧革命の時でも、いくつかの国では軍事衝突が起きていた。
 日本人は、幸か不幸か武装闘争によって権力を奪取するという歴史を持っていない。
 日本史の中で大きな転換点は、明治維新と第2次大戦後の2回だと思うが、前者は一般庶民には直接関係なく、徳川対薩長土肥・朝廷という権力闘争であった。庶民は「ええじゃないか」と騒いでいただけである。後者の場合、改革はGHQという「外側からの権力」によって進められた。勿論、その改革の芽は日本のあちこちにあったのだけれど、政策の執行者、すなわち「権力者」はGHQであり、それが証拠に日本国民が起こそうとした2.1ゼネストはGHQによって中止に追い込まれている。
 どちらの場合も、結果世の中はそれなりに変わったけれど、それを成し遂げたのは「国民」ではなかった。
 それは、遡れば秀吉による「刀狩り」で庶民が武装解除されてしまったことに端を発するだろう。



 平和な世の中にいちゃもんをつけるわけではないのだが、今、明らかに間違った方向に国が進んでいて、国民が虐げられている状態なのだから、それを糺すためには革命が必要なのだ。
 フリーライターの赤木智弘氏が「希望は、戦争」といっているが、僕は評論家の大澤信亮氏が言うように、「論理的に考えれば、希望は革命しかない」と思う。我々日本人が一度も経験したことのない革命とは何で、どのようにして成し遂げられるのか。
 その一つのケースを描いたのがこの『チェ 28歳の革命』である。
 革命が起こる現場を見たことのない日本人、そして今、経済危機の中で弱者の側に貶められ、社会から切り捨てられていく日本人に、是非見てほしい映画である。



 繰り返すが、総選挙で民主党が勝利し、首相が小澤になることが革命ではない。
 また、アメリカの大統領がオバマになったのも革命ではない。
 それ程、革命とは困難で、遠い存在のように見える。
 でも、かつてそれをやった人間達がいた。
 だから僕は、もう一度言おう。
「希望は、革命」である、と。


2009年02月19日(木) 人が人を裁く〜江東バラバラ殺人事件〜

「チェ 28歳の革命」について書く前に、もう一つだけ書いておきたいことがある。



 昨日(18日)に判決が言い渡された「江東バラバラ殺人事件」についてである。
 この事件に関しては、二つのことを論じたいと思う。
 一つは量刑に関して、もう一つは「裁判員制度」に絡んでのことである。



 この事件は、被告である星島貴徳という男が、一つ置いて隣に住んでいた東城瑠理香さんという女性を拉致・監禁した上に、警察の捜査が及ぶと見るや、東城さんを殺してその死体をバラバラにし、一部はトイレに流すなどして遺棄したというものであった。
 検察は、その事件の残忍性から死刑を求刑した。
 この裁判の争点は、「被害者が一人の場合でも、被告に死刑を適用できるか」だった。
 世間の関心もそこに集まっていたし、被害者の遺族も出廷して、死刑を望む旨の証言をした。
 その上、星島被告自身、死刑を望む旨証言していた。
 しかし、言い渡された判決は「無期懲役」だった。
 その理由は、報道されているように、裁判所は「殺害された被害者が1人の場合、死刑を選択するには他の量刑要素に相当強度の悪質性が必要」と指摘した。そのうえで(1)殺害方法は執ようと言えない(2)実際にわいせつ行為はしていない(3)殺人や死体損壊・遺棄に計画性がない、等を理由に「死刑は重過ぎる」と判断したのであった。



 遺族の悲しみや怒りはよく分かる。
 被害者がどんなに恐ろしい思いと絶望感に打ちひしがれ、最後のときを迎えたか。
 そして、死体を損壊し、トイレに流したりゴミ捨て場に捨てたりしたのは、被害者の人間としての尊厳を踏みにじるものだ。
 当然、許されるべきことではないし、重い刑を科せられるべきである。
 がしかし、僕は今回の裁判所の判断は妥当だと思っている。
 裁判は本来、「罪刑法定主義」といって、法が定めた量刑を科するのが原則だ。勿論、法の解釈や実際の計の重さは、過去の判例を基にして判断される。
「自分の娘が殺されたんだから、加害者が生きているのは許せない」というのは感情論としてはよく理解・共感できるが、裁判(判決)に感情をさしはさむのは間違っていると僕は思う。
 今回、被害者の悲痛な告白を聞いたにもかかわらず、裁判所がこの方針を貫いたことは、いろいろな意見はあろうが、正しい判断だったと思う。
 実際、今回の裁判の判決は、1週間ほど遅れた。裁判所が熟慮を重ねた結果の判決であることの現れであり、重く受け止めなくてはならない。



 なお、僕の立場をはっきりさせておくと、僕は死刑廃止論者である。
 死刑が重大犯罪の抑止になっているとは思われないからである。統計的にも裏付けられる話だろう。
 その代わり、今の「無期懲役」ではなく、「終身刑」の新設を提案したい。
 死刑は、変な話、被告の苦しみは一瞬で終わる。が、終身刑はそうはいかない。一生刑務所から出られないと分かったとき、おそらくどんな人間でも徐々に壊れていく。
 それは、ある意味死刑よりも残酷だ。
 これが重大犯罪の抑止になるかどうかは分からないが、少なくとも命は助かっても希望のない日々を被告に送らせる事は、被害者の復讐心を満足させることにもなるだろうし、その過程で被告が徐々に改心して、贖罪の日々を送るならそれはそれでなおよい。
 そんなこともあって、最近の極刑主義には違和感を抱いている。




 さて、もうひとつの問題、「裁判員制度」に関してである。これは、上に書いたこととも関係する。
 今回の裁判は、裁判員制度をにらんだ、新しい形式で進められたようだ。
 被害者に法廷で直接発言させたのもそうだし、被告の行為の残虐性を示すために、切り刻まれた被害者の肉片の写真や、被告自身が描いたという犯行の様子の絵を法廷のモニターに映したりした。
 これは、「分かりやすい法廷」を目指す取り組みの模索の中で出てきた手法だが、いずれも裁判員の「情緒」に訴える手法である。
 裁判韻が法律のプロではなく、一般の人間であることを考慮すれば、検察側は法律の条文を駆使した「利攻め」と証拠固めで犯罪を立証するという「正攻法」よりも、こうした「情緒」に訴えるやり方の方が自分達にプラスになると思っているのだろう。
 米国の陪審員制度と違って、「量刑」まで短期間で決めなければならない裁判員制度の、これは大きな落とし穴であると思う。
 これまでの日本の犯罪史の中で、「冤罪」は数多くある。捜査段階での被告の証言が信用できるのか、検察が提出した証拠は適切なものか(または、本物か)といった、高度な判断は、とても素人にできるものではない。
 逆に、被告側の言い分に関する真偽の見分け方についてもまた然り、である。



 法律に関する知識がない以上、裁判員の多くは自分が持っていると信じている「常識」と「情緒」に頼るしかない。
 結果、感情的な判決が増えるのではないか、と僕は危惧する。
 日本の法廷が、「罪刑情定主義」に陥る危険性が高いのだ。
 誰しも、「泣き落とし」や怒りを誘うような事象・言葉には弱い。
 今回の判決も、もし裁判員制度の下で裁判が行われていたなら、99パーセントの確立で「死刑」が言い渡されていた可能性がある。
 今回東京地裁が下したような、冷静で理性的な判決が出せなくなるかも知れないのだ。
 それは、法治国家としては危ない。
 感情が優位になるなら、逆のこと、すなわち、「あいつは俺に酷い仕打ちをした。そいつを殺して何が悪い」という言い分が通ってしまうことになる。
 極端な意見に思えるかもしれないが、そういうことなのだ。
 法廷は復讐の場ではないのである。



 裁判所は、確かに常に正しいとは限らない。
 上級審にいけばいくほど、保守的かつ保身を第一に考える裁判官が増え、国や大企業に有利な判決が下されることも多い。
 しかし、だからといって、いきなり素人を裁く側に入れるというのは、リスクが大きすぎる。
 特に今回のように、被告の命を奪う死刑を言い渡すのか、更正に賭けて無期を言い渡すのかといった、重大な局面においてはなおさらだ。
 司法制度にはいろいろな問題点があるだろうが、裁判員制度がそれを解決する手段の一つとは到底思えない。
 僕は被害者に同情するし、感情も理解できるが、その上で、裁判員制度には反対する。
 そして、この事件の東京地裁判決を支持するのである。



 また、仮に上級審までいった場合、世論の「極刑」支持に押されて、東京高裁の裁判官が「罪刑法定主義」の道を外れないように願うのみである。



 人が人を裁くというのは、重く、困難なことである。
 今回の判決で、改めて考えさせられた。


2009年02月18日(水) 酩酊する日本政治

 「チェ 28歳の革命」について書こうと思っていたところに、とんでもないニュースが飛び込んできた。



 これ以上の醜態はない。
 各メディアやネットで広く取り上げられているように、先週末に行われたG7・首相先進国財務相・中央銀行総裁会議の後の記者会見で、中川昭一財務・金融担当大臣(当時)が、ろれつの回らない状態で会見に臨み、記者との遣り取りもちぐはぐという前代未聞の醜態を演じた。
 また、日銀の白川総裁が記者の質問に答える間、その横で目をつぶって下を向いていたり、白川総裁への質問を自分へのものと勘違いしたり、明らかに異常な状況だった。
 当の中川氏は当初、「風邪薬を大量に飲みすぎ、朦朧としていた。」と言っていたが、その遣り取りをテレビで見る限りでは、どう見ても「出来上がったおじさん」が喋っているようにしか見えなかった。
 当の中川氏も、後になって、直前にアルコールを「たしなんだ」「口をつけた」ことを認めている。
 それどころか、あるメディアの報道によれば、この記者会見の前に行われた日露蔵相会議で、「麻生首相」と言うべきところを「麻生大臣」と言い間違えるなど、既におかしな言動が見られたと言う。



 今、世界はアメリカ発の金融危機の影響が実体経済に及び、未曾有の世界同時不況下にある。
 これは、1929年の「世界大恐慌」以来だ、という見方さえある。
 ドルの信用が失われ、各国の持つ米国債の価値が下がり、そのことで各国の財政が痛む。
 また、新興国を含めた世界同時不況の中、特に輸出に依存する日本のような国を直撃する、アメリカ・ロシア・フランス等で台頭しつつある保護主義の流れ。これはまさに、あの「世界大恐慌」の後の状況に酷似している。
 こういった国の内外の経済的な諸課題に対して、どんな政策が打ち出せるのか。
 今回のG7には、こういった緊急かつ難しい問題を論議し、解決に向けての方向性を打ち出すべき重要な役割が課せられていた。
 大袈裟ではなく、世界中の人々一人一人の命と生活が、あの会議の出席者の肩に重くのしかかっていたのである。
 そんな中での、中川元大臣のあの醜態である。
 僕は目を疑ってしまった。
 当然、映像は世界中に配信され、批判・揶揄のコメントが付けられた。
 重要な国際舞台で、日本は大変な恥を曝してしまったのである。



 しかし、問題は「世界に恥を曝した」ことだけにあるのではない。
 それよりも何よりも、この経済状態の中、国内でも多くの人々が職を失い、住む場所を失い、中小・零細企業は仕事がなくなって倒産し、自殺者・ホームレスも増えている。
 先日発表された2008年10月〜12月期の日本のGDPは、麻生首相が国会で「日本はたいしたことはない」と発言したのとは裏腹に、年率換算で-12.7パーセントと、先進国中最悪であった。
 こんな時こそ、政治の舵取りが重要である。
 景気回復のために、限られたリソースをどう分配していくのか、どんな施策を打っていくのか。繰り返しになるが、それはこの国や、貿易相手国等世界の国々の人々一人一人の生き死にに関わる。
 そして、それを司る省庁が、他でもない財務省である。
 中川氏は財務省と金融問題の両方を担当する大臣だった。すなわち、現在の政府の中で最も重要で、国家・国民の命運を握るポストに就いていた。
 それにもかかわらず中川氏は、先の衆議院本会議における09年度予算案の答弁においても、漢字の読み間違いも含めて26箇所の読み違いをしている。
「どうせ3分の2を持っているんだから、最終的には予算は通るんだ。」
 そんな気持ちが中川氏になかっただろうか。
 でなければ、あんなふらふらな答弁ができるわけもない。
 危機意識も緊張感もゼロである。



 その挙句が、G7でのあの醜態である。
 普段から酒癖は悪く、問題になっていたというが、あんな重要な国際会議に、どういうつもりで出席していたのだろうか。
 いやしくも先進国に名を連ねるわが国の、財政の責任者である。
 国益のみならず、世界全体の経済状況を的確に分析し、中・長期的な施策と、喫緊の課題に対する施策の両方を積極的に提案し、各国の利害の調整を図るくらいの仕事は、やってしかるべきだ。
 風邪薬など飲んでいる場合ではないのである。
 そして、これらのことが大騒動になったと知るや、今度は「辞任しない」→「予算が成立したら辞任する」→「即日辞任」と発言が二転三転した。
 本来ならば、あの記者会見を見た段階で、麻生首相は即刻中川氏の罷免を発表すべきだった。それ程の失態だったというのは、誰の目にも明らかだった。
 それなのに、帰国した中川氏に麻生首相が言ったのは、「体調管理に気を付けて、仕事を続けるように。」ということだった。
 これは「盟友をかばった」ということらしいが、そんなところに私情を挟んでいる暇はない。また、内閣傷が付くこと、野党に攻撃材料を与えることを避けたかったことがその理由だったのだとしたら、完全な判断ミスだ。
 果たせるかな、野党の抵抗と世論の力で中川氏は翌日辞任に追い込まれた。
 その時、任命責任を問われた麻生首相は、「優秀な方で、仕事はきちんとやっていたと、私は今でもそう思っています。」
と答えた。
 呆れてものも言えない。
 あれで「ちきんと仕事をしている」のであれば、新橋のガード下のサラリーマンはみんな「仕事中」だ。
 何より、以前から酒癖の悪さで有名で、様々な逸話に事欠かない中川氏を、「お友達」だというだけで重要ポストに就けた麻生首相の任命責任は、どう言い逃れをしようと消えることはない。



 今回の一件は、日本の経済、そして政治の迷走状態、酩酊状態を象徴的に表しているのではないか。
 何の知恵も出ない、何の対策も打てない、国民が見えず、対応はちぐはぐ。この国をどこに導こうとしているのか、考えるには頭がはっきりせず、朦朧としているのだ。
 もはや疑念の余地はない。
 麻生内閣はもはや統治能力はない。そして、そんな内閣に国を任せる程、さすがに国民はそこまでお人好しではないし、そんな余裕もない。
 「景気対策が最優先」というが、朦朧とした頭で作られた景気対策では、国民は救われない。
 麻生内閣は即刻総辞職すべきだ。
 そして、野党第一党に政権を渡し、すぐにも民意を問うための総選挙を実施しななければならない。
 何度も言うが、国民は追い詰められている。
 もう命脈が尽きた内閣が崩壊していくのに付き合っている暇はないのだ。



 僕が今回のことでもう一つ不思議に思ったことがある。
 それは、中川氏の会見が行われ、その映像が配信された段階で、民法各局は中川氏の言動の異常さを伝えていた。
 ところが、NHKだけはその日は中川氏の発言は伝えたものの、その発言が記者の質問とちぐはぐな受け答えの部分だということは敢えて触れなかった。
 つまり、口調はおかしいが、普通に質問に答えているようにしか、視聴者には見えないように編集していたのだ。
(それでも、普通に見ていれば、大抵の人は中川氏の異常には気付いただろうが。)
 そして次の日、世界のメディアまでが取り上げるに及んで、漸くNHKはニュースでこのことを取り上げたのだった。しかし、そこに批判的なトーンはなく、ただ中川氏の釈明をそのまま伝えるだけだった。
 一体NHKは何を恐れたのだろうか。
 そして、NHKという、視聴者からの視聴料で成り立っている巨大な「公共放送」という組織は、一体誰の方を向いて報道しているのだろうか。
 以前、太平洋戦争の従軍慰安婦問題を扱った番組が、自民党の実力者(このときも中川氏が関与していた)の「事前検閲」」によって内容を歪曲させられたことが問題になった。
 あの体質はまだ改善されていないのだろうか。
 NHKにジャーナリズムはあるのか。はなはだ疑問が残る一幕だった。


2009年02月15日(日) 僕達は蟹工船に乗っている

 昨年は「蟹工船」のブームだった。僕は恥ずかしながら読んだことがなかった。
 読む前から、「プロレタリア文学は、あるイデオロギーを分かりやすく宣伝するための『道具』だ」と決めてかかっていたのである。
 つまり、読む前から読んだ気になっていたのだ。



 大体僕は高度成長期に生まれ、その後円高不況やバブルの時期に大学生となり、社会人になってからも、決して給料は高いとは言えないけれど、食えないということはなく、割と安易に過ごしていた。
 だから、「プロレタリア」というくくりにあまり現実味を感じていなかったのである。
 大学生の頃に、元活動家だった高校のOBの先輩から、いろんな話を聞いた。
 例えばその先輩が塾の講師となり、その給料で車を買ったところ、元の仲間から「ブル転」した、と批判されたと言っていた。
 因みに、「ブル転」とは、ブルジョワ、つまり金持ちに転向(転落?)したという意味である。
 殆ど別世界の話だった。



 つまり、その頃までは我々の社会は、何らかの問題はあっても、「経済一流、政治三流」と言われるようなぬるま湯的な状況にあった。
 そのことが、実は我々の殆どが「ブルジョワ」などではなく、「プロレタリアート」すなわち「無産階級」、持たざる存在だということを忘れさせていた。
 為政者や財界の計略にまんまとはまっていたわけである。
 中曽根首相(当時)のもとで、本当のブルジョワのための政党である自民党が衆議院選挙において300議席を越える大勝利をおさめたのは、その証左と言えよう。



 しかし、この流れが変わるのが、アメリカにブッシュ政権が誕生し、ネオリベ(新自由主義)的思想が「グローバリズム」の名において世界を席巻し、日本においては、アメリカに洗脳された小泉政権が誕生し、日本経団連が「新時代の日本的経営」を打ち出した2000年代後半からである。
 日本はその前に「失われた10年」というのを経験している。銀行の不良債権の処理が思うようにいかず、中小企業への貸し渋り、貸しはがしが横行したのである。
 僕の勤めている会社も、もろにこの影響を受け、賃金もボーナスも低迷した。
 が、僕の場合は正社員であり、勤めている会社が年功序列の賃金体系を見直さず、賃金査定の制度もなかったため、まだダメージが少なくてすんだ。



 しかし、この時期以降、学校を卒業して社会に出てきた世代にとっては、地獄のような状態だった。
 先に挙げた経団連の施策に従って、若者達は篩にかけられ、派遣や期間契約、請負といった不安定で低賃金での労働を強いられた。「
 その当時は、こういった状態を「働き方を自由に選択できる」とまるで労働者のための制度のように喧伝されたものである。
 だがその実態は、今回の不況で分かったように、景気が悪くなれば真っ先に人件費削減のためのターゲットにされる、まさに企業にとって都合のよい雇用の「安全弁」の役割を果たしていたのであった。
 「ワーキング・プア」という言葉がメディアに登場し始めたのは、それからだいぶ後の話である。が、実態はメディアが取り上げる随分前から、そういう状況が既に進行していたのだ。


 問題は、今になって「派遣切り」などに遭っている人達が、あたかも「自己責任」でその働き方を選んだのだから、切られていくのも自己責任、つまりその人の努力が足りなかったからだ、といった論調が、特に上の世代や、当の財界などから聞こえてくることだ。
 そして、今後さらに景気が減速すれば、正社員の雇用にも手を付けると企業は言っている。
 事ここに至って、漸く我々はみな「プロレタリアート」だったのだと気付かされたのだ。
 作家の雨宮処凛がヨーロッパで同じような状況に置かれている人々を指す「プレカリアート」という言葉に出会って、「これだ!」と思ったというが、意味としてはそう大きな違いはないだろう。
 要は、国民の大多数は搾取される側で、一部の富裕層が富の大部分を専有しているという状態である。



 「蟹工船」を実際に読んでみると、そこで働かされている漁夫や雑夫が、いかに過酷な条件の下に置かれていたかが分かる。ろくな食事も与えられず、朝から晩まで働かされ続け、寝泊まりする場所は不潔で狭い(「糞壺」と表現されている)。病気になった者は放っておかれて死んでしまう。その亡骸は、使い古しの麻袋に詰められ、海へ捨てられてしまうのである。
 もしこの状況と、期間工や主に製造業の派遣労働者の労働実態が重なる部分があるとすれば、これは相当酷いことになっていると言わざるを得ない。
 この本が共感を呼んだということは、しかし、それが真実なのだろう。
 「蟹工船」の労働者達は、初めのうちは仕事に追われて、また「仕方がない」という精神状態の中でバラバラになっているが、あまりに酷い仕打ちと、自分達をこき使う浅川という監督に代表される搾取する側と自分達との待遇の違いに気付いたこともあり、徐々に団結して仕事をサボタージュするようになり、ついには要求書を提出するに至る。



 ただ、残念なことに、今の日本ではこの「団結」が成り立っていない。
 一部に「プレカリアート」のデモなどの動きもあるが、全体としては低調である。
 赤木智宏というフリーライターは、「論座」2007年1月号に、一部で有名になっている『「丸山真男」をひっぱたきたい  31歳フリーター。希望は、戦争。』という文章を書いており、彼はあちこちで「敵は正社員だ」と言っている。
 要は、「内ゲバ」状態になっているのである。
 敵を身近に設定し、それへのルサンチマンを語ることで満足してしまっている。
 一方の正社員はと言えば、組合は「非正規雇用労働者の待遇改善を」と言いながら、運動の重点になっているにもかかわらず、実際の交渉の最終盤になれば、正社員の賃上げや雇用を優先する。
 ある製造業の派遣社員が、あまりに過酷な労働のために、製品を持ったまま居眠りをしたら、それを見た正社員が、「気をつけてよね、高いんだから。」と言ったというエピソードがある。
 これは、「蟹工船」で浅川が川崎船という、実際に蟹漁に出る船が行方不明になったときに、「労働者の一匹や二匹はどうなってもいいが、船が勿体ない」と言って捜索に出るのと同じである。
 現場では、人間が人間として扱われていないのだ。
 あるテレビのインタビューに答えた製造業の派遣労働者は、「自分達が所属しているのは、人事部じゃなくて工具部なんです。」と言っていた。
 人間でない以上、すり切れるまで使って、いらなくなったら捨てられるのは当たり前なのである。
 それが経営者達の論理だ。



 この搾取の構造を、僕達はよく理解しなくてはならない。
 そして、今まで現実味の乏しかった「蟹工船」が、こうしてまた脚光を浴びるような世の中で生きているのだという認識を持つことが大切である。
 そして、労働者同士の連帯は不可能なのか、甘い汁を吸っているのは誰か、この構造を作り替えるにはどうすればよいのか、本当に「希望は、戦争。」なのか、一人一人が考えるべき時にきている。
 もう一度強調しておくが、僕達は間違いなく「プロレタリアート」=持たざる人間なのだ。
 そして富裕層の連中は、持たざる僕達から、さらに搾り取ろうとしている。


 「蟹工船」は極限状態の世界だ。
 これをいつまでも続けてよいのか。
 こんな船のために、僕達は働いているわけではない筈だ。


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