思考過多の記録
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2008年06月29日(日) 才能がない

 綿矢りさの「蹴りたい背中」を読んだ。
 言わずと知れた、史上最年少の芥川賞受賞作である。



 クラスでも部活でも孤立している長谷川という女主人公と、同じく孤立しながらあるモデルの熱狂的なファンであるにな川という男子生徒の、奇妙な交流が描かれる。
 長谷川がそのモデルに偶然会ったことを知ったにな川が、自分の家に長谷川を連れて行って、その詳細を聞き出そうとしたりするシーンがある。
 普通ならここをもどかしいラブシーンに持っていきそうなものだが、にな川はモデルのラジオ番組に夢中になり、長谷川はその背中を見て、突然「蹴りたい」という衝動を覚えてそれを実行する。
 孤立を気にして、五感を鋭くしながらそれを再認識し続ける長谷川と、孤立には全く無頓着でひたすらモデルを追い続けるにな川。好対照な両者の関わりが面白い。



 2人の関係を一般的な恋人同士とせず、何とも言葉に言い表しようもないズレと共振する関係として描く。
 中編小説だが、なるほど、ひと味もふた味も違うと思った。
 同時に、これを当時19歳の少女が書いたのかと思うと、やはり「才能」というものはあるのだな、と思わざるを得ない。



 僕も最近小説のまねごとのようなことをしているが、やはり才能のなさはどうしようもない。
 また、努力でどうなるというものでもない。
「二十代ではないのだから、もう理想ばかりを100パーセント追う時期ではないと、わたしは思います。」
とマイミクの人にも日記のコメントに書かれてしまった。



 ここで終わりなのか?


2008年06月09日(月) 秋葉原の事件をめぐって

 秋葉原で無差別殺傷事件が起こった。
 加害者は25歳の派遣社員だとのことである。
 報道では、その動機は「世の中が嫌になった。生活に疲れて人を殺そうと思った。誰でもよかった。」ということだ。いつもながらに、論理的な飛躍があるが、犯罪はえてしてそうである。



 加害者の男は、主に工場労働に従事していたようである。工場の現場における派遣労働者の扱いが人間以下だということは、最近あちこちで報道されている。仕事中の事故で怪我をしたのに、違法な二重派遣がばれるのを恐れて救急車を呼んでもらえなかった人の話が何処かに載っていた。
 以前読んだ雨宮花凜の『生きさせろ!』という本には、こうした派遣労働者の、まさに『蟹工船』的な実態が赤裸々に書かれていた。
 加害者の男も、派遣先でそうした扱いを受けていたのではないかと推測することは、それ程的外れではないと思う。しかも、報酬は所謂「ワーキングプア」のレベルであったことは、「生活に疲れた」という供述から間違いがない。



 問題は、こうした日々の閉塞感により溜まった鬱憤が、自分をそういう状況に置いている社会制度への怒りや変革へのエネルギーに向かず、無差別殺人という他人への攻撃のベクトルに向いてしまうことである。
 おそらく男は、この社会に絶望していたに違いない。
 どこに対しても晴らせない鬱憤は、不特定多数への攻撃へと反転する。
 最近、こうした人達の労働組合ができたり、「プレカリアート」のデモがあったりするが、大きく社会システムを変える力にはまだなり得ていない。何しろ、この国の社会システムを作っているのは、資本家達や「勝ち組」連中に操られている人々なのだから。



 17人もの人間を巻き添えにした今回の事件は、日本の通り魔至上最悪だという。
 それにしても、ここのところ、こうした通り魔事件が続く。
 社会への鬱憤が、他人への攻撃につながる回路が、着実に定着しつつあるのだ。
 そうした鬱憤を、何とか社会変革の方向に向けて束ねていく運動が必要である。そしてそれが、目に見える成果を生み出すことが、何よりも重要である。
 そうでない限り、今回のような事件は、人を変え、場所を変えて起こり続けるだろう。



 僕達は今、そういう危うい、そして悲しい社会を生きているのだ。


2008年06月03日(火) 人殺しに荷担する人々

 クラスター爆弾の使用を、「人道的な」最新型を除いて全面禁止する(この表現も何か妙だが)条約が、紆余曲折を経て採択された。
 ただし、ここにはアメリカやロシアといった大量に所持している大国は参加していないそうである。それでも、貴重な一歩には違いない。
 使用しにくい空気を作り出せるからである。



 それにしても、いつも思うことは、こういう兵器を研究・開発している人間は、どういう感覚をしているのか、ということである。
 いくら自分が食べていくための仕事とはいえ、自分が考え出した兵器で、世界中で何万、何十万という人間が傷付き、あるいは死んでいく。そう考えたら、平常心を保つことは難しいのではないか。
 不眠症にでもなって、ノイローゼになってしまうかも知れない。
 ことによったら、自分の仕事を呪い、自分がその仕事に従事せざるを得ないことを悲観して、自殺を図るかも知れない。



 しかし、ついぞそんな話は聞いたことがない。
 おそらく兵器の開発人たちは、まるで家電製品でも考案するかのように技術を磨き、企画(!)を考え、提案し、設計図を書いていくのだろう。
 それは、戦場で敵を攻撃する兵士の精神状態にも似ているかも知れない。
 自分を麻痺させなければやっていられない。というか、正気を保てない世界なのではないだろうか。
 勿論、進んでその仕事を志願し、やりがいを感じながら働いている人間も少なからずいるだろう。
 彼らは、「国」だの「愛する人」だのを守るために、敵を出来るだけ効果的に殲滅する方法を考え続ける。



 だが、彼らの想像力は、その「敵」には及ばないのだろうか。
 どんな理由があろうと、自分達は誰かを傷付け、その命を奪う行為の重要な担い手となっているのである。
 勇気を持って、そのことに向き合って欲しい。
 そうすれば、新しい兵器などこの世の中には現れなくなるはずだ。
 それができないのは、人間の愚かさ、弱さの表れに他ならない。


hajime |MAILHomePage

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