思考過多の記録
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高校時代、同じ学年で部活の部長だった女性に、何年かぶりで会った。彼女はある劇団に所属する女優で二児の母、なおかつバツイチである。彼女と会った理由は、僕が会社の「九条の会」の事務局の一人で、社内でちょっとしたイベントをやろうと思っていたときに、ふと今年の彼女からの年賀状に「劇団で九条の会を作って頑張っています」と書いてあったのを思い出したからである。 久々に会う彼女は、確かに昔よりは年を重ねたけれど、基本的には変わっていなかった。彼女も、僕を見て開口一番、 「全然変わらないねー」 と笑った。
彼女は、この前のイラク戦争の開戦をテレビのニュースで知ったとき、 「これだけ反対の運動をして、世界中で反戦の声が高まったのに、結局戦争を止められなかった。私には何もできない。自分の子供達を守れない。」 と考えて、鬱状態になっていたそうだ。そして、昨今のこの動きである。いてもたってもいられずに、劇団の後輩と九条の会を立ち上げ、世話人をやっているという。 僕と彼女は、今の若い世代の危うさについて語った。そして、戦争の時代の皮膚感覚が失われていくこの社会で、今後どうやって平和な世の中を守っていかなければならないのかを語った。勿論、二人とも有効な答えを持っているわけではない。けれど、「有効な答えは見つからないけれど、是非とも見つけなければならない」という認識は共有していた。
僕には子供がいない。しかし、そんな僕でも、「この後の世代に、悪い世の中を渡してはならない」という思いは持つようになった。何がきっかけなのかよく分からないけれど、自分が現在だけではなく、未来の世代に対して責任を持つ世代になってきたという自覚が、少しずつ出てきている。僕の同級生は、自分の子供を持っているから余計にそれを実感するのだろう。 二十数年前、放課後の高校の特別教室で彼女と部活をやっていたとき、社会も世界も僕達とは随分遠いところにあった。それは、学校の塀の外に広がっているものであり、僕達の世界は学校の中だった。親や先生方が、その塀を守っていた。 そして今、僕達は社会や世界のただ中に存在し、その行動や言動が社会の有り様を変えていく立場にいる。僕達の次の世代は、その流れに巻き込まれる。かつて、幼い僕達がそうであったように。
彼女と向き合いながら、僕は時の移ろいを感じる。人間は、本当に確実に年をとっていく。 「青かったよね、昔は」 と彼女はしみじみ繰り返した。一見何も変わっていないように見える彼女からこの言葉を聞くと、妙に説得力を感じる。どんな人生を彼女は重ねてきたのか。そして、これからどんな人生を重ねていくのか。 彼女は、そして僕は、九条改正の動きを止められるのか。子供達への責任を果たせるのか。
僕達は年をとった。見つからない答えを、それでも見つけなければならない世代に、僕と彼女はなったのである。
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