思考過多の記録
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2004年03月21日(日) |
「中立」の黄色いリボンは、「善意」の風になびく |
サッカーU23日本代表がオリンピック行きを決めたそうだ。相変わらず各メディアは大騒ぎをしていたし、「ニッポン!ニッポン!」と叫びながら熱狂する人々を映し出していた。まるで熱狂しないやつは日本人じゃないと言わないばかりの押しつけがましさが、どのチャンネルからも伝わってきた。
似たようなことが、自衛隊のイラク派遣を巡って起こりつつある。それが決まった頃、僕は確かここで「そのうち派遣賛成が反対を上回って、人々は関心を失っていく。何故なら、それは多くの人にとっては他人事だから」というようなことを書いた。 事態は僕の予想通りに進んでいる。そして、これも容易に予想されていたことだが、もう一つ別の、しかし重要な事態がさりげなく進行している。 自衛隊の派遣に対して異議を唱えにくい雰囲気が、この国の社会に醸成されているのだ。
ことの発端は、おそらく自衛隊の部隊が派遣された基地のある街で始まったと思われる「黄色いリボン運動」である。最初は実際にイラクに赴く自衛官の家族と、彼等の属する地域社会の人達が、自分達の家族(または地域)の一員である自衛官達の無事を祈って、「黄色いリボン」を家の玄関先等に結びつけるという、以前から外国で行われていた行為を「運動」として展開したことである。それをマスコミが取り上げたことから、この「運動」はネットを通じても広がり、この国のあちらこちらで見られるようになった。 自衛隊員の無事を祈るという行為自体は、家族や地域の人達にとってはごく自然なことである。しかし、問題なのは、この行為の「自然さ」が「正しさ」にすり替えられたことだ。それは、この運動の「派遣に賛成・反対の立場の違いに関わらず、みんなで無事を祈ろう」という主張に端的に表れている。これは、「派遣されるからには、反対せずに、成功するように応援しよう」というスタンスまであと一歩だ。
自衛隊員の無事を祈るか祈らないかということと、自衛隊派遣の是非は全く別問題である。僕自身は、自衛隊の派遣にはいろいろな観点から反対だし、そもそも自衛隊の存在そのものが憲法に抵触しているという立場である。加えて、イラク戦争それ自体に対しても、またこの問題に関するアメリカの政策に対しても、何ら正当性を見出し得ないと考えている。 もし本当に人道復興支援が必要だというなら、自衛隊がベストな選択だとは思わない。実際、自衛隊派遣の前から、日本のNGO等がイラク各地に入って、危険と隣り合わせで活動をしている。決して「日本の顔が見えない」ということはないのだ。ただ、国内では(意図的かどうかは別として)殆ど実態が報道されていないし、アメリカ、もっと言えばブッシュ政権にとっては何らの政治的価値もない。けれど、支援を必要としているのはイラク国民であって、アメリカやイギリスではないのは言うまでもない。それなのに、小泉政権はアメリカの方だけを向いて自衛隊派遣を決めた。彼等がどんなに美辞麗句を並べようと、その目的は同盟国としてアメリカに認めてもらいたいという、ただそれだけだったと言い切っていいと思う。だからこそ、イラクで活動するのは、軍服を着た組織でなければならなかったのだ。
今日も小泉首相や石破防衛庁長官は、自衛隊は日本の代表として派遣される、イラクの人々を救えるのは自衛隊をおいて他にはない、と発言している。だが、僕はそうは思わない。しかし、この「そうは思わない」ということを表明すること自体が、何かいけないことのような雰囲気になっている。「頑張っている人達に対して、声援を送り、無事を祈るのが当然であり、批判するとはけしからん」ということである。 勿論、あからさまにこのように言う人はあまりいない。けれど、例えば当の小泉首相本人が、高校生が首相宛に自衛隊派遣反対の署名を提出したことに対して、「もっと先生は、自衛隊の役割についてよく教えるべきだ」などと発言している。また、立川の防衛庁官舎の郵便受けに派遣反対のビラを投函した市民グループの人が、逮捕・起訴される事件も起こっている。派遣反対の運動をしている人が嫌がらせを受けた事例が新聞の投書に載ったりもしている。
ここにはある政治的意図が隠されている。この機に乗じて、一気に自衛隊の存在をクローズアップさせ、国民の支持を確固たるものにしたいということである。それは、所謂「護憲派」「リベラル派」をさらに少数派=「特殊な人達」に追い込んでいくことになる。その延長線上には、憲法を改正して、自衛隊を完全に合法的な存在にしたい、そのことによって、現在の制約を外して、より自由に活動できる組織、すなわち「真の軍隊」に成長させたいという目的がある。当然それは、「国民皆兵」とセットである。
「黄色いリボン」運動は、政治的意図と無関係であることを強調している。しかし、その「中立」「善意」というあり方が、実はこのような流れの中に位置づけられ、ある傾向の言論を封殺するのに利用されていることに、この運動を行っている人は気付いてほしい。当事者にそんな意図はなくても、まさに「中立」「善意」というあり方が、かえってその「効果」を高めることになる。「中立」「善意」には反対しにくいということである。繰り返しになるが、それが「自衛隊派遣」そのものに反対しにくい空気を醸成するのだ。 このまま派遣が長引き、万が一犠牲者が出た場合に、「何故お前は黄色いリボンを掲げないのか」という批判が正面から行われるような事態になることは、容易に想像できる。
人道復興支援活動において、自衛隊が日本を代表しているとは僕には思えない。イラク問題に関しては、もっと違うオプションが日本にはある。そして、自衛隊はまだ憲法上存在それ自体に疑義がある組織だ。また、イラク戦争それ自体にも、まだまだ検証・総括されるべきことが多く残されている。 だから、僕は自衛隊の活動をリスペクトしない。自分達が国(=国民)の代表であるかのような発言を最近よく自衛隊員がしているし、それを是認する空気が強いが、それは一種の危うさをはらんでいることを忘れてはならないだろう。 憲法違反である筈の自衛隊が大きな顔をし始めることに対して、僕は強い懸念を持っている。既成事実に弱い日本人のこと、自衛隊が帰還した暁には、拍手喝采で迎えるだろうし、イラクの復興に「貢献」できたという「誇り」すら感じるかも知れない。そのことが持つ意味には全く無自覚のままで。彼等の手には国旗が握られ、服には黄色いリボンがつけられている、というわけだ。
「善意」と「中立」ほどたちの悪いものはない。隊員の無事を祈るのは勝手だが、黄色いリボンを掲げない自由は当然保証されるべきものである。「リボンを掲げる」ことはある種の「立場」であり、「中立」ではあり得ないし、「善意」への賛同を強制することは、(たとえ「自由意思」という体裁をとっていたとしても)「悪意」そのものである。それは、ソフトな全体主義である。僕達日本人はそれに弱い。そのことは歴史がよく証明している。そして、歴史は繰り返す、ともいう。
2004年03月13日(土) |
After The Carnival |
僕が役者として出演した舞台「After The Carnival」の公演が先月末で終わった。稽古に入ったのは今から3ヶ月前の昨年の12月。その3週間程前まで、僕は自分の作・演出でちょっとだけ出演もするという芝居をやっていた。つまり、今回は舞台と舞台のインターバルが3ヶ月半程ということで、これはここ数年では異例に短い。そして、まるで潮が引くようにその状況がなくなった今、僕は久し振りに開放感と寂寥感が入り交じった複雑な心情に支配されている。そして、そんな心情を噛みしめる暇を与えず、いつもながらの日常の荒波が次々に僕を洗っていく。 公演期間の最中、制作というスタッフの人が、仕事の都合で少しだけ会社に顔を出した。その夜の帰り際、彼女はこう言った。 「久し振りに会社に行ったら、風景が白黒でした。色がない世界だったんです。」
芝居そのものに関してはいつもながらに賛否両論があった。ストーリーはあるが、しっかりとつながっていないシーンもあった。しかし、幻の「カーニバル」が街にやってくるというのが重要なポイントになっている。 僕にとって、そしてこの芝居に携わった全ての人達(お客さんも含まれるのだが)にとって、この芝居そのものが「カーニバル」なのだとも言える。「カーニバル」は日常に対する「非日常」の空間であり、時間である。 いわば、「白黒」の世界に対する「極彩色」の世界である。 この時間の中で、僕は確実に幸福だった。それは、本物のカーニバル同様、「非日常」のこの世界では、日常の秩序とは全く違った秩序が形作られていたからである。
そこは日常の価値観や尺度とは全く違ったもので物事が計られる。 日常の僕は、安月給で働かされ、何の役職にも就かず、やり甲斐のない仕事をこなすことで時間と労力を費やす、殆ど死んでいるみたいに生きている人間だ。もし僕が会社からいなくなっても、困るのはせいぜい一両日。すぐに僕の仕事は周囲の人間に割り振られ、僕がやるよりも遙かに効率的で正確に処理されて行くに違いない。課長は働かない部下が1人減ったことで安堵し、財務担当重役は1人分の人件費が浮いたことで幸福感を味わう。 けれど、「非日常」のあの時間の中で、僕は全く違う価値尺度で計られ、全く違った人間に見られる。「白黒」の世界では殆ど何の役にも立たない能力も、ここでは世界に彩りを添えるために使われる。そして、この世界で、人は僕の存在を認める。勿論、この世界にも辛いことはあるし、より高い能力を持った人達の前では、僕の存在など霞んでしまうだろう。しかし、確実に言えることは、この世界では、人は僕の存在を確実に認める、何より、僕はそこにいなければならない存在なのだ。 そして、そのことによって、僕は自分の存在意義を確かめる。自分がこの世の中で生きていてもいい、生きている価値がある人間だということを、僕は実感することができるのである。
けれど、「カーニバル」の時間は過ぎ去る。そしてまた色のない日常がやってくる。日常の時間は、「カーニバル」の時間より遙かに長く、重い。人生の大半は色のない日常の時空の中に存在している。だから、僕はまた自分の存在意義を見出し得ない、自分が生きる価値のある人間だと思えない日常に呑み込まれていく。 それでもなお、僕はあの時間を生きた記憶と実感を胸に抱くことで、この日所を生きていくことができるだろう。何故なら、極彩色の時間の中、僕は確実にある価値を持った人間だったのだから。僕は生きているという実感が持てたのだから。
公演から1週間が経った先週末、公演参加者による打ち上げが行われた。3ヶ月前まで全く話したこともなかった人達とも、あの時間を共有した今では、そのことを通じて共通言後を獲得した仲だ。僕達は大騒ぎで酒を酌み交わした。 しかし、打ち上げの終わりは、この仲間達との別れを意味する。極彩色の模様を作り上げてきたこのカンパニーは解散し、また一人一人に戻っていく。寂しさのあまり、涙を流す者さえいた。それは、みんなにとってこの場所が、この時間がかけがえのないものだったことを物語っていた。 僕は、帰り際に一緒に舞台を作った人達と握手を交わした。それは、惜別と激励、感謝の気持ちを交換する握手であっただろう。しかし、何よりもそれは、彼等と僕とがある種の「同士」になったことを表していたのだと、僕には思えてならない。
今回の「カーニバル」の時間は、あの日で終わった。そしてそれは、昨年夏から続いた芝居三昧の日々という「カーニバル」の終わりでもあった。駆け足で過ぎ去った「非日常」の後から、長い日常の時間が始まっている。しかし、いつの日か、どんな形にせよ、再び僕は別の色を求めて、あの時間を作り出したいと思う。僕が生きているあの時間を。様々な色を持った人達が、一つの模様を形作り、極彩色に染め上げるあの空間を。
「カーニバル」の終わりは、新たな「カーニバル」の始まりに向けての序章の幕開け。 僕は今、そう確信している。
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