思考過多の記録
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2003年11月29日(土) 不条理な来訪者

 人の生は常に死と隣り合わせなのだということを、平和な社会に暮らしている僕達はついつい忘れている。街の真ん中を自動車で走っていても、次の瞬間に爆弾が炸裂するような出来事が日常茶飯事になっている社会では、死はあまりにも近くにありすぎて、意識せずにいることの方が不可能である。
 けれど、僕達の社会で何気なく日常を生きていると、僕達は特に死を意識せずに暮らしていける。死とは何なのかということ、そしてそれがいつ、何処で、誰に訪れるのか誰にも分からないということを、僕達は忘れている。そして、それが次の瞬間には僕達のすぐ隣にいる人間を、そして僕達自身を襲うかも知れないことを、僕達は忘れている。



 まるでケネディを撃ち抜いた弾丸のように、死は何の予告もなく誰かを襲う。いつ、誰が選ばれるのかについての法則性はない。まさに不条理としか言いようのないタイミングで、死はその人のもとを訪れる。そして、誰もその来訪を拒むことはできない。死を前にして、僕達は徹底的に無力である。



 僕達の生という日常は、まさに薄氷を踏む営みである。
 いつ、どこで氷が割れ、冷たく青黒い死が顔を覗かせるか分からない。誰にとっても死は怖い。誰もこの氷の下にあるものを認めたくはないのだ。
 だから僕達は、死を忘れようとする。僕達は大地の上を歩いているのだと自分に言い聞かせながら。そして僕達は、死を忘れる。
 そして、ある時突然氷が割れる。
 僕達は現実の前にたじろぎ、呆然とする。その時僕達は、すぐ隣にいる死を、僕達自身の生の儚さを嫌という程思い知らされる。



 先月、前に隣の課の課長だった人の奥様が亡くなった。随分前から、癌で闘病をされていたのだが、とうとうその時がきたのだった。まだ60前の若さだった。お通夜に駆けつけたとき、いつも元気だった元課長のすっかり窶れた姿を目の当たりにした。
 そして、それからあまり時を経ずに。今度は後輩のお父様が亡くなった。やはり闘病の末だった。そして、やはり若すぎる死だった。お通夜に行くと、献花が行われていた。その部屋に入って僕が祭壇の前に立ったとき、僕と同じくそのお父様もファンだったという中島みゆきの「時代」が流れた。
 そして先日、別の後輩のお母様が突然亡くなった。取り立てて持病もなく、誰も予期しない最期だった。あまりに突然だったため、残された後輩とお父様の衝撃は並大抵ではなかったようである。そして、それは今も続いている。



 遠い異国で誰かがミサイルに撃たれて死んだというニュースから、僕達はなかなか死の影を実感することはできない。けれど、命が終わるということ、命が失われるということは、決して今を生きる僕達から遠い世界の話ではない。
 比較的身近な人が立て続けに亡くなったことで、今僕は、改めてこの不条理な来訪者の存在をリアルに感じ取っている。
 そして、残された人達の悲しみの大きさ、深さの前に、僕は言葉を失ってしまう。それこそが、死というものの本質なのである。


2003年11月24日(月) 万能の処方箋

 誰にでも、そしてどんな場合にも有効な万能の処方箋というものはない。そうと分かっていても、人はついそれを求めてしまうものだ。直面する問題が困難に思えれば思える程、そしてその解決が容易ではないと分かってしまう程、人は「万能の処方箋」を求める。



 かつて、その一つが「宗教」だった。それを看破したのはマルクスだった。「宗教は人民の阿片である」と彼は書いている。ただ、彼は宗教自体を否定したわけではなく、人民が阿片を必要とせざるを得ないような社会制度それ自体を変革しなければならないと考えたのだ。
 彼は正しかった。彼が土台を作った筈の社会変革の仕組みは、結局形を変えた「宗教」になって、彼の国を席巻し、世界に広がっていった。そして、その処方箋の不備が明らかになった現在、人々は再び昔ながらの「宗教」や「民族主義」という処方箋に回帰しているように見える。



 ある人から、その人の友人についての相談を受けた。その話をどう思うか、その友人はどうすればいいと思うかと、その人は僕に尋ねた。
 僕は考え、僕自身が思いつくままの方法を語った。けれど、その方法は、その友人が現在背負っている重荷を、その周囲に負わせることで、現在の状態の矛盾をはっきりさせるというものであり、全てを一気に解決するものではなかった。けれど、そうしなければ、その友人はいつまでもその重荷を背負っていかなければならないこと、そしてそのことが、現在以上にその人を精神的・肉体的に追いつめて行くであろうことは火を見るよりも明らかだった。かといって、その人が現在の状態から抜け出すのも、様々な条件を考えるとかなり困難であることも事実なのである。
 僕に相談した人も、そのことが分かっていて、どうすることが一番いいのか考えあぐねていた。それで僕に相談したということのようである。僕自身、祖人のことを知っているので、何とかしてあげたい気持ちはあった。しかし、だからこそ逆に無責任なことも言えないのである。



 結局、その人の友人の状況に対する有効な処方箋を、僕達は見つけることが出来なかった。ただ、よりベターな状況に帰るための一歩としてどうすべきかということでは一致した。ただし、そのことが事態を悪化させ、さらにその人を追いつめる結果になる可能性があることも十分に考えられるということでも、2人の考えは同じだった。
 誰にとっても有効で、全てがうまくいく処方箋はない。その人の置かれている状況が、その人に有利なように劇的に変化すれば別なのだろうが、その変化はおそらくその人にも、そしてその周囲にも何らかの傷を残すことになるだろう。



 状況が切迫していて、絶望的だと思えるとき程、人は万能の処方箋を求める。評論家や学者・政治家・役人・タレントは、その状況に身を置かないまま、まるで万能であるかのような処方箋を書くものだ。
 人々は思い思いの処方箋にすがる。しかし、全てがうまくいくわけではない。そして、処方箋を書いた側も、それにすがった側も、示し合わせたようにあんなに有り難がっていたその処方箋を破り捨てる。
 そしてまた新たな「万能の処方箋」を探し始めるのである。



 生きていくことは、荒れ狂う海で羅針盤なき航海を続けること。瀕死の状態で処方箋無き戦いを続けることである。
 あの人は、一体どうやってその状況をくぐり抜けるのか。
 とにかく、生きていてほしい。生き抜いてほしい。そしていつか、心からの笑顔を見せてほしい。
 処方箋の書けない僕には、そう祈り続けることしかできない。


hajime |MAILHomePage

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