思考過多の記録
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2001年03月31日(土) 「普通」であることのストレス

 殺人事件等で犯人が捕まった時、決まり文句のように使われる言葉に「容疑者はごく普通の」という形容詞がある。この言葉の後に「主婦」「学生」「会社員」などといった職業(役割)が続くわけであるが、そこには「普通の人が異常な行為に及んだ」ことに対する、社会の側の恐怖心が見え隠れする。普段から目立って「普通」の人と違う行動をとっていたり、神経科に通院した過去でもあれば、なされたことがどんな異常な行為であっても人々はそれなりに納得する。だが、一見「普通」の人間がとても「普通」では考えられないことをしてしまうことは、「普通」に市民生活を送っていると自覚している人々には理解不能なのだ。ましてや、その動機が不明であったり、「普通」の論理や因果関係では説明できなかったりすればなおさらのことだ。基本的に僕達は、分からないものに対して警戒心や恐怖心を抱く。だが、僕は「普通」の人が「普通」とはかけ離れたことをするというのは、ある意味で当然のことであると考える。なお、ここで言う「普通」とは、社会的規範を内面化して、それに基づいていて考え、行動する状態であると定義しておく。
 社会(共同体)の中にいる人間がこういうことを考えるとき、「普通」でいることは当たり前、つまり、「普通」が「普通」の状態だということを前提にしているのが‘普通’だ。しかし、よく考えてみてほしい。本当に「普通」の状態は、僕達人間にとって「普通」のことなのだろうか。例えば、母親には母親の、妻には妻の役割があるとされる。そして、それに則った形でいくつかの行動様式や思考パターンがあり、家庭を持った多くの女性はその枠(=社会的規範)の中で日々思考し、行動することを強いられる。それが当たり前(=「普通」)だと何の疑いもなく受け入れられる分にはいいのだが、日々の生活の中で、その規範と時に相容れないものがあることに気付かされる場合がある。それは、その人がそれまで生きてきた環境の中で培ってきた感覚であったり、生物としての人間の生理や本能であったりするのだが、そういったいわば自分の中に無意識のうちにインプットされているものと外側から自分を規制する社会的規範との間に、様々な軋轢が生じたりして、規範に従うことに違和感を抱くようになるのだ。何故なら、そもそも「社会的規範」というものは人間にとって「自然」でも「普通」でもない。それはいろいろな人間が一緒に暮らしていく「社会」というシステムを維持するために、いわば「人工的」に作られたものだからである。最大多数の最大幸福のための決まり事は、必ずしも個々人にとって最適なものではあり得ないのは当然のことだ。みんなに合うように作られた服に自分の体を合わせることは容易ではない。必然的に何らかの無理が生じる。
 自分自身の感覚を完全に麻痺させて、「社会的規範」を自分のものだと思いこめれば問題はない。だが、それを完全にやり遂げるのは至難の業だ。ましてや毎日のことである。そこにストレスが生まれる。それはその人の中に澱のように徐々に蓄積されていく。まるで、僕達が生活している大地の地下深く、マグマが地上への出口を求めて蠢くように、また片方のプレートの移動によって地球内部に引き込まれてゆくもう一方のプレートに歪みが溜まっていくように、ストレスという歪みとそのエネルギーは日々蓄積されてゆく。それが意識されるとされないとに関わらず、やがてある種の人間は、そのエネルギーに押されて、「普通」な日常に裂け目を入れたいという衝動に駆られる。それをごまかしたり、うまく発散させる術を知っていれば何とかなる。だが、それができなかったり、それではエネルギーを完全に発散させられない状態にまでになってしまうと、いよいよ日常生活は地獄になり、規範と自分との間の齟齬は大きくなっていく。そしてある時何かのきっかけで、地下からマグマが吹き上がるように、また引き込まれていたプレートが歪みを解消しようと一気に跳ね戻るように、「普通」な状態を破壊する行動に及ぶというわけだ。それが自分自身に向けられれば「自殺」になり、外側に向けられれば「犯罪」になるということである。そこまでには至らなくても、多くの人が体験する所謂「キレる」状態というのは、日常生活の中でストレスが我慢の限界を超え、まさに「爆発」によって「普通」の日常に小さな裂け目を入れる、ささやかな抵抗の行為であるといえよう。
 「普通」の状態を壊す行為を、僕達は「狂気」(まさに「凶器」だ)や「異常」と呼ぶ。だが、人工的な「普通」に対する違和感や抵抗感をおぼえることの方が、考えようによってはむしろ「普通」なのではないか。「普通」であり続けることはストレスを伴う。だからといってなされた犯罪行為が免罪されるわけではないのだけれど、「普通」をうち破りたいという願望や衝動は、「普通」の生活をしている人間なら誰でも持つ可能性はあり、したがって「普通」の人が一見「異常」な行動に走る可能性は、誰しもが持っているということなのだ(サイコホラーやサスペンスの隆盛はそのことの証左だ)。その人がその行為に及んだことを説明できる因果関係や法則性はなきに等しい。本当の怖さはそこにある。「我慢」を教える教育や、「命の大切さ」についての言説、厳罰主義等では真に問題を解決することはできない。自分の感覚を狂わせ、麻痺させるのは限界がある。そして、社会規範そのものの矛盾が明らかになりつつある現在、社会を構成する個々人のストレスは高まりつつあるのである。


2001年03月25日(日) 「事なかれ主義」について

 数週間前になるが、新聞の投書欄に今年高校を卒業するというある地方の女子高校生の投書が載っていた。彼女は、自分の高校の卒業式で日の丸・「君が代」を巡る対立が先生方の間にあることを批判する。そして校長に「全員が起立して歌うか、それができないのなら日の丸・『君が代』はなしにしてほしい」と直談判したというのだ。そして、先生達の争いのために自分達の卒業式を混乱させてほしくはない、何故なら主役は生徒なのだから、と憤りながら主張するのだ。一見もっともな主張である。そして、勝手な推測だが、おそらくこれは多くの高校生の意見(というよりも感覚)を代弁している。だが、もしその推測が正しいとするなら、この国の未来はあまり明るくないといわざるを得ない。
 日の丸・「君が代」自体の問題にはひとまずは触れないことにさいて、この女子高生の主張にだけ注目してみよう。彼女にとっては、日の丸・「君が代」を巡る争いは対岸の火事(先生同士、あるいは先生と偉い人達との争い)である。それは自分達には理解不能であり、したがって自分達には無関係である。その不可解で無関係な筈の問題が、自分達の一生に一度しかない記念すべきお祝いの席である卒業式の場に持ち込まれ、そのことによって式が混乱し、本来無関係な筈の自分達が巻き込まれて嫌な思いをしたくない。そんなことは、どこか他の場所(式場の外、より望ましいのは職員室の中)でやってほしい。これが彼女の主張の背景にある思想である。だから彼女にとっては、出席者全員が日の丸・「君が代」を受け入れるか、そうでなければ完全にそれを排除した形で式を行ってほしかったのだ。日の丸・「君が代」が式でどう扱われるのか、そのことが教育的・社会的・歴史的にどんな意味を持つのかといったことは、彼女にとってはどうでもいいことなのだ。彼女はただ、自分達の社会的空間が乱されないことだけを願ったのである。これは、「生徒が主役の式を取り戻したい」という「主体性の主張」の皮を被ってはいるが、その中身は「事なかれ主義」に他ならない。
 昨今の若い世代は自分達の仲間内の範囲しか関心がなく、その外側にあることに対する想像力が欠けている(いわゆる「社会性の欠如」)と言われて久しい。勿論、阪神・淡路大震災の時を始め、ボランティア活動に参加する若者が結構いるという事実もあるので、一概には言えないだろう。ただ、彼女のように、自分達の関心の埒外にあることに対する「事なかれ主義」に陥っている人間は、若者に限らず全ての世代において少なくない。自分達の直接関係する世界の外側のことについて見ようとしない、そしてコミットもしない。そうやって暮らしていられれば平和である。外側の世界での争いごとは、自分達に及んでこなければ存在していないに等しいからだ。けれども、その種の「事なかれ主義」では何の解決にもならないことは言うまでもあるまい。いかに目を背けても、問題はそこに存在し続けるのだ。そして、いつか必ず無視できないものとなって、僕達に影響を及ぼすことになるのだ。そして多くの場合、その問題は、その段階ではもはや解決不能になっている。
 卒業式を混乱させてほしくないという気持ちは分かる。だが、式を混乱させるような問題が確実にこの国に起こっていることは、紛れもない事実である。そのことを問題だと認識している生徒も勿論存在する。だから、そのことを生徒達にありのまま、きちんと見せ、それを受け止めて考えてもらうようにする方がよい。何故なら、彼(女)等はこの国に生きて、この国の社会の将来を担っていかなければならないのだから。卒業式の混乱を避けるために、力(職務命令や処分等)で反対の動きを押さえつけるより、よっぽど「教育的」な措置だと思うのだが、どうだろうか。


2001年03月23日(金) ある‘日常’の終わり

 先週末になるが、定年まで数年を残して退職することになった父親の職場の後片付けにかり出された。僕の父の職場は大学である。その仕事場である小さな研究室には、仕事に使われた大量の書籍の類がある。それをそっくり運び出さなければならないのだ。今月になって慌てて片付け始めたということで、僕と母親が足を踏み入れてみると、まだかなりの本が未整理のままいくつかのスチールの本棚に並んでいた。これを片っ端から紐で括り、運び出していく。半日で本棚は空になった。机や床の上には、運び切れなかった本や雑誌等の資料類が入れられた袋や段ボールが雑然と置かれている。そして、もう使う主のいなくなった湯飲みやコップ、小さな電気湯沸かしポットが、部屋の片隅に所在なげに残されていた。おそらく、この部屋に出入りしていたゼミの学生達が代々使っていたものであろう。それだけが、この部屋に存在した日常の痕跡をかろうじてとどめていた。
 こういう光景を、僕は何度目にしてきたことだろう。例えば、部屋の家具の上に並べられたあちこちの土地の土産物だった人形や、本棚に雑然と入れられた本、収納ケースに入りきらずに棚の上に積まれているCD。こういった物達は、日常の積み重ねの中で自然と定位置が決められ、恰もずっと以前からそこに存在していて、これからも半永久的にそこにあり続けるように思われる。いつも変わることのない日常の‘風景’は、それがあまりにも身近であるが故に、殆ど空気のように意識しない(できない)存在になっている。しかし、例えば部屋の模様替えや引っ越しなどで物を動かし、いつもそこにあった筈の物がなくなると、僕達は初めてそこに‘風景’の一部を構成していたもの(あるいはそれらの集合体としての「風景」そのもの)をはっきりと意識することになるのだ。そしていうまでもないことだが、その時点で既にそれは失われているのである。
 ‘風景’の喪失は、その風景が存在した‘日常’の時間の喪失をも意味している。僕達はその時、ずっと以前から変わることなくあり続け、未来永劫同じように流れ続けると思われた‘日常’の時間の断絶を意識する。それが幸せなものであれ、耐え難いものであれ、あるいはまた退屈なものであれ、全ての‘日常’はいつか必ず終わりを告げる運命にある。僕の父のように、それが「定年」という外的な要因で訪れる場合もあるし、自らの意思で日常の幕を引く場合もあろう。不慮の事故等で突然に終わることもあるだろう。また、長い年月をかけて徐々に変化していく日常もあるかも知れない。そして、時間が後戻りしない限り、人が生きていくということは、こうしていくつもの‘日常’の時間の終わりに立ち会うということなのだ。年齢を重ね、体力と気力が衰え、社会の第一線から退くと、人は少しずつ‘日常’の範囲を狭めていく。退職で「職場」の日常が消え、子供が独立すれば「親」としての日常が消えるという具合だ。勿論、最後の日常の終わりは「死」ということになる。‘日常’を失い、空にされつつある夕日が正面から差し込む研究室で、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。
 この研究室には、あの湯飲みやコップを使い、あのポットで沸かしたお湯でお茶を飲んでいた、父親と学生達の‘日常’が確かに存在していた。それがどんなに些細な、取り立てて言うほどのこともないありふれた時間であっても、たとえ湯飲みやポットが捨てられ、そこでその‘日常’を過ごしていた全員の記憶から忘れ去られても、その‘日常’の時間はそこに流れていた事実は消えない。そして、その時間を過ごした人達の中に、何らかの痕跡を残している筈なのである。
 僕もまた、そうやっていくつもの‘日常’を過ごしてきた。現在の‘日常’の雑事の中で忘れていたその時間の流れと、その「風景」の一つ一つを、そこで出会った人達の顔と一緒に、僕は今ゆっくりと思い出している。そして僕は、これからまたいくつの‘日常’の風景と出会えるのだろうかと考えている。
 僕の父が、運び出すために縛っていた本の紐を解き、また段ボール箱から本を取り出して新しい置き場所を決める時、父の新しい‘日常’が始まる。そして、空になった父の研究室だった部屋で、この春誰かが新しい‘日常’を始める筈である。


2001年03月17日(土) 「怒り」という感情について

 先日読んだ鴻上尚史著「あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント」(講談社)の中に、感情についての章がある。その中に、「自分の感情を知ることの大切さ」が書かれていた。自分が今、喜怒哀楽のどの感情の状態に近いのかを把握すること、そして自分はそのいずれの感情になりやすいのかという傾向を普段から掴んでいることが大切だ。それが感情を上手にコントロールすることによって自分をよい状態に持っていき、ひいてはその人を魅力的にすることにつながるのである。納得できる内容である。同時に、言うのは簡単だが、これはなかなか高度な技術を必要とすることだとも思う。僕達は往々にして感情に流され、振り回される。理性では理解できても感情的に受け付けなかったりすることもあり、なかなかやっかいだ。だからこそ日常的に自分の感情の傾向を知っておこうということになる。
 そうやって考えてみると、僕は結構「怒」に偏っていることが分かる。日常僕と接している人には穏やかな人間だと思われているらしい。しかし、この日記を読んでいる人にはお分かりだと思うが、僕は何かの事象に反応する時、大抵の場合「怒り」という形をとる。「〜はおかしい」「〜は許せない」というフレーズが多いのはそのためである。何故そうなるのかは、これまで僕が生きてきた環境や出会ってきたもの・人等様々な因子が複合的に影響し合ったため、としか言い様がない。鴻上さんの教えに従うなら、これを上手くコントロールして、気分を変えながら生活していくことができれば、魅力的な人間になれるのだろう。だが、未熟者の僕はまだその域に達していないようだ。それどころか、「怒」の感情が出てきたとき、それを別の感情の方向に向けようとしないで、そのまま「怒」の方向に走らせてしまうのだ。
 徐々に老いつつある僕の両親は、最近悲しいドラマや暗い(嫌な)ニュースが流れてくると、テレビのチャンネルを変えるようになった。そういうものは「見たくない」とはっきり口にする。そうやって感情を切り替える術を長い人生の中で会得してきたのだろう。しかし、そこにはもう一つの理由がある。それは「哀」(悲しみ)や「怒」(怒り)といった感情は、それ自体で結構エネルギーを必要とするということだ。「喜」(喜び)や「楽」(楽しみ)というポジティヴな感情は、基本的に心をリラックスさせたり活性化させたりする正の方向であるから、多くのエネルギーを使わずにその状態に入れるし、持続させられる(勿論、人によってはそうとは言えない場合もある)。それに対して、怒りや悲しみは負の方向性を持つので、意識的にその状態になることは多くの人にとって不快であり、その感情を持続すると精神的にエネルギーを消耗するものだ。そういうわけで、大抵の人間にとって怒りや悲しみはできれば避けて通りたい感情であり、それを喚起するような事象に関わったり目にしたりすることを忌避したいと思うのが自然である。そして、できるだけ忘れるように努める。
 にもかかわらず、怒りや悲しみが重要になる局面もある。それは、その感情の原因になるものを取り除き、二度と同じ怒りや悲しみを抱くことのない状態を作り出さなければならない場合だ。この局面において、怒りという負のエネルギーは変革という正のエネルギーに転化する。多くの社会において、その変革のための運動を担うのが若者達である理由がここにある。彼等にとっては、怒りのエネルギーを引き受け、それに身を任せることは苦痛ではないのだ。そして、ある事象に対してきちんと怒れる感性を持ち続けるということは結構重要だ。何かの政治的な事件の時、「これが外国なら、サラリーマンが暴動を起こしている」とコメントした人がいた。この国は、上から下まで怒りを忘れてしまったかのように見える。怒りを眠らせたり、その原因から目をそらせて気分を変えたりすれば、その時点では怒りを忘れられるかも知れない。だが、その原因となるものを放置しておけば、事態は全く好転しないどころか、むしろ悪化することは目に見えている。巷から目に見える怒りの行動が消え、そのエネルギーが鬱積して弱いものへと向かっていくのは、「成熟した社会」ではあるまい。
 怒りっぽいのも困りものだが、怒ることのできる感受性だけは失わずにいたい。何も気にならず、全てを許せるような寛容な心を持つのは、生きることへの執着が薄れ、棺桶に足を突っ込む瞬間で十分だと思っている。


2001年03月16日(金) コンビニエンスな家族・再論

 先日この日記で、コンビニで買い物をする家族の話を取り上げた。後日、その文章を読んだ僕の知り合い(一児の母)からメールが届いた。それを読んで自分としてもいろいろ思うところがあったので、改めてそれについて書いてみようと思う。
 あの文章で僕が無意識に前提にしていたのは、おそらくある年代から上の人間の潜意識に刷り込まれてしまっているであろう「理想の家族像」だったのだ。コンビニで弁当を買う主婦=食事作り(家事)を手抜きしてる=家族における主婦(母親/妻)の役割を果たしていない、という図式が頭にあったのだと思う。普段から所謂「モデル」というものに対しては意識的に懐疑的な態度をとるようにしていたのだが、僕の中にも知らず知らずのうちにそのモデル像が刷り込まれてしまっていたのだ。文化というのは恐ろしいものである。などというのは言い訳に過ぎない。率直に自分自身の思考の甘さを反省したい。
 僕達はついつい「モデル(理想型)」を求める。例えば、子供のいない夫婦に対して「子供はいつ?」と挨拶代わりに訊いてしまう。また結婚していない人に対して「まだしないの?」「相手はいないの?」と訊いてしまう。「そろそろじゃない?」などというのもある。だが、人にはそれぞれ事情というものがあるし、理想とするある生き方というものがあるだろう。子育てをしている夫婦の方が子供のいない夫婦に比べて、社会的に認められた「モデル」に近いけれど、だからといって「子供のいない夫婦」は間違っているというわけではないだろう。仕事に専念することで充実した人生を送るために一人で生きることを選んだ人は、子育てをしてる人に比べて「モデル」から遠いが、そのことで責められるいわれはない。片方の親と子供とで形成される家族が、「普通」の家族の形ではないとの誹りを受けるのも、よく考えればおかしな話だ。配偶者を持たないことを選んだ人間にとっては、その生き方こそがその人自身の「モデル」なのである。
 自分の理想型通りに人生を送れず、やむなくその生き方を選択してる場合もある。また、自分が望んで選んだ立場でも、やってみると考えていたものと違ったということもあろう。コンビニで昼食を買っていたあの母親は、どこか人生に疲れたような顔をしていた。誰かがやらなければならないが、その割には達成感のない‘家事’という苦役が永遠に続くかと思われる日常という牢獄の中で、時には手を抜いて楽をしたいと思う日があっても全く不思議ではない。家事労働の現場に閉じこめられている専業主婦も、仕事と家庭の両立に悩むワーキングマザーも、家庭を顧みずに仕事に逃避するビジネスマンも、みんな「モデル」の家族からはほど遠い場所にいるのだ。そしておそらくそうした人達の方が多数派であろう。ままならない現実のただ中で、何とか折り合いをつけて自分自身の理想型に近付こうとしてあがいている人達がいるかと思えば、諦めて現状に順応して生きていく術を見出した人達もいる。そうした様々な人達が、コンビニで交錯してるのだ。
 少子化や家庭内暴力、はたまた幼児虐待や離婚・再婚の増加等によって、家族の形は多様化し、様々な問題が噴出している。従来型の家族の崩壊に危機意識を抱いてか、政府は「家族」の役割をことさら強調する。学校で使用される家庭科の教科書では、所謂「理想の家族像」が描かれ、「お手伝いをしましょう」「家族で団欒をする時間を作りましょう」と子供にそれを懸命に刷り込もうとしている。だが、先にも書いたように、今や「モデル」の家族の方が特殊形になりつつある。「普通」の家族はどこにもいないのだ。そのことを嘆いても仕方がない。逆に、一人一人がどんな家族を「モデル」にするかが問われてくる。それはしんどいけれど、決して悪いことではないと思う。
 独り身の僕にとっては、理想の家族像はまだ漠然としている。ただ、一人で生きていくことを「モデル」として選び取ったわけではない。これから出会うかもしれない自分のパートナーになる人と一緒に、僕は自分にとっての、そして自分とその人にとっての理想型を、ゆっくり探していこうと思っている。


2001年03月10日(土) それでも田中康夫を支持する

 「脱ダム宣言」をした長野県の田中康夫知事に対して、毀誉褒貶が巻き起こっている。ダム建設の方針を巡って対立した土木部長を更迭したと思ったら、今度は私設秘書が辞任することになったという。田中知事への批判は政策の内容についてのものよりも、その手法に対してのものが目立つように思う。中でも繰り返しテレビで放映されたのが、長野県議会の長老議員の「ヒットラーの再来を思わせ、恐ろしさを感じる」という趣旨の発言だった。報道によれば、田中知事の就任以来、長野県議会にはこの新しい知事に対する警戒感や不快感が蔓延していた。だから今回の「脱ダム宣言」に対して議会が反発するのは無理もない。また、この種の対立は、かつて選挙公約に従って都市博を中止した当時の青島幸男東京都知事と都議会との間にも見られた。「無党派知事対議会」という図式である。田中知事の場合は、長野県庁の役人達も相手にしており、「無党派知事対役人」という図式もあることになる(田中知事本人は否定しているが)。
 「脱ダム宣言」の中身はさておき、県庁の役人達や議会に事前の相談もなく政策の方針を打ち出すこうした手法が、果たして「独断専行」「恐怖政治」なのかを考えよう。確かに今回の田中知事の発表は、それまでの長野県の政策を180度転換するものであり、ひいては国の治水事業のあり方にまで影響を与える程大きな方針の変更を意味していた。そんな大事なことを議会や役人と相談せずに決めるのはおかしいという批判はあり得る。だが田中知事は、就任後突然このことを言い出したわけではなく、選挙期間中も「鉄とコンクリートのインフラ整備からの脱却」「公共事業の見直し」を言っていた。当然有権者はこれを知っており、その上で県民は田中康夫を知事に選んだのだ。就任後も県内各所で県民集会を開いて、賛成・反対双方の県民から直接意見を聞いている。その上で、選挙公約とこれまでの自分の行動・言動に基づいた信念に照らしてあの宣言をしたのだ。その意味で、「独断専行」というのは当たらない。かつて選挙では「導入しない」と言っていた売上税(現在の消費税の前身)を、選挙直後の国会で成立させようとして見事に失敗した某政権政党があった。それに比べれば余程民意に忠実である。
 県議会や県庁の役人(主に幹部クラス)達が田中知事の手法を批判する理由は、要するに「(県民ではなく)自分達に何の相談もない」「自分達が今までやってきたことを無視した」ということに尽きる。これまでの長野県は、戦後一貫して知事は県庁(役人)出身者であり、議会はそれをオール与党で支えてきた。つまり、全てを身内で進めてきたのであり、一般県民など眼中になかったのである。治水におけるダムの役割を子細に検討した結果のダム建設というよりも、公共事業によって建設業者に仕事を与えるためにダムを次々に造っていたという側面が強いのではないか。議会はともすればこうした業者達の利益を代表する。そうすることで、議員達には票と金が回ってくるからだ。そして役人達は、高度経済成長期にこの国の開発で取られてきた手法を脈々と受け継ぎ、低成長と環境保護が叫ばれるようになったこの時代にも、変わることなくそれを遂行してきたのだ。勿論役人達は選挙の洗礼を受けることがないので、基本的には自分たちの論理だけで政策決定ができた。知事選挙の最中、知事候補である元副知事(自分達の身内)の応援演説で県庁の役人は、「田中候補は公共事業の見直しといっているが、何を見直すというのか。(自分達)プロが決めているんだ」とマイクを握って絶叫していた。まさにそういう姿勢が「変化」を願う県民にそっぽを向かれて、田中知事が誕生したのである。
 議会や役人達が積み上げてきた規定の方針に則って動いてくれるのが、これまでは「いい知事」だったかもしれない。しかし、そのやり方はあらゆる面で行き詰まっている。これからは市民に情報を公開し、その声を直接政策に反映させていかなければやっていけない。田中知事はそういう流れの中で誕生したのであり、その意味で彼は民意に背いて行動することはできないだろう。してみれば、今回の「脱ダム宣言」は彼の独断専行ではなく、それこそが現時点での民意をより正しく反映していると思うが、どうだろうか。
 これは長野だけの問題ではない。吉野川可動堰の建設の是非を問う住民投票が行われたとき、当時の建設大臣は「間接民主主義の否定であり、民主主義の誤作動」と言った。これもまた「自分たちが決める筈のことに、地元住民ごときが異議を唱えた」ということへの嫌悪感をよく表しているコメントだ。「選ばれた」ことに対する畏れを知らず、ただその優越感のみに浸っている。「選ばれた」筈の自分達が民意から遠いところにいることを、図らずも露呈してしまっている。それこそが議会制民主主義の危機を招き、「ヒットラー(的なもの)の再来」のお膳立てをすることにつながっていくのだ。議員の方々は、田中知事を批判する前にそのことに思いをいたし、違った意味での危機感を持つべきではないだろうか。


2001年03月05日(月) コンビニエンスな家族

 正午を少し回った頃のコンビニで、若い母親がまだ学齢に達していないと思われる子供の手を引いて買い物をしていた。お総菜の棚の前で母親が、「何にする?グラタンがいい?」などと言いながら、お馴染みの容器を手に取っていた。子供は無表情だった。時刻から判断して、この親子は昼ご飯を買いにきたのであろう。この親子は毎日当たり前のようにこれを繰り返しているらしかった。僕には理解できない情景だった。
 聞くところによると、最近では子供の遠足にコンビニ弁当を持たせる親がいるらしい。パートや専業主婦といった比較的時間を作りやすい筈の親の中にも、そうする人がいるそうだ。その神経も僕には分からない。こんなことを書くと、某保守系政権政党の支持者か何かのようで嫌なのだが、遠足や運動会の弁当は、やはりプラスチック製で何かの絵やキャラクターなどが書いてある家の弁当箱に詰まった、母親(父親でも構わない)手製の弁当であってほしい。子供にとって「弁当」というのは‘非日常’=ハレの食事なのである。それと同時に、日常から離れたハレの場所で母親手作りの弁当を食べることで、普段あまり意識しない母親の愛情を直に感じることができるものでもあるのだ。中身に冷凍食品が使われていても構わない。母親が手をかけて作った(アレンジした)ものであることが重要なのである。コンビニの弁当では、母親によって「買い与えられた」ものだという印象を子供に残す。それは本来愛情を自分に注いでくれる筈の母親から、どこか突き放されたような感じがしてしまうのではないだろうか。
 昼食や弁当をコンビニで買い与える母親は、自分の子供を心底可愛いと思っていないのではないかと疑いたくなる。どこか子育てに対して投げ遣りであり、本当は自分の自由のためには子供は邪魔になるとさえ、心のどこかで思っているのではないか。
 そしてもっと恐ろしいのは、そのことに対して子供自身が何とも思わなくなってしまうことである。昼ご飯をコンビニの総菜で済ませても、遠足にコンビニの弁当を持たされても、それが当たり前な環境の中にいれば、その子にとってはそれが親子の関係である。親は自分を受け入れ、愛情を注いでくれる存在であるという前提自体がないのだ。そして、それを寂しいとも思わない。何とも寒々とした関係である。こういう子供が周囲と上手く人間関係を作っていけるとは思えない。
 僕の書いていることは、誤解と偏見に満ちているだろうか。家族にもそれぞれの形があるし、人それぞれに事情もある。政治家や学者達が考えるような理想の家族の形などある筈もない。しかし、僕にはどうも「コンビニに家族連れ」という情景が引っかかるのだ。これまでコンビニは主に「単身(独身)者や学生(児童)」が利用する店だったのである。つまり、基本的に「独り者」の生活支援のための便利さ(コンビニエンス)=手軽さを提供する場だった。「家族」がコンビニを使うということは、人間関係の根本的な部分が変質してしまっているように思えてならない。かう言う僕もよくコンビニ弁当のお世話になる。基本的にはわびしいものだ。連日報道される幼児虐待のニュースとあわせて考えると、家族というシステムもまた、わびしいものになりつつあるのだろうか。

追記:3月4日の小文の中で、「新しい歴史教科書を作る会」が編集した教科書を「高校の歴史の教科書」と書きましたが、「中学校の歴史の教科書」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。


2001年03月04日(日) 国の歴史ついて

 「新しい歴史教科書を作る会」という団体が製作した高校日本史の教科書が、文部科学省の検定に合格して実際に学校現場で使われる運びになりそうである。これに対して、中国や韓国などのアジア諸国から批判の声が挙がり、市民が抗議行動を起こしている国もある。同じように歴史教科書を巡って対外的に批判を浴びたことは過去にもあったが、その時は「侵略」を「進出」に書き換える等といった教科書の記述が問題となっていた。今回は、個々の具体的な記述もさることながら、その教科書の編集方針自体が問題視されたのである。
 「作る会」曰く、これまでの歴史教科書は日本が(とりわけ明治以降敗戦までの間に)いかに悪いことをしてきたかを強調する「自虐史観」であり、これでは子供達が自分の国に対して、また自分が日本人であることに対して誇りを持てない。日本のしてきたことにはいいこともあったという、イデオロギー的に偏らない正しい歴史観(「自由主義史観」と彼らは呼ぶ)を身に付けさせ、自国を愛する健全な日本人を育成していかなければならない。かいつまんでいえば、これが彼らの主張である。この愛国的な主張に同調する人間は、所謂有識者や政治家等に多いが、特に地方の一般の人達や若年層の一部にも結構支持されているようだ。
 これは非常に危険な兆候である、と警鐘を鳴らす人は多い。僕もそう思うが、それ以前の問題としてよく分からないのは、何故日本のした悪いことの歴史を教えないことが、国を愛する人間を育てることになるのかということである。南京大虐殺をでっち上げだと言い張ったり、太平洋戦争に至る日本のアジア侵略を、アジア諸国を欧米列強から開放する戦いだったと強弁したり、彼らの主張のアナクロニズムには驚く。それは明らかに「日本は正しい」という視点から見た歴史である。そうまでして白を黒と言いくるめ、あったことをないことにして自分の国の過去を綺麗にして、それが国を愛することにつながると本当に思っているのだろうか。地球上のいかなる国も、また民族も、その歴史に汚点を持たないものはない。自分たちの国や民族が犯してきた歴史上の過ちと向き合い、それを認め、相手に謝罪すべきは謝罪して、そこから何を学ぶかを考えるのが、本当の歴史教育ではないのか。僕達は、親を選べないように生まれる国を選べない。そこで暮らす限り、僕達はその国や民族の過去を背負ってしまうのだ。伝統文化を学び、継承していくことも大事だが、それと同じ位、いやもしかするとそれ以上に、‘負の歴史’を学び、後世に伝えていくことは重要であると考えられる。そのことが、より一層自分の国や民族に対する理解を深めていくことにつながると思うのだ(と同時に、それらを相対化することも可能にしてくれる。実はこちらの方がより重要である)。自分の生まれた国を愛さなければならないという前提自体に僕は大いに疑問を持っているが、百歩譲ってそうすることが望ましいとしても、過去のよかったことも過ちも全てを認めた上で受け入れるというのが、いいところだけを見て無条件に賞賛する態度に比べて、より深い愛情ということにならないだろうか。これは一人の人間を愛する場合と同様である。
 もし、「自由主義史観」なるもので育った人間が、韓国などかつて日本が侵略したアジアの国の人と話をすることになったらどうなるだろう。あちらは当然、日本に侵略された歴史をずっと教えられてきたのだ。確実に日本および日本人のイメージは悪くなると僕は思う。そして現在も、愛国者を自任する政治家達が、こうしたことに思いをいたさない軽率な発言で彼らの愛する祖国の評判を下げているのである。
 この問題には様々な要因が絡んでおり、この小文ではとても全てを精緻に論ずることはできない。また、僕自身はいかなる政治勢力にも与するものではない。ただ、かつて同じ日本と同じく対戦に敗れたドイツ(当時は西ドイツ)のヴァイツゼッカー大統領が自国の歴史にふれた演説の中で、「過去に目を塞ぐものは、現在に対して盲目となる」という言葉を述べたことを思うにつけ、彼我の差を感じざるを得ない。こういう言葉を語れる政治家を持たない国を、僕は愛することはできない。むしろ、第2次大戦後55年間の中で、日本の兵士に殺された人間が地球上に1人も存在していないということの方が、僕には重く感じられるし、誇りに思える。それこそが、この国が過去の戦争という過ちの歴史から学んだことの、最大の成果だったのではないのだろうか。


2001年03月03日(土) 卒業(春は別れの季節)

 仕事で北の地方の学校を回った。普段の仕事では殆ど東京の職場の机にかじりついているし、ここ数ヶ月は忙しくて旅行などする暇もなかった。東京を離れるのは久し振りである 3月1日、取引先の人と車で走っていると、まだ昼前だというのに街には学制服が目立った。それを見て訝る僕に、その人は「ああ、そうか。今日は卒業式だった」と言った。ラジオからは懐かしい‘卒業ソング’が何曲も立て続けに流れていた 僕の卒業式は、どの学校でも3月の半ばだったと記憶している。地域によって違いがあるのだろうか。いずれにしても春先のこの時期、いろいろな人達、中でも学生達が人生の一つの区切りを迎える。
 春といえば、柔らかい日差しと暖かな陽気が続くようになり、南からの風に誘われるかのように草花は芽吹きだし、梅の花の後を桜が追いかけるように蕾を付け、やがてくる満開の時を待つ。どこか荒涼として寂しげだった風景に少しずつ彩りが増してくる、いわば自然の衣替えの時期である。動物や虫たちも活動を始める。 そんなうきうきしてくるような季節のただ中で、新たなスタートを切るために、これまでの生活や友達と別れなければならない。それが年度が3月で切れるこの国に住む僕達にとっての春なのだ。新しい環境に変わることへの期待と不安、そしてそれまでの生活が終わり、一緒にいた人達と離ればなれになることの痛みと甘酸っぱいような寂しさ。そういうものが入り交じった複雑な気分になるのだ。これはおそらく、春という季節と別れ/新たなスタートという状況のミスマッチであるが故の絶妙のマッチングのせいである。もし僕達が全く同じ状況を秋から冬への時期や夏の盛りに向かっていく時期に体験していたら、多分もう少しクールでドライに環境の変化を受け入れていくことになったであろう。あるいは、こうも考えられる。寒い季節であれば、もしかすると別れはもっと悲劇的に思えるだろうし、新しい環境に対する期待よりも不安の方が大きく感じられるかも知れない。暑い季節であれば、高温多湿の気候は感傷に浸るという精神的作業を妨げ、全ての感覚を麻痺させるかも知れない。生物である僕達のものの感じ方や考え方は、季節によって大きく規定されている。
 「卒業」というのは、人生におけるある段階が終了し、新たなステップに進むための一つの区切りである。まさに別れと出会いの間を分ける節目であり、寂しさと期待が渾然一体となった状態の顕著なものである。僕達の「春」を象徴していると言ってもいい。数年間ともに毎日を送り、喜びや悲しみを分かち合ってきた人達との関係やそこで起きた出来事は、アルバムの集合写真の中に永久に封印される。別れてしまった大部分の人間とは、おそらく一生会うことはないだろう。そして、二度と同じ制服を着ることもなければ、あの日々のように校門をくぐることもなくなる。これほど大きな環境の変化が起きることは、生涯の中でもそう多くはない。ましてや生涯のうちで最も瑞々しい感性を持っている時期である。その時に感じる切なさ、寂しさは大人の何倍、いや何十倍にもなるだろう。春という季節の移り変わりの方向は、その寂しさに甘美な装いを与える。まるでそれは、悲しみや寂しさを春という季節が優しくオブラートにくるんでくれているかのようである。それはまた、涙をそっと拭いてくれるハンカチのようでもある。しかしその一方で、それは悲しみや寂しさをより際立たせることもある。
 春が来ると、僕は懐かしいあの時代と、その終わりの「卒業」と同時に失った恋を思い出す。季節が柔らかさと躍動感を増していく中でそうした感傷に浸ることができるのは、春に出会いと別れを経験する宿命の僕達にとってはささやかな幸せであり、同時にこの上なく残酷なことでもあるのだ。


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