思考過多の記録
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「事実は存在しない。ただ解釈だけが存在する」とある劇作家が脚本に書いていた。どんな事象にも、表があれば必ず裏がある。文学や音楽、絵画といった芸術には、たったひとつの正しい見方や意味は存在しない。学校の授業では平気で「作者のいいたいこと」を教えたりしているのだが、そんなものは作者自身にだって厳密には分からないのではないか(少なくとも、脚本家の卵である僕はそうだ)。また、作者が考えている解釈(=制作意図)が絶対ということもあり得ない。もし作者の解釈以外の一切の解釈が無効だということになれば、全ての芸術作品は作者のマスターベーションに等しいということになる。そんなものを見せられても面白くも何ともない。社会主義体制の国や宗教団体では、今だに芸術が政治的宣伝や洗脳の手段として使われている。ここでも支配者の定める解釈が唯一絶対であり、それ以外の解釈の可能性は否定される。何とも乱暴な話である。そこでは解釈=事実という図式が大前提になっているのだ。 自分の人生のある出来事(それは、日々の些細なことでも、所謂‘人生の岐路’になるようなことでも同じだが)についても、僕達はついつい自分の解釈が唯一絶対に正しいものであると思い込みがちだ。何しろ判断材料は限られているし、基本的に自分の思考パターンというパースペクティヴしか得ることができないからである。そして、一度形成された「解釈」の枠組みは、「事実」となって僕達を縛る。とりわけ神経症にかかって精神かを訪れる人間は、自分の解釈で自分自身をがんじがらめにしている傾向が強い。自分で作り上げた「事実」の中に閉じ込められ、逃げ場を失って発症するのである(これは、精神科医が書いたある本を読んでの、僕の「解釈」である)。そういう人間に対して、医師は面接を通してその患者が何故そのような「解釈」を行うに至ったかを明らかにしていく。患者が自分の「解釈」の根拠を冷静に見つめることができるようになったとき、その人は自分を縛っていたものから自由になる。そして、症状は消えてゆくのである。この医師は、ある患者の治療の過程で、患者が自分の身に起こった出来事をを解釈した言葉に対して、こんなことを言っている。 「そういうことになるのかもしれません。ただね、人生の物語というのは、話の筋がひとつとは限らないんですよ。」 そして彼は、彼の解釈を患者に話す。結果的にそれが患者を救うことになるのである。 自分の人生は、実際に生きている自分が解釈した姿が正しいというのは、実は錯覚に過ぎないのかも知れない。それを外から見ている人によって、様々な解釈が成り立つ。ある絵柄を完成させるべくパズルを並べていても、他の人の目には全く違った絵柄が浮かび上がって見える場合が多いということだ。どの絵が正しいということはない。先の話でいえば、医師の解釈が患者本人のそれより正しくて、それこそが事実だということではないのである。一面でこれは不安なことだ。だが、だからといって誰かに「事実」を探してもらおうとしてはいけない。解釈の嵐の中を、自分を縛ろうとするものと戦いながら進んでいく。それが生きているということなのだ。 これが、人生というものに対する、僕なりのひとつの「解釈」である。
その朝、僕はいつもより10分程早い電車に乗った。都心とは反対方向へ向かう電車は、いつもなら副都心へ通うサラリーマンやOL達、また郊外のキャンパスへ向かう大学生達で比較的混んでいる。しかし、その朝は少し、いや、だいぶ様子が違った。僕が乗り込んだ車両は、遠足へ向かうと思しきジャージ姿の小学生達で一杯だったのだ。ぎゅうぎゅう詰めではないものの、座席の殆どが占領されていて、立っている子供もいるという状態である。僕はとっさに、まずいところに乗り合わせてしまったと思った。しかし程なく、どうもいつもと様子が違うということに気付いた。普通遠足へ行く小学生の集団と乗り合わせてしまったら、あまりの喧噪に本を読むことも眠ることもままならず、ひたすら拷問のような時間にに耐えなければならないものである。ところが、その朝の小学生達は奇妙に大人しかった。私語をする者はごく少数で、それも小学生にありがちな、甲高い、叫ぶような喋り方ではない。ジャージに縫いつけられた名札から、彼等は4年生だと分かった。なぜこの子達はこんなに静かなんだろうと訝る僕の目に、さらに不思議な光景が飛び込んできた。1人の女の子が、何の脈絡もなく突然席を立ったのだ。すると、それに促されるように、あちこちで子供達が席を立ち始めた。僕の前にも空席ができた。車両の前の方をみると、小学生で埋め尽くされていた筈の座席にはいつの間にかサラリーマン達が座り、その前に子供達の固まりができていた。 僕は自分の目の前の空席に腰を下ろしながら、漸くこの事態を理解した。この子供達は、電車の中での過ごし方を学校で散々教え込まれていたのだ。電車に乗ったらお喋りをしてはいけません。大人の人が自分の前に立ったら席を譲りましょう…。そういえば、明らかに教師と分かる筈の大人の姿も、何故か見えない。普通は子供達と話をしていたりするのですぐ分かるのだが、どうやら教師までもが私語厳禁の教えを実践しているようなのである。と、これがどこかの校長が新聞に投書した文章なら、間違いなくこの話は美談として扱われ、「公共心がない子供が増えている昨今、久しぶりに出会った清々しい光景であった。日頃の先生方の指導の成果であろう」などと結ばれてしまうところだ。しかし、僕は少し違うことを考えていた。 これが教師の指導の成果だったとして、一体教師はどういうつもりでこんな指導をしたのだろうか。普通に考えると、子供達の教育上必要だったからである。公共の場所での態度を培うということであろう。しかし、本当にそれだけなのか。教師達は、自分達(または「学校」)が恥をかきたくなかったから子供達を「仕込んだ」という側面はなかったのだろうか。それは、自分達の日頃の指導の成果を見せたいがために、運動会(または体育祭)の入場行進や整列の練習を何度もやらせるのと根本において通底しているように思えてならない。それはもはや教育ではなく、観客の前で芸をさせるために動物を仕込む「調教」に等しい。いうまでもないことだが、この場合仕込まれる側の意志や都合は全く考慮されていない。そう考えるとこの子供達は不憫である。自分自身のことを思い出してみると、遠足は勿論目的地も楽しいのだが、行き帰りのバスや電車の中も楽しかったものだ。普段席が離れていてなかなかゆっくり話せない友達と話せたり、時間潰しにしりとりをやったり、勉強を離れた先生との会話ができたりと、なかなか貴重で豊穣な時間だったのだ(思いっきりはた迷惑だったかも知れないが)。今、この電車に乗っている子供達は、確実にその時間を奪われて、物理的に「移動」させられているだけなのだ。公共心を教えることも大事とは思っても、やはり割り切れなさが残る。ましてや学校や教師の体面を保つためだとしたら、まだエネルギーを発散する時期の子供達のためにならないような「調教」は、是非ともやめてほしいものだ。 とはいいつつ、席を譲られた僕が「よくしつけられているな」と一瞬思ってしまったこと、静かな車内にほっとしたこともまた事実である。そういう僕達大人の視線(これは社会的規範を内面化したものである)が、教師達を「調教」に駆り立てているのはほぼ間違いない。だとすれば、子供達から豊穣な時間を奪っているのは、本当は僕達学校の外の大人なのだ。そう考えると、子供達から譲られた座席に座っているのが申し訳なくなってきて、僕は会社の最寄り駅まで非常に居心地の悪い思い時間を過ごしたのだった。
「大貧民」というトランプゲームがある。このゲームは、開始に先立ってその前のゲームの1位(大富豪)と2位(富豪)の人間が、最下位(大貧民)と最下位から2番目(貧民)の人間からいいカードを貰えることになっている。その代わりに、大富豪は大貧民に、富豪は貧民にそれぞれ悪いカードを渡すのだ。その結果、ゲームの勝者は次回もいい持ち札で勝負ができるが、敗者は不利な条件で次のゲームに臨まなければならなくなる。ここにはあからさまな搾取の構図がある。トランプゲームの話なら笑って済ませることもできる。だが、これが人生だとしたらどうだろうか。 戦後民主主義教育で育った僕達は、人間は皆平等であると教えられてきた。だが、年齢を重ねるにつれて、これが真っ赤な嘘だということを大多数の人間は思い知らされることになる。どんなに頑張ったところで、学力や才能の個人差はそう簡単には埋められない。誰もがサッカー選手になれる程の高い運動能力を有してはいないし、かといって誰もが東大法学部を出て官僚になれる程の頭脳を持っているわけでもない。持って生まれたものの差は如何ともし難いのである。 それに加えて、個々人の置かれている環境もまた千差万別である。勉強熱心な親に育てられ、様々な知識に触れる機会の多い子供は、必然的に学校の成績もよくなり、上位の学校に進んでいい職業つく確率も高くなる。同様に、専門的な技能を持った親の子供は、才能と同時にそれを延ばす環境をも手に入れることになり、親と同じかそれに類する道で才能を大きく開花させることになる。いろいろな意味での‘コネ’もあるだろう。こうして、優れた音楽家の家系からは著名な音楽家が生み出され、かつてのオリンピックのメダリストの息子がオリンピックに出場し、政治家の息子は政界入りして活躍する。実際、高学歴の親の子供がレベルの高い大学に入学する比率というのはここ最近高まっているし、大企業の管理職の親はやはり管理職であるケースが多いそうである。 それだけではない。何しろここは資本主義の国である。僕は仕事柄学校に出入りして教師と話をする機会が結構あるが、低所得者層が多く住んでいる地域の学校と、比較的所得の高い人たちが住んでいる地域とでは、明らかに子供の学力が違うそうなのだ。親が低所得=最終学歴が低い=子供の教育レベルが下がるという図式が成立している上に、塾や習い事に通わせる経済的余裕もないので、ますます学力がつかない結果になる。こうして、環境的に恵まれている家庭の子女との差がつき、それが年齢が上がるにつれて徐々に広がっていくというわけだ。こうして、富める者、才能のある者達は既得権を守りながらますます栄え、そうでない者達は社会の底辺近くに居続けることになるのだ。悲しき大貧民ゲームである。だが、こうして階層流動性を失った社会は活力を失い、やがて衰退していくことになる。 勿論、「大貧民」においても悪いカードから自分の才覚と運で大富豪にのし上がる人間はいる。実社会においても然りだ。そういう人間こそ、その道での本当の実力者であり、生き残っていく価値があるのだろう。それもままならない僕のような人間は、自分のカードの悪さを嘆きながら、いつしか大貧民の位置に居心地よさを感じるような「敗者」として生きていくしかないのだろうか。いつの日かこのゲームのルールが変わる日が来るのを夢見ながら…。 そう、人間は、断じて平等なんかではないのである。
一般に動物は、自分たちとは違う種や、同じ種であっても別の個体や、得体の知れない存在に対しては、恐怖心の裏返しとして攻撃的になったり、排除しようとするものである。勿論いつでもというわけではない。ポイントは、相手が自分の縄張りを犯しているか否かという点である。同じことは僕達人間にもいえる。人間は動物に比べて理性的だから、そのことがそうそうストレートに行動に表れるわけではない。ただ、人間の場合は「文化」だの「歴史」だの「宗教」だのが絡んだり、幻想が無意識のうちに心理的に影響を及ぼしていたりするので、ことはなおさら厄介だともいえる。 大正生まれの僕の祖母は、普段は非常に穏やかで、物分かりのよい優しい人である。ところが、その祖母が朝鮮人に対して非常に強い偏見を持っているのだ。昔の話をしているときなど、「朝鮮人は狡っ辛い。信用できない」とよく口にする。何でも若い頃、祖母の友人が朝鮮人と金銭的なトラブルになったことがあったらしい。詳細は不明であるが、どうやら商売のことで騙されて、お金を取られたらしいのだ。自分の友人という身近な人が被害にあったという体験は強烈なので、朝鮮人に対して悪い印象を持ってしまったとしても不思議ではない。が、冷静に考えてみれば、悪さをしたのはその人個人であって、朝鮮人だから悪さをしたというわけではないのだ。百歩譲ってその朝鮮人が日本人を騙すことを目的としていたとしても、そこにはおそらく、当時自分の祖国が日本の植民地になっており、国際的には抑圧者である日本人を恨んでいたという社会的な背景があってのことだったのは想像に難くない。それに、全く同じ条件下において、相手が日本人だったら百パーセント騙されないなどということはあり得ない。同様に、相手が朝鮮人だったら百パーセント騙されるということもない。そう考えてしまうのは「朝鮮人=悪人」というイメージに囚われているからである。 この類の偏見は現在も世界の至る所にあって、それが内戦や地域紛争等の火種になっているのは周知の事実だ。この国でも、ついこの間も首都を預かる元作家の知事が「日本には不法滞在の三国人(=外国人)が大勢いて、その多くが凶悪犯罪を引き起こしている」という趣旨の発言をして、物議を醸していた。これをメディアで聞いた多くの日本人が「そうかも知れない」もしくは「その通りだ」と感じたようである。統計上は、我が国の凶悪犯罪の検挙者中に外国人が占める割合は、一貫して1割以下である。にもかかわらず、あの裕次郎の兄の発言が共感を呼んでしまうのは、「外国人は怖い存で、放っておくと何をしでかすか分からない」という殆ど何の根拠もないイメージが、多くの人の中に無意識のうちに形作られているからであろう。最近は日本人の方が「何をしでかすか分からない」人が多いというのに、何故外国人にだけ警戒心を抱かなければならないのか。アジアやアフリカ諸国から来た人達に対して「汚い」「臭い」といって蔑んだり、暴力を加えたりするというのも、根は同じである。そこには、我々の中に潜む得体の知れない存在に対する恐怖感・嫌悪感と、それに裏打ちされた排他的思考や攻撃性が見て取れる。それを批判するのは容易いが、こういうものから自由になるのは非常に難しい。というより、殆ど不可能である。何しろ、同じ日本人であっても(勿論、他の国の人達も同じだろうが)、僕達はすぐにグループを作りたがる。そして、グループに近付く者に対しては、仲間か否かを識別し、よそ者と見なせば排除する。いじめがその顕著な例だ。いじめの対象だった人間が、対象が別の人間に変わるといじめる側に回るのが日常茶飯事であることからも、この嫌悪感と排他的思考が如何に人間の根本に関わっているかが分かるだろう。特に経済が傾いたり政情が不安定になったりして、社会全体にフラストレーションが溜まってくると、少数派である国内の外国人がそのはけ口にされる。嫌悪され、排除されようとする外国人達が、逆に排除しようとする多数派を嫌悪し、フラストレーションを溜めていくのは自然の成り行きだ。それを見て「外国人は怖いもの」というレッテルを貼って排斥しようとするのは、愚の骨頂といっていい。 大体我々日本人は、自分たちが蔑み、嫌悪し、恐怖し、排除しようとしている外国人を不法就労の3K職場で安い賃金と劣悪な労働条件で働かせ、しっかりとその恩恵を受けて生活しているのである。僕は自分も含めたこんな日本人に対してこそ、強い嫌悪感を覚えてしまうのだ。
「人間は、単にその父母の子供であるばかりではなく、彼等が生まれ育った時代の機械科学の状態に基づく諸制度の産物でもある」と書いたのは、サミュエル・バトラーという人である。具体的な例を挙げれば、僕達の世代は、生まれながらにして自分自身の生物学的な目の他に、もう一つ「テレビ」という〈目〉を持っているということだ。僕達の親の世代はせいぜいラジオであり、祖父母の世代は新聞という、どちらも〈耳〉止まりであった。勿論、これらの存在ですらも、そのさらに前の世代の人間にとっては驚きである。例の浅野匠頭の松の廊下での刃傷沙汰を、地元にいる大石内蔵助達が知るのは数日後であり、すでに本人の切腹後である。もしこれが今なら、事件発生後1時間以内に赤穂藩士達は事件の概要を知ることができたであろう。 自分の部屋にいながらにして地球上のあらゆる場所から(時には宇宙空間から)の情報を、映像と音声付きでリアルタイムに受け取ることができる。しかも24時間ひっきりなしに、何百というチャンネルが全く違う情報を流し続けている。それが当たり前の環境に僕達は生まれ育った。この「テレビ世代」とそれ以前の世代とでは、物事を‘認識’する仕方が全く違っているといわれる。テレビ世代は感覚的な刺激を好み、落ち着き(=集中力)がないのが特徴だそうだ。さもありなん。僕達には次々に変わる番組と、その番組を中断してほぼ10数分おきに入るCM(これも15〜30秒の長さのものをたて続けに3、4本)が繰り返されるテレビのテンポが刷り込まれてしまっているのだ。このことは、あらゆる分野に影響を及ぼしている。例えば、テレビの普及以前とそれ以降では、所謂歌謡曲のテンポは、格段に上がっているという。ただ、僕達の親から上の世代は、テレビの存在を相対化できる年齢でテレビと出会っている。認識能力が完成してからなので、生な形で影響を受けることはない。どんなにテレビ漬けの生活を送っていても、親達の世代の根本は〈ラジオ・新聞的認識〉であり、それを拭い去ることはまず不可能である。同様に、僕達もまた〈テレビ的認識〉から逃れることはできない。そして、僕達と親の世代、言い換えれば〈テレビ以前〉の人間と〈テレビ以後〉の人間とは、決してお互いの認識を追体験したり、正しく理解し合うことはできない。分析できることと、それが実感として分かることとは全く別なのだ。この意味において、僕達は〈テレビ以前〉の世代と断絶している。これはテレビだけではなく、電話についてもいえることだ。 そして、僕達と僕達よりさらに下の世代とは、〈ゲーム以前〉と〈ゲーム以後〉や、〈ネット(またはパソコン)以前〉と〈ネット(またはパソコン)以後〉といった断絶がある。少年による凶悪犯罪が起こるたびに、テレビゲームやインターネットの影響ということが言われる。彼等は虚構と現実との区別がつかなくなったのだというのが、その論旨である。それに対して、それは単なる悪者探しであるという反論が出る。僕はそのどちらもが正しいと思う。案外〈ゲーム以後〉や〈ネット(またはパソコン)以後〉の世代の人間達は、本当に虚構と現実との区別がつかなくなっているのかも知れない。だが、それは普通言われるのとは全く違ったレベルにおいてであると僕は思う。おそらく彼等にとっての「現実」と、僕達の「現実」とがそもそも全く違っているのだ。そして、そのどちらがより正しい「現実」だとか言うことはできない。「現実」という概念そのものが変わったのである。現実と虚構との境界線の位置が移動してしまったのだ。そして僕達の世代には、それを感じ取ることができない。これが断絶ということである。 メディアは今後とも発達し、飛躍的な進化を遂げるであろう。その進化のテンポが速まれば速まる程、世代間の断絶は至るところに、それも短い間隔で現れることになる。しかし、だからといって僕達は決してそれ以前の状態に戻ることはできない。メディアはもはや僕達の認識を作り出す感覚器なのである。まことに僕達は「生まれ育った時代の機械科学の状態に基づく諸制度の産物」である。それを悲劇ととらえるか、幸福な状態ととらえるかという選択の自由は残されているとしても。
仕事にせよそれ以外のことにせよ、何らかの活動をしている人の中には、大雑把に言って、初めからポリシーを持ってやっている人と、他人に誘われたり成り行きでやっているうちに抜けられなくなった人の2種類の人がいるように思う。前者の人間は、自分の意思でやっているのだから当然最初から意欲も適性もある。それに対して、後者の人間は(特に当初は)概して意欲も低く、適性も必ずしもあるとは言えない。常識的に考えれば、前者の人間は活動を成功させ、継続していくのに対して、後者の人間は失敗したりやる気をなくして途中で脱落する者が多いということになる。ところが、実際はそうとばかりもいえない。 かつて僕の出身高校で演劇部の顧問だった先生は、もともと演劇には全く縁のない方であった。それが、前顧問の先生(この方は演劇にそれなりに造詣が深かったようである)が異動になったため、同じ教科を教えていた関係で後任に選ばれたのである。同じ教科内に演劇好きな先生がもう一人いらっしゃったのだが、その前年に他校で開かれた地区発表会に参加する僕達の荷物をこの先生がトラックを借りて運んでくださったのが、顧問を引き継がされる決め手になったのかも知れない。だから、先生はその当時「運転手から昇格した」と仰っていた程である。先生は元々山岳部の顧問でもあり、実際に学生時代登山の経験もあった。だから、本来はそちらが専門であり、山岳部では技術的なことも含めて指導なさっていたようである。一方演劇部では、専門的な知識を全く持たない先生は、技術的なことは指導できない代わりに、部員の活動がやりやすくするための様々な環境整備や部員達の精神的なケア等、あくまでもサポートにまわった。部員達も先生を慕い、頼りにしていたようである。その結果、その先生が異動で学校を去るまでの4年間に、本腰を入れた山岳部の活動は停滞した(先生ご本人の弁である)のに対して、それまで決してメジャーな存在ではなかった演劇部は校内での観客動員を伸ばし、2度の県大会出場を果たすなど目覚ましい活動をしたのだった。勿論これは先生一人の力ではなく、当時の部員達の活躍によるものだ。だが外から見ていると、演劇部が充実した活動ができた要因のひとつとして、先生の陰の支援ははずせないように思う。 この先生の後任の顧問の先生は、やはり同じ教科から選ばれたが、同じように演劇とは全く縁のない先生だった。この先生は「俺はやっても1年だ」と公言なさっていた。「前任の先生みたいなのを期待されても困る」とも仰っていた。ところが、部員達の活動を目の当たりにしたわずか数ヶ月間で、先生は前任の先生と殆ど同じくらいかそれ以上の情熱で、演劇部の活動をサポートするようになったのである。演劇部の活動に引き込まれてしまったという感じだった。結局この先生も、異動で学校を去るまでの2年間顧問を務めてくださったばかりか、異動先の学校でも数年にわたって演劇部の顧問をなさっていた。 別に好きだったわけでもないのに、ひょんな事から携わったことが思いもかけず長続きしたり、その人の人生を左右したり、多くの人に影響を与える例はたくさんある。いつでもやめていいと思いながら「笑っていいとも」を長寿番組にしているタモリや、バラエティーの進行しかやったことがなかったのに、畑違いの「ニュースステーション」を成功させた久米宏などもそうだろう。著名な数学者が子供の頃は算数嫌いだったりするというのもよく聞く話だ。おそらく、こういう人達には過剰な気負いがないのだろう。リラックスすることで本来のその人の力がフルに発揮されるのだ。また、自分達の活動に対する過剰な期待や思い込みが少ない。だから「こんな筈ではなかった」という失望から活動をやめたり、「こうあるべきだ」という教条主義・形式主義に縛られたりするることもない。だから、自由な発想で大胆な試みができる。そして、それが成功に結びついたりするのである。かつての日本の左翼運動の失敗は、これができなかったことが原因なのではないかと僕は思っている。 かくいう僕自身、かつては演劇など全く関心がなかった。どちらかというと演芸を志していたのである。それが、中学時代に本当に出来心で予餞会の学年劇のキャストをやったのがきっかけで、今では演劇をはずした人生は考えられないという人間になったのである。人生どう転ぶか分からない。自分の考えているのとは別の所に適性があったりする。何事もニュートラルな姿勢で行く方がよい。だがこれが言うは易く、行うは難い。意欲があればある程、ついついギアをトップに入れて突っ走ってしまう。僕の恋愛の失敗は、いつもこのあたりが原因のようである。
2000年10月14日(土) |
自分の意思で人生に幕を引くことについて |
人によって長短の差はあるにせよ、天寿を全うした人間の死は、我々にに悲しさと寂しさを残すが、思い出してその人を懐かしむことができる。だが、自ら命を絶った人間の死は少し様相が異なる。 自殺者達に対して、世間の目は概して冷たい。「自殺=悪」という図式が、世間の人々の頭の中にしっかりとインプットされているようなのだ。その根拠は「親から(あるいは天・神から)もらった命を粗末にした(途中で捨てた)」ということらしい。もっともらしい理由である。だが生きていることが苦痛以外の何物でもない人間に対して、この理由と不確実な未来を示しながらなおも生きる続けることを強要することは、果たして本当にその人間のためになるのだろうか。それはその人に対する形を変えた虐待になりはしないか。 赤ん坊が生まれ出る時は、薬剤による助けを借りる場合は別として、生む側の母親の意思ではなく、生まれる側の赤ん坊本人の意思によって陣痛が始まるという。その人生の出発点においては、誰もが自らの意思で自然に生きようとしてた。羊水に守られた母の胎内を出てもなお、親や周囲の愛情に包まれていれば、生きることを疑うことなど思いもつかない。だが、やがて自我が芽生え、世界と向き合い、世間にもろに曝されるようになると、次第に生きるていることが困難に思える局面が出てくる。実際、この世は生きにくい。精神的・物理的に追い詰められることもある。その時に、自分の意思で人生に幕を引くことは、生きることと同じように万人に認められている「権利」なのではないか。この「権利」を行使するのは、実は容易なことではない。どんなに周到に準備をして決行の日取りまで決めていても、結局実行できなかったという例は結構あるだろう。だから、たとえ発作的・突発的に見える自殺でも、実際行われてしまったということは、そこに至るまでに本人は相当追い詰められ、人知れず苦しんだと考えるべきである。他人がそれに対して「自分勝手」「臆病者」「命を粗末にした」「そんなことぐらいで死ぬことはない」などとなじることはできないと思う。その人の事情は、その人にしか分からない。大体僕達は、物事をごまかしたり狡く立ち回ったりしながら日々を生きている。勿論、苦しみや痛みに耐えながらである。だが、だからといって生きている人間が自ら死を選んだ人間に対して優位に立つというわけではあるまい。生きていることは、それ自体は別に偉いことでも何でもないのだ。生きている人間は、ほんの少しだけ人生の苦しみ・悲しみと楽しみ・喜びのバランスを取るのが上手かっただけである。誰かに対する当てつけのために確信犯的に未遂を繰り返したりする人間などは別として、不可避的に死を選んでしまった人間を貶めることは、僕にはできない。 僕の後輩の知り合いで、かつて僕の芝居に出演してくれたこともある男性が、この春自らの手で命を絶った。最愛の妻と2人の娘を残して2度目の失踪をした挙げ句のことだった。遺書はなかった。誰一人として彼の自殺の動機に思いあたる人はいなかった。自分の愛する人達に何も語らず、全てを自分の中に抱え込んでいたのは、彼流の優しさだったのかも知れない。いずれにしても、彼の死は、残された者達に悲しさと寂しさの他に別のものを残した。それは、彼のことを思い出す度に、僕達の中に生まれる「痛み」である。その「痛み」を忘れずにいること、何故彼が死を選ばなければならなかったのかを問い続けること、それこそが彼が自ら幕を引いてしまった27年足らずの人生に対するはなむけとなる。波瀾万丈の末に天寿を全うした人間の人生は、無条件で敬われ、意味あるものとされる。同様に、自ら死を選んだという事実によって、強烈にその存在を残された者の中に刻印した人間の人生は、僕達に「痛み」通じて生きることを問い直す機会を与えてくれたことで、天寿を全うした人に負けず劣らず大きな意味を持つのだと思う。 僕自身、思春期の時期を中心に、これまで何度も死んでしまおうと思った。それを思いとどまらせたのは、生きることの素晴らしさでも命の大切さでもなく、単に恐怖心であった。そのことをある人に話したら、「死ななくてよかったね」と真顔で言われた。それ以来、僕は本気で死のうとは考えなくなった。そして今、僕には愛する人がいる。だから僕は、決して自分の手で自分の人生に幕を引くことはできない。
2002年に控えている学習指導要領の改訂の全容がほぼ明らかになった。敗戦直後の教育改革に匹敵する大改革だと文部省は言っている。細かく見るといろいろあるのだが、一番大きく変わるのは根本の根本、「学力観」それ自体である。ごく簡単に言うと、これまでは所謂知育偏重というやつで、要は知識量と多くの問題を短時間で解く能力の育成が教育の目標であった。従って「学力」とは、そうした能力のことを指したのである。当然の流れとして、評価方法は「相対評価」となる。自分の「学力」の絶対値ではなく、集団の中で自分の「学力」の位置を示す「偏差値」が重要視されていたわけだ。戦後何十年にもわたって、我が国は国民にこういう「学力」をつけさせようとして上から下まで走っていた。何故そうしたのか。恐ろしく単純化して言えば(そして、この単純化はそんなに間違ってはいないのだが)それは産業界が欲する人材を育成するためである。また、時の政府・与党が支配しやすい国民を作るためということもある。それが日本という国のためであり、また自分たちの既得権を守り、新たな権益を生み出すのに都合がよかったのだ。そこには本来中心に据えられるべき「子供」の姿はない。それでも、何事もうまくいっていた(ように錯覚できた)。 ところが、これを長く続けていくうちに様々な矛盾が吹き出してきた。もはや誰の目にも教育の機能不全は明らかで、隠しおおせることはできなくなったのだ。そして、今文部省が目指している「学力」はこれまでと180°違う。今度は「生きる力」だそうである。その定義はきわめて曖昧なのだが、これまでの知育偏重から脱却し、自分で課題を設定して解決することのできる能力を養おうというのである。国の教育方針が大きく転換したのは理由はいくつか考えられるが、これまた恐ろしく単純化して言ってしまえば、やはり産業界が欲する人材を育成するためである。産業界の必要とする人材の質が、時代の流れや経済情勢の変化等によって大きく変わったのだ。民間教育の実践化や現場の先生や親や子供自身がこれまでどんなに大声で叫んでも殆ど耳を貸そうとしなかった行政が、こんなに大きく舵を切るのはそれ以外に考えられない。冷徹な政治力学の結果である。こうなると、当然評価方法も変わらざるを得なくなり、学習目標に対しての到達度を測る方法に変更されそうである。こうなると、クラス全員が目標をクリアすればクラス全員が100点という、夢のような事態あり得るのだ。当然これには反発もあるのだが、それは子供の親から結構多く出ているとも聞く。「差がつかないのは困る」ということらしい。さらにその理由は、「自分の子供がどの中学(高校)を受けていいのか分からなくなる」ということだそうだ。こんなことを言っている親というのは、実は僕達の世代である。その僕達は、紛れもなく「偏差値」で育った「共通一次世代」なのだ。 教育とは恐ろしいものである。一番感受性の豊かな少年時代や思春期に刷り込まれた「偏差値信仰」という価値観は、大人になっても消えずに僕達の思考や行動の根底に残る。信仰の内面化である。一度かけられた色眼鏡に慣れてしまうと、世界はそういう色にしか見えなくなってしまうのだ。余程意識的にならない限り、僕達はそんな価値観を植え付けられているということ自体に気付けない。そして、知らず知らずのうちに自分達の子供(=次世代)に同じ価値観を植え付けてしまうのだ。 しかも、その価値観は間違いだったといわれているのだ。確かに、教育にパーフェクトというものはない。何しろ、人間が人間を育てるのである。試行錯誤があるのもやむを得ない。失敗を繰り返しながら、人間はよりよい教育の方法を見つけていくのだろう。ありきたりの「進歩」の法則だ。だが、ことは生身の人間を育てる話である。間違った教育の結果、問題のある人間ができあがったとする。後世の人間がそこから何らかの教訓を学ぶのもよいが、間違った教育を受けた人の人生はどうなるのだろうか。誰も、未来の実験台になるために生きているわけではない。 「偏差値信仰」という不治の病と戦いながら、僕はこれからの人生を生きていかなければならない。一体この責任を誰がとってくれるのだろうか。これについては産業界も政府・与党や有識者達も、黙りを決め込んでいる。
2000年10月10日(火) |
偶像(アイドル)とカリスマ |
多くの人々に熱狂的に支持され、祭り上げられ、その一挙手一投足に注目が集まる存在、それが偶像(アイドル)である。またの名をカリスマともいう。両者はしばしば曖昧に使い分けられているが、ちょっとニュアンスが異なるように思える。「カリスマ」というと自分達には手の届かないずっと上の方に君臨している存在という感じがあり(もっとも、今では「カリスマ美容師」や「カリスマ店員」などという中途半端に偉そうな存在もあるのだが)、それに対して偶像の方はどこか自分達とさほど変わらないレベルという感覚がある。「カリスマ的存在」というと何やら近寄り難いが、「アイドル的存在」だと声のひとつもかけてみて、あわよくばお茶にでも誘ってみようか、という気にもなる。この違いはどこからくるのか。私見であるが、カリスマが周囲に発見されて存在するのに対して、偶像は周囲が作り上げるものだといえるのではないか。 よく知られていることだが、アイドルはどのようなイメージで売り込むかという戦略によって、売れ方が全く違ってくる。おそらく事務所がリサーチした最も売り込みたいターゲットがどんな指向性を持っているのか等のデータに基づき、本人の元々のキャラクターとはあまり関係なく、アイドルのトータルの‘色’(キャラクター)は決められていく。勿論、本人の‘素’のキャラクターが受けそうな場合(“天然”や“癒し”等)は、その部分を強調して出すようにプロデュースするのもありだ。このようにして、まずごく近い周囲からアイドルは作られる。そして、実際にメディアを通じて衆目に曝されるようになると、今度はより多くの人々(ファンやそうでない人を含めて)がアイドルを作り上げていくことになる。「等身大」の気持ちを歌い、ファッションリーダーであることを求められれば、アイドルはそうした期待=欲望に応えなければならない。ナイスバディが売りならば、露出度の高い服を着るような仕事の頻度が上がるだろう。決して人によって評価が別れるような話題に関する発言(分けても政治について)は慎まなければならないし、そういう活動をしても行けない。それは「周囲」の誰もが望んでいるわけではないからだ。大衆の視線が偶像を作り出す。そして、偶像が自分達の望む通りに動き、なおかつ自分達より半歩くらい先(一歩ではない)を行ってくれている場合に、大衆は偶像にオーラを見るのである。つまり、偶像のオーラは月の光と同様である。大衆は自分達の欲望の輝きを見ているだけだ。だから、たとえ売れている間であっても、アイドルがアイドルであり続けるのは、本人にとっては結構しんどい。場合によっては死人が出たりもする。 一方のカリスマは、大衆によって「発見」されるものだ。カリスマがカリスマたりうる条件は、カリスマ本人が持つ人並みはずれた高い能力と、それに対する周囲の羨望である。多くの場合、カリスマは決して周囲に阿らない。その必要がないからである。アイドルは周囲に育てられる(作られる)が、カリスマの能力は基本的には周囲とは関係がない。とはいえ、発見され、衆目に曝され、脚光を浴びなければカリスマにはなり得ないことも事実である。大衆の欲望の眼差しがここにも大きく絡んでいる。カリスマの発するオーラは彼自身の能力が人々を魅了する結果であるが、そのオーラを拡大していくのは、やはり大衆の欲望であり、時代や社会の要請である。それを巧みに読みとって、その力で自分の存在を大きくしていこうとする者も現れるだろう。 偶像もカリスマも、自分がなろうと思えばなれるというものではない。大衆の指向性や時代の空気等によって、まさに祭り上げられるものだ。所謂‘流行もの’である。だから、当然のように、流行が去れば同じ大衆によって貶められ、やがて忘れ去られる。持ち上げておいて飽きたら捨ててしまうのは、僕達大衆の得意技だ。現在の地位が自分だけの力によって得られたのだと錯覚して、その上にあぐらをかこうとした偶像達は、あっという間に表舞台から姿を消していった。カリスマも、忘れられればただの人である。そして大衆は次の欲望の対象を求め、新たな偶像が生み出され、次のカリスマが発見される。古い偶像達がその最盛期と同じ影響力を持つことはない。考えてみれば、残酷な話である。 さて、アーティストや芸能人や政治家だけでなく、僕達は常々、もっと身近な存在の中にも偶像を作り上げ、カリスマを発見している。例えば自分の愛する人のことを考えてみよう。僕達はそうやって大切な人を自分の中で祭り上げ、捨ててきてはいなかっただろうか。
ここ数日、熱を出して寝込んでいた。これが初めての経験というわけでは勿論ないのでことさらに書く程のことでもないが、熱が38度を超えてみると、普段何気なく行っている日常の行為が意外と体力を要するものだということが実感として分かる。この文章を書くのも、高々パソコンに向かってキーボードを叩くというだけの行為であるが、熱がある時にやってみようとすると、以外にしんどい。文章を書くということは、結構体力と気力を消耗するものである。熱が高くなって初めてこういうことに気付くというのは、筋肉痛になると普段全く意識していない日常の動作が、どの筋肉によって行われているのかを知るというのに似ている。もっといえば、足を骨折して松葉杖の生活になって初めて、2本足で歩くという行為がどういうものかを意識することに似ている。そして、それまで全く気にもとめていなかった小さな段差が、如何にお年寄りや障害者といった人達の通行の妨げになっているかを知るのである。 何事もそうだが、それが空気のように存在していて、なおかつうまく機能しているうちは、僕達はそれを意識することがない。ところが、それがなくなってしまったり、問題が起こったりして初めて、僕達はその存在を意識する。その時には、それはもはや元の形で存在してはいないのだ。問題が起こるまでには、多くの場合前触れやきっかけがあり、その問題が進行したり拡大したりするプロセスも当然あった筈である。ところが、それが表面化するまで僕達は気付かない。何とか現状を保っているかに見える間は、それまで通りに対処している方が楽だからである。偶さか、水面下で進行している事態に気付いた誰か(専門家だったり一般の人だったりする)が警告を発することもある。だが、僕達の多くは、まだまともに取り合わない。何しろそうした声に耳をふさいでいれば、何も考えなくても今まで通りことは運んでいるのだから。こうして、僕達を支える「安全装置」を僕達は失っていく。その時僕達は、それが何であったか、どういう仕組みであったかを漸く意識することになるのだ。こうした事態は、オゾンホールの拡大や地球温暖化、大都市のゴミ問題や開発による環境破壊といった問題から、破局を迎える夫婦や恋人達、医者の警告を無視して飲酒を続ける肝臓病患者等、ありとあらゆる場所、局面で起こっている。「転ばぬ先の杖」という言葉があるが、転んで初めて杖の必要性を感じるというのが現実であろう。それどころか、転んでみるまで自分がどうやって歩いているのかすら意識していないというケースが大多数ではなかろうか。 しかしより本質的な問題は、それが「安全装置」として機能していたシステムそれ自体の妥当性ということではないか。処分場の場所さえ確保できればゴミを出し続けられる消費社会は、本当に安心な体制なのか。自分が我慢することによって維持される家庭は、一体誰の幸せのために存在しているのか。誰かの犠牲の上に成立する秩序や、矛盾を覆い隠すことで保たれている平和な日常は、いつか足下から崩れ去る。筋肉痛や骨折のように、不具合が発生してからシステムの全貌を知るというのでは遅すぎる。万能な安全装置など存在しない。もっと根本から自分達の属する大小さまざまなシステムのあり方を見直すべき時期に来ている。 そう書きながらも、病み上がりでこの文章を書いている僕のことを省みれば、これまで何度も慢性の睡眠不足から体調を崩すということを繰り返している。病が癒えてすぐの時期は、気を付けて睡眠時間を確保すべく努力するものの、数日たてば元の木阿弥である。今のところは大病といわれるものとは縁がないが、健康こそは失って初めて強く意識するものの典型であることを肝に銘じておかねばならない。とはいいつつ、たとえ病の床から起き上がれなくなっても、キーボードを叩く力のあるうちは、僕は最後の最後まで「書く」ことに全力を注ぐであろう。たとえそのことで寿命が数日縮まったとしても、きっとそうしてしまうに違いない。僕も人の子である。なかなか学習ということをしない。
無差別テロ的犯罪を起こしたことで有名なあの新興宗教の元および現信者が、ある流行作家のインタビューに答えた本を読んだ。例の事件の後に行われたインタビューである。あれをきっかけにその宗教を抜けた人もいれば、その後もとどまっている人もいる。あの集団に関しては、いろいろなことが語られているので、僕ごときがこんな場所で改めて何か言うこともなからろう。ただ、僕がこの本を読んで感じたのは、現あるいは元信者達はみんな物事に対して非常に真面目で誠実であること、そして、にもかかわらず(というか、だからこそというか)彼等の殆どがおしなべて独善的であるということである。 彼等は、様々な理由から、「現世」に違和感を持っていた。そして、生きにくさを感じていて、その理由をはっきり教えてくれる人や、そこから自分を救ってくれる何かを求めていたのである。現世での生きにくさの原因は決して自分たちにあるのではない。それは現世のあり方が間違っているのだ、と教えてくれたあの宗教は、彼等に心の安らぎを与えた。漸く自分を肯定してくれる場所(教え)に出会ったと思ったのだ。 よく考えてみると、これは何ら珍しいことでも特殊なことでもない。僕達もまた、世の中の生きにくさを感じるときがある。そんなとき、宗教に走らない人間のとる方法は、何かしら気晴らしをして気分を変える、生きにくさを無視して何も考えずにすむように自分の感覚を鈍らせる、そして恋人や友達にすがったり趣味に逃げたりする、といったものである。いずれの場合も、結局は現実に直面することを避けているので、何の解決にもなっていない。言ってみれば、麻薬によって別の世界にトリップしているだけである。あの新興宗教に走った人達は、問題に直面した段階では、俗世間の人々よりも少しだけ誠実であったかも知れない。彼等の多くは真剣に悩み、哲学や宗教の本を読み漁ったりしている。その過程であの宗教と出会っているのだ。だが、その後にとった行動は、本質的には俗世間の我々と何も変わらない。彼等は同じ教えを信じる者達の集団に閉じこもり、外の世界(俗世間)を蔑み(「崇高な教えを実践している自分たちの魂の方が高いエネルギーを持っている」という主張をみよ)、攻撃し、指導者の教えを無批判に受け入れる。その人に帰依して救いを求める。しかし、それで何が解決したのだろう。「間違った」時代や世間を変えることができたのだろうか。そして、自分自身はどうだったのか。 自分たちの「教え」のみが正しくて、それを受け入れられない「俗世間」の方が間違っていると思ってしまうというのは、僕に言わせればまだまだ修行が足りない。大体、己を虚しくして自分と向き合うことや、全てを受け入れて悟りを開くなどということは、たとえ厳しい修行を積んだとしても誰にでもできることではない。それに気が付けば、もっと謙虚になれる筈だ。最終的に自分達は神に選ばれて「本当の世界」に入ることができるのだと信じるというのも、いくら古今東西の宗教の寄せ集めみたいな「教え」で粉飾してみたところで、「俗世間」の発想そのものではないか。よく言われたことだが、あの事件(そしてあの教団のあり方)は70年代の連合赤軍に似ている。あの時も、「社会主義(共産主義)革命」という思想を信じ、「本当の世界」を作るために戦っていた集団が、「俗世間」を攻撃し、孤立し、最後は仲間同士が傷付け合って(リンチ)内部から崩壊していった。彼等が目指した崇高なりそうとは裏腹に、蔑んでいた「俗世間」に彼等自身がなり果てていたのである。 「本当の世界」など何処にもありはしない。僕達が生きている、この世界が全てなのである。誰もが汚れているし、誰も正しい道を説くことなどできない。それでも必死に生きなければならないのが、この世界なのである。そこで様々な問題に直面しながら、人は逃げたり取っ組み合ったりしながらも生き続ける。その人間の言葉を綴った書物があったとすれば、それは凡庸で汚れていて、大した価値はないかも知れないけれど、どんな神の言葉よりも尊いと思う。
いつまでも孵らない脚本家の卵である僕は、自分の脚本を上演するために不定期ではあるが芝居を打っている。劇団という形の固定した集団を持たないため、メンバーの顔触れは常に変動しているのだが、それなりに長いことやってくると、当然ながら多くの舞台に顔を出す常連さんとでも呼びたいような人も出てくる。そのうちの1人が、今年の2月の芝居を最後に暫く舞台を離れるという話になっていた。 彼女は僕の出身高校の部活の後輩である。年が9歳も離れていることもあって直接の関わりはない筈なのだが、「指導」と称して僕がしょっちゅう部活に顔を出しているうちに仲良くなり、それが縁でまだ手探り状態だった僕の自前の集団の芝居に参加してもらって以来の付き合いである。彼女が現役時代から、僕が部活のために書き下ろした脚本の重要な役所をいくつも演じていた関係もあって、役者としての彼女と僕の脚本とはフィーリングが合っていた。彼女も僕の脚本を気に入ってくれていた。そういうわけで、折に触れて僕は彼女に芝居を手伝ってもらった。時には主役を演じてもらったこともある。ずっと一緒にやっていきたいと思っていたのだが、当時から社会人だった僕は、自分の活動の先行きに確信が持てているわけでもなかった。一方、芝居を極めたいと思った彼女は、高校卒業後に自分の得意分野である声優の道に進み、そこで舞台にも立つというちょっと変わった経歴をたどる。当時の彼女にとっては、芝居こそ全てであった。全ては芝居を軸に回っていた。だから彼女は、僕の集団に専属というわけにはいかなかったのである。 それから何年かが過ぎ、彼女の周囲の環境も人間関係も変わった。彼女の属していた集団は解体し、彼女は舞台の制作会社に一時属したもののそこも辞めて、バイトに没頭し始めていた。そして同じ頃、彼女はある男性と付き合い出していたのだ。彼女にとって、もはや芝居は全てではなくなっていた。「舞台にいる時が自分が一番輝いていると思えなくなった」と彼女は言った。「私は芝居よりももっと大切なことを見つけた。それが彼との時間であり、彼と生活して子供を産み、家庭を持つということだ」とも言ったのだ。それが、彼女があれ程情熱を注いだ舞台を降りようと決めた大きな理由だった。 僕はこれを知った時、「ブルータス、お前もか」と思った。かつて同じような理由で舞台を降り、芝居から完全に足を洗って結婚して母親になった女性が、やはり僕の身近にいたからである。そして、人の心は、時の流れの中で不可避的に移ろっていくものなのだと実感した。女性の多くは「家庭」を意識し、男性の多くは「仕事」を意識する。誰にでもそんな年代が確実にあるのである。それまで追い求めていた一番大切な「夢」を清算し、生産的であることを強いられる「現実」に生きるか否かの選択を迫られるのだ。そして多くの人は、自然に「現実」の道に進んでゆく。思春期に体が大人へと変化していくように、ここで人は精神的に「大人」に変わるのかも知れない。彼女もまた、より生産的な「夢」=「現実」を見つけたのだ。僕にはそれを否定することなどできない。ただ、少しだけ寂しいと思うだけである。それは、同志を失うことの寂しさである。そして、彼女はその男性と婚約をした。彼女の新しい「夢」の実現に向けての扉は開かれた。 この2月、僕は彼女の結婚前最後の舞台を彼女と踏んだ。ここまでいろいろな形で一緒にやってきてくれたことへの感謝の気持ちも込めて、僕はまた彼女をメインのような役につけた。自分は得意ではないと言いながら、彼女はもはや中堅どころといっていいその力を遺憾なく発揮してくれたのだった。もしかすると、これが彼女にとって本当の最後になるかも知れないと僕は思った。 そして、つい数日前、様々な事情から彼女はその男性と別れた。「自分にとって、芝居よりも大切なもの」であった彼との時間や、「夢」であったから彼との結婚生活を手放したのである。おそらく、今の彼女には大切なものは何もない。この先の人生で、彼女は再び自分を輝かせ、幸せにしてくれる「大切なもの」と出会えるのだろうか。それが「夢」であっても「現実」であってもかまわない。いつかそんな日が来てほしいと、「夢」と「現実」の狭間に生きる僕は心から願っている。
些か旧聞に属するが、神戸連続幼女殺傷事件の酒鬼薔薇がマスメディア向けに書いた犯行声明文が公開された時、あの文章の中身について様々な解釈がなされた。学校や教育に対する恨みが現れている、それが重要な動機に違いないとか、「透明なボク」という言葉に生きているという実感を持つことが難しい現代という時代の病理を読みとったり、犯人の生い立ちを推測したりする者もいた。臨床心理学や犯罪社会学などといった所謂専門的な立場から語られる者から巷間の噂・床屋談義の類に至るまで、実にいろいろなことが語られていた。その殆どがほんの少しだけ当たっていて、同時に殆ど的外れだったことが判明したのは、少年が逮捕された後のことである。しかし、あの犯行声明文が文学的に見てきわめてよくできていたという事実は、あまり語られていない。僕は高橋源一郎がそれを何かの本で指摘しているのを読んで、妙に納得してしまった。勿論、僕はあの少年のしたことを肯定するつもりはない。が、そのこととあの文章の評価とは別の問題だ。 「さあ、ゲームの始まりです」で始まるあの文章は、読む人を妙に引きつける力があった。これまでの犯行声明文で耳目を集めたのはグリコ・森永事件の関西弁のやつくらいだが、あんなちゃちなものとは比較にならないできである。言葉の選び方が文学しているのだ。「透明なボク」というのもそうだし、「一週間で4つの野菜を壊します」という言い方にしても、「一週間以内に幼女4人を襲うよ」という表面上の意味を越えた底知れない不気味さを感じさせる。少年と同年代には勿論、普通の大人でさえなかなかこういう言葉は選べない。逮捕後、「少年の心の底知れぬ闇」という言い方がされていたが(大人達のこの言葉遣いは恥ずかしくなるような紋切り型で、言葉の質では到底あの少年の文章に及ばない)、まさにその闇の中から「文学」が生まれたのである。そして、僕達が「闇の文学」に惹かれてしまったのは、僕達自身の中に「闇」に対する一種の憧れがあるからではないのか。 人間は「善」よりも「悪」に魅了される。それが人間の本質である。古今東西、薬物・金・色情・陰謀・殺人等々、悪の誘惑の種類には事欠かない。何しろ「善」は苦行だが、「悪」は快楽である。「善」を教える芸術作品はおしなべて退屈だが(小学校の課題図書を思い出してみよう)、「悪」を描いたそれは見る者をその世界に引き込む。生のエネルギーが溢れているという感じだ。そして何よりも、美しい。例えばファシズムは「悪」であるとされているが、ナチスの党大会の映像は、モノクロであるにもかかわらず、非常に美しい。美的にいろいろと計算されているのだ。ところが、同じことを宗教団体がやると非常に胡散臭くなってしまう。「善」は人間の本質からはずれているのでどうしても嘘っぽく見えてしまうのだろう。新興宗教から革新政党まで、善意と希望に満ちた笑顔を強調して僕達にアピールしようとする人々に薄ら寒いものを感じてしまうのも、そういう理由からである。繰り返しになるが、完全なる「善」を僕達は信じられない。それは、僕達が「悪」の方に親近感を抱いているからである。 だが、それをおおっぴらに認めてしまっては社会が成り立たない。そこで人々は、悪を嫌悪する素振りを見せる。犯罪者を閉じこめ、「悪」の臭いのする芸術や、「悪」を生み出しそうな人間やメディアを排除しようとする。いつしかそんな素振りが人間のあるべき姿だと思い込むことに成功するだろう。 しかし、それでも悪は栄える。明るい光で社会を照らそうとすればする程、影はくっきりとできるものだ。どんなに逃れようとしても、「人間らしい力を取り戻せ。本当の自分に戻れ」と、悪魔は僕達の耳元で囁き続けるのだ。人間は悪の華に見せられ続ける存在だ。だから人間は神を発明しなければならなかったのであろう。芸術はそこから生まれる。だから、間違っても「善」の伝道師の役割を芸術に期待してはならない。
少し前にこの文章でオリンピックについて腐しておきながら何であるが、今日で終わりということもあるので、そのオリンピックから一つ。あの女子マラソンで金メダルを取った高橋尚子のことである。彼女が直後のインタビューで「楽しい42キロだった」と本当に楽しそうに語っていたのは周知の事実である。そして、まさにイメージしたとおりのレース展開だったこと、あの地点でスパートすることは前日に監督とのミーティングで決めたこと、そしてその通りに走れたことなどを、あの笑顔でこともなげに語っていた。 スポーツに限らず何かをやろうとする時(特に少し大きな事の場合)は、ある程度の見通しを立てるのは当然である。かなり綿密な計画を立てることもあるだろう。問題は、多くの場合、目論見通りに事が運ばないということなのだ。先の女子マラソンでも、先頭集団のペースが上がったのについていけずに脱落する選手も多かった。自分のペースでレース運びができなかったということである。一方では頭の中でイメージした通りに事を運ぶ人間がいるというのに、どうしてそんな差ができてしまうのか。一体彼女を成功に導いたものは何なのか。勿論、元々持っている力の差があるだろうし、その時々で条件も違う。だから一概には言えないのだが、敢えてここでは「自信」だと言い切ってしまおう。彼女には「勝算」があったと思う。前評判の高さは勿論本人も知っていただろうが、それは逆のプレッシャーにもなりうる。彼女の「勝算」はそんなところからくるのではなく、それまで培ってきたもの、レースでの実績、そしてトレーニングである。コースを下見で何度も走り、体に覚えさせていたというのも大きい。そういうことから判断して、イメージした通りに走れると確信できるものがあったのである。それもなしに一か八かでスパートをかけても、相手に余力が残っていてこちらが力尽きれば、最後に抜き返されるだけの話だ。そうならないかどうかは、まさに運次第である。そして、運に頼るようでは、どんなことでも成功はおぼつかない。「最後には神風が吹く」と言って逆に原爆を投下されたのは、他ならぬ日本であった。 イメージ通りに事が運ぶと信じられる人間のことを、僕はついつい楽天家だと思ってしまう。「自信」が「過信」につながることはよくある。浮沈神話におぼれて北極海に沈んだタイタニックをはじめとして、ハイテク技術や自分の力を過信して悲劇を招いた例は枚挙にいとまがない。高橋選手のように成功する人間は、おそらく「過信」がないのであろう。レースを振り返って彼女は、「あそこで相手の選手がちょっと遅れたので、今だ!と思って、体と相談してスパートしました」と語っている。その地点に至るまでにも、常に「体と対話しながら」走っていたと言っていた彼女は、レース中常に冷静さを失わなかったのだ。自分の力を客観的に知り抜いていたからこその「自信」である。決して「自分は必ず成功すると思い込む」というイメージトレーニングの類では得られない「確信」に裏打ちされたものだ。「過信」で躓く人間との違いがここにある。 一方、いまひとつ自信が(ということは当然「確信」も)持てないまま物事に臨んだ人間は、無意識のうちに萎縮してしまっている。だから、自分の持っている力を全て出し切れない。イメージした通りの展開になるかどうか不安なので、自分のペースに持ち込めないのである。結果、他人のペースに巻き込まれて自分を見失う。そして、当然のように敗退していく。結果を見て「ああ、やっぱりね」と思えば、自分の中でも辻褄も合うというわけだ。 僕自身は、どちらかというとこのタイプだ。悲観的な性格なのであろうか。よく他人から「自信を持て」と言われるが、なかなかそうもいかない。「確信」が持てないからである。だが、「確信」に裏打ちされた「自信」を手にするためには、力を付けるためのトレーニングが必要なのだ。高橋選手にも、あまりの練習の辛さにもう逃げ出したいと思ったことがあったそうだ。それを乗り越えてこその「自信」である。もともと彼女が楽天家だったというわけではない。42キロを走りながら「楽しい」と思える強さを持てた時、初めて「自信」というメダルを手にすることができるのであろう。精進あるのみである。
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