思考過多の記録
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2000年09月30日(土) 純粋ということ

「昔は、本を読んだらその内容を全て信じたり、共感してばかりだったけど、この頃は取捨選択して読むようになった。これは純粋さがなくなったってこと?それとも、大人になったということなのかな」。これは、僕のごく親しい女性の呟きである。20代も後半にさしかかろうという彼女は、彼女と同年代の人間に比べればずっとピュアな心をもっている。そんな彼女ならではの言葉である。
 僕達がまだ幼い頃、親や教師の言うことが絶対だった時期がある。大人たちの発言や、本に書かれたことに間違いなどある筈もない。大人が提示するものが僕達の世界の全てであった。勿論、大人の目の届かないところで、僕達はいろいろな発見をしていた。雑木林の奥や用水路のほとりや路地の裏や庭の片隅で、僕達は大人には見えないものを見ていたに違いない。また、大人には言えないことをしてしまったこともあるだろう。親も先生も誰も知らない人間関係に悩み、傷つき、また喜んだこともたくさんあった。小さな恋物語もあったかも知れない。しかし、依然としてそれを取り巻く大きな世界は、僕達には見えていない。大人の目を通してしか、僕達は世界を見ることができなかった。大人が示すものを、僕達は全て受け入れるしかなかったし、それが当然だったのである。
 やがて、僕達の身体に変化が訪れる頃、今度は親や教師の言うことが全て信じられない時期が来る。大人たちの発言や本に書いてあることが、ことごとく僕達がすること、考えることとぶつかるのである。無理もない。僕達は今を生きているのに、大人たちは過去という物差ししか持ち合わせていないからだ。こうして僕達は、親や教師とは違う世界を手に入れようとする。同世代か、少し上の世代の発信するものを貪り、それに共感して自分を確かめる。また、他の大人達とは違った世界観を持った大人を探し、自分との接点を見出せば心酔して、言動や持っているものまで真似して、何とかその人に近付こうとする。この過程で、僕達は僕達なりの世界を獲得する。そして、僕達自身の目で世界全体を把握しようとする。(それはある種の錯覚で、依然として僕達は、自分が影響を受けた人・ものという窓から世界を見ているにすぎないのだけれど)。周囲の大人達の提示する世界に対抗して、何とか自分の目で世界を見つめ、その全体像を描こうとあがくのである。
 この二つの時期の僕達は、それぞれ違った意味で純粋である。全てをあるがままに受け止める幼年時代、そして、たとえ周りから間違っているといわれても、自分の世界観だけに照らして拒絶するものは拒絶し、絶賛すべきは絶賛できる青年時代。どちらの時期も心は元気で瑞々しい。いろいろなことを素直に感じ取り、それに反応する力がある。
 そして今。大人になった僕達は、かつて何でも知っていると思っていた大人も、実は世界の全てが見えているわけではなかったということを知っている。真実だけが書かれていると信じて疑わなかった本には、往々にして現実すら反映していない穴だらけの文章が書き連ねられている。そして、僕達の多くは、日常生活の中で自分の身の回りのことに気を取られ、世界全体を見ようとしなくなる。かつて大人達がそうしていたように、今目に見えているものが世界だと思って暮らすようになる。日常の雑事を山ほど抱える僕達にとって、その方がずっと楽だからである。こうして、心はかつてのように敏感に何かを感じ取るということはなくなり、まるで流れ出した溶岩が冷えて固まっていくように、急速にその感受性を失っていくのである。
 僕とごく親しい彼女は、日常生活に追われながらも、自分なりに世界を把握しようとしている。本を読み、音楽を聴き、映画や舞台を見る。また、日常生活の中の些細な出来事にも何かを感じ取る。その体験の一つ一つに心が敏感に反応しているのが、僕にはよく分かる。そしてその感受性は、幼年時代や青年時代のものとは違い、少しずつ深まり、研ぎ澄まされてきているのである。彼女のHPを見てもそのことが伝わってくる。勿論彼女はまだまだ若いけれど、年齢を重ねてもなおそうした状態を保っていくことは本当に難しいものだ。きっと彼女の心は、これからも冷えて固まることはないだろう。彼女は、大人の純粋さのかたちを体現しているのかも知れない。


2000年09月26日(火) 思考のスピード

 この日記の一番最初の文章にも書いたのだが、僕は過去を限りなく微分する癖がある。過去だけではなく、今この瞬間ですらついついそうして考えてしまったりすることもあるのだが、これは困りものである。なぜこんな癖がついたのか。原因は僕の頭の回転の遅さにある。僕は人と会話していて、その会話のスピードに思考が追いついていないことが多い。勿論相手の言っていることを瞬間瞬間で的確に捉えようと、精一杯努力はしている。しかし、如何せん処理能力が足りないので、いわんとすることの全貌や、その発言の深い意味などをその場で察知することができないのである。これは本当にお恥ずかしい話だ。だから、例えば相手の発言に対して自分がとったリアクションを後で思い返してみると、適切でなかったことが多かったりするのである。あんなことを言ってしまったけれど、あの人の気持ちを考えればこう言っておくべきだったとか、彼の昨日の行動はこういう意味があったのではなかったか、だとしたら僕はあのような行動をとるべきではなかったな、などという後悔の念が1日、2日たってからわきあがってくる。その瞬間に分かっていればもっとうまくできた話である。そうやって僕はいろいろな人を傷付けてきたのかも知れないと思ってしまう。まるで太宰治の小説のような一生を送っているみたいである。
 拾い読み、斜め読みという読書の方法がある。大切そうな部分を選んで読んでいくやり方で、小説には適さないが、エッセイや評論などはこれで読めると世間では言われている。が、僕はこれもできない。それどころか普通に読んでいても、いくつかのセンテンスを読み終わる度に、自分が本当にその文の意味を理解したのか不安になって、もう一度同じセンテンスを読み返してしまうのだ。結果、一つの文章を読むのに大変な時間がかかることになる。立花隆のように速読で長文の意味を理解してしまう人に比べたら、僕は処理能力が低い分、一生のうちに読める本の量はかなり少ないのではないか。事実、僕の部屋にはいつか読もうと思って買った本が堆く積まれている。悔しいけれど、結局読めなかったという本も出てくるかも知れない。しかも、そうやって時間をかけて読んでいるのなら、その本の内容をかなり微細にわたって覚えているはずなのであるが、どうやらそれもない。後で読み返してみて、「ああ、ここに書いてあったのはそういうことだったのか」とやっと理解するという有様だ。その理解も的確なものであるかどうかはかなり怪しい。何ともお粗末な話である。
 その瞬間に的確な判断をしながら会話や生活を送っている人と、僕のような人間とでは、思考のスピードが違うのであろう。というよりも、世の中のスピードに僕の思考のスピードが追いついていないというのが実態ではなかろうか。だからいつも僕は、瞬間瞬間に慌てふためく。焦っていれば、当然じっくり考えられない。それで的外れな返事をしたり浅はかな行動をとってしまったりする。かといって、考えすぎると全く動けなくなる。とかく人の世は住み難い、とまるで夏目漱石の小説のように慨嘆してしまう。
 よく人は波長が合うとか合わないとかいう言い方をする。それは多分、この思考のスピードと深度が合っているか否かをいっているのではないだろうか。同じスピードで考える人と一緒にいれば、あたふたすることもない。同じくらいの深さで考えてくれる人となら、思考のすれ違いが比較的少なくてすむ。とはいえ、やはり人と人とのコミュニケーションである。微妙な違いは生じるだろう。それを吸収して、相手のスピードに合わせてあげられるくらいの余裕を持ちたい。それには、苦しみながらもいろいろな早さで考える現場に立ち会い続けなければと思う。この日記も、実はそんな訓練のひとつである。


2000年09月25日(月) 世界の片隅から消えていく猫

 今日、僕の職場の先輩が退職した。僕とさほど年齢の変わらないその人は、仕事上の理由で退職に追い込まれたのだけれど、ご本人は、勤続10年半にしてまさかこの会社を去ることになろうとは思ってもいなかったに違いない。同じ職場の大方の人間にとって、このことは寝耳に水であった。その人がどんな状況におかれているのか、皆薄々分かってはいたものの、まさかそんなことになるとは想像だにしていなかったようである。そんなショックの中でも、現実問題としてその人が残した仕事をどのように進めるのか、また1人抜けたあとの体制はどうなるのか、話は必然的にそちらの方に進んでいく。会社というのは組織なので、無理もないことだ。たとえある社員が会社の現状を批判して抗議の自殺をしたとしても、会社は冷静に彼の後任を選び出す。そして、何事もなかったかのように組織は動いていくのである。
 その先輩の突然の退職を知らされた会議が終わると、僕達は、内心は穏やかでなかったとしても、それまでと同じように自分の仕事を始めた。会社とは、組織とはそういうものである。去る者も残る者も、1人の人間であって、同時にそうではない。僕達は皆、組織の中では非人称的な存在なのだ。自分がいなくなっても、誰にでも取り替えはきく。自分はかけがえのない存在でも何でもないのである。当座は困ったり、悲しんだりしてくれるが、それも長くは続かない。日常という風景の中に不在の記憶は埋没していき、その人を思い出す回数もだんだん減っていく。机や残された持ち物といった、その人の存在の痕跡は徐々に(または即座に)消し去られ、やがてはその人の存在はほぼ完全に忘れ去られる。数年前、僕の会社が別の場所にあった頃、その建物のトイレで当時働いていたアルバイトの男性が首を吊った。そのことを、一体今会社にいる人の何人が覚えているだろう。
 こうして、何も変わらない日常が永遠に繰り返されるかと思われる僕達の生活でも、気が付けばあらゆることが長い時間をかけてゆっくりと、またある日突然劇的に、変化していくものだ。変わらないものなど、何もないのである。学校に入学した時、自分が卒業することが信じられなかった。だが、季節が何度か巡れば自分たちの卒業式はやってくる。いつも立ち寄っていた店に暫くぶりで行ってみると、思いもかけず閉店していて、次に通りかかった時には全く違った建物が建っているのを発見するようなことは、日常茶飯事である。時の流れとともに人や風景も移ろい、やがて姿を消してゆく。同じように僕達は、いつか人知れずこの人生という舞台を去っていくことになる。そして、僕達が去った後も、この国は、そして世界は何事もなかったかのように回っていくのである。僕達の替わりなど、いくらでもいることは間違いない。彼等の方が僕達よりもずっとましかも知れないのだ。世界はこうやって新陳代謝を繰り返している。そのことを否定することはできない。その事実をはっきりと認識したとき、人は何をしようとするのか。僕はこういう場面に出くわしたとき、いつでも「人生は一期一会。今、この瞬間を大切に生きよう」などと全く月並みなことしか思い付かない。が、その思いは年々強まっている。
 奇しくも今朝、出勤途中の道路で、車にはねられて横たわる猫を見た。屋根から屋根へ、路地から路地へと機敏に走り回っていたはずのその足は今や動かず、見開かれた目はもはや何も見てはいなかった。やがて誰かがこの猫を片づけてしまえば、この猫の存在は永遠にこの世から消える。僕もそのうち思い出さなくなってしまうだろう。会社を去る人、人生の舞台を降りる人。時の流れに移ろう人々…。みんな世界の片隅から消えていく猫と同じなんだと思うと、たまらなくやるせない気分になった。


2000年09月23日(土) 無神経な人達

 昨夜のテレビのニュース番組に、教育改革国民会議の座長を務める著名な学者が出演していた。21世紀の教育の在り方や改革のポイントを話している時、その学者はこういう趣旨の発言をした。「これまでの日本は、農業や労働者中心の社会だった。この種の仕事は、マニュアルさえあれば誰にでもできる、いわばルーティーンワークである。しかし、これからはIT革命などがあり、個人がいろいろ考えて能力を発揮していかなくてはならない社会だ。そういう人材を作る教育に変えていかなくてはならない。」この発言、確かにそうだなと思わせる部分もある。だが、よく考えてみよう。特にこの発言の前半部分に注目すると、裏を返せば、「農民や労働者は何も考えていない」または「農業や単純労働は、何も考えなくても誰にでもできる」という意味のことを言っていることになるのである。明らかにここには、農民や労働者に対する差別意識が見て取れる。むべなるかな。この人はノーベル賞まで受賞した物理学者である。農民や労働者とは脳の作りが違うと思っているのだろう。無神経な発言としか言えない。勿論、単純労働と見える農業やホワイトカラーの仕事でも頭を使う場面は山ほどあり、誰にでもできるというものではない。果たして番組に抗議があったらしく、この学者が帰ったあとにキャスターが「そういう意味ではない」と釈明していた。当のご本人は、この発言がそう受け取られることについて全く意識がなかったようである。
 それで思い出したが、数週間前に読んだ教育について書かれた新聞記事の中に、こんな投稿があった。小学校の班分けの時の話である。班長が好きな人を取っていくというシステム(これ自体が十分すぎるほど無神経なものであるが)であぶれた人(投稿の主)に、担任の教師が(おそらくクラス全員の前で)「自分がどうして嫌われたのか考えてみなさい」と訊いたというのである。小学校低学年時代にこまっしゃくれた嫌われ者だった僕には、この時のこの投稿主の気持ちが痛い程よく分かる。自分が誰からも選ばれなかったという事実だけで、その人は十分打ちひしがれている筈だ。その人に対して教師は、何故こともあろうに追い打ちをかけるような言葉を浴びせなければならないのだろう。おそらくこの教師は、教育的に正しい指導をしたのだと(おそらく今でも)思っていることだろう。クラスの大多数から嫌われる→嫌われた子には悪いところがある→その原因を自分で分からせ、改善させれば、その子はきっとみんなから好かれる子になるので、仲間はずれにはされなくなる。こういう図式に従って、この教師は言葉を発したのだ。ここには、嫌われてしまった子供の気持ちというものが全く考慮されていない。何故なら、この教師にとって、嫌われた原因はその子供の方にあるという結論が最初からあるからだ。自分の一言でその子供がどれだけ傷つくのか、ひいてはそれがその子供の成長にどんな影を落とすことになるのかというところに、想像力が及んでいない。これも非常に無神経な一言である。むべなるかな。教師の多くは、学生時代はいろいろな意味で優等生だった人達だ。彼らの多くには、はみ出し者の気持ちを慮ることは不可能である。学生時代、おそらく彼らはそういう人達とは一線を画して過ごしてきたであろうからだ。そして、現在の教員採用システムでは、そういう人種しか教師にはなれない。
 無神経な発言をする人達に特徴的なのは、自分達が無神経な発言をしているという意識がまるでないことである。自分が発した言葉で傷つく人間がいることなど、思いも寄らない。また自分の言葉が自分が想像もしなかった意味に受け取られてしまう場合があるということにも、全く気付いていない。どうすればこんなに言葉に対して、また相手に対して鈍感になれるのか不思議なくらいである。繰り返しになるが、ここにあるのは想像力の欠如である。そういう人間は、少なくとも生身の人間に関わる教育を語ったり携わったりすることだけはさけてほしいと、僕は切に願ってしまう。
 かくいう僕自身、もしかすると無意識のうちに無神経な発言を連発しているのかも知れない。ただ僕の場合、そういう場合は、こんなことを言うと相手はきっと怒るだろうということが分かって発言していることが多い。相手に思考を促し、刺激を与えて議論を活性化させようという意図からだが、考えようによってはこの方がずっとたちの悪い無神経さだったりする。


2000年09月22日(金) Be cool!

 何といってもオリンピックである。メディアを見る限り、日本中がその話題で持ちきりだ。烏の鳴かない日はあっても、日本選手の活躍が報道されない日はない。世間は大騒ぎのようだ。やわらちゃんが金メダルを取ったといえば騒ぎ、サッカーが決勝トーナメントに進んだといっては騒ぎ、水泳でメダルが出たといっては騒ぎ、女子ソフトボールがアメリカに勝ったといっては騒ぎ、柔道の決勝の判定がおかしいといっては騒ぐ。しかし、はっきり言っておくが、僕自身は全く熱狂していない。別に日本選手がメダルを取ろうがとるまいが、大きな問題ではないと思っている。サッカーが決勝トーナメント進出を決めた次の日の朝、ニュースのアナウンサーが「日本中が沸きました」と満面の笑みをたたえて言ったが、別に僕は沸いてはいない。ところが、何となく「日本中が沸いている」ような気にさせられてしまう。何だか沸いていないと仲間はずれで、日本人じゃないみたいだ。そう思わされてしまうというのは、実は結構怖いことだ。
 田村亮子選手の金メダルは、確かに感動的なことで、喜ばしいことである。けれどもそれは彼女の努力の結果である。メダルを取りたいという思いは競技者としては当然のものであろうし、そこまでのプロセスや試合で頑張る彼女の姿を見て感動するというのは分かる。それこそがスポーツの素晴らしさのひとつであるからだ。間違ってもそれは日本柔道の偉業ではないし、ましてや「日本」の成果であるはずもない。彼女は日本人である前に、一人の競技者として戦ってきたのだ。別に「日本」という得体の知れないものに望まれてメダルを目指していたのではあるまい。僕達は彼女自身の戦う姿とその結果に対して拍手を送るべきである。決して「日本」が勝ったことに対してではない。第一、表彰式で日の丸と君が代にジーンとするなどというのは、「日本」というものが背景になければ彼女の成果に感動できないということを表明しているのに等しく、彼女に失礼である。だが多くの人は、無意識のうちに彼女の後ろに「日本」という得体の知れないものの影を見ているのではないか。だから彼らは、オリンピックで選手達を応援して、熱狂する。それが証拠に、彼らの多くは普段国内で行われている柔道の試合にこれ程の興味は示さない。柔道だけではない。女子ソフトボールなどその典型である。何故か。彼らの大部分にとって、競技の中身は問題ではないのだ。大切なことは選手の後ろに見え隠れする「日本」が勝つか負けるかだけだ。あの「ニッポン!ニッポン!」という絶叫の応援がそれを証明している。彼らは、自分達では「日本チーム」(「日本選手」)を応援しているつもりなのであるが、熱狂の中でいつしか「日本」そのものを応援し始める。そして、自分もチーム(選手)とともに「日本」と同化したようなカタルシスを味わうのである。
 「日本」というのは、それほどやっかいな存在である。特にこの時期、こんな文章を書いたりすると、まるで「日本」を否定しているかのように受け取られて袋叩きにあいそうだ。「日本」だというだけで熱狂的になってしまう、またはなることを半ば強要するというのは、はっきりと「ナショナリズム」である。健全なナショナリズムならいいという識者も結構いるが、僕はそれに対しても懐疑的である。ナショナリズムは基本的に麻薬のようなものである。僕は、日本人が歴史的な意味合いも分からずにオリンピック会場で日の丸を振り回したり、顔に日の丸を描いていたり、君が代に感動したりするのを見るたびに、非常に薄ら寒い感覚を覚える。そうやって彼らはナショナリズムに対する免疫を作られていくのだ。麻薬を打たれ続けた体がどうなるかは、子供でも分かるだろう。
 「自分の国を愛することのどこが悪い」と言われそうである。確かに、そのこと自体は間違ってはいない。ただ言えることは、「日本」はそこまで甘くないということだ。ある時「日本」は、僕達を押しつぶすかも知れない。それに、よく考えてみると、「日本」という国が未来永劫存在するとは限らない。その時「日本」は僕達を守ってはくれないだろう。だとすれば、「ナショナリズム」に何ほどの意味があるというのか。オリンピックの熱狂は、こうした冷静な思考を忘れさせてしまう。それこそが「日本」の狙うところだ。その術中にはまってはならない。僕達はもっとクールになっていいと思う。
 とはいえ、それは僕ごときがこんな場所で敢えて言うまでもない事かも知れない。オリンピックが終わって3日もすれば、人々は「日本」の存在などきれいさっぱり忘れてしまうだろう。それでも日々の生活に支障はない。だが、それが曲者だ。次に「日本」が強面で僕達の前に現れても、僕達には「日本」が微笑んでくれているように見えてしまうかも知れないのだ。


2000年09月21日(木) 同床異夢

 何か目的を達成しようと思えば、それが大きなものであればある程、また確実に達成ようとすればする程、多くの仲間がいる方がよいと考えるのが世の常である。そこで、志を同じくする者を募り、この人はと目をつけた人物を口説き落として仲間にする。もし同志の中に飛び抜けて魅力的な人物が混ざっていたり、目指す目的が人を衝き動かすのに十分な程魅惑的であったりすれば、その集団は大きくなっていくだろう。まさに申し分のない展開である。目的の達成はほぼ確実であるかに思われる。だが、まもなく問題が起こる。
 ままあることではあるが、目的の達成を目前にして、同志達の間で目的の中身をめぐって思惑の違いが表面化するのだ。自分はどんなことをしても山に登るつもりであったという者もいれば、海を目指していたはずだという者も出てくる。同じ山に登るにしても、絶対に頂上を目指さなければ意味がないという勇ましい者がいるかと思えば、天候から判断してベースキャンプから金輪際動くべきではないという慎重派・現実派もいる。同じ場所を目指していたと思っていたのに、よくよく聞いてみると人によって思い描いていたものが天と地ほど、あるいは微妙に異なっていたのだ。また、目的達成のためにとるべき手段についても、同様に意見が分かれてしまう。これは所謂指導者といわれる人の力量の問題ばかりとはいえない。集団を作るということは、本質的に同床異夢を生むということである。
 さて、もう一つの問題は、こうなった場合の所謂指導者のとるべき道である。あくまでも自分の信念に従って、たとえ同志の一部もしくは大部分を失うことになっても、頑として当初の目的の追求を続けるという行き方がある。一方で、同志の結束を維持し、集団を崩さないために、当初の目的に変更を加えるという行き方もある。前者を教条主義、後者を日和見と呼ぶわけであるが、「目的の達成」という観点から見てどちらが正しいあり方であると断定することはできない。前者は純粋さを保ち、最初の目的により近い場所に到達できるというメリットがある。達成感も充実感も味わえる。だが一方、多くの脱落者を出す可能性も高くなる。当然集団の規模と力は見る間に萎み、結束は堅くなるだろうが周りに敵が増える。目的の達成はおろか、生き残りもままならないかも知れない。下手をすれば、指導者もしくは同志のうちの誰かが寝首をかかれる事態に発展する。また、目的のためには手段も選ばずという方向に流れやすくなる。錦の御旗が血で染まるというわけだ。では、後者の場合はどうか。確かに集団の大きさは維持できる。妥協に妥協を重ねても、何とか5合目くらいまでは到達できる可能性はある。最後まで衝いてきた人間全員に、何らかの報酬が行き渡ることになろう。ただ、それが全員の望んだものとぴったり一致するということは、まずない。こんなはずではなかったという思いを、指導者も他のメンバーも味わうことになる。手にしたものは目指してきたものではなく、無理をすれば辛うじて目的のものだと思いこめる程度のものなのだ。消化試合でAクラス入りを決めた野球チームのようなものだ。同志の多くは集団にとどまるだろうが、次の目的に対しても指導者の思惑通りに積極的に動いてくれるとは限らない。
 集団を作るとは本当に困難である。だけれども一方、人間は集団を作らなければ生きていけない。好むと好まざるとに関わらず、多くの人は日々このパワーゲームに巻き込まれているのだ。僕自身いくつかの集団に属しているし、集団を自ら作ることもある。錦の御旗と自分の信念だけを考えて突っ走ることと、錦の御旗は取り敢えず忘れて、他のメンバーの意見を聞きながら「最大多数の最大幸福」を目指して進むことでは、本当のところどちらが有効なのか。それとも、最初から自分の「目的」など持たずに、報酬と満足感を与えてくれそうな錦の御旗を探して右往左往するのが正しい行き方なのか。僕はいつでもそこで立ち止まってしまう。
 いずれにしても、すべてが同床異夢の中の出来事である。何処まで続く泥濘ぞ。


2000年09月19日(火) 未来日記

 殆どの人間にとって、未来は基本的に予測不可能である。それ故、殆どの人間にとって、未来は基本的に不安なものである(ごく希に基本的に楽しみだったり、基本的に気にならなかったりする人もいることはいる)。そこで「予想」というものの出番である。やってくる未来をただ座して待つだけでは、不安は募るばかりだ。その未来がどうなるかを様々な手段で予想すると、それだけでもはや未来がやってきたような安心感に浸ることができる。もう少し真面目に考えれば、予想を立てることで、やってくる未来の事態に対処する方法を考えたり、実際に準備を始めたりできる。日々の気象予報、競馬の予想、試験の山掛け、各種の占い、役所やシンクタンクが発表する○○予測の類等々、かなりの確度を持ったものから殆ど気分任せに近いものまで枚挙に暇がない。本当に僕たちは予想が好きだ。というより、予想しないと生きていけないのではないかと思えるほどである。予想している間は、未来は僕達のものである。かなりの確率で予想通りの未来に生きられるような、無根拠な確信を持ってしまう。幸せな誤解である(勿論、ほぼ予想に近い未来が訪れる場合もあるにはあるが)。「ずっと心に描く未来予想図は ほら思った通りに叶えられてく」というわけである。
 不思議なことにといおうか、当然のことにといおうか、多くの予想は楽観的であり、また予想した時点での僕達の価値観や周りの状況などに大きく規定されている。科学が万能で、経済の成長や人類の進歩が自明だった時代、21世紀は薔薇色の未来であった。テレビ電話にロボット、完全自動運転の自動車等々、機械文明に囲まれて快適に暮らす人類のイメージである。今、その21世紀を目前にして、確かにテレビ電話は一部で実用化されているが、まだまだ酷いコマ落ちで、しかも通信費がかさむ。それにあの当時、人々がリサイクルや二酸化炭素の削減をめぐって右往左往するという未来予想図を描いた人は、まず皆無であっただろう。ことほど左様に未来とは予測不能なものであり、不確実なものである。「予想」が気休めの域を抜け出すのは、想像以上に難しい。
 そんな中、「未来日記」である。未来の自分の行動を自分ではない誰かに決めてもらって、敢えてその通りに行動しようというわけである。僕が思うにこの「未来日記」に人々が夢中になるのは、未来に対する閉塞感を忘れたいということがその根底にあるのではないか。そもそも未来は自分では決められない。「ずっと心に描く未来予想図は」たいてい思った通りにはならず、挫折感を味わうことの方が多いであろう。であるなら、自分で未来予想図を描くのははなから諦めて、他人の書いた未来の日記を自分から選んだ未来(というより、それ以外には選べない未来)と思いこんで、その通りに行動する方が、挫折感を味わわなくてすむ。たとえ愛する人と理不尽にも別れる結末になったとしても、それを選んだのは自分ではないのだと、心のどこかで言い訳ができるのである。けれどもそれは、日常の僕達の姿である。多くの場合、僕達は自分で選択していると思ってはいても、実は何かに選ばされているのだ。第一、僕達は親や家庭を選べないし、自分以外の誰かになることを選べない。望んで入ったわけではない会社も、自分で選んだことになっている。「未来日記」は、そうした僕達の「未来」に対する無力感を残酷なまでに正確にシュミレートしてくれる。僕達はこの不自由で出口のない日常にも実は隠れたシナリオライターがいて、僕達はその通りに動いているだけなのだと思いこみたがっているのかの知れない。そうして、人は日常を生き延びていく。
 そして今や、人類は歴史上最も確度の高い未来予想図を手に入れようとしている。「ヒトゲノム」である。この予想は、ほぼ確実に現実となる。予想図というより、未来の設計図である。より正確な設計図を描けるようにと、いくつもの国や企業がしのぎを削っている。程なくそれは現実になるだろう。だが、より正確な未来を手にすることは、果たして僕達にとって本当に幸せなことなのだろうか。勿論、それもまた未来の話である。当然のことながら、死の他に未来から逃れる術を僕達は持たない。


2000年09月18日(月) 仮面の告白

 この2日分のこの文章を読んだ僕の恋人が、「私の知らないあなたの面を初めて見た。」という意味のことを言った。自分の知らない僕が、僕の中に存在していたことに、彼女は少なからぬショックを受けたらしい。確かに、彼女の知っているであろう自分と、この文章に現れている自分は、まるで別人のようだ。彼女の知っている僕、そしておそらく彼女が愛してくれているであろう僕は、ずっと優しい(自分で言うのも恥ずかしいが)。他人を非難するなど思いもよらない。物分かりがいいし、思いやりがある(という人間だと思われている、というだけの話であるが)。
 しかし、だからといって、この文章に現れた自分こそが本当の自分だ、などというつもりはない。かといって、この文章に現れた自分が、無理矢理作られたキャラクターであるというわけでもない。勿論、彼女の知っている自分だってそうだ。どちらが本当の自分で、どちらが偽物だということはいえない。人間というやつは、それほど単純ではないのである。
 よく、人は親しくない人と接するときは仮面を被り、自分一人になったとき(または最愛の人の前で)仮面を脱ぐ、などといわれる。だが、どれが仮面で、どれが素顔だなどと、誰に分かるというのだろう。仮面の下から「素顔」という名の仮面がいくつも現れるというのが本当のところではないか。その中には、意識して被っているものもあるだろう。また、自分ではそれとは知らないうちに身に着いてしまって、素顔と見紛うばかりになったものもある。自分でも一体どれだけの仮面があるのか分からない。ましてや他人に見抜ける仮面の数は、たかが知れている。
 近所の人に笑顔で挨拶をかかさなかったり、小さい子の面倒見がよかったりする少年が、ある日突然残忍な殺人に及ぶ。周囲やメディアは驚いてみせる。だが、明るくて礼儀正しい一面も、冷徹な殺人鬼の一面も、紛れもなく同じ少年の仮面である。どちらが本物の少年かと詮索することは何の意味もない。その程度の仮面なら、誰でも自分の中に持っているはずである。ただ気付かずにいるか、うまくコントロールしているかのどちらかである。
 今回僕は、たまたま意識的にこの仮面を選んで被っている。普段表に出ることが多い僕の仮面より、ずっとこれを気に入ってくれる人がいることを僕は知っていた。一方彼女のような反応が出てくることを、半ば期待し、楽しみにもしていた。心底意地の悪い男である。
 けれども、彼女が見た僕の顔も、決して嘘ではなかったのだ。何故なら彼女を見ている僕は、僕の中に確実に存在しているからだ。そいつの言葉を、僕は知っている。勿論、僕が見ている彼女の顔も、「素顔」という名の仮面にすぎないのかも知れない。でも、彼女のその仮面も、決して偽物の彼女というわけではない。もしそうならば、仮面と仮面の間でも、真のコミュニケーションは成立するということになる。
 仮面の告白を真に受けてはいけない。だが、その言葉に耳を傾ける価値はある。上手に隠したつもりでも、自分にすらコントロールできない仮面達は、ついつ「本音」を漏らしてしまうのである。


2000年09月16日(土) 本物

 あんまり人気がありすぎるものは、基本的に信用しないことにしている。最近は本物志向だとか、消費者の目が肥えてきたとかいろいろいわれているが、多くの人が受け入れるものは、ある一定以上のレベルであってはならないという目に見えない基準があるようである。言い換えれば、限りなく本物に近い偽物のみが「本物」として認められるということである。
 まあ、そもそも「本物/偽物」「高レベル/低レベル」という区別の基準そのものが無効化している昨今であるから、こんな議論は成り立たないのかも知れない。それでも敢えて言わせてもらえば、(僕も含めて)多くの人々は、自分の手に負えるものにしか興味を示さないものである。自分の身の丈よりちょっとだけ背伸びすれば届きそうなものを、人は最も手に入れたがる。しかし、せいぜいそこまでである。自分より巨大すぎるものや、複雑でどうにも理解できそうもないものに対して、人は無関心を装う。またある時は、あからさまな敵対心を抱く。いずれの場合でも、人はそれを抹殺しようとする。
 いつまでも孵らない「脚本家の卵」として、僕はこれまでいくつもの物語を人前で発表してきた。そのどれもが、全面的に受け入れられてきたわけではない。いつも言われることは「難しくて分からない」であった。また、毒や風刺や屈折を含む作風は、ほんの一握りの人たちからの賛辞と、圧倒的多数からの拒否という反応を生んだ。僕がわざと見る人たちに違和感を抱かせるような仕掛けを脚本中に作ってきたので、まさに狙い通りだが、何となく寂しい。野原で叫んでいるのではない。見せる相手あっての表現である。
 では、どんな物語が受け入れられているのかと思ってみれば、高視聴率のドラマ、ヒットしている映画、ミリオンセラーのCD、多くの観客を集めている大劇団のミュージカル…、その多くが手を変え品を変えたありふれた物語の安売りではないか。人々はこんなものに熱狂するのかとびっくりしてしまう。しかもそれが、もう何年、いや何十年、ことによれば何百年も続いているのだ。とすれば、苦労して物語の定型を壊し、音階をばらし、約束事を無効化しようと奮闘してきた芸術家達の苦労は、一体何だったのだろうか。一度壊れたかに見えても、伝統的なものは新しいものに人々が飽きるのを、なりを潜めてじっと待っているのだ。そして流行が去ったとき、古いものは何事もなかったかのように再び姿を現す。ほんの少しだけ、流行したものの装いを纏って。そして、人々はそれを受け入れる。勿論、これは芸術だけの話ではない。
 そうはいっても、僕自身、どうしようもないお涙ちょうだいの物語と分かっていても、不覚にも涙腺が弛むことが増えてきた。歳かも知れない。年齢とともに、新しいものを理解し、受け入れる能力は衰える。ここ最近の僕の作品は、「分かりやすくなった」と評判だ。同時に、「毒がなくなってつまらない」とも言われている。そんなわけで僕は、誰もが受け入れることのできる安手の物語だけは、絶対に作るまいと心に誓っている。そうはいっても、できるだけ多くの人に受け入れられたいという願望も勿論あるわけで、これはどう考えても矛盾している。おそらく今まで新しいものを生み出してきた人達は、たとえ周りから理解されなくても、自分の思うところを貫くという強い意思があり、それが結果として後生に大きな影響を与えるようなもの(=本物)を遺すことがにつながったのだろう。そういう人達こそが、我々などには決して手の届かない本当の巨人のような存在といえよう。
 そして、ここまで偉そうなことを書いてきたが、僕のような中途半端な人間は、実は少しだけ背伸びして漸く普通の人に手が届くというレベルかも知れないと思ってしまうのである。


2000年09月15日(金) 微分される自分

 初対面の挨拶代わりに、自分の日記についての話である。
 思えば小学校時代から大学時代まで、途中何度かの中断をはさんで断続的に日記を書き続けていた。書き始めたきっかけはもはや思い出せないが、気がつけば日記を書くのが一日のうちで最も楽しい時間になっていた。まるでご飯を食べたり眠ったりするのと同じような感覚で、僕は日記帳に向かって言葉を吐き出していたのである。
 そして、ある日突然僕は日記を書かなくなった。理由ははっきり分っている。日記が僕の生きているスピードに追いつかなくなってしまったのだ。
 日記と向き合うとき、大抵の場合、人はその日一日を振り返る。それはとりもなおさずその日一日の自分と向き合うということである。そして自分と向き合うとき、人はその日の自分を生み出した自分に作用したもの(愛する人の微笑み、友達の何気ない一言、殺人事件を伝える新聞記事、お気に入りの曲、新しい服、映画のワンシーン、金木犀の香り、雨音、海底に沈む潜水艦のニュース映像等々)、およびそれらに触れたときの自分の感覚や感情を追体験することになる。このとき、書く内容として選択された事象は、すでに自分というフィルターがかかっており、純粋な再現にはならない。また、追体験で流れる時間は、自分の意志で引き延ばしたり、早送りしたり、巻き戻したりが自由自在である。僕は多くの場合、時間をゆっくりにして、何度も巻き戻す。そうやって目を凝らしていると、ある人の何気ない一言に、いくつもの意味が見えてくるのである。しかもそれは、巻き戻すたびに違う。たまさか巻き戻しすぎたりすると、その場所に別の気になる一言を発見してしまったりして、そこでもまたいくつもの意味を見いだしてしまう。そして、そこをまた何度も巻き戻し、スロー再生を繰り返すことになる。その結果、時間はどんどん微分され、それを体験する自分もまた、限りなく微分されていくことになるのである。こうして、僕の日記は際限なく長くなっていった。当然、一日の出来事を記述するのに数日を費やすケースもでてくる。多感な時期でもあり、僕の周辺では毎日のように些細なことから大きなことまで様々なことが起こっていて、それに対して僕の心は、いちいち反応していた。それを日記に書き留めようとすると、さらに数日を要する。そうなると、あることに関する日記が完結しないうちに、新たな出来事が起きるということになる。実際の時間の速さを変えることができない以上、当然起こりうる事態だ。こうして、記述されない微分された自分だけが僕の中に堆積していった。どんなに頑張って日記帳に向かっても、書くことが新たな微分された自分を生み出していくことになる。そういうわけで、僕は日記を書かなくなった。
 そもそもある出来事が一つの意味しか持たないということはあり得ない。また、同じものを見ても、昨日の自分と今の自分、いや、極端なことをいえば今の自分と1分後の自分で同じものに見えるという保証もない。その意味で、日記を書くという行為はある種の徒労であると僕は思う。アキレスはいつまでたっても亀には追いつけない。微分された自分をいくら積分しても、元の自分に戻ることはないのである。限りなく原型に近付くこともあれば、全くかけ離れたものができあがることもある。一度ばらしたジグソーパズルのピースの一つ一つが、絶えず形を変えているようなものである。ただ、元の形が何なのかなど、どうせ誰にも、自分自身にもわかりはしない。それならば、微分され続けた自分を組み合わせて、全く想像もつかなかった自分が騙し絵のように浮かび上がってくるのを見るのも、また一興とも言えるのである。
 そういうわけで、僕はまた日記を書き始めようと思っている。


hajime |MAILHomePage

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