Diary?
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新聞は、いつ古新聞になるのか。そもそも古新聞とは古いのか新しいのか。
随分前に、そんなエッセイを読んだことがあるけれど、あれは誰だったかな。そんなことを書くのは、えのきどいちろうか宮沢章夫くらいしかいないと思うが。
などと、職場で膨大な量の「古新聞」を前にしながら思い出していたのだった。
職場は企業内図書館なので、主要な新聞はだいたい購読している。細かい業界紙まで含めると30種類くらいはあるはずだ。それをある程度の期間は保存して、捨てるものは捨て、縮刷版に切り替えたりしているわけだ。
で、なんとなく保存期間内のものは「新聞」であると、そのように認識している。保存期間を過ぎた途端に「古新聞」になる。例えば朝日新聞は当月含め二ヶ月分保存だから、5月の新聞は6月30日に突然古新聞となる。
しかしここ数日、その認識を覆される出来事が起きている。新聞を大量に閲覧してはコピーしていく利用者があったのだ。使い終わった新聞は、一枚一枚が不揃いになり、折り目は歪み、一ヶ月分の重なりもぐだぐだになっている。そうなると、保存期間内であってもそれは立派な古新聞だ。昔の人ならお弁当を包んだり箪笥の底に敷いたり折り紙で兜を折ったりしそうな、今なら再生してトイレットペーパーにでもなりそうな、それはもう見るからに紛う方なき古新聞だ。
古新聞だなあと感心しながらも、そのままにしておくわけにもいかないので一枚一枚きちんと重ね、折り目を正し、一月分を重ね、最後にまとめてトントンと揃える。するとそれは既に古新聞ではなく、現役の新聞である。不思議なもんだ。
サントリー美術館で「洛陽の夢 唐三彩展」を観てきました。 今までにも博物館でいくつかは観たことがあったのですが、 これほど一度にまとめては初めてです。
たくさん観ると、何となくある傾向が見えてきたりします。 一言でいうなら「クレイジーな造形に割とがさつな釉薬」です。
特に釉薬、あんなに雑だったとは。 下の方なんてだらーーーっと垂れっぱなしです。 味があるとかいうよりは、単に大雑把な感じ。
あと、人面獣身の像や騎馬俑なんかの顔が なぜか花紀京そっくりなのが多かったのが印象に残りました。 「あ、また花紀京がいる!」などと大笑いしながら唐三彩展を観ていたのは私達です。周りの人たちごめんなさい。でもほんとうにそっくり。
2004年06月21日(月) |
台風の日はコロッケ食べるんだっけ? |
今日は台風だし、軽く飲んで帰るか。 ってことで、いや何の脈絡も無いのは分かっているのだが 駅ビル地下の蕎麦屋でビールとつまみ、〆にざる蕎麦。
初めて入る店だ。 昼は近隣の勤め人たちの胃袋を満たす、安くてボリュウムのあるセットメニューがメイン、 夜は「蕎麦も食べられる居酒屋」になっていて、おじさま方の強い味方。 そいういう店だとは知っていた。
つまみ、旨い。 ニラ入りの玉子焼き、つくねの塩焼き、焼き茄子。お通しの筑前煮も上品な味だ。 しかし、つまみとお酒の、異様なまでの種類の多さがちと気にかかる。
さて〆のざる蕎麦。
…ふつー。 ていうかものすごい量。箸をつけたら、団子になって大量に持ち上がる。 一緒に行った同僚曰く「とりあえず水かけてほぐしたい。」
このつまみの旨さと蕎麦のどうってことの無さ、 ああなんだか西荻窪という地名が頭をよぎる。
とかなんとか言いながら、こういう蕎麦屋はけっこう好きだ。
なんだかんだで美容院に行ってなくて、2ヶ月ぶりくらいだった。
両親ともに割と早くから白髪だった。 しかも母は高齢出産で私を産んだので、私がものごころついた時にはすでに立派な白髪であった。 だから私は大人の女の人ってのはみんな白髪で、それを様々な色に染めているものだと思っていたのだった。 母は、白髪には染料が綺麗に乗るのをいいことに、そりゃあもう色んな色に染めていたのだ。枯葉色とか、青とか、紫とか。
そんな家系なので私も白髪が増えた。そして当然のように色んな色にしているわけだ。 ここ数年お世話になっている美容師さんが、たまたまカラーリングのスペシャリストだったというのもある。
今日は、いつもよりは少し黒っぽい色にしてみた。 いつもやっているのはヘアマニキュアっていうのかな、白髪染めではないから白髪はそのままで、黒い髪の部分の色を変えるものだった。明るめの色にすれば相対的に白髪が目立たないというわけだ。
しかし。今日のは新しい薬剤だとかで、白髪も染まってしまうというワンダホーなしろものであった。この何年かで染髪剤の進化は目を見張るものがあるぞ。いやびっくり。だって白髪の無い自分の姿を見るのは10年ぶりくらいなんだよ。変な感じだ。
2004年06月17日(木) |
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ |
閑吟集は、読んだことがありません。 たまたま読んでいた本で引用されていたのに出会いました。 あまりにもこの一節がかっこよくて、泣きそうになりました。 少し調べてみると、この前の行から凄いです。
くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
室町時代にこんなことを歌われてしまって、もう私達には今さら書くべき言葉も 歌うべき歌も無いような気さえするわけですが、一期は夢なのですから ただ狂って書きつらね、歌い続けてていくことにしましょうかね。
約10日ぶりに二胡を弾いた。 やっと日常に戻った気がした。
…しかしやっぱりヘタになってた、、、 それはもう、びっくりするくらいに。 今週はレッスンは無い週だから、今週来週と特訓じゃあ。
だんだん京劇や珈琲会のことを思い出してきたので ゆっくり書くとします。
ああ、先週一週間が無かったことにできたらどんなにいいだろう。
私の一週間は幻のように過ぎ去りました。 中の人の電池が切れそうです。充電しないと。
京劇に行ったり珈琲会に参加したりしたのが ほんの一週間前のことだなんて、信じられん。 記憶がぶっとんでいますが、充電が完了すれば リロードできそうな気もします。
そんなわけで、とりあえず寝るわ。
池袋の芸術劇場で、京劇を観てきました。 演目は「西遊記」。
んもう、すんごく面白かった。楽しいやら可笑しいやらびっくりするやらで二時間があっという間。とりあえず今日は余韻に浸って寝ます。週末に詳しく書いてみようと思います。
11歳の時ってどんなだったかな。
総理大臣はまあそのーとか言いつつ列島の改造に余念が無かった。
高度成長期は、そろそろ終わりかけてた。
ジュリーがかっこよかった。
ビートルズとCCRと岡林信康を聴いてた。
心の支えだったひいばあちゃんを亡くして、途方に暮れてた。
時々、ひいばあちゃんが玄関から帰ってくる幻を見た。
犬はコロ、猫はシロだった。
ピアノは、たぶんまだバイエルだった。
床屋じゃなくて美容院に行きはじめた。
よく高熱を出して、脳内麻薬でトリップしてた。
男の子たちはどうしようもなくガキだった。
既に女の子たちの派閥争いにうんざりしてた。どこのグループにも入らなかった。
年配の先生が、戦争に行ってひどいことをした話を得意げにするのが
イヤでイヤでたまらなかった。
早く大人になりたかった。でも大人はバカだと思ってた。
…ヤなガキ。
缶詰のスパムミートは嫌いじゃないんだけど。チャンプルーには欠かせないね。しかしスパムメールには困ったもんだ。ほとんど誰にも教えていないようなアカウントにも律儀にやって来るねえ。
しかもうちに来るのは何故かヨーロッパ方面からばかりだ。ドメインで判断すると、フランス、オーストリア、北欧諸国、スペイン、などなど。英語ですらないので読めやしないし、そもそも表示不可能だったり。
内容はどうやらバイアグラが安いよとか、ユーロ為替儲かりまっせとか、そういうことみたいだ。別にアヤシゲなサイトにアクセスしたこともないし18禁のサイトに出入りしているわけでもないのに、いったいどういうリストに入れられているんだろう。
最近ではもうメーラーのルール設定するのもきりが無いので、まとめてポイするだけ。Macだからウイルスの心配は無いし。ただ、スパムのせいで受信に時間がかかるのに腹が立つ。ゴールデンウイークの帰省から戻ってきた時は、100件以上たまっていて受信が終わりゃしない。かといってアドレス変えるのも面倒だしどうしたもんか。今日はオチは無い。ただ愚痴っただけ。
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