■ 日々の歩み。 ■
徒然の考察・煩悩・その他いろいろ発信中。

2003年03月31日(月) 命の水。

 ひっさびさに、会社のオヤジと飲みに行きました。
鹿児島料理の居酒屋。最近この手の平均年齢高めの飲み屋の方が、好き。
若者向けの店は、どうも飲むものは甘くて、食べるものは脂っこくていけない。

 で、鹿児島といえば、芋焼酎っすよ。
もともと日本酒党で、乾杯の一杯目からイキナリ日本酒も珍しくないという、
ある意味無法者なのですが、最近、焼酎に開眼いたしまして。

 芋焼酎と黒糖焼酎には、大好きだ。円やかで、日本酒よりサッパリとした味わい。
麦焼酎は、苦手。私はビールも飲めないので、おそらく麦と相性が悪いのでしょう。
仕方ないか。お米の国の人なんだから。

 ちなみに飲み方としては、ロック。
基本的に酒をソーダや水で薄めるのは、あまり好きではないのね。
なんとなくもったいない気がする。ある意味貧乏性。
そして、アルコール度数が高いので、あんまり量は飲めない。
ロックだと、せいぜいコップ2・3杯。ある意味経済的。

 新宿界隈で、芋焼酎と黒糖焼酎が置いてある店は、3軒ほど押さえてありますが、
黒糖の方は、置いてあるお店があまり多くなくて残念です。
もっとみんなに普及したい。こんなに美味しいのだから。
 
 そんなこんなで、気持ちよ〜く飲んでいたら、ものの見事に終電逃しました。
まだ月曜日なのに、早速タクシー帰宅。迂闊だったわ。



2003年03月30日(日) まったり。

 伊豆旅行から帰ってまいりました。ただいま〜。
予想通り、結構混んでいたものの、桜が満開に近い状態で咲いている場所もあって、
お花見も楽しめたし、スケジュール的にも、あまりきっちり計画を立てずにいたので、
のんびりまったりとリフレッシュできました。

 コンドミニアム型の宿に初めて泊まったのですが、想像以上に広いし、キッチンが
付いていて、色々持ち込めるので、友達同志でワイワイ気兼ねせずにやるなら、
普通のホテルよりも使い勝手がいいですね。
大浴場に露天風呂もあって、桜を見ながらお風呂にも入れて、満足満足。


 日曜日には、伊豆シャボテン公園へも行ってきました。
シャボテン以外にも、メキシコや南アメリカ周辺に生息する動物などが飼育されており、
想像以上に面白かった。
放し飼いのコーナーが充実しているので、他の動物園と比べて、動物と観客の距離が
とても近いのが(柵があっても触れられそうな至近距離)、かなり高ポイント。

 園内を、我が物顔でクジャクが闊歩し、リスザルが走り回る光景は、一種異様。
鳥類の放し飼いコーナーでは、フラミンゴとカンムリヅルの縄張り争いに巻き込まれそうな
勢いで、ちょっとドキドキ。羽広げて威嚇されても、どうしたらいいものやら。

ワラビーの放し飼いコーナーでは、生後10ヶ月の、赤ちゃんワラビーに触らせてもらったり。
飼育員さんが、毛布のような暖かな素材で出来たお手製の袋を吊るしていて、その中に
チョコンと、赤ちゃんワラビーが収まっているのですよ!
つぶらな瞳で、ちょっと眠そうにごそごそする姿は、思わず頬摺りして攫っていきたいほど、
愛くるしかった。毛並みもまだ柔らかくてフカフカで、更に可愛さ2倍。

 その他にも、小型のイノシシの仲間が、20頭くらいで、ハムスターのように重なり合い
小山になって日向で昼寝していたり、ペリカンの餌やりを目撃したりと、充実の内容。
残念だったのは、温泉に漬かるカピバラ(最も巨大なネズミの仲間)が見られなかったこと。


 久しぶりに、気のおけない友達と色々話せて、可愛い動物と綺麗な花がたくさん
見られて、楽しい旅行でした。また行きたいな。 



2003年03月29日(土) つづら折の山道を踏み分けて。

 今日明日で、伊豆へ旅行に行ってきます。
中高時代の友人と、女ばかりの3人旅。
そんな訳で、週末の日記はお休みします。

次回は、旅行の報告ですかね。



2003年03月28日(金) 例えるなら空を架ける一筋の流れ星。

ルパンザサーーーーーーードゥッッッ!!!!!!

頭の中でエンドレスで、「ルパン三世のテーマ」が。思わず口ずさんでます。
あの歌詞は、凄くいいです。男のダンディズムの結晶だ。ああいう男に惚れたい。
声質が低くてよく通る殿方には、是非カラオケで歌って欲しい。(というか歌わせる)


 ルパンのテーマは、インストでも歌入りでも、色々なアーティストにカバーされていますが、
先日拝聴いたしました、クレイジーケンバンドの横山剣氏バージョンは、特に秀逸でした。
個人的なイメージでは、ルパンではなく、次元大介なんですけどね。

そして私は、ルパンよりも五右衛門を、五右衛門よりも次元を、深く愛しています。
スナフキンといい次元といい、帽子で目が隠れて見えない渋い男は、乙女の永遠の憧れ。
無口でぶっきらぼうなんだけど、実はシャイで、男の友情に厚いなんて…!!!

 ところで、巷で一番人気の「カリオストロの城」は、典型的な宮崎的理想型ヒロイン
クラリス嬢の性格設定に常々疑問を抱き、個人的にはあまり魅力的に思えないので、
評価は辛め。あの銭形のとっつぁんの決め台詞も、語り過ぎの感が否めず。

男は背中で語れ!!目で殺せ!!(そんな無茶な)



2003年03月27日(木) 紙一重。

 自分でも感情の起伏が激しく、人の好き嫌いもはっきりしていると思うのですが。

 好意の段階 … 好き<大好き<愛してる<誰にも渡したくないほど愛してる
 憎悪の段階 … 嫌い<大嫌い<憎い<存在自体が許せず抹消したいほど憎い


 だとするならば、今までの人生で、好意の最終段階まで到達した人数と、憎悪の最終段階
まで到達した人数は、ほぼ同数なんだと自己分析。両方併せても片手で余裕で足りるし。
そして、正反対のベクトルとはいえ、対象への想いの深さで考えたら、憎しみと愛情は、
限りなく紙一重で似ているような気がしてきました。

 最大級の好意≒最大級の憎悪

 瀬戸内寂聴サンが、なにかで書いていましたが、人は自分が10愛した相手には、
12愛して欲しいと考えてしまうモノ。いつでも自分の注ぐ愛情以上に、相手に
愛されたいと望むから、いつまで経っても満足できないのだそうな。確かにそうかも。

 相手の愛情に満足できずにいると、その欲求不満がそのまま憎悪にスライドしやすい。
可愛さ余って憎さ100倍とは、まさにこのこと。一番愛した人は、一番憎い人。キャッ。

 反対に、名前を聞いただけで、生理的嫌悪感と怒りで震えが止まらなくなるほど
嫌いな相手も、その一挙手一投足が気になって気になって仕方ない。

 相手に最も効果的な方法で打撃を与えることを、寝ても覚めても考えてるんだから、
これも一種の恋。そして、そんな自分の執着が嫌で、余計に相手を憎むのよね。
まさに憎悪のメビウスの輪。抜けられな〜い。ぐはっ。

 ただ、今までの少ない私の経験から見ると、愛情が憎悪にシフトすることはあっても、
憎悪はどこまでいっても愛情にはならないことを考えると、憎悪の方が強いのかも。

 愛し合ってる両想いよりも、憎しみ合ってる両想いの方が、執着の度合、両者の絆
としては強い気がするわ。際限がない分、ものすごく不毛だけど。
やっぱり愛し合った方が楽しいし、精神衛生的にも健全だし、そっちがいいな。

 ところで、昔のアニメの主題歌で、「女の子は、好きと嫌いだけで普通がない」
と言っていましたが、好きでも嫌いでもない相手は、興味の対象外ということで、
存在しないのと同義である という観点から見れば、確かに正しい意見かも
しれません。女の子って残酷だね。
 



2003年03月26日(水) Go Back To The ・・・

 「先生、音楽が聴こえないんです。」(麗子@『音楽』By三島由紀夫)

 高校の頃、このフレーズが友人数名の中で、局地的爆発的に流行したことがあり。
それとは全く関係ないのですが、最近通勤中に、MDを聞いています。

 SPIRAL LIFEの3rdアルバム、「FLOURISH」が、脳内で大ヒット中。

 私の脳内音楽ランキングで、トップ3に入る名曲、「GARDEN」が第1曲目に収録。

 ガリガリしたハードなギターとドラムとベースが、頭の中で永遠ループ。
車谷の力の抜け切ったボーカルと相まって、軽くトリップできます。至福。

 パクリの殿堂だったフリッパーズのそのまたパクリだろうが、渋谷系だろうが、
元BAKUだろうが、このアルバムは好きだ。
でもこれ以外は、あんまり私的にはパッとしないんだよね…。

 渋谷系といえば、全盛期に2大巨頭の片割れとして君臨した王子様、オザケン
「LIFE」も名アルバムですね。子猫ちゃんだよ。ダッフルコートだよ。プラダの靴だよ。
最近は、すっかり小田和正みたいになっちゃいましたが。

 渋谷系特有の、暑苦しい体温を感じさせない、ハッピーでライトな感覚は、結構好きでした。
聞いてて疲れないしね。時々脱力しちゃうけど。

 ああいう音楽聴くと、若さっていいなあ、と思うのですよ。 
そんな、過ぎ去りし良き時代を振り返り懐かしむ、今日この頃。



2003年03月25日(火) 春は別れの季節。

 死神博士・天本英世氏が亡くなられたことに、驚いていた矢先、
古尾谷雅人氏が自殺とのニュースが飛び込んできて、2度吃驚。
まだまだ若かったのに。他人には窺い知れない深い事情があるのでしょうが、
なんだか遣り切れない気分になるニュースです。

 遣り切れないといえば、ウチの妹が密かに思いをよせていた、自称・ゲイ君に、
彼女が出来たそうです。やっぱりただの危険回避の嘘設定だったか…。

 春は別れの季節。別れの形は多種多様ですが、温かい湿り気を帯びた春風は、
感傷的な気分を、否が応にも盛り上げてくれますね。せつない…。

 ところで、私は常日頃から、「せつない」という言葉を、口癖のように多用
しているため、色々な人に、どんな時に一番せつないか、と聞かれますが、
「寒い日に、お腹が空いたまま、独りで冷たいベッドに横になった時」
と解答しております。
少しは「せつない」気持ちが、判っていただけましたか。



2003年03月24日(月) 春麗。

 「はるうらら」を漢字変換すると、格ゲーに登場する、露出度高めの
オネエチャンの名前のようですね。

 今日は本当に暖かな一日でした。
ろくに日もあたらない、空気も雰囲気も澱んだ会社で、セコセコ仕事
してるのが、アホらしくなってくるような、晴れ渡った空。優しい日差し。
春が一気に近づいてきていますよ!
世界情勢は、相変わらず血生臭く不透明ですが、いつでも変わらず、万人に
平等に訪れる季節の生命力溢れる空気には、なんだか浮き浮きしますね。

 そして、春になれば土筆も生えてくるのだから、
私も燃えるような恋がしたい。(将来的展望のある恋のみ有効)
↑将来的展望のない恋は、お腹イッパイ間に合ってるので。
 
 25前後の姉妹が、侘しくも慎ましい夕食をつつきながら、
「このまま結婚も出来ずに30超えて、ずっと二人で住んでたら、寂しすぎる」
なんて、半分冗談半分本気で語ると暖かくなったとはいえ、世間の風が冷たく感じます。

 なんだか湿っぽい話になってしまいましたね。
現実なんて、こんなものか…。



2003年03月23日(日) 梅は咲いたが。

 桜はまだだった…。
六義園に枝垂桜のライトアップを見に行きましたが、
大方の予想通り、開花はまだ。
今日は随分暖かかったし、蕾はかなり膨らんできていたので、
来週末には咲きそうですね。

 六義園に足を運ぶ前に、白金台の庭園美術館へ行ってきました。
明治天皇の従兄弟にあたる朝香宮のお住まいを、そのまま美術館に。
宮様がフランスに長期滞在された縁から、当時ヨーロッパで流行していた
アール・デコの様式をふんだんに取り入れた、お洒落なつくりになっています。

 通常は、絵画など美術品の展示を行っているのですが、建物自体に芸術的価値が
高いため、毎年初めの展示会は、朝香宮邸展と称して、建物内部と朝香宮様所縁の
品々を公開。

 昔の宮家や天皇家主催の晩餐会で、引き出物として来賓に配られた、ボンボン入れ
のコレクションが、お洒落で可愛くて、お気に入り。
銀製の飾り御車や鳥篭の形などで、中には色とりどりの金平糖が入っていたそうな。


 建物内装は、ライトや通気口の鉄製蓋など細部に至るまで、アール・デコ調の
デザインが徹底されていて、流石に宮様のお住まいだけあって、上質な素材で
作られているので、かなり見ごたえがあります。

 2階建ての1階部分は来客用の部屋が主なため、フランス人のアンリ・ラパンが
内装デザインの大半を手掛けており、かなり本格的なアール・デコ様式ですが、
2階は、宮様一家の私的な居住空間のため、基本はアール・デコでありながら、
日本的要素も取り入れた、落ち着いた造りになっていて、興味深いです。
宮様の奥様(明治天皇の妹)も、一部デザインを提案されたとか。

 庭は芝生と日本庭園で、こちらも狭いながらもなかなか趣きがあっていいです。
人もそれほど多くないし、展示品も至近距離で楽しめるし。
ああいう家に住みたいなあ、と行く度に思う建物です。



2003年03月22日(土) 今日の占いカウントダウン!★てんびん座の女の場合★

 久々に、まったくなんの予定もない休日。
そんな日に限って、トイレが詰まった…。
管理人さんにすぐ修理してもらいましたけど。

 妹は本日出社日なので、家には私独り。暇。
部屋の片づけをしようと思っていたはずなのに、
久しぶりにHP更新(と呼べるかどうか)と、ネットに
夢中になっていたら、もうこんな時間(PM23:10)。
嗚呼、何もしないまま一日が終わっていく…。

 そんなこんなで、お菓子をつまんだりしながら
パソコンの前にいたんですが、さすがに夕飯を作ろうかな、
と重い腰を上げたらですね、米がない。

 なんだか色々なやる気が、悉く削がれた日でした。
厄日なのかしら。そんなにお腹も減ってないし、もう寝よ。



2003年03月21日(金) 優しさは優越感の裏返し。

 観てきました。「戦場のピアニスト」

 宣伝ポスターが、ナチス将校が脇に佇み、廃墟の中主人公がピアノを弾くという、
なんとも煩悩を擽る画面構成、しかも戦争モノで、主人公がユダヤ人で、舞台が
ワルシャワで、ナチスの将校がいい人とくれば、大抵お涙頂戴の、戦争という
異常事態の中での心温まるヒューマニズムストーリーと、相場は決まっていそうな
ものですが、いい意味でこちらの予想を裏切ってくれて、なかなか興味深かったです。

 主人公は題名からも判るとおり、ユダヤ人のピアニストなのですが、
よくありがちな、「主人公はとてもいい人で、ピアニストとしても最高」
というような、賛辞づくしの設定ではないのですね。

 彼のピアニストとしての腕前の評価は、劇中一度も、判りやすい賛辞の言葉で
語られることはありません。
だけど、重要な場面での演奏などは、そんな説明を持たずとも、観客に
大きな説得力を持って迫ってくる。 

 また人間的にも、いい人というよりむしろ、心の弱い他力本願な人物という
ネガティブなイメージが強くて、「なんでこんなヤツを、自分を危険に曝してまで
みんなが助けようとするのだろう」と、思わせてしまうような腰の引け様。

 結局様々な人に助けられ、主人公は過酷な状況に置かれながらも、悪夢のような
戦争を切り抜け、生き残る訳ですが、「よかったね」と単純に涙できない。

 
 何故、主人公の彼は生き残ったのか。何故、他の人は助からなかったのか。

 個々の日頃の行いや人柄など、そんな評価で人の生死は定められるのではなく、
劇中でも語られるとおり、まさに「神の御意志」と呼ばれるような、不確定で
不平等なものに、いとも容易く翻弄される。

 
 また、他人の救済、という、美談として語られることの多い行為の意味についても、
考えさせられます。

 自分以外の人間の救済は、自分が相手よりも恵まれた環境にあり、状況的にも
心理的にも余裕がある時にのみ出来ることであって、自分が窮地に陥り、余裕が
なくなった時には、差し伸ばされ一度は握った手を振りほどくことは、果たして
罪悪感を抱き、他人に責められるに値する行為なのか。

 窮地に立った自分の救済を、なんの見返りもなく、「相手の良心」という、
弱者に対する絶対的な味方を振りかざして、貪欲に求める傲慢さは許されるのか。

 そして状況が一変し、弱者と強者の立場が入れ替わった時、人は必ずしも
受けた恩に報いるだけの行いや、その実現への努力が出来るとは限らない。

 すべての人間は、程度の差や立場の差はあれ、他人に犠牲を払わせたうえで
成り立つ存在であり、その犠牲の代償を払うことは、とても難しい。

 
「神様は不公平で気まぐれだ」
そんな遣る瀬無くドライな現実を、淡々とした質感で、美しい映像と音楽で
緩和させつつ描き出すような映画です。
心も温まらないし、感動の涙も流れない、でもなにかが引っかかる、そんな感じ。



2003年03月20日(木) 卒業式だと言うけれど、なにを卒業するのだろう。

 尾崎豊の「卒業」より、「ギザギザハートの子守唄」の3番の方が、
卒業ソングとして脳内ランキング上位に置かれる、チェッカーズファン。

 昨日は映画デーの水曜日だったので、映画を見に行ってきました。
人気シリーズ、偉大なるマンネリ、映画版笑っていいとも、ハリウッド版釣り馬鹿日誌、
イギリス版男はつらいよ、とも言うべき「007」シリーズ最新版です。

 ああいった、シリーズ化されている映画の「様式美」(お約束ともいう)
敬遠していたので、予習もなく初めて見たのですが、凄いです。

抱腹絶倒、爆笑の連続。

 巨額の予算で、大真面目に大馬鹿をやるということの見本のような映画です。
「それはないだろ」と思うような寒いギャグも、「なんで!?」と思うような荒唐無稽な設定も、
「やりすぎだろ!?」と感じるようなストーリー展開も、「ジェームズ・ボンド(007)だから」
という免罪符で、オールオッケー。ノープログレム。
まさに様式美の勝利。完全無欠のロケンローラー状態です。

 フェンシングの先生役で出演のマドンナの、鍛え上げられた上腕二等筋が圧巻。
そして、オネエサン達の乳が、ワッサワッサと大画面で揺れる、大迫力の2時間。

 個人的には、氷製の白鳥型ベッドが、ツボ。
新宿のラブホでも、なかなかお目にかかれない、素晴らしい一品。

 明日は一転、「戦場のピアニスト」の鑑賞会です。
ナチの制服だ〜。ピアニストだ〜。煩悩の塊だ〜。



2003年03月19日(水) 遠くにありて想ふもの。

 私の生まれ故郷は、お茶と蜜柑とサッカーで有名な、静岡県清水市
なのですが、この清水市が、今年の4月に静岡市と合併してしまうそうで。

 なんとなく気になって、清水市の観光協会HP http://plaza.across.or.jp/~s-kankou/> 
なんて見てみましたが、私が住んでいた頃と変わらない、微妙な寂びれ具合が、
なんとも郷愁の念を誘います。嗚呼…。

 特に、清水達人辞典A to Z http://www.city.shimizu.shizuoka.jp/kankou/jiten/index.html
は、見知った場所が多くて、こんなところまで…。と感心すること頻り。

 なにしろ私の実家は、清水の隠れた夜景スポットとして有名なY山の麓(超田舎)で、
通っていた幼稚園と小学校は、日本三大松原のひとつ、三保の松原の中。
清水に一つしかない水族館は、父親の知り合いが一時期館長をしていて、
裏口から入れてもらい、水槽の上部などまで見せてもらったことも。

 綺麗な水流で有名な興津川は、毎年夏に泳ぎに行ったし、日本平は地元小学校の
外せない遠足コース。ちびまる子ちゃんの作者の実家は、母親の実家のすぐ近所で、
その上、さくらももこが小学校に在学時、ウチの母親はその小学校の事務員だった。

 実家から自転車で10分ほどの場所に、大変立派な藤棚があるお家があって、
花の時期になると、よく見に行っていたのですが、実はその藤は、「紅藤」といって、
珍しいピンク色の藤の花だったとか。言われてみれば、確かにピンクだった…。

 
 それほど大きくも栄えてもいない街なので、知り合いも多いし、噂話も広がりやすくて、
人と人の繋がりが、よくも悪くも強い、けれどもこれといって大きな特長もない、
普通の田舎町ですが、改めて生まれ故郷を見つめなおすと、懐かしいあれこれが
思い出されて、なんだか里帰りしたくなりますね。

 暖かくなったら、一度清水に帰ってみようかな。



2003年03月18日(火) ひさかたの。

 駒込の六義園で、3月21日〜27日の7日間、
枝垂桜の夜間ライトアップをするそうな。是非見に行かねば。

 それにしても、桜の開花にはまだ早いし、枝垂桜は染井吉野よりも
開花が遅くなかったのでは、と思って調べたところ、枝垂桜には、
通常の桜よりも開花が早いものと、遅いもの、2種類があるそうです。

六義園の桜は、江戸彼岸の園芸種だそうで、染井吉野よりも、
7〜10日開花が早いそうです。毎年見頃には凄い人出だとか。

 そう言われてみれば、去年の3月下旬に京都に旅行に行った際にも、他の桜に
先駆けて、京都御苑内の近衛桜と呼ばれる、有名な糸桜が満開でした。
花を零れ落ちそうなほどつけた細い糸枝が、重たげに風に揺れる様子は、幻想的で綺麗。
京都御苑は、桃園も綺麗ですね。ぼんぼりのような丸っこい花が、可愛い。


 3月のこの時期は、寒緋桜も見頃ですね。
新宿御苑に、大ぶりの寒緋桜の木が2本あって、この時期には、濃いピンクがかった
紅い花をつけていて、とても綺麗です。
まだ冷たく澄んだ空気には、染井吉野の淡い色より、キリッとした寒緋桜が似合います。


 桜というと、つい染井吉野ばかりに注目しがちですが、2月下旬から4月下旬頃まで、
様々な種類の桜が、競い合うように開花時期を迎えます。
いつもとは違った趣の桜を追い求める春、というのも、なかなかいいかもしれません。



2003年03月17日(月) 憎シミノ連鎖。

 普段、新聞をほとんど読まず、社会情勢にも日本の経済状況にも
さして興味を持たない私ですが、今日の朝、米英西3ヶ国首脳会談後の
ブッシュ大統領・ブレア首相の会見をテレビで見て、やりきれない気持ちになりました。


 戦争が始まります。


 間違った方向に進んでいる国を、正しい方向に導くのだ、という大義名分も、
「制裁」という言葉で誤魔化すことも、大勢の命を犠牲にするという、確定した現実の前で、
何の意味も持ちません。


 最新兵器を使った攻撃は、まるでゲーム中の出来事のような、現実感を伴わない
機械の操作一つで、たくさんの人々を、個人個人の善悪や思想に関係なく、
生命の危険に晒します。近代戦争はもはや戦いではなく、大量殺人ではないのか。

 戦争が憎しみを呼び、憎しみが戦争を呼び、人種や民族や文化の差異に関係なく、
この強烈な感情から生まれる哀しい連鎖は、世界共通であり、断ち切りがたいものです。

 国連という組織は、強者に都合のよい大義名分を、弱者にも押し付け納得させるための
機関ではなく、そういった逃れがたい連鎖を回避し、少しでも穏便な方法で、
相互理解をしていくためのものではないのか。

 アメリカは、確かに強大な経済力と軍事力を持つ国ですが、だからこそ、
自国の傲慢なまでの利潤追求のために、絶大な影響力を恥知らずにひけらかして、
自分と違った意見を持つ国に罵声を浴びせ、声高に自分の歪んだ正当性ばかりを
主張するような、そんな我儘な子供のような真似は、許されないのではないのか。

 世界一の経済・軍事大国であっても、世界はアメリカのためにあるのではない。
テレビを通して強調される、こういったアメリカの独善的な態度がとても嫌いです。

 だからといって、勿論、イラクのあり方が正しいとは一概に言えません。
何故イラクは武装しなくてはいけないのか。何故アメリカへの反発がこれほどに根深いのか。
その理由を、もっとみんなが考えていかなくてはいけないような気がするのです。

 長い時間をかけて形成された、一触即発の深い憎しみは、やはり長い時間をかけた
お互いの話し合いや相互理解によって解消されるべきだと思います。
それなのに、イラクが話し合いのテーブルにつかない理由も、今までのアメリカの態度に
一因があるのかもしれません。

 軍事制裁によって、この事態の根本的解決にはならないことは、みんなが判っています。

 所詮、アメリカにしてみれば、大して自分たちに被害が及ぶことがない、却って
軍事産業によって、失速気味の国内経済が活性化し、あわよくば石油という大きな
利潤が獲得できる、勝率の高い賭けのようなものなのかもしれない。

 日本は、アメリカに阿諛追従するしか能のない小国ですが、太平洋戦争で、
国内の主要都市のほとんどが焦土と化し、原爆投下によって多くの一般人の犠牲者を
出した国として、戦場となる国の悲惨さを、自国の被害などほとんど被ったことがない、
アメリカという傲慢な大国に、伝えていくことくらいはできないのでしょうか。

 
 テレビに映される、歪んだ世界の姿に、なんだか切なくなってきます。



2003年03月16日(日) 新世界。

 さっそく、新しい日記帳を探してみました。
さらにシンプルなデザイン。どんなものでしょう?

 データが残っていた、昨日と一昨日の日記もあげてみました。
それにしても、自分が書いていたものとはいえ、日記が消えてしまうのって
結構ショックなものですね。しょんぼり。

 2月の日記は、妹の話や童話の「The Giving Tree」の話など、
自分でも気に入ってる日記が多かったので。(それを公言するのもイヤラシイですが)

 まあ気を取り直して、またコツコツ書いていきますわ。



2003年03月15日(土) チャイ。

 突然ですが、私は昨今、巷で氾濫している「癒し系」という表現が、大嫌いです。

 人の心が何によって癒されるのかなど千差万別だろうよ、

それ以前に、傷つき疲れた心というのは、そんなお手軽に癒されるものなの?

 そんなものまで、判り易く簡単な記号化で表して、ブームとして大騒ぎする社会の姿勢に、
どうしようもない没個性と幼稚さを感じて、憤懣やる方ない思いをするのです。ムキー。

 ただし、所謂「癒し系」と呼ばれるものが持つ、大多数の人を和ませる空気は、好きだ。
「癒し」という言葉の持つ意味が、そんなにお手軽ではないだろう、と言いたいだけ。

 なので、私は「癒し」ではなく、「なごむ」という言葉で、表現していきます。(勝手に制定)

 そんな前置きはさておき、サントリーの烏龍茶の中国語CMソングを集めた、
「chai」というCDを購入。

中国語は、実際の会話だと、喧嘩腰に聴こえてきついイメージがありますが、
歌だと、鼻から抜ける音と「チャ」や「シャ」などの音が、日本語より円やかな響きで、
なんとも可愛らしい雰囲気を醸し出して、なかなかいいです。

 個人的には、「上海ブキウギ」・「鱒」・「太湖のほとりで」・「蘇州夜曲」
が、お気に入り。あー、和む。



2003年03月14日(金) 白い日。

 最近は、随分と日が長くなってきました。
来週は春分の日だし、風は冷たくても、春はすぐそこまで来ているのですね。

 ところで今日はホワイトデーでした。
すっかり忘れていたのですが、バレンタインに、おやつのキスチョコを
2粒おすそ分けした社長から、お返しとしてお煎餅の詰め合わせと思しきブツを頂戴。

 何故そんな渋いチョイスなのかといえば、自分が好きだから。
「食べる時には、少しちょうだいね。」とのこと。

 ところで、ホワイトデーの起源について、気になって調べてみたのですが、
日本のお菓子メーカーによって作られた、というのは間違いないものの、
その起源については、2説あるようです。

 まず一つ目は、福岡の和菓子の老舗「石村萬盛堂」が、1978年に
バレンタインデーのお返しにマシュマロを贈りましょう、と提案した、
マシュマロデー起源説。

「白いふわふわなマシュマロは、男性の純な心」

なんだそうです…。そうですか…。

公式(?)HPもあります。http://www.yesad.co.jp/whiteday/

 もう一説は、飴菓子業界の全国組織である、全国飴菓子工業協同組合が、
キャンディーの普及の為、1978年、名古屋での総会で、ホワイトデーはキャンディーを贈る日
と定めたという説。

 総会での可決後、全飴協ホワイトデー委員会が組織されて、1980年に、
第1回ホワイトデーが生まれたそうな。

 こっちの方が、組織総動員な分、オオゴトっぽいですね。
公式HPは、こちら。http://www.candy.or.jp/whiteday/

 いまや、会社組織の第二のお中元・お歳暮か、欲望と義理と計算が交錯する
イベントと成り果ててしまいましたが、商品普及の夢を託してこのイベントを
考案したオジサン達に、敬意を表したい。



2003年03月13日(木) 勝手にしやがれ。

 朝、めざましテレビで、蜷川幸雄が監督の映画、「青の炎」の宣伝してまして。
蜷川は気になるが、二ノ宮君とあややが主演というのが引っかかっていて、
見に行くべきなのか行かないべきなのか悩んでいたので、参考にしようかと。

 その放送中、作品を見た映画関係者の方々の、歯が浮くような絶賛コメントが
いくつか紹介されまして、主演の二ノ宮君の演技については、特に皆さん、

「まるで●●の映画の、▲▲を彷彿とさせるような演技」

という、私が最も陳腐で恥ずかしいと憎んでいる典型的パターンのコメントをしていて、
なんだか気持ち悪かったです。

 ジェームス・ディーンだ、マット・デイモンだ、と外国人の名前があがる中で、

『太陽を盗んだ男』のジュリーを彷彿とさせる瑞々しい演技

というコメントには、思わずのけぞりました。
『太陽を盗んだ男』の沢田研二は、私も大好きですが、…瑞々しいか?
どちらかというと、ぎこちない、といった方が…。モノは言い様…。

 確かに、只のアイドルの映画出演、というには上手だったし、あの狂気を孕んだ
迫真の演技は、技巧を超えてエネルギッシュで、凄く格好よかったですが。

 蜷川サンが監督で、アイドル映画にありがちな、学校の文化祭かお遊戯会か、と
いうような、目を覆いたくなる演技をさせる訳がないので、結構よかったという
ことなんですかね…。

 結論。テレビで放映されたら見ようと思います。



2003年03月12日(水) 少年に恋した林檎の木の話。

 先日、本屋さんで見かけた絵本。 → こんな本。

 シェル・シルヴァスタインという、米国の有名な絵本作家の作で、原題は
「The Giving Tree」 邦題は「おおきな木」

 サンライズだったかな?中学2年生か3年生の、英語の教科書に載っていて、
2年ほど前、塾講師をしていた頃、空き時間に英語の教科書を眺めていて、原文を
読んだことがあります。

 本屋に置いてあったのは翻訳本でしたが、パラパラっと見た限り、原文の素晴らしさを
伝えきれていないかな、という感じがしたので、是非、原文で読むことをお勧めする一冊。

 子供向けの大変平易な英語なので、義務教育を受けた人なら、問題なく読むこと
ができます。(私ですら読めた)

 内容としては、一人の少年と林檎の木の話。


   少年は林檎の木が大好きで、林檎の木も少年が大好き。
  ところが、成長し世界が広がって行くことで、少年は徐々に林檎の木から離れていく。
  一方林檎の木は、そんな少年を責めることもなく、彼が望むままに、自分の実を与え、
  枝を与え、幹を与え、最後には切り株だけになってしまう。

  切り株だけの林檎の木の元へ、年老い、杖をつく老人となったあの少年がやってくる。
  もう何も彼に与えてあげられるものを持たない林檎の木は、切り株となった
  自分に腰を下ろさせ、人生に疲れた彼に、休息の場所を与える。



 英語が苦手な私が、読みながら切なくなって涙しました。
原文では、林檎の木の三人称が、She で、女性なのですよ。

あれを恋と呼ばずして、なんと呼ぶのか。

 翻訳では、林檎の木が「彼女」であることを、あまり意識させない文章でしたが、
これはれっきとした恋愛小説ですよ。切ないプラトニック・ラヴロマンスですよ。
つれない男とひたむきな女。永遠のテーマだ。

 色々考えさせられる部分が多くて、中学生のガキ共に、授業の片手間に嫌々
読ませるにはもったいない、奥の深い、大人向けの内容だと思うのです。

 イラストも、モノクロの淡々としていながらも、訴えかけてくる絵柄で、最後の
切り株に腰掛ける老人の姿は、哀愁と、人生を全うしたものだけがたどり着く、
穏やかな時間が感じられて、なんともいえない味があります。

 惜しみなく、見返りを求めず少年を愛し続ける林檎の木の姿、無償で注がれる愛に
気付けずにいた少年の姿について、年を取り、経験を重ねていくことで、さまざまな
捉え方ができる作品だと思います。

 よろしかったら、是非ご一読を。



2003年03月11日(火) 桜の樹の下には。

 今年の東京の桜の開花予想日は、3月26日だと、妹が騒いでいました。
どうやら、お花見に行きたいらしい。
私も毎年花見に行きますが、都内なら新宿御苑の桜が一番好きです。
種類も多いし、樹が伸び伸びとしている気がするので。

 ところで、開花を控えたこの時期、桜の樹の幹が、ほんのり桜色がかって見える、
という話をご存知ですか。

 昔、教科書かなにかで読んだ記憶があるのですが、未だ冷たい風に揺れる、
冬枯れの桜の樹を注意深く観察してみると、他の木々に比べ、くすんだ幹の焦茶色に、
うっすらと内側から薄紅色が透けて見えるような気がします。
気のせいかも知れませんが、なんだか不思議です。

 桜と言えば、梶井基次郎の、「桜の樹の下には」の冒頭。

 あの発想が、彼独自のものなのか、それとも元々昔からあったものなのか、
勉強不足の私は、残念ながら知らないのですが、非常に短い作品にも関わらず、
有名無名を問わず、多くの人々が、この作品のモチーフを、桜の時期に口にしたり
文章にするのは、やはり、インパクトがある名文だからだと思います。

 梶井基次郎は、繊細な感性が文章から滲み出ている、綺麗な作品が多いですね。
代表作の「檸檬」も、様々な色彩の本を積み重ねたその上に、一際鮮やかな色彩の
檸檬を載せる、というビジュアル的な美しさと、「爆弾」という発想の、無邪気な
病みっぷりが、好き。

 猫の耳と前足の話、「愛撫」も好き。
アレを読むと、無性に猫と戯れたくなる。
肉球をムニムニしたり、耳をみょーんと引っ張ったり。

 夭逝してしまったのが、つくづく悔やまれる作家の一人です。
そして、あんなに綺麗な文章を書くのに、顔がジミー大西と瓜二つなのが、
とても気になる…。

 梶井基次郎といえば、高校の現国の授業中、「闇の絵巻」の解説で、
伊豆湯ヶ島に、病気療養のため逗留中だった梶井が、

夜の川沿いで全裸で号泣した

という話を聞いた覚えがあるのですが、あれは私の聞き間違いなのでしょうか。
それとも心地よい授業中の午睡に見た夢なのでしょうか。

 高校時代の現国と文学史の授業は、先生のマニアックな話が印象深くて、他の授業の
記憶はスッポリと抜け落ちているのに(高校に通っていなかったのでは、と自分で疑うほど)
あの授業に関してだけは、鮮明に覚えている話がいくつかあります。

 三島由紀夫の、市ヶ谷駐屯地での切腹後、介錯されて首が部屋の隅に転がってる写真
(当時の朝日グラフに掲載)や、森鴎外の大好物、葬式饅頭茶漬け
(葬式饅頭を冷えたご飯の上に、2つに割って乗せて、玉露のお茶をかける)など。

 実生活では、なんら役に立たないことばかり覚えてるのが、痛いところ。 



2003年03月10日(月) 中村獅童と篠原ともえ、熱愛発覚!?

 今日のテレ朝の、朝のワイドショーで。
あまりに意外な組み合わせに、眠気も吹っ飛びました。それってどうよ!?
…結局、ガセネタぽかったですが。

 でも個人的には、篠原ともえ、不器用なところもあるけど、明るくて人に気を
使いそうだし、表情がくるくる変わって、造りもよく見ると可愛いので、好きです。

 本当に彼女を選んだ、というのなら、中村獅童、なかなか器の大きい、イイ男だと
思いましたが、一般的な評価は、篠原に獅童はもったいない。

つうか、篠原と付き合うなら、私と!!

という、強気な意見が主流のようです。それもどうかな…。

 中村獅童は、顔がなんとなく、ウチの妹に似ています。
というか、彼女は巨人の高橋選手と、フリップフラップ、
あと、新宿ミロードの、イメージキャラクターに、大変よく似ております。
想像できましたか?

 ちなみに私は6年ほど前には、似非シノラーでした。(恥ずかしい過去の告白。)

 当時は格好の奇抜さから、大学構内100m先からでも、居場所が判る
と言われたものです。
幼少時から今まで一貫して似ていると言われるのは、

まめ、またはどんぐり、またはキノコ。

…それって全て人外だよね…。



2003年03月09日(日) ヒトガタの夢。

 気味の悪い夢を見ました。
白いバスタブのお風呂に入って、仰向けで寝ていると、足のほうから何かが
圧し掛かってくる気配が。

 ふと目を開けると、私とよく似た、人間の皮膚で出来た物体(南極チャン2号のような感じ)
が、ゆっくりとした動作で、ズルズルと圧し掛かってくるのです。

 皮膚を縫い合わせて出来ているらしく、背中や、首の辺りに縫い目があるのですが、
中身は空らしく、眼窩は真っ暗な空洞で、こっちをじっと見つめている。

 お風呂のお湯のせいか、触れている部分に、生温かい感触としっとりとした重みが
感じられて、やがて、ぴったり上に重なってきたかと思うと、キスされました。

 唇の感触が柔らかくて、異常にリアルだったんですが、夢の中の私は、別段嫌悪感を
抱くでもなく、どうせなら、格好いいオニイチャンが良かったなあ。と、ぼんやりと
考えている、という夢。

 今まで見た夢の中でも、オリジナリティのある悪夢でした。
それほど後味は悪くなかったのが、またなんとなく気味が悪い、そんな夢の話。



2003年03月08日(土) デコポン。

 本日、実家に不要な荷物を置きに行ってきたのですが、引き換えに、ダンボール
1箱分の日用雑貨と、デコポンを渡されました。
荷物になるからいいって言ったんだけど。

 デコポン、という言葉の響きには大層心惹かれるのですが、食す点においては、
あまり好きではないのね。
それなのに、2人暮らしで10個近いデコポン。どうしろと。

 帰りにドライブ。なぜか夜のお台場へ久しぶりに出かけたら、テレコムセンター
の前に、温泉できてました。吃驚。
大黒埠頭まで行ったら、デコトラと、馬鹿デカいスピーカー積んだ車と、暴走族が
終結してて、訳の判らないカオス状態。

 日本は平和だなあ、と思った次第。

 部屋の片付けも、何とか目途が立ってきました。
来週、居間用のテーブルと椅子が来るので、やっと人が呼べるようになりそうです。



2003年03月07日(金) アーバンライフ。

窓からの、都会の夜景が綺麗です!!

 ビバ★アーバンライフ。新居の最大のセールスポイント。
革張りの安楽椅子と、薔薇の柄のガウンと、トラの皮の敷物と、ワイングラスと、
白いフサフサの猫がないのが、痛いですが。(揃ってたら、もっと痛い…。)

 心のBGMは、チェッカーズの、「ひとりぼっちのナタリー」
ファーストアルバム(勿論カセット)に収録されてた名曲。
田舎の小学生だった私が、初めて都会の空気を感じた1曲。
(歌ってるのも博多の地方出身者だけど)

そんな都会の空気に浸る前に、今に積み上げられた荷物を、今週末にはなんとか
片付けたいところ。



2003年03月06日(木) 襟裳の春は、なにもない春です。

 昨日に引き続き、花粉症ネタ。
面白くないのは重々承知ですが、私にとっては大事件なので。
表題は、昨日、山崎将義が熱唱していた、「襟裳岬」より。
本文とは、全く関係御座いません。

 今朝起きてみたら、目の周りが完全に赤く腫れて、それでなくともボヤけた顔が、
当社比30%増でボヤボヤしていて、自分で鏡見るのも嫌なくらい、ブスだ。
(それはいつものこと。)
真剣に会社を休もうかと思いました。痒いし痛いし気になるし。

 今年の花粉症は、今までにないヤバさです。
今からこんなに辛いなんて…。これからの花粉飛来本番、一体どうすれば。
とりあえず、眼科へ行かねば。そんな暇はどこにもないのに。うわーん。

 くしゃみと鼻詰まりでボーッとしているところに、追い討ちをかけるように、
腫れのせいで視界がはっきりしないので、目を開けて起きているのが、億劫で仕方ない。
ずっと眠っていられたら。

目玉と鼻を取り外して、ジャブジャブ水洗い出来たら、どんなに爽快だろう。
と、真剣に思わずにはいられない。この状況が、あと2ヶ月近く続くのか…。
まさに生き地獄。
花粉症治療って、何科の医者にかかればいいんですかね。
眼科と耳鼻咽喉科かしら。やっぱり。



2003年03月05日(水) 花粉襲来。

 1週間くらい前から、目のかゆみとクシャミが止まらない。
今年も花粉症持ちにとっては、嫌な季節がやってきましたね。

 目はしょぼしょぼして腫れぼったくなるし、鼻のかみ過ぎで、鼻の下は荒れて
赤くなるしで、ビジュアル的にも非常に見苦しいし、常にすっきりせずに、頭が
ボーっとなるので、春の私は、難しい判断を迫られる場面があれば、大抵失敗します。

 特にここ2日くらい、風が強くて厳しいです。
思考力が低下しているので、醜態をこれ以上曝す前に、寝ようと思います。おやすみなさい。



2003年03月04日(火) 蓼食う虫も好きずき。

 妹と同居4日目。
朝は出勤時間が違うので顔をあわせないのですが、夜、家に帰ってから、誰かと
顔つき合わせて喋るのって、いいですね。

 先ほども、お互いの恋話などをしていまして(姉妹で不毛)、自称・面食いの妹は、
現在、ココリコ田中似の自称・ゲイの後輩の男の子に、
密かにアタック中。かなり空振りの模様。それは本当に面食いな…の…か…?(素朴な疑問)

 あまり親しくない会社の人と、好みのタイプの話になって、
「要するに、ミニクーパーとかビートル乗ってるような男が好きなんだろ?」
と一刀両断されたことについて、

「とても底の浅い人間と嘲笑されたような気分。」

と、妹が嘆き悲しんでいたので、

「ボーダーの長袖Tシャツもないとね。」

と慰めておきました。(ナイスフォロー)
大丈夫。姉も似たような底の浅さだから。
これはDNAレベルで組み込まれた、嗜好に違いあるまい。

 話の結論としては、
「恋愛依存体質は、育った環境によって形成される」
という説で落ち着きました。(物凄い飛躍)
姉妹揃って、恋愛ジャンキー。



2003年03月03日(月) 耳の日。

 今日は3月3日。雛祭りでしたね。
お母さん、私の7段飾りの雛人形、静岡の実家の押入れに、4年くらい入れっ放しだよね。
そろそろヤバいんじゃないの…。

 雛人形は、早めに出して早めに仕舞うと、娘が嫁にいき遅れることがない
と俗に言われていますね。

実家でも、私が子供の頃(=親が年中行事に気合を入れていた頃)には、2月の
中旬までには出して、3月4日には仕舞ってましたが、段々面倒になってきたのか、
そのうち、4月まで飾ってありました。
桃の花どころか、桜が咲いてるっちゅうねん。

ウチは、旧暦で雛祭りしてるから。

と、意味不明な説明を母が毎年繰り返してましたが。絶対いき遅れるよ。私も妹も。 

 最近では、置き場所がないという住宅事情から、コンパクト版の雛飾りが主流だそうですが、
大きさは小さくても、雛人形やら、端午の節句の兜は、1年に1回しか使わないのに、
お値段が非っ常に張ります。
それでも可愛い孫のために、お祖父ちゃんお祖母ちゃんは奮発しちゃうよね。
ちなみに、こういった節句飾りは、母方の祖父母が揃えるのが、筋だそうです。本当かしら。

 昔は、雛祭りには、お友達を招待して、お雛様を飾った部屋で、甘酒を飲んだり
ご馳走を食べたり、チョットしたお祝いをしたものですが、あれは、お客様のもてなし方を、
母から娘に伝えていくためだったと、スーパーの売り場で流れていたテープで言っていました。

 最近は雛祭りを盛大にお祝いする、という話を、あまり聞かなくなりましたが、
なかなか奥の深い日本の年中行事、大切に次の世代に伝えていきたいものです。



2003年03月02日(日) 中川家、活動停止。

 お笑い芸人の暴力事件って、結構多いですが、それにしても、弟よ…。
せっかく才能あるのに、すごく残念だなあ。
兄も結婚したばっかりで、お嫁さんお腹大きいのに。


 それはそうと、三谷幸喜の脚本の、来年のNHK大河ドラマ、キャストが
発表になったそうで。(情報遅っ!!)「新撰組」なんだそうですが、

近藤勇→香取伸吾  土方歳三→山本耕史
沖田総司→藤原竜也  芹沢鴨→佐藤浩市


だとか。佐藤浩市は、もうなんでもオッケー。(隠れファン)
藤原竜也も、狂気すら感じる天才的な剣の腕を持ちながらも夭逝した、
沖田の雰囲気にバッチリ嵌る。(隠れファン2)

ですが、近藤と土方は、如何なものかと。

 私は幕末周辺の歴史に興味がないので、新撰組に関して詳しくないのですが、
あの2人は違う気がする。

 既存のイメージを壊したいんだろうけど、それにしても、熱狂的なファンが多い
「新撰組」を扱うなら、既存の枠に収まらない分、もっと演技が上手な人を、せめて
主役の近藤勇役には、配役するべきではないのか、と素人ながらに思ったり。

 土方歳三は、凄く苛烈でエネルギッシュな人、というイメージが強いので、
どちらかと言うと優しげな印象の山本君だと、大丈夫なのかな、と思ったり。

 ところで、土方歳三は、当時としてはハイカラな人だったそうで、断髪洋装の写真が
残ってますが、かなりの男前。
鋭い、すっきりとした顔立ちで、現代の美的基準でも、充分格好いいと思う。

高校時代その写真を見て、「燃えよ剣」を読み始めたミーハーは、私です。

 定期ケースに土方の写真を入れてて、こっそり私に見せてくれたYサン、お元気ですか〜。
私は相変わらず、オタクな煩悩で生きてま〜す。



2003年03月01日(土) 土砂降りの雨の中で。

 これからの行く末を暗示しているのか、はたまた日頃の行いのせいなのか、
冷たい雨の中、引越し決行。

 当初聞いていた時間より、1時間も早く引越し屋さんが到着してしまい、バタバタと搬出。
軽く掃除を済ませて、新居に向かったのですが、私よりも15分くらい早く出たはずの
トラックが、なかなか来ない。
やっと到着したと思ったら、エントランス部分に敷く保護シートを、同日同時刻の
引越し予定の、妹の荷物のトラックに積んであるので、荷物の搬入は、川崎からの
トラック待ちとのこと。

 同時刻で引越しなら、川崎から都内に来るより、同区内移動の私の方が、早く
到着するのは当然では…。と思ったり。
確かに安かったけど、エラく手際の悪い引越し業者でした。

 なんとか全ての荷物の搬入が終わって、部屋の整理。
自分の部屋は、すぐに片付けが終わったのですが、共有部分の居間と台所が
片付かないまま、とっぷり日が暮れた…。
明日の日曜日は、妹と一緒に、買出し三昧です。なんだかどっと疲れた引越しでした。


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