アナウンサー日記
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2001年09月25日(火) 英語の話・・・その13(英検準1級を受ける?)(未)

 


2001年09月22日(土) 「太股」を何と読む?

 先ほど、テレビで深夜ニュースを見ていたら、フジテレビのベテラン・Fアナが、「太股」を「ふとまた」と読んでいた。痴漢のニュースだったのだが、Fアナは画面をにらみつけるようにニュースを読みながら、何度も「ふとまた」と連発していた。

 もちろん正解は「ふともも」である。普段からそそっかしく、アナウンサーとして常に誤読の不安を抱えているワタシとしては、この手の他人の失敗を見つけるのは結構好きだったりする(←オイオイ・・・)。


 だが、今回のFアナの誤読こそ、ワープロ原稿の弊害の典型と言えよう。

 何故か?

 「ワープロが、何でもかんでも勝手に変換してしまうこと」に、原因がある。普段、一般市民や記者自身が使っているレベル以上の漢字を、ワープロはあっさりと使ってしまうのだ。

 例えば、道行く人に紙と鉛筆を渡して、「ふとももって書いてみてください」とお願いすれば、多分、大抵の人が「太もも」か「ふともも」と書くだろう。「太股」あるいは「太腿」と書く人は、少数派のはずだ。

 また(シャレじゃないデスよん)私自身、3〜4年前まで記者として原稿を書いていたが、その頃は、まだまだ手書き原稿が主流だった。放送用のニュース原稿を書くときは常に時間との戦いである。当時、各記者は「腿」や「股」のように画数が多くて書くのに時間がかかる面倒くさい漢字は意識的に避け、画数の少ない平仮名やカタカナを多用していた記憶がある。つまり、かつての手書きの原稿には、「太股」や「太腿」といった難しい文字は、あまり登場する機会がなかったように思える。

 「ここ数年、ワープロ書きの原稿が増えて読みやすくなった」という意見と同じくらい、「かえって読みにくくなった」という感想がアナウンサー達の間からあがっている。その理由の一端は、こんなところにあるのではないかと思う。


 「股」は普通、「もも」とは読まない。「また」と読むのが一般的だ。かと言って、一方で「太股」は、ちゃんと辞書に載っている言葉でもあるので、やはりアナウンサーとしては「ふともも」と、きちんと読みたいものである・・・。

 Fアナの失敗は「弘法も筆の誤り」の類であろう。凡人アナウンサーの私にとっては、まさに「明日は我が身」である。


2001年09月20日(木) 映画「YAMAKASI」を見た。

 NBCの招待試写会で見た。たまに映画をタダで見るのもいいもんだ。でも、タダで見ちゃうとちょっぴり批評しにくいかな(爆)。

 だが、今回の「YAMAKASI」については、割と楽しめたので何だかホッとしたりする(笑)。見に行こうかどうか迷っている人には、「行きなさい。ただし、何の事前情報も仕入れないこと」と言っておこう。事前情報で頭をいっぱいにしておくと、恐らく期待を裏切られる結果に終わると思うからだ。予告編やHPの「超クール」な雰囲気は、はっきり言って本編の作風とはズレていると思う。


 「レオン」「フィフスエレメント」・・・など、幅広い作風で知られるリュック・ベンソン監督の最新作「YAMAKASI」は、恐らくこれまでの監督の作品の中でもっとも低予算で作られた映画だと思われる(笑)。

 予告編やHPを見て、ハリウッド映画ばりのスーパーアクションを期待して見に行ってはいけない。これはペーソス溢れるヨーロッパ映画、しかもフランス人監督の作品なのだ。派手な音楽やCG映像で観客の度肝を抜くタイプの映画ではないのである。

 見所は、7人の「YAMAKASI」(コンゴ語で超人の意)が、鍛えられた肉体で縦横無尽にビルをよじのぼり、屋根から屋根を駆け抜けていくシーンの数々だ。多分映画の3分の1くらいは、そういうシーンである。ネタバレになるのでそれ以上は言わないが、フランス映画としては(というほど見てないけど)ストーリーはかなり単純な部類だ。でも、勧善懲悪モノなので日本人好みかも。


 それにしても、カッコ良過ぎる予告編やHP(特にHP)と、どっちかというと泥臭い本編との「ズレ」がとても気にかかる。「見せんかな」の行き過ぎた手法による前宣伝は、かえって逆効果だと思うのだが・・・。本編が面白かっただけに、そう感じられるのかもしれない。


2001年09月17日(月) マンデー・パリーグに行ってきた(未)

 


2001年09月15日(土) ラグビー研修に行ってきた。(未)

 


2001年09月13日(木) テロ事件に思う

 アメリカ・世界貿易センタービルのテロ事件は大変衝撃的であった。卑劣な無差別大量殺人は、決して許されるべきではない。

 だが、だからと言って、アメリカ側の「報復の為の戦争」は絶対的な正義なのか?

 ・・・果たして、真珠湾への奇襲攻撃やテロは「不意打ちで卑怯」であり、きちんと宣戦布告をしてから行う戦争は「騎士道精神にのっとった正しい行為」なんだろうか。・・・見た目の印象は全然違っても、中身は全く同じ「大量殺人」なのではないのか。

 テロを憎む気持ちは私自身持っているが、武力による報復が、また新たな悲劇と憎しみを作り出すことは自明の理だ。どこかでその繰り返しを止めなければ、この世界からは永遠に戦争は無くならないだろう。

 ならば、アメリカは報復攻撃をやめるべきだ。そもそもアメリカ人が信じるキリスト教のイエスは「汝、右の頬を打たれれば・・・左の頬も差し出せ・・・」と言っているではないか。今こそ、聖書の言葉を実践すべき時である。

 そして、日本は今こそ世界の中でイニシアチブをとって「報復攻撃反対」を訴えるべきなのだ。愚直かもしれないが、憲法で永久に戦争を放棄した日本国だけがなし得ることだ。

 日本の平和に関する式典には、しょっちゅう「恒久の世界平和を祈る」という文言がでてくるが、このことばを、お題目にしてはならない。


 こんなことを考えること自体が、世界の情勢の中では「非常識」なことなのかもしれない。だが、「戦争反対」を当たり前に主張することこそが、むしろ「健康的な心理状態」なのだ。そして、かつて侵略戦争に失敗して、原爆による市民の大量殺戮を経験し、現在は世界に誇る平和憲法を持つ日本には、戦争反対を主張する使命があるのではないのか。


 この世で一番大切なのは、命なのだ。たくさんの命を奪う戦争は断じて認められない。


 命の尊さは、様々なしがらみや利害関係を超越するものだ。そんな当たり前のことを再認識するべきだ。子供が持つような素朴な正義感を、私たち大人が失ってはならない。


2001年09月11日(火) 映画「グリーンマイル」を見た。

 「グリーンマイル」は1999年の映画であり、何を今更・・・と思う方もいるかもしれないが、私は名作の誉れ高いこの映画をまだ見ていなかった。で、ちょうど今、長崎市内の複合映画館の一周年記念でリバイバル上映をやっており、しかも特別入場料800円となれば、これはもう見るしかあるまい。


 見た。


 ・・・落ち込んだ。後味の悪い映画であった。基本的に私は、「フォレストガンプ」や「ドリヴン」のように、真面目に頑張ってる人が成功するストーリーが好きなので、こういうやるせない映画はどうも・・・困るなあ。映画館では、中盤あたりから、あちこちですすりなく声が聞こえた。

 もちろん映画としては一級品だと思う。3時間10分の長さを感じさせない密度の濃い映像で、800円で見たんじゃ申し訳ない気もした。正規料金の1800円を払っても文句のない出来栄えではあったということだ。


 だが、基本的にストーリー重視の展開で、舞台は牢屋ばかりの地味な映画なので、まだ見てない人は別にビデオで見ても構わない作品だとも思う。(そりゃ本当は映画館で見るべきですが。激しい音や映像が売り物の映画じゃないと言うことですな)



 ネタバレになるからこれ以上の発言は差し控えるが、この映画を見て、ネズミを飼いたくなった人と、黒人の大男が好きになった人は、随分多いであろう。


2001年09月04日(火) 耳毛の話

 以前から、町でお年寄りを見かけるたびに「なぜ人は年を取ると、耳の穴から毛が生えるのだろう?」と素朴な疑問を抱いていた。



 いわゆる鼻毛は、誰だって赤ん坊のころから生えている。ホコリや雑菌から粘膜を守るために必要だからだ。だが普通、耳毛は生えて生まれてこない。もちろん、必要ないからだろう。時折、耳毛が密集している毛深い青年を見ることもあるが、一般的な日本人では(語弊のある言い方だなー)、ある程度の年齢に達すると男性ホルモンが多くなり、髪の毛以外の毛が濃くなるのと平行して、耳毛が発生するケースが多いようである。


 まあどのみち、髪の毛が多くてヒゲの薄い自分には、関係のない話だと思っていた・・・ついこの間まで。


 ある朝鏡を見ると、左の耳の穴から毛が一本飛び出しているのに気づいた。疑いようもなく、耳毛である。触った感じはかなり弾力があり、髪の毛と鼻毛の中間ほどの太さのようだ。耳の中のどこから生えているのか自分では見ることが出来ないが、長さは推定で1.5センチ。一体いつのまに生えたんだろう。街中で耳毛ウオッチングを楽しんでいるあいだに、自分にも生えていたというわけだ。まったくヒトゴトではなかった。人生は意外性に満ちている(笑)。


 面白いので切らずにほっといたら、意外と日持ちしている。床屋さんも気づいたはずだが、何故だか切らずにほっといてくれている。耳毛の数が増えたらいやだなーとも思ったが、今のところその心配もなさそうだ。時折、左耳に手をやって、耳毛の存在を確かめるのが癖になってしまった(・・・私は一体)。



 この日記を読んだ人は、皆ワタシの左耳を覗き込むんだろうなー(爆)。


2001年09月03日(月) 母の誕生日

 9月1日は母の誕生日であった。
 
 一応女性なので年齢は明かさないが(笑)、母は今年の誕生日で、6年前に亡くなった父の年齢を超えた。

 「とても不思議な感覚」と母は言う。母にとって、父はいつまでも6つ年上の存在だ。

 これから先、母は父よりも少しずつ年上になっていく。思い出の中の父はいつまでも年をとらない。だが、最近母がよく思い出すのは、父が一番輝いていた海上自衛隊の現役時代だという。夢にもよくその頃の姿であらわれるそうだ。

 

 きょう、姉と私たち夫婦と娘で、母を長崎市内の豆腐料理屋さんに招いて、ささやかな誕生パーティーをした。また来年、何事も無く、笑顔でパーティーが開ければいいと思う。


2001年09月02日(日) 稲佐山ガールズガールズガールズ!!(未)

 


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