アナウンサー日記
DiaryINDEXpastwill


2001年06月24日(日) 「レイコランドカフェ」に出た

 「レイコランドカフェ」は、NBCラジオの毎週日曜深夜枠で放送しているラジオ番組だ。パーソナリティーは、佐田玲子さん。ご存知の通りさだまさしさんの妹さんだが、この方のトークもまたお兄さんに負けず劣らず楽しい。ただし、落語研究会出身のまさしさんのギャグは計算されつくした笑いだが、玲子さんの笑いは天然パワーによるものであり、兄妹で対照的なのはなかなか興味深い。玲子さんは普段から声が大きくてざっくばらんで姉御肌な、とてもステキなひとなのだ。(なんて書いて怒られんじゃろうか・・・)

 今夜は聴取率対策(!)で、NBCラジオ6階Lスタジオから番組を生放送することになり(ちなみに一応「いつも生放送」ということになってます・・・爆)、この日たまたま夜10時までの勤務で局に残っていたワタシも、成り行きで出演させていただくことになったのだ。

 まず夜9時35分、ナイターのラジオ中継が早めに終了したために生まれた空白の15分枠で、急遽「プレ番組」として、ワタシと玲子さんふたりのトークをお送りした。トイレの話に花が咲いた15分間であった(笑)。こういう番組表にない企画をいきなりやってしまえるところがラジオの身軽さだが、これを聞かなかったファンの皆さんはもったいないことをしたと思う。まあ、いつもNBCラジオを聞いてくださっている皆さんへのボーナスみたいな番組であった。逆に、周到に準備をしていると、こういう楽しい番組にはなかなかならないものだ。

 10時半から本編スタート。これも思いつきで、オープニングとともにワタシの交通情報から始まり、玲子さんの「ムラヤマ、番組の邪魔をしないように!!」との叱責が割り込むと言う・・・。その後は、ワタシはお便り紹介と笑い袋役に徹したのであった。

 「レイコランドカフェ」は、ワタシが思春期のころ夢中になって聞いた「古きよき時代」の香りのするリスナー参加型の番組で、まったく楽しいばかりの45分間であった。玲子さん、スタッフの皆様、ワタシもかっちぇて(加えて)いただき本当にありがとうございました。


2001年06月23日(土) 大分・日田に行ってきた。

 もちろん仕事で行ってきた。

 日田市に去年オープンした「サッポロビール新九州工場」からの、2時間50分ラジオ生放送である。「新九州工場」は、一大ビールテーマパークとなっており、ビール製造工程の見学コースやビヤレストランなどがある。例によってワタシは、ヒゲに蝶ネクタイ(自己紹介ページ写真参照)姿で、楽しく仕事させていただいた。

 先日はジャパネットタカタの社員の皆さんの仕事ぶりに感銘を受けたわたしだったが、今回はサッポロビールのスタッフのみなさんのスマートな仕事ぶりに「かっこいいなー」と思わされたのだった(影響を受けやすい・・・笑)。仕事にせよプライベートにせよ、威張った態度をとらない人たちと接するのは気分の良いことである。

 大学に進学する時点でアナウンサーになることを決めていたワタシ(*注・勝手にそう思っていた・・・笑)にとって、マスコミ以外の業種の皆さんと交わるのはとても刺激になるし、なんだかものめずらしい気分なのだ。


2001年06月21日(木) 「ジャパネットたかた」に行ってきた。

 長崎県佐世保市が誇るベンチャー企業、「ジャパネットたかた」の放送設備を見学してきた。


 正確に言うと今日午後、「たかた」系列の販売店「ハートプラザ大塔店」店頭からラジオの生放送を4時間15分にわたって行い、放送終了後に、同じ建物の中の放送設備を見学させて頂いたのだった。

 「ジャパネットたかた」は、1990年3月、NBC長崎放送で第1回ラジオショッピングをスタート。 その後、ラジショップのネットワークを全国に広めるとともに、テレビショッピングへも業務拡大。現在、年間の売り上げ額が420億円を超え、この春にはテレショップ用の自前のCSテレビ放送局までオープンしてしまったという・・・まさに「ジャパニーズ・ドリーム」を具現化した存在である。

 
 「うーん、たいしたもんだなー」というのが、見学後の率直な感想だ。


 テレビスタジオがある、ということは当然その編集システムもあるわけだが、編集はすべて「テープレス」で行われていた。番組の収録は全てハードディスク内に記録され、モニター画面上で編集を行うのだ。全国の各テレビ局に番組を発送する必要上、最終的にはビデオテープに落とすことになるのだが、私に説明をしてくださった編集マン氏は「ダビングの時間がもったいないので、将来的には完全なテープレスが目標です」と話していた。
 

 だが実は、充実した設備以上に印象的だったのが、社員の皆さんの明るい雰囲気である。企業自体が若いこともあって従業員の皆さんも総じて若く、和気あいあいとしていた。また、皆さん「たかた」の一員であることへの自信と・・・どこか「ワクワクするような気持ち」を常に感じているように見えた。それはとてもうらやましいことだった。


 そして、本物の(笑)高田社長は、背がすらりと高いナイスミドルであった。社長を知らないヒトは、一目見て俳優と勘違いするかも知れない。独特のオーラの持ち主なのだ。これほどの存在感を持つ中年男性を見たのは、久しぶりである。この人が右肩上がりで急成長を続ける企業のリーダーなのだ、と納得させられる思いだった。


2001年06月18日(月) 映画「メトロポリス」を見た。

 映画「メトロポリス」は、手塚治虫が1949年に描いたSFマンガ巨編を、現代のアニメーション技術でリニューアルした作品である。 


 原作の「メトロポリス・大都会」は‘貸し本漫画時代‘の作品であり、読んだ経験のあるひとは少数派だろう。手塚マンガの原点とも言われる大作で、戦後間もない日本においてはさぞかし衝撃的な作品だったろうと思われるが・・・今となっては手塚が21才(!)のときに描いた記念碑的作品、という「古典的価値」しか見出せない作品だとワタシは思う。いま読むと、エンタテイメントとしては、残念ながら現代人に楽しめるものではない。51年前の作品なのだから、仕方が無いことなのだ。

 ところでこの作品を「りんたろう監督」が「大友克洋」の脚本でリニューアル映画化すると聞いても、ワタシは全く感心をいだかなかった。そもそも、虫プロには「ジャングル大帝」を‘セリフレス‘の映画にしてしまったという、大罪に等しい前例がある(ライオンキングを意識しすぎたか?)。また、大作指向の日本映画は、実写であれアニメであれ失敗する傾向がある・・・と常々ワタシは考えており、今回も「どうせそうだろう」と、見る前から半ば決め込んでいたのであった。


 だが、テレビで予告編を見て、ワタシの評価は180度変わった。

 予告編の映像では、壮麗なコンピューターグラフィックの大都会に軽快なジャズメロディが流れ、手足が太くて目が真ん丸い手塚キャラたちが動く動く! 予告編そのものが作品レベルのクオリティであり、「こりゃ絶対見らんば!(長崎弁)」と思わされたのだった。


 そして今日。さっそく映画館に出かけ、パンフレットを買い求めると、総作画監督はあの(!)「とんがり帽子のメモル」の名倉氏だということが分かった。さらに美術監督は「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」の平田氏で、「だからこんなに絵がキレイなんだー」と期待はますます高まるのであった。


 サテ、映画を見終わった感想としては・・・やっぱりジンクス通りであった(爆)。なんでこうなっちゃうのかなー。これから見る人もいるかもしれないから詳しくは言わないけれど、ワタクシ的にはトホホな出来栄えでした。それにしてもあの予告編を作った人は才能あるなー。(予告編と言えば、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」のやたら長い予告編も上映されたのだけど、これもなかなか感動させられた。しかし、予告編だけでストーリーの大部分が分かってしまったような気がするので、本編では是非、いい意味で予想を裏切ってほしいものである)


 最後に、余談になるが・・・きょうワタシは、長崎市の映画館「ステラ座」で最終の上映を見たのだが、公開末期ということもあってか、観客はなんとワタシひとりであった。

 にもかかわらず、「ステラ座」は、そのひとりの観客のためにエンディングのタイトルロールが全部終わり、スクリーンが真っ暗になるまでキチンと上映してくれた。当たり前のことのようだが、これは大切なことだ。映画館によっては、タイトルロールが始まった途端に客電を点けたり、掃除を始めたりするところが珍しくない。一方、客も客で、タイトルロールとともにドヤドヤと立ち上がるバ・・・(自粛)はホントに多い。映画は、タイトルロールが終わるまでが作品なのだ。作品によっては、タイトルロールの一番最後に印象的なカットが挿入されることだってある。実は「メトロポリス」もそうであった。

 何しろ、ワタシとしては今回「ステラ座」に非常に好感を感じたので、今後、県内の複数の映画館で同じ作品がかかった場合は、当然「ステラ座」に行くつもりである。やっぱり、客、そして映画を大切にする映画館に頑張って欲しいと思うから。


2001年06月17日(日) 生きることと、死ぬこと 6 全国大会へ

 今日、NHK全国放送コンクールの長崎県大会が行われ、故・宮田亮子さんの死を題材とした長崎西高のビデオ作品「最後の宿題」は、県大会1位で全国大会出場を決めた。

 「わたしの死を題材に、番組をつくりなさい・・・」

 生徒達は元顧問の「宮田先生」の遺言を真正面から受け止め、評価されるべき素晴らしい作品を作り上げた。(誤解のないように断っておくが、私はこの作品の制作に一切かかわっていない)

 今年の西高3年生は、亮子さんの指導を直接受けた最後の教え子達だ。ビデオ制作は、その3年生が中心になって行った。
 西高は県内有数の進学校でもあり、受験勉強と並行しながらのビデオ制作は、精神的にも肉体的にもつらい作業だったと思う。

 だが、ビデオ制作チーフのYさんは、「睡眠不足だしきついけど、宮田先生のことを一人でも多くの人に見てもらいたい。知ってもらいたいんです」とほがらかだ。彼女は「今を大切にする」ということを、宮田先生の生き様から学んだということだ。だからビデオ制作も頑張った。そして一方で、大学進学や将来の職業についても、これまでとは比べ物にならないくらい深く考えるようになった。「先生のように、後悔しないように生きていきたい」


 また、アナウンス部門と朗読部門では3年生合わせて3人が、来月の全国大会への出場を決めた。
 
 亮子さんは、今年の3年生が入学したときから「アナウンス」での活躍をひそかに期待していたということで、生前からそれを聞いていた現在の放送部顧問の先生は、3人の入賞を聞いて涙が止まらなかったそうだ。


 だが、本番はまだまだこれからだ。全国大会に向けてのビデオの再編集、そして、亮子さんが高校時代に成し遂げた「朗読部門全国4位」の記録を破るべく、3年生3人の猛練習は続く。


2001年06月16日(土) 娘はバス好き

 うちの1歳10カ月の娘は、乗り物が大好き。

 ひと月ほど前、ディスカウントストアの安売りビデオコーナーで、欲しいビデオを本人に選ばせたのが間違いの始まりだったのかもしれない。

 「あかりちゃん、どのビデオがほしいかなー。キティちゃんかな昔話かなー・・・え?これ、バスのビデオだよ。どっちかってーと男の子向きかなー。それより、お歌のビデオがいいんじゃないの?・・・え、バスがいいの?・・・あ、そう・・・」

 それ以来、娘は「ビデオ・いろんなバス(20分)」を見ることを一日に何度も要求。ビデオを見ながら「バク!バク!(バスだバスだ)」と大喜び。

 だが、延々とバスばっかり映り続ける環境ビデオのような内容に、親の私たちのほうが飽きてしまった。で、新しいビデオを選ばせたところが、今度は「乗り物シリーズ・新幹線のなかま(20分)」であった・・・。

 ある日、娘がしきりに「りかこ!りかこ!」と叫ぶので、もしや私たち親には見えない「りかこさん」という名前の何かがこの部屋にいるのだろうか・・・と恐れおののいたところ・・・後に、「ひかり号」のことを言っているのだと判明し、のけぞるのだった。

 うちの娘、将来は、バスか電車の運転士になるに違いない。そうなったら、タダで乗せてもらおー(←せこい)。


2001年06月15日(金) やれやれ(-_-;)

 このところ、よその掲示板への書き込みで時間がとられ、自分とこのHPの更新がままならない状況です(*_*)

 ・・・まー、口ではやれやれと言いつつも、自分も結構ノッテルから書き込んじゃってる訳なんですが(笑)。久しぶりに「記者時代」の思考回路を取り戻した感じ!?

 興味がある方は、リンクページから「児童文学作家・村山早紀」のページに飛んで、掲示板をのぞいてください。

 「小学生連続刺殺事件」に端を発した、事件報道のあり方についての議論です。


2001年06月05日(火) 詩人・藤川幸之助さんと呑んだ

 長崎在住の詩人・藤川幸之助さんと、ワタシを含むNBCラジオスタッフ3人で呑んだ。


 アルツハイマーの母親を介護する中で生まれた藤川さんの詩集「マザー」(ポプラ社)は、去年、TBSラジオで生島アナウンサーが朗読するなど、全国的な反響を読んだ。ワタシたちNBCの番組でも、何度となく藤川さんの詩を放送させていただいたし、無理をお願いして、ラジオ出演までしていただいた。
 
 
 その藤川さんが、いよいよ仕事(小学校教諭)を辞めて、お母さんの介護に専念すると聞いて、遅まきながら、お世話になったお礼と藤川さんの再出発祝いを兼ねた飲み会となったわけである。


 会場は、長崎市内の学生街にある、手羽先が自慢の居酒屋。もりもり肴をつまみながらビールを飲み、話題は旨いラーメン屋から教育問題まで多方面に及び、大変楽しく、密度の濃いひとときであった。

 「いやーこの年で主夫になっちゃいました」

 小学校教諭を退職した藤川さんは、さばさばした表情に見えた。仕事をしながら大学院に通ったり海外研修に積極的に参加するなど、教員としても意欲的な藤川さんだったが、どうやら「教員の立場からの教育改革に限界を感じた」ことも退職の原因のひとつだったようだ。「飯を食う手段」と割り切って教員を続けることは、藤川さんには出来なかった。もっとも、自分の信念に正直な藤川さんだからこそ、ひとの胸を打つ詩が書けるのに違いない。


 カラオケボックスに会場を移しての2次会には、タレントの「ごうまなみ」さんも加わり、元バンドマン(!)でもある藤川さんの松山千春のモノマネ(そっくり)や、Sディレクターの西城英樹熱唱など、大笑いのうちに夜は更けていくのであった。

 
 こんなに楽しい飲み会は、滅多にあるもんじゃない。すべては藤川さんのお人柄。そんでもって、ワタシタチのお人柄・・・!?


メインページへ→ |HomePage

My追加