2010年10月24日(日) |
▲ブロンド少女は過激に美しく |
鋼鉄番長→上演中止 エリザベート→私の役萬揃いのキャスティングだったのですが、当日券、ゲットできず。
というわけで、せっかく有楽町まで来たのだからということで、相当気になっていた、 【ブロンド少女は過激に美しく】を見ることに。
時間もいい感じだったし、これが私の宿命なのねと思っていました。 妻にも友人にも話せないことは、見知らぬ人に話してしまえということで、 主人公が自分の恋バナを列車でたまたま隣りの席に一緒になった、 ちょっと年配のご婦人に話すという映画なのですが、 どんだけすごい秘密の話なのよと思ったら、
………………って、 それだけですか?
そこなんですか? それなら、予想ついたんですけど……、えっ?で、おしまいなの??という 内容でした。
話聞いているおばさん、オチ判った時点で、さっさとつっこんじゃえばいいのに、
もう、人がいいんだから。
でも、短い映画で本当に良かったわ。 ちなみに、私としては扇の使い方が美しい、 どこかミステリアスな少女(という年でもなかったけど、監督が100歳だからかしらん?) よりも、結婚は許さない、するんだったら、出ていけと甥をクビにしたくせに、
甥が身を粉にして働いて、一財産を築いて戻ってきた金を、 友人の為に失ったとしるや、戻ってこい、会社でもう一度雇ってやる、 結婚もOKにした叔父さんの心変わりの方が気になります。
そして、映画の中のご婦人はつっこまなかったのですが、 現実のご婦人は、帰りのエレベーター中で、
「これだったら、日本映画、【悪人】だっけ?見た方が良かったわね」 と、あっぱれなことをつっこんで、くれてありがとうございます。
私もチケット買う人によっぽど止めたくなりましたが、 まあ、そんな大人げないことはせずに、帰路を急ぎました。
と、本編はこのようにGDGDでしたが、他の予告編は結構面白そうで、 うろ覚えですが、【幸せの雨傘】と【100才の少年と12通の手紙】 の予告編にマジ泣きしまし、 TOHOシネマズの宣伝アニメに大笑いしました。
安上がりというか、本当にこの映画、 70分位で終わってくれて、良かったと思いました。
ぶっちゃけ、予想より面白かったです。 塩野七生さんのベストセラー、「ローマ人物語」から、 世界史に名を残す、ユリルス・カエサルの生涯を壮大なスケールで描く一代記。
でも、すいません。不勉強で、見ている間中、
カエサル、ジュリウス・シーザーって何をした人だっけ?←そこからかよ。 あ〜、ブルータス、お前もかの人か。 そうそう、クレオパトラを愛人にしちゃった人だっけ? 賽は投げられたは、……そうです、この人です。
ところで、ルピコン川って、どこ? と、原作ファンからするととんでもない観客ですが、 でも、素直に歴史スペクタルを楽しむことが出来ました。
そして、この芝居のカエサルという男は、無邪気で子供みたいな人だなあと。
理想はある。それに伴う実行力も。そして、何より人間を信じている。 人間くさくて、女が愛さずにはいられない男が願う、 新しい国家というより、人民をより良い明日に導こうというような野心。 でも、そうゆう野心って、自分のことしか考えてない人間には、理解出来ないんだなあ〜。
そうゆう人間の機微が判らないところが、 政治家ではないということなんだろうなと思いました。 松本幸四郎さんは、そんな大人子供を巧みに、 時に剛胆に、時に愛らしく演じておりました。
って、そう云えば、ドンキホーテもそんな方。…………はおいといて。
他の役者さんでは、カエサルの最愛の愛人、 ブルータスの母、セルヴィーリアの、高橋惠子さんがとっても素敵でした。
かわいい女で、時に年上の女としての分別と知恵を見せつけ、毅然とした母親で、 そして、恋人を殺された狂気を息子に示すという、 女というのもののエッセンスが全部、彼女の中にありました。
一つ頂けないのは、舞台の台も何もない上で、カエサルところころ、いちゃいちゃしても、 あんまり見えないんじゃないかなあと。←でも、コレきっと演出のせい。
そして、水野美紀さん。しばらく見えない内の、キャラの線がくっきりしている、 いい女優さんになったなあ。
セルヴィーリアの奴隷でありながら、どこか自由で、ブルータスが好きで、 カエサルをリスペクトしている、可愛い狂言回しのアリス。良かった。 布の少なめな、ローマっ子風の衣装も可愛かった。
でも、すいません。何よりも可愛かったのは、 小西遼生さんが、コニタンが!!!なんなの、あの子?素敵過ぎですよ。
いや、チケットを取ろうとした時は覚えていたのですよ。
でも、行くときには、幸四郎さんと高橋さんと水野さんしか覚えて無くて〜、 で、休憩時間にパンフをめくったら、小西さんが居て、 あー、そういえば、、、あの軍隊の中に居たのかしらん? と、思っていたら、二幕目の割に早くもないか、真ん中ちょっと前位に、 初登場。衣装はローマっ子だから!スカート!凛々しい少年役。
ほおほおとか思っていたら、 カエサル死んで、ブルータスがお母さんに怒られて、 渡辺いっけいさん、大騒ぎして、ああだこうだ、時が過ぎて、18年後!
出てきましたよ、コニタンが再び。神聖ローマ帝国、初代皇帝として! いや、その神々しい姿を見た時、 チケットを取って良かったと心の底から思いましたのことよ。 ぜいぜい、はあはあ。
青いマントがよく似合っていてよ、コニタン!
まあ、小西さんだけではなく、皆、全体的に衣装はすっきりと美しく、 回り舞台も効果的で、そして、極めて演劇的な脚本と見て、満足しました。
けど、もうちょっとムダに長くても良かったかなと。(笑) 一代記と構えた割には、全部、必要な場面過ぎて、 あまりにも駆け足行進曲。 なんとなく、ちょっと物足りないというか、ケチっていると思いました。 別口で見た友人は、幸四郎氏が台詞を覚えられないから、短くしたとか、 思ったそうで。。。←てへ。実は私もちょっとそう思った。……ひどい。
まあ、普段、無闇に長いのを見ている悪い弊害なのかもしれませんけどね。 でも、チケット代を考えたら、そう思っても無理らしからぬこととは思いませんか?
まあ、私はS席の一番後ろでしたが、色々、運が良くて、半額……な感じでしたがね。 てへ。
2010年10月08日(金) |
■ヘッダ・ガープレル |
オケピで譲って貰いました。
良席で、しかも、 ちょっと足下みちゃったお値段だったのですが、 すっげー、久しぶりに苦痛な舞台でした。
ヘッダ・ガブレールという町の名士のお嬢さんが、 退屈しきって新婚旅行から帰ってくる。 夫、テスマンと結婚したのはなりゆきで、 多分だけど、世間の後ろ指を指されたくなかったから。
教授を嘱望されている男と結婚すれば、暮らしは安泰である。 ところが、そこにライバル登場。 身をやつしたはずの、夫のかつての友人、 レーヴォボルグが新しい論文を携え、カムバックする。
彼を立ち直らせ、支えたのはエルヴステート夫人。 彼女は昔のヘッダの学友というか、後輩で虐めていた相手、 そして、レーヴォボルグはヘッダの昔の愛人で、 まだ、ヘッダに未練たらたら。
そのヘッダの口車に乗って、出かけた判事のパーティで、 大事な原稿を落とした、レーヴォボルグ。
その原稿を偶然、手に入れたヘッダは、レーヴォボルグをそそのかし、 彼女がどうしてもやりたかったことを実行に移す。
誰かの運命を操ってみたかった彼女の、 それ故に、操られることになった彼女が、下した決断とは?
……というのが、おおざっぱすぎる筋です。
えーと、実は去年、小沢真珠さんがやると聞いた時から、 気になっていて、これは見に行けなかったのですが、 戯曲だけさらっと読んでいました。
その時、思っていたヘッダって、もうちょっと、気ままで愛らしく、 激しく、自分の感情に素直な人だとなあと……、
でも、単に冷たくて陰険な女が舞台に居る。 何で彼女がモテモテなのか、意味が判りません。 ダンナと愛人と、男友達というか、出てくる男は皆、 ヘッダにラブラブです。(笑)
大地の真央様は本当に美しいのですが、ただ、陶器のように美しいだけ。 時折、エモーショナルに演じてくれるのですが、全般的になんだか平坦。
劇中の彼女は自分が思っている程、自由じゃなかったのだが、 しかし、真実、自由になる為というか、 弱みを握られた男から支配されない為に、死を選ぶという結末が、 くっきりと描かれています。
当時のノルウェーには「クリスチャニア・ボエーム」名乗る知識人達の グループがあり、ヘッダもレーヴォボルグもその一派であるという、 日本人には?でも、ノルウエー人には納得の設定があったようです。 @パンフレット参照
その彼らの画期的な思想は、 『キリスト教の教えをはじめ、ノルマや因習を捨てなくてはならない、 人類として、前に進むには頭で考えるのではなく、 もっと欲望によって行動しなくてはならない』というものであり、
彼らの約束事の一つが『自分の命は自分で決着をつける』こと。
ヘッダはレーヴォボルグにそれをさせたかったが、 男は女の思惑とは真逆に、そのくせ結果だけは女の意図した方向に、 向かったという皮肉な結果を生み、だからこそ、残された女は、 その男が出来なかったことをなしとげようと、 自分の自由を、自分という人間を守る為に、銃身を引く。
つまり、原文のテキストからは、それは少なくともあっぱれな、 自殺のはずなんだけど、 なんだかあのヘッダだと、 単にヒステリーで、ついでにマタニティブルーで、 死を選んだと云う風にしか、思えないんだが。。。
それとも、私の単なる勘違いなのかなあ? もっと格好いいヘッダが見たかったのだけど、 その発想が違うのかしら?
でも、少なくとも、ノルウェー語から、直接、翻訳した新訳のテキスト、 三人体制という豪華な翻訳作業は功を奏していると思います。
この皆様で、他の作品を読みたいなと思いましたもの。
そして、違う役者さんの上演を。
ぶっちゃけって云うと、やってくんないかなあ、たか子さん!! ということで。
|