明け方、さっとひと雨降って大気のチリを洗い流してくれました。
文字通りの「秋晴れ」です。
比良の中腹から見る琵琶湖には、爽やかな風が吹き渡っていました。
2009年08月23日(日) |
地蔵盆(夕凪カーニバル) |
今夜は地蔵盆です。
まずは、チラシのご紹介から。
コンピュータまわりの機材がよくなっていますので、去年の様子をデジカメで撮っておけば、社長の夜なべ仕事でそれなりに出来上がってしまいます。
本日は晴、爽やかな風も吹き秋の空の装い。トンビものんびり舞ってます。
お地蔵さんの提灯もかざりつけが終わり、
生ビールやジュース、にごり酒を半切り桶でキンキンに冷やし準備は万端です。
昼下がりになり、木漏れ日がきれいです。
宗正寺の鉄格子の窓には、蝉の抜け殻が。
お地蔵さまもおめかしです。
こんな道祖神風のものもあり、50体をこえるお地蔵さまが集まっています。
日も傾くころ、子供たちがやってきました。
老いも
若きも
仲良し姉弟も
お父さんたちは、大汗をかいてタコ焼きを製造中。
ぼくたちは、食べる役に徹しています。
さあ、提灯に灯がはいりました。
お地蔵さまには、ろうそくをお供えし、
子供たちは花火に夢中。
御本尊の観音さまに御詠歌をとなえ、
あっというまに、地蔵盆の夕べはおわってしまいました。もうすぐ二学期ですね。
2009年08月22日(土) |
田毎(たごと)の実り |
今津のAコープに納品に行った帰りに、思い立って酒波(さなみ)で道草。早くも稲刈りがはじまっていました。
このあたりはあちこちに古墳や古代の遺跡が点在し、古くから栄えたお土地柄で、田んぼの傍らにはこんな石塔がなにげなくたっています。
酒波から饗庭野方面へのパノラマ、稲の登熟具合でいろんな色合いの田んぼがあることがわかります。
こちらは酒波の高台からマキノ方面を眺めたところ。田んぼが織りなすさまざまな緑や黄のモザイク模様がきれいですね。マキノ山田錦の田んぼもこの中に写っています。
2009年08月20日(木) |
チューハイ テイスト |
サンガリアから出ている、微妙にアルコールが入った炭酸飲料をはじめて飲みました。「チューハイ テイスト グレープフルーツ」だそうです。
お味はといえば、ヘビードリンカーの私めにとっては単なる「グレープフルーツジュースの炭酸水割り」で、酔いがまわってくるような代物ではありません。
アルコール分は0.5%でなるほど酒税法上は「酒類」ではなく、未成年が飲んでも法律上は問題ないのですが、当然のことながら、この缶の中には約1.8cc(100%換算)のアルコールが「チューハイ風味をつくりだすために」メーカーによって意図的に加えられています。
運転する予定のある成人がやむなく飲むのはわかりますが、微量といってもアルコールが入っていることがわかっているものを、「合法的に」小中学生が飲めてしまう環境をわざわざつくる必要があるのでしょうか。
注意書きもなにやら官僚が書いたような用心深い文章で、ずるい感じさえしていまいます。
ビールメーカーがアルコール分1%未満のビールもどきを生産しているのだから、清涼飲料水メーカーが同じような商品を出してもかまわないといえばそれまでですが。
「何か違うよな・・・・」と思うのは、ほろよいだけ?
するわけではありません(笑)。 もう何年も使わない10klタンクを2本処分しました。
1級酒40kl、2級酒40kl、特級酒を少々つくっておけば1年間商売できた、古きよき昭和50年代は遥か昔。
普通酒6kl、本醸造12kl、純米大吟醸2kl、純米酒3kl・・・・・と少量多品種生産の昨今、大きなタンクより2kl〜3klクラスの小容量タンク(できればサーマルタンクがいいな)ならいくつか欲しいくらいですが、大型タンクは場所ふさぎでしかありません。
おかげで、商品庫に10畳ほどスペースができ、作業が楽になりました。
フォークリフトを使って貯蔵庫から運び出す作業をお願いしたのは、水口、滋賀酒造の原社長。日本酒醸造のかたわら、中古タンクの売買をサイドビジネスにしておられます。売り先はもっぱら九州の焼酎メーカーだそうです。
搬出が終わったら、さっそく「酒類製造設備異動申告書」を作成、E-Taxで税務署にご報告しなければなりません。
ったくわが業界は一挙手一投足管理されとりますな。
お盆もすぎ、夜になると涼しい風がそよぎはじめ、早朝には薄物の布団がほしいくらいになりました。
子供たちの夏休みもいよいよ終盤、気づかないうちに秋の虫たちが鳴き始め、物悲しい雰囲気がただよってきます。
中学生くらいの頃、夜十時前にNHKで「銀河テレビ小説」という帯番組をやっていて、この時期になると「夏の故郷」というドラマの中で荒井由美(当時)が歌っていた「晩夏」という主題歌をなつかしく思い出します。
センチメンタルな旋律もいいのですが、空色から水色、茜から紅、藍色から群青、薄暮から紫と、色彩感覚あふれた日没の空の変化の表現が、ほろよいにはこたえられません。
老舗の呉服店の娘に生まれ、多摩美術大学で日本画を専攻したユーミンの面目躍如といったところでしょうか。
こちらは海津の落日。年に数回こんな風に真っ赤に焼けることがあります。
8月17日は観音さんの日です。
海津3町(東町、中村町、名小路町)はそれぞれに観音さんのお寺ありますが、ほろよいの住む名小路町は宗正寺の観音さんにおまいりにいきます。
早朝、役員の皆さんが「のぼり」を立てることからはじまります。
お寺をお掃除して提灯をかざり、夕方から灯がともされます。
宗正寺の正面には「十一面観音」の大きな提灯が。
真言宗のお寺ですから「護摩」を焚きます。これはそのための仏具の数々。
護摩を焚くのは、隣のお寺「宝憧院」のご住職です。
護摩のあとは、一同で御詠歌をとなえます。内容は難しいお経ではなく、弘法大師に縁のふかい西国33箇所のお寺にちなんだ歌をとなえながら、お寺めぐりをするような内容です。
30番竹生島宝厳寺と31番長命寺の御詠歌。
柳のように「長」い、「命(いのち)」「寺(でら)」と、掛詞の技法がつかわています。
お寺の周りから聞こえる虫の声にまざりあい、哀感のある朗々とした調子が晩夏の寂しさをさそいます。
ご本尊の「十一面観音像」。精緻で優雅なお姿におもわず絶句。
観音さんファンのための解説はこちら。
方言解説つきの「のれん」は見たことありますが、お酒の宅配ケースとは思いもつきませんでした。ペリカンさんGJ(グッジョブ)です。
いつも生まれ故郷の秋田から地酒を送ってもらっている「ととろ」のご店主に教えていただきました。こんなケースに入って秋田の地酒がやってきたら、酒飲みならイチコロですね。
いつか「知ったかぶりカイツブリ」の皆様にお願いして、滋賀県版酒ケースをつくってみたいものです。
2009年08月15日(土) |
海津桟橋物語−出征の日 |
スキー汽船や竹生島めぐりといった楽しいレジャーや、海津の住民の日常の足として活躍した海津桟橋にも、戦争のいまわしい記録がのこされています。
赤紙(召集令状)で召集された若者たちが、桟橋から出発する光景を、海津の写真館「三羊館」の館主は撮影しておられました。
その方たちの多くは遠く祖国をはなれ戦病死されました。清水の桜で有名な海津の共同墓地にお参りにいくと、戦争というもののすさまじさを伺い知ることができます。
墓地正面の桜の下には戦死者の方が多く葬られています。
「砲弾型」のお墓は明治の年号が刻んでありますので、日清、日露戦争で戦死された方でしょう。
その両脇の先がとがったお墓は太平洋戦争で戦死された方です。共同墓地のあちこちにある同じ型のお墓はすべて先の大戦で戦死された方で、どうやらお墓も戦死者のための規格品が大量生産されたようです。
こちらは、ほろよいの親戚筋にあたる方で「シベリア抑留」中に亡くなっています。
この方はフィリピンの「レイテ島の戦い」で戦死されています。
この方はビルマで戦死。昭和19年8月はあの悪名高い「インパール作戦」が終了した1ヶ月後で、大変な思いをされたことでしょう。
この方は比島(フィリピン)で戦死
この方は中華民国(中国大陸)山西省で戦死
どの方にも家族があり、戦争がなければそれぞれの人生を歩めたのに、遠い異国の地で「ふるさと」を想いながら息絶える無念さは、いかばかりだったでしょうか。
戦死された方々の魂をいやすための「忠魂碑」は、海津のまちなみが一望できる湖岸に立っています。
きのう、高島警察署の取調べ室(刑事ではなく交通事故ですよ、念のため)に初めて入室してきました。
よりにもよって先月7月18日の誕生日に、60歳のおばさまドライバーにぶつけられ、1週間の入院生活を余儀なくさせられました。
今回はその事故についての事情聴取で、1時間半ほどかけて調書を取られました。
それにしても調書というのは今でも手書きでとるのですね、事前に担当官の準備してきた下書きをもとに、聴取で確認した具体的な内容をふまえながら、ボールペンで清書していきます。ワープロはつかわないのでしょうか。
部屋の広さは1畳強で、ドア以外は白い無機質な白いコンクリート壁。スチールの事務机をはさんで椅子が2脚、軽く空調の音が聞こえてきます。
何を思ったか対向車線から、急にほろよいの方に急ハンドルを切ってつっこんできたので、責任は100%相手方の方にあり、比較的気楽に状況を説明することができました。
しかしなんですな、高齢者ドライバーや、おばさまドライバーの運転は常軌を逸していることがしばしばありますね。「君子危うきにちかよらず」とはよくいったものです。
ケガもかなりよくなったのですが、仕事がたまってしまい、ほろよい日記がとどこおったのもこれが原因でご心配をおかけいたしました。
朝9時ごろ、弊社のお得意様のAさんが自転車で来店。いつもの送り先2件に御中元の御注文をいただきました。
80歳を超えるご高齢にもかかわらず6キロほどはなれた別荘地から、朝日が照りつける中わざわざおいでいただきました。
暑さに少々バテ気味ながらも、汗をふきふき、しっかりしたお声で「実は8月4日に心臓のカテーテル手術を受けよったんじゃ」とおっしゃるにはびっくり仰天。
あわてて「お帰りはお送りさせていただきます」と申し上げたところ、次は「マキノのAコープに用事がある」とのこと、これまた4キロほど離れた目的地までお送りさせていただきました。
しかしなんともはや、昔の人は体のつくりと気力がちがいますねえ。
|