2009年06月28日(日) |
スコップ三味線とトランスフォーマー! |
店番をしながら少しばかりネットサーフ、とあるサイト(ここはサブプライムローン破綻の危険性を、現実になる半年以上前から指摘しておられた伝説のサイトです)で「スコップ三味線」を知りました。
これはもう弦楽器ではなく打楽器ですね。こういう地方のブームが大手マスコミ(のフィルター)を経由しないで、全国に伝わるのはけっこうなことだと思います。
ヤフーでは「トランスフォーマー!(!も必須)」と検索すると、映画の面白いキャンペーンサイトが立ち上がります。
ネットの可能性ってアイデア次第。まだまだ面白いことができそうですね。
辛口純米生原酒とにごり酒の大ファン、和歌山のMさんから分厚い封書が。
「和歌山の旨い地酒は『黒牛』くらいであとはちょっと。竹生嶋と出会ってしまてからは、こればかり飲んでおります」とおっしゃるのが口癖になってしまったMさんは、すでに製薬会社を退職し晴耕雨読の生活をしておられます。
よく滋賀にも遊びにこられるのですが、縁あって弊社にお立ち寄りになり、いくたびかお話するうちに意気投合してしまいました。
文面は、和歌山の龍神温泉で、ひと晩語りあかしませんかという魅力的なお誘い。
Mさんは話題が豊富でお話がうまく、ほろよいとしても望むところです。7月半ばにお伺いしてきます。
急に暑くなったものですから、からだも少しバテ気味でちょうどいい骨休めになりそうです。
びわ湖高島観光協会の夏のポスターができあがってきました。
撮影場所は朽木の針畑地区、緑さわやかな小川の中に、5人の子供さんが、おそろいの赤帽をかぶって赤と青のシャツ。白い虫取り網もアクセントになって、カメラマンさんやりましたね“Good job”です。
ひこにゃんも大津光ル君もいませんが、高島は「みんなのいなか」です。夏休みにはスイカを食べにきてください(おとうさんには枝豆がまってます)。
2009年06月24日(水) |
こってりラーメン、細麺、ニンニク、煮玉子入り |
急ぎの注文でお昼から京都の酒屋さんに配達。
京都市の北に行くときは、湖西バイパス→和邇BP→途中越え→大原→北白川のルートが一番早いようで、そんなに飛ばさなくても1時間半で目的地までついてしまいました。
帰り道、誘惑に負けて「天下一品本店」へ、「こってりラーメン、細麺、ニンニク、煮玉子入り」を完食してしまいました(よせばいいのに)。
案の定、3時間もたたないうちに下腹部がゴロゴロ。
若い頃は大盛りでもOKでしたが、もう脂肪分タップリのスープを体が受け付けなくなってきたようです。老化を感じてちょっぴりショック。
浜大津の朝市には大勢のお客様にご来店いただきありがとうございました。
到着が9時だったため、朝一番においでになられた方に、めざす「初しぼり」をお買上いただけなくて申し訳ありませんでした。
お昼前には、準備させていただいたお酒が完売となり感謝感激雨あられでございます。
「吟花 斗ビン取り」や「竹生嶋 銀紋 普通酒原酒」などは、グレードの差こそあれ、それなりに完成されたお酒なのですが、「初しぼり」は「いじりがい」のあるお酒として今回、ソーダサイフォンでのご提案をさせていただきました。
スペックがどうしても知りたいという方のために公表いたしますと。昨年12月23日に搾った普通酒の生原酒、安曇川町清水光男さん栽培の玉栄100%使用、精米歩合65%、醸造アルコール添加量白米トンあたり180リットル、酵素4段を実施、酵母は協会701号、アルコール分18.3%、日本酒度ー3、酸度1.8で、上槽後しばらくしてオリ絡みでビン詰、2月末までは常温(といっても冬季なので10℃前後)それから今までは3℃で低温熟成。というのがこのお酒の履歴であります。
吟醸でも、純米吟醸でもない普通酒ですが、甘みののった風味がなんとも心地よい酒になってくれました。加えて飲み手の工夫でいろいろと楽しめるのが、このお酒のいいところでもあります。
ソーダサイフォンで炭酸をとけこませ、スダチの果汁を少々、オンザロックで召し上がれば、鮎の塩焼きとは抜群の相性です(よろしければ、皆さんもいろいろやってみてください)。
映画「アマデウス」で、宮廷作曲家サリエリの曲を「いじりがいのある曲」といい、駆け出しのモーツアルトが即興で何パターンもアレンジを変えて演奏していくという印象的なシーンがありました。
未完成である(自由度がある)がゆえに他人の手により進化していく酒、造り手が予想もしない楽しみ方ができる酒、そんなお酒も「あり」だと「楽しい日本酒ライフ」をめざす、ほろよいは思うのです。
午前の仕事はビン洗い。1.8リットル回収ビン、白フロスト300ml(回収・新)ビン、300mlR回収ビン、720ml新ビン。
新しいビンは楽なのですが、回収ビンはモノによるとビンの内壁に汚れがこびついていたりして手間がかかって困ります。
汚れが落ちないままビン詰めをし、検ビンを通り抜けて消費者さんの手に、そこで汚れが発覚してPLクレームなんてリスクを負うくらいなら、全部新ビンにしてしまうか、パックにしてしまった方が安全かもしれません。
多くの大手メーカーさんは、優秀なラベラーをご使用のようで全面糊付けするところがほとんど、これまた洗ビン機を何回も通さねばならないので困ります。洗浄水を多量に使い、ボイラーの燃料代がかさみ不経済でいけません。
丹波焼の風合いを出すため、焼物の柄をプリントした熱収縮シールで1.8リットルビンを包みこんでいる商品などは、いちいち剥離のために切込みが入れてある部分のテープを引っ張って剥がさねばねりません。
「いいちこ」は全面糊付けにもかかわらず、粘着度を加減しておられるのかまだラベル落ちがマシ。「三和酒類」という社名が示すように大分の地方清酒メーカー3社が合併してできた焼酎会社(日本酒もまだ少し造っておられます)、洗って再使用している地方蔵の気持ちがおわかりのようです。
代表取締役直々にビン洗いをしていると見えてくる、大手清酒メーカーのリサイクルへのスタンス。
きょう、東京池袋のサンシャインシティで行なわれています「第3回全国日本酒フェア」の第1報が届きました。そうたびたび東京には出張できないほろよいに代わり、東京のエージェント(コードネーム/あゆもどき)が特派員代わりを務めてくれました。
今回は鎧甲冑に身を固め、東京の愛飲家にアピールしようと若い蔵元さんたちが企画をねっておられたそうです。
写真の若武者(マグマ大使ではありません、念のため)は、ことし滋賀県酒造組合需要開発委員長に就任した「あっちゃん」こと「笑四季」の竹嶋充修クン。となりは「萩乃露」の福井剛専務です。
味わいの濃いお酒が多い滋賀県のブースは、お酒の嗜好の濃いコアなお客さまが多いそうです。
それにしても、若い蔵元さんたちが「造り」に「営業」に、そして「広報」に若い芽を存分に伸ばしている観がありますね。
先日の日曜に受け入れた資源回収の一升瓶を整理していると、見慣れぬビンが
ラベルはありふれた月桂冠ですが、透明ビンは見たことがありません。
よくよくビンを眺めると、ビン詰日が1970年10月19日ではありませんか(かなり以前、日本酒の日付は胴張りの裏に押印しておりました)。
どこにどうして残っていたのやら、今となってみれば日本酒の歴史を語る貴重な資料です。
例えば、胴張りの右下すみに印刷してある「防腐剤を使用しておりません」という文言は、昭和44(1969)年に添加が禁止された「サリチル酸」のことをさしています。
それまではお酒の品質を劣化させる火落ち菌(乳酸菌の一種)を防ぐため添加が認められていたのですが、食品添加物がうるさくいわれはじめたために、人工甘味料の「チクロ」とほぼ同じ時期に禁止されました。これ以後、お酒の殺菌方法は低温殺菌(摂氏65度前後に加熱し冷却する)のみとなっており、防腐剤は一切使用されなくなっています。
●サリチル酸は消化器系に悪い影響を及ぼすために禁止されたのですが、改良されてできた薬品がアセチルサリチル酸(商品名アスピリン)とはトリビアでした(詳しくはココ)。
●月桂冠さんはサリチル酸の添加にはそれ以前から反対しておられ、先見の明があったといえましょう (詳しくは酒文化研究所のHPの中のココの2ページ目)
●地方の蔵元さんもサリチル酸の使用にはいろいろと意見があったようです(詳しくはココのp12〜p15あたり)
お話を級別制度に移しましょう。
これは証紙といって一升瓶の中央に張られるラベルですが、中に入っていたお酒が1級酒であることを示しています。
当時は「特級」「1級」「2級」の3ランクが設けられ、それぞれに酒税が異なっておりました。
現在は級別は廃止され、どんなに高い吟醸酒でも、どんなに安いパック酒でも、1キロリットルあたり120.000円で、1.8リットルで216円となり、お酒の価格に上乗せされています。
例えば1.8リットル1.000円の経済酒は酒税を除くと784円で、この価格でメーカーと卸会社と酒販店がそれぞれマージンを出そうというのですから、製造原価はなんぼじゃい?というお話で、思わず脱線してしまいました。
アルコール分の刻み方も現在は「15.0度以上16.0度未満」といった区切り方ですが、当時は「15.5度以上16.5度未満」という区切りだったようです。
ちなみに、この小判型の証紙は、日本酒造組合中央会の外郭団体である「日邦厚材」というところ(今は柳宗理デザインの清酒グラスなど、日本酒まわりのグッズを斡旋販売しておられます)が、一手に製作して全国の酒造家に販売しておりました。
これは肩張りというラベルで、ここにも清酒一級という表示が大きく印刷されております。
はろよいがこの業界にはいったころ、ご年配の酒販店さんは灘や伏見の大手のお酒を「上(かみ)のさけ」と畏敬をこめてお呼びになり、われわれ地酒は一段低く見られておりました(ほろよいの蔵を含め、かなりの地酒蔵が下請けをやっていたのだからしかたないのですが)。
当時、そして今もなお日本酒業界に君臨する、月桂冠さんのプライドを垣間見せるようなラベルであります。
午後、安土町の醸造器具屋さんが来訪。
商売の話より面白かろうと、近江八幡市との合併問題がモメにモメていることについて話題をふってみました。わが意を得たとばかりに、その方いわく、マスコミで取り上げられているのは表層的な事象ばかりで、背景にはいろいろな問題が横たわっているとのこと。ここには書けない党利党略やら、つまらぬボタンの掛け違いやらがあるそうです。
昨年、高島市内6観光協会の合併問題が難航し、役員を仰せつかっていたほろよいも、つまらぬ思いをしてしまいました(今でもシコリが残っているので、役員会ではハレ物にさわるように意見をいわねばなりません)。
合併事というのは、当たり前のことなのですが、粛々と順序を追って、かつ会員さんと職員さんのコンセンサスを得ながら、コツコツとやっていかねばならないと思いを新たにいたした次第です。
you tubeの埋込み方をマスターしたので、青春思い出の曲をご紹介。当時ほろよいは中学3年生でありました(笑)。
蔵人の石垣さんからトマトが届きました。
吉田酒造では、西尾杜氏の下で、もっぱら麹を中心に酒造りの作業をしていただいています。
大変器用な方で、溶接免許をお持ちのほか、各種工作機械の扱いは慣れたもので吉田酒造として大変重宝しております。なにせ、年代物の醸造機械ばかりで、毎年何かが壊れたり不調をおこしたりするものですから(笑)。
冬場は酒造りをする蔵人さんですが、春に能登に帰りますと、もちろん遊んでいるわけではなく、漁師や農業、山仕事などに従事されます。民宿経営、酒販店手伝い、ダンプの運転手なんて変り種もおられますし、マッタケ山を経営し売上を適当にごまかしていたら、税務署の調査が入りごっそり追徴課税を食らった猛者も以前おられました。
件の石垣さんは、トマトとスイカの栽培をしておられ、いつもこの頃になると何ケースか送ってくださいます。
西尾杜氏はといえば、お米の栽培を1町歩以上こなし、スイカは豊作だと1,000玉〜2000玉を収穫、暇があると海に出て漁師までこなすオールラウンドプレーヤーで、さすが親分といったところです。
金紋酒カップ180ml詰、バラ5本のみ
竹生嶋 純米酒 720ml詰、 バラ3本のみ
竹生嶋 純米吟醸 1.8リットル詰、 バラ2本のみ
消費者さんからの注文と間違えてしまいそうな注文が、パラリパラリとさみだれのように、高島市外の酒販店さんから問屋さんを通じて入ってきます。
コンビニタイプの酒販店が増えているため、在庫は棚に乗るだけでいいとお考えのようですが、これはもうビジネスではありません。
これだけの注文のために、ファックスや電話を使って注文を伝達し、大のおとなが体を動かすのです。まさに不経済の極み、エコ推進の時代にあっては反社会的といえましょう。
問屋さんとの関係で「好意で」これまでは対応してきましたが、相手さんはそれが当たり前だと思っている節があるようです。
他の業界であれば、相手先に無理をさせたときは、別のビジネスシーンで相手先をもうけさせるような気の使い方をするものですが、そんな仁義など持ち合わせておられないようです。
バラでいいから、何種類かまとめてケース単位の注文にするくらいの気配りはできないものでしょうか。
これからこんな注文が来たときは、一般の消費者さんと同じ価格でお売りいたしましょうか(笑)。
2009年06月11日(木) |
海津そぞろ歩き(6)〜スキー汽船2 |
先日のエントリーで載せきれなかった分をご紹介。
昭和の10年ごろ、海津桟橋から出航しようとする汽船です。なかなか立派なフォルムですね。私の祖父はこんな船に乗って浜大津まで出かけたようです。
旧三羊館フォトコレクションより 撮影者:石井田勘二 写真提供:高島市教育委員会
現在の海津桟橋のようす。「昔の光いまいずこ」とはよく言ったものです。 使われなくなって50年近くたっているのですからね。しかたないのかもしれません。
スキー汽船のポスターです。先日紹介したものとはテイストが違いますが、なかなかインパクトがありますね。
これは芸術的というより、大衆的な楽しいデザインです。いずれもマキノ高原温泉のレストランに飾っています。
スキー汽船については、こんなホームページでも解説されています。館長の曽我誉旨生さんのご了解を得てリンクを張らせていただきました。
レジャーがあんまりなかった当時の、楽しい様子をうかがい知ることができます(該当する部分はココ)。
しかしなんですな、大阪の天満橋を22時に出発、京阪電車で浜大津まできて24時に出航、海津港着が早朝5時でマキノスキー場着がなんと5時30分とは!冬ならまだ真っ暗ですがな。
スキー場で15時までたっぷり滑って、16時に海津港を出航、天満橋着が21時前とはなんとも強行軍。日本人て奴は昔も今も遊びとなるとたっしゃなものです。
最近いくつかのTV番組で話題になった、つるやのサラダパンが大ブレイク、通販は4週間待ちの状態なのだそうです。
スイーツやラーメン屋さん、こだわりのお米なんかは、テレビに取り上げられるとすぐに大行列なんてえことがよくあるようですが、地酒ではあまり聞いたことがありません。
桜の名所、海津大崎のすぐそばの蔵元ということで、旅番組によくチョイ役で出してもらったり、TV番組「カンブリア宮殿」の中で滋賀県知事が「わたしの愛飲しているのは竹生嶋」とポロリと発言されたことがあったのですが、翌日から電話がジャンジャン鳴って、店の前は大行列なんてことは一度もありません(笑)。
今日も毎日放送の「ちちんプイプイ」という番組で、吉本の漫才コンビ「千鳥」が海津のまち歩きをしていったのですが、来週金曜の放送後の反応はどんなものでしょうか?
消費者さんのこの反応の差は、たぶん地酒が「気軽さに欠け」、「敷居が高い」ことによるものが大きいように思います。
ちょっとノドが渇いたから「お茶代わりにビール」をといった飲み方が日本酒ではできなくなっています。
業界人や文化人がよく主張される「日本酒は文化だ」という高尚なお題目も、なるほど正しいのでしょうが、消費者さんにとってみれば「だから何?」、日本酒を積極的に買う動機づけには到底なりえないでしょう。
巷ではあいかわらず「純米酒原理主義者」とか「日本酒うんちくオタク」、「スペックおたく」「こだわり居酒屋」が跳梁跋扈し、「日本酒を飲んでみたい、注文してみたいのだけれど何か言われそうで怖い」という、初心者にとって居心地の悪い空気が漂ってはいないでしょうか。
「はじめての人が気軽にお酒が頼める敷居の低さ」を、商品開発や売り場、消費の現場で、もっともっと工夫していかなければ、まだまだ日本酒の復権など無理な気がしてなりません。
2009年06月08日(月) |
海津そぞろ歩き(5)〜スキー汽船 |
海津の湖岸の中ほどに残る桟橋あと。今では朽ち果てた棒杭が残るばかりですが、昭和30年代初めまでは浜大津からの定期船が行き来し、ここに接岸しておりました。
冬には京阪神のスキー客を乗せて土曜の夜に浜大津を出て、翌朝はやく海津桟橋に到着、バスでマキノスキー場に向かう「スキー汽船」が運行されておりました。
スキー汽船について調べてみると、「20世紀時刻表歴史館」というHPで詳しく紹介されておりました。館長の曽我誉旨生さんのご了解を得て、該当するページ(ココ)へリンクを張らせていただきます。
レジャーといってもあんまりなかった当時、スキーは若い方の人気を集めていたのでしょう。弊社の大切なお得意さま、浜大津の小川酒店さんによると、スキー汽船のお客さんが何本も瓶ビールをお買い上げになり、紐でくくりつけて乗船されていかれたそうです(当時は缶ビールなんぞという便利なものも販売されておりませんでした)。
最盛期は何千人ものお客さんがおいでになったらしく、マキノスキー場を運営する北牧野の住民にとって農閑期の大切な収入源だったそうです。
このようなポスター(昭和6年のもので、マキノ高原温泉“さらさ”のレストランに飾ってあります)も残っており、当時を彷彿とさせます。それにしても昭和モダニズムあふれる、いいポスタ−ですね。
高島市の地酒を詰め合わせたギフト、『湖西蔵元めぐり』のセットアップ作業に行ってきました。
小売組合の役員さんと、各蔵元から1名を派遣して300セットを2時間半でセットアップ。呉越同舟状態ですが、もう何回もやっていますので手馴れたものです。
この企画は、高島市内の酒販店さんで組織されている「今津小売酒販組合」の依頼で2002年のお歳暮から始まり、以後、夏冬2回のギフトシーズンごとに販売しています。
ほろよいも当初からチラシ作成やセットアップのだんどりなど、いろいろとお手伝いさせていただいており、思い入れの強い商品なのですが、ちかごろ言い出しっぺの酒販店さんサイドのモチベーションが低下気味で、実のところちょっぴりがっかりしています。
今夏のセット内容は
吉田酒造(マキノ)/竹生嶋 純米原酒 かじや村 池本酒造(今津)/琵琶の長寿 吟醸 吟醸り(ぎんづくり) 川島酒造(新旭)/松の花 吟醸生貯蔵 花ある郷 上原酒造(新旭)/不老泉 純米吟醸 福井弥平商店(高島)/萩乃露 純米吟醸 “翠(みどり)”
各300ml詰×5本入りで3.500円(税込み)です。
吉田酒造でも友情販売いたしておりますので、ご希望の向きはご来店いただくか、メールでご注文ください(送料実費にて直送OKです)。
2009年06月03日(水) |
海津そぞろ歩き(4)〜子鮎のすくい漁はじまる |
6月に入り、子鮎のすくい漁がはじまりました。
写真のように漁船のへさきにすくい網を取り付け、早朝と夕方に湖面に浮き上がってくる鮎の群れを、船に組んだやぐらの上から探し、見つけるやいなやフルスロットルで近づき一網打尽にすくいとるハデな漁法です。
海津漁港の近くではまだ行なわれていませんが、1日に大津の組合に出張したおりに、北小松の漁港近くの白鬚神社の沖には数隻のすくいの船が遊弋しているのを見かけました。
今年はこれまでのところ漁獲が少ないようですが、すくい漁はどうでしょうか?
旧三羊館フォトコレクションより 撮影者:石井田勘二 写真提供:高島市教育委員会
こちらは昭和10年頃のあゆ漁のようす、船いっぱいの子鮎が圧巻です。こんなに獲れた時代があったのですねえ。
高島市商工会工業部の役員懇親会で聞いた話。だいぶ酔っ払っていたので、間違いがあるかもしれませんが、なかなかに興味ある内容です。
1)高島には撚糸、織布、縫製と川上から川下にいたる業者が集積しており、原材料から最終製品まで市内だけで一貫生産できてしまう全国でも数少ない地域である。
2)零細ながらも技術水準の高い業者が多く、かつ、納品先の業者から要求される品質もハンパではないため、全世界的な品質水準のはるか上をいっているのだが、オーバースペックになっている側面もある。
3)高島クレープといった伝統的な衣料分野だけではなく、今はやりの帆布、柔道着の生地、厚さ5ミリを超える分厚い布地が織れる業者がいたり、機械のベルトやタイヤに使う布、フィルターに使う布など工業分野への進出も果たしていてる。およそ布と名のつくものならどんなものも作れる技術集積が既にあって、まさに繊維分野での東大阪市といった観がある。
4)取引先には、丸紅、伊藤忠など名だたる商社が名を連ねている。市内業者の得意分野や技術水準はそれら商社が熟知していて、新しい商品を作る場合、商社が川上から川下へと業者をチョイスして生産してきたため、与えられた仕事がどこからきて、次はどの業者に行くのか分からなかったのだが、実は高島市内で中間製品が右に左に移動していた。
5)いまでも商社から糸を託され織り上げ、それを縫製して製品にするという「賃加工」という仕事が多い。この生産方法は、原材料を自分で仕入れる金銭的なリスクを負う必要がない半面、自分で企画し製品を作り販売していくという会社の独立性が育たない。
などなど、いろいろいいお話が聞けました。
酒宴の最後のころ、「じゃあ高島にとっての『まいど1号』はなんだろね?」なんてえ話になり、各人酔いに任せて好き勝手なアイデアが出て盛り上がった次第。
高島クレープのステテコを着たオバマさんが、ホワイトハウスの芝生でくつろぐ姿を思い浮かべた、ほろよいは不遜でありました。
2009年06月01日(月) |
理事会にいってきました |
午後から大津で滋賀県酒造組合の理事会です。
若僧のころは需要開発委員会でお酒のイベントを企画運営し、好き勝手なことをやらせていただいたのですが、理事会ともなると県組合の最高議決機関。若手蔵元さんのお父上を相手に意見をいうのはさすがに気を使います(オブザーバーで大津税務署のお酒担当の方も同席ですしね)。
いろいろな報告事項がありましたが精神衛生にあまりよくない話がほとんど。今月もいくつかのお蔵が廃業されたとか、美少年酒造の再建支援会社が決まったとかそんなお話です。
ブランド力あるお蔵ならまだしも、ふつうの蔵元では日本酒の製造販売という「事業」はあまり儲かるものではありません。
ダーティーなイメージがついてしまった美少年に、あえてテコ入れしようとするのは、地元では有名なラーメンチェーンや健康食品の製造会社など、今、はやりの業態で「なるほどね」と妙に納得してしまいます。
「日本酒で乾杯」に代表されるスローガンも、「日本酒は文化で蔵元はそのゆりかご」といった自負も、ほろよいにはよくわかりますし、そうあってほしいと願っているのですが、日本酒がもっともっと大衆の支持を受け、「酒造業」がビジネスとして成り立つことが大前提なのだと思います。
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