↑吉田酒造の宵宮(きらきらモードで撮影しました)
海津祭宵宮の日です。
朝から、お祭りにつかうお酒の注文が町内の小売屋さんから舞い込み、10ケース、15ケースと配達され、お花見に続く活況を呈しました。
日々販売されるお酒の売上が基本給で、お花見やお祭りの需要はボーナスみたいなものです。基本給が低迷している現在、ボーナスをどうしても期待してしまうのはやむをえないのですが、隣の今津町では、すでにお祭りのお酒の需要は激減しているとのこと。いつまでもアテにはできないですね。
いま、提灯に灯がともされた家々の前を、宵宮参りを終えた青年会の面々(明日お神輿をかく皆さん)が帰ってきました。いつも通り、太鼓をたたきながらダミ声で海津のまつり歌を歌いながら陽気に宿へ引き上げていきます。明日は天気も回復しお祭り日和になりそうです。ほろよいも大酒を呑んで楽しみましょうか。
今日も海津祭り歌を御紹介 「金(かね)のなる木(稲のこと)でつくったワラジ、つくったワラジ、踏めば小判のあとがつく」 「私のこころとお宮の屋根は、お宮の屋根は、変わらないぞえ(瓦がないと変わらないをかけている)いつまでも。
マキノ山田錦の種まきがありました。
吉原さん御夫婦と栽培指導の平井さん、ほろよいといういつもの面々で、ほぼ1日がかりで275枚の苗箱に24.5kgの種籾をまき、苗代にならべました。
苗箱1枚あたり種籾約90gと、極端に抑えた量ではありませんが、周囲のお百姓さんに比べるとかなり少なめな種籾の量です。
作業の途中で一服しながら「今年は苗をダメにした農家が非常に多い」ということを耳にしました。
このあたりのお百姓さんはゴールデンウィークに集中して田植えをされますので、逆算して4月はじめに種籾をまきます。そのころはまだまだ寒いので保温のため、苗箱にビニールをかぶせたり、ビニールハウスで育苗(いくびょう)されるのですが、4月半ばに初夏のように気温の高い日が数日あり、保温のビニールをはずしていなかった苗代は高温になりすぎて、種がダメになり苗が生えてこなかったというのです。
なるほど、そういえば1週間ほど前、知り合いの農業資材屋さんが着慣れぬスーツを着こんで、納品した育苗資材が悪かったから苗がダメになったとお百姓さんからクレームを受けたんでこれからお詫びにいくんですと、手土産のお酒を買いにお見えになりました(はてさて、これも資材のせいではなく高温障害のせいかもしれませんなあ)。
御多分にもれず当地も第2種兼業農家がほとんどで、平日の日中は会社や工場にお勤めになっていますので、こういう異常高温に対して即座にビニールをはずしたり、換気をしたりして対処できない弱みがモロにでてしまいました。
いま農協には苗の注文(農協が予約を取って育苗し、農家に販売している分)が殺到しているようですが、とうてい十分な量は確保できないでしょう。
地球温暖化が進行しているとわりきって、ゴールデンウイークではなく、5月後半くらいから田植えをするつもりで準備をして丁度いいのです。こんなに田植えの時期が早くなったのは最近のことなのですから。
2004年04月23日(金) |
まつりまつりと待つのがまつり |
1週間ほど前から海津の各集落(東町、中村町、名小路町)と西浜の集会場の軒下に、海津祭に使う太鼓と鐘が据えられました。
稚児行列や、お神輿の後に続き、羽織を着た役員さんが引くリヤカーに乗って太鼓と鐘でお囃子をするのが海津の小学生5,6年生の役割です。
学校が退けてから、集会場で村の役員さんやら古老の方々にお囃子を習うので、夕方はキャンドン、キャンドンと賑やかなことです。
お囃子は3番まであってそんなに難しいものではないのですが、慣例でこの場所に着たら何番のお囃子でスピードはこのくらいと決まっているので、これを覚えねばなりません。
最近は子供の数が少なくなったので、ほとんどの子供が太鼓をたたけますが、ほろよいの時は同級生がたくさんいたので太鼓をたたけませんでした(昔は子供なら太鼓たたき、大人ならお神輿担ぎができるのは名誉なことでした)。
海津祭りの宵宮は4月28日。お祭りは29日です。
まだ少し先の話ですが、ほろよいも鐘と太鼓の音を聞くとお祭りへの高揚感がふつふつと湧いてきます。
というわけでお祭りの歌をひとつ御紹介。
「まつりまつりと待つのがまつり、待つのがまつり、すんだ後宴(ごえん)がなにゃよかろ」
後宴というのはお祭りの翌晩、村の役員さんのおうちを、お神輿の担き手が順ぐりに回って慰労しあう宴会のことです。
↑小泉総理の「國酒」です
こんなナショナリズムふんぷんとする呼び方は、ほろよいは嫌いなのですが、日本酒は「國酒」なのだそうです。
消費量をモノサシにすれば、日本の國酒はとっくに「ビール(発泡酒を含む)」にとってかわられていて、つい最近焼酎が「第2國酒」になっちゃいました。
やっとこ「第3國酒」の地位に甘んじているのがわが業界で、「國酒」などと声高に日本酒造組合中央会が言いつのっている姿は、何やら太平洋戦争末期のわが国を見ているようで、なんとも情けなくなります。
全世界的に見ても、「國酒」と呼ばれるお酒は、原産国での消費が落ちているそうで、フランスにおけるワインしかり、アメリカにおけるバーボンウイスキーしかりだそうです。
日本酒も、せまい日本から抜け出して市場を全世界に求める時期がきているのかもしれません。
日本酒造組合中央会は、内閣総理大臣が変わるたびに「國酒」という文字を揮毫してもらい、色紙にして全国の蔵元さんに1枚ずつ配っておられます。
意外なようですが、あのお口の悪い森総理が、なかなかうまい字をお書きになります。わが業界出身の宇野総理も当時から多芸多才の誉れ高く、なかなか達筆な印象をうけました。
それでは小泉総理はどうかって? ちょっぴり雑で、ピンピンと跳ねまわった元気な「國酒」です。
ねがわくば日本酒の業界も、旧弊を打破し、ねばり強く構造改革を進めておられる小泉総理にあやかりたいものです。
プロ野球のペナントレースの結果ではありません。
竹生嶋の応援団「栄とこ」の大将が実感している、お店で消費されているお酒の、「清酒:その他のお酒」の比率だそうです。
多くのお客様は、ビールでノドを潤したら、焼酎のお湯割りやロックに切り替えて食事をお済ませになり、ちかごろ日本酒をお召し上がりになる方はあんまりおいでにならないそうです。
わが「竹生嶋」の城下町であるマキノ駅前飲食店街でさえ、このようなありさまで、都市部での日本酒の消費量は推して知るべしでしょう。
いったいなんでこんな風になってしまったのでしょうか。
ほろよいの蔵のレギュラー酒の場合、級別廃止を機に上撰を本醸造にグレードアップ。一番低価格商品である銀紋普通酒でさえ、原料米の半分以上が酒造好適米「玉栄」で、精米歩合は65%、白米トンあたり醸造アルコール使用量180リットルという、プロから見ればかなりの消費者サービスをしてきたつもりなのに、消費は少しずつ減っていきます。
嗜好品なんだから、消費者さんが何をのもうと勝手なのでしょうが、なんだか努力が報われないって悲しいですねえ。
「お父さんにお土産にしたいけど、重いからねえ」
お花見の期間中、一日に何度も店で耳にした言葉です。
ちなみにこれは一升瓶のことを指しているわけではありません。四合(720ml)瓶のことを言っておられるのです。
消費者さんは、すでに一升瓶のことは念頭になく、四合瓶か300ml瓶か、どちらにしようか、ということで品定めをされるようになってしまいました。
ここ数年、日本酒の容量革命というべきものが進行し、ひと昔前の何でもかんでも一升瓶という世界から、経済酒など大容量はパック、地酒など高付加価値酒は720mlないし300ml瓶に容量が急激にシフトしはじめています。
(未確認ですが)新潟のある大きなメーカーも、720ml瓶や300ml瓶の急激な増加を見越して、小瓶の瓶詰めラインを新設しているという噂をききました。
ほろよいの蔵も、年末の「初しぼり」以来、各種の新酒を販売していますが、720ml瓶の注文が多いこと。すでに5000本以上の瓶をビン屋さんから購入いたしました。
もう居酒屋さんのような業務店と、御年配のコアな「竹生嶋レギュラー酒ファン」しか一升瓶の需要はなくなろうとしています。
ある意味、冷蔵管理しやすく、呑みきりサイズの四合瓶や300ml瓶の方が、酒質重視の観点からは望ましいのですが、リサイクルシステムが一升瓶ほど完備していないのが玉にキズです。
加えて、ビン型や色に豊富なバリエーションがあって、酒質に応じたデザインが可能というのも魅力です。
最初のお話にもどしますが、ほろよいはお花見の期間中、720ml瓶はすべての商品について大量陳列し、180mlは本醸造の酒カップ、300ml瓶は2種類だけをお店の一番目立つところに置きました。
地酒を買おうと目的意識をもっておいでになるお客様は、重いとは言いながらも四合瓶をお買いになります。
300ml瓶や180ml瓶のお客様は、衝動買いや、ひやかしの方が多いようにみうけられました。
「二度とこの家の敷居を跨ぐんじゃない!」親子喧嘩で定番の捨て台詞です。
私の親の代までは敷居は「跨ぐもの」であって「踏むもの」ではありませんでした。
ほろよいの蔵の正面玄関にも古色蒼然たる敷居がありまして、先日来、お花見のお客様がひっきりなしに出入りされていきます。
大人の方はだいたい敷居は跨いで通られますが(たまに踏む方もおられます)、子供さんの場合は、親御さんがきちんと敷居を踏まないように注意される方と、敷居を踏んでも知らん顔の方の2通りです。
町へ行けば敷居など、レール2本のあってないようなもので、マンションなどは洋式のドアなので敷居の作法などすたれてしまったのでしょうが、見ている人は見ています。
こういうことがキチンと分かっている若い親御さんがいると、ほろよいはうれしくなっちゃいます。
蛇足ですが、旧日本海軍では軍艦の中のいくつもある防水隔壁で、まだ慣れない新兵さんが敷居にあたる部分を踏むと、上官から即座に殴られたそうです。
その部分を踏むことで防水部分が磨耗して万が一の時に水漏れを起こしてしまうからで、こちらの方は作法というよりは命がかかったお話です。
満開の土日、本格的な海津大崎の花見渋滞が始まりました。
午前9時半から一方通行規制がはじまり、午前10時からぼつぼつ渋滞がはじまり、午後7時前までごらんの写真のようなありさまです。
ほろよいは、きょうは一日会社にいて、お花見のお客様にお酒を販売いたしました。お昼前から恒例の「みぞれ酒」の販売もはじめ、大賑わいになりました。
冷やかしの人やら、グループでどかどかと入ってこられる面々、トイレ借りの人たち、じっくりと品定めをする人やら、混み合っているのに試飲をあれこれ要求される人など神経を使います。
「お客様は神様」とはいうものの、「神様ならこんな不躾なことはしないんじゃないかい」というお客様も何人かおられます。
とはいうものの、たくさんお酒を買っていただきまことにありがたく存じます。
あすも天気はよろしいようで、今日と同じく大勢様がおいでかと思います。車ではなくJRでマキノ駅までおいでになり、シャトルバスかレンタサイクル、または徒歩で大崎においでいただいた方がゆっくりお花見がたのしめると思います。
午後遅くなって小雨がぱらつきましたが、暖かく風もない一日でした。
海津大崎の桜もいまや満開状態です。
平日というのに、沢山の方がバスやマイカーや、レンタサイクルや遊覧船や、徒歩でお花見においでになります。
今日はNHKの中継車まで繰り出して、桜の取材をしておられました。
そろそろ自動車の数も増えはじめ、大型観光バス同士の離合などでもたつくとすぐに100メートル位の渋滞が起きてしまいます。
これからおいでになる人は、徒歩かレンタサイクルをおすすめいたします。
写真の場所は海津大崎の手前の「旦過(たんが)」という地名が残る場所で、中世の舟溜まり跡を埋め立てて公園としたもので、広いスペースの少ない海津大崎周辺では、お花見で弁当を広げるのによい場所となっています。
旦過(たんが)というのは禅宗の言葉で、行脚僧が一夜の宿をとる宿泊所のことをいい、中世にはこのあたりに禅宗の修行場があったことをうかがわせます。
先日紹介した「願慶寺」ももとは禅宗のお寺で、海津の東山一帯には禅宗の影響が色濃く残っています。
太平洋戦争時代、海津や西浜から徴兵され、故郷を思いながら南方や大陸で戦死された方々をまつる忠魂碑(ちゅうこんひ)もこの地にたてられ、子孫の行く末を見守っておられます。
昨日くらいから、清水のアズマヒガン桜が満開です。
300年を越す老木で、幹は苔むし、ごつごつ節くれだっていますが、薄いピンク色の花のかわいいこと。可憐です。
撮影のタイミングは午前9時以降(山すそにあるので、なかなか日がささない)か、 夕方4時くらい(逆光でいい具合に花が撮れる)です。
きのうはNHKがハイビジョン撮影にきていました。BSで5月に放映されるということです。
2004年04月04日(日) |
純米酒フェスティバル2004 |
開会の挨拶をする中野さん(左/フルネット主催者)と高瀬さん(右/漫画家)。
当日は昼の部650名、夜の部650名が参加されました。
日本酒の出版物を手がける「フルネット」が主催する。純米酒フェスティバルに参加してきました。
本来なら1、2泊して取引していただいている小売店さん(たいして数はないのですが)を回りたいところなのですが、海津大崎の桜の満開がもうそこまで来ています。日帰り出張となってしまいました。
前日も花見関係の準備がいそがしかったので、パンフレットやら会社案内が出来ていません。しかたないので午前3時起きで、パソコンに張り付いて作成しました(実は深夜や早朝のほうが、来客やら電話やらかかってこないので作業がはかどるのです)。
途中フリーズが1回あって8割方できていた商品パンフがお釈迦!イチから作成しなおしというアクシデントがあったものの、ぎりぎり予定の電車に間に合いました(相変わらずドロナワなほろよいです)。
午後0時から2時半と4時から6時半の2回、ブースに立って酒販店関係、料飲店関係、一般消費者の方に試飲していただき、御意見や感想を頂戴いたしました。
一番評価が高かったのは「雪花」で次に「花嵐」「辛口純米生原酒」が同じくらいの評価でした。「滋賀県のお酒は最近おもしろいね」とおっしゃるお客様もいて、うれしく思いました。
さて、全体的にそこそこの評価をいただいたのですが、これが販売促進にすぐにつながるかというとそれはまた別物なのです。
何軒かの小売店さんと名刺交換もさせていただきましたし、居酒屋の店長さんも出品酒カタログの「雪花」のところにチェックをしていただいたのですが、はてさて実際に取引をはじめていただけますかどうか。本当の取引先になっていただくまでにはまだまだいくつもハードルが存在いたします。
ここ3年続けて参加することによって、顔なじみの方もできましたし、知っている小売店さんの顔も何人かできました。「なにやら知らない蔵だけど『竹生嶋』というのは面白いね」と関東圏の方に一人でも名前を知っていただけるように努力するのが第1歩なのでしょう。
ほろよいのお店にも、花見のお客様がおいでになりはじめました。
ひやかしの方もけっこうおいでですが、こんな無名な地酒をお買い求めになる奇特なお客様もけっこうおられます。
おもしろいことに、720ml以上の容量のお酒をお買い求めになるのは、「あの人にたのまれたから」とか「前に買って美味しかったから」、あるいは「地酒で辛口の生酒を」といった明確な目的意識がある方がほとんどです。
逆に、買うつもりもなく、ちょっと覗いて見ようという方は、せいぜい300mlが関の山ですが、カップ酒やら、ごくありふれた普通酒ではなく、ちょっとめずらしい純米吟醸など、少し価格が高めのものをお買い求めになります。
レジに立ちながら、いろんなお客様の購入行動をながめていると勉強になります。
危機感をもって思うのは「おみやげ需要」がほとんどないことです。ほろよいがこの業界に入った昭和の末年ごろは、信楽焼の徳利にはいった原酒がかなり売れたものですが、今は、そういうものはほとんど売れません。
「容器で金を取っているんだろう」という消費者さんの、お考えがありありと伝わってくるようです。
結局、観光客相手でも小技に走らず、地酒蔵元の本道を歩むことが正解なのかなあと思う今日このごろです
ただし蔵元秘伝とか、杜氏入魂などというお題目はもう通用しないので、「どうしてこのお酒を造ったのか」という蔵元の気持ちをストレートの消費者さんにぶつけた方が結果が良いような気がします。
JRマキノ駅前にできた「インド料理」の店にいってきました。
去年営業をおはじめになり、ほろよいも子供連れで何回かいったことがあります。
経営者は日本人ですが、2人のコックさんがインド人で、厨房でナンやらダンドリーチキンやらシシカバブを炭火で焼いたり、カレーをコトコト煮込んだりしておられます。
何でマキノでインド料理なの?と思うのですが、カレーのランチは結構評判がよく、洋食メニュー(さすがにインド料理だけではやっていけないとお考えになったのでしょう)の半熟オムライスもけっこう奥さん方の間で好評で、ファンが拡大している様子です。
本格的なインド料理なるものを食したことがありませんので、どの程度のレベルなのか、日本人風にアレンジしてあるのかよくわかりませんが、月に数回ならいってもいいかなという感じのお店です。
まだインド人のコックさんとは面識もありませんが、ターバンを着用していただき、マキノ町のイベントで、シシカバブを焼いたり、カレーをサービスしたりしていただけると、けっこう受けるのではと心の内で思っています。
2004年04月01日(木) |
海津大崎の桜 開花宣言 |
朝は少し寒かったですが、すぐに日がさしはじめ、風もなく暖かな一日でした。
4月1日付けで観光用の臨時酒販免許をとり、お酒を売る小売店さんが2軒あって、そこへの納品や、ホテル、一般の酒販店の配達もけっこうあって、忙しい月初めになりました。
朝から、海津大崎の桜もごく一部ですが開花がはじまりました。
暖かな陽気に誘われ、ちらほらとハイカーのグループが、ほろよいの店の前をとおりすぎます。一駅むこうの永原駅で降り、琵琶湖岸ぞいに10キロほどの道のりを花見かたがたマキノ駅まで歩いてきたという女丈夫の一団がおられ脱帽した次第。これからマキノ高原温泉「さらさ」で一汗ながされるということでした。
ほろよいの店にも、冷やかしの人や、御主人のおみやげに地酒をという奇特な奥方様など、来店されるお客様もいつもより多めです。
この調子でどんどんお客様がマキノにおいでになるとありがたいのですが。
昨日御紹介した「清水の桜」は1分咲きになり、あと3日ほど暖かい日が続けば、そこそこ見られるようになります。
「海津大崎の桜」は、明日、観光協会が「開花宣言」を出されるそうで、あと1週間くらいで満開かと思われます。
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