海津ほろよい日記
湖畔の酒蔵 ほろよい社長の日常

2003年04月30日(水) 資本回転率

むつかしい言葉で恐縮です。
1年間で元手が何回回転したかをあらわします。

日本酒を造るのにかかる元手は、おおきく分けて4つ
1)原料米代金
2)製造にかかわる蔵人さんの賃金
3)販売にかかわる社員さんの賃金
4)その他、燃料代、水道代、宣伝広告費、商品の発送配達費などなど

この稼業、いちばんかかるのは米代、次に人件費です。

酒造がはじまる直前、10月にに銀行からごっそり融資をうけ、米を仕入れ、蔵人さんの給料を払い、お酒が全部できるのは3月末。これを販売して次の10月までに借金を返し、あるていどお金が残っていれば黒字、残らなければ赤字です。

基本的にこの商売は、資本回転率が年1回という、ほかの業種から見ると特異な業種なのでありあます。

他の製造業ならば、原料を仕入れて、商品をつくり、納品し、サイト3ヶ月の手形をもらう繰り返しで資本の回転率は3回から4回くらいあるのでしょうが。

で、何がいいたいかといえば、「お金がない!!」。

蔵人さんは5ヶ月分のお給料をもらって能登にお帰りになり、原料米代金も農協さんに前金でおはらいしていますので、年末年始の売上と、花見とお祭りの売上があっても、この時期の吉田酒造の銀行口座は残高が非常にきびしいのです(弊社とリンクしている、開春の若林社長も日記でこぼしておられます)。

倒産や、廃業の話はあちらこちらで耳にしますが、他業種からこの業界への参入がないのも、このあたりが原因なのでしょう。事業としては、全く魅力のない業種なのだとわれながら思います。

「おいしいお酒をつくろう」という意気込みだけではやってけない。
そんな現実を実感する月末です。








2003年04月29日(火) 海津祭りにハレするまわし

江戸時代、巡業の力士連中の向うをはって、化粧回しを締めておみこしを担いだのが起源といわれる力士祭りの日です。

海津祭りには都都逸(どどいつ)調の気の利いた祭り唄がたくさんあって、いくつか御紹介しますと、

「海津祭りにハレするまわし ハレするまわし 神龍 稲川 四つ車(シコ名のこと)」

「私のこころとお宮の屋根は お宮の屋根は かわらない(瓦がないと、変わらな いをかけている)ぞえいつまでも」

「米のなる木(稲のこと)でつくったワラジ つくったワラジ 踏めば小判の跡
 がつく」

ちょっと意味シンで、エッチなものもあります。
「いれておくれよ痒くてならぬ 痒くてならぬ 私ひとりが蚊帳の外」

もっと、エゲツなくて放送禁止用語が飛び出す唄もあるのですが、まあ琵琶湖の湖上交通の要として繁栄した時代、血の気の多い漁師や船頭さん、人足さんなどが活躍したお祭りなのでお目こぼしいただきたく思います。

いずれの唄も、昔、海津という町に造り酒屋や醤油屋さん、味噌麹屋をはじめ、遊女のいる遊郭まであって小都市としてワンセット揃っていたことを伺わせてくれます。

1時に大人の御神輿が海津天神社を出発。町内を2巡するのですが、要所要所では御神輿を大きくゆさぶり、まさに港町のお祭りの面目躍如。

夜8時すぎ、海津天神社にたいまつの火に照らされて帰還、境内でひとしきり御神輿を揺さぶってお祭りは最高潮をむかえます。

御神輿が納まって家にかえる道すがら、田植え間近のたんぼからはゲロゲロとカエルの声がいたるところから聞こえ、燃え尽きたたいまつからは、昔、薪で煮炊きをしたときの郷愁のあるにおいが。お祭りのあとの物寂しさをかきたててくれます。

祭り唄を最後にもうひとつ。
「まつり、まつりと待つのが祭り 待つのが祭り 済んだ後宴(ごえん)がなにゃよかろ。」

(後宴とは、お祭りの翌日にする、御神輿のかき手の慰労会でまた呑みます。)









2003年04月28日(月) 浄夜

海津祭りの宵宮の日、各家庭では掃除をしたり、お酒を準備したり、御馳走をつくったり余念がありません。

昔は周囲の部落からお世話になっている人をたくさんお招きしたようですが、いまはそれほどでもないようです。

かくいう吉田酒造も昭和の30年代は取引先の酒販店を全部お招きし、巻き寿司を100本近く準備したと大奥様がいつもこの時期こぼします。むかしは娯楽がなくて、お祭りや、盆踊りなんかが楽しみだったのでしょう。

お酒といえば、日本酒をさし、ビールや酎ハイ、ワインなんてものもなかったので、お祭りともなれば、日本酒の出荷が目に見えて増えたものです。

7時前、明日おみこしを担ぐ青年会のメンバーが、海津天神社でお払いを受けるために、ほとんどヘロヘロになって弊社前を通過。いつもの都都逸(どどいつ)調の海津祭り唱をがなっていました。

一行がとおり過ぎたあとは、ほとんど通る車もなく、海津の町の家々には御神灯が灯されて、静かで清浄な雰囲気につつまれます。

さて明日は海津祭り本番の日。熱くなりそうです。




2003年04月26日(土) 大治郎来たる

午後3時ころ、畑大治郎君から「近くに来ているからお邪魔します」との突然の電話。まもなく東京の有名地酒専門店のチーフマネージャーと2人でおいでになりました。

畑君の蔵は昔から「喜量能(きりょうよし)」というブランドでお酒を造っていたのですが、4年ほど前、東京の醸造試験所で3ヶ月の醸造講習を受けた後、いっそう積極的に酒造りの現場にかかわるようになりました。

酒ディスカウント店進出によるレギュラー酒の販売不振や、杜氏の交代などいろいろ御苦労があったようですが、2年前にリリースした新ブランド「大治郎」がブレイク、地元滋賀県はもとより首都圏でも新規の取引が始まり、人気が赤マル急上昇しているお蔵です。

醸造のスタンスもしっかりしており、地元での「山田錦」や「吟吹雪」の契約栽培は年々増加しており、現在は能登からおいでになる杜氏と2人3脚で仕込みをしておられますが、ゆくゆくはオーナー杜氏として充分やっていけるだけの技量を身につけつつあります。

せっかく酒販店さんとおいでになったのだからと、分析室にお通しし、今年の「花嵐」「雪花」の新酒や、熟成し火入れの純米酒や吟醸酒など何点かを利き酒していただきました。

チーフマネージャーさんは「それぞれの酒の酒質設計がしっかりしていて、差別化ができている」と好意的な評価。帰り際には、御両名から今夜京都で一杯いかがと誘われましたが、能登と大阪で連日大酒を呑んでいるので、それは勘弁していただきました。

大治郎君とは商売上のライバルになるのですが、やはり滋賀県で若手の醸造家が輩出してくるのは嬉しいものです。

1軒の蔵だけでは、県としての地酒イメージを高めることはできません。やる気のある蔵が何軒も集まり、相応の実績を作ってはじめて、その県の地酒のイメージが高められていくものです。

古くは新潟県にはじまり、静岡県、長野県、山形県など、みんなそうして銘醸県としての地位を揺るぎないものにしてきたのです。










2003年04月25日(金) PTA

6年の娘と2年の息子がかよう、マキノ東小学校PTA会長になりました。

児童数105人の小規模な学校なので、PTAのいろんな役が何年かおきにやってくるのですが、会長とはいかにも大役です。

自営業だから時間に融通がきくように見えますが、きっちり年休や勤務時間がきまっているサラリーマンに比べると仕事の時間があいまいで、休日は酒の小売がけっこう忙しく、PTA活動のある日は、妻や母に店番していただかねば仕方ないようです。

私が子供のころに比べると、PTAにも委員会なるものができ、廃品回収や春夏秋の校庭周辺の草刈、広報紙の発行、課外活動のサポートなどけっこう仕事があります。

また、週5日制が昨年より完全実施され、子供の休日の過ごし方が今、最大の問題となっています。

家にこもってテレビゲームをピコピコさせるよりは、できるだけ外に連れ出し、課外活動や郷土歴史教室、スポーツなどをさせるようにと、県や町、ボランティア団体、学校がそれぞれいろんな事業を計画するものだから、各事業の日程連絡調整会議なるものまでできる始末です。

昔は休みの日は、子供たちで勝手に路地やグランドで遊びまくっていて、大人になにかしてもらって遊んだという記憶があまりないように思います。

これも御時世なのでしょうか。











2003年04月24日(木) 和魂洋才の会

午前3時半起床。4時に珠洲市の「まつだ荘」を出発しました。
昨夜西尾杜氏と痛飲したため、若干二日酔気味。

早朝は車が少ないので、すいすいと走れ、8時に帰社しました。

1時間休憩のあと、町会議員選挙のため、在庫が5ケースになっていた金紋本醸造のビン詰めを昼までやり、午後は大阪リーガロイヤルホテルで行なわれる和魂洋才の会の配布資料を作成して、4時にJRで大阪へ出発しました。

この会はフランス料理と日本酒のマッチングの妙を楽しむことを目的にチーフソムリエの岡 昌治さんが10年前から毎月開いておられ、今回が第119回ということで、人気のほどがうかがえます。

私の蔵からは「雪花」と「花嵐」の新酒を持参し、もう一蔵招かれた、奈良天理市の増田酒造さんの「都姫(みやこひめ)」のアルカリ酒と大吟醸の4種類が本日のお酒です。

チーフソムリエの岡 昌治さんと、総料理長佐々木正秀さんが歓迎の挨拶をされたあと、純米大吟醸生「花嵐」で乾杯。前菜にはサザエのパイ皮包み焼きが出されました。

サザエ独特の濃厚な風味に、バターと塩、ガーリックの味わいが渾然一体となって口中一杯にひろがり、「花嵐」の華やかで爽やかな味わいが口中をすべりおちていきました。

メインディッシュには、フィレ肉のレアなステーキにワインビネガーのさわやかな酸味の利いたソースを加えたもの(これには3種類の天然塩が添えられていました)と、ポテトグラタンが出され(実はもう一品あったのですが、忘れてしまいました、申し訳ない)、これには純米吟醸生「雪花」を使っていただきました。

上品な甘味と酸が持ち味の「雪花」は、酸味の利いたステーキと、こってりとしたポテトグラタンの両方をしっかりと受け止め、参加していただいた皆様によろこんでいただきました。

今回はワインビネガーをつかった酸味のある味付けをほどこしたあっさりした料理が多く、これは日本酒を意識したものか、あとで客席をまわられた佐々木総料理長に聞いてみたのですが、「岡さんを困らせてやろうと思って」とニヤッと笑ってお答えになりました。

会の後、岡さんとお話していたら、「いつものアルコールのガツンとくる竹生嶋さんの味とはちょっと今回は趣が違いましたね」と正鵠を射た一言。さすがです。

実は今回は新酒ばかりで統一してみようと、意識的に熟成したタイプをもっていかなかったのです。もし、今度お呼びいただけることがあれば、熟成タイプの味わいの濃いものをもっていこうかと考えています。



















2003年04月23日(水) 能登杜氏自醸酒品評会

9時すぎ会社を出発、一路能登半島の先端、珠洲市をめざす。

敦賀インターで北陸道にのり、のと有料道路、広域農道(石川県は森前総理など有力国会議員がたくさんいっらしゃるので、来るたびに道が良くなります。金沢インターをおりてすぐのところにある石川県庁の新庁舎も豪奢なこと、さすが加賀100万石のお土地柄です)をへて、1時すぎ、内浦町の「能登杜氏自醸酒品評会」会場に到着。走行キロはちょうど300キロでした。

入場すると懐かしいお顔があちらこちらに。

酒造のシーズンを終え、品評会をむかえた杜氏の方々はみな一様に晴れ晴れとしておいででした。

蔵人さんを采配して何十年もお酒をつくっている年配の杜氏さんの面構えというのはなかなか味わい深いものです。

品評会は吟醸酒の部門と普通酒(といっても精米歩合65%から60%くらいの本醸造酒がほとんど)の2部門にわかれて審査があるのですが、わが蔵の西尾杜氏は普通酒の部門で僅差で入賞を逸し残念がっていました。

品評会終了後、珠洲市飯田の民宿「まつだ荘」にチェックイン、夜は西尾杜氏をお招きして残念会。両人ともお酒は好きなほうなので杯が進み、2人で1升ビンを1本空けてしまいました(あー明日は早朝の出発なのに)。













2003年04月22日(火) センキョ

今日はマキノ町会議員の選挙がスタートする日

下馬評では、12人の定員に12人の立候補予定者がいて、波瀾がなければ無投票になりそう。しかしながら、あちらこちらで根拠のない噂がとびかい、もしかしたら選挙になるかもしれんとの話もあり、吉田酒造は和戦両様のかまえです。

立候補されている人には申し訳ないのですが、町とか村の選挙というのは、男のお祭りみたいな側面があり(大方はまじめに選挙活動をしているので誤解なきよう)、選挙になると血が騒ぐのか仕事そっちのけで事務所に陣取って采配をとるオジサンがけっこういるものです。

選挙違反取締りが比較的ゆるかった昔は、期間中は選挙事務所へいけばタダで酒が呑めるので、節操もなく毎日あちらこちらの事務所をハシゴする豪傑がいらっしゃいました。

こういうセンキョにつきものなのがやはり日本酒であります。ひと昔前なら、選挙年は製造計画からして、平年の1割から2割増し位多く見積もったものです。

今でも選挙戦になれば、1000本強、無投票でも500本程度の当選祝いのお酒が動きます。

というわけで、本日は、朝4時おきで金紋本醸造1.8リットルビンの包装作業(弊社では、この商品は包装紙で巻いて出荷します)でした。

9時から昼までは今年の新酒のビン詰め作業で1000本弱の純米吟醸をつめました(明日あさってですべてビン燗してしまいます)。

昼過ぎから、当選祝いの菰樽の配達と、鏡開きのだんどり(昔は選挙の応援にきた大工さんなどが手際よく準備し、私どもが手をかすことはあまりなかったのですが)。

お酒の受注も順調にいただき、最後の配達を終えたのが6時すぎ、おかげさまで金紋の在庫はほとんどなくなりました。
しかし困りました、金紋のビン詰めと純米吟醸のビン燗がバッティングしてしまいました。

明日は能登杜氏組合の自醸酒品評会があり、能登半島の先っちょ珠洲市に1泊の出張です。












2003年04月20日(日) 団体さんご来店

朝から雨。桜もほとんど散ってしまいました。

桜サクラと騒いでいる間に季節はうつろい、見事な新緑があちらこちらに。

蔵元の湖岸にある樹齢200年以上といわれるケヤキの大木や、駅前通りのケヤキ並木、マキノピックランドのメタセコイア並木もそれぞれ芽吹きはじめて、見事な新緑につつまれようとしています。

雨にもかかわらず、本日も、ちらほらとお客様が御来店、
花見の最盛期に比べると接客に慌てなくてもよい時期なのですが・・・。

なんと10時すぎに静岡ナンバーの大型観光バスが、事前予告もなく吉田酒造前に横付け、40人ほどのお客様が、どかどかと来店されました。

昨晩お泊りになったホテルで「竹生嶋」をお召し上がり、いたくお気にいっていただき、お立ち寄りいただいたとのことです。

まことにありがたい話なのですが、弊社の店舗はさほど広くなく、10名位で満員になってしまいます。商品の御説明や、試飲しながら品定めしていただくためには、4、5人のお客様で手一杯なのです。

せめて、1時間位前にお電話でもいただけたら、蔵の方へ誘導させていただき、もう少し余裕のある対応ができたのですが。

店頭に出ている商品の量も少なく、母と私の対応で非常にお待たせいたしまことに申し訳なく思っております。

ハー、疲れた。
明日は、いよいよ山田錦のたねまき。来期に向けての酒造りがもうはじまります。











2003年04月19日(土) あけぼの会

桜で明け、桜で暮れた一週間。
観光客のみなさんを相手の地酒の販売もまずまず順調でした。

おだやかな春の雨にうたれ、海津大崎の桜も次々と散りゆき、路には桜のじゅうたん。湖面は無数の花筏(はないかだ)。

去年サライの4月号?の表紙を飾ったのは大崎湖畔の花筏でした。プロっていうのは、観光地に出没する傍若無人なアマチュアカメラマンとちがい視点がちがいますな。

今日もあれやらこれやら、ラベルはり、小売の店番、個人向けの酒の発送で1日が終わりました。

夕方6時から「あけぼの会」に参加です。

なにやら右翼の秘密結社めいた名前ですが、何のことはない、蔵元の所属する自治会組織、海津3区第1組が運営する懇親会で、春のお花見と夏の焼肉パーティーが主要な事業です。力士の曙が横綱になったときに結成したので、この名前がつきました。

各家庭より最低1名は参加し、年寄りやら、働き盛りやら、若奥さんやら、高校生やら、小学生やら世代を問わずにあつまる会なので、隣近所のみなさんが今どうしておられるかがよくわかります(サラリーマンや学生は朝でかけ、夜帰ってくる毎日なので、なかなか近所の者には近況がわからないものです)

わいわいがやがやと、とりとめのない話をして、ビールと竹生島を痛飲して帰ってきました。











2003年04月18日(金) 花嵐斗ビン取りがお嫁に行きました

午前4時すぎ起床
メールをチェックしたあと、花嵐の斗ビン取りの出荷準備。

いわゆる営業時間は、取引先や連合会から電話がかかって来たり、小売のお客様の応対をしなければならず、仕事が中断することがしばしばです。

朝早いうちは、とっちりと集中して仕事ができるので、手間取る仕事はこの時間帯にやってしまいます。

斗ビンのお酒のオリを除去するため、少量ろ過用のテストフィルターを組み、ろ過していきます。

ろ過が終わったのが7時半。朝食をすませ、8時前に出社してきた小林君と早藤君と本日の作業の打ち合わせをしてから、冷蔵庫にこもって花嵐のラベルはりです。

本年の花嵐は、マキノ山田錦(栽培者・吉原紘二さん)100%で仕込んだものと、兵庫県中町産山田錦(栽培者・間嶋宏行さん)100%で仕込んだものの2種類あり、それぞれに斗ビン取りをとりました。

それぞれに、しぼり出てくる時期別に「荒走り」「中取り」「名残の雫」の3種類があり、ラベルや肩張りの仕様がそれぞれ違うので気を使うこと。

そうこうしているうちに、小売に来客があったり、取引先に必要な電話連絡をしたりしていると、作業能率がてきめんに低下していきます。

なんとかラベルはりの作業は4時ごろ終了し、無事ヤマトの宅急便で京都の「にしむら酒店」さんにお嫁に行きました。

にしむら酒店さんは、マキノ産山田錦栽培を開始して以来、毎年数度はマキノの田んぼにおいでになり、田植えやら稲刈りやら、畦草刈りやらをお手伝いいただきます。

また、花嵐仕込みの時期には必ず1日は泊まって、仕込みの様子をごらんになります。

そんなお店にお嫁にいけるのだから今年の花嵐も本望でしょう。

お近くの皆様で、花嵐斗ビン取りに御興味のある方はぜひ、にしむら酒店さんにおいでください(蔵元にはすでにお得意様からお聞きしている御予約分しか残っていません)。

にしむら酒店 京都市左京区北白川久保田町3 
TEL075−781−3049









2003年04月17日(木) お酒の少量多品種化に思う

昨日とは一転して、会社で落ち着いて仕事ができました。

おだやかな日が続き、桜はまだまだ楽しめます。週末もそこそこお客様がおいでになりそうな気配がするので、冷蔵庫でがんばって720mlびんのラベルはりです。

冷蔵庫の外に出すとたちまちビンが結露してしまい、マイナス3度の冷蔵庫の生酒などは結露どころかうっすらと氷がはってしまうほどよく冷えています。しかたないのでやむなく冷蔵庫の中でラベルはりです。

生原酒に、生原酒のうすにごり、ざるでこしただけの濃厚なにごり酒と一つのもろみで3種類も商品化したものだから、ラベルを間違わずにはるのに神経をつかいます。

でもそれぞれにお客様がついて、「おいしいね」と言ってもらえるのではげみになります。

科学の進歩でレーザープリンターと、ウィンドウズ98のコンピュータ。イージードローイングソフトのG.CREW7を使って、自分が思ったようにラベルを作成できてしまいます。

消費者様の需要に柔軟にかつ即時に対応できる商品展開ができるので、零細造り酒屋としては便利なことこの上ありません。

作業をする専務や社員としては、神経をつかい煩瑣な作業になるのでたいへんなのですが、この大不況の御時世に、わざわざ車を走らせて田舎まで酒を買いにきていただいたり、送料がかかっても送ってくださいというありがたいお客様にささえられて吉田酒造は命脈をたもっています。

この場をかりまして竹生島ファンの皆様に心よりお礼申し上げます。






2003年04月16日(水) 広島へいってきました

6時起床。カーテンをあけると琵琶湖はベタなぎ。
きょうは暖かくなるぞ。

きのう「花嵐を花嵐の下で楽しむ会」で妙齢の女性8人と痛飲。
少し二日酔いぎみです。

今日が東広島の酒類総合研究所主催の全国新酒鑑評会の出品締切日。
海津大崎花見がらみの酒販売やら新酒の出荷やらで、ばたばたしてまだ送れていません。

何がなんでも夕方5時までに届けないといけないので、9時半に自動車でマキノを出発。名神、山陽道と乗り継いで午後2時半に無事酒類総合研究所に到着、出品をすませました。

帰りに京都北白川の「にしむら酒店」さんに寄り、雪花のうすにごりのPBと花嵐の斗ビン取りの納品について打ち合わせ。

帰社は午後8時半で、走行距離はは820キロでした。
早く出しとけばよかったのに。スロースターターもこうなるといけません。
この忙しいのにと奥様もおかんむりです。

今日はバカボンな専務さんでした。



2003年04月13日(日) 海津大崎花見狂騒曲(第2楽章/専務右往左往)

晴天です。桜は満開! 
絵に描いたようなお花見の休日となりました。

会社の冷蔵庫と棚にならべられるだけのお酒をならべ、今日も販売を奥様と大奥様にお願いして、わたくしは海津大崎の売店で試飲即売です。

一方通行規制がはじまる9時30分よりはやく会社を出たのですが、途中で立ち往生。
花見をしようとして路肩に駐車していた車のために、マイクロバスが離合できず一向に車が流れません。現場に向けておまわりさんが2名自転車で急行。なんとか通れるようになり、たった2キロの行程に40分かかりました。

土日の海津大崎の花見には自動車は禁物です。現場で人に迷惑をかけず駐車するスペースはまずありません。ゆっくり桜もみられないし、降りることもできません。ソフトクリームも、たこ焼きも買えやしません。マキノ駅前の臨時駐車場に車をおいてシャトルバスかレンタサイクルで大崎をめざすのが正解です。

桜もそのほうが、排気ガスや根っこをタイヤで踏みつけられず喜ぶと思います。

10時すぎ大崎の売店で販売開始。2時間ほど販売(午前はあんまり売れず、隣の桜餅やソフトクリームが売れるばかり)して1時に蔵見学の予定があるため販売を店の方にお願いして徒歩で会社へ向かい、準備をしているとさっそくおいでです。30名程度のグループが3組にわけておいでです。

小さい蔵だからできるだけ小人数でとおねがいしているのですが、主催するひとはあまり頓着しない様子。30人の人を相手に15分程度で蔵のことやら海津の歴史のことやら、酒造りのことやら話せるわけがありません(言いたくないが、結局お酒が呑みたいだけなのね)。せっかく遠方よりきていただいたのだからと6種類のお酒を準備し、セルフサービスで呑んでいただいたのですが、みなさんウオーキングのグループでリュックをしょっておいでだから会場がごったがえすこと。リュックでお酒を引っ掛けて割ってしまう一幕もありました(これじゃあ大きなカバンをもって電車で居様悪くすわっている高校生のことを悪くいえませんね、お母さん)。

なんとか蔵見学を終えて、ママチャリで大崎に取って返すと、お酒の販売台が見るも無残なことに。忙しくて売店の人もあんまりかまってられないので、試飲カップが入っている箱にソフトクリームの食べかすやら、ごみが放り込んであります。目を離した私が一番わるいのですが、それにしてもこの行儀の悪さ。日本人の美徳はどこにいったんだ!

気をとりなおして営業再開。5時過ぎまでがんばりましたがあんまりお酒はうれませんでした。一番よく売れたのが現場消費型の辛口純米生原酒うすにごり酒のカップ売りでした。

お酒のお土産としての需要は昔に比べると本当に少なくなってきています。昔よく売れた地酒の徳利詰めは、容器でお金をとっていると思われるのか販売数が激減しています。容量も一升瓶など論外で、四合ビンでも重いとのたまう方がけっこういて、気軽にお買いになるのは300ml以下の容量になってしまいました。

お酒の販売方法も昔どおりのやりかたでは消費者さんの興味を引かなくなってしまったようで、大変な時代になったものです。

















2003年04月12日(土) 海津大崎花見狂騒曲(第1楽章/ビアンカ・スプリングクルーズ)

滋賀県酒造組合連合会の需要開発イベント「ビアンカ・スプリングクルーズ」の日です。

ビアンカ(なぜかイタリアン・テイストのデザイン)という琵琶湖の観光船を借り切って、船上でお花見をしながら、滋賀県のお酒を楽しむ会をやろうという趣向です(おかげさまで参加者は97名とほぼ目標数に達しました)。

午前中は小雨がぱらついていましたが、午後から回復するという天気予報のありがたいお言葉です。

来客が頻繁になり、忙しくなりかけた会社の小売販売を奥様と大奥様にまかせ、後ろ髪をひかれるように11時半にマキノを出発、途中1件納品をすませて長浜港着が1時すぎでした。

この日ビアンカは海津大崎と長浜港を3往復する強行スケジュール(なんたって桜も満開、稼ぎどきです)。「晴朗」の望月さんといっしょに1番停泊時間の長い1時半から2時半の間にお酒を150本とその他の荷物を厨房の中に運び込み、冷酒を冷蔵庫に冷やしたり、グラスを洗ったりとイベントの準備、気がつけば400人の観光客をのせて船は2回目のクルーズを航行中です。

船室では3組の旅行社のお客がごったがえし、ビールやらおつまみやらで、わいわいがやがや(だれだ!日本がデフレだの不況だのといってるのは。)、雨もやんで、われわれのクルーズは期待大です。

5時まえに長浜港着。クロスを掃除したり、酒を並べたり、弁当を配ったり、座席表を配ったりと乗船してきた酒造組合のみなさんと琵琶湖汽船の職員さんとでてんやわんや。なんとか5時20分に出港です。

「花より地酒」のキャッチフレーズのごとく準備ができたら早速乾杯!宴会がはじまりました。各テーブルにはとりあえず乾杯用のお酒が数本。あとはお酒のサービスカウンターに参加各蔵のお酒をもれなくならべ、出品酒リストをながめながら、あれが美味しい、これはウチの町の蔵元だと和気あいあい、30分くらいで皆さんできあがってしまわれました。

天候が回復し急激に気温があがったため、琵琶湖からモヤがたちこめ、桜が夕モヤの中に見え隠れするという幻想的なお花見となりました。

1時間ほどかけて海津大崎の湖岸をなめるようにビアンカは航行、予定通り8時すぎに長浜港に帰港。参加したお客様はみなさん御満悦の様子でした。

明日は海津大崎の売店でお酒の販売です。




















2003年04月11日(金) 海津大崎花見狂騒曲(序曲)

いよいよやってまいりました海津大崎桜のトンネル通りぬけ。

明日と明後日は交通混雑緩和のためマキノから西浅井町へ向けての一方通行規制となります。

本日の天気は最悪で今日は一日中雨風強く、8分咲きの桜がけなげに雨風に耐えていました。

ところがどっこい本日花見のみなさんは元気元気。雨の中を颯爽と歩く老若男女がけっこうおいでで、中には「木之本からマキノまで湖岸沿いに歩いてきました」とのたまう猛者もおいででした。

そんな皆様に1本でも地酒「竹生島」を買ってもらおうと、試飲販売のため、大崎の売店に社員の小林君を派遣。

わたくし専務は明日とあさってのためのお酒をつくるため、冷蔵庫にこもってラベル張りにいそしみました。

今月末には海津の力士まつりやら町議選やらあるので、週明けには上撰本醸造をつめるべく、パートの竹縄さんと早藤君はビン洗いに没頭。
社内総動員でがんばってます。

あしたは、滋賀県酒造組合連合会(なんとも官製組合色の濃い名称。滋賀県のお酒のことで一般の消費者さんが問合わせの電話をするときどんなに緊張することでしょうか。自分が所属しているのに抵抗感を感じてしまう。近江おいしいお酒カンパニーズなどと改称できませんかね)の春の需要開発イベント「ビアンカ スプリングクルーズ」で長浜港から海津大崎にむけて花見船をだしますので、昼前から会社をぬけてボランティア活動にまいります(専務としては、明日、あさっては自分のお酒をうりたいのですが、需要開発委員長などという公職をいただいておりますのでいかんともできません。あ"ーーー早く自分の会社の需要開発がしたい!!!)。

今日は、きのう詰めた本年のレギュラー純米酒を利き酒しながら書いているのでけっこうのりのりです(西尾杜氏が心配したわりには結構うまいじゃないか)。

日本酒度ー2.5のわりには香りは悪くないし、味も甘口ながら切れもある。6月くらいから市場にリリースするのでよろしくお願いいたします。












2003年04月10日(木) 春の心はのどけからまし?

6時すぎ起床、前日社員の小林君と早藤君に指示して、ビン詰の待桶(まちおけ)に移動してあった本年度の純米酒の原酒(日本酒度ー2.5アルコール分17.4%)に加水、15.8%に割り水して撹拌、30分放置したあとサンプルをとって蒸留、アルコール分を確認後、7:30分ようやく朝食にありつけました。

パートの竹縄さんが出社するのを待って9:00前ビン詰めスタート。

一度ろ過してあったのですが、細かなオリがけっこう残っていて、仕上ろ過用の0.9ミクロンのカートリッジフィルターを2度取り替えるはめに。

1.8リットルびん1300本弱をビン詰めするのに12時すぎまでかかりました。

昼食後、親戚でとってもお世話になっているYさん御一行16名が海津大崎の花見のあと蔵見学したいということでスリッパやらきき猪口やらグラスの準備、ほろよい状態の御一行がおいでになったのは3時すぎでした。

生酒で5度に保存してある本年度新酒の花嵐(兵庫山田錦)をめしあがっていただき、熟成状態の違いを実感していただくために、去年の火入れの純米大吟醸と、1993年の純米大吟醸を比較きき酒してもらい御一行が全部お帰りになったのは3時45分でした。

その間、ひっきりなしに花見のお客様が来店、品定めのお手伝いを愚妻が担当しておりました。

私は、蔵見学のお客様をお見送りさせていただいてから、10日の集金に、10軒ばかり小売さんをまわって、集金と同時に在庫の確認。
8時前に帰社して日記をかいてます。

週末は今日以上にせわしくなるから、明日できるだけ納品をすませておかねば。

全然のどかでない一日でした。

<海津さくら情報>
清水のアズマヒガン桜は満開になりました。

海津大崎の桜は本日8分咲きです。週末は満開ですが、天気が崩れそうです。天気予報をチェックしておいでください。
雨風のひどい海津大崎は結構寒いので、ウインドブレーカーの御準備を。













2003年04月09日(水) 新酒品質検討会へいってきました

栗東市の滋賀県工業技術総合センターで開かれた新酒の検討会へ行ってきました。

今年は県内25の蔵元から82点の出品がありました。

会場へ行くと大阪国税局の鑑定官室(いつも酒造りのシーズンには、この部署から巡回指導と称し、私どもの蔵に醸造指導においでになります)のF室長やら、大津税務署(こちらは酒税事務や酒類販売免許に関して日ごろおせわになってます)のT酒類指導官やら、県の商工観光労働部長、そうそうたる方々が御臨席、NHKまでテレビ取材においでで緊張いたしました。

各社の本年の新酒は上々の出来。各蔵の個性が表現できているお酒が多く見うけられました。

滋賀県の地酒業界のよいところは、酒質のバランスのよさと、各蔵がそれぞれの持ち味や個性もっているところ(県でひとくくりできる固定イメージを県産酒がもたないことがこれから重要になってくると私は考えています)、

そして何よりも醸造にかかわる蔵元や社員が若く、情熱をもち、お互いに気軽に酒造りの情報交換ができ、一杯呑めることだと最近とみに思います。

新潟や静岡などの有名ブランドを数多くかかえる県にくらべると、無名で小ぶりではありますが、着々と実力をたくわえてきていると実感します。

うちの酒もまあまあの評価をいただけたようです。
あしたはレギュラー純米酒のびん詰です。





2003年04月08日(火) ほろよい日記 本日開店

生来のスロースターターで、まわりより「何時はじめるの」とせっつかれていた「海津ほろよい日記」を本日より本格開店しようと思います。

おりしも、小学生の娘(6年)と息子(2年)の始業式で、新しい先生も決まり、家族生活のの節目ともなりました。
娘はこれまで2年間お世話になっていたT先生に、本年も教えてもらえると御機嫌です。

当地海津は桜の名所。午前中は寒冷前線が通過して大荒れの天気で、3分咲きの海津大崎の桜は雨と風に翻弄されていました。

午後になってようやく小康状態となり、明日はおだやかな天気になりそう。見頃は今週末くらいでしょうか。

酒造りは3月16日に皆造(もろみを全部しぼってしまうこと)を迎えましたが、まだビン詰をしなければならない生酒がテンコ盛り(現在サーマルタンクや冷水マットで冷やしてはいるのですが)で頭をかかえています。

4月は販売もしなければならないし(吉田酒造にとって12月についで販売額の多い月なのです)、お仕事が一段落するまでまだまだかかりそうです。


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