にっきちゃん。

2005年03月20日(日) 黙ってやれ

突然だけれど、最近よく思う。


『言葉』は頼りにならない。
いや、何事においても重きは行動だということ。


そして多すぎる言葉はときに事実を混乱させる。
だまって信念を持って行動すればいい。


一生懸命やるなら『一生懸命やってるよ』っていう前に
やればいい。




そして
何かを頑張ったり努力したり、必死になるなら、
それはなぜか、何に向かっているのか、なんのためか
一番の目指すべき所と言うか核のようなものを
持つべきだ。





もしその核に
「誰かにがんばってる自分を見せたいから」
という気持ちがあるのならその目指す方向、まちがってると思います。




そういう人ほどがんばってるんだ、一生懸命なんだと
自分を正当化するものです。





あたしは自分含め、結果を残せた時だけ言葉であったり形にして
それをたたえたいと思います。



もちろんそこにいくまでの過程も大切だけれど
それをたたえるのは自分の心の中だけで充分だと思います。



つまり、結果で努力やがんばりを表すことの出来るまでは
自分の中で耐えて、黙ってがんばれ、ってことです。






そして、そんなふうに生きていく毎日の中で
「あの人にもっとこうしてほしいのに・・・」
って望むようなこともでてくるでしょう。
それならそうしてもらえる自分になればいい。
自分の願望で人をかえようとする前に自分が変わる。
もしくは人が変わってくれるような自分をつくればいい。






毎日仕事や私生活、いろいろすぎるくらいいろいろあるけれど



こうして



今まで   きたんだ。





2005年03月15日(火) 私を殴る私


こんな日記を本能のまま書いてしまう私を
いつか、笑える日が来ることを信じて、
勇気を出して 今日の日記。




「正しい」ってなんだろう。

「生きてく」ってどれが正解?


 もっと緩くてやわらかい心が欲しい。


泣いたっていいじゃん、
「助けてあげる」といってくれる家族に
甘えたっていいじゃん、
そう心から自分に言えて そうしながらも立ち上がれる強い心が欲しい。



誰もいない何もない廃墟の暗いビルの裏で
うずくまって頭をかかえてる私を
大勢の私が囲んで見下ろして
殴って、けって、縛って、袋叩きにしている。

「当然でしょう」
「おまえのために必要な罰だぜ」
「おまえが大切だからやってるんだ」

殴りながらみんな泣いてる。

たくさんの私に囲まれた私は殴られながら泣かずに睨み返してる。

「おまえ、そうやって睨んでうずくまることしかできないのかよ」
「泣けよ!」

言われても睨んでいる。

「今はこれしか出来ないんだ!
 泣くことすらもできないんだ。
 これがあたしだ、悪いか!!!!」




・・・・悪いよ。とっても。
あなたは いつまでそうして渦の中で困ったままいるんだろう。
いつまで自分に殴られたまま、泣き出すことも出来ずに
たたずんでいるんだろう。

はやく、全ての私と仲良くなって、殴らないで、けらないで、
笑いあって、
私を許して、抱きしめて、それもあなたなんだよと
心から優しい目をして・・・。



正しい、って何だろう。
生きてく、ってどういうことだろう。





きっとくる。
きっと行く。

「昔いたあの旅館、ほんとにだいすきだったなぁ・・」

って心から笑いながら正直に誰かに話せる日。







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綾 [MAIL]

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