にっきちゃん。

2004年05月13日(木) 食事はゲイジツなのだ。



「人間は、食べるために生きるのではなく
         生きるために食べるのだ。
           食べる事を目的に生きてはいけない」




と、昔どっかのエライヒトが言っていたのを覚えています。
まあ、本能の赴くままバカバカ食べるな、理性と知性が人間にはあるのだ的な
ことを言いたかったのだと思いますが。



だけどね,奥さん。

悪いがあたしは


食べるために生きてる日だってあるわよ。


と。声を大にしていいたいのです。
なぜ敢えて声を大にしちゃうのかって、誰かに冷めた目で見られたりした時
テンションで無理やり乗りきってやろうとしているからです悪いか。


だーーーってさあーーーーーーー。(なぜかここからだだっこ系で)


今はね。みなさん。

料理は既に芸術の時代ですわよ。
生きるためにオナカをみたす栄養分の域を越えてるんぢゃボケ!
と関西弁で怒ってみた所でどうにもならないわけですがまぁまぁ。


腹が減っては戦が出来ぬ。

という『ご飯を食べよう』的文句もありますが、
あたしにとって食す、ということはそれ以上のものがあります。



毎日旅館で板前が美しく盛った料理を見て心がプルプル動く事2年。
そういう仕事をしているから余計なんでしょうが
ホント,芸術ですよ。


美術館で絵を見ているような心のプルプル感です。


真っ赤な陶器の器に盛られた大きなパパイヤの黄色、とかね。
また同じあざやかな黄色のパパイヤを真っ白な器に盛って隣に置いたときの
赤と白と黄色のコントラストとかね。




ほら、2万や3万する和食懐石料理屋さんの、1品1品神経を入れて
料られ、また神経をいれて角度や重なり具合を考えて盛られた料理。
色合いを考え、その時期の旬の食材を取り入れ、その限られた食材を
どのように美しく、おいしく料ろうと練られた濃縮された板前さんの愛情。
たった一口で口にはいってしまうけれど、なんと
重みのある一口か。


あなた。
スーパーで安売り89円の赤いきつねをずるる、と吸う一口とは
ワケがチガウのですよっ

ちなみにコッチは↑「腹が減っては戦が出来ぬ」系ですね。

ほらちょっと、賞味期限が切れた半額の菓子パンをほおばりながら
読んでる場合じゃないですよあなた。



・・・・や、つい興奮してしまいましたすいません。




そんなわけで、食べるために生きる日だってあっていいのですっ!!

あたしは、朝起きて「このあとお昼はあの店のお刺身を食べて,
で、で、そのあとはオナカに貯まらない程度にあの素敵なカフェで
ティーをして、で、で、本でも読んでおなかをなんとかすかせて、
夜はあのいい音楽が流れるレストランでトマトパスタをたべよう、
うきうきうきうきっ」



・・・・とね、こんなふうに起きてから寝るまで食事中心に考えて
幸せに生きている日だってあるのです悪いか!!!



キレイで、いい雰囲気の中でおいしいものを体に入れる行為というのは
この上ない至福の時です。



ちなみに料理を食べるにあたって
とても大切なもの。
それは、そこの空間です。


照明の明るさ暗さ。
かかっている音楽。
店の匂い。
なにげなく置いてあるものの心地よさ。
そしてそして、これまた大切なのはパートナー。



パートナーの理想はですねぇ、(調子に乗ってだんだん饒舌になってきた(;´Д`)

好きな人、とか愛する人、ではなく!なく、ですよ。



全く気を使わない人


これ、これですよ。


愛する人と食事をするときは、食事よりも愛する人に気を取られますからね。
(長年連れ添ってそういう域でないときはベストですが)
素晴らしい食事をするときはそっちに集中したい!!!(興奮中)


気を使っちゃう先輩とか、あんまり仲のよくない友達や、
うーん後輩なんかもイヤですね。


・・・・と、こんなかんじであたしにとって
おいしい料理を食す、という行為はコレ以上ないってくらい
大切な空間なのです(;´Д`)




だからさ、料亭や心のこもった美しいものを食べるときはひとり。
もしくは気を使わない愛する人と。

これがより素晴らしい空間を作っていただけるベストなパートナーですね。




・・・・はぁ。

みなさん、素晴らしい食事をするってことは
目から,鼻から、口から、舌から、脳から、
もう体全体がプルプルと震えてしまう最高の
快楽です。




あ。やっぱりアツクなっちゃった。
まだまだ体験した事のない素敵な料理を
これからいろいろな地域に行って味わう事が、
今あたしのとっても大切な夢なのでした。



・・・・・・そんなに冷たい目で見ちゃイヤ。






2004年05月12日(水) 立ち居振舞いの美しさ

私は、決してしっかりしているわけでもなく
マナーが特別いいわけでもないが。




特に外出している時、
自分のある振る舞いについてよく、思う事がある。


そして、いつも「ああ、やだなぁどうしよう」と
胸の中でひとりこっそりと困っているんだ。


ところで。
私は腰椎分離症&ヘルニアという腰の病気を双子で
育てているのですが、その私の胸を悩ませている振るまいが、


この双子達と大きく関わっているんだな。

さて。
悩んでいる振るまい問題とは、こういうことです。
まずこれ

じゃん。




人前で女性が足を組んで座るのってカッコワルイなぁ




ってことです。まあ、一般にはどうなのかは知りませんが
あくまでも私的見解。
うん、勿論自分含め、足を組んで、でん、と椅子に座っている女性を
見ることはよくある。
あれ、私ってカタイ?(汗)
でもね、なんだかやだなぁ、って思うんですよ。
みなさんどう思います?
特にね,オシャレして綺麗なスカートはいているときなんかは
「足を閉じて、膝をくっつけい」と。思ってしまうのですよ。

街で恋人と2人でベンチに座る時。
喫茶店でカフェしてる時。
病院の待合室。

他の女性の方々はどうなのかわかりませんが、あたしは
特に恋人と一緒にいる時なんかは足を組むのがいやだなぁと思っているんです。
だって、なんだか美しくないじゃないですか。
(顔とか体とかじゃないよ、あくまで雰囲気のことです)
それに、なんとなく「えらそう」だというイメージを持ってしまうのですよね。

毎日会社でえらそうにふるまう人達に対して
「おみゃー、えらそうにするなぁあああ」
という嫌悪感をよく抱くからでしょうか、きっとそれが反面教師になって
あたし、自分がえらそうに映っているかもしれない事象に対して
少なからず敏感なのかもしれません。


そして。
カタイんだよオマエはと突っ込まれてもめげませんが(;´Д`)


やっぱりねぇ、女性はしとやかな方がキレイだと思うのですよ(;´Д`)
特に男性と一緒にいる時は。



・・・・・まぁだらだらとぶちまけましたが、足を組むのはいやだなぁ、と
実際自分が組みながらも思っているわけです。
が、しかし膝をそろえて座っているとだんだん腰が痛くなってくる。
・・・で。
ぴょこん。


右足を左足さんにのっけてしまうのですね(泣)
ああ。
腰のバカ(泣)





さ、腰を悪者にしたところでさらに悪者になっていただきましょう。


あのね、足を組むのと同じくらい、していて「ああ、私、やだなぁ」と
思う事。

それはこれ。

じゃん。





姿勢が悪い



うーーん。これもね、思うんですよ。女性に限らず男性もそうですが
背中が曲がっているとカッコワルイ。
私にとってはその人の素敵さが本当に半減します。
とても好きな人でも背中が曲がっていたら冷めてしまうくらい。



・・・で。いつも背筋を伸ばしてイタイなと思うのですが
これまた、ぴん、と長い時間のばしていると腰が痛い(泣)
病院の先生には
「あまり背筋を伸ばさないように。反るなんてもってのほかです。
前かがみくらいがちょうどいいんだな」

とか言われちゃう始末。



・・・・ああ。




そんなわけで二つの例をあげてみましたが
細かいことをあげはじめたらきっともっともっとあるのです。




だからさ、ね、健康な女性の方々、あたしの分も
きれいな雰囲気を保つようがんばってくださいよ、ね、ね、ね。



男も女もねぇよ、元気でお互いガハガハ笑ってたのしけりゃ
いいじゃねぇかよお、と思うかもしれませんが、


でもさぁ、そういう自分の心がけ1つでできる美しさ、って
マニアックだけどとても素敵よ。
きゃっぴきゃぴの10代のうちは気付かないかもしれないけど
20代,30代、40代、そしてもっともっと年をとって
一般的に思われる肉体的な美しさが失われたとしても
立ち居振舞いだけは色あせないですからね。
むしろ、本当の美しさってそういうものなんじゃないかなぁと。



街ですれ違ったり、見かけたりする人の中で
「あっ、あの人素敵だ」
って振りかえりたくなる人って、若くても年配でも
美しい空気や雰囲気がでているのです。


それって、どんなにきれいな服で着飾ってもだせない
『立ち居振舞いの美しさ』があるからなんですよねぇ。



特に日本はお作法ですとか。
お茶ですとか。
お華ですとか。
懐石料理のマナーですとか。

そういうものを勉強しようと思えば
いくらでもある国ですから。


キレイですねぇ。

あたしも、美しい人になりたいなぁ。






・・・・・・というお話でした。



そうそう、いつかね、髪の毛を真っ黒のストレートにしてみたいなぁと。
いつかね。そのうちね。
そう、もうちょっとスタイルがよくなった頃かな(笑)←笑っとけ






2004年05月11日(火) 「しあわせ」、ってこんなことか

生まれて初めてこんな種類の感情を味わっているんだけど。


*****『幸せ』って、きっとこういうこと。*****



と思う時間が、最近多い。

数ヶ月前は、あまりにも感情が全くなく
ないくせに内臓リモコンひとつで自分を操作出きる自分がいた。
今は楽しそうに笑え!
今は困った雰囲気を出して。
一人でボーっとしてるふりして!
楽しそうにして!この人のことダイスキ、って目をしなさい!


全部全部、一瞬たりとも気を緩めずすべてリモコン指示にしたがっていた。
というより、そうしなければあたしは
無表情でそこに立つ、空家の壁みたいな人間だったんだ。
あまりにも日々に疲れていた。
周りの人間全てを憎んでいた。
周りは何も変わっていないのにあたしだけが一方的に。
抜け出せなかった。
世の中の全てを、フトンの中で目を覚まして天井を確認したその瞬間から
あたしの体にある「無気力フィルター」を通して遠目で見ていた。




今は、全く変わった、なんて思わないけれど
違うコトは確かだ。





きっかけは、体を壊して仕事を休んで実家に帰った2週間。
まったくチガウ環境、違う速度に置かれた。いや、置いたんだ、
自分がソウしたんだから。



空家の壁、な環境から離れて1日、二日。あんなに
無気力フィルターが苦しくて着物を着たままフトンの上で
無表情のまま涙が止まらなかった自分が、ガスギレのライターの火のように
しゅぅーー・・・・と消えて行った。





思った。
あたし、毎日がギリギリ過ぎたんだと。

「もっといい感じに力抜かなきゃつぶれるぞー」
親しい人はそう言ったがまったくその感じがわからなかった。
でも、一日でわかってしまった。




人は,何か大変なものの渦中にいるとどう抜け出せばいいのかわからない。
だけれどその渦中からすこし離れてみると、ふ、と突然抜け出せる。
抜け出せてみると、渦中にいたあのときにあたしは、どうすればよかったのかが
わかる。


「一度離れて見てごらん」



うわべだけの打開策にすぎないじゃないか、
そう思っていたけれど実際、こんなに簡単なことが
答えだったんだ。





今あのころから抜け出して、一番思う事。
あのころの自分にはもう二度と戻りたくない。
何もかもを目標に向かって必至に頑張っていたけれど
自分を壊してしまうことを犠牲にしてまで達成すべき事なんて絶対にない。

ということ。

なぜなら、あんなふうにして空家の壁になってしまったら
本来やるべきこと、目標なども無気力フィルターを通して
ただ必死に機械化してバカみたいに毎日 生きている事しかできないからだ。


そんな状態で目標達成の為に・・・とやっきになったところで
本来の目標なんて、きっともう意味を失ってしまっているだろう。

・・・抽象的でゴメンナサイ、みなさん、私、日本語、大丈夫でしょうか。
文章力がなくてもどかしいです、すみません。



*******************************


そんなわけで 今は、肩の力をいい意味で抜いて、ということが
とてもよくわかります。
それは妥協や逃げ、ではないことがやっとわかりました。




今は全く『人間』として多分、ちゃんと機能していると思います。
素直に涙したり 感情が沸いていたり


今までは無意味だ、必要ない、と否定していた
・・例えば「なんだかしあわせ」「んー、風がキモチイイ」
「このひとのこと、すき」「たのしいなぁ」

そんな感情があたりまえに沸いてきます。・・・ホントあたりまえのことだけどね。


とても嬉しいんです。

そしてとても幸せなんです。
正直、めちゃくちゃ嬉しくてたまりません。




テレビを見て笑ったり、本を読んで、なんかいいなぁと思ったり、
「なんか・・・しあわせ」な、感情をとても愛しく思います。




ただね、これだけで満たされてしまわないように
今までほど極端ではなく、でも正しく確実に前に進んでいこうと思います。



ひとかわむけてみましたけれども、
たぶんまだ渦のなかに佇んでいる状態だとは思うので



まぁ、ぼちぼちやってみます。




今日はわかりづらい日記でごめんね。




2004年05月10日(月) マニアックなカイカン行為集

あたし、暗いのかしら。
最近読書がカイカンでたまらないのです。


仕事をしていてもね、ご飯を食べていてもね、
おうちに帰ってベッドにでろーーん、とネッ転がりながら
本を読む時間が恋しくてたまらないのです。


その読んでいる本がどれだけすきかとか、あたしのすきなこの作家は
こんどはどんな文を書いているんだろうわくわく、とか
そういう頭脳的なことも愛しいのですが


それ以前に私ね、『紙』というものが昔からとてもすきで。
読みながら右か左のページをドッグイヤー寸前ぐらいの位置まで
指で持ちあげて、ぺらぺらと音を立てながら紙をさする、という
行為がとても気に入っているのであります。


小学校の時からその癖は今まで変わっておらず、
昔はよく母に『隣でアヤが本読んでるとうるさいよぉ』と
苦情をいわれたものでした。


その紙ペラペラ行為を失ったらあたしの読書の楽しみは50%失われる、
といっても過言ではない。
なんだなんだ突然文体がかわったぞ。まあ、そのくらいの思い入れがあるのですよ
このカミペラに。




あのねぇ、そういうことって毎日過ごしていく上で、多分必要のないもの
ベスト18ぐらいには入ると思うくらいどうでもいいことなんだけれど
みんな、こういう『ベスト18くらいには入ると思う』ってこと、
結構あるんじゃないかなぁ。



例えば鼻水が出てもいないのに一人のとき、ずずーって勢い良く鼻から
息を吸うのがすき、とかね。

一人になるとついファスナーを指先でさすってきもちよくなってしまう、とかね。


雑誌の匂いをかぐと癒される、とかね。(あ、コレはありそうだね)



まぁまぁ、わざわざしようとしなければ文字にして再確認する事も
一生ないかもしれないようなマニアックなカイカン行為、って
きっとみんな自然ともっているんだと思う。ねぇ。そう思わない?



ちなみにあたしは。
このカミペラ、最近の、マニアックなカイカン行為代表なのですが
ほかにもいろいろありますよ。


飲み終わった氷水のグラスを、氷だけ入っている状態で
もう一度飲む行為をして。その
時に氷の合間をちょろちょろくぐって
口に入るキンキンに冷たいたった数滴の水がすき。


とかね。




そうだなぁ。
いろんな人のそんなマニアックなカイカン行為集、とかとてもステキですね、うん。


まあアレですよ、ヒマだなオマエとか言わないように。



・・・・ねぇ。




なんか最近そういうどうでもいいけど愛しいような・・・て感じがすきですねぇ




いやはや、人生もりあがってきたんじゃないかあコレ。


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