にっきちゃん。

2004年03月28日(日) どーでもいいことしゃべらせてーやー

昨日。
かなり熱入れて書いたこの日記。

ふうー、今日は言いたいことうまくまとまったぜ、ちぇけ。
さて、そろそろしめるか。



てとこで



   ぷつ。



oh NO!!!!!!!!!!!!!!!!!
そりゃないよ、このバカパソ!!!!



もう、ほんとやっきりしちゃいましたよあなた。


ちなみに題目は

「官能とはなにか」


あーあ。
珍しく心を解き放った時間だったのになァ.
まぁ、自己満足でしかないわけですけれども
是非発表したかったです。うん。


ところで。
今日仕事場で仲間と話していたんですけれども、
えーーと、テーマは、

「好きなのは、年下の男性?それとも、年上の男性?」


・・・くだらな(;´Д`)

そんなのananとかにまかせておけよって話デスが、まぁいいじゃないデスか。
ウチの仕事場は20代の女性ばかりですから、こういう話にも
なっちゃうわけですよ。ね、ね。


あのね、やっぱりね、人には年の好みがあるようで
年上ばっかりと付き合ってる人、年下ばっかりと付き合ってる人、
ハッキリ別れるのですね。


あたしの周りの仲間、と対象は非常に狭い世界ですが
やっぱり恋人のカタチって女性が年下。男性は年上。
ってのが多いのでした。ふーーん。



そしてやっぱり「オトコは年上がいいの!!!きえい!」って人が多かったなぁ。

「だって、頼れるジャン」とか、『包み込まれてイタイ』とかそんな
意見が多かった。
そうだよな。きっと女性って基本的に男性に対してこういう願望は
誰もが抱いているんじゃないだろうか。
あたしも例にもれず。


でね、こういう意見もありました。

「年上のしっかりしている彼の情けない所を見たり、甘えて来たり、カワイイ
ところを見るともうきゅんきゅんしちゃってたまらない」と。


なるほどねぇ。
母性本能くすぐられちゃうんですね。
わかるわかる。


・・・・ってあたしはラジオのディスクジョッキーかよ。
・・・おハガキよんじゃってるよ。


ちなみに「年下がすき!」っていう人は、
「年下なのに自分よりしっかりしていたり、しかられたりすると
 きゅんきゅんしちゃう」


という意見でした、私です(;´Д`)

・・・・・間髪入れずに言ってみました。



そうなのです、私はぜんぜん年下がダイスキです。
年下なのにオトナっぽい、とか年下なのにオトナナコトしてる、とか
年下なのに私を叱ってくれる・・・


とかそういうのにものすごくきゅんきゅんしてしまうのです。
ちなみに甘えられたり、カワイイことしたり、
そういうのはやっぱり年下だからカワイイのです。



・・・・って何言ってるんでしょうか私は。



ゴメンナサイ、疲れてるんです(;´Д`)


たまにはこんなどーーーでもいいことしゃべらせてっ






逃げろ。

オチ。なし。


   ・・・・・・・とうっ







2004年03月27日(土) 見えていない何か。

最近一日単位で生きている気がする。


朝起きて、夜すべてが終わってはぁ、と眠れるその時を目指して。



『いい加減にしている事など1つもない』
と未熟ながらも堂々と言えた自分。
自分がダイスキだった自分。


恥ずかしいけど、そんな自分に早く、帰りたい。

気張りすぎるな、と人は言う。
そのとおりだ。
気張りすぎると心がなくなる。
笑えなくなる。
どんどんコチコチの石になって
どんどん機械人間になる。


どうして人を幸せにしようとがんばるのに
逆に機会人間になってしまうのか。


悲しいけれどこれが現実だ。


力を抜いて自分を休めてあげる事も確実に必要だ。


力を抜いて・・・。


だけれど、そうするとハンパな気がして自分が許せない、
とコチコチながらもあたしが言う。





あたし、ちっちゃ。
それだけは、わかるよ。

確実に、わかるよ。



あたし、ものすんごくちっちゃい。




多分、見えていない何かおっきなものがあるんだ。
なんとなく、それがわかるよ。
わかるけど、それが見えないよ。

見えていない事と、見えないけれど見えなきゃいけない何かがあることだけ、
今は


わかるよ。



2004年03月24日(水) サルバドール・ダリ

中学一年生の時に初め出会って、あまりの衝撃に
しばらくずっと彼の作品たちを毎日毎日学校から帰ると
部屋に閉じこもって見ていた。

今思えばなかなかに暗く、ヒキコモリのヒッキーだなぁと思う。


最近、伊豆高原の20世紀池田美術館(だっけかな)という所で
彼の展覧会があったので行ってきた。


じゃーん、サルバドール・ダリ。
の、展覧会。


彫刻やオブジェや、絵画。
やっぱり彼はロックだなぁと。


彼は『超現実主義』=シュルレアリスムなヒトであり、
つまり現実を超えた、という意味であり。(簡単に言いすぎ)



ダリを知らない方に簡単に説明すると
現実ではありえない世界を、表現する人。
たとえば・・・キリンのオナカから引き出しが出ていたり、
女性の額から蟻が沸いていたり、


とにかく度肝を抜かれる作品ばかりだ。



とてもワクワク心が動いた時間だった。

どうして私はダリにこんなに惹かれてしまうんだろうなぁ。
ワカモノにありがちな、現実にない突拍子もないものに惹かれる、
という時期はもう通りすぎた気がする。



中学の時のあの感動はこの「ありがち」な感情に近かったと思う。


今は。



今は、あたしを取り巻く現実世界には存在し得ないような世界を
体に常に持ち、それを表現する事を
真剣に生きる糧としていた彼の、存在そのものを
見たかった気がする。
見て,見て,たくさん見て、彼を知ろうとする。


あたしの現実世界にはありえないものを書く人。
それを恐れず表現してしまう人。
絵を見て想像する。
彼はどんな魂をもってこれを書いたのかと。
想像しまくる。


・・・わかるわけがない。
あまりにもありえなすぎる世界だからだ。


だけれどそんな人間が存在した。



その不思議と、その不思議な力を持ち得ない自分を抱いて
ただ漠然と自分のちっぽけさを感じていた気がする。


ダリみたいに天才になりたかったんじゃない。
恐れず、自分の世界観を表現出来る彼がうらやましかったわけでもない。
ただ現実を見つめて、
四次元世界になどいく気もない自分が悲しかったわけでもない。


うまく表現できないけれど、ただ、あたしはダリの世界に魅せられていた。


こんな彼の存在を受け入れつつ、認めつつ、
あたしは彼とは全くチガウ世界で、自分の命をすすめてる。



全くまとまってなくてごめんなさい。
何が言いたいのか自分でも良くわからないけれど


このありえない世界を描くダリ、という人をダイスキである
理由が自分の中でうまくまとまっていない、というのが
正直な所だ。

あたしは彼を受け入れている。
だけれど、確実に正しい現実世界でいきるアタシに、
彼を受け入れられる理由など、
今うまく表すことなどできない。



この複雑で勝手な思い、
理解していただけマスカ・・・。



そんな3月の、ある休日でした。



2004年03月17日(水) あたしと風

太陽がぽかぽかと出ているきもちがいいおひるすぎ。
ああ、キモチガイイなぁ。
よーし、今日は!

なにをしよう!!


ふとんのなかで目が覚めて、すこやかな気分。

いい気分で窓を空けた。

それがはじまりだった。



風がそよそよとはいってきて、あたしのほっぺたを通りすぎていった。
あたたかくってフトンの中で「はぁ」ってした。





気付いたら涙がだらだらと流れていた。


『伊豆の匂いだ』


生まれ育ってもいない、故郷でもない、ここで何年も過ごしてきたわけじゃない、

だからこそ、今じぶんが「ここ」にいると胸に染み入った
この場所の匂い。



ああ、4年前ここにきたあのころ、
不安と無色な未来をかかえて
毎日とにかく必死で生きていたあのころ。


はじめて死んでしまいそうなほど愛した人と
あまりにもはかなかったお互いの弱さをだきしめあいながら
感じたあの時の風とおんなじ、あの匂い、伊豆の風。



あのときから、あたしは何か変わっただろうか。
うん、確実に変わっている。


人は、時間と共に変わる。

あたしは、今あのときよりも生きているだろうか。

そして今この風をとおりすぎながら
過去をフラッシュバックしたあたしを
またいつか 感じる時はくるのだろうか。


また、こんなふうに風を感じながら・・・。


そのときの未来のあたしは
どんな匂いで、またこの土地で吹く風を受けとめるのだろう。





あの匂い。
ほのかで。
はかなくて。
伊豆の匂い。
あたしのにおい。
あたしだったにおい。


過去と、今、このときの、この場所でいきる匂い。



2004年03月16日(火) ビバ、サカナ!!!!

少し早すぎるんじゃないのか。
50歳、60歳でこうなるのなら
まだわかるんだけど。





なにがって、そう、あたしね、最近甚だしいんです。


 どん。



肉ギライ、魚ズキ。





毎日の食事は会社の社員食堂で食べているんだけれども
『今日はとんかつだって』

なんて日には白ご飯に明太子でひとりはずれてみる。


『きょうの牛丼うまかったぜー、オマエも早く行ってこいよ』

なんて日も、白ご飯になまわかめをかけて、醤油とわさびでほおばる。


『今日はステーキよ。はやくおいで』
って食堂のおばちゃんが声かけてくれても

やっぱり白ごはんにまぐろといかさしをのっけてお湯をかけ、
わさびとだしをかけてずるずる幸せに浸る。


********************************

一方、

『今日はさばの味噌煮よ』
『今日はひらめのからあげ』
『あじフライ』
『やまけかけどん』


なんて日はまず食堂で一発「ひゃっほーう!」
とイマドキ誰も言わないような歓声をひとりあげ、そう確実にあげ、
小躍りを決めこみ、
「また始まったよコイツ。」という目でみている
みんなの席に首をつっこんで
「ね、ね、ねねね、ひらめ嫌いだっけ??」

「ねぇねぇ、あじフライ食べないならあたいにチョーダイよう」


と忙しい忙しい。



挙句の果てに
「ねえ、オレのさばたべていーよ」
とさばを好きな人からも声をかけられ。
「えっ、だって○○くん、さば嫌いじゃないジャン」
「あー、でも綾が食った方が幸せがデカイだろ」
「えっ、い、いいのっっハフハフ!!!!!」


となるのである。


それくらいあたしはサカナがだいすきだ。


・・・いや、「だいすきだ、まる」と言い放たれても
これを読んでいるみんなはどうしようもない。


ワカッテル、ワカテルヨー。


*******************************

そんな現状なわけで。
20代にして肉をほとんど受けつけず、それとひきかえに
サカナに関しては異常なほどに執着があるあたしの春。

サカナを食べている自分を想像すると
本当に幸せで天高くBANZAI!!!してしまいたくなる感は否めない。




あたしが死んだら、墓には 迷わず
サカナを供えて欲しい。

ちなみにお金に余裕があったら

涙を流しながら両手で、ぴちぴちとはねているカンパチを抱きながら
天に向かって笑顔で涙しているあたしの像を建てていただきたい。


そんな世の中になったら、本望です。(世界規模かよ)




・・・・・なわけで、さかなトークでした。

はい、あたししか盛りあがってないとかいう意見はなしで。

よろしくです。



2004年03月15日(月) 癒されちゃってるイオン

最近。
旅行に行きたくてたまらない。
行きたくて行きたくてひまさえあれば
どこいこう、と想像して一人でニヤけている始末。


前向きに『楽しんじゃおう!』というものではなく
ただ、『癒されたい』。
そんな感じだ。


毎日幸せそうに泊まりに来て大切な相手と過ごしている人達を
100人、150人、と見て、
一人一人に喜んでもらいたいと必死で過ごしていると
そんな人達が心底羨ましくなる。
そう、『羨ましい』『アタシだって!』『ずるいよう』
そんな気持ちも確かにあるのだ。


ふと、こんなふうに思うときもある。
『はじめてであって、自分の生活にこれからも今までも
 関係ないといってもいい人達の為にあたしはどうして
 胃が痛くなるほど神経を働かせて幸せ作っているんだろ、こんにゃろメ』

そうだ、そうなんだ、あたしだって
癒されたいんだ!!!

首からそう看板下げて地団駄ふんじゃいたい気分。


*************************************

まあ、基本的にはそんなあたしがいたりするわけで、
そんな時、そう、ついこのあいだ1泊15000円の旅館に
泊まりに行った。
旅行らしい旅行なんて、久しぶり。
想像はしていたけれどあまりにも幸せだった。


いつもと違う空間で、何の力を入れる事もなく
ただたぷたぷと温泉に浸かり、浴衣を着て鏡の前でひらひらとポーズ。
仲居さんが運んでくれる料理をんまいんまいと言ってほうばり。


さらさらのキモチガイイおふとんでごろごろ。


ああ、全ての時間と空間は今あたしを癒すためにある。
堂々と癒されちゃっていいんだワン。




ごめんなさい、ほんとごめんなさい、
あたしとっても幸せでした。


サービスされちゃっていい、サービスされちゃってルンだよ、今あたし。


というあたしのまわりを囲むイオン。


ああ。ドコかに泊まりに行きたい。
そうだな、めちゃくちゃ古くて木で出来ていたりする旅館にでも。
近代的で未来を思わせるような刺激は要らないから
田舎っぽくて、あったかくて、タイムマシンで江戸地代にトリップして
しまったような場所で、たっぷりと眠りたいなぁ。






そう、


あたしの今一番欲しているものは


『旅館で過ごす空間』。

リョカンデスゴス、クウカン

  なのだ。




あ、想像しちゃった。
んんん、 ニヤリ。



2004年03月03日(水) やっぱりやらなきゃ

マニアックな旅行の雑誌が企画している、
『全国の旅館、ホテルのサービスの達人』
というものに全国から44人選ばれまして。


その中の一人として、私の名前が雑誌に載りました。
雑誌社から表彰状が会社に送られてきました。
社長から金一封がでました。

ものすごい、嬉しかった。
今まで必死でがんばってきて本当によかった、と
心から思いました。


あまりに毎日人(お客様)のことをかんがえてばかりで
自分の毎日の生活をおろそかにしたり
自分自身の心をどこかになくしてしまったり


いろいろしましたが、本当にウレシカッタ。



ただ、やった!とかみ締めた。




******************************


・・・でも。
あたりまえだけど、そこで終わりじゃなかった。

つい最近そんなことは頭の片隅に追いやられていた頃。
館内を歩く、初めて会うお客様がこっちを見てあたしを指差していった。


「あ。雑誌に載っていた綾さんだ!」




はっとした。



この旅館にはじめてきて、
あたしのことなんか知るはずもない人が
あたしを知ってる。


「この人、どんなサービスをするんだろう。」
「どれだけスゴイことしてるんだろう。」



見てる。
見てる。
あたしを見てる。



気を抜けない。
がっかりさせるわけにはいかない。
期待を裏切ることなんてできない。






やっぱりあたし、やらなきゃいけない。
・・・ってなんだかこう書くとやけにかっこいいなぁ(汗)
そんなんじゃなくて・・・気持ちが引き締まったのです。



がんばらなくていいよなんて、自分に言えない。
ちょっとくらい手を抜いて、今日一日くらい・・
今日の一組のお客様くらい・・・
だって、もうイッパイイッパイダヨ・・
なんて 絶対思っちゃいけないんだ。
私にとってたった今日の一組でも彼らにとっては
100パーセントの「今日」という日。
がっかりさせたら、手を抜いたらあとからめちゃくちゃ後悔すること
やっぱり目に見えて明らかだ。
今回頂いたこの表彰状と金一封は私に改めてそうカツを
入れるために目の前に現れたんだ。





やる。
やる。
やるしかない。



2004年03月02日(火) 疲れたなあ。

ああ。

疲れたなあ。

なんだか今日は疲れたなあ。


なにがどうなってるのか
よくわからないんだけど


帰って着物を脱いでぼーーっとしていると
だらーーーーーっと涙がでてくるんだよなあ。


なんだろなあ。


ほんとにほんとにわかんないなあ。





2004年03月01日(月) 日々のあわ

最近音楽を聞いていない。


と、思い休日の今日、『買え!』と
背中を押しながらCD買いました。


ずっと欲しかったハナレグミの「日々のあわ」。


アコースティックでしっとりうたうナガヅミさん。

車を運転しながら買ったばかりのCDをぱりぱりと開け
夜道の中聞きながら天城峠を走りました。


自分でも驚くくらい涙がだらだらでちゃってでちゃって
本当にビックリしました。

心の奥底から『泣く』なんてこと、いつからしていないんだろう。
涙ってスゴイ熱い。
ほっぺたがじーんてして、
「おお、あたしって感情があるんだ」
って心の別の部屋で思っていました。多分。

なんだか、10代の青春期みたいでこっぱずかしいのですが
今思い出して心にざっくり残っているのはこんな歌詞。


「きみといて、ぼくを知る」
「楽しいって、思えるだけでいいんだよ」



書いていてちょっと恥ずかしい。






あたしには、「感情」というものが今あまりありません。
例えば人を一途に心から全速力で愛したり
我を忘れるほど何かに怒ったり、泣いたり、笑ったり、喜んだり、

寂しいと思ったり、苦しいと思ったり、





そういうこと、どうやってしていいのかよくわからないんだなぁ。
というか、そういう感情が起こらない。


全てから1歩ひいて
全てにおいて「あ、そう。そっか。うん。わかったわかった。」

と受け入れています。



なんだかさあ、そういうのってちょっとさみしいよね。



って多分心のどっかで思っているから
こんなに青っぽい歌詞に(いや、きっと深いんだけど)
涙がでたりしたんだろうなあ。


これからわたし、どうなっちゃうんだろ。
というよりむしろ、どうするの?




・・・・そんな私の近状でした。


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綾 [MAIL]

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