思い、願い。。
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中学受験日記。 (上の子(娘)の受験は2004年2月まで)

中学受験日記から4年数ヶ月、その間、3人目出産、起業し・・・

2004年02月27日(金) 合格エキスポ2004

上の子が小3以来、毎年パシフィコ横浜で開催される合格エキスポ、多分毎年足は運んでいる。
その経験上、開場より前には並ぶようにしていた。

今年も同じように開場時間20分前くらいに着くように向かった。
天気もよく、電車賃を浮かせるべく自転車で。

受験生の保護者達が流れるように会場に向かう。
流れるように会場に入っていく。

あれれ???

時間間違えたかなあ。

確か10時開場だったはずでは?

私の携帯は9時37分だった。3分進んでいるんだから9時34分だろ。
あちゃー、もう前の席取れないかな。

資料渡すところで、娘の時のクラス担当を見つける。
先生から資料をもらう。
なんか気の利いたことを言えばいいのに、ただ会釈だけで終わってしまった。

入ってすぐのフロアには、書籍やN研合格ボーイシリーズの販売をしている。
そこは後でも行けるので、まずは席の確保。

学校の説明会とかだと後の席のほうが早く帰れるが、N研は必ず前列からということと、前列のほうが話している人の表情を間近で見られる、ということで、最前列ブロックを目指す。
まあ、後の席でもスクリーンに大きく映るので問題ないんだけど、細かいところも見たいとなると前のほうがいい。

入ると前列のブロックが埋まってきたかな、というところ。
なんだ、やっぱり開場時間は合っていたんだ。
並ぶ人のことを考えて早くに開場したということか。
いつもそうだけど、1人で来ると前のほうでも空いているので助かる。

ある時、友達の来たときのこと、その時だけだったけど、入場の際にブロックの整理券をもらい、友達は後から来たのでブロック違いになってしまったことがあった。まあ、その時は、友達のほうのブロックの人と交換してもらったかと思う。

前列中央ブロックの真ん中あたりの列の通路側から数番目。
1人分の席がポツンポツンと空く中、一番良さそうなところを探して荷物を置く。
置いたらまた下に降りてさっきの販売コーナー。

うーん、悩んだ挙げ句に14,000円も出費してしまった。
でも仕方ないか・・・。

会場特別価格っていうフレーズに弱いんだよねえ。苦笑

今年からなのかな。
去年からなのかな。

以前は合格エキスポの後に各中学のブースがあって行ったものだけど・・・。
ないんだあ。
まあ、今もらっても新しいこと何もわかんないもんねえ。

K嶋理事長の話で、

「男の子のお母さん、手をあげてください。」
「男の子はお母さんのために頑張るんです。」
「女の子のお母さん、手をあげてください。」
「女の子は自分のために頑張るんです。」

この話を塾の帰りの息子にして、
「そんなことないよねえ。」
って言ったら、

「ボク、ママのために頑張ってるじゃない。(塾の帰りに買い物して)カゴ片づけるのも荷物持つのも、ママが大変だからって・・・、ママのためじゃない。」

なんだかじーんとしてしまった。

お母さんのために頑張る=お母さんのために勉強する

っていうのには繋がらないけど、


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それにしても男の子の受験は大変なんだあ。
女の子は受験者数より応募人数のほうが多くて、男の子は応募人数より受験者数のほうが多い。
女の子は選ばなければどこかしら入れるけど、男の子はどうしたって入れない子たちがいるらしい。
まあうちは共学志望だから女でも男でも関係ないんだろうけど。
共学の偏差値みても、ほとんど男の子のほうが低いしねえ。
男の子と女の子、人数決めて募集するわけでもないだろうに、どうしてなのかなあ。



2004年02月24日(火) 学校の勉強さえ・・・

塾の授業中、寝ていた息子。
テキストでバコンっと叩かれて、

「起きた?」

「あ・・・、はい。」

だそうで・・・。

叩かれた時は「ここはどこ?ボクはだれ?」状態だったとか・・・。

こんなんでやっていけるのかよ。(泣)



今までは、娘の部屋に2つ椅子を置いていた。
娘が机で勉強する横で、私が家庭教師のごとく座るためである。

娘の受験が終わり、今度はその椅子を息子の部屋に移動した。
毎日そこに座って家庭教師。

息子が解いている間は、息子の部屋を掃除。
本棚を整理、引き出しを整理。
いらないものをどんどん捨てていく。

息子の机の本棚から学校のテストがごっそりと出てくる。

これ、非常に危険・・・。


100点満点なのに5点しか取れてない国語のテスト。
情けない、情けない。

こんな状態で中学受験なんて笑っちゃう。

▼よみがなを書きましょう

朝礼→あさね
豆まき→のりまき
苦しい→たのしい
駅の売店→けいばのばいてん
助言→きりことば
目次→めいし
運ぶ→あそぶ
暖かさ→おんどかさ
使用→いわない
暗記→くらい
柱時計→しゅどけい
根気→ねっこき
動き→どうき
顔面→かおじ
放す→くす
まな板→まなつ
木炭→かざん
荷物→ふるいもの

アホ、バカ、マヌケ!だ。

一体、学校へ行って何を勉強してきているんだかっ。


▼漢字をかきましょう

かわいいこひつじ→かわいい子洋
白いきゅうでん→白い九でん
計画をじっこうにうつす→計画を牛校にうつす
人をあつめる→人を送める
子犬をそだてる→子犬を計てる
旅のかんそう→旅の注文
相手のつ合→相手の板合
しまの小さなみなと→鳥の小さな南
川がながれる→川が深れる
おもさがひとしい→思さが人しい
みじかいぶんしょう→長い文注
早くおきる→早く朝きる
よていの時間→言元の時間
ゆうめいな学者→夕名な学者
しゃしんをとる→字新をとる
ビデオをかえす→ビデオを帰す

ビデオが1人で帰るかい?!

知ってる漢字を書けばいいってもんじゃないっつー。


▼反対の意味の言葉を書きましょう

横→むかし

・・・・・。

▼意味をえらびましょう。

うっとりとながめる → うっとり は・・・、うとうととねむくなる。

眠くなってどうすんねん!!!


こんな状態で、本当にやっていけるんだろうか、たっぷりと不安にさせてくれたのであった。


娘は相変わらず、学校から帰ってきては毎日のように公園へ遊びに行く。
5時半過ぎても帰って来なくて親をハラハラさせる。
もう暗くなっているのに一体いつまで遊んでいるのよ!と。

遊び疲れて翌朝起きれない、そんな状態が先週末まで続いていた。
朝起きる時に非常に機嫌が悪く、言っても支度しない、こっちはキレかかった状態で、

「疲れたって言ってるのに夜遅くまで遊んで朝起きられない、学校は遅刻する、だったら夜遅くまで遊ぶのはやめなさい。疲れているなら学校から帰って寝なさい→それでも翌朝疲れて起きれないなら休んでも仕方ないかなって思うけど、毎日毎日凝りもせず同じことを繰り返す!!! 怒鳴り散らして人に当たって、学校に行くと元気になって機嫌がよくなって、帰ってくるとまた遊びに行くくせに、翌朝また怒鳴り散らす。おかしくないですか?!」

娘は大声で叫ぶ。うるさい、とか、静かにして、とか、疲れてるの、とか。


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毎朝、毎朝、そんなことを言われながら、娘は毎日毎日帰ってくる。
「ママ、ごめんなさい。もうしないから。」
って帰ってきて抱きつく。

こっちの機嫌は直らない。

そんな日々も、やっと先週末に終わったんだ。


夜も今まで読めなかった本を読みあさっている。
夜遅くまで電気をつけて読んでいる。
面白い、面白い、と読んでいるのだ。
早く寝てくれよ、状態。

ほんと・・・子育てって大変です。



2004年02月23日(月) 息子、初めてのカリキュラムテスト

息子の初めてのカリキュラムテストだった。
本来受けるべき土曜日は学校の特別クラブのため、昨日(日曜日)の午前中に受けた。

日曜日の午後には復習もした。

テスト受けて出てきた本人は、
「国語は20点くらいかなあ。算数は全部書けた。社会と理科は終わりまでたどり着けなかった。」
と言っていた。

国語は漢字の練習を頑張ったお陰で40点は取れていた。
その他については、本人が言う通り、文章読んでるだけでほとんど終わってしまった・・・みたいな・・・。
時間がなくて文章問題から解いていない状態である。
時間見ながら解いて時間がなくなったらとりあえず「ア」でもいいから何でも書いとけよ、と。
よって?基礎は全くの0点だった。(泣)

帰ってきて解かせると、算数のミスに本人もかなり落ち込んでいた。
「できたと思ったのに・・・こんなに間違っているなんて・・・。」
本人は満点近く取れたと思ったらしい・・・。
落ち込みつつ、悔しがっている、そんな感じ。

さらに、あのバカたれ・・・、社会と理科で入った(入塾許可をもらった)はずなのに、どちらも時間が足りず、2/3も到達していない。後半は全くの白紙である。

社会に限っては重大なミス!!!を犯してきた。
99%の正答率の問題を間違ってきたのだ。
このバカたれが。
何を勘違いしたのか大マヌケをしでかしたのだ。

「100人中99人は正解しているということは、あんた、あの教室で四科目は120人くらいだから、あんた1人間違ってただけじゃん?」
「えっ!?」

本人もこの間違いの重大さをしっかり受けとめたようだった。
この1問を間違えたために、それに関連する全ての問題を間違ってしまったのだった。

そして今日、結果を持って帰ってきた。

後日テストだから座席も反映しないかな、と思っていたが、一列前になったと喜んで帰ってきた。
娘が言うにはクラスで7位の席とのこと。
算数はクラスで5位に名前があった、と喜んでいた。


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入塾テストさえ不合格だった彼ですから、スタートとしては、まずまずでしょうか。

とにかく上の子と違って勉強に対する態度は素直なので教えるのは楽だ。
なんだかんだ反抗しつつも、素直に復習する。
エライエライ。

そうそう、今日、息子は初めて1人で電車に乗って塾へ行ったのです。
塾に着いたら電話するように言ってたんだけど連絡がなかったので、塾に電話で確認してしまった。
帰りはきちんと電車のホームから電話してきました。

ここまでの道のりも大変でした。
夫は送り迎えはしろ!と、うるさく・・・、送り迎えしてる親なんていないよ、本人も1人で通えるって言ってるよ、と、何度も説得して了解を得た・・・みたいな。
まだまだ先が思いやられそうです。



2004年02月12日(木) その後

今、学校の子どもたちの間で、○○ちゃんは○○校に行くらしいよ、とか、話題になっているという。娘の第一志望校に入った子たちも何人かいるのでどうかな、と心配していたものの、仲良く遊んでいるようだ。制服かわいいんだよって自慢するんだよーーー、などと・・・落ち込んだ様子もなく話している。
何人かが集まってきて、「何校? 何校?」と聞かれるらしい。それが学年全体に広まるということのようだ。

「○○ちゃんはねぇ、聞かれても『さあ?』ってはぐらかしてるよっ。」
「あなたはどうしてるの?」
「聞かれたら自分からしゃべってる。」

「なんて?」
「制服だっさいけど、高校からかわいくなるから、よかったら高校からおいでっ、て。」

聞いてるこっちは泣き笑いである。

「『いいなあ、高校受験なくて』って言うから〜、『その分こっちは小学校頑張ったんだよ』って言っておいた。ホントに受かってよかったよぉ〜。」

子どもはたくましい。

きっと陰でまだまだ泣いてるんだと思うんだけど、すっごい前向き。

娘は今回の受験で、
「ぜったい、ぜったい、ぜったい、ぜったい、あきらめない。」
という言葉が、本当だったんだって実感したんだと思う。

T代表が娘の教室に来た時、その話をしたそうだ。

「合格は誰かがくれるわけじゃない。合格は作るものだ。みんなに合格する力はあるんだ。1日がだめでも、2日がだめでも、3日がだめでも、ぜったい最後まであきらめない。ぜったい、ぜったい、ぜったい、ぜったい、あきらめない。」

って。

娘はその日から、
「ぜったい、ぜったい、ぜったい、ぜったい、あきらめない。」
っていうおまじないを唱えてきた。

苦しくても、悲しくても、声を出して泣くなんてことはなかった。涙をひとつふたつ流すと、また前を向いていた。

受かった第二志望校の学校に娘が足を運んだのは、受験当日だった。受験当日に初めて足を踏み入れた。それまで娘は一度も足を運んだことはなかったのだ。私は何度か説明会に足を運んだし、最後の説明会にも足を運んだ。最後の夫の反対を押し切ってこの学校に決めたのは私だ。夫はなかなか首を縦にふらなかった。もう一つ併願としてあきらめきれない学校があったのだが、私はどちらも第一志望校として受けさせたいから、と、2校それぞれダブル受験できるように組みたい、と説得した。

不思議なもので、娘は自分が見たこともなかった学校なのに、中学校生活を楽しみにしている。30分くらい電車に乗るので、体力つけなきゃ、なんて言ってる。夫も、既に気持ちは受かった学校のほうに向いている。第一志望校に対しては、


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実は、第一志望校の繰り上げが今日あたりから、ということで、ずっと悩んでいた。やっぱり繰り上げがあれば第一志望校に行くよなあって。でも、もう私たちの中では合格させてくれた学校でいいじゃないかという気持ちが膨れてきて、今更・・・という気持ちが出てきていた。でも・・・、でも・・・万が一そうなったらそうしないとおかしいよなあ、的な気持ちで揺れ動いていた。

繰り上げがない、ということが確実となり、私と娘は抱き合った。喜んで抱き合った。迷わず受かった学校に行けるからだ。そして夫には携帯でメールした。




合格した学校は、一次試験から二次試験までの4日間に願書提出した人が400人もいた。
二次試験の前日の4日には、200人もの追加があった。

試験当日、子どもを迎えに行く時の人数を見ると、一番最後のグループで40人中4人が欠席程度だった。4人は前日の夜までに合格が決まって欠席となったのだろう。残りの36人は不合格で来た人たち、もしくは合格がわかってチャレンジしてきたのかもしれない。

定員が100人のところに追加で400人、志願者は合計1,000人以上にも膨れていた。
通常、中堅校というのは、上位校の滑り止め扱いとなり、上位校が受かると受けに来ないため、二次試験はガクンと人数が減るものだが、もともとダブル出願の多い学校で、一次で合格した人数程度しか減らなかった(去年の数字を見ていて覚悟はしていたが・・・)。一次に落ちた子たちのほとんどは、二次でも一緒に戦うこととなった。本当に怖かった。

発表を見て嬉しくて泣き、外に出て電話をしていたが、しばらくすると落ちた人たちのことが気になり、「落ちてる人もいるんだからあまり喜ばないよ。」と言ってしまった。
その発表だけで、500人以上の人たちは、落ちてしまっているのだ。
それも5日の試験といえば最終日の人がほとんどだろう。
他に受かっている学校があればいいけど、うちと同じ条件で落ちていたら・・・、その精神状態を思うとしんどい。

他の学校に受験する友だちも、今回は前年度より100人以上も志願者が多い・・・、と言っていた。
うちの子の受けた学校もしかり、倍率も前年度より全体的にきびしくなっているのではないだろうか。
全体の受験者数も何千人も増えていると聞いた。受験者数が増えたからといって募集人数が増えるわけではないだろう。当然上位校ではかなりの激戦となり、上位校で落ちてきた子たちが中堅校に入ってくる。中堅校を目指して頑張ってきた子たちは、その上位校から落ちてきた子たちと戦わなくてはならなくなる。

身近で、特待生,栄冠組が、落ち続けて中堅校に落ち着いたという話を聞くと、本当に中学受験って怖いと思う。うちの子が受かった学校の制服の申込にも、4組さんから来ている子がいた。4組さんと言えば偏差値50台半ばくらいだろうか。滑り止めで受けたに違いないのだ。反対に、うちの子より席が後だった子が、うちの子の第一志望校に受かっていたらしくショックだったようだ。なぜ授業中に寝ているのに受かったんだろう、ズルイ、と話していた。知らないところで頑張っていたのかなあ、と話したら黙ってしまった。そりゃそうだろ、自分も精一杯頑張ってきたつもりでいるのだろうから。

じゃあ娘は本当に頑張ったんだろうか。うちの子はもともと体力があるほうではなく、学校から帰ってきて昼寝するような子だ。学校から帰ってきて塾に行くなんて、とてもとても大変だったのである。寝てしまって休んでしまったこともたびたびあった。林間学校に行ったりすれば、もうくたくたで次の週はお休みになってしまうのだ。うちの子の体力で、よく1日からの一週間頑張ったなと思う。だからうちの子にしてみては頑張ったということになるのだろうか。

入学の手続きをした翌日の日曜日(8日)、今まで使った娘の中学受験のためのプリントやテキストの処分をした。最後の一ヶ月はプリントだけの授業となり、行くたびにプリントが山積みになって机の半分に積み重ねられていた。いつかやるのではと思ってとっておいたプリントもある。6年の栄冠への道は全く新品状態だったが、それも捨てた。心機一転、来月中旬には中学の備品類も届くし、4月の上旬には中学生の教科書も持って帰ってくるのだから。捨てた量は大きなゴミ袋4つ分。よくこんなにあったようなあ、というくらいすっきりした。

「ねえママ、今だから言えるんだけど・・・、実は・・・、社会・・・、10点も取れてなかったと思う・・・。」
「(沈黙)よかったよ。それ、結果の前に言わなくて・・・。ママの寿命、かなり縮まったかも。」
「パパ、怒るかなあ。」
「いや、結果良ければ全て良しでしょ。怒らないよ。」

「ねえ、実は社会10点も取れてなかったんだってっ。」
「ほんとかよ。まあ受かったんだからいいじゃん。結果オーライだよ。」
「ほらねっ。怒られないでしょっ。」
「よかったぁ。」



2004年02月06日(金) 最終結果

私はなんだかんだいいつつ、ぐっすり眠ってしまった。
娘はほとんど眠れなかったようだった。

娘の学校のクラスの先生宛に手紙を書き息子に持たせて送り出す。

「今日は受験の最後の合格発表の日です。
本人は自分の目で確かめたいと言っていますので一緒に連れていきます。
休ませますがよろしくお願いいたします。」

発表の会場まで向かう。

電車に乗っている間も、落ちてたら、落ちてたら、と話していた。

「ママは私が落ちると思ってるでしょ!」
「じゃあ受かる自信でも?」
「できたと思っても今までミスしてたりするし・・・。できたって言ってできてないと怒られるし・・・。」
「怒らないよ。」

「社会は漢字指定が2問わからなかった。でも何も書いてないと知らないんじゃないかと思われても嫌だし、ひらがなで書いたんじゃあ問題読んでるのかよ、と思われるから、小さくひらがなで書いてきた。部分点もらえる?」
「それはないなあ。(苦笑)」

「国語は自信ある。でも算数はもしかしたらミスがあるかも知れない。」

「満点取る必要はないよ。二科目で120点以上取れていればいいんだから。」
「そしたら取れてると思う。」

「ほんとかなあ。」
「また信用してないし。」

駅から学校まで歩く間、私の足が重くなる。
娘の足は早くなる。

発表会場で座って待つ。
どんどん人が増えていく。

「すっごい人がいっぱい。」

娘もびっくりしている。

発表のボードが出てくる。

座っていた人たちが、どわーっと一斉にボード前に集まっていく。

娘が先に降りていく。

私は後からゆっくり着いていく。

見るのが怖くてゆっくりゆっくり近づいていく。

私は目が悪い。

見えるか見えないか微妙な位置から、

あれ、娘の番号に見えるなあ。

また一歩近づく。

やっぱり娘の番号に見えるなあ。

もう一歩近づく。

娘のほうを見る。

娘もどんどんボードに近づいていく。

番号を見る。

やっぱりあるかも・・・。

娘を見る。

私の目と合わせ、「あった!」と娘が言う。

今まで一度も見たことない顔で、びっくりしたような喜んでいるような顔して「あった!」と言う。

「良かった〜、良かった〜。」

と、娘の肩を抱き号泣してしまった。

「本当に良かった、本当に良かった。」

娘の目からも涙がこぼれていた。

合格通知書をもらうために並ぶ。

保護者のほとんどは泣いていた。

娘が塾に電話する。
クラス担当に代わる。

「うそーーー!!!マジーーー!!!やったーーー!!!」

いつもは感情を表に出しそうもないクラス担当が叫んで喜んだそうだ。

夫に言わせると話し方とか表現の仕方が渡部篤郎さんにそっくりと言う。
(私は以前夫に、武田真司をひょろっと背を高くした感じ、と話していたんだが)

その後次々と先生が代わり、娘の合格を祝ってくれた。

夫に電話。

電話の向こうが暗い・・・。
「受かったよ。」
「・・・やったぁーー!!!(娘に)代わって!」

父親の喜ぶ声を聞き、娘の目からまた涙がこぼれている。


お義父さんに電話。
孫娘が心配で心配で夜も眠れていないみたいだった。

「じじ、泣いてたよ。声が震えてた。」

娘が嬉しそうに話す。

お義母さんに電話。

「どこだって受かればいいじゃない。」

ってどういう意味よ。どこだって・・・って、まあお義母さんなりの励ましの言葉なんだろうが・・・。

娘も同じように言われて、ちょっとムッとしていたが・・・。

偏差値的には第一希望校も第二希望校も同じなんですけど・・・。
まあ仕方ない。

友だち二人にメール。

昨夜、娘が友だちにメールしたのに何も書いていなかったようで、そのお母さんから朝に心配のメールが届いていた。
「何も書いてなかったからひょっとして何か言いたかったんじゃないか。」と。

何も書いていなかったのは本人の単なるボケだったこと。
合格したこと。


昨日「祈ってるよ」と送ってくれた友だちに報告。

喜んで感動して涙してくれた様子の返信。
友だちは2日で受験が終わったそうだ。うちには手が届かない上位校。恐るべし天才。


お昼は横浜駅で。

夫にメール。

「合格のお酒買わないとー。」
「早いほうがいいだろ。今日早く帰れるからいこう。」

家に帰ってきてインターネットを見る。
娘の番号がある。
喜ぶ。

かけこみ組の2科生は10人中1人しか受かっていない。
かけこみ組の4科生は2人に1人は受かっている。

ダブル出願組は5人に1人が受かっている。

娘の友だちは?

娘の教室は20人近くいて4人受かっている。
娘の友だちの教室は20人近くいて2人しか受かっていない。

受かってるといいね。
この2人のどちらかだといいね。


息子が帰ってくる。

帰ってきたら寝たいって言ってた娘だが、息子が帰ってきて「おめでとう。」と言われ嬉しそう。
「一緒に遊ぼう。」と言われ、マンションの敷地内に遊びにいく。

今日は息子の塾の本科スタート日。
娘も連れて一緒に送りに行く。

息子と別れると、お酒を買うところを探す。
いろいろ歩き回り、駅ビルの百貨店地下にも酒屋があることを思い出す。

どれにする?
と話ながら決めかねていると、後からきた母&子に向かって店員さんが「塾へのお礼ですと・・・箱に入ったものを包装してのしをつけて・・・。」と話している。

「ねえ、これでいいんじゃない?あの子、同じ塾だから。」

と、娘。

レジに持っていき、塾のお礼だと言うと、
「N研さんですね。お子さんのお名前をここに書いてください。」
タイプライターなのか、打ち込むと印刷された「のし」が出てきた。

手慣れたものだ。

私たちの次にも何組か書いている人がいた。

みんなここで買うのかな。

息子を待つ間、平日半額のケーキセットの店に行く。

時間になって息子を迎えに行き、子ども売場のベンチに座る。
子どもたちはおもちゃなどを見て時間を潰す。

6時半、夫と合流。

塾に入ると、クラス担当が合格の発表の紙を貼っていた。
入口の目立つところには届けられたお酒が並べられていた。
私が買ったところと同じ包装紙のお酒が多く並んでいる。

夫はクラス担当と話す。

私は持ってきたお酒を他の先生に渡す。

「受験校書いてありますか?」

娘に自分で書かせる。
嬉しそうだ。

夫とクラス担当は、目を真っ赤にしながら話している。
二人とも、泣いているんだ。

室長が来る。
室長の目がみるみる真っ赤になる。

「本当によかった。よかった。」

室長も泣くんだ・・・。

「最後まであきらめずによく頑張りました。お母さんお疲れさまでした。下のお子さんはまだ先ですから、しばらくのんびりしてください。今日はゆっくり休んでください。」

みんなが「本当に良かった、良かった。」と言ってくれる。

最終日に届けてくれた先生に、

先生いるかなあ、って気力が下がりきっていたこと。
先生が渡してくれたからこそ、合格できたこと。

先生も渡さなきゃって必死だったそうだ。

そして(すぐ書けるように削られた)鉛筆にチョークがついていたこと。

「あ、きっとそこで○○先生が削っていたからです。」

「そのチョークがついていたから合格したのかも。」


クラス担当に、
「先生のお陰だって言っていました。先生がずっと横で一緒に勉強してくれたお陰で合格したって。」
先生は嬉しそうに目を赤くしていた。

最後の保護者会で室長が言っていた。
落ちたら来てください。必ず来てください。

だから娘は毎日塾に通った。
テストを受けて、塾の近くでご飯を食べて、夜遅くまで塾で勉強した。
落ちても、落ちても、毎日これを繰り返した。
各担当の先生たちも控えていて、娘の質問にわかりやすく教えてくれた。
クラス担当の先生も調べながら解いてくれたようだ。
度忘れてしてしまった解き方とか、聞きながら思い出していた。

毎日塾に通ってよかった。
塾で勉強してよかった。
そう娘は言った。

友だちが受かってるといいなって話していたんですけど・・・。
クラス担当に小声で話す。

友だちが受けた教室では2人しか受かっていなかったので、その2人のどちらかだといいなって、と話してたんです、と。

「○○ちゃんは駄目でした・・・。」

「そうですか・・・。」

先生の目はまだ真っ赤だった。

「うん、うん。」

と頷きながら真っ赤だった。

娘のNバックにはその子からのメッセージがあった。
「もし受かったらいっしょにいこうね。」

この子がいたから娘も頑張れた。

1日も2日も3日も4日も駄目で、でもその娘がいたから頑張れた。

その子は初日に午後受験した学校に行く。


合格の裏には不合格がいる。
思い知らされた。

娘はまた泣いた。
友だちが落ちた。
また泣いた。

合格した喜びと、悲しみと、ごちゃごちゃになって泣いた。

女の先生たちがとびきりの笑顔で喜んでくれている顔と、目を真っ赤にして泣いている男三人(夫,クラス担当,室長)の顔が印象的だった。みんな本当に喜んでくれている、そう思った。







ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。

中学受験をさせたことが良かったのかどうか分かりません。
でも娘が頑張ってきたことは、娘自身もわかっているから、きっとこれから先も乗り越えていけると思います。
合格を得たから言えることなのかもしれないけど、落ちていたとしても、もう後悔はないね、と話していっぱいいっぱい泣いたから言えることなのかもしれません。

全落ちしてしまったら、きっと子どもは辛かったろうと思います。
下の子の時には絶対滑り止めを受けさせようと思いました。
たとえその学校に入学させなくても、全部落ちてしまっては駄目だと思い知らされました。

娘の場合は、滑り止めを受けなかったから最後に合格できたのかもしれません。
どっちが良かったのか本当のところはわかりませんが、

毎日塾に行かなければ合格はあり得なかった。
クラス担当が一緒に勉強してくれなければ合格はあり得なかった。
クラス担当が他の学校ではなくうちの子の受ける学校に来てくれなければ合格はあり得なかった。
最終日にクラス担当からの鉛筆とホカロンを渡されなければ合格はあり得なかった。
義父母からのFAXがなければ合格はあり得なかった。
友だちからの応援メッセージがなければ合格はあり得なかった。
同じ志望校で一緒に闘える友人がいなければ合格はあり得なかった。
娘自身が発表を見て現実を受け止めなければ合格はあり得なかった。
そのほかにもいっぱいいっぱいあります。
何ひとつ欠けても合格はあり得なかった。

本当にそう思います。

クラス担当が真っ赤に腫らした目も、室長が真っ赤に腫らした目も、父親が真っ赤に腫らした目も、娘には財産になったと思います。自分が頑張って結果を得て喜んでくれたこと、宝物だと思います。


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「ありがとう。ドラマみたいだったね。よく頑張りました。」

娘の受験は終わりました。
長い戦いでした。
本当に疲れました。
もう二度と経験したくないけど、また下の子があります。
娘より勉強ができません。
それで同じ志望校です。
一番下のクラス、8列中の3列目です。
気が遠くなるような位置にいます。
この成績では偏差値50近くの学校は無理なんじゃないかと思います。
しばらく様子見です。



2004年02月05日(木) 受験最終日

昨夜は遅くまで仕事していて、風呂に入り、洗濯をし、3時近くに眠った。
朝5時過ぎ、夫が台所にいるのがわかる。

心配で早くに起きたのだろう。

昨日のご飯の残りをラップしてキッチンに置いていた。
朝食はそれでおかゆを作ればいいや、と、ラップの上に「おかゆ」と書いておいた。

「そこにあるご飯で『おかゆ』を作ってくれるかなあ。」
「いいよ。」

夫も優しい。

5時半起床。
娘と話す。

「今日が受験の最終日です。
今日で最後です。
今日が駄目なら公立の中学校です。」

「嫌だ、絶対嫌だ。」

「それが嫌なら合格を取ってきなさい。
あなたの成績なら合格できます。
問題をよく読めば解ける問題ばかりです。
できるところを確実に取ってきなさい。」

娘もご飯を食べ、6時半に家を出る。


「誰か来てるかなあ。」
「どうかなあ・・・。でも、知らない先生でも握手してもらおうね。」
「うん・・・。もう疲れて足が痛い。気力0.0000・・・・%くらいしかないよ。」
「人の気ってあると思うよ。いっぱいもらえばいいよ。」
「うん、そうするよ。」

学校に着くと、塾の先生たちをかき分けて、娘の教室の先生が娘の名前を叫びながら目の前に現れた。
小柄なその先生は、壁のように並んでいる大柄の先生たちをかきわけて飛び出してきたのだった。
目を大きく見開いて、鼻とぽっぺを赤くして、白い息を吐きながら、精一杯の笑顔で娘の手を握る。

「これ、○○先生から預かってきたからね!」

娘のクラス担当から預かったという白い封筒を渡される。

控え室に向かう。

白い封筒の中には、今すぐ使えるように削られたN研オリジナルの鉛筆3本と、がんばれのマーク入りのN研オリジナルホッカイロがあった。ホッカイロには先生直筆で、娘の名前と「最後まで粘り強く行けば大丈夫だよ!!」と書かれていた。

「先生、粘り強くって(言葉が)好きだよね。」

と言いながら涙ぐんでいた。

娘の友だちが入ってくるのを見つけ、娘は手を振る。
母親同士で会釈する。

「○○ちゃんももらったか聞いてくる。」
「もらってないかもしれないからそういうことは聞かないよ。」
「・・・わかった。」

「公開模試ですっごくいい時ってどうしていいの?なんか違いある?」
「ふつーにやった時かな。」
「そっか。じゃ、ふつーにやりな。」

子どもたちが呼ばれ、試験会場に連れて行かれる。

昨日、友だちからメールが来ていた。
受験する同志、連絡は5日にしようね、と話していた。
だが4日夜に
「メール入れていいですか?良かったら返事ください。そうでなければ、ほっといてください。」
とあった。

その時にすぐ返信する元気がなかった。
だから今、返信。

第一志望校が3回とも駄目だったこと。
1日の学校も落ちたこと。
今、1日に落ちた学校の2次を頑張っていること。
明日の結果は娘も一緒に見にくること。
どっちに転んでも娘を褒めてやりたいこと。


夫にメールする。

封筒のこと。
どちらに転んでも娘にとっていい経験になったと思えたこと。
これからの娘が中学受験をしたことは結果として良かったんだ、と実感できる日が来れば、いいなと思う、こと。
そう思えるか思えないかは、私たちのこれからの育て方もおおいに関係あるけどね、みたいなこと。

夫から返信。

お前のいうように、今回の受験が将来よかったと思えるようにしてあげる事が一番大切。
受験が終わったら、クラス担当の先生にもお礼しにいこうと思う。
お前もおつかれさまでした。
でもまたすぐ下(息子)が待ってるけどね。


待つ時間が長いこと、長いこと。

一向に時間が進まない。

まだ3分しか経ってない。まだ5分しか経ってない。
そう思いながら時間が過ぎる。

周りを見ても、1日の時と違い、親もせっぱ詰まった表情になっている。

やっと時間になって子どもたちが出てくるところまで誘導され、区切られた番号ごとに並ぶ。

娘が出てくる。

「二科目でも取ってくれるかなあ。」
「とってくれるよ。」
「算数と国語は埋めてきたけど・・・。」

微妙・・・。

とにかくお疲れさまー。

今日は全エネルギーを使い果たすということで、夫に車で迎えに来てもらっていた。
途中でご飯を食べ家に帰る。

後は結果を待つだけ。

娘と話す。

落ちた時のこと。

「落ちたら(塾の)祝賀会に行けない。もう(塾の)友だちと会えない。算数の先生が『ひとりでも落ちたら祝賀会来ない』って言ってた。」
「そっか。じゃあどこか受かるところ受ける?今からでも願書は出せるよ。」
「いい。」
「そうだよね。滑り止めは受けないって決めたんだもんね。」

もし落ちたら近くの公立中学校に行くこと。

「登校拒否になっちゃうかもしれない。」
「それは困るなあ・・・。もともと落ちたら公立行くってことで始めた受験だもの。きちんと受け止めて中学で頑張ればいい。落ちたとしても頑張ってきたってことは無駄じゃなかったと思うよ。中学に入ってからの勉強も楽だと思う。まあ、またすぐ高校受験の塾に行かなきゃだろうけどね。」

頑張れなんて言えないよ、と言って泣いた私だったのに、頑張れって言う自分・・・。矛盾してる・・・。

「頑張るよ。公立中学校に行っても頑張る。○○ちゃんもいるし、頑張るよ。絶対学年で10番にはなってみせるよ。」

「上位の成績取って頑張れば高校も推薦してもらって行けるね。あなたみたいにスピーチコンテストで代表になったり、何か人よりできるものがある子は推薦だって強いよ。」

「じゃあいっぱいいっぱい頑張るよ。」


そして、受かった時のことも話す。

娘は学校の資料を見ながら、
「制服はダサクでもいいです。合格させてください。」
と哀願していた。

友だちから返信。

「すぐにメールしなくてごめんなさい。私たちみんなで祈っているから。○○(子の名前)は一番祈ってるから。私も祈ってるから。」

きっと私からのメールを読んでショックだったんだろう。
どういう言葉をかけていいか今まで考えたのかもしれない。

嬉しかった。

もう結果は決まってるけど、嬉しかった。



早く明日になれ、早く時間よ過ぎて。早くどっちかに決まって!!!



2004年02月04日(水) 受験第4日目

ほとんど一睡もできなかった。

明かりが消えている部屋で、目を開けたまま宙をみる。

気付くと泣いている。
涙を拭く。
鼻をかむ。

顔を洗う。
涙が流れる。
顔を洗う。
顔を拭く。
鼻をかむ。

息子の部屋を覗く。
父親に布団を取られて寝ている息子に、
「風邪をひくから布団かけて寝なさい。」
と声をかけ、布団をかけてやる。

娘の部屋へ行き、はだけた布団をかけてやる。

また布団に入るが、目は天井を見つめている。

気付くと泣いている。

それを繰り返して朝になった。

娘を起こし、娘のベッドの上で話す。

「今日が最後。今日が駄目ならこの学校には入れないかもしれない。去年は繰り上げは無いって言ってた。だから悔いのないようにね。」

「ママ、なんで泣いてるの?」

娘も泣いている。

娘を抱きしめてトントンする。

大根のみそ汁、ご飯とみそ汁と明太子で朝食。



夫は後から行くとのこと。


会場には娘のクラス担当も来ていた。
昨日の時点で、クラス担当は他の学校に行くはずだった。
娘が先生の名前のところに「4日○○学校」と書かれているのを見ていたのだった。
明日先生はそこにいくんだよ、なんて話を昨日していた。

でもクラス担当は、娘の受験する学校に来ていた。

照れくさいのか、下を向き、娘が辿り着くまで落ち着きのない様子だった。

娘のクラスでは何人かが今日も受けにくる。
だからというのもあるかもしれないんだけどさ。

娘は嫌だ嫌だと言いながら、とても嬉しそうだった。

「昨日、一緒にやったよね。しっかり文章読めば大丈夫だから。」



朝から夫の携帯に、義父から何度も心配する電話があったようだ。

「朝の様子はどうだったか。」
「大丈夫だったか。」

今日は二科目受験。
合格発表の時間が早い。

私たちが座る前の席に、かけこみ組が話している。
こんなはずじゃなかった、とか。
こんなことならここの過去問をやらせておけばよかった、とか。

難関校と書かれた偏差値表を広げて話している。

一人は願書をタクシーの中で書いたらしく、タクシーの運転手さんの子は優秀で運転手さんの言葉が辛かったとか話している。

今日は少ししか取らないのに、R4が時々越える程度のうちの子と、60近くの学校を受けられるほどの余裕の子とでは、もう結果は見えているようなもの、と落胆した。

11時前には家に着き、昨日の揚げ出し豆腐でご飯を食べる。

合格発表まで1時間くらい時間がある。

娘と二人で昼寝した。

支度して合格発表会場へ。

スライドで答えが出てくると算数の時に娘の顔が青ざめていく。
自分が書いた記憶の答えと違う答えがそこにいくつも見えたからのようだった。

受験者の算数の平均点は20点台だった。
合格者の平均点は40点台だった。
10点と20点に大きな波があり、60点くらいのところに小さな波がある。
きっと上位校を落ちてきた子たちがその上の小さなな波にいる。

「ひとつも合ってないの?」
「3つは合ってる。でも後はわからない。」

合格者の算数の最低点は22点と書かれていた。

3問正解していれば可能性はあるよ。
そうでなければ落ちてる。

その後、算数の答えが映し出される度に、カバンから算数の問題を出してぐちゃぐちゃに計算が書かれている文字を目で追い、

「わからない、わからない。」

と呟いていた。

発表の時間になる。

娘の番号はなかった。
娘の友だちの番号もなかった。

夫に電話する。
塾に連れていく。

先生と話す。
明日の試験のこともあるので、できれば遅くても7時半まででお願いしたい、と話す。
本人の進み具合もあると思うので何かあれば連絡ください、とのこと。
帰りは迎えにくるので電話してほしいとのこと。


今日は息子の新4年生としての初の塾登校日である。


娘を電車で塾まで連れて来たのに、電車で家まで帰ってまた息子を連れてまた電車に乗って塾へ、というのはキツすぎる。家と塾を電車に乗って2往復しなければならない。

夫に電話する。

私はこのまま帰るけど、息子の塾の送り迎えはお願いできないかなあ。

でも夫は、俺じゃわからないから一緒にいてくれ、という。
一緒に送り迎えするんじゃ意味がない。
同じ忙しさってことだ。

とにかく一旦家に帰る。

息子は午後練からさっき帰ったばかりだという。

電話が鳴る。

入力の仕事の依頼だった。
断りたかった。
でも「どうしても」と言われ、結局断れなかった。

明日の午前中まで、と言われたが、明日は朝5時半起きで、帰りは午後になる。

午後の納品でよければ引き受けます。

午後、出来次第・・・、ということになった。

なんだかんだ、30分もゆっくりしないうちに息子を連れて電車に乗って塾に行く。

息子の塾の時間、1時間ちょっと。
娘の時には息子を連れて一緒に時間を潰していた。
おもちゃ売場に行けば、ずうーっと怪獣で一人芝居をして遊んでくれていた。
その間、私はベンチに座って本を読んで待っていたりしたものだ。


そういえば、娘の友だちも、勉強しに塾に来るって言ってしたなあ。
明日も同じ学校を受けるんだよなあ。

昨日、娘がクレープを食べたいと言ったのを思い出した。

娘の分と友だちの分、2個買い、塾に差し入れに行った。

今日の夕飯用にと、ポテトサラダとハムのマリネを買う。
スエヒロのビッグなメンチカツサンドを買う。

平日だとケーキセットが半額というお店に行き、チョコレートシフォンケーキとミルクティを頼む。
472円なり。

時間になって駅の改札口で待ってると、息子が走ってくる。

「あれ?なんで(改札口の)中にいないの?僕を信用してないなー。」
「いや、家に帰らなかったんだ。」
「なあんだ。」

家に着くなり息子はおなかが空いたという。

ビッグなメンチカツサンドを切って食べるように伝える。

夫がハム&卵をフライパンで、朝の残りのみそ汁とで、息子が食事。


娘から電話がくるまでの時間、夫と話す。

もし明日も駄目だったら・・・。


夫はずっと駄目だったら・・・、という話をしようとしても、駄目なわけがない、と言い続けた。
そんなことありえない、と言い続けた。考えていない、と言い続けた。
その時はその時、だとも言った。

でも、駄目だったら、どういう言葉を娘にかけてやればいい?
きちんと二人で話しておく必要があるんじゃない?

私は滑り止めを受けさせなくて申し訳なかったと今になって思ってる。

夫も落ちてしまったらただ挫折感だけを抱かせてしまって申し訳ないと言い出した。

「俺、謝るよ。全部俺のエゴだったんだって謝るよ。落ちたら、いくら謝っても謝りたりない。あいつは頑張った。すごくプレッシャーもあったろうに、よく頑張った。お前もよく頑張った。ありがとう。」

そう言ってくれた。

しばらくして、
「でも、落ちてもお前は自分を責める必要は全然ないんだ。本人のせいなんだから。」だと言った。

私は、本人のせいじゃない。私の責任だ、と泣いた。

子どもが一人で学校を選ぶんじゃない。
私が学校の説明会に行って選んだんだ。
子どもは自分で選んだ気にはなるが、本当は親がそこを受けるようにし向けているだけに違いない。

それで対立して喧嘩になった。

本人は公立には行きたくないと言っている。
初めは落ちたら公立でいい、と言っていたが、今は落ちたら学校に行けないと言っている。
まだ願書を受けつけてくれるところはある。
明日ならまだいくつか残っている。

これ以上傷口を広げてどうする。
行きもしない学校を受けてどうする。

でも、受かった学校があったけど行かなかった、というのと、全部落ちて公立にきたというのと、どっちがいいのだろう。

夫は、頑なに、
「滑り止めは受けない」と決めたのだからそのままでいく。
あの子なら公立中学校へ行っても上位の成績を取れるだろう。
それでまた高校受験頑張ればいい。
そう言った。

私は泣いた。

やりたいことも我慢して頑張ってきたのに、また高校受験だから頑張れ、なんて言えないよ。
かわいそうだよ。
やりたいことさせてやりたい。
あの子は、絵を描いたり本を読んだりするのが大好きなんだよ。
ピアノもやりたいんだよ。(受験ということで数ヶ月休んでいる)
中学受験駄目だったらまた頑張れ、なんて私には言えないよ。
私には言えない・・・。



息子はその喧嘩の中で静かにご飯を食べていた。


夜7時半、娘から電話。

「まだ質問が一つ残ってるからあと少し。」
「じゃあ今から行ってもいいのかな?終わってるかな?」
「終わってると思う。」
「じゃ行くね。」

電車に乗って塾へ。
着くとまだ質問が終わっていなくて待っていた。

自宅に着いたのが8時40分。

夜9時前、家に着くと、義父母からFAXが届いていた。

あしたもう一日おちついて
ガンバッてきて下さい
ファイト!!
きびもちをたべて元気でいこう!!
じじ&あーたん

テーブルには義父母が届けてくれた「きび餅」が置いてあった。心配で来てくれたようだった。

出がけに散々喧嘩したのに、明るく「お帰り〜。」と言う夫。

娘を風呂に入らせ、ご飯を食べさせ、寝かせる。>PM10時半

夫は寝ている。



2004年02月03日(火) 受験第3日目

夫と娘と三人で学校に向かう。

学校には娘の教室の先生が3人来ていた。
以前クラス担当として娘がお世話になった先生(現在は息子がお世話になっている)、他のクラス担当の先生、国語の先生。

昨日よりたくさんの先生たちが来ていてびっくりした。
自分たちの教室の生徒がいるところに行くのかなあ。

国語の先生が、「前後の文章読めばわかるから。落ち着いて頑張ってね。」と言ってくれた。

娘の試験中、
「今日受からなければ」
「もし駄目だったら・・・。」
「いや、きっと大丈夫。」
そんな話ばかりしていた。

娘が試験会場から出てくる。

昨日より元気だ。

「算数は難しかったけど、それ以外はできた。」

と言う。

ひょっとしたら受かっているかもしれない・・・。

夫と別れ、娘を塾へ連れていく。

娘は塾で明日のための勉強。

合格発表を見に行きたいと言うので、発表30分前には学校に着くように塾に迎えに行く。

発表までの時間、テストの答えをスライドして見せるのだが、元気だった娘がどんどん沈んでいくのがわかる。
社会と理科が思ったよりできていなかったらしい。

「駄目たった?(結果)見ないで帰る?」

「ううん、見る。」

合格発表。

娘の番号はない。

夫に電話する。

家に帰って塾に電話する。

今日のテストの復習をさせる。
塾でやってきたところの説明と、やり残したところを確認し、私でも解けるような問題を探してやらせる。

もうすぐ9時。
おなか空いた〜、と息子。
かわいそうに・・・。

夕飯、揚げ出し豆腐、スナックえんどう。


夜も11時過ぎ、もう寝ないと・・・、と横になろうとすると、電話が・・・。

出ても返事がない。
なんだろう・・・。

もう一度電話が鳴る。

FAXだった。

義父母からメッセージ・・・。

明日は本番ですね
・落ち着いて
・あわてないで
・問題を良く読んで
頑張ってネ
周りのお友達もみんな心配の中で頑張っていると思います。
ジジ・アータン



2004年02月02日(月) 受験第2日目

今日は第一志望校の受験日。
集合時間の1時間前には着き待合室へ。

近くの学校なので、息子を朝練に送り出してから、夫も一緒に行く。

昨日の第二志望校の合格発表があるので、夫にはここで待っててもらい、私は第二志望校へ向かう。
時間前に着き、見るのが怖くて駅ビルでウロウロしていたら時間になってしまった。

学校近くに来ると、もう見終わって出てくる人たちがいる。
ほとんどの人たちが携帯を片手に報告している。

嬉しそうに報告する人、
駄目だった・・・と、報告する人。

今にも泣きそうに歩いている人。

鞄からそっと覗かせる合格した人たちの資料を見ながら、ああ、あの人は受かったんだ、あの人は落ちたんだ。
そう思いながらどんどん足早になってきた。

娘は「できた」と言っていた。
でも「できた」はあてにならないというのも保護者会で散々聞いてきた。

会場に向かう。

娘の番号は無かった。

会場を後にしようとして、見落としたかなあ、と引き返してまた見る。

やっぱり無い。

「ない」はず「ない」のに・・・。

なんで「ない」んだろう・・・。

学校の間違いかな。

ひょっしたら他のところに書いてあるかな。

ぐるっと見回す。

でも、そこにしか番号らしきものはない。

やっぱり・・・無いんだ・・・、落ちたんだ・・・。

夫には
「合格しても不合格でも電話しないよ。」
と言ってあった。

もし不合格だった場合・・・、不合格と連絡を入れたところで、夫は一人で悶々と、娘がテストを終えて出てくるまで待たなくてはならない。それは酷だろう。とりあえず娘の今日のテストが終わるまでは伝えないほうがいい。そう思ったからだった。

ところが学校から駅に向かう途中、夫から携帯に電話があった。

「どうだった?」

どうだった、と聞かれて答えないわけにいかない。

「落ちたよ。」
「そう・・・。」

夫は「受かっているもの」と思って電話をしてきた。

馬鹿たれが・・・。

夫は娘が試験を終えて出てくるまでの1時間、案の定、一人悶々と沈んで待っていたらしい。
座ることもできず、寒い中、会場の外でうろうろしていたらしい。


その頃の私は、娘が不合格だったことがまだ信じられずにいた。
もしかしたら学校の間違いかもしれないと、この期に及んでもまだ思っていた。

途中で「シュウマイ弁当」を3つ買い、家に向かう。

とにかく家に帰らなきゃ。
帰ってインターネットで確認しなきゃ。

娘が帰ってくる前に確認しなきゃ。
とにかく早く確認しなきゃ。

娘が帰ってくるほんの数分前に家に着き、ネットで確認するが、当然、見たところで娘の番号はない。

やっぱり、落ちたんだ。

現実なんだ。


娘が帰ってきて、とりあえず「シュウマイ弁当」を食べよう、ということになって食べていた。
みんな黙っている。
娘も「結果がどうだった?」とは聞かない。

夫に、
「もう言ったの?」

食べ終わる頃に聞くと

「何も言ってない。」

と言う。

しばらくしても夫は言う気配を見せない。

仕方がないので、
「残念だったけど、○○は落ちてました。」

と伝える。

「そう。」

と、娘・・・・・。

「先生は、落ちてたら塾に来るようにって言ってたけど行く?」
「行く。」

塾に電話する。

落ちたこと、塾に行って勉強したいと言ってること、を伝え、食事を終えて数分休んでから支度をして連れていく。

先生と話す。

今日の漢字は2問しか書けなかった、と言っていること。
過去問では書けない漢字はなかったのに書けなかった事実。
過去問でも余裕があった1日校が落ちてしまったのはどうしてなのか。

今日の結果が出るまで塾に置いてもらいたいこと。
今日の結果も駄目だった場合、娘にどう接すればいいか、など。

本人が受け止めなければならない問題なので、本人を電話口に呼び出して直接話すべきだと言われる。


合格発表の30分前、私一人で会場に行く。
スライドで答えが出るのを一生懸命書き留める。

結果が出る。

娘の番号はない。

足早に会場を後にする。

近所の学校だから同じ小学校から知り合いが何人か受けに来ている。

知っている人に会いたくない。
お願いだから誰とも会いませんように・・・。

人通りの少ないところに出て夫に電話する。

「落ちてた。」
「そう・・・。」

塾に電話する。

娘に話す。

塾に迎えに行く。

家に帰ってきてインターネットで番号を見る。

「あっ、友だちも落ちてる・・・・・。」

「明日、友だちも来るんだ・・・・・。」

「私も頑張らないと・・・・。」

「ママ、頑張るよ。」



PM8時半、塾から電話。
昨日の試験と今日の試験、一体どれくらいのレベルの子が受かっているのか、など、後で連絡してほしいと頼んでいた。

昨日の試験は年間平均偏差値44以上の子が受かっている、今日の試験は年間平均偏差値45以上の子が受かっているとのこと。うちの子の年間平均偏差値は45.5、受からないことはない、と言う。
反対に考えれば、44未満,45未満は受かっていないということだ。

明日のほうがたくさんとってくれる。
明日のほうが合格しやすいはず、と言われる。

そう、チャンスは明日なんだ。



2004年02月01日(日) 受験第1日目

行ってきましたぁ。
第二志望校へ。
なんだかすごく疲れたよ〜。
結局、昨日は8時には寝ようと思っていたのに、腹が痛くて何度もトイレに行き、胃も痛くなってしまったので、結局、映画「ラブストーリー」関連のサイトを観まくってた。日本のサイトでは飽きたらず、韓国サイトも探した。
でも、ブラウザが韓国語に対応してないから何が書いてるんだかさっぱり・・・。
ムービーを何度も観てた。
例えば
http://www.mattube.com/cf/episode03.asf
とか。
結局、寝たのは11時頃。朝5時過ぎに起きる。

ご飯と海苔となめこの味噌汁。
ニュースを観ながらのんびり食べている娘に夫は言う。

「大物だなあ、こんな時にもマイペースで。ぜんっぜんっ緊張してないだろ。」
「うん。」

昨日、言ったばかりなのだ。
「緊張」の二文字を言わないでくれ、と。
私が緊張するから・・・、と。
でも、それはむなしく崩れ去る・・・。

「その二文字は禁句だって。」
「いいじゃんなあ。緊張してないんだから。」

だから、そうじゃないだろーーー!!!

私のバクバクし始めた心臓は更に高鳴り、胸の皮膚を突き破って出てきちゃうんじゃないかと思った。

娘が着替えている間に
「私が緊張するから言わないでって言ったじゃない。ホント、頼むよ。昨日から腹は痛いわ胃は痛いわ、もうピークに達してるっつー。」
「いいよ、洗い物するから置いといて。」
「普段と同じことしてないと緊張して吐きそうだからやる。」
と、続ける。

夫はわかったみたいでもう何も言わなかった。


6時半には駅へ。
受験生が6人くらいいて、見知らぬ人も挨拶してくれた。

開門より早く着いたので控え室で待つこと15分。
先生や友だちが書いてくれた応援メッセージを眺めたりしていた。

「こんなに緊張しなくていいのかなあ。少しは緊張しないとだよね〜。緊張、緊張、緊張。」
「無理して緊張しなくていいんじゃないの?」

こっちが緊張するんだっつー。
ホント、羨ましいよ、こういう性格っ。
私なんて高校の受験で問題用紙前にしてペンを持つ手が震えたのになあ。

大まかな番号順で子どもたちだけぞろぞろと試験場へ。
校門近くは塾の先生たちで団子状態だったので、これじゃあ握手できないよなあ、精神的に大丈夫かなあ、と思っていたけど、案の定、握手できなかったようで・・・。

同じ教室に友だちもいたらしく、休憩時間にトイレでまた別の友だちと会い、結局、塾で同じクラスの仲のいい友だち2人に会えたようで嬉しかったみたい。
明日も会うかもしれないんだよねえ。

会えたということは、番号も近かったんだね、と。
親同士、出願時間頃に同じ空間にいたんだなあ、と。

終わり近くの1時間前に駅に行って帰りの切符を買い、駅ビルでいろいろウィンドウショッピング。
SK-2を眺めながら、テスターでいろいろ遊び、14,000円、たっけー(高い)と思いつつ、いつか絶対買うんだ、と誓うのである。だってテスターでつけてみても全然違うんだもんっ。

終了時間少し前に戻り、娘が出てくるのを待つ。

「お疲れ〜。」
「疲れた〜。出し切った。すっごいおなか空いた。途中でキットカット(昨日、頑張れ、と、金管バンドの先生からもらった)を食べようと思ったら入ってなかった。」
「えっ?入れたって言ってたじゃん。」
「入れたつもりだったんだけど、入れてなかったみたい。」
「そのショックで舞い上がってテストができなかったとか?」
「いや、それはない。ああ、ない、ってそれだけ。」
「じゃ、いいじゃん。明日持っていけば。」
「そうだね。」

家に帰ると、部屋はぐっちゃぐっちゃで、怒りまくり。
息子に怒りまくり、娘に怒りまくり。

ここで夫に怒りをぶつけると喧嘩になるので、子どもたちにぶつけると、夫は静かに自分が寝ていた布団をたたみ&押入にしまい、掃除機をかけていた。

片づけ、洗濯、皿を洗い、掃除機をかけ、娘と私の昼食(うどん)を作り、ネギと生卵、(昨日作った)煮豚、わかめを乗せ、テレビ(ものまね番組)を観ながら食べる。

5時半に朝食を食べてから、9時間ぶりの食事となった。
すっごい疲れた。

家にずっと居たんだからさ〜、せめて散らかさないでいてよ、と言いたい。いや、言いたいことは山ほどあるが、ぐっとこらえていた。今、喧嘩しても疲れるし。きっと夫は夫なりに緊張で普段通りにだらだらしていないと気が済まなかったのだろう。パソコンでずっとゲームしてたみたいだし。

友だちが貸してくれた「Dr.コトー診療所」の漫画を読むようにすすめ、私と子どもたちは「8時だよ!全員集合」のDVDを観ていた。やっぱり原点はここにあるんだよなあ。ナイナイとかの番組のタライが落ちてくるやつとかさあ。

子どもたちもゲラゲラ笑っていた。

それを観ながら息子の体操着袋のホツレを縫い、
「裁縫の苦手がママがあなたのためにこうやって縫ってるんだからね〜。ママの愛情の証ねえ。」
と言うと、
「裁縫の苦手なママが縫ってくれてるんだから感謝しないとねえ。」
と娘。
「自分で言うのはよくても人から言われるとムカツクんだけど。」
「あはは。」
うむ。

「そりゃあ、中学で5段階中、2だったけどねえ。主婦って大変ねえ。苦手でもやらなきゃならいなんだもの。ママってエライわねえ。」
と、自分で自分を褒める。
娘は笑っている。

それから、2回目の洗濯して〜、トイレ掃除して〜。

その間に息子は勉強をして、娘は1時間くらい寝る。

義父母が6時前に遊びに来てくれて〜。

明日の第一志望校合格のために、勝烈庵の「とんかつ」を買ってきてくれたのだった。

ほらねえ、よかったでしょ。掃除しておいて。
いや、実は昨日の夜に買ってくれるって話だったけど、本番の前日がいいって今日にしてもらったんだ。

義父母が買ってきてくれた「とんかつ」と「おぼろ豆腐」、昨日作った「煮豚」、「ほうれんそうサラダ」「きのこと水菜のスープ」でご飯を食べた。いっつも思うんだけど、食卓に座るのってみんなが食べ終わる頃なのよねえ。作って洗い物してだと・・・。

義父母が持ってきてくれた「イチゴ」も食べたい、と、娘が言うので、自分でやるように伝える。
「大丈夫なのか?」
と夫。
「大丈夫だよ、学校でだって料理してるんだよぉ。この前だってお弁当作って持って帰ってきたんだもの。洗うくらいなんてことないじゃんねえ。(娘に)」
「うん。」

ホントに、どこまで私がやらなきゃならないんだか。
やれることはどんどん子どもにやらせればいいのよ。

それから子どもたちに風呂入るように言い、食器片づけて洗い物して〜、洗っておいた子ども二人分の給食当番のかっぽう着のアイロンがけをする。

アイロンがけが家事の中で一番嫌いで、できることならやりたくはないんだけど、仕方ない。これだけはやらざるをえない。

本当にお疲れさまだった一日です。

10時には家の中は静まりかえり、一人こうやってキーを叩いている。
これからゆっくりお風呂につかって寝ようかな。

そうそう、娘の試験中、控え室で「壬生義士伝」を読んでいたんだけど・・・。
もう終わりのほうなんだけど、涙があとからあとからあふれてきて、人目もはばからず読みながら泣いていた。
喜一郎がお母さんに語る場面、なんとも言えません。
そして、佐助さん、映画と本と感じが違うんだもん。なぜなぜ〜?
斉藤一は20歳ちょいのはずなのに佐藤浩市さんがやったしねえ。
まあいろいろあるけど、面白いからいっかー。


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