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Re: 源さんと世界真光組み手さんへ Follow: 5658 / Prev: 5592 / No: 5645 [返信][削除]
投稿者:彦 03/04/01 Tue 01:20:23 私は昔組み手でした。初級研修を受講したのは今から26年前。受講する前の、子供の時にも(昭和47年)父に連れられて武道館で行われた秋季大祭に参加し、間近で初祖の姿を体験しています。
でも、いまは組み手ではありません。一言では申せませんが、教団を取り巻く人間関係のゴタゴタに愛想尽きたからです。
教義の批判は書いても感情的になって聞いてもらえないでしょうから書きません。だが、一つだけ言わせてください。
> 死んだ後の事がわかるから、真光組み手になることが大切だと信じれるん >ですけどね。死んだ人が幽界通信で死後の世界の事を語ってくれるからだよ。 > その例として・・ > 「この神様は素晴らしいから絶対真光をやめないでくれ」 > 「わしは生きてる時は真光を全く信じてなかったけど、今死んでみて、組み手の > 言う事が本当だったとわかったよ。わしは否定して後悔してる」 > > ↑このような言葉が幽界通信で通告してきたんだよ。
私の通っていた道場でも同じようなことはありました。また、私も手かざしを通していろいろな体験があります。もちろん、手かざしの奇跡も知っております。手かざしでの奇跡も知っております。でも、この霊界通信(お浄め中の浮霊のことでしょう)を私は素直に信じません。
なぜなら、私には霊能力がないのでこの浮霊して話している方が本当に亡くなった方が話しているのか、確かめられないからです。故人をずっと見ていた動物霊が本人になりすまして語っていたとしても、普通の人間である組み手には判別不可能じゃないですか。
私が頻繁に通っていた頃、「霊に興味を持ってはいけない」「霊のしゃべることは信じてはいけない」と何度もいわれました。だが、真光を批判する掲示板をいろいろ読む限り、現在はそんな指導はなくなったみたいですね。これは非常に危険です。実際、上野道場で分裂騒ぎがあったときも、霊の話す事を信じて動いていたからです。
私は縁があってある著名な霊能力者と知り合ったのですが、その方は守護霊を瞬時に見抜く力があります。「あなたを守っている人は2代前の方で名前は○○さんです」というように具体的に、そしてその霊能者に話してもいない先祖の名前を語り、生前の容姿や性格なども正確に説明します。その方が言うには、守護霊を侍だとか歴史上の人物だとかいう霊能者は偽物だ、といいます。ほとんどの方は自分と縁があった数代前の先祖が守ってくれているそうです。そして、本当の霊能力があるなら、霊の名前とか生前の容姿とか性格までもわかるといいます。ちなみにその方に真光のことを尋ねても、あまり良いことは話しませんでした。
話が脱線しましたが、真光の最大の問題は、霊能力のない人たちが浮霊した人を霊査することです。本物の先祖なのか動物霊なのか見分ける能力もない人たちが、霊と会話し判断していくことは非常に危険です。
これでは、教団が霊そのものに操られていくだけです。霊媒信仰と批判されても反論できないと思います。
天変地異がやってくる、という言葉も今では虚しく思います。
私は信仰は持ち続けます。それは特定の教団に所属するのではなく、神仏に対して畏敬の念を持ち続けるという意味においての信仰です。
あれだけ本物だ、と信じていた真光の、最近のことを知るにつけ悲しくなります。神仏は存在しても、宗教団体は所詮、人間の集まる集団であり、さまざまなエゴがあり対立するだけです。
-------------------------------------------------------------------------------- 源信さんへ Follow: 5662 / Prev: 5658 / No: 5661 [返信][削除]
投稿者:彦 03/04/04 Fri 03:02:52
お返事ありがとう。
> それから本スレでも以前にかきこしましたが、霊能力者は凡人よりも少し多くが > 見えるのですが、逆に自分が見えていることが全てだと過信してしまうところが > 最大のウイークポイントになっているようです。(某霊能力者の名言) > 彼らの発言は断定的ですが、参考程度に聞いておく位で丁度良いでしょう。
私の知り合いの霊能者は正式の僧籍を持つ人で、とても謙虚な方です。一度美術館に仏像を見に行ったときがあったのですが、さすがに仏像については専門家でその詳しい説明とその真摯な姿勢に、気がつくと会場中の人がその人を中心に大きな輪をつくっていました。人を引きつける魅力に溢れた方です。そして断片的な物事はいいません。わかることははっきり言うけれど、わからないことははっきりわからないといいます。
開眼供養した数珠か否かを瞬時に見抜き、仏像やご神体の波動を感じる能力をもった方が真光のことをよく思わないのはどうしてなんでしょうか?もし真光が本物なら、多くの霊能者が褒め称えるのではないでしょうか?
源信さんのレスを読んで思ったのですが、源さんのほうが断片的なものの捉え方をされているように思いました。
> ようは霊が離脱して永年の不幸現象が解消するか否かという点で自ら判断 >するしかないように思います。
これは単に本人が思いこむだけで、本物かどうかの証明にはならないですよね。
私がいいたいのは、霊が見えない人間が霊のせいだとか安易にものごとを決め付けてしまっていいものか、ということなんです。初代教祖が在命時ならともかく、いまの真光には霊をはっきり見分けられる能力のある人は皆無でしょう。崇教にも文明にもいないんですよ。双方どちらの2代目もその能力はないはずです。なぜなら月始祭の教示でよくわかります。
> 初級研修でも、「自分と縁があった数代前の先祖が守ってくれている」 >という事に近い内容だったと思います。
私はおそらく源さんより古い組み手で教団の書籍を読んだ量では勝っていると思います。昭和40年代の書籍も読んでいます。なぜなら大学生の時、週1回夜間何かあったときのために道場に泊まり込みをしていました。そのときにいつも道場にあった本を読んでいたからです。昭和50年代はまだまだ初代が存命中の本がすぐに読めたのです。
数代前というだけで、実際は浮霊した霊が話さないと、何代前かも、その誰かもわからないわけでしょ。守護霊は先祖だけとは限りませんよ。先祖と縁があった友人が守護霊になることもあるし、全く違う他人がなる場合もある。
> 私の場合は入信の10年以上前からの持病がいくつも解消したので、 >Aの方だったと判断しました。
病気が治る宗教は真光以外にもあります。奇跡が起きたからといってそれで真実の教えというわけではないのです。それに第一、病気が治ることと霊がしゃべることが本当かどうかは別問題です。
私が組み手だったとき、ある道場とお清め所が中心になって分裂が起きました。そのとき分裂した方(あえてその教団名は書きませんが、いまでも真光系として存在します)の組み手が道場でお浄めをしていると、初代の岡田光玉氏の霊が泣きながら浮霊したのです。そして
「崇教は間違った方向に進んでしまっている。私は神界にはいけず幽界で苦しんでいる」
といいました。(実話です) ようするに普通の人と同じ幽界にしか行けなかったということを話したのです。
その分裂した方でも手かざしで霊は出てくるし、真光と同じ手かざしの力があったようです。
おそらく源さんは「その霊は初代とは違う霊だ」と思うことでしょう。その霊が泣きながら語った内容が本当だったら、その時点で真光は崩壊するから。その霊が本物なのか偽物なのかも、証明できないのです。
源さんの
> 私の場合は入信の10年以上前からの持病がいくつも解消したので、 >Aの方だったと判断しました。
この論理を使うならば、この霊が岡田氏と判断することもできます。実際、分裂した方の手かざしも同じような奇跡があるのですから。
真光をはなれてもう20年近く経ちますが、現在の真光は私が一番熱心に活動していた昭和50年代よりも、教団が歪んでしまったようです。
岡田光玉(救い主)氏が「くれぐれも自分が死んだ後、自分を神のように祭ることだけはやめてほしい。人物崇拝は絶対ダメだ。神さまだけを祭りなさい」と話していたのに、崇教はその後、道場に写真を飾り参拝の時に拝むようになったではないですか。挙げ句の果て、世界総本山ができた後、高山に救い主を記念する館もつくってしまった。
分裂した方に浮霊した霊が話したことは、崇教が初代の言葉を忘れて祭り上げていることを考えると、本当のことかもしれません。
私はマスコミに勤めていて、オウムの取材をしたことがあります。
上九一色村では信者と話をして議論もしました。批判に一切耳を貸さない態度、自分たちが絶対だと思う姿勢、すべてを自分たちの都合よくとらえる姿は、現在の真光と似ています。
信仰から離れないとそれがわからないのです。何を書いても源さんは信じないでしょう。だが、信仰は個人の自由なので信じる信じないは源さん個人の問題です。
私が一番真光にいいたいのは、天変地異が起きるから、といって大学進学や仕事を辞め信仰にのめり込んでいった人たちを教団はどう考えているのか、ということです。ローマカトリックが偉大なのは、過去の過ちをバチカンが自ら謝罪するからです。
あれだけ20世紀末に天変地異が起きて日本人は1割も残らないといっていたじゃないですか。
余計なことを一つだけ書かせてください。
>私の知人の精神科医は催眠術もかけれますが、シーちゃんのような思い込み >はしていなかったようです。 ふー。
たとえ、議論が白熱しても、相手の感情を損ねるようなこと相手の人格を攻撃することを書いてはいけません。ディベートにおいて相手の人格を攻撃した方が負け、ということがいわれています。
どんなに腹がたっても
>ふー
など、書いたら、真光の組み手はやっぱりすぐ感情的になる、とすべての人が思うことでしょう。
確かにここの掲示板は真光に対して否定的なのですから、あなたが攻撃されるのはしかたがありません。あなたを詐欺師呼ばわりするのもちょっと行き過ぎだと思うし、あなたが怒るのも無理はありません。
だが、どんなにひどい言葉をぶつけられてもそれでムキになった時点であなたの信仰はそんなものだ、とこの掲示板を読んでいる人は判断するのです。
信仰を持つ者は謙虚になるべきです。真光を離れた今でも「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という真光が好んで教団誌に書いた言葉をいまも私は真実だと思っているのです。
いささか書き過ぎました。お詫びします。
-------------------------------------------------------------------------------- そうかなさんへ Follow: 5667 / Prev: 5662 / No: 5666 [返信][削除]
投稿者:彦 03/04/05 Sat 01:21:14 御指摘していただいたことには一理あります。
だが、
>宛ら、霊能者と云う特殊能力者は、権威と人格的評価を具わらなければ >霊能者であることを認めないと云う主張に聞こえます。 >霊能者と人格性はどう関わりがあるのかと云う点、
御指摘されたことですが、ちょっと私の言いたかったこととずれがあります。
>逆に自分が見えていることが全てだと過信してしまうところが > 最大のウイークポイントになっているようです。
というウイークポイントがその方にはなく、むしろ過信と反対で謙虚な人だ、ということを言いたかっただけです。
>知識としての謙虚さが >ない”、と指摘してるに過ぎないわけです。
私は霊の存在を否定していません。知識としての謙虚さという理屈っぽい言葉で考えたことはありませんが…。。
>わたしが考える「謙虚」とは、宗教としておのれが主張していること、もしくは >信仰の根拠が、知識としての根拠ではなく、単なる思い込みであることを素直に >認める姿です。
私がいう謙虚さとは素直に反対意見に耳を傾け、もう一度自分の信じているものが本当に正しいのか考えて欲しい、ということです。知識の根拠とかそんな難しいことは一切考えていません。
いずれにせよ、それよりも、私が霊能者のことを書いたためこの掲示板本筋が横筋に外れる様になりうな危険があるので、私は発言を控えます。
真光への疑問を書いても、霊のことを書けば同罪として徹底的に攻撃される掲示板のようですから、私はこの掲示板の最初に書いてあった「何でも書いてください」という言葉に騙されました。
信者を嵌める欲望の神々(1) No: 5528 [返信][削除]
投稿者: 03/03/22 Sat 21:23:21 「信者を嵌める欲望の神々:新興宗教を告発する」田中一京著 青年書館1989.11
『崇教真光』(92-98頁):身体に取り憑いてる霊を手かざしによって取り除き病気も治ると言われたが、まったく効果がなかった
崇教真光を信仰する若い信者の中には、手かざしによる病気治しに疑問を抱き、更には霊魂や動物の憑依霊などを恐れながら信心を続け、悩みぬいた末に自分では結論が出せずに相談に訪れる人が意外に多い。まず埼玉県大宮市の元スナック経営者S.Aさん(34歳)の話を聞こう。 『私は3年前交通事故に遭い、それからずっと頭痛に悩まされ苦しんでいたとき、崇教真光の信者であるKさん(29歳・女性)に病気を治してあげますと言われ、数回私の家へ来ていただいて手かざしを受けました。それから二、三度同じことを繰り返した後、Kさんの家へ遊びに行ったとき説明会(真光説明会)を聞きに行きましょうと熱心に誘われ、Kさんが通っているという東京・六本木にある道場へ連れて行かれ、そのまま一万五千円払って入信しました。 私は入信するまでかかりつけの医者に薬をもらいその薬を飲んでいたのですが、真光では「薬は身体によくない。害になるだけだからすぐやめなさい。熱心に信心すれば薬など使わなくても病気は必ずよくなります」と言われ、私は教えられたとおり、医者からもらってくる薬をまったく飲まずに、真光でいただいた“おみ霊”をいつも大事に胸にかけてお祈りしていたのですが、頭痛は一向に治りません。 最近では頭痛がさらにひどくなり、痛みがあるときは目までかすみ、頭が割れそうになって我慢できなくなることがあります。このままではすごく不安ですし心配でたまりません。 今では真光の教えに背くのですが、頭が痛くてたまらなくなった時には内緒で医者からもらった薬をときどき飲んでいます。そうすると頭痛も和らぎ楽になりますが、私の気持ちとしては真光を信心していながらその教えを破っていますので、そのことが気になって仕方がありません。手かざしをするだけで本当に病気が治ると言われたことに疑問を持っておりますし、その疑問がだんだん強くなっています。 もちろん、信者の人に相談すれば、薬は絶対使ってはいけない、信心すれば治ると言われることはわかっています。でも、自分でどうすればいいのか今、迷っています』
-------------------------------------------------------------------------------- 信者を嵌める欲望の神々(2) No: 5529 [返信][削除]
投稿者: 03/03/22 Sat 21:24:28 (続き) また、元信者であった東京都板橋区の菊池さん(32歳・男性)は次のように語っている。『私が五年ほど信じていた崇教真光をやめたのは、ある日突然原因不明の足痛に襲われ、40度近い熱が三日も四日も続きました。他の信者の方は「それは霊障に違いない。だから病院で治療を受けても治らない。身体の中に悪い毒が蓄積されているから、その毒を浄霊して治さなければ命取りになる」と言って、それは熱心に手かざしをしてくれました。 私もそうした仲間の信者さんの期待に応えようと、原因不明で動かなくなった足の痛みを我慢し病院にも行かず、ただひたすら信心に没頭する毎日でした。ところが痛みが治るどころが、身を切り裂かれるような激痛と高熱が続き、とうとうまったく動けない状態になり担架でやっと病院へ運び込まれました。 病院で検査を受けた結果、白血球が異常に増え、どこかに炎症を起こしている」といわれ、脊椎に痛み止めの注射を打ったり熱さましの注射を打つやら、私の気がつかない間に医者と家族が心配して大騒ぎしたようです。 医者の懸命な治療によって、動かなくなった足も次第に動くようになり、やっと退院することができました。そのときほど医者の治療を心からありがたいと思ったことはありません。あとで女房が私に言うには「もう少し治療するのが遅れていたら熱による脳障害が起きていたかもしれなかったし、神経をやられ動けなくなったかもしれない」と言われたそうです。 私はそれを機会に真光をやめました。その後は足も順調で、今ではまったく痛みもありませんし、妻共々よかったと喜んでいます。私の経験から、やはり病気のときは早目に医者に見せるべきだと思いますし、ただ手かざしをするだけで絶対に病気は治らないと思います。今考えると医者や医療行為を拒否していた自分が浅はかだったと思います』
-------------------------------------------------------------------------------- 信者を嵌める欲望の神々(3) No: 5530 [返信][削除]
投稿者: 03/03/22 Sat 21:25:07 (続き) 次は東京都町田市のMさん(22歳・女性)の話である。 『私は崇教真光に入信したばかりなのですが、古い信者の人から、「真光の業を受ける者は絶対に霊魂に興味を持ってはいけない。素人が霊に興味を持てば命取りになるほど危険なことだ」と教えられましたが、本当にそんなに危険なことが起きるのでしょうか。それに霊魂が私達人間の心や体をすべて支配しているといわれますが、それは本当でしょうか。 私は、入信するずっと以前から霊魂の存在を信じていましたし、そのことで何か悪いことでも起きるのではないかと思うと心配でなりません。それにいろんな本で崇教真光のことが取り上げられていますが、手かざしをしてお祈りするだけで霊魂を鎮めることができるのでしょうか』と、霊の祟りを恐れている。
-------------------------------------------------------------------------------- 信者を嵌める欲望の神々(4) Follow: 5534 / No: 5531 [返信][削除]
投稿者: 03/03/22 Sat 21:30:35 (続き) そこで、実際に崇教真光の道場で霊視を受け除霊を体験した千葉県船橋市の菅井さん(27歳・女性)の体験談を紹介してみよう。 『私が崇教真光を知ったのは、知人である信者のAさん(30歳・女性)から、私が体調を崩していたとき「あなたには先祖の霊やいろんな動物の霊が憑いているんじゃないかと思いますよ。多分間違いないし一度動物の霊に取り憑かれた人がどんな状態になるのか見せてあげましょうか」と誘われ、私は気持が悪くなり、そのAさんと一緒に東京・世田谷にある道場といわれるところへ行きました。 そこはごく普通の二階建ての住宅で、私はその家の二階に通されました。部屋は20畳敷くらいの広さがある和室で、部屋の中央には祭壇が祀られていて、これはあとで教えられたのですが天地創造の神「御親元主真光大御神」という神様が祀られているのだと言っていましたが、部屋の中の雰囲気はいかにも厳粛な感じでした。 私が部屋に入ったときすでに30歳前後の女の人が二人来ていて、私と一緒に来たAさんが「真光の業がどんなものかあなたの目でよく確かめて下さい。すごく不思議な現象が起こりますから」と耳打ちしてくれました。その女の人達は入信したばかりの人だとのことでした。 そして、しばらく待っていると40歳前後の道場長という男の人が入ってきて、正面の祭壇の前に座りました。すると待っていた女性の一人がその道場長さんの前に向かい合って座り、二人は顎の前あたりでお互いに手を合わせ目をつぶると、道場長さんがお祈りを始めました。 そして、そのお祈りが終わると女の人はそのままの姿勢でしたが、道場長さんは女の人から30cmくらい離れたところで右手を額の前へ突き出し手かざしを始めました。それから約2,3分経過したときでしょうか、突然その女性が両手を頭上に高々と上げ、目は閉じたままの状態で体を前後左右に激しく揺すりはじめたのです。 そのときAさんが「あの女性には猫の動物霊と先祖の霊が憑いているの。あの上げた手は猫が手招きしているようでしょう。今、それをお浄めしてあげているんです」と教えてくれたのです。なるほどそう言われてみると猫が手招きしているように見えました。 私が、そっともう一人の女の人に目を移すと、その現象を見てなるほどというように、何度も何度もうなずきながらじっと目を凝らして見ていました。それからすぐその女の人が突然同じように体を動かしはじめました。そして5分か10分たったころと思います。道場長さんが手をかざしたまま「オシズマリ、オシズマリ」と女の人に声をかけました。するとあれだけ激しく体を動かしていたのに、その動きが止まったのです。 それが終わって今度は私の番になり、道場長さんの前に座って私も先ほどの女の人と同じように手を合わせました。すると道場長さんが「極微実相玄幻子界、高天原に……」と祈り始めました。このお祈りは「天津祈言」というようですが、そのお祈りが終わると今度は立ち上がって、私の背部に回りじっと手をかざしはじめました。 それから10分たっても20分たっても私には何も変化が現れてきません。そして30分が過ぎたころ「オシズマリ」の声が聞こえ手かざしを終えましたが、その道場長さんは私にこう言いました。 「あなたに憑依している霊は二体の人間の霊です。一体は先祖の霊で、もう一体はまったく別人の霊です。軍服のような物を着ているのがぼんやり見えますが、それが今のところ誰の霊なのか、あなたに何を訴えたいのかはっきりしません。ただ強い霊であることは確かなので、もう一度日を変えて、あなたに憑いている二体の霊を呼び出してみようと思いますが、それには7日間必要です。来られますか?」 というのです。私はこの際、徹底して除霊を受けてみようと思い、その日は3000円だけお礼を包み帰りましたが、翌日から7日間ぶっ続けで除霊をしてもらいました。でも、結果は同じでした。一週間の除霊が終わって道場長さんは私にこう言うのです。 「あなたに憑いている霊は邪霊ではありません。ただ、あなたの場合、生霊が強すぎて、憑いている霊が表に出てこない。あなたには巨大な狼の霊が憑いており、その霊が守ってくれていますから心配ありません」 結局、私の場合、霊動現象も起きず除霊もあやふやな状態で終わったのです。 崇教真光では、あらゆる現象の源は霊にある。霊魂の世界があってその霊魂が人間の心や肉体に対して大きな影響を与えるといって“おみ霊”を受ければ手の平から霊光が出て人を救うことができると教えられているようですが、私の体験からはっきり言わせてもらえば、先祖の霊や憑依霊などは、生霊といわれる人間の生命力を左右するものではないと思うし、それを恐れる必要はないと思います』
手かざし治療に賠償命令 (01/9/29)
「ハンドパワーで病気を治す」と言うふれ込みで多額の治療費をかき集めた「泰道」の元会員が損害賠償を求めた裁判で、長崎地裁は原告の主張を認めた。裁判長は、「会長を超能力者などと同視するもので、証明されない以上認められない」と断じた。 控訴審でも、「泰道」(解散)は敗訴しました(02/2/16)
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/ 200209/11/20020911k0000e040044001c.html
2002年09月11日
損賠訴訟: 手かざし「泰道」に6550万円賠償命令 福岡地裁
-------------------------------------------------------------------------------- 「手かざし」で病気が治るとして多額の金を集めた団体「健康を守る会・泰道」=本部・佐賀県、解散=の元会員37人が、元幹部らに約7320万円の損害賠償を求めた訴訟で、福岡地裁の小山邦和裁判長は11日、開俊久元会長(55)ら9人と泰道傘下の宗教法人「宝珠宗宝珠会」など9団体に、計約6550万円の支払いを命じた。泰道の責任を問う三つの訴訟の1審で元会員側勝訴の判決が出そろった。泰道側は控訴する方針。
判決で小山裁判長は、手かざしの効果を「実在するものとは認めがたい」と否定、勧誘・集金システムについても「明らかに社会的相当性を逸脱し違法」と指摘した。同種訴訟の佐賀地裁判決で認められた慰謝料支払いは認めなかった。
元会員側は「組織的な違法性が詳細に認定され、ほぼ満足できる」と述べ、泰道側の代理人弁護士は「集金手段が違法とされ不満」と話した。
同様の訴訟では長崎地裁(昨年9月)と佐賀地裁(今年2月)が泰道側に賠償を命じる判決を言い渡した。長崎訴訟では双方が、佐賀訴訟では泰道側が控訴している。 【青島顕】
[毎日新聞9月11日] ( 2002-09-11-12:39 )
「お光さん」 <> 23 Nov 2002 14:34:41
「お光さま」は俗称で、正式な教団名は「世界救世教」である。 教祖の岡田茂吉は大本教の信者で支部長にまでなったが、自己の霊力に自信を持ち、 岡田式指圧療法をひろめはじめた。ところが翌年、医師違反に問われたため活動名を 改称して再出発したものの、昭和十五年には再び医師法違反に問われてしまった。
終戦を終え、「掌からでる霊波ですべての病気を癒す宗教」と評判となり、医薬品が 極度にとぼしかった時代を背景に多くの人々をひきつけたのであった。彼は病気治療に 薬を用いる近代医学を否定した。霊の曇りの本質は薬毒にある。薬毒には祖先からうけついだ
先天性薬毒と、生まれてから体内に入れた後天的薬毒とがあるが、病気になって、 もともと毒である薬をこの原理を知らないで用いると、一時的には快方にむかっても、 毒が体内に蓄積されるだけであってますます病気を重くする原因になるのだと説く。 病気になれば「浄霊法」を行って、体内の薬毒をとりのぞけば霊の曇りがのぞかれ、 霊主体属の原則で体力が増進するというのが、彼の病気癒しの方法である。
この薬毒論は終戦時の疾病に悩む大衆をひきつけたが、反面、 医師による診療を拒否したための過失致死が問題となり、ジャーナリストの 激しい非難となってあらわれた。
催眠誘導法 パス法 No: 3919 [返信][削除]
投稿者: 03/01/07 Tue 12:47:57 「図解雑学 催眠」(武藤安隆著 ナツメ社)140頁より
手の動きと暗示を組み合わせた誘導法とは? パス法 ●手の温かさを利用した催眠誘導法 メスメリスト達は患者に動物磁気を送るのに、磁気の入ったバケットや瓶とは別に自分の手を使っていた。彼らは自分の体に貯えられている磁気を手を通して患者に与えることができると信じていたのだ。具体的には手のひらを患者の体に向けた状態で体に沿って上から下に降ろしたり、直接体に触れて撫で降ろしたりした。これがパス法*1である。動物磁気の存在こそ否定されたものの、パス法自体は現在でも誘導法として使われることがある。 パス法が誘導法になり得るのは、二つの理由がある。一つには注意集中の状態を引き起こすからだ。被催眠者は催眠者の手や、その手が触れている(あるいは近づいている)自分自身の体の部分に注意を向けるようになる。この注意が集中した状態*2は外部のほかの刺激から遮断された状態でもある。こういうときに暗示を与えられると心の中にすっと入っていくものだ。 二つめの理由は催眠者の手のぬくもりが被催眠者の体に伝わるということである。たいがいの人は手を触れられたり近づけられたりすると温かさを感じるものだ。その温かさが自然と眠気を誘うのである。ごくあたりまえの生理現象を利用して誘導するということだ。 直接被催眠者の体に手を触れるときは、強く押しつけるのではなく軽く触れる程度にする。体に触れないで行なうときは、体から数センチ離れた位置に手を置く。どちらの場合も、頭、肩、腕というように上からゆっくりと手を降ろしていく。これを数回繰り返しながら同時に暗示を与えていく。「ゆったりとする」「体が温かい」「ぽかぽかとしたいい気持ちだ」「眠くなる」などの暗示をささやくような静かな声で繰り返す。こうして手の動きと暗示の組み合わせによって、被催眠者はしだいに催眠状態に誘われていくのだ。 *1按手法、通手法とも言う。 *2被催眠者が自分の体に注意を集中している状態では、催眠者が与える暗示に対して無批判になるので暗示が受け入れやすくなるのである。
(コメント) 真光の業と比較すると「注意集中の状態を引き起こす」「ごくあたりまえの生理現象を利用」の部分が興味深い。 組み手は「8番(みけん)のおきよめのとき、真光は何も暗示しない」というかもしれない。しかし真光は、8番のおきよめをはじめるまえに「もしも体がうごいたりしても無理に止めようとしないでください」と断るのである。これは「みけんにおきよめを受けると体がうごくことがある」と刷り込んでいるといえまいか。陽光ライフにも霊動の説明はある。道場参拝すれば体験者がおきよめを受ける前に浮霊している人をみることもありうる。8番受光前に下地が作られていると考えてもよいのではないか。
ヒプノシスへの期待と誤解 Follow: 3373 / No: 3370 [返信][削除]
投稿者: 02/12/24 Tue 11:25:53 http://plaza11.mbn.or.jp/~ffadsync/misunderstandings.htm ヒプノシスへの期待と誤解 より
「催眠」と聞くと、催眠術のショーや、映画、小説での催眠の場面が思いうかぶと思います。 意識が無くなり、催眠術師に操られて、何でもやらされてしまうといったイメージです。
催眠に入っている人は、意識が無い様に見えますが、実際には、しっかりと意識があります。リラックスするように誘導されて、体の力が抜けて、ぐったりとしているので、意識不明の様に見えているだけなんです。常に主導権は、クライアント本人にあり、自分が何をしているのかを認識しています。犯罪や自分を傷つける行為など、本人が同意出来ない指示には、拒否するか、瞬時に催眠から覚めます。
催眠は、睡眠、昏睡、失神では有りません。また、誰かにコントロールされたり、強制されたりといった事もありません。勿論、魔法や超能力でもありません。
ショーの中で、「あなたは犬になる。」と指示されて、吠えて走り回るのは、本人が同意出来る範囲の行動なんです。そして、頭の中では、「何でそんな事するの? するわけないじゃない。」と始めは思っています。(本人は、しっかりとした自覚意識があります。端から見ていると、力が抜けてぐったりとしている様に見えるので、意識が無い様に見えます。)それが次第に、「何だかやりたくなってきたな。」と思い始めます。更に、「よくわからないけれど、何だかやりたくてしょうがないな ・・・・。 なんでかな? やっちゃおー。」という事になります。
この様に、催眠中でも意識は、はっきりとしています。終わった後に、自分が何をしていたのか「憶えていない。」という人もいますが、これは、催眠から目覚める時に、「あなたは、今やっていた事を忘れる。」と暗示されて覚醒するからなんです。 この一連を観客として見ていると、何だかとても不思議に、そして意識がなくなって、操られているように見えてしまうのです。
もし、催眠に強制力があるとすれば、見ている人も全員が、犬の様にワンワン走り回り、観客がいなくなってショーが成立しなくなってしまいます。テレビや映画を見ていたあなたも、きっと催眠(術)には掛からなかった事と思います。
催眠(意識変容)状態の時には、頭で少し恥ずかしいなと思う事(実はやりたかった事)でも、心(潜在意識)がOKを出すと(本当はやりたかった事)行動します。「誰かに笑われても、大した問題ではない。」とあなたの潜在意識(無意識)は知っているからです。また、催眠術ショーは、催眠の一部分の面白おかしく、あまり当たり障りの無い内容で構成されています。更に、演出効果も大きく、意識が無くなって、何でもさせる事が出来る。或いは、操られている様に見えるだけなんです。
「催眠」という言葉には、誤解と過大な期待が未だについてまわっています。
ヒプノーシス(催眠)を意識が無くなってしまう状態と思っていたり、他人にコントロールされて自分の言っている事や行動が判らない状態だと思っている人もいます。 また、何でも、どんな事でも魔法のように願いがかなうものだと思っている人もいるようです。
ヒプノセラピーは、クライアントを深いリラックスに誘導する事で、顕在意識が一時的に休息し、顕在意識を迂回して潜在意識とのコミュニケーションにより、クライアントは、自分自身の内部への洞察力、集中力が増大していきます。そして、全てのイニシアティブ(主導権・選択権)は、常にクライアントにあります。また、セッション中に災害が発生した場合(地震、火災等)は、本能の働きにより、催眠状態から瞬時に目覚めます。そして、催眠状態に入ったままになる事もありません。
(コメント) 組み手は「霊動は催眠ではない。催眠は受施者の意識がないが真光はある」という。しかし、催眠は受施者の意識があるのだ。
投稿者:peke 02/07/29 Mon 02:31:43 前頭葉をちょっと調べたけど、あそこに手かざしするのは危ないね。 手かざしで何かしら刺激があるのだから、危険な事は確かみたいだね。 それから遺伝子とも関連があるみたいだね。 記憶の部分に深く関係してるって事は、古い過去の記憶も残ってるって事かもね。 ちょと調べただけでこれだけ出て来るんだから、霊動説が覆されるのも時間の問題と見た。
http://www.cypress.ne.jp/kishi/ht/frontal.html http://www.number.ne.jp/special_features/2000.08.03/spe2_page6.html http://members.jcom.home.ne.jp/2242426201/shige/hanashi.html http://www.inetmie.or.jp/~kasamie/kiokuZentouyou.html
手かざし治療の真実(1) No: 1569 [返信][削除]
投稿者:崇教Dr.A 02/10/17 Thu 20:24:03 崇教が平成13年7月に発行した小冊子「手かざし」が信者の間に好評だ。東北大学医学部名誉教授(医化学)の吉澤善作氏が自己の体験談をまとめたものだ。この本の医学的門題点を指摘していきたい。
1) 自己の体験レポートについて 吉澤氏がいろんな病気の患者に対して手かざしした体験談をまとめているが、比較対照検査は全く行われていない。初期研修のテキストに引用されている「保健薬を診断する」(高橋晄正など著)には、「大学教授が書いた『使って治ったから効いたように思われる』などという報告は信頼できない。二重盲検法でないとだめだ。」とはっきり書かれている。タバコや酒の手かざしについても二重盲検法が必要である。
2) 「医学と宗教を十字に組む」について(P52) 「ところで、宗教は医学を否定し、医学は宗教を否定するような風潮がありますが、病める人々が宗教によって救われた例や、医学を否定した宗教の信者達が不幸な結果を招いた例も多いことは周知の事実です。 疾病に苦しむ宗教の信者達も、進歩した現代医学を十分に認識し、活用して、正確な診断の下的確に対応し、早く恢復して本来の道を歩むことが大切ではないでしょうか。 そして、宗教と医学を十字に組んで人救いをさせていただくことが求められているのではないでしょうか。」 全く同感である。
3) 他の医師の報告の紹介 平木・石井・和田医師よりの症例報告があるが、いずれも医師の主観による症例報告で、学問的価値は乏しい。 小川医師のサーモグラフィーを用いた報告も、一見すると科学的手法を用いているように見えるが、単なる1例報告であり、客観性に欠けている。「他の多数の被験者についても確認されています。」とあるが、それなら統計学的データを示してほしい。 大阪大学医学部整形外科教授の越智孝雄氏が、第3回陽光文明国際会議(1999年8月高山市)で慢性関節リウマチ患者についての多数症例での比較対照検査をおこなっているが、その研究内容は全く紹介されていない。
4) 「ムコ多糖代謝パターンの若返り現象」(59頁) これに関する吉澤氏自身の報告は最も悪質な素人だましである。わずか一人の人間のムコ多糖データを提示して、"真光の業による若返り現象"がおきたなどと一方的に断定している。また研究の行われた年度も明記されていない。 「同じ様な傾向は男女を問わずに認められました。」などと、自慢そうに言っているが、それなら多数の症例に対して、統計学的解析を実施して示していただきたい。72-75頁をよく読むとわかることだが、すでに1981年以前に公表されていたわけだ。およそ生化学研究者として「気でも狂ったか」と言いたくなる。 4) 好中球に対する"真光の業"の効果データ(60頁) この研究自体は、学問の方法論に基づいている。 ただ、ここに紹介されている研究は、研究発表年がごまかされている。これも72-75頁を読めばわかるように、すでに1981年に発行された「真光」誌に掲載されている。20年も前に行われた古典的な実験内容を、研究発表年を明記せずに、ぼかしてのせるなど、科学者の風上にも置けない行為である。「何だあいつ気違いになったか」といわれて当然だ。越智孝弘氏は他人の研究を引用するとき、ちゃんと発表年を明記している。
約40年前、医学の学会で高橋晄正氏は「グロンサン・アリナミンの効き目に疑問がある。医師の主観的な症例報告ではだめで、二重盲検法を実施すべきだ。」と主張したが、他の大学教授らはすぐに意見を取り上げようとしなかった。私も、「手かざしの効き目に疑問がある。医師の主観的な症例報告ではだめで、二重盲検法を実施すべきだ。」と吉澤氏に主張したい。
-------------------------------------------------------------------------------- 手かざし治療の真実(2) No: 1570 [返信][削除]
投稿者:崇教Dr.A 02/10/17 Thu 20:24:46 「保健薬を診断する」(高橋晄正など著)よりの引用が、崇教真光の初期研修テキストに記載されているが、テキスト未収載の箇所をここに引用する、
(P29) 治療にあたって、プラシーボー効果を上手に利用することは、立派な医師の資格の一つですが、この「人間らしさ」の故に生じる効果は、薬のテストにあたっては、邪魔な存在であり、テストの段階では、一応は、とりはらうべき枝葉です。 これらの事柄を認識し、よりよい薬の発展を願うという前向きの立場をとるならば、それなりの実験のデザインの約束にしたがう必要があります。 人間における臨床実験では、特定の基準の薬ないしプラシーボーと、目的の「薬の卵」とを、素性のはっきりした患者に、特別な依怙ひいきなしに割りつけ、実験条件に特別な偏りがまぎれ込まないように工夫し、さらに、医師も患者も、どちらの薬を使っているかわからない状態、つまり医師も患者も薬の種類については盲目の、二重盲検法と呼ばれる手法によって、それぞれの薬の価値を吟味してくらべなければ、客観性のある結果は得にくいのです。 このような比較実験によって、薬の評価に客観性がでてきます。一口にいえば、二重盲検法にしたがって、基準薬ないしプラシーボーと目的の薬とを、特定の患者群に無作為に割りつけて、同時にテストをするという基本にしたがうことが、薬の正しい評価には不可欠です。 従来の日本の例では、雑多な患者に、適当に目的の薬だけを使い、たっぷりと主観的な、独断的な判断を加え、その薬を使って病気がなおった、したがって、その薬は効いたという絶対尺度の評価方法が多かったのです。一つには、このような種類の、科学の本質をつくような方法についての医学教育が行われず、薬の評価にあたっては、メーカーからの謝礼が馬鹿にならない財源になり、よろしくお願いしますという依頼に対してナニワブシ的な報告を書くという習慣があったために、科学的な薬の評価が育ちにくかったのでしょう。 また、実際にテストにたずさわる若い医師にしてみれば、偉い先生が将来の職場に関しても生殺与奪の権を握っており、先生が「赤く見える」というものを、あえて「白です」といいはって、破門の憂きめをみるよりは、「桃色に見える」ぐらいでつじつまをあわせていた方が無難であるという風潮があったこともいなめません。 きちんとした、人間における薬の評価は、一九四〇年代にイギリスではじめられ、アメリカにも伝えられ、ようやく日本にも、必要性が認められるようになってきたのです。しかし、この方面の仕事を主体にする専門家の養成とか研究室の設立などは、まだまだ時間を要することでしょう。国民の健康をまもる医療関係者にとっても、医療の恩恵をうけるはずの国民にとっても、無関心ではいられない問題です。 厳格な薬の評価を行おうとするほど、当面の倫理上の問題が大きな制約になることは確かですが、これを理由に、いい加減な評価を行ない、国民にいい加減な恩恵を与えていることの方がより倫理的なのでしょうか。
(解説) このように二重盲検法の必要性は同書に明記されているのである。
-------------------------------------------------------------------------------- 手かざし治療の真実(3) No: 1571 [返信][削除]
投稿者:崇教Dr.A 02/10/17 Thu 20:25:30 1910年に鈴木梅太郎博士(東京帝国大学農学部農芸化学科教授)がオリザニン(ビタミンB1)を発見したが、その時のエピソードが、「アリナミン」(高橋晄正著、三一書房1971年)に書かれてあるので、以下に引用する。 (41-42頁) (ビタミンB1について)これが脚気の本態物質であり、治療の上で有効性をもつというビタミン説は、簡単に医学の世界に受け入られたわけではなかった。 鈴木氏は三共株式会社に頼んでオリザニンを製剤化してもらったが、医学界ではほとんど顧みる人がなかったという。そこで鈴木氏は東京市の養育院で一年のあいだ二〇人の小児で栄養剤としてオリザニンを与えた者と与えない者との発育状態の比較をおこなって、与えたほうの発育が良好であるという成績を得ているが、医師でなかったために、脚気についての効果を試験することはできなかった。鈴木氏のような農芸化学者がかえってこのような早い時点において二群の比較をする対照試験の設計をしていることは注目すべきであろう。それは原理的に考えれば誰でも考えていたらざるを得ない生物科学の当然の帰結であったからであろう。
(解説) すでに明治時代に鈴木梅太郎博士により比較対照試験が行われていた。学部が違えど同じ生化学系研究者の吉澤善作博士は、21世紀になっても比較対照試験の必要性を主張していないのはおかしな事だ。 シーちゃん氏のように、医師でない一般人に二重盲検法の必要性を指摘していただいたことは、崇教真光所属の医師として心からなる敬意を表する。多数症例に対して、二重盲検法による比較対照試験を行い、その結果を光記念館に展示すべきだろう。 http://www.incs.co.jp/turezure/contents/baba-ture/baba-back/010914_ba.html http://www.incs.co.jp/turezure/contents/baba-ture/baba-back/010919_ba.html
-------------------------------------------------------------------------------- 手かざし治療の真実(4) No: 1572 [返信][削除]
投稿者:崇教Dr.A 02/10/17 Thu 20:26:14 現在、崇教の手かざしの病気治療研究で、唯一多数症例の比較研究を行ったのは、大阪大学医学部整形外科教授、越智隆弘氏である。 http://www.osaka-u.ac.jp/annai/cgi-bin/syousai.cgi?S=7011&K=1738
1999年8月 陽光文明国際会議抄録 B-1:慢性関節リウマチ患者に認められた疾患経過、治療経過、宗教的想念について 越智隆弘
慢性関節リウマチ(RA)は関節破壊が進む慢性炎症性疾患である。原因は不明で、世界中どの地域でも患者数は人口の0.3~1.0%で、日本では50万人と考えられている。
RAの長期経過を調べたところ(Ochi et al. Arthritis Rheum, 1988)、10年以上経っても手足末梢関節の破壊に終わり日常生活上の支障が少ない軽症病型(小関節破壊型:LES)、膝や股関節などの大関節にも破壊が及び機能障害が大きいが、骨はしっかりして人工関節などで自立が可能になる多関節破壊型(MES)、全身の関節が高度に破壊され、内臓の合併症も重度で自立困難なムチランス型(MUD)の三病型に罹病早期から分かれて診断可能である。種々の薬を用いても、関節の病巣を手術で取り除いても(Ochi et al: J Rheumatol, 1991)、完治できないばかりか重症病型を軽症に変えることもできない。
難しい病気で、専門医が患者を何とか良くしようと種々の投薬をして、逆に多くの副作用が起きている。塩川博士の発表によると、消炎鎮痛剤を服用している1008人のリウマチ患者を胃カメラで調べたところ624人もの多数に胃潰瘍を認めたという(リウマチ、1989)。また塩川博士の発表によると、大阪のリウマチ専門医にかかっていた患者(330人)の死亡年齢は、他地域と同様に約62才であった(臨床リウマチ、1989)。更に同博士は和歌山の山間部で専門医にかかることがない寝たきり患者(35人)の死亡年齢は当時の一般平均に近い75才と発表した(臨床リウマチ、1991)。これらは最新治療薬の副作用による寿命短縮を示唆するものであった。漢方治療ではどんな状態かを調べるために1990年から、ある漢方専門医にかかるリウマチ患者の5年以上の経過を調べた。軽症リウマチ(LES)では漢方のみで副作用無く経過したが、重症リウマチ(MESとMUD)では副腎皮質ホルモン剤や強い抗リウマチ剤併用を余儀なくされ、やはり多くの副作用を合併していた。
副作用の問題と共に私たち臨床医がリウマチ治療上で問題視しているのは、リウマチ患者の気持ちを明るく晴れさせてあげられないかということである。1991年のことであるが、四肢不自由にもかからわず明るい表情のあるリウマチ患者に出会った。驚いたことに、彼女は薬を服用してなく、真光の宗教的な「光」を毎日受けているとのことであった。その後、そのような「光」を毎日受けている患者40人を診ることができた。そのうちで薬を用いずにリウマチの長い経過を過ごし得ていた、おそらく宗教的想念が高いと思われる14名のリウマチ患者の5年以上の経過を観察できた。それらの患者は「光」を毎日受けていても薬なしでは、初めの3ヶ月弱にはリウマチの強い痛みに困っていた。しかしその後、痛みを訴えなくなり、明るい気分に変わっていった。リウマチに伴う臨床検査値や関節破壊の進行は各患者の病型の特徴通りで、抗リウマチ剤や漢方で治療を受けている患者さんと同様の変動を示した。重傷病型では関節破壊進行により人工関節手術を必要とした人もある。評価で最も特徴的だったのはFace Scale index (表情評価)が良かったことで、他のグループのリウマチ患者に比べて、気持ちの明るさによる生活の質(QOL)の向上が目立った。
現代医学によって完治できない慢性疾患は多い。副作用の問題だけでなく、薬によって解決できない精神的憂鬱の問題が生じてくる。信仰心は心の問題を含めての治療過程に大きな役割を果たし得ると考えられた。
-------------------------------------------------------------------------------- 手かざし治療の真実(5) No: 1573 [返信][削除]
投稿者:崇教Dr.A 02/10/17 Thu 20:26:55 寸教(崇教)H2.9初版 P224-226 [73]慈善事業とは 病人を救うために、病院を建てる。そのために寄付を集める----薬毒患者を多くつくるだけであり、慈善どころか罪業を積んでいく偽善事業であろう。 「慈善事業」とは、人類を無病化脱貧させて、真に平和で安泰な文明を、この世に顕現させていくために為すことである。 天国文明を拡めるために、現在一般常識とされている事でも、その間違いをハッキリ正していく事業、これも「慈善」である。 そういう事業のために、どんどんお金を出すこと、これも慈善事業なのだ。 今は、偽善事業が氾濫しすぎて、ますます世の中が悪化している。そのためにも、偽善事業に精を出している方に、早く本当の慈善に目覚めていただき、貧にあえぎ、病に苦しみ、やすらぎのない人々を真からのお救いに入れてあげてほしいものである。 仮にそうした意味で、ここに一億円を寄付された方がいるとする。それが元となって、どれだけ救いの輪が拡がることだろうか。 たいへんな救いになりはしないだろうか。これを「慈善事業」というのである。
崇教真光初期研修テキストJ版46頁 第十七 霊主(十字)の医学 ②法定伝染病や結核、エイズ、マラリア、ハンセン氏病等の伝染病、また精神病などはお医者さんに診せて入院させます。その上で、求められればお浄めさせて頂くのです。
(解説) 平成元年に陽光診療所が高山氏に開設され、平成5年後半に崇教の初期研修が改定された。特に医学に関する記載が大幅に書きかえられ、「医学と十字に組む」ことが強調されるようになった。上記の個所もその時付け加えられたが、「寸教」の光玉師の教えと、かけ離れた印象を受ける。
●「真光の業」が世界救世教から学んだものだったなんて、ありがたみが失せてしまう
たとえば、手かざしといえば、こうした教団の歩みに中には、手かざしによる浄霊で有名な世界救世教の名は登場してこない。崇教真光とすれば、それは同じ手かざしでもそれとは別のものなのだということかもしれないが、「実は岡田光玉初代教え主の足跡の中で、世界救世教の存在が意図的に隠されている」というのは、教団の内情に詳しい元会員である。
「つまり岡田光玉教え主は、もともと戦後浦和市を中心とした埼玉県下で世界救世教和光布教所長をしていたことには、一切触れられていないのです」
なんのことはない。崇教真光教がなぜ、「真光の業」と呼ぶ手かざしを売り物にしているかといえば、要するに世界救世教の手かざしによる浄霊がヒントになっていたわけである。
そのことを伏せているについては、当然それなりの訳があろう。それが「真光の業」は神から人類が賜った霊光であり、キリスト教の聖書にある「神は光なり」との教説を証明する霊術や、仏教でいう「無量光」と同じというのである。そして宇宙創造の唯一絶対神たる「主の神」は、それまではこの「真光の業」を大聖者であるイエスや釈迦にしか許していなかった。それを岡田光玉初代教え主は許されたというわけである。
ところが、自らをイエスや釈迦と同列に引き立てる道具ともいうべき「真光の業」が世界救世教から学んだというのでは、ありがた味が失せてしまうからだ。
新興宗教の正体 P44、45 早川和廣 あっぷる出版社 1987.2.2
神経綸の破綻
529 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2003/05/24(土) 00:49 “藤村遺跡”すべてねつ造、考古学協会が断定
旧石器ねつ造問題の検証を続けていた日本考古学協会(会長・甘粕健新潟大名誉教授)は、東北旧石器文化研究所の藤村新一前副理事長が関与した遺跡の採取・発掘資料について、すべてねつ造と断定した。24日の総会で最終報告として発表する。
学会が“藤村遺跡”のすべてを正式に否定することで、教科書の書き換えなど社会的な混乱を引き起こしてきたねつ造問題は最終的に決着をみる。これで、約70万年前にまでさかのぼるとされてきた日本列島の人類の起源は、現時点では約5―4万年前にとどまることになる。今後は、学界の改革と新たな前・中期旧石器研究の構築が課題となる。
最終報告では、「藤村新一が『発見』あるいは関与した『遺跡』約186カ所は、『前・中期旧石器』にかぎらず、後期旧石器・縄文にいたるまで彼による捏造(ねつぞう)であり、学術的資料としては無効である」と明快に全面否定する。
つづき↓ http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20030523it12.htm
544 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2003/05/25(日) 00:59 >>529
そうそう、今日なんかやってたね。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/iseki/g/
ところで「最後の天の岩戸開き」P222では、光玉師は百万年以上前の遺跡が日本から出土すると予言した云々と記された上で、この上高森遺跡(藤村新一の捏造の舞台)のことを認容してるんだね。
光記念館の真実(5)――偽りの古代史(イ) No: 5676 [返信][削除]
投稿者:崇教インサイダー 03/04/05 Sat 22:18:37 聖鳳(岡田光玉)師述 み教え集 (昭和42年) 1987年3版(崇教)
昭和四十二年五月度月始祭ご教示要旨 (P85) 皆さんは、文明期は今だと思っていますが、けっしてそうではないのです。超古代にはすばらしい文明時代があったのです。ガラス一つ取り上げてみましても、皆さんにこの前お話しましたように、二十五万年前のものがある。最近出ました数千年前の日本のガラスは、まるで宝石のように美しいもので、とても現代の技術ではできないほどの立派な物が発掘されている。そういう文明時代があったのです。 アトランティス文明やその文明の元となったミュー大陸、そのもう一つ前のレムリア大陸というのが、いまは大西洋、太平洋からインド洋に陥没して海になってしまっています。 こうして沈んでしまった国の人種は、日本人であったことがいずれ実証される。最近はアメリカでも、日本人であると言い出しております。特にミュー大陸といいまして、いまのアメリカの西海岸のあたりから日本の南端、オーストラリアの東、インドネシア、カロリン群島のあたりは、ずっと大陸だったのですが、陥没の際、少し残ったのがこれらの国や島で、日本もちぎれて残っているわけです (P87) その大陸に住んでいたのは、まぎれもない日本人であったということが、ハッキリ数冊の本になって出ているのです。その本では、それをミュー大陸としている。本当はムー、神の国という意味です。このもうひとつ前の時代にレムリアという大陸があった。そのレムリアが沈没して、それから太平洋上に今度は、ミュー大陸が出現した。それがまた陥没して今の大陸になったわけです。 かつて、太平洋は非常に浅かったのですが、だんだん沈下して今の深い太平洋になってしまった。この時代の文献は、アメリカには残り少なくなっていますが、それをまとめたのがムー大陸説です。つまり、そこには大和民族が住んでいて、高度の文明を開いていたということが、いろいろの面から実証されているのです。 ミュー大陸、あるいはレムリア大陸は、アジアから中央アジア、それから南ヨーロッパあたりのいろんな文献に出てきますが、その中でもやはり、超人的な文明をもっていた人種であったことがほうぼうに記されている。 超人・神人的な人類が残っており、非常に高度の文明を持っていて、空を飛翔する飛行機とか宇宙船、それから電信電話でも現在のようなものではなく、もっと高度の通信機があったとか、地下にすばらしい大都市を造っていたとか、その跡が今でもほうぼうにあるので、地下王国としての研究が進められています。そういうすばらしい文明、その多少の名残りが今日の日本とかボリビアの文明とかマヤ、インカ帝国の文明として残され、後世その片鱗が発掘されているというのが世界の地質、考古学者の定説になりつつある。そこで日本の古文献と、そういう超古代の世界とを突き合わせていきますと、実にピッタリと合致してくるのです。このことは、いずれ時期が来ましたら、文献にして出す予定です。今はあまりに多忙で、とても書く暇がありません。 現代のアメリカについて、神代の超古代史では北米をヒウケエビロス、南米をヒナタエビロスと言っていた。何万年も前の文献には出てくる。 また実際、今のアメリカの人でも自分たちは元エビロス人であったことを知っています。ですから、古文献に出ているエビロスは正確なものだったというわけです。ただ大部分の人は、エビロス人が超古代に日本から分かれて行った人種だということを知りません。また、大西洋上にあったアトランティス文明も、どんどん欧米の学者が研究して、いろんな資料を発表しています。学会では今日、否定できないところにきている。 一方、植物の化石学の面からも総合的に研究がされており、そのほうからも太平洋、インド洋にわたって大陸があったということが実証されている。 最近では地質学のほうからと、人類学と植物学のほうからの説が一致してきております。この関係が世界的にもう否定できないというのが、学会の常識になってきていることを知っていれば、大だたいがつかめるでしょう。それらの文明の先達になる人としては、常識にしなくてはならないのです。 ただ残念なことに、今日では日教組、つまり共産党系が教育界を握っていて、極力こういう関係を歴史から抹殺しております。その上、国家神道が三千年前の日本を出してはいけないと押えている。この思想が、日本の正しい歴史を知る上に、非常な災いをしているのです。これが共産党にとっては、大変都合のいい教育地盤になっているわけです。
-------------------------------------------------------------------------------- 光記念館の真実(6)――偽りの古代史(ロ) No: 5677 [返信][削除]
投稿者:崇教インサイダー 03/04/05 Sat 22:20:45 (崇教)「真光」誌 昭和60年7月号 六月度月始祭救い主様み教え(部分抜粋) 結局、原因は恐るべき「集団霊障」である、アトランティス大陸文明とムー大陸文明は、嘗て、原水爆を使ってさえやったほどのものすごい大戦争をしたのですが、さらには、金星や他の遊星にいた霊と現界に肉体を持った人間界との闘争もあったのです。
(解説) これらの古代史に関して、裏付ける資料は光記念館においては全く展示されていない。同館公式HPにも全く触れられていない。まったく、何のための博物館であろう。 なおここでは、博物館の開設者たる公益法人としての適格性を検証するために、教団発行の書籍を原文のまま引用している。つまり、公益目的として引用しているわけである。 「著作権」とは、(1)著作料を受け取る権利、(2)著作物を不当な目的に使用されない権利であると私は考える。宗教法人は公益法人であり、公共性があるため宗教施設は固定資産税が非課税となっている。教団の著作物を公益目的に利用するなら、著作料を受け取る権利を行使するのは制限すべきと考える。
神代文字否定派の論拠 No: 4191 [返信][削除]
投稿者: 03/01/21 Tue 12:41:16 1.神代文字の形を分類すると、だいたい甲骨文字とハングルの二つに大別できるほど良く似ている。ハングルは、朝鮮の京城で一四四三年に創案された表音文字である。神代文字の中で最も有力なものとみなされた日文は、明らかにこのハングルに基づいて作られたものである。
2.古代に固有の文字がなかったということについては、平安時代の『古語拾遺』に「上古の世、未だ文字あらず」と記載されている。
3.神代文字で書かれた古い文献のようなものは一つも残っていない。
4.漢字に先立ってすでに固有の文字があったとすれば、わざわざ漢字を輸入して日本語を写したり、それから仮名を発達させたりする必要は考えがたい。
5.仮名は音節文字であるのに、神代文字は一種の単音文字であり、神代文字はその構成において、仮名よりも一層進歩した文字とみなされる。
6.神代文字は四七音ないし五〇音しか書き分けない。奈良時代以前にまでさかのぼると、日本語の音節には「いろは」四七文字では書き分けられない八七種類の音(甲乙二種類の音があり、母音が八つ)があり、それらは五十音図のうちには収められないところの音であった。すなわち、いろは歌や五十音図だけでは示しきれないところの音が上代にはあったのである。これらを「万葉仮名」ではちゃんと書き分けてその区別を守っている以上、もし神代文字が真に仮名以前のものであったとすれば、少なくとも、もっと多くの字体がなければならないのに、いわゆる変体仮名にあたるものさえなく、きわめて整然とした統一をもっているのである。神代文字は多く四七字か五〇字から成っており、それが「いろは歌」や五十音図の影響下に後世偽作されたことを示している。
No: 4190 [返信][削除]
投稿者: 03/01/21 Tue 12:40:16 http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/koshikoden.htm より
『竹内文書』 <省略> 竹内家の養子である巨麿は明治四三年に天津教を開き、大正末から昭和初期に『竹内文書』を公表した。その後不敬罪で起訴され、狩野亨吉氏の文献批判によって偽書と断じられた。 内容は原始神の宇宙創成から神々の地球降臨、人類の誕生、二度にわたる超古代文明の興亡を伝える。 世界的、壮大なスケールの記述が多く、世界には五色人が存在し、みな日本から発したこと。モーゼ、マホメット、釈迦、孔子などが来日して教えを学んだこと。ボストンやサンフランシスコ、アフリカ、オセアニアなどという地名まで登場する。 <省略> 『竹内文書』もウガヤフキアエズ王朝を記すが、その歴代天皇名の漢字表記が『上記鈔訳』と非常に類似している。もともとの『上記』の原文が漢字ではないことを考えれば、『竹内文書』は『上記鈔訳』に基づいてウガヤ王統譜を造作したことは明らかである。 明らかに疑わしい点が多いにも関わらず、『竹内文書』は、戦前は皇国史観ゆえに国粋主義者に、戦後はUFOや太古の航空機の伝承との関係でSF愛好者に支持され<省略>ている。
ムー Follow: 3090 / No: 3085 [返信][削除]
投稿者: 02/12/10 Tue 11:22:00 「主座へ至るミチ 岡田恵珠(聖珠)師御教示選集」 術者 岡田恵珠(聖珠)師 編集 崇教真光 発行所 (株)L・H陽光出版 昭和六十年十一月三日 初版発行
P259 昭和五十八年三月度月始祭 教育の荒廃と神の子への復活 嘗て、遥なるムー大陸の高峰の大和島根の美しい国・日の本つ国の日本人は、神の心を智り、神のみ意のまにまに神性の生活を為し、以て五色人類と共存共栄の弥栄のミチをあゆんでいたわけでございます。
「栄光の光神殿 岡田恵珠(聖珠)師御教示選集II」 術者 岡田恵珠(聖珠)師 編集 崇教真光 発行所 (株)L・H陽光出版 平成五年四月十日 初版発行 平成五年五月三十日 二刷発行
P118 昭和六十一年六月度 月始祭 神の光は太平洋を越えて 救い主様のお示しのごとく、超太古日本ムー大陸から全世界に派遣されましたマヤ人は、次々と太陽神を祀る太陽神殿・日(霊)来神堂を建設していったわけでございます。
P185-187 二十七周年秋季大祭 霊主立体文明建設ヘ 一万二千年前、人類の我と慢心の結果、太平洋に沈没した幻のムー大陸は、今日の人類界の様相と酷似しておりました。 このまま現代社会が唯物文化を推し進めてまいりますならば、遠からず大自然は破壊し尽くされ、ムーやアトランティスの悲劇を繰り返してしまうことになりましょう。 ムー大陸が沈没した時、その子孫のマヤ人は、ヤマトの日本にも中南米にも逃げのびまして、新たなマヤ文明を建設したのでありますが、やがてそのマヤ文明も戦いによって失われ、今日、〝澆季末世〟〝混沌混迷の世〟をむかえるに至っております。 メキシコの国立人類学博物館には、アステカ文明の有名な〝太陽の暦〟があります。この円形の暦石にはアステカの宇宙観が表わされております。その巨石の暦には、世界は過去四回、破滅を繰り返し、現在の世界は五回目の創造になることが示されております。 またマヤ族のいわば古事記、もしくは旧約聖書にあたる書物『ポポルブフ』には、天地創造から人類の発生、そして洪水による大異変によって亡び去った過去の世界の出来事が克明に語られております。 旧約聖書による〝ノアの洪水伝説〟は有名でありますが、今日の古神道からまいりますと、七度めの地球的規模の大天変地異が目睫に迫りつつあるわけでございます。そのような大天変地異が起こりますと、山は海に没し、海から陸が現れるというような未だかつてない地球の大震動が起こり、気候は激変し、地軸さえも傾くような事態になることが予想されます。 今日、地球から森林はどんどん消失して砂漠化し、大地は荒廃を続け、大気は炭酸ガスの充満で今や宇宙のオゾン層まで破壊されつつあります。このような天地の毒化が今後も続けられていきますと、来たるべき二十一世紀に人類界は、ただいま述べましたような大破局に直面しなくてはならないわけでございます。 ここに陽光子乃友は、新しい文明原理を樹立するために、現代の唯物文明原理を超越する新真文明のあり方を世界にアピールし、以て世界救世への大神業を展開してゆかなくてはならないわけであります。
矛盾 Follow: 2873 / No: 2872 [返信][削除]
投稿者: 02/12/02 Mon 11:01:53 2ちゃんねる「真光関係者集合!!(9)」809引用 今年の秋季大祭で、お代理様の岡田晃祀師は「救い主様は『次の世紀の前半に、火の洗礼の大峠を迎える。』とおっしゃっていた。」と語った。
「岡田光玉師御対談集」術者 岡田光玉師 ほか 編集 崇教真光 発行所 (株)L・H陽光出版 昭和六十年六月六日 初版発行
新しい文明への途 人間回復のビジョン求めて 昭和四五年一月 対談者 藤田義郎(政治評論家)
救い主様 私は、いまこの二十世紀から二十一世紀への交代のころ地上には大変動がくるという神示を予言として出しております。正直いいますと、神様は人類は二割しか残らんとおっしゃいますけど、いまの科学者は、半減する、といっております。半減というと、これは釈尊とイエスの予言と大体近くなりますね。三分の一に減るといっているんですから、われわれのほうの数字とはちょっと率が違いますけれども、少なくともそういう現象がくるということは、十年前から私は予言していました。 P236
真光の教義を論破しているサイト No: 2589 [返信][削除]
投稿者:辞めた導師連合 02/11/24 Sun 13:37:41 http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf1899/tondemo/gishi.html 近代日本における「偽史」の系譜──日本人起源論を中心として──
真光でおなじみの竹内文献とムー大陸について論破しているサイトとしてはここがおすすめですね(真光お馴染みのトラップサイトではありませんのでご安心を)。 ムー大陸説のトンデモぶりは言うに及ばず、竹内文献ってのも本当に笑える。真光でも言ってる人類の祖先の王子というのが「ヨハネスブルグ青人民尊」「ヒウケエビロスボストン赤人神尊」だったりするのだから、まともに信じてる人の思考は理解に苦しむ。
-------------------------------------------------------------------------------- Re: WEB版(1/48私見)真光問答6「ムー大陸と五色人教化」 Ver.2.0 Follow: 2631 / Prev: 2595 / No: 2609 [返信][削除]
投稿者:辞めた導師連合 02/11/25 Mon 00:43:17 > □沖縄の海底に1万年以上前の巨大石造遺跡(東西250メートル級)が発見され、 > ムー文明は存在した可能性が近年高まってきました。
残念ながら、ムー大陸説は完全に否定されていると言うべきでしょう。 チャーチワードの言う石版やら文献やら証人となる老僧やら、肝心のこれらはチャーチワード以外、誰も見ていないのです。学者がチャーチワードに証拠をひとつでも持ってこいと言っても、今はもう全て失われたの一点張りです。これではまさに世迷い言も良いところです。ムー大陸説がトンデモ説だと言われるのは常識です。 分裂凄まじい真光教団ですが、その分裂した真光の中にはムー大陸説を否定する教団もありますね。さすがにこれは常識的にまずいと思ったのでしょう。
-------------------------------------------------------------------------------- Re: 整理したいのですが Prev: 2615 / No: 2633 [返信][削除]
投稿者:辞めた導師連合 02/11/25 Mon 23:04:42 > 太古の真実と真光への信仰は別の事。
BOWさんの意見に追加する形ですが。 太古の真実やムー大陸、竹内文献というのは、真光の根底に関わる部分なんです。 なぜなら、これらの内容は真光の中核的な教義であるご経綸に組み込まれているものだからです。 組み手はこのご経綸を成就させるためにいると言われています。そして、そのために教団を神が作ったと言っています。 つまり、竹内文献やムー大陸の虚偽が実証されてしまうということは、ご経綸というものが意味のないものであることを知らせることになり、ひいては真光の存続意義そのものが嘘だったという証明に繋がるんですね。 存続意義のない教団が、存続しようとしているのであれば、もはや彼らの保身活動としか言えなくなります。保身では人救いでもなんでもないですね。 そこがはっきりと見えてしまったから、この教団はおかしいと警鐘を鳴らしている。自分の身の回りの人が被害に遭わないうちに、とね。
-------------------------------------------------------------------------------- No: 2691 [返信][削除]
投稿者:辞めた導師連合 02/11/27 Wed 21:11:04 誤って送信しました。
手元に竹内文書があるので、数年ぶりに引っ張り出してみました。 酒の席で肴にと、友人達と一緒に読んでみて、笑うに笑えなくなりました。 本当にすごい内容です。 こんなことを真剣な顔して他人に押しつけていたのだと思うと、 自分達の情けなさに笑えなかったのです。恥ずかしさに顔が火照ります。 ここに来られている批判派と言われる方はほぼ全員が、 真光のご経綸で中核をなしているこの文書を読まれていることでしょう。 もし読まれていない方がいらっしゃれば、ぜひ読まれて下さい。 特に皇統第二代の系譜では、王子や王女の名前がオーストラリアだったり、 ヨイロパ(ヨーロッパ)だったり、インドだったり、ヘルシャケルマンだったり、 アシアシヤムバンコクの子がマラッカだったり、 アフリアの子がエジフトとスエズだったり、 あげくのはてがアダムイブだったりします。抱腹絶倒です。 はっきりいって組み手でもこれを見せられたら、かなり引きます。
(御利益目当ての信者は、どうでもいいと言って無視するでしょうが・・・ そして案外真光にはこういう信者が多い。だから近年伸び悩んでいます)
こういうものがご経綸として上級教義に盛り込まれているのが真光です。 天津教が何を思ってこの文書を出したのかは追究しませんが、 真光においてなぜこの文書が教義に盛り込まれているかは瞭然としていますね。 旧日本軍人のバイブルであるこれら〈古文書〉を元軍人であった真光創設者達は 何としても盛り込みたかったのでしょう。 そして真光信者は今も教義の真相を深く探求しようとすることなく、 無邪気に手をかざして、知人を組み手に同化することだけに熱中しています。 幹部と呼ばれる人たちでも、癌や脳卒中で死んでいるというのに、 これらの不味い現実は無視されています。
-------------------------------------------------------------------------------- 経綸には根拠がない No: 3050 [返信][削除]
投稿者:辞めた導士連合 02/12/08 Sun 21:39:30 お久しぶりです。仕事が忙しかったので書き込みできなかった間に 私の発言も過去ログの彼方に消えてしまいました。
もう一度、私が述べたいことを簡単にまとめて書いてみました。 組み手を辞めようかと迷っている人にこそ見てもらって 判断の材料してほしいと思います。
竹内文書が偽書だというのは定説であり 天皇政権の元、全世界を支配したというムー大陸の帝国も 諸外国で危険視されるほどのトンデモ説。 ゆえに、このふたつで説明されている神経綸の根拠も土台から崩れる。 ゆえに、根拠の崩れた経綸というものの中で予言されている火の洗礼も根拠が崩れる。 よって、火の洗礼の時期を説明する三段の構えも根拠がない。
真光教団は神の経綸のために地上に降ろされたとされている。 しかし、経綸は上記で示しているように根拠がない。 よって真光教団の存在意義には根拠がない。
真光教団は経綸のために勧誘をして組み手数を増やすことを人救いとしている。 しかし、経綸に根拠がないため、組み手を増やす意義もない。
では、なぜこれほど勧誘活動を活発に行なうのか? 根拠が崩れている経綸成就以外で人数拡大による利点は 組織の保身・権力の増大・奉納の増加にある。
以上、全ての論から真光の本質がこの組織保身・権力増大・資金集めにあると 結論づけることができる。 ゆえに、何十年も真光で真面目に組み手をやっていれば、健・和・富がある程度実現していてもいいはずなのに、実際はあっさりと癌や脳卒中、交通事故などの不幸にあっていたり、組み手間で裁きあいに終始している理由も説明できる。存在の根拠がない組織が拡大しようとすれば、様々な所にほころびがでるのは当然のことだからです。 真光に酷い目にあったという人が相次いで出てくるのも必然でしょう。
長文書き込み失礼しました。
-------------------------------------------------------------------------------- 環境問題を使って終末論を説くカルト Follow: 3054 / No: 3051 [返信][削除]
投稿者:辞めた導士連合 02/12/08 Sun 21:41:08 三段の構えの例として温暖化について書かれている人がいましたが、これはIPCCの報告書では、二千百年までの間に地上の平均気温が一・四~五・八度上昇し、海面水位は九~八八センチ上昇すると予測しています。大変な事態です。 ただし、これは今より百年かけてじわじわとやってくる話です。明日五・八度上昇するわけではありません。 百年間、人類が何も手を打たずにそんな状況を迎えると思うのは非現実的です。 ましてや、八割の人が死に絶える世界にはなりえないでしょう。
温暖化は大変なことです。しかし、それを人類の八割死亡が定められた火の洗礼に結びつけて、教団の拡大路線の理由にするのは、真面目に環境活動に関わっている人達に泥をかぶせるような行為ですよ。勧誘活動に明け暮れているより、やるべき事が他にあるでしょう。
繰り返しますが、火の洗礼とは人類の八割が死亡することを前提としています。八割の死亡を現実的なデータから納得させられないのであれば、やはり根拠もなく危機感をあおっているだけということになりますね。
真光とキリスト教 No: 2092 [返信][削除]
投稿者: 02/11/07 Thu 11:38:13 真光の語る「世界の宗教」観は嘘八百です。 真光は真光がキリスト教世界から受け入れられるように語るけど、 組み手は自分で、調べてみたらいい。ネットが信用できないなら、自分で日本の教会でも(カトリックでもプロテスタントでもかまわない)、書籍でも、特に真光がヨーロッパのキリスト教世界から受け入れられているというなら海外の書籍にでもあたってみればすぐわかる。
・罪について イエスキリストは全ての人の罪が神から許されるために十字架にかかった →人を罪に定めて自分の力でそれを払えと脅す真光の教義とは全く相容れない。 それどころか神を汚す行為。
・教えについて 聖書には、聖書の教えを盗む者は裁きに合うと書かれている。 →真光の教義の中には、教え主自身が語った言葉のように聖書の教えが抜粋 されて、真光の都合のいいように解釈されている。「天の蔵に宝を積め」とか、その他もろもろ。 これもキリスト教世界からみれば神を汚す行為。
・手かざしについて イエスキリストもパウロも手かざしや奇跡や不思議なことをしたが、これは「ひとつの霊」=神の霊によるもので、神に栄光を返すためのものとして一貫している。 →真光はキリスト教の不思議と真光の手かざしが同じ霊から来るものであると主張するが、キリスト教の奇跡や不思議は、真光のいうように「曇りを消す」とか、そういう目的とはまったく違う。 キリスト教のいう「一つの霊」=聖霊 は、人にイエスキリストが主であると告白させ、賛美させる、神に栄光を返す霊。冒頭に書いたように、「自分の努力で罪をぬぐう」ということをさせる霊とはまったく違う。また、聖書には「霊だからといってなんでも信用してはなりません」とかかれていて、悪霊と交わることをきつく戒めている。
私は牧師でも聖職者でもない、ただのクリスチャンで、知り合いに真光がいるので、あまりに彼の言うことがおかしいので、ちょっとここのこと調べていてここにきた。真光の方と議論するつもりはない。しかし教団のプロバギャンダを鵜呑みにしている人がもしいたら、現実の、この世界にある実際のことと、教団のいうことを比較してみる必要があると思う。普通のキリスト教会に足を運んで、(エホバの証人、モルモン教(末日聖徒)、統一協会はキリスト教ではないので注意)聖書を良く学び通じている人に聞いて確かめていただきたい。
また、私がこの投稿をしたのは、この下のほうにキリスト教のことが書いてあり、同様の話をされていたので、よい機会だと思ったからです。
-------------------------------------------------------------------------------- Re: 真光とキリスト教 Prev: 2092 / No: 2098 [返信][削除]
投稿者:カエル 02/11/07 Thu 21:02:13 >真光の語る「世界の宗教」観は嘘八百です。 >真光は真光がキリスト教世界から受け入れられるように語るけど、 >組み手は自分で、調べてみたらいい。私は牧師でも聖職者でもない、 >ただのクリスチャンで、知り合いに真光がいるので、あまりに彼の >言うことがおかしいので --------------------------------------------------- 真光とキリスト教の教義を比較すると、あなたの仰るように、明らかに矛盾する部分がたくさんある。信仰を必要としない『一般的な道徳律』以外の部分には、何も共通点は無い、と言っても過言ではないでしょう。
この矛盾に、真光は、『聖書は、現代には通用しない内容を含み、真光の教えこそ、現代の必要に適合した、新しい、正しい教えである。われわれは聖書を全否定している訳ではない。従って、キリスト教とも相容れる。真光と聖書が矛盾しているというのは、キリスト教徒の聖書解釈が間違っているから。』と説明します。・・・要するに、真光の教義に都合の良い聖書の記述を、選択的に抜粋し、利用しているだけ、と言うことです。
しかしながら、これは真光が、聖書を絶対唯一の時空的に不変性を有する書として扱っていない以上、仕方の無いことであって、貴方の指摘されている、真光の教えと聖書の教えの矛盾に、いかに理論的な裏付けがなされようとも、真光はそれを絶対に受け入れないし、認めることもしないでしょう。認めさせることが貴方の目的では無いと思いますが・・。
ある意味、この『矛盾していようが、なんだろうが、信じる。信じ通す』という姿勢が、彼らの信仰の一つの現れなのだとも言えると思います。人は自分が心で信じたものを守る場合、時に、そこに『目に見える証拠』や、『論証』が介在することを拒みます。
聖書に『信仰は望んでいることがらを保証し、目に見えないものを確信させるもの(ヘブル11:1)』とあります。 つまり、『信仰』には、理論的思考や、客観的な状況観察を超越した領域において人の心を強く動かし、また捉える力があるのです。これはキリスト教でも同じです。・・あくまでも、その教えの一側面としてですが。
・・・信仰は、人を根底から変え、また動かす力(パワー)をもっています。 正しい『対象』を信仰(仰ぎ、信じる)したいものですネ。
Re: 源伸さんへ Follow: 1348 / Prev: 1311 / No: 1347 [返信][削除]
投稿者: 02/10/04 Fri 13:07:24 > 焦らせて奉納をさせるが、終末など来ない。するとまた10年後20年後に終末が来ると焦らせ奉納させるが来るわけがない...これの繰り返しで結局儲かるのは教団のみ。これを未来永劫続けるために「焦らず、急げ」と光玉は言ったのだ。
例 昭和五十七年 立春大祭 神祭りの本義 今年は五十七年であり、天意の転換より二十年を経過したわけでありますが、いよいよあと十年が人類界の存亡を決する最後の時代となるわけであります。 「主座ヘ至るミチ」岡田恵珠(聖珠)師御教示選集 昭和六十年十一月三日 初版 発行 (株)L・H陽光出版 P209
三十一周年秋季大祭 愛和の力示せ吾が友 これからの二十一聖紀に至る十年は、人類の生存を決するほどの重要な月日となってまいります。無為に過ごせば、歳月は容赦なく過ぎ去ってしまいます。 「栄光の光神殿」岡田恵珠(聖珠)師 御教示選集2 平成五年四月十日 初版発 行 平成五年五月三十日 ニ刷発行 (株)L・H陽光出版 P442
投稿者: 02/10/11 Fri 12:56:20 □□□□□ 318 :名無しさん@1周年 :02/10/11 00:16 過去ログからしつこく何回目かのこぴぺ
崇教真光の大義名分である「21世紀霊文明建設」は今どうなっていますか? 私の記憶によると、こうです。 世紀末、火の洗礼により人類は滅亡し、 生き残った選ばれし(浄まった)組み手=種人が 神と一体となった新しい霊文明を築く。
さて、今は21世紀です。 教団の究極の目的である21世紀文明は今どんな状態ですか? 火の洗礼はどこにいってしまったのですか? 教え主は、それについて何と言っていますか? 幹部は何と言っていますか? 既存のスレッドで、これについての書き込みをしたら、 ピタリと無人状態になってしまいました。
現在組み手の方、ひやかしつつも組み手でありつづける不思議な人たち、 いかがですか?
□□□□□ 例 昭和五十三年 十九周年秋季大祭 神に仕え奉るものこそ栄光受くるものとならん
人間の思い上がった゛我欲゛と゛物欲゛が、今日のような荒涼寂寞たる世の中を作り出してしまったということを、人類全般が真剣にサトラぬ限り、来たるべき「ラルロの大嵐」を免れることはでき得ません。そしてその兆候は、いまや全世界に出始めていることを、しっかりと認識しておかなくてはなりません。 「主座ヘ至るミチ」p31
昭和五十五年 新年祭 人類よ神中心の世界に還れ 人類が好むと好まざるとに拘らず、火の洗礼の大峠は刻々と迫っているのであり、人類は一切の価値観の転換と生活の質の向上を計ることにより、来たるべき大恐慌の荒波と、天変地異を乗り越えてゆく以外にはありません。 同p79
昭和五十七年 大炎開陽霊祭 人類の運命と主神総神向きヘの霊智 この「世の変わり目」にあって、人類が天地創造の主の大御神様に一神帰命できうるか否かが、人類界の今後の運命を決定することになります。 同p244
昭和五十九年六・七・八・九月度月始祭 密教の極意と真光の業 そこで、この重大な「天意の大転換期」に遭遇いたしました人類界は、神様の御経綸に添ったいき方をしませんと゛救われのミチ゛を得ることは不可能でございます。 同p365
二十六周年秋季大祭 陽光文明国際会議に向かって 人類界がこれまで包み積んでまいりました罪穢の集積は、それこそ天文学的数値 となり、その大清算期を迎えるに至っておりますのが今日の人類社会であると言わ ねばなりません。 すなわち二十世紀から二十一世紀へと切り換わる現在こそ、人類空前絶後の大転換期なのであります。 「栄光の光神殿」p62、63
Re: はじめまして Prev: 374 / No: 392 [返信][削除]
投稿者:あきれましたわ。 02/07/24 Wed 01:55:16 > 君は自分に都合のいい、馬鹿鶴の言っている事を取り上げているようだけど、真の道では岡田氏の事は否定してないよ。 > 残念だったね(藁) > > 真の道には、天杖による神示の記録はすべて残っているし、神伝人がみればすぐわかる。 > > 馬鹿鶴の情報を鵜呑みにすると恥をかくぞ(藁) >
いつも読んでます。
真光を弁護する人は、いつも真の道の神示だの天杖だのをもちだしてきますね。 岡田光玉の霊的正当性とでもいいますか、そういうものを弁護するために、 真の道に頼りますね。
しかしね~、その真の道の神示も怪しいものじゃないですかね?
真の道では、ジンギスカン=源義経だといってるんでしょ。 真の道のHPに書いてありましたよ。
---------------------- http://www.makoto.or.jp/
神示→指導神霊
佐々次郎源良之(ささじろうみなもとのよしゆき) 道主の守り主。源義経の家臣で、頼朝の義経成敗の際に、義経が吉野から奥州に落ち延び、さらに北海道から蒙古に逃れてジンギスカンになった(神示による)ときに同行し、蒙古では「ののむり=モンゴル語で速い馬の意」と呼ばれました。 初期には梶光之神霊とともに降神ユニワにて頻繁に出現されたましたが、現在はほとんど出現されていません。 ------------------------
こんなことHPに堂々と書いて平気なんですかね?(笑) バッカじゃないかな~とおもいますね。(笑)
あてにならない神示とやらに、正当性を頼るしかない光玉って、 情けないですな。(笑)
1 フランス議会報告 (1995年12月採択)
2.セクト活動の現状
(1)内務省の情報 500名以下の団体としては、霊友会、崇教真光、世界基督教統一神霊教会(統一教会)、クリシュナ意識協会フランス同盟、OSHO情報センター、愛の家族(旧・神の子どもたち)など日本になじみのある団体を含め、・・・・・
「カルト宗教のトラブル対策 日本と欧米の実情と取り組み」P85 山口広 中村周而 平田広志 紀藤正樹 教育資料出版会 2000年5月20日
tition

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