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1976年12月31日(金) q

「光玉の勲章はインチキ勲章」ホームページ
Kohtama's Fake Order Home Page
-真光の真実を検証する-



このページには真光系教団の開祖である岡田光玉氏と、
彼の教団に関する一般の組み手(信者)には語られていない事実が掲載されています。
真光を心から信じ切っている方、どんな事実を知っても信仰は変わらない
自信のある方は、閲覧をおやめ下さい。


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このページはリンクフリーとします、このページよりリンクしてください。
参照、引用は自由に行ってください。
Sunday, 25-May-2003 01:29:09 JST


1976年12月30日(木) q

はじめに
セント・デニス・ザンテ勲章の真実
岡田光玉の真実
真光業の真実
神経綸の破綻
政治家と真光
裁判と真光
マスコミに出た真光
ネット上の真光
真光隊/青年部
教団内外の噂
教団人物録
丹頂鶴のページ
真・真光問答
真光による被害
真・体験談
さらば真光!
参考文献・データ
真光リンク集
メッセージ・アーカイブ
ゲストブック、その他


1976年12月29日(水) q

このページは、ある教団の批判を行い、教団出版物を引用し、教祖様等の写真を掲載しております。しかし、法律違反になるようなことは一切していないと思われます。法律上の諸問題については、以下を参照してください。

宗教団体等を批判する記事が週刊誌等に掲載された場合において、出版社等は、信者個々人に対し、心の静穏を乱したことを理由として不法行為責任を負わないとされた事例。 (最判平成11年3月25日)
http://www.kenslabo.com/law/precedent/con/h110325.html

批判報道の結果、仮に個人や団体の名誉が低下したとしても、公共の利害に関わる事実について、 「公衆に批判を提起し国民の知る権利に奉仕する」という、もっぱら公益を図る目的で報道し、それが真実であれば、違法性はないことを定めた「刑法第230条ノ2」。
http://www.mail-journal.com/ihosei.htm

公共性、公益性に関して: インターネット上に情報を公開するときの注意点。
http://www.mail-journal.com/hanrei.htm

「ネットワークにおける著作権問題等について」
http://member.nifty.ne.jp/itaru_watanabe/chosakuken/main.html
--教団出版物からの引用について--
著作権法第三二条(引用)第一項: 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合においてその引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。
--教祖様等の肖像権について--
有名人、公人等の肖像権はある程度制限されると考えられます。さらに、このページは非営利目的であり、公共の利益を目的としているので、肖像権の侵害等には当たらないと考えられます。


1976年12月28日(火) q


HP開設にあたってのメッセージ~皆様有り難うございました!

2chと真実板の皆さんへ

崇教の7月度月始祭の行われている今日この瞬間に、
「光玉の勲章はインチキ勲章」ホームページを公開します。
この2ヶ月間の成果をまとめたつもりですがまだまだ不完全です。

ご自由にリンクし、参照・引用してください。私の知らない掲示板にもリンクを書き込んでください。できれば皆さんもHPを立ち上げてください。ミラーでも結構です。

これからは2chや真実板等で語られる様々な被害や教義教理の疑問等に対する回答など貴重な成果を、ホームページに残し、体系化し、あらゆる真光系教団の被害者の救済に供したいと思います。

崇教は高山総本山や光神殿など巨大建築物群を未来永劫守っていくものと言っています。また松江の淞南学園には特権階級である上級幹部の子弟が、次世代の崇教を継承し、永遠に自分達が利益を享受するべく入学しています。

これ以上、このインチキ宗教をはびこらせ次の世代に残してはなりません。

一人でも多くの、善良で人を疑うことを知らずマインドコントロールの底に沈んでしまった声なき声を引き上げ。少しでも早く、真光の金集め・人集めに利用され、家庭を破壊され、貴重な人生の時間と金銭を奪われた自覚無き被害者達に、実り多い人生を取り戻して頂きたい。

それが、不覚にも真光に関わってしまった私たちがこの世に残していける真実です。

真光の信者を救い出せるのは、経験者である私達元信者しかいないと考えます。
私達ネットワーカーの力でどこまでやれるのか未知数ですがやってみましょう!
ぜひ、ご協力をお願いいたします。

これはと思える過去ログや証拠がありましたら、2chや真実板に是非アップしてください。HPにもゲストブックを用意していますのでそこに書き込んでいただいても結構です。拾い上げて掲載します。

ご感想、ご意見、ご希望、ご批判、間違いの指摘もよろしくお願いいたします。

追伸、2ch、真実板の批判派の皆さん、HP巻頭に掲載しますので宜しければ「HP開設にあたってのメッセージ」をこの板またはゲストブックにアップしてください。

それではよろしく!
2002年7月7日 11:00


1976年12月27日(月) q

「光玉の勲章はインチキ勲章」ホームページゲストブック

プラウス - 02/07/07 11:26:08
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Ivory/7195/

コメント:
HP開設おめでとうございます。これからもお互いに真実を追究し、「真の利他愛」を実践していきましょう!(@`▽´@)/


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丹頂鶴 - 02/07/17 21:21:16

コメント:
光玉の勲章はインチキ勲章さん、ホームページの開設おめでとうございます。私が真実板で発言する気に成ったのは貴方の投稿や「暴かれた真光」を見てから直ぐでした。真実板が黄色だった頃何度か投稿しようとしましたが止めました。以後見る事を封印しています。何故か最近見たく成り覗いてみると貴方が奮闘しているのでフォローしてあげようと思った次第です。自分一人解っていれば、それで良いと思っていましたがこのまま放って置くと未来に大きな不幸と迷惑がかかると思い投稿しました。 この世はありとあらゆるものが、カルトスパイラルに陥っているのではないかと思われて仕方がありません。食物や飲物に関しては気をつけて下さい。綺麗な水を使いよく吟味した自然食品を、よく噛んで食べる習慣を身につければ、病気の大半は未然に防げる筈だと思います。白砂糖は猛毒です。予防に重点を置き、薬や手術をやらない医学の進化を望みます。 喫煙民族=インディアン=ホピ族の土地から掘り出されたウランが、原爆となり広島と長崎に落とされ、ピカドンのキノコ雲が立ち昇りました。タバコの吸殻を見ると火の神=チョンが、悪神である事がよく解ります。喫煙者を見ると「お前の喉は煙突か?」「ポンコツロボットなのか?」とツッコミたくなります。知識を悪用して莫大の富を得て、莫大な被害と損失を与える獣をアンチキリストと言っても、差し支え無いでしょう。 急世教や魔光は戦後の荒廃した日本における火事場泥棒のカルトです。戦前の大本において出口王仁三郎はミロクノ獣=イシヤが、木っ葉微塵に打ち砕かれる型を出していますので、光玉の作ったカルト組織も分に洩れず、瑞霊の大神により木っ葉微塵に解体されるのは、時間の問題です。病貧争災の地獄を作り出すカルトは、瑞霊=生命創造の神に刃向い、火の神=核原子力=金銀財宝=階級権力=弱い者イジメ=獣を崇拝する悪霊です。 カルトより被ったPTSDは被害金額や身体的苦痛の大きさによるかも知れませんが、「飛んで火に入る夏の虫」と言う諺がある如く、責任は自分の中にも有った事を反省して、これからはカルトを見破り騙される事なく、明るく楽しく人生を送られるように、みんなで輪になって努力した方が良いと思います。ブロードバンドの普及がカルトに苦しむ人々の助け舟になる事を、祈って止みません。 昨日の朝刊に載りました「国会議事堂は、解体。」と言う週刊宝島/宝島社の大きなカラー広告は大変に気に入りました。マスコミの正義や勇気ある活動はとても感謝しています。本当に有り難う御座います。勲章さんの友達に宜しくお伝え下さい。 瑞霊=水=生命創造の女神=善=人類=生殖繁栄=丸厳霊=火=天地創造の男神=悪=道具=住居施設=点 男性の肉体には、生命創造の女神が宿り。女性の肉体には、天地創造の男神が宿る。 太陽=地獄=丹田チョン=中心の原動力地球=天国=魂マル=生命意識の源泉月=霊国=守護霊マル=人生潮の満ち干 マル(丸)は、チョン(点)の全てを包み含み守ります。森羅万象は、陰陽和合し中庸の精神を発揮する。 これらの事は観念の遊戯に過ぎないと思われがちですが、カルトの被害に良く効く薬として調合してありますので、各自よく考えて下されば、自ずと答が出るかと存じます。誠が有る人の幸運を祈ります。神魂!


1976年12月26日(日) q

手かざし宗教の真実 掲示板

Re;「光玉の勲章はインチキ勲章」ホームページを公開 No: 127 [返信][削除]

投稿者:シーちゃん 02/07/07 Sun 11:23:01

まだ全ての内容を拝読しておりませんが、素晴らしいHPが
立ち上がりましたね。
こう言ったHPが沢山出来、少しでも多くの信者、入信予備軍、一般の
方の目に触れ、理解が深められれば大きな警鐘となります。

これからゆっくり拝読させていただきます。活躍を期待します。


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Re: 「光玉の勲章はインチキ勲章」ホームページを公開 Prev: 126 / No: 144 [返信][削除]

投稿者:源伸 02/07/08 Mon 00:50:39

インチキ勲章氏のホームページを先程拝見致しました。

「はじめに」を読んで、私と同様に神秘体験を重ねながらも、尊敬できない
某道場長によって、尊敬に値する組み手の小母さんが幽界誕生した経緯からは
非常にお辛い心情がひしひしと伝わって参りました。

私の場合はそういう道場長に恵まれなかった?ので、紙一重の差が百里の違い
になったような感が致します。

ホームページの読後感ですが、「暴かれた真光」のような教義のデッチアゲや
誤訳が今のところ見当たりませんでしたので、そのスタンスは今後も堅持して
いただきたいと存じます。

ご神縁があっても異なる道を歩んだ貴兄へ  源伸(みなもとしん)


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Re: 「光玉の勲章はインチキ勲章」ホームページを公開 Follow: 138 / Prev: 126 / No: 128 [返信][削除]

投稿者: 02/07/07 Sun 22:13:00

嘘吐き勲章君へ
ホームページの立ち上げおめでとう。
ま、勝手にやってくれたまえ。
君の主張が正しいか否かは、神々が判断されるであろうよ。
せいぜいキクさんの二の舞に成らぬよう気を付けたまえ。

ところで、私も書き込んで良いのかな?(笑)


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Re: 「光玉の勲章はインチキ勲章」ホームページを公開 Prev: 126 / No: 137 [返信][削除]

投稿者:そうかな? 02/07/07 Sun 23:58:31

ホームページ開設、おめでとうございます。

タイトルもそのまんま衝(笑)撃的でケッコウです。

それはそうと光珠の宗教リンク集に登録依頼はされましたか?
http://members.tripod.com/~koushu/RL_Fset.htm

ここも恰好の宣伝場になりますよ。


1976年12月25日(土) q

手かざし宗教を倒せ!

  <> 7 Jul 2002 14:53:27

インチキ勲章を胸に付けた教祖





教祖のインチキをネットで暴け!


組手達を詐欺集団から救い出せ!


それこそが真の人救い!


1976年12月24日(金) q

オウム真理教問題掲示板 弁護士紀藤正樹のLINCへようこそ!

[1419]七夕の祝 by.A 2002年07月08日(月) 05時21分 ■

年端もいかない児が、サリン事件の発端となる事件で
殺害された悲哀を悼み、私は、思わず「手かざし宗教の真実」板で、
あの人は霊格の高い霊能者ではないかと言われる人の
文章を引用させて頂きました。
そして、真実板で同じく評判が高い「光玉の勲章はインチキ勲章」さんの
ホームページ開設のお知らせを、七夕の日に見て、感激です。
前進おめでとうございます。
真光は母親を勧誘するので、幼児・子供の被害がたいへん多うございます。
坂本事件のように、肉体の殺害もさることながら、
魂を身動きできなくすることは、
人格発達上大変な罪だと存じます。
MCと一口に申しますが、私としては魂の問題として捉え、
「おまえたちは、人としてやってはいけないことをしている」
ということに尽きます。
霊能者と噂される人が書かれた意味を、自分なりにかみくだいて、
宋版の漢詩から拾ってみました。

饒爾得仙人 たといなんじ仙人を得るとも
恰似守屍鬼 あたかも屍を守る鬼に似たり
心月自精明 心月 おのずから精明
萬象何能比 萬象何ぞよく比(たぐ)えん
欲知仙丹術 仙丹の術を知らんと欲せば
身内元神是 しんないの元神 これなり

人には心がある。心はもともと名月の如く清澄。
もしまことの仙丹の術を知ろうとするなら。
この身に備わる本源の心がそれだ。

カルト教団について、もとより宗教の自由は憲法で保障されている。
それなのに当事者側の宗教団体で、自分のところの信者に対しては、
是を認めようとしないのは、おかしな話で。
本来、「平和」を齎すべきはずの宗教が、
やめると罰があたるだの、不幸になるなどの暴言を吐き、
人々の恐怖心を煽り立てるに及んでは、本末転倒も甚だしく。
悪霊です。


1976年12月23日(木) q

はじめに

私は、約10年前真光系教団の一つである崇教真光の神組み手(信者)に入信しました。その後約3年の間に様々な霊的体験を経て「守護霊の交代が起こりましたね」「想念転換が叶いましたね」といわれ、この信仰は本物なのだと確信し本当の神に出会えたことに感謝しました。開祖である光玉氏を心から信奉し尊敬しておりました。それからというもの、毎月のように月始祭に参拝をし多額の奉納金を納め手かざしに励んでおり、お導きも沢山してお世話係にもなり、一時は本気で幹部に志願する事も考えました。

そんなある日、私の道場に所属していたある小母さんがいました。真光には「薬は毒である」という教えがあり、組み手は出来るだけ薬に頼らない生活をするように指導されています。そこで、彼女は糖尿病であるにもかかわらず、組み手歴が長いというプライドもあって薬断ちをしておりました。

この道場の道場長はワンマンで全く人望がなく、事ある毎に組み手と対立している嫌われ者でした。また、お浄めをしない幹部でもありました。そんな事もあって、道場長はある夏の炎天下の日に小母さんを恢弘(布教活動のこと、戸別訪問や真配りといって真光を説明するパンフを配布したり個人宅で手かざしする)に出しました。小母さんは気分が悪くなって病院に担ぎ込まれ、その後自宅で導士からお浄めを受けているときに死んでしまいました。

彼女はまだ50歳でした。見た目の彼女は健康的でとても持病を抱えているとは思えないほど明るく、道場の人気者でした。仕事が忙しく月並祭や月始祭のバスでしか会うことのない私に対しても、親切で素敵な人でした。小母さんは言いたい事はハッキリという一本気な性格で、そこがワンマンで理不尽かつ高圧的な道場長の逆鱗に触れたのだと思います。

私の知り合いの70歳過ぎの老人でさえ規則正しい食生活をし、キチンと投薬を続けて糖尿病を完治しました。50歳の方が糖尿病で死んでしまうことは異常と言っても良いでしょう。糖尿病の患者がインシュリンの注射や代用薬を断てば死ぬのは当然。夏の暑い日に炎天下で歩き回れば、急速に体力を消耗し死んでしまう可能性のあることは一般の人でも知っていることです。ましてその道場長は元医療関係者でした。

小母さんは幹部に殺されたも同然です。小母さんのご家族は小母さんによって入信させられ真光を信じ切っています。だから、小母さんの死は命をミソがれて「幽界誕生」したのだと自己完結的に納得し、今もご神業(主に手かざし)ご奉仕に励まれています。
(組み手は死を幽界誕生といい非常識にも人の死に際して「幽界誕生おめでとうございます」と言います)

組み手は、95年のオウム真理教事件の時「ああなんて酷いカルトだ」と思っていました。エホバの証人の「輸血拒否」に関しても「なんて酷い宗教」とバカにしていました。真光は宗教ではなく崇教であり、世界の五大宗教をまとめ人類教となる偉大な教え(崇盟五道)であると信じています。この世の中は真如逆法(本来あるべき姿ではない酷い状態)であり、その中にあって真光こそが神理正法(人類社会の本来あるべき正しい姿)を説く唯一の宗教であると教えられ信じているのです。

でも、考えてみてください。もし、真光が「怪しいインチキ宗教」とバカにしている他宗教と同じ低俗なインチキ宗教だったらどうしますか?真光のお祀りするのは天地創造の親神であるスの神と教えられています。ですから組み手は、「人類を創られた親神様のなされる事だから何があっても仕方がない」「子供が親を選ぶことは出来ないのだから仕方がない」と諦めます。

でも、もし真光の神様が教えられているような天地創造の親神様でなかったらどうしますか?マトモな神でなかったらどうしますか?組み手の皆さんは、皆さんがバカにしていたオウムと同じマインドコントロールされた、ただの狂信者ではないでしょうか?もしかすると、小母さんは騙されて死んでしまったのではないでしょうか?

そんな疑問を持ちつつも組み手を続けていたある日。私は昨今のブロードバンドブームにより、流行の高速のインターネット環境とPDA端末による接続を実現しました。そこで、かねてから気がかりになっていた真光が2chでどの様に扱われているか覗いて書き込んでみました。そうすると正に「ボロクソ」ガツンとやられたのです。2chで真光はインチキ宗教そのものだったのです。私は驚きました、「こんな筈はない!みんな勘違いしている!」そう思いました。組み手は例え恢弘活動で一般の人に嫌われてもなんとか入信してもらえれば救われる。そう思っていますからこんなに酷い批判にさらされるとは思ってもみませんでした。

このカルチャーショックに打ちのめされた私は、「暴かれた真光」をはじめとする、真光告発サイトを出来るだけ多く閲覧しました。又、今は信者を辞めてしまった友人や殆ど道場に来ない自称不良組み手、上級幹部とも面識のある元幹部や上級組み手に連絡を取り、様々な教団に関する噂を聞き出しました。

それは、真光にのめり込んでいた私が見落としていたこと、気付いていても自己完結的に処理し勝手に納得していた事だったのです。そして、私は約10年前の初級研修会の時に言われた「西暦34年に制定された勲章」の話を思い出しました。そんな大昔に勲章があったのだろうかと当時も思っていたのですが、その時は手かざしの魅力に目を奪われていて深く追求しなかったのです。そこから真光の真実を探す旅は始まったのです。

マインドコントロールされている人は自分がマイコンされている事に気付かないものです。もしかしたら自分の信仰を失ってしまうかもしれないという恐怖心はあると思います。でも、真光の信仰に少しでも疑問を持ち、聞く耳を持っている貴方なら是非私と一緒に真光の真実を探してください。

組み手が今まで知らされていなかった真光の様々な事実を知って、客観的にご自分の信仰を見直してください。真光と無関係な人たちから真光はどう見られているのか考えてみてください。この体験は貴方にとって必ずプラスになります。真光が信仰するに値する宗教なのかどうか、考える契機をつかんでください。

出来れば、一人でも多くの方が目を覚ましてください。そう切に願っています。オウム信者をオウムのマイコンから引き上げることが出来るのは元オウム信者であるように、元組み手達こそがマイコンに落ちている組み手を救う事が出来ると確信しています。

命まで失ってしまった、優しかった小母さん。人生の貴重な時間と金銭を真光のために食いつぶされてしまった沢山の元組み手と現役組み手の皆さん。マイコンの底に沈んでいる声なき声のために、このホームページを捧げます。

2002/07/07
「光玉の勲章はインチキ勲章」プロジェクト
2ch「真光関係者集合」有志一同


1976年12月22日(水) q


セント・デニス・ザンテ勲章の真実

教団内の事実

物証1 セント・デニス・ザンテ勲章

1.教団公式肖像写真で光玉氏は「セント・デニス・ザンテ勲章」を付けている。
2.月始祭、大祭では教団旗・教え主旗とともに、巨大な勲章の刺繍をあしらった紫紺の「セント・デニス・ザンテ勲章旗」が飾られる。
3.この肖像写真は崇教の道場では6月23日(光玉氏の命日)2月27日(光玉氏の誕生日)において各道場に掲示され、組み手は参拝をする。
4.教団出版物にもこの肖像写真と「セント・デニス・ザンテ勲章」の説明がある。
5.光玉氏の墓である「光神殿」に設置された碑に、氏の紹介文として勲章を受章した事実を記載している。
6.光玉氏の別荘である「熱海陽霊元み魂座」という建物の外壁には巨大な「セント・デニス・ザンテ勲章」の模型が飾られている。
7.教団が岐阜県高山市内に建設した、岐阜県教育委員会指定の登録博物館である「博物館・美術館複合型ミュージアム・光記念館」1F-第3顕彰記念室に、光玉氏の受章した「セント・デニス・ザンテ勲章」の実物が展示されている。
http://www.hikarukinenkan.or.jp/
8.勲章の聖デニスはキリスト教の聖人の様式で描かれている(書証2 大聖主)。

教団の説明

書証1 毎日グラフ別冊 崇教真光

セント・デニス・ザンテ勲章

救い主様が昭和47年に、国際アメリカン学術協会から、ナイトコマンダー称号とともに贈られた。聖者イエスの存命中に制定された勲章で世界的功労者に贈られる。日本の宗教界では救い主様がはじめて

「毎日グラフ別冊 崇教真光」P36
編集長 沢畠 毅
昭和六一年三月二〇日発行 発行所 毎日新聞社
(熱海陽霊元み魂座の建物に取り付けられた勲章の巨大な模型の写真に添えられた文章である)

書証2 大聖主 岡田光玉師

セント・デニス・ザンテ勲章

国際アメリカン学術協会は、一九〇一年にワシントンに設立された。本部はニューヨークにある。協会の事業は、人類社会に貢献した世界各国の功績ある人に、アカデミー賞またはナイト勲章をおくる。
もとは、西暦三十四年に、ギリシャのザンデ島で、功績者にナイト(騎士)の称号を贈ったことから始まったもので、アメリカ合衆国がそれを継承した。これまでに、ルーズベルト、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディなどアメリカの大統領、ギリシャのピーター殿下、ヨルダン王、スペルマン枢機卿、ノーベル賞のシュバイツァー博士など、世界第一級の功績者に贈られた権威ある称号ならびに勲章である。アカデミー賞の受賞者は日本にもあるが、ナイト賞がわが国の宗教界で贈られたのは、岡田光玉師がはじめてである。
勲章は、中央に聖デニスの肖像があり、それを「ザンテ聖デニス騎士団」というギリシャ文字が囲んでいる。この円形を中心にして、銀の白十字がひろがり、その先端についている銀の球は、騎士道精神の八つの徳目である勇気、節制、正義、信仰、愛、希望、慈善、慎みを表している。裏面には、「信仰・勇気」の文字が浮き彫りになっている。

「大聖主 岡田光玉師」P203-204
監修 救い主様伝記編纂委員会 
昭和五十八年六月ニ十三日初版発行 (株)L・H陽光出版
この書証2は、「叙勲」という題名で光記念館の掲示文として書証4と共に、第3顕彰記念室内に掲示されているものと全く同じ文章である。

書証3 現代のこころ 崇教真光

 ナイト・コマンダーの称号と、セント・デニス・ザンテ勲章が、岡田光玉師に贈られた。
 国際アメリカン学術学会が人類の幸福と、文明ならびに世界平和への貢献を称えたのである。
 その、叙勲式と祝賀披露宴が、東京ヒルトンホテルで催された。昭和四十七年二月十七日のことである。
 政・官・財界はじめ、各国大使、宗教、評論、医学、芸能界などの代表者が、一千名出席した。
 ブラームスの「式典序曲」が流れる。花束が次々に捧げられる。
 発起人総代に、外務大臣福田赳夫氏(後年総理大臣)が祝辞を述べる。

崇教真光と私 勲章  執筆者 柴田剱太郎
現代のこころ 崇教真光 P148
責任編集 中部大学教授 畑中幸子 編集協力 崇教真光本部
1987年11月15日 初版発行 学習研究社

書証4 光記念館 掲示文(第3顕彰記念室)

「セント・デニス・ザンテ勲章解説文」日本語訳

「セント・デニス・ザンテの守護と助けにより、且つ全評議会の推薦に従い、岡田光玉師の極めて高い徳、ひときわ優れた功績を称え、師の信仰と勇気に対し十字軍勲章を賦与する。この事実を証明し、尚且つ師が勲章を佩用し、その位階の称号を使用する資格を賦与する為本賞状に本団体の大統領の連署をあわせて署名する。」

この下に学位(らしきもの)のついた2名のサインが入る。

THE INTERNATIONAL AMERICAN INSTITUTE
ワシントンDCまでは書いてあるが、何通りの何番地までは書いてない。

以上が、高山の光記念館にセント・デニス・ザンテ勲章とともに「大聖主」に書いてある教団の解説文と同じ「叙勲」という文書とともに、日本語で掲示されている文書である。英文の展示物は「賞状(光玉の名と授与日のみが英文タイプで打たれている)」と「セント・デニス・ザンテ勲章解説文」の二つあり、どちらもワシントンDCまでは書いてあるが、何通りの何番地までは書いてない。

書証5 光記念館 掲示文(第2顕彰記念室)

岡田光玉師年譜(師の歩み)

昭和46年12月29日
世界的な文化栄誉であるナイトコマンダー称号とセント・デニス・ザンテ勲章を国際アメリカン学術協会より戴かれる。

昭和47年2月17日
叙勲式典(東京ヒルトンホテル)と祝賀披露宴が盛大に開催される。

書証6 み役者の手引き 部外秘

[6]お導きの仕方
(1)話をする時の注意
④相手に自分を信用していただくことが大事です。
 自分が有名会社や人の信用を得る仕事をしている場合は、それを相手に伝えます。教団のことも同じで、例えば、ナイト・コマンダーを救い主様がいただかれたこと、また世界総本山御建立や陽光文明国際会議開催のことなどは有力な信用になります。

崇教真光 み役者の手引き 部外秘 P198
編集 崇教真光
平成7年7月7日 初版発行

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検証1(教団の説明する勲章の来歴について)

検証2(教団の説明する勲章の名誉について)

検証3(教団の主張する受章理由について)

検証4(受章者の社会的評価について)

まとめ

その後のインチキ勲章


1976年12月21日(火) q

検証1(教団の説明する勲章の来歴について)

書証1において教団は物証1、セント・デニス・ザンテ勲章を
「聖者イエスの存命中に制定された勲章」であると説明しており、
書証2においては
「西暦三十四年に、ギリシャのザンデ島で、功績者にナイト(騎士)の称号を贈ったことから始まったもの」と説明しています。

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では、物証1の勲章が教団の主張するような来歴を持つものであるか検証します。

西暦三十四年にイエスが生きていたかどうか(AD30年前後没)は別として、当時キリスト教は邪教でありイエスは犯罪者でした。イエスとともに殉教した使徒にもデニスなる人物は存在しませんでした。そんな時代に聖人の名を冠する勲章が制定されているとは考えられません。キリスト教が認められていない以上キリスト教の聖人が出現する筈がないからです。

また、聖人とは「カトリックや東方正教会において、殉教者や特に信仰にすぐれた信徒で教皇により列聖されたもの(広辞苑 第五版)」をいい、ローマ法王によって列聖され聖人の序列に加えられるものです。ローマ法王庁の成立年代は西暦349年にヴァチカンの丘の上に聖ピエトロ聖堂が建設された時から始まっており、西暦34年には聖人の列聖をするローマ法王庁すら存在していませんでした。

また、世界初の勲章は
豆知識その81
世界初の勲章は、1219年デンマークで制定された「ダネブログ勲章」である。
http://www.d3.dion.ne.jp/~kchatani/mametisiki.htm
豆知泉 No.0828
☆世界初の勲章は、1219年デンマークで制定された「ダネブログ勲章」。
http://www13.big.or.jp/~msk/mametisen/mame0083.html

勲章はゲルマン人の大移動が終わって中世(5世紀以降)になってからの話。その後ゲルマン人がヨーロッパ全域に王国を興し絶対王制が確立してから国王が与えたものです。従って、デンマークの勲章が最古のものであることは、ヨーロッパで最も古い王朝がデンマーク王家であることと符合します。
従って、歴史的事実として西暦34年には勲章は存在していませんでした。

西暦34年という年号は、光玉氏の生まれた明治34年と教団の立教の年である昭和34年に掛けて、教団が人為的に設定した年号ではないかと思われます。

また、ナイトの称号ですが古代ローマには「騎士階級」というものが共和国時代から有りましたが、これは世襲身分(貴族・騎士・平民)であって、勲位とは無関係のものです。

また、この勲章は、書証2で騎士道精神を表すものとされていますが騎士道精神も中世になってからの話です。

また、ナイトの称号ですがイギリスでは準男爵(サー)と呼ばれ英国が認めた一代限りの貴族です。最近では、ポール・マッカートニーがサーになりました。爵位は英国王室のように歴史と伝統ある王家によって叙爵されてこそ意味を持つものであり、民間団体の与える爵位など全く意味がありません。

以上の根拠から、教団の主張する物証1の勲章の来歴に関する以上の記述は事実に反するものと思います。


1976年12月20日(月) q

検証2(教団の説明する勲章の名誉について)

物証1、セント・デニス・ザンテ勲章を教団では、
書証1において
「世界的功労者に贈られる」と説明し
書証2においては
「世界第一級の功績者に贈られた権威ある称号ならびに勲章である」と説明し、
書証5においては
「世界的な文化栄誉」と説明されています。

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では、物証1の勲章はそのような名誉のある勲章なのか検証します。

この点、
The Sovereign Order of the Knights of Saint Dennis of Zante:

Originally founded by the notorious "Count" Pericles Voultsos, this is now apparently run by "H.S.H. Count Thomas JohnTaglianetti". This Order claims among its members former President George Bush, yet another example of how these groups send their award to a prominent individual and then claim him for a member. It is closely associated with a Mr Lowell Barker, who calls himself Bishop Mikhail of the Ukranian Orthodox Church.

セント・デニス・ザンテ勲章(ザンテ・聖デニス・ギリシャ勲章): この勲章は、かの悪名高い(自称?)「伯爵」であるPericles Voultsosによって作られ、現在は,Thomas John Taglianetti (HSH)伯爵によって運営されている。この勲章は、元アメリカ大統領のジョージ・ブッシュ氏もその受賞者の1人だとされているが、この勲章は有名な人物に送りつけられ、受賞者だとされているだけである。この勲章は、ウクライナの正統派教会の司教であると自称しているLowell Barker氏と深い関係がある。

http://www.chivalricorders.org/orders/self-styled/slfstlod.htm

また、
The Italian Ministry of Foreign Affairs issued in 1953 a long but not exhaustive list of such illegitimate orders. This list is apparently updated from time to time. Here it is, copied from an editorial in Hidalguia (no. 177, 1983).
  
  Saint-Denis de Zanthe (ordre souverain grec de)

イタリア外務省は、1953年に、そのような非合法な勲章について、長いけれども完全ではないリストを発行した。このリストは何度も更新されている。ここにあるものは、”Hidalguia”(1983年177号)において編集されたもののコピーである。

→リストの中に、セント・デニス・ザンテ勲章がある。
http://www.chivalricorders.org/orders/self-styled/slfstlod.htm

以上の、真光とは無関係な「偽りの名誉」を告発するサイトに、セルフスタイルドオーダー(自称勲章)として掲載されています。このようなニセ勲章は悪徳商法や詐欺の恰好の道具となる危険があることから「偽りの名誉」として、騙されないように警告するためにリストアップされているのです。

真光の批判HPである「暴かれた真光日本語版」ではこの勲章について、
この勲章は"Self-styled order(セルフスタイルドオーダー:自称勲章)"と呼ばれる私的に作られたものであり、かの悪名高い伯爵である Pericles Voultsos によって1940年代ないし1950年代につくられ、彼によってたくさんばらまかれた。イタリア政府は1953年に信用できない勲章のリストを作り、この勲章もそのリストの中に入っているものの、この勲章は彼の発案によるものであり、本物の勲章を真似たものでもないため、非難されることはなかった。この勲章は個人事業団体が与える勲章であり、本物の騎士道の勲章ではない。このような個人的な勲章をつくるねらいは、有名人に勲章を送りつけてその有名人の名前を会員の中に入れて(その団体の宣伝などに)活用するためである。有名人の多くはその勲章をもらってもありがたいとは思わず、勲章を身につけることもない。私たちは、かかわらないようにしたほうがよいと、アドバイスされた。
http://www.geocities.com/ex_mahikari2001/Insight1.htm
と記述されています。

また、各書証に掲載されている光玉氏に贈ったとされる「国際アメリカン学術協会」についても「暴かれた真光日本語版」は、
アメリカのワシントンにおいて、米国国際アカデミー協会と呼ばれる組織にコンタクトをとってみたところ、この協会はそのような賞など与えておらず、それはつくり話だろうということであった。この協会以外では、米国国際アカデミー協会と呼ばれる組織は今までのところ見当たらない。
と記述されており。

また、書証4の「セント・デニス・ザンテ勲章解説文」日本語訳では、
ワシントンDCまでは書いてあるが、何通りの何番地と書いてない
ということで、これは日本語訳もそうですが英語の原文にも協会の所在地は書いてありませんでした。

以上の根拠から、物証1の勲章は教団の世界的権威ある勲章であるという主張は事実に反するものと思います。


1976年12月19日(日) q

検証3(教団の主張する受章理由について)

物証1、セント・デニス・ザンテ勲章を教団では、
書証1において
「世界的功労者に贈られる」と説明し
書証2においては
「人類社会に貢献した世界各国の功績ある人に、アカデミー賞またはナイト勲章をおくる」「世界第一級の功績者に贈られた権威ある称号ならびに勲章である」と説明し
書証3においては
「人類の幸福と、文明ならびに世界平和への貢献を称えた」と説明されています。
さらにこの一文は教団の光玉氏の墓所である「光神殿」の銘文にも明記されています。

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では、物証1の勲章をこのような内容の受章理由によって受章したのか検証します。

書証1、2、3の出版物はそれぞれ毎日新聞社、(株)L・H陽光出版、学習研究社発行と異なっていますが、何れも教団監修によるものであり、(株)L・H陽光出版を経由して各道場や月始祭時に本山で販売されています。

書証4の執筆者である柴田剱太郎氏は教団出版物ではおなじみの人物です。ジャーナリストということですが、現在Googleで検索される出版物は「人間のドラマ-ニュースらうんじ街のものがたり」(株)L・H陽光出版(昭和60年10月10日 1985)が検索されるのみです。

さらに、書証3には「人類の幸福と、文明ならびに世界平和への貢献を称えた」とありますが、その貢献の具体的内容は不明です。
以上のことから、これらの主張する光玉氏の受章理由は教団の公式見解であると思われます。

これに対し、勲章に付随して国際アメリカン学術協会から授与された書証4の「セント・デニス・ザンテ勲章解説文」日本語訳(英文も同じ)では、
「岡田光玉師の極めて高い徳、ひときわ優れた功績を称え、師の信仰と勇気に対し十字軍勲章を賦与する」と書いてあるだけで、受章理由の具体的内容については全く触れておりません。

さらに書証3では、
「その、叙勲式と祝賀披露宴が、東京ヒルトンホテルで催された。昭和四十七年二月十七日のことである。 政・官・財界はじめ、各国大使、宗教、評論、医学、芸能界などの代表者が、一千名出席した。」とありますが、
光玉氏が受章した物証1の勲章の叙勲式の翌日(昭和四十七年二月十八日)の三大全国紙(読売・毎日・朝日)の朝刊・東京本社版の縮刷版にはこの盛大な式典の報道は一行もありませんでした。

以上の根拠から、物証1の勲章の教団の主張する受賞理由については根拠に乏しいものと思います。


1976年12月18日(土) q

検証4(受章者の社会的評価について)

物証1、セント・デニス・ザンテ勲章を教団では、
書証1において
「世界的功労者に贈られる」と説明し
書証2においては
「これまでに、ルーズベルト、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディなどアメリカの大統領、ギリシャのピーター殿下、ヨルダン王、スペルマン枢機卿、ノーベル賞のシュバイツァー博士など、世界第一級の功績者に贈られた権威ある称号ならびに勲章である」と説明しています。

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では、実際物証1と同じ勲章を教団の主張する「世界的功労者」又は「世界第一級の功績者」というに相応しい人物が受章しているのかどうか、検証します。

実は物証1と同じ「セント・デニス・ザンテ勲章」受賞者が日本国内で近年だけでも4名もおられます。これはGoogle検索で「ザンテ・デニス」で検索できます。


1.川口 裕清氏
空気圧を活用した医療健康機器「コンセラン」の発売元社長
2.射手矢 政美氏
カプセル燃料製造剤「ダブル・オー・ニジュウイチ」の発売元社長
3.土屋 義弘氏
骨盤矯正器具「コシラック」発売元の健康せんい製品メーカー社長
インチキ大学として摘発された特許大学から1992年理学博士号を取得
http://khon.tripod.co.jp/daigaku/tokkyo.html
4.永井 竜造氏
トルマリンパワー(マイナスイオン)の学者(?)数々の学位や表彰を受けるが授与大学名や団体名は不明。トルマリン普及の第一人者(?)
全国トルマリン協会会員の店「ユニラック」主宰者(経営者?)

日本におけるセント・デニス・ザンテ勲章受章者
受章
年月 受章者名 職業 付属する学位等 授与団体
2000年
11月 川口 裕清 株式会社
コンセラン
代表取締役 予防医学博士号 米国公益法人
世界学術研究
アカデミー財団
会長
カシミア・プリンス博士
1999年
2月 射手矢 政美 W・O・Sー21CO,
ダブル・オー・
ニジュウイチ
株式会社
代表取締役 コマンドール章 聖ザンテ・デニス・
ギリシャ勲章協会
1997年 土屋 義弘 株式会社
ユー
代表取締役 ナイトの爵位 不明
1997年 永井 竜造 トルマリンパワー
の学者(?)
学歴不詳
ユニラック
(トルマリン専門店)
のページに掲載 名誉哲学博士号 不明
1971年
12月29日 岡田 光玉 世界真光文明教団
責任役員
手かざしと奇跡を
売り物とする宗教
団体の救世主で
ヨニマス大天津神
地上代行者 ナイト・コマンダーの称号 国際アメリカン
学術協会
ワシントンDC
所在地詳細不明

このように、中小企業の社長さんが受章しています。

以上の根拠から、上の例は少なくとも歴代アメリカ大統領などと肩を並べるほどの有名人あるいは功績のあった人物とは到底思われず、「世界的功労者」又は「世界第一級の功績者」が受章するという教団の主張はいささか誇張にすぎるものと思います。


1976年12月17日(金) q

まとめ

以上の検証から、物証1の光玉氏が受章した「セント・デニス・ザンテ勲章」に付随して「国際アメリカン学術協会」から授与された書証3の「セント・デニス・ザンテ勲章解説文」日本語訳(英文も同じ)には、その来歴や権威等について全く記述がありません。

にもかかわらず、「世界第一級の功績者に贈られた権威ある称号ならびに勲章である」と積極的に主張しています。しかしその主張する事実には全く根拠がないものと思います。

さらに、み役者が使用する教団のテキストである書証5のみ役者の手引きでは「ナイト・コマンダーを救い主様がいただかれたこと、また世界総本山御建立や陽光文明国際会議開催のことなどは有力な信用になります。」とお導き(布教)の際に信用を得るための道具として使うことを積極的に推奨しているのです。

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資料集めに協力し、助言してくれた2ch「真光関係者集合」有志の皆さんに感謝します。


ちなみに、アメリカでは「インチキ大学」というものがあって卒業証書や学位が販売されています。

通信制Ph.Dって(;´д`)
http://www.onweb.to/ken9/log/033.htm

(インチキ?)大学一覧
http://khon.tripod.co.jp/daigaku/

ホノルル大学
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835548&tid=
c08jaaa1a22bd3x7ognbbn9fa4nbcha4jjfd&sid=1835548&mid=2

特許大学(摘発済)
http://khon.tripod.co.jp/daigaku/tokkyo.html

注:特許大学
……正式名称は「株式会社特許大学」。1980年11月に東京警視庁に摘発されるまでの16年間に、医学博士(500万円)、政経学博士(50万円)等のニセ博士号を乱発していた。

 一種の詐欺であるが、博士号欲しさに金を払った人たちの中には政治家3人、開業医70人、会社社長100人ほどが含まれて居たという……。困ったものだ。

{参考 別冊宝島 334 『トンデモさんの大逆襲』 P88 三井 一郎 宝島社刊}

http://member.nifty.ne.jp/A_Shino/comment-4.html

ここに出てくる大学は実際は学校ではなくただの会社で、卒業証書や学位を販売していたりします。これが、いわゆるブランド詐欺と言われるもので「セント・デニス・ザンテ勲章」もこの手の怪しい代物の一つであると考えられます。オマケとして様々な学位や爵位などを付けていますね。冗談として笑えるならともかく、これらが作り出した偽りの名誉や権威が悪徳商法・詐欺商法・経歴詐称の道具として利用される事が多いことから問題となっているのです。

ちなみに検証4に出てくる「土屋 義弘氏」は上述の「特許大学」から「理学博士号」を取得しています。また彼の著書「ポーリング博士の7つの健康法」 (京都 全国日本学士会 1998-11-10出版)を刊行している、「(社)全日本学士会」という組織は、同じく検証4に出てくる「永井 竜造氏」も正会員で論文を発表しています。

が、詳細不明の組織です。ただの出版社でしょうか?特に一流といわれる学者が論文発表をしているようではないです。何だか権威付けだけをする機関のように思えます。

健康器具とか健康食品の世界って、どうしてこんなに怪しいのでしょうか?
たしかに、手かざしも健康法の一つなんですけどね。

健康本の世界-真光も載ってるよ
http://khon.tripod.co.jp/

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というわけで、岐阜県指定の登録博物館である「光記念館」には怪しい勲章が置いてあり、しかも事実とは違う解説がなされています。
早速、みんなで岐阜県教育委員会に連絡して学術調査をしてもらいましょう。
その場合には、この「光玉の勲章はインチキ勲章」HPを教えてあげると良いでしょう。

岐阜県教育委員会 社会教育文化課
c17768@govt.pref.gifu.jp


1976年12月16日(木) q

その後のインチキ勲章

光記念館の真実(7)――セント・デニス・ザンテ勲章について No: 5678 [返信][削除]

投稿者:崇教インサイダー 03/04/05 Sat 22:22:28
 この勲章について、ブリタニカ百科事典(書籍)で調べてみたが、全く情報は得られなかった。ところが、米国議会図書館のHPでやっと手がかりを得られた。
 http://catalog.loc.gov/cgi-bin/Pwebrecon.cgi?DB=local&PAGE=First
 Keyword 検索で " Dennis of Zante " を入れてみると、以下のような文献がみつかった。料金を出せば、日本にコピーを送ってくれるようだ。

[1] Brief Description: Sovereign Greek Order of St. Dennis of Zante
Historical summary and roster: documented and pictorial.
New York: American Society of the Greek Order of St. Dennis of Zante, 1974. 63p.

[2] Brief Description: Sovereign Greek Order of St. Dennis of Zante.
Brief historical & statutes of the Sovereign Greek Order of St. Dennis of Zante: (Jerusalem 1096-1291, Cyprus 1292-1310, Rhodes 1311-1523, Zante 1524, United States 1953).[s.l.]: Benelux Commandery, 1977. 18p.

[3] Brief Description: Greek Order of Saint Dennis of Zante
The story of the ancient and most exalted Greek Order of Saint Dennis of Zante.
Washington, D.C.: International American Institute, 1958. 58p.

 さて崇教真光ではWashington, D.C. に、お浄め所が開設されている。同所のスタッフが議会図書館で上記文献を調査の上、その内容を光記念館で展示・閲覧できるようにすべきである。また、アメリカの歴代大統領に関する記録は議会図書館で閲覧できるから、ルーズベルト、トルーマン、それにケネディーの勲章受賞の事実を調査の上、やはり光記念館で展示・閲覧すべきである。岐阜県登録博物館ならそれぐらいの事をして当然である。
 また、外務大臣の在任中の行動記録は外務省の外交資料館で閲覧可能な様である。福田赳夫外務大臣が受賞記念式典に出席したことが公式記録に残っているかどうか調べる必要がある。



インチキ勲章続編 No: 3539 [返信][削除]

投稿者:  02/12/27 Fri 19:44:45
ザンテ・聖デニス・ギリシャ勲章を受賞
ヨーロッパ各王室で承認されている。(シュバイツア博士、マザー・テレサ女史も受章)
世界で最初に遠赤外線を応用した治療器を開発したこと、1990年米国N.YにおいてガンやHIV治療のため1年間ボランティア活動を行った功績等により受章。

http://www.sunmedical-net.co.jp/cancer.html


真光によるマインドコントロール

3. Information Control 情報のコントロール

1. Use of deception  
  ごまかし行為がある。

c. Outright lying  
  明白な嘘がある。

岡田氏が国際アメリカン協会から授与されたと言われるセントデニスザンテの勲章については、嘘で塗り固められています。その紋章は真光の旗にも表れ、岡田氏はあらゆる公式な場において、そのメダルを首に掛けていました。このメダルは、信用できない勲章とされているザンテ・聖デニス・ギリシャ勲章のメダルであり、今日においてさえ、二百ドルか三百ドル(アメリカドル)で購入することができます。この団体は、例えばアメリカの大統領であるアイゼンハワー、トルーマン、ケネディなどの著名人にメダルを送りつけることにより、信頼のできる団体であるという評判を得ようとしています。岡田氏は、この勲章のもつ虚偽の名声を利用して自分の地位を高めようとし、逆にこの団体は、「聖なる師」である岡田氏の虚偽の名声を利用して自分たちの信用度を高めようとしたのです。

http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Skyblue/8673/mcinmahikari.htm


1976年12月15日(水) q

岡田光玉の真実

光記念館の真実(4)――偽りの教団史 No: 5675 [返信][削除]

投稿者:崇教インサイダー 03/04/05 Sat 22:16:20
 光記念館に展示されている教団史は、昭和20年終戦から、昭和34年立教までが空白となっている。この間の史実は、以下の書籍で得ることができる。

[1] 新宗教辞典 東京堂出版 S59.9初版
 上越教育大学教授 松野純考編著

[2] 新宗教事典 H2.3.10初版 発行:弘文堂
編集:國學院大學日本文化研究所助教授 井上順孝
   明治大学商学部教授 孝本貢
   関西学院大学社会学部助教授 対馬路人
   国立民俗学博物館助教授 中牧弘允
   東洋大学社会学部教授 西山茂

[3] 新宗教教団・人物事典 H8.1.30初版 発行:弘文堂
編集:「新宗教事典」に同じ

[4] 神道人物研究文献目録 H12.3.30初版
編集:國學院大學日本文化研究所 発行:弘文堂

 それでは各文献に記載された内容を紹介する。

1. 岡田光玉
 [1] 201頁
 昭和十八年インドシナ戦線に配属されたが、重症のカリエスを発病して帰国。当時、世界救世教の有力信者だったことがある。
 [2] 840頁、[3] 380頁
 戦後、世界救世教に入信して教団の有力信者になっている。
 [4] 140頁
 世界救世教の有力信者を経て、昭和三十四年に世界真光文明教団の前身であるL・H陽光子友乃会を設立する。
 【研究書】
  笠原一男『現代人と仏教―親鸞・蓮如・新興宗教の七人の教祖たち』評論社、1971。
  猪野健治・梅原正紀・清水雅人『民衆宗教の実像―十二人の教祖たち』月刊ペン社、1972。
  畑中幸子編『現代のこころ-崇教真光』旺文社、1987。
  『アカデミア』人文・社会科学57、1993。

2. 岡田恵珠
 [2] 840頁、[3] 381頁
 本名・甲子(こうこ)。神名・聖珠。昭和四年(一九二九)一二月一六日--
 世界真光文明教団の創始者である岡田光玉の養女。
 初代教え主の死後、二代教え主の就任をめぐる裁判に敗訴し、昭和五三年新たに崇教真光を設立。

3. 世界真光文明教団
 [2] 475頁
 世界救世教の支部長をしていた光玉は、昭和三十四年(一九五九)、五日間の人事不省から覚めると「天の時到れるなり。起て、光玉と名のれ。手をかざせ。厳しき世となるべし」との神示を受け、L・H陽光子友乃会を設立して活動を開始、翌年宗教法人となった。

<上記書籍の図書館での所蔵状況>

岐阜県内の公立図書館 http://www.library.pref.gifu.jp/oudan.htm
 [1] 県立、恵那
 [2] 県立、関、美濃加茂、大垣、池田
 [3] 県立、可児、白鳥、海津、池田
 [4] 県立

全国の大学・研究所の図書館
 [1] 117個所 http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN0079840X
 [2] 291個所 http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN04347570
    82個所 http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN11093993
 [3] 161個所 http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN13693823
 [4] 74個所 http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA46403053

 結論的には、光記念館になど行かなくても、最寄の公立図書館で事典類を調べれば、正確な知識が身につくわけだ。こんな博物館ははっきりいってインチキだ。岐阜県登録博物館は取り消されて当然である。
 なお井上順孝氏は現在、国学院大学神道文化学の教授である。
 http://www.kt.rim.or.jp/~n-inoue/


1976年12月14日(火) q

立教の疑問? No: 3866 [返信][削除]

投稿者: 03/01/05 Sun 00:44:02
「神示」により立教し、教義を構築して行ったと伝えられていますが、それと同時期に、岡田光玉による、情報収集には余念がなかった事実があります。
崇教真光で伝えられている部分では、朝な夕なに神からのお告げを書き留めて行ったと伝えられているにも関わらず、他宗教を調べ上げていた。
そして出来上がった教義は、誰が見ても寄せ集めと分かる内容になっている。
岡田光玉が情報収集をする理由が見えて来ない。
立教時の近辺を取り巻く環境からも、意図的に作られた教団で有ることは確かに思える。
本山建設までの間には、組み手に掛かる負担は相当なものであり、分裂した双方の権力争いに、組み手達が巻き込まれた形にもなっていたようだ。
崇教真光の2代教しえ主、恵珠に至っては、宗教的知識に関しては皆無に等しかった。
光玉の死後、恐怖に怯えていた恵珠を周囲が持ち上げ煽り、見事にお登りさんに仕立て上げたと言われている。
信者数を稼ぐ為の、苦肉の策と言うところだろう。
残された分裂派同士で、適役を奉り上げたと言う事のようだ。
ここまで来ると、下らない権力争いに気付く組み手達が、更に分裂を始めた。
分裂に関しては、現在も続けられているようで、各道場レベルでの分裂騒ぎも絶えない。
当然、月始祭や大祓祭ではゴーストライターが存在し、光玉の録音テープに続いて、恵珠の棒読み教示には呆れたものだった。
隠しようのない事実が明らかにされる一方で、深く洗脳した信者達が教団を擁護する事まで計算に入れていたとも思われる。
過去の教団関係者が口を割る事で、明るみに出た情報を覆す事は出来ないだろう。
それらを如何に知られる事なく運営して行くかが、崇教真光の教勢拡大に繋がると思う。
それらを知りながらも、残れる組み手も居るようですけど。(笑)


1976年12月13日(月) q

「無私の愛よ永遠に」平成二年刊 -たま出版、瓜谷社長の証言-

たま出版に瓜谷社長は初期の真光組み手であり、光玉のとの経緯を「無私の愛よ永遠に」平成二年刊に於いて書き残している。

(瓜谷氏の超宗教・超宗派への道の提言に対して)
以下引用

◆脱宗教から精神世界探求の旅路

 確かにこの教えによって、自分はまぎれもない霊的開眼をした。そしてそれによって自分なりの霊的思想を身につけることができた。しかもそれは自分自身の精神世界に深く根を下ろしたものである。そこからは当然無限の探求を目指して進もうという意欲が湧いてくる。そうなるとそれ自身自主独立で、何ものにも頼ることなく、常に自由でありたいと願わずにはおられない。そのような自覚が高まってくると、本来、誰にでも通用すべき普遍的真理たるべき霊的思想が、一教団のドグマ(教義)として、独占されることに対して疑問をもつに至った。また万人に等しく備わり、元来誰にでも可能な筈のまな手のような業を、その教団に属する、いわゆる信者だけに与えられる特権的な技とする独断と僭越にも承服することができなくなった。私はこの師にめぐり会い、これからそのユニークで現代人に説得カのある教義の世界宣布をしようとする時から、いわゆるどこにもある一般の新興宗教団体のような形をとらず、もっと自由で開かれた超宗教的な運動形態をとってはと、師に対ししばしば進言した。筆者は昭和三十九年一月の本教の機関誌に広報部長としての年頭の挨拶の中で次のような一文を寄せた。「思うにこの信仰(神向)は、単に数ある既成あるいは新興宗教団体の中の一つとしての存在意義のみならず、万人がこれを承認し万人がこれを悟らねばならぬ世界と宇宙の神理を明示しているという点に、その優れた存在の意義があります。特に今後に来るべき文明が霊文明であることを明言し、人類の進むべき方向が何処であるかを明確に示竣していることは、今までの何れの教えにもない画期的な点であります。従って本信仰はある特定信仰の教理やご利益を宣伝する類のものと異なり、全人類が従わざるを得ない深くて高い神理を明かにして、世界に宣布せんとするものであります。……」

 このような理想に燃え、超宗教、超宗派の道を進むことを強く感じていたのである。師もこの意見には一応賛成ではあったが、顕著な真光の業の実績などにより信者が増えるに従い、やはり通常の宗教セクトと同じような団体を形成し、数ある新興宗教団の一つとしてひたすら信者数を増やすという量的拡大の道を歩み始めた。

間もなくS界真光文明教団という麗々しい名称の下に宗教法人の認可が降りた。 そしてしばらくは世田谷区にある自宅兼事務所で布教活動を行なったが、本部になる殿堂の建立の計画がされ、東横線沿線の格好な土地が求められ、その建設が始まった。 その着工に先立つ地鎮祭の時、私も妻もその式に列席した。 式の途中、何故か物凄い突風吹き、周囲に張られた式幕が風で吹き飛ばされそうになった。 妻はこの余りにも強烈で、突然の風が、何かの予兆だと言い、本教団の前途が波乱に満ちたものであることを示すものと私に語った。

そしてこの予言は的中した。 本殿ができたのが昭和四十三年三月、その後教団自体は大いに伸びたが、初代教主O師(光玉の事)はその六年後、昭和四十九年六月、この本殿で、突然の急死をしてしまった。 その直後から後継者をめぐって二人の人物がそれぞれの正当性を主張し譲らず、遂に裁判まで持ち込まれ、その決着に五、六年を要した。 その結果一方が名称を変え、同じ教義の下に、同じ初代教主をいただいて、宗派活動をするようになり今日に至っている。 間もなく正式名称継承した方の教団から、第三代を名乗る人物が現われ、別派をつくり三つの教派に分裂してしまっている。

思うにこれはあらゆる宗教セクトが陥る宿命的な運命である。 宗教の時代はとっくに終わっているのに、現世的な名誉や財産に捉われ、神の経綸を説きながら、自らはそれを実践できないでいるこの悲喜劇が多く繰り返されている。 ああ何と悲しむべき現象であろうか。

この立派に殿堂が建つ前後よく妻と語りあったものである。

「これからの人を教化する宗教あるいは精神運動の場はすべからく幕舎でなければならぬ」そのように神(妻の)から授かったと彼女は何度も私に語ったことがあるが、私もその通りだと思った。 こういう点では不思議なことに、二人は必ず意見が一致し、何の葛藤もなくお互いの心中を語りあうことができた。

この本殿の建立が始まった頃、本来なら幕舎であるべき所なのにという思いと、万時に宗教セクトをますます強化し信者の拡大に走るその姿と、主神の代行者よろしく自らを特別神聖化して行くO師(光玉氏の事)の行方に、これではついていけないとの思いがつのった。 そしてある日二人で世田谷の本部に伺いO師(光玉氏の事)に面会した。 その時二人は信仰を離れることを決意はしていたが、いきなりそこまで言うのは、多年導きいただいた教主たる師に礼を失すると思い、その時は取りあえず、道場長、その他幹部的な役をいただいていることを辞したい旨お願いした。

師は顔色を変え、いつもの温顔がきびしくなった。 師は静かに信仰をやめかねない二人の態度に、もしこの信仰を去れば、それなりの罰や祟りがないとは言えない。 またこれから何かにつけ神の庇護を受けられなくなると、翻意を促すように告げた。 厳しい一瞬であった。 入信間もなく訪れた二階にある神殿のあるご本部の日本間である。 師の言葉は、決意の決まったわれわれ二人には空しかった。 しかし温情ある師から受けた現世的恩義は忘れることはできない。 それは感謝せねばならないし、その気持ちは十分あった。

そして師は、その豊かな霊感を見抜いて、妻に、もし将来あなたが、霊的な指導者として独立するなら援助は惜しまない。 だからもうしばらくここで修行を続けなさいとも語った。 しかしそれは妻が最もなりたくないことで、心中はとんでもないことと思ったが、その場ではその過分なお言葉に、最大級の謙遜な気持ちをこめて、師にその好意を感謝しつつも、はっきりご辞退申し上げた。 このような妻には人一倍強い霊感、霊能を持っていながら、これで信者を集めたり、これを仕事にするようなことは全然念願になかった。 やはり本質はあくまで精神世界的な、一求道者であった。 その意味では二人は文字通り、同じ道を歩む互いにかけがえのない同志であった。

このような一幕があって、折角本部殿堂ができたというのに、二人は次第に足が遠のいていった。 どんな立派なものであろうと、いや立派で堂々たる殿堂である程、二人には何の魅力もない空しいものしか思えなかった。

「無私の愛よ永遠に」たま出版 P87-92 1990年6月20日

<注> 

たま出版、瓜谷社長自身がすでに岡田光玉に対し手かざしを一宗教を越えた運動にしていこうという提言をしているにもかかわらず、それを聞き入れず一宗教として量的拡大の道を選んだという証言。過去においても現在でも宗教を超えた手かざし運動をしていこうと提言する教団幹部はいるし組み手もなぜそうしないのか疑問に思うであろう。陽光子統一BBSでも真光の統一が語られているが、岡田光玉の時代から真光はそういう方向をもっておらず、ただひたすら人集め金集めに突っ走ってしまったと言うこと。真実板でも初代だけは信じたいという文明教団元幹部の証言があったが、初代の時から人類教にしようなんて気持ちはさらさらない。岡田光玉にとっても手かざしによって人類の霊的開眼を促すことなど出来ない事は解っていた。宗教でなく社会運動にしようとすればボロが出てしまう事。最初から茂吉から学んだ手かざしを使って金儲けをしてやろうと言う魂胆があったからこそ、瓜谷社長の提言を受け入れず怪しげな新興宗教にしてしまったのだ。

教団を去れば神の守護が受けられなくなる、罰や祟りがないとはいえない...と、教祖の岡田光玉氏自身が言っている。それ故、現在の真光系教団もこの体質を受け継いでいると言えよう。


1976年12月12日(日) q

Re: あれ?(天杖) Prev: 2169 / No: 2178 [返信][削除]

投稿者:  02/11/11 Mon 00:05:25
> 岡田光玉氏の立教前の経歴をあれこれ誹謗中傷される方々がおられます。
> 少なくとも立教時のエピソードは大勢の人達が立ち会った「天杖」でスタートします。
> 近年でも崇教真光の大祭でご来賓に、政治家と同様に宮司さんを初めとする宗教界の
> 方々が断然多いのも、本エピソードに起因しているように存じます。
>
今となってはそれらの人々を金で踊らせてる可能性があるのも事実です。
救世教の経験を生かして立教した事は間違いないのですからそれらを隠蔽すると言う行為が何を意味するのか分かりそうなもんですけどね。
他教団に対抗する為には教祖の絶対権威が必要だった訳です。
政治家や軍隊関係に太いパイプを持っていた岡田光玉が何を重い立教したのかは今までの教団の経歴と生前の光玉自身の身成を見れば分かると思います。
全身に一流を纏い宝飾品で飾り付けた容姿は誰が見ても人救いの為の姿では無かった筈です。
大げさな口調に派手な格好。
あれは正しく胡散臭い詐欺師の容姿その者だと記憶しております。

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Re: あれ?(天杖) Follow: 2239 / Prev: 2207 / No: 2234 [返信][削除]

投稿者:2139 02/11/12 Tue 23:10:31
>何か絡まれるようなご質問が続くので、

私が源伸さんに絡んでいるかのように見えたと言うことでしたら謝罪致します。申し訳ありませんでした。

私の質問は真光という教えに対する一般的な疑問であり、頂きましたお答えでは、だれも納得、満足できないものですので、満足がいくまで十分な質問をさせて頂いている次第です。別に源伸さんに対して悪意の感情を持って質問を申しているのではありませんので、なにとぞ誤解無きようお願いします。


>貴兄は救世教の信者ですか? それとも真光の組み手
>ですか?

私は、「真光の教義と光玉氏の過去の矛盾に疑問を持つ多くの者のうちの一人」であり、「しかし源伸さんなら、誰もが納得のいく回答を呈示してくれるだろうと期待していた者」です。これ以上のプロフィールはこの質疑応答には不要だと思います。私にも源伸さんのプロフィールは、この質疑応答に必要ありません。


ではここまでの議事録を残します。一応一つの結論を出してあります。

           = = =

昭和34年の神示は捏造品であると言われている。なぜなら
  光玉氏は昭和24年ごろから 昭和32年まで手かざし宗教である
  世界救世教に所属しており、 神示として教えていることは
  すべて救世教の教えとそっくりであり、世間から見ると
  単なる焼き直しにしか見えない。
  しかし、光玉氏は過去の経歴を隠して自分のオリジナルで
  あるかのように言っている。
  
  問題点は二つあり、一つは光玉氏は本当の経歴を教義から
  隠している事。もう一つは、神示と本当の経歴に矛盾があること。

  これを一つ一つ別々に解明していきたい。


Q1  そもそも、光玉氏は、なぜ世界救世教との関係を隠したのか?その霊的意義、信仰的意義はどこにあるのでしょうか?

A1 本スレで岡田光玉氏に直接講義をいただいたという方が以前に発言されておりました。よく救世教や他の教団で勉強されていたことは語られていたそうです。

Q2 はい、それでは、光玉氏が立教して間近なころはそういう問答もあったとします。つまり隠していなかったとします。しかし現在は、真光から発行されているあらゆる教えの中に救世教の 文字がない、いかなる段階の講習を受けても光玉氏が世界救世教に在籍し布教をしていたということを教えていないと聞いています。つまり今は隠しているのです。

なぜ、昔は明かしていたことを、今は隠しているのでしょう。その霊的意義、信仰的意義はどこにあるのでしょう。

A2 隠しているのではなく、敢えて言っていないだけだと思いますが。

結論 「言わなければいけないことを敢えて言わない」ことを世間では隠している、といいます。最初に書きましたとおり、昭和34年の神示そのものの真偽が疑われている最大の問題点である光玉氏と世界救世教との関係は、たとえ聞かれなくても言わなくてはいけないほどのことだと思うんです。

正直申し上げて、源伸さんからこれ以上の返答を頂くことは不可能でしょう。源伸さんは、これほどの重要事である世界救世教と岡田光玉氏との関係を、どうやら「大した問題ではない」と思っておられるようだからです。

今回の質疑応答では、世界救世教と光玉氏の関係については何一つ解明することは出来ず、源伸さんが普通の人と違う非常に個性的な価値観の持ち主であることだけが分かった次第です。おそらく「インチキ勲章」の件も、さして重大なことと思っておられないのでしょう。せっかくこの件をまともに返答して頂けるかと期待しておりましたのに、とても残念です。

我々が必要な物は、教祖の経歴と神示の矛盾を、とても重大なことであるという正しい認識が出来る方から、教義としてなぜそのようなことになってしまっているのかという明確な返答です。残念ながら源伸さんは、それがお出来になる方ではありません。私としては、同件を真剣に返答してくださる方がこの掲示板に現れるまで、これらの質疑応答を保留することにさせて頂きます。

源伸様、おつきあい頂きありがとうございました。


1976年12月11日(土) q

Re: 原伸は Prev: 1844 / No: 1855 [返信][削除]

投稿者: 02/10/27 Sun 01:24:53
> 光玉が救世教の幹部であったことも、大道場クラスの古参の組み手は知っている。もう70過ぎのおばあさん組み手だが、「救い主様って救世教にいたの」と聞くとちゃんと答えてくれる。古参の組み手は事実として知っている

当然のことだが、救世教の中でも真光の教祖が教団にいたことは常識。
高齢の人の中には直接の知人もいるわけだしね。
救世教の信者にとって「真光の教祖は昔救世教に所属していた」
ということは、例えば日本人にとって「昔、平賀源内という発明家が
日本にいた」というのと同程度くらいの常識だね。

>> 特に「暴かれた真光を読め!」と繰り返す輩は要注意です。
>> どうして、日本人でも入手困難な立教前のエピソードや写真を、海外組み手
>> が容易に入手できたかと考えると、極めて不自然だということです。

源伸がいっつもこればっかり言っているけど、
これは実はさほど不自然でも希少な情報でもなくて、岡田光玉が
所属していた救世教の博愛教会というところの責任者は海外布教
担当でもあり、それを支援して外国に渡った人たちも当然その弟子たちで、
つまり海外では博愛教会所属者と会うのは比較的簡単なわけ。
で、博愛教会の中では岡田光玉のような存在は特に常識であり、
その人が昔のアルバムをひっくり返せば岡田光玉が写っている写真
もあった、というただそれだけのこと。

つまり岡田光玉にとって運の悪いことに、追求の火の手が
上がったのが海外からで、岡田光玉が救世教で所属していた
教会も海外担当だった。だから嘘が海外からばれた。と、
こういうことでした。悪いことは出来ないね。


1976年12月10日(金) q

光玉の真実 Follow: 656 / No: 651 [返信][削除]

投稿者:しろ 02/08/08 Thu 02:22:32
547 :名無しさん@1周年 :02/08/08 00:42
私は救世教関係の者ですが、岡田光玉氏の救世教時代
について私が直接、間接的に関係者から聞いて知った
ことをここでまとめてお伝えしておきたいと思います。

岡田光玉氏が性的な問題を起こして救世教を破門された
という事に関して、これはおおよそ正しく、一部誤解が
あるようです。

世界救世教の浄霊では、始めは治療的に触診などを
していたのですが、昭和25年頃から体に手を触れない
ことが原則の浄霊に変わりました
(昭和25年12月27日 「浄霊法変わる」)

ところが岡田光玉氏は、手を触れない浄霊法の時代になっ
た昭和二十八年のある日の浄霊中に、意図してか誤っ
てか、相手の女性の体に触ってしまったということがあった
らしく、女性が悲鳴をあげ、布教所が騒然となったそうです。この
トラブルと、それまでの浄霊中の霊的現象に非常に興味を
持っていたことをあわせ、岡田氏はこの時点で、専従布教者を
解雇された、すなわちクビになったということらしいの
です。破門をされたのではなく、解雇されたのです。

だが、単に教団からの雇用を解かれただけで信者をやめ
させられたわけではないので、岡田氏は
しばらく一般信者として参拝などを続けていたようです。
というのは、教祖が亡くなったのが昭和30年で、その後
二代教主様が就任されましたが、昭和32年頃まで、岡田光玉氏が
聖地参拝に来て二代様のご講話を聞いていたという目撃証言が
あるからです。

私は真光の教義を詳しく知っているわけではありませんが、
時々掲示板に掲載される用語などを見ると、教祖の影響とは
別に、救世教二代教主様の影響があることもうかがえます。

岡田氏は、霊がかりに興味を持ったことと、そして
女性の体に触ってしまったことで解雇されたことから、
霊と自由に話をすることが出来、相手の体を触れる
ことが出来る真光をおこしたのでしょう。

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548 :名無しさん@1周年 :02/08/08 00:59
547の追記です。

>浄霊中に、意図してか誤ってか、相手の女性の体に
>触ってしまったということがあったらしく、女性が悲鳴をあげ、
>布教所が騒然となったそうです。

世界救世教には、腎臓部分や肩、首などを触られても
悲鳴を上げるような文化があるわけではありません。
これは当然、女性が悲鳴を上げるような場所を
光玉氏が触ったという意味です。

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光玉の真実2 No: 654 [返信][削除]

投稿者:しろ2 02/08/08 Thu 03:05:45
失われた過去ログのコピペです。
光玉に関することが書いてあります。
何をいってるのか、ちょっとわからないところもありますが、
光玉が幾度か裁判沙汰を起こしたことなどが述べられています。

------ここから--------

【タイトル】心霊医学会 No: 1180
【 名前 】仲村 光
【 日付 】2001/11/09 18:27:33

岡田光玉は昭和三十三年結成された岡田道一の主宰していた「心霊医学会」の理事を務めていた。

 岡田道一の著書、「霊癒の科学」には賛同者として岡田聖玉の名が掲載されている。

金井南龍主宰、神理研究会「さすら」
その一
金井 石田先生ネ、、、、岡田○○ね、、、話が横に飛んで済まないのですが、何千から何万という具合に信者が増え出すと、、、信者が二ケタか三ケタ位のとき、酒席で一緒に軍歌など歌ったときには、嘗っての軍人のときのスナヲさを裸になってサラケ出しましてネ、、、コイツ、、、好いとこあるわい、、、なんて思ってたんですか、、、いつしか「生き神様」の「積分人間」になって了うと、無学文盲ならソレで押し通せますが、彼は高級将校で理性のカケラがあったでせう、、、それで、、、絶対自己の矛盾撞着を感じていたんですネ。 その統一の場とは死でしたよ、、、

石田 馬鹿と気狂い、、、は長生きすることに、、、

その二
世の中宗教裁判位六ヶ敷しいものはない。 ということを奥弁護士は其の体験からして云われている。 氏の懐旧談は中々蘊蓄に富んで居るのである。
二木博士(岡田道一の間違い)創設の心霊医学会に奥さんと家内(金井)さんは好く理事としてその名の如く隣り合って座ってたものである。

「彼、わしの顔は、人間であるならば、マトモに見られたものでないのに、、、」「狐霊(どうぶつ)だからシャーシャーしてますよ」

これは岡田光玉理事のことについての二人の囁きである。 物価統制時での岡田氏の違反や、彼の女性関係での破廉恥行為に対する数度の裁判沙汰のとき、奥弁護士は岡田の弁護を、両人とも熱海の救世教での顧問弁護士と支部長、知己(チカヅキ)以来、岡田氏の裏切り独立営業での度重なる裁判沙汰で、引き受け、岡田の戸籍を汚させなかった。
(原文、漢字の誤りの他、そのまま)

-------終わり------

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茂吉もろくなもんじゃない。 No: 657 [返信][削除]

投稿者:しろ2 02/08/08 Thu 04:38:49
【タイトル】「暴かれた真光」「崩壊しつつある真光の基礎」補足資料「中島氏の悶死」 No: 4247
【 名前 】ジャイアント馬場清晴
【 日付 】2002/04/25 20:58:13

「暴かれた真光」のうち3.Mahikari's Crumbling Foundationsに関する事項。
岡田光玉がいた救世教の天国会の会長、中島氏及びこのときの世界救世教の置かれていた概況について。

8/12,9/12「崩壊しつつある真光の基礎」
「資料:世界救世教の文献;岡田仲道(光玉)氏に関する記述が見られる。

私は天国会移籍後、西荻窪の支部で助手をしておりましたが、そこに岡田仲道氏が支部長として赴任してきました。四十八歳の岡田氏は(略)私は遂に意を決して中島先生に指導を求めました。先生は「岡田にやらしておきなさい」(以下略)」

*先ずこれは岡田48歳というなら、昭和24年頃の天国会。

9/12「中島先生:天国会の会長。岡田茂吉氏が大本教在籍当時から茂吉氏の弟子として仕えた。中島氏は大本教時代より霊的事象に関心が強く、それに光玉氏も強く影響を受けているようである。」

「崩壊しつつある真光の基礎」には、岡田光玉の天国会在籍当時の集合写真や、軍人時代と随分顔が変わったなと思える変遷の写真、またグリーンウッド氏が富田秘書課長より送られた質問の回答も出ており、発掘的な資料集といえる。

では、この昭和24・25年は、世界救世教はどんな状況に置かれていたか?
先ず世界救世教とは呼ばれていない。観音教といっていた。
そして脱税事件で「第二の璽光尊」として当局の追及を受けていた時期である。
光玉は、そういうさなかに天国会に在籍していた。

以下は「真相」1949(昭和24年)3月号「右翼につながる観音教の仮面を剥ぐ」。
「真相」1950(昭和25年)1月号「特集日本の黒幕、観音教の黒幕
”お光さま”をトリコにした男」から、岡田光玉のいた観音教の記事を紹介。

なぜ、紹介するかといえば、岡田甲子の出自について、
「暴かれた真光」では「井上ファミリーの出」となっているが、
観音教のファミリーといえる中で井上姓は井上茂登吉が先ず該当するが、
このような大幹部の血縁者が、はっきりせずに光玉の妾というのが、果たして
有り得るだろうか?という疑問を投げかける材料としたい。

さて、1949・3月号の書き出しは、
「あら稼ぎするおひかり様」と小見出し。

「昨年(1848年)12月はじめ頃『脱税と政治献金』の疑いで
 大蔵省査察部と法務庁特別審査局が観音教追求の活動を開始して以来、
 都下の各新聞は一斉に日本観音教の教祖岡田茂吉の正体について書き立てた。」

*「真相」には当時「第二の璽光尊」と騒がれた観音教の岡田茂吉の療法は、
「茂吉が大本教へ行く前に」鈴木美山という心霊学者が、
大正末期「健全哲学の学会」を開いたころ入門して習った「哲理療法」が芽をふい
た療法であると調べている。

「真相」

「大本教が邪教として当局の弾圧を受けた時、岡田茂吉はいち早く転業して、昭和10年半蔵門近くに日本観音会を設立。岡田仁斎となのる。
哲理療法では患部には手を体にふれずに病気を治すというのが
「医師類似行為取締法」に引っかかって禁止。
それなら指先でも触れればよいだろうとばかりに指圧療法をはじめた。
しこたま蓄財し、昭和19年熱海市東山1712に、
山下汽船の社長・山下亀三郎がもっていた別荘を70万円で買取。ここを本拠に
全国的布教網を拡大。
ついで同年、箱根山強羅1500の藤山雷太の別荘を買って神山荘と名づけ、
詣でる善男善女をスッ裸にして療法を行うのでハダカ・ショウの異名をはせた。」

「この商売はすごくもうかるとみえて、しだいに当局の注目するところとなった。
何しろ表面は指圧療法なので当時の特高が得意のスパイをもぐらせても、
用意周到な岡田はついに引っかからず、邪教として検挙しようと力んだ特高に
一泡ふかせたものだ。」

「そこで運よく終戦となり、世はあげて民主自由のはきちがえ、その上特高警察
解体ともなれば、天下晴れて岡田は思う存分に無知な愚者の弱味につけ込み、
こんどは「日本浄化療法」と銘打って宣伝これつとめた。
岡田の説くところによると、日本浄化療法はフランス起源の磁気療法(?)と
同じだそうで、熟練の結果人身にある磁気を強力に集中して手から患部に放射する。
これによって人体内の毒素を溶かして目やに、鼻汁、痰、または小便となし、
体外に出してしまうというのだが、霊験あらたかな「おひかり様」の療法を受けて
可愛い女房と子供をムザムザ殺した男もあるから、
インチキ宗教といわれても仕方あるまい。
前熱海駅長三尋木某もその一人であるが、
それでもまだ熱烈な信者で他人に療法をすすめてまわっているから、
良識のある人間には理解ができそうにもない」1949・3


1976年12月09日(木) q

軍人勅諭 No: 424 [返信][削除]

投稿者:ジャイアント馬場清晴 02/07/25 Thu 16:32:10
岡田光玉以下、真光幹部。世界真光文明教団代表役員地位保全事件にて
証言をした幹部、友森清春、石毛省三、松平定堯らは
陸士34期の元陸軍将校である。
軍人勅諭に基づけば、軍人たるものは、軍人勅諭という鉄の掟に生き死にするのが士官学校の教育ではなかったのか。
八月十五日放送の詔書に続き、
二十五日には、陸海軍人に対して勅語が渙発されたという。
艱苦に耐え荊棘を拓き、戦後復興に力を致さんことを復員将兵は諭された。
戦後、男はもう統率できないから、巷の貧しく無学な婦女子から金を出させ、
金持ちになることが、果たして艱苦に耐え荊棘を拓いたことになるだろうか?
金につまずいたのではないか?
宗教法学会報題5号(1986、11)には、教祖用の御霊の写真が出ているが、
西洋人の頭部が横向きにレリーフされた図柄である。
解説として「これは実は、アメリカの1866年の、
金貨を首飾りにしたようにみえます。
しかし実は、これは金貨そのものではないので、中が開くのです。
これはスイス製の高級時計なのです。
スイス製の時計の中に、先代(岡田光玉)の書いたその「聖」という字
が入っている。それがご神体なのです。」
と大野正男弁護士の解説。
さて、陸軍士官学校では伝統的に、
明治11年第1回の卒業式から、卒業式には原則として天皇が
行幸され、優等生に御下賜品を賜った。
恩賜品は、その時期によってさまざまであったが、
のちには銀時計に統一された。

高級時計。
それは士官学校卒業生にとっては、優等生が頂く銀時計を連想させるものではないか。それ、高級時計を賜る方は、当時にあって、陸海軍の統帥権を司る絶対的権威。高級時計を自分が次の代に授与するという光玉の試みは、
自分が天皇陛下の真似をした気分を演出してくれる気配が無いとはいえない。
それが光玉の場合、アメリカ金貨をかたどったスイスの高級時計。


1976年12月08日(水) q

[1333]教祖と裁判 by.A 2002年05月23日(木) 05時30分

20日読売新聞では、松本被告は弁護団の接見に応ぜず、反証方針の打ち合わせにも「何のご用ですか」と言い放ち、接見室にすら姿を現さなかったという。
「何のご用」と言ったって。
消えた「手かざし宗教の真実」に崇教真光の岡田光玉と、この教祖に手をやいた弁護団ではなく、この場合弁護士さんのやりとりが、なんと心霊研究雑誌に出ている。ということが話題になっていた。そのまま出したほうが誤解がないと思う。
01/11/19「さすら」について
「さすら」は東京の早稲田にある「日本心霊科学協会」で閲覧できます。
一部については、貸し出しも出来ると思います。
01/11/19
Re:心霊医学会
「さすら」は神道研究の学術誌で、たとえば國學院大學の図書館にも蔵書があります。このような書誌にこのような記事がのるとはおどろきです。
(このような記事とは、次段の奥一夫弁護士の談話のこと。神道研究家の紹介に数々の質問が。)*新着順に投稿を並べたので↓が最初。
01/11/17
>>金井南龍主宰、神理研究会「さすら」この文献についてもう少し詳しく教えてくださらないでしょうか。国立国会図書館などで閲覧できるでしょうか。
「さすら」は国会図書館に架蔵されていますが、あの文章が何年何月号か明かしたくありません。資料が破戒隠滅される可能性が有るからです。
私が引用した部分は、奥一夫といい救世教の顧問弁護士をしていた人でした。
既に故人ですが、東京弁護士会の副会長をしていた事も有ったようです。
心霊医学会は今では存在しないようです。岡田道一と二木健三が中心になって発足したようです。岡田道一がずっと理事長をして、二木健三が初代会長、二代目会長が小川勇でした。
(「さすら」に出ている奥弁護士の記事とは↓)
01/11/09
岡田光玉は昭和三十三年結成された岡田道一の主宰していた「心霊医学会」の理事を務めていた。
岡田道一の著書、「霊癒の科学」には賛同者として岡田聖玉(*光玉の別名)の名が掲載されている。
金井南龍主宰、神理研究会「さすら」
その一
金井 石田先生ネ、、、、岡田○○ね、、、話が横に飛んで済まないのですが、何千から何万という具合に信者が増え出すと、、、信者が二ケタか三ケタ位のとき、酒席で一緒に軍歌など歌ったときには、嘗ての軍人のときのスナヲさを裸になってサラケ出しましてネ、、、コイツ、、、好いとこあるわい、、、なんて思ったんですが、、、いつしか「生き神様」の「積分人間」になって了うと、無学文盲ならソレで押し通せますが、彼は高級将校で理性のカケラがあったでせう、、、それで、、、絶対自己の矛盾撞着を感じていたんですネ。その統一とは死でしたよ、、、
石田 馬鹿と気狂い、、、は長生きすることに、、、
[1334]1333「さすら」続き by.A 2002年05月23日(木) 05時46分

そのニ
世の中宗教裁判位六ヶ敷しいものはない。ということを奥弁護士は其の体験からして云われている。氏の懐旧談は中々薀蓄に富んで居るのである。
二木博士(岡田道一の間違い)創設の心霊医学会に奥さんと家内(金井)さんは好く理事としてその名の如く隣り合って座ってたものである。
「彼、わしの顔は、人間であるならば、マトモに見られたものでないのに、、、」
「狐霊(どうぶつ)だからシャーシャーしてますよ」
これは岡田光玉理事のことについての二人の囁きである。
物価統制時での岡田氏の違反や、彼の女性関係での破廉恥行為に対する数度の裁判沙汰のとき、奥弁護士は岡田の弁護を、両人とも熱海の救世教での顧問弁護士と支部長、知己(チカヅキ)以来、岡田氏の裏切り独立営業での度重なる裁判沙汰で、引き受け、岡田の戸籍を汚させなかった。
(原文、漢字の誤りの他、そのまま)
[1335]問題の多い教団の行方と現状 by.A 2002年05月23日(木) 06時39分
真光の創設者、岡田光玉を呆れながら尻拭いをしてやった奥弁護士の談話を「さすら」から。岡田光玉死後、今度は教団の遺産争いで、実態の真実をよく熟知する人は大野正男弁護士。(宗教法第5号論文)とバトンタッチ。
もともと女性関係はじめ問題があった教祖の始めた団体だが、それがリックロスのところで、オウムとリンクのきなくさい関係。
信者の現状といえば、例えばこんな訴えも出ていた。
2000/08/21 子羊
オヤジが崇教真光に入り、おみたままでもらってしまった。
「ごくびじっそー」と一日じゅううるさいし、
何かというと怒り出すのでこまってます。
どうしたらいいでしょうか?
2000/08/21
>子羊くん
親父さんいくつよ?
なんでそんなもんに入れさせちまったの~
2000/08/25
オヤジはソイ祭りだといって、先祖の位牌や仏壇を焼いて、川にながしてしまいました。
おかしな祭壇を高い金で買わされて一日中明かりつけっぱなしです。たばこに火をつけてお供えしています。消すと激怒します。
足のまがったスズメに「おしずまい、おしずまり」と言って「手かざし」をしたら、足が治ったそうです。
あと、駐車場でヤー公の車に接触して傷つけたのに、2万円の示談ですんだのは「おみたま」のおかげだといって道場で体験談を得意になって発表したようです。

こういう人がいるのに「真光関係者集合」!!板では、
01/11/19
真光はよく、自分たちは皇室関係者と親しいとうそぶいていましたが、
本当に宮内庁に電話して事実関係を確かめたら、
「そんな人たちは知りませんし、皇室と真光は何の関係もありません。」
とあっさり否定された。
勝手に皇室ストーカーしてただけなのねえ。

オウム真理教問題掲示板
http://www.makani.to/~kito/bbs/index.htm?brd=2


1976年12月07日(火) q

晩年の岡田光玉は宗教者には似つかわしくない贅沢に溺れ、金銀財宝を身につけていたという批判の声もある。だからこそ、せっかくの真光の業がありながら、天寿をまっとうすることなく、73歳で病没してしまったというのである。

初代教え主亡き後、分裂した両派にゴタゴタ騒ぎが絶えないことは、結局のところ、教団幹部連中に教団を率いる資格などないという事実を物語るものといって差し支えあるまい。

新興宗教教祖のウラの裏がわかる本 P165 早川和廣 ぴいぷる社 1988.11.25


1976年12月06日(月) q

803 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/01/13 10:41

書評 「新興宗教の正体」 早川和広著
あっぷる出版社(千代田区猿楽町2-5-2 小山ビル2F TEL 3294-3780)

 「岡田良一氏は戦時中に山梨県大月市に疎開したが、
そこで井上甲子さん(S4.12.16生)と出会った。
世話になったのが彼女の実家の2階である。
彼女は当時大月市民病院の看護婦をしていた。
良一氏はそこで世界救世教を知り、戦後に救世教を頼って上京した。」
 他にも同書には、教団分裂時のことが公平な観点が描かれている。
10年近くにわたる裁判と中傷合戦に嫌気が差して去っていった信者も
多いとある。

生年月日がほんまなら、72才ですな。


1976年12月05日(日) q

真光業の真実

信者を嵌める欲望の神々(5) No: 5776 [返信][削除]

投稿者: 03/04/10 Thu 19:38:09
「信者を嵌める欲望の神々:新興宗教を告発する」  田中一京著 青年書館1989.11

『世界真光文明教団』(132-136頁): 宗教に没頭すればするほど金を注ぎ込み、生活は悲惨になっていくのに教団は知らんぷり

 私の本が書店に出て間もない頃、便箋三枚に小さな字でびっしり書かれた匿名の手記が寄せられたので、原文のままその内容を紹介してみよう。

 前略、突然名前も書かず、このような文面を差し上げる失礼をお許し下さい。

 私は、先生の書かれた『新興宗教・金儲けと権力争いの実態』という本を読み、新興宗教の姿というものがやっとわかったような気がしました。それで以前私が入信しておりました『世界真光文明教団』の熱心な信者でもあり、私の友人でもありますYさんの生活の様子をありのままにお知らせして、機会があれば多くの人に教団の実態を知っていただき、宗教の本質を考えるための参考にしていただければと思いペンをとりました。
 私は現在三十三になる一男一女の子供を持つ家庭の主婦でございます。私は約一年前長男が遊んでいて怪我をしたとき、友人の勧めで世界真光文明教団へ入信しました。現在はやめておりますが、たった一年足らずで信心をやめたのにはそれなりの理由があったからです。
 その理由といいますのは、実は、私に入信を勧めてくれた友人の女性Yさんの生活状態を見たからですが、Yさんのことをお話する前に、私が教団に入ったときのことを簡単に記します。
 教団に入信するには、まず最初に三日間の初級研修というのを教団の地方道場で受けなければなりませんが、この時教団へ“おみたま料”というお礼金の一万円を必ず払わなければなりません。そして毎月道場の運営費として五百円払うことが決められております。しかし、それは最低必要なお金で、そのほかお参りする都度五千円、一万円とお金がいりますし、研修も中級・上級に進めば進むほど万のつくお金がかかります。
 聞くところによりますと、最低必要な定められたお金以外は各々信者の皆さんの自由な意思といいますか、自分の気持ちから教団に寄付するという形で納められているようですから、道場によって多少の違いはあるようです。しかし、いずれにしましても、教団が最初説明する数倍のお金を取られることは間違いありません。いかに教団が信者からお金を吸い上げているかということがわかるかと思います。


1976年12月04日(土) q

信者を嵌める欲望の神々(6) No: 5777 [返信][削除]

投稿者: 03/04/10 Thu 19:39:09
(続き)
 さて、私の友人で信者のYさんは、都内の小さな会社に勤めている30歳の女性なんですが、もともと関西の方から上京してきて、現在独りでアパート住まいをしています。Yさんは、教団の信者でなければ絶対に結婚しないというほど熱心な信者で、教団のため現在も一生懸命活動をしています。彼女の性格は素直で真面目な、どいらかといいますと無口な方で仕事も熱心にすることはしていたのですが、宗教に凝りはじめてからというもの頑固になったといいますか、素直さがなくなり、まるで人が変わってしまったのです。
 彼女の給料は月額の手取りで約13万円ほどですが、それにもかかわらず、彼女はどうも三度の食事を満足にとっていないようで、最近特に頭痛がする、めまいがする、体の調子が悪いといっては仕事を休み、道場へ行っては手かざしを受け浄霊をしてもらっているのです。私の経験から言わせてもらえば、あんなことで絶対に治るはずはないのですが、彼女は熱心な信者ですから言わせてもらえば、あんなことで絶対に治るはずはないのですが、彼女は熱心な信者ですから自分の信仰が足りないからだと思い込んでいるのです。
 私は、このままだと彼女が栄養失調で倒れるのではないかと思い、見るに見かねて何度か意見をしたのですが、一向に私の言葉を聞こうとせず、逆に信心をやめた私に敵意さえ示すほどです。
 彼女の手は荒れて夏でも霜ぶくれのように赤く腫れています。
 そこで彼女の実生活を聞いていただきたいのですが、それは質素で、現在住んでいるアパートは六畳一間で家賃が1万5千円。共同便所に共同炊事場といった環境のところに住んでいます。
 部屋の中にはファンシーケースと鏡台があるだけで、他に家具らしいものはほとんどありません。
 彼女の一ヶ月の生活費を簡単に計算してみると、一日の食事代が600円、朝食抜きで昼食は月のうち半分は抜いていますし、食事をする場合でも最高250円まで。夜の食事もインスタント物かよく使っても350円までです。ですから一ヶ月の食事代は最高で1万8千円程度です。
 それに風呂代や光熱費が1万円そこそこ、その他諸々の雑費を入れても一ヶ月5万円くらいの生活をしており、他にほとんどお金を使うことはないようです。もちろん衣類や化粧品などは一切買いませんし、いつも他人からもらった服を着ているといった具合です。
 月々もらう給料から必需品を除いても、毎月8万円くらい残るはずなのですが、それを貯金するのならともかく、それとなく本人に聞いてみると、自分の食べる物や着る物まで切り詰めて残したお金を、ほとんど教団へ注ぎ込んでいるらしいのです。
 こうして書きますと、本人がいいと思って納得づくでしていることだから、他人がそこまで首を突っ込む必要はないとお叱りを受けるかもしれませんが、一人の友人として見て見ぬふりはできないのです。宗教団体というのは、こんなに信者の生活を苦しめていても平気なのでしょうか。もちろん、本人はそれが一番いいことだと思い込んでいるのですから、所詮私一人の力でどうこうすることはできません。しかし、彼女のような例はいくらでもあると思うのです。
 神を信じ宗教に没頭すればするほど苦しい生活を強いられます。こんな矛盾したことが許されていいのでしょうか。教団では信心すれば幸福になると教えます。でも実際にはそれと反対のことが行われている。これが教団の実態なのです。
 私が言いたいのは、宗教に凝りすぎると本人の気持ちがだんだん閉鎖的になって、自分と同じ宗教を信じている者しか信用しなくなり、一人二人と友達を失い、しまいには彼女のように自分のすべてを犠牲にして、それが当然のことのように思い込んでしまうのです。
 彼女の場合を見ますと、いつもにこにこしていたのに、最近では変に理屈っぽくなって楽しく話したり、接することがほとんどなくなりました。こんな状態を目の当たりに見ますと、宗教というものが怖く思えてなりません。
 教団としても多くの信者の私生活を把握することは不可能だと思いますが、信者の実生活を知らずして、単に口先だけで幸福を説いてもそれはまやかしの教えだと思うのです。綺麗事を並べ立て、弱い立場の信者から容赦なくお金を吸い上げ、信者の生活を平気で犠牲にする信仰が本物の信仰なのかどうか皆さんに考えていただきたくペンを取った次第です。


1976年12月03日(金) q

信者を嵌める欲望の神々(7) No: 5778 [返信][削除]

投稿者: 03/04/10 Thu 19:39:41
「新興宗教被害と悩み解決法」 田中一京著 青年書館 87.11
105-110頁
<神や霊の存在を絶対視すぎて自我や理性を失っている>
 信者心理の特徴として、神や神の意思を伝える教祖、あるいは教団の教えには絶対に逆らえない面がある。しかし、だからといって自己の意思をすべてねじ曲げてまで従順になる必要はないのだが、現実を見てみると宗教に洗脳され盲信している信者は理性を失い、自己の信奉する宗教教団の意のままに操られ、動かされているといっても過言ではない。
 信者が信仰に没頭し、宗教精神を享受しようとする姿勢そのものは決して間違った行為でも、他からとやかくいわれる筋合いのものでもないが、ただ、神や教祖教主の教えを絶対視するあまり、正常な考え方ができなくなってくると、少々事情は違ってくる。
 そこで、理性を失っている信者のどこに危険性が内在しているのか、病気を治したいばかりに教団の言葉を信用し、宗教に洗脳されている信者の宗教意識を見てみることにしよう。
 『私は世界真光文明教団の信者です。私が入信したきっかけは、ある日突然、おなかが千切れるのではないかと思うほどの激痛に襲われ、救急車で病院へ運ばれました。そのとき医者の診断は「上部尿路結石」ということでした。
 私はすぐ入院させられ、病院で出してくれる薬を飲み治療を続けていました。そんなとき「病気というのは、薬を使うと一時的に症状を押えることはできるかもしれないけれど、それは治ったと錯覚しているだけでほんとうには治っていない。病気はもともと霊魂と肉体のバランスが崩れたときに起きるのだから、浄霊しなければ完全に治ることはない」と他の信者から教えてもらったのです。
 私は手術をしなければ治らないと思っていました。そんなとき手術をしなくても“真光の業”で痛みを止め、病気が治せると聞かされすぐその真光の業を受けたのです。
 病院のベッドの上で信者の人達から“手かざし“を毎日受けました。そして私も「主の大神様」に、痛みを和らげてください、手術せずに病気を治して下さいと真剣に頼みました。
 そうするうちにだんだん痛みもとれてきたような気がしてきたので薬を飲むのをやめ、親の反対を押し切って退院し、通院するかわりに毎日教会へ通いました。
 今もときどき痛みはありますが、主の大神様が御浄霊して下さり、必ず病気は治るといってくれていますからその言葉を信じています……』
 と、千葉県松戸市に住む元店員のSさん(22歳)は語る。


1976年12月02日(木) q

信者を嵌める欲望の神々(8) No: 5779 [返信][削除]

投稿者: 03/04/10 Thu 19:40:10
(続き)
 特定の神に仕え、宗教の教えを受け、それを絶対と思い込んでいる信者に対しては、なるほど神の啓示や教祖の言葉は絶対であり侵すことのできない神聖なものであるといえよう。
 だが、洗脳された信者以外のものから見ると神や教祖の言葉は決して絶対ではあり得ないし、当然のことながら、それほど神の絶対性というものは信用していない。なぜなら、この世の中に唯一つ絶対神といわれる神々がどれほど多く存在しているか、また、唯一つ絶対神と崇める神々の力というものがどれほどあやふやなものであるか、信者自身が少し冷静になって宗教の現実を見ればわかることである。
 ではもう一例「崇教真光」に洗脳されている信者の話を紹介して、どこに問題があるのかを考えてみたい。
『御み霊をいただき神組手(信奉者)になって真光の業を覚えれば、誰でも病気を治すことができる。ただ、そのためには初級真光研修を毎月1回、3日間だけ受けなければならない。その講習を受けて神組手(信奉者)となり、陽光子(信者)となれば、手の平から真光を発することができる。
 私達が“施真”(手かざし)すれば、不思議な現象が起きてくる。たとえば急に下痢をしたり熱を出したりするが、これはクリーニング現象(肉体の浄化作用)といって、人間の体の中に蓄積された毒素が“真光の業”によって、外へ排出されるために起きる現象だからまったく心配ない。
 それより、施真によって精神的にも肉体的にも健康になるんだから、こんなありがたいことはない。教え主さまの力というのはそれほどすごい。どんな病気でも治すのだから……。
 病気で苦しみながら病院通いをして、なおかつ薬づけにされている未組手(非信者)の人達のことを思うと、ほんとうに可哀想だ。
 だから私達は教え主さまの御教示を生活の糧、信仰の糧として、できるだけ多くの未組手の人達に“真ぼえ”(声をかけ勧誘すること)したいと思っている。
 崇教真光の不思議を知らない人達は、こうした話をしても信じようとしないばかりか「施真だけで病気が治るはずはない」と疑ってかかる。しかし、誰が何といっても実際に治るから不思議なんだ。
 病院で医者に診てもらうより“真光の業”の方がよほど信用できる。こんなありがたい教えを否定したり、知らなかったりする人達はほんとうに不幸だと思うね。
 実際に、私自身が真光の業で胃にできた悪性の腫瘍を治してもらい、その奇跡を体験しているんだから、これほど確かな証拠はないだろう……』
 と、東京都世田谷区に住む自由業の後藤さん(41歳)は説明する。


1976年12月01日(水) q

信者を嵌める欲望の神々(9) No: 5780 [返信][削除]

投稿者: 03/04/10 Thu 19:40:39
(続き)
 この事例は、現信者の宗教姿勢、および洗脳された状態や考え方を如実に示しているものであるが、もちろんこれとは反対に、病気が治るからと入信を勧められ、真光の業を受けたが病気は治らなかったと不満を漏らし、騙されたと訴えてくる信者が多いことも見逃してはならない。
 ここで例示した二人の信者の考え方は、猛進した信者の特徴を端的に現しているものであるが、神や霊というものをあまりにも絶対視しすぎて、自我意識を失っているところに大きな問題を抱えており、近代的医療行為を否定するといった危険な考え方を持っていることがはっきりわかるであろうし、その部分がもっとも危惧されるところである。
 われわれ人間社会の中における宗教の存在価値というものは、諸々の悩みを持つ者に対し精神的に導き、その苦労を和らげ取り除きながら立ち直らせるところに宗教の価値観、あるいは本来の使命が存在するはずだ。
 つまり、病気治しに限定して考えると、近代医療の実績を認めたうえで、その医療行為と並行しながら、精神面から患者の意気を高揚し貢献していくというのが宗教行為の本筋である。
 言い換えるならば、その宗教行為を信者自身が良識と節操をもって世のため人のために役立たせるのであれば、信仰を治療の一分野として利用することは何ら問題はないし、逆に治療効果も十分期待できると思う。
 だが、頭から近代医療を否定する姿勢、そこに問題があるのだ。つまり、宗教上の教えを絶対視するあまり、盲信的になった信者が医療は害悪といった考え方を他に押し付けたり、医療の社会における貢献度を認めようとせず、ただやみくもに否定するという態度を取り続けるならば、それは完全に宗教の使命や役割を履き違えていると考えなければならない。そこのところを宗教に洗脳された信者はわからないから、いろいろな社会問題を引き起こすのである。
 こうみてくると、神を絶対と信じる理性を失った信者の考え方や行動が、いかに危険で偏った考えに陥っているか、あるいは洗脳された信者の偏向した考え方が社会的に受け入れられないものであるか、つまり、自己の信奉する神の教えだけが正しいと思い込んでいる信者は、自我意識を失うことによって、同じ宗教の教えを受ける者以外の意見には耳を傾けなくなり、ますます気持を閉鎖させてしまう。
 そこに反社会的、反人道的な行為を平然と行う元凶が生まれてくる要因があるように思えてならない。


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