French Wolf の日記
DiaryINDEXpastwill


2002年11月30日(土) 11 月最後の日


土曜日。

朝、軽く仕事をこなして、プールに出かけた。今日は「はじめてバタフライ」コースである。バタフライは先日も書いたとおり、なかなか練習ができない。だからへたくそというのはあまりにも短絡的すぎるが、まぁ事実なので仕方ない。

昼間は、仕事、昼寝。そして、髪の毛のカラーリングである。今回もまた茶色をとおりこして、金髪も超えて、黄色にしてみた。意外と似合っていると思うのは気のせいだろうか・・・。

夜は喜八廊。



2002年11月29日(金) 肉の日


金曜日。

仕事をまじめにこなす。久しぶりである。そして、午前中のお勤め。プールである。今日は「きれいにクロール」のコース。よく考えてみると、毎回泳ぎ方が違う。手の深さ、腕のストロークの力の入れ方など・・・。これがよい方向に安定してくれば、次の「がんばれクロール」にも参加できるだろう・・・。

家に帰り、仕事。順調である。しばらくぶりにソフトウェアの使い方を習得しながらの作業は知的好奇心をくすぐるものである。

夜友人たちと、焼き肉に出かける予定だった。29 日といえば、誰でも知っているとおり、日本では「肉の日」である。しかも、うちの近くにある焼き肉やの「でん」は、1,980 円 90 分で食い放題。が、実際店頭に足を運ぶと、食い放題につられてやってきた愚か者たちが烏合の衆のようによってたかって・・・待合いコーナーを占拠しているではないか。ふだん肉を食わないやつが、29 日 (繰り返すようだが、「肉の日」である) に限って、食い放題目当てに来るな、と思いつつ・・・。よく看板を見てみると、今半額セールをやっているらしく、食べ放題コースはない、とのことだった。仕方がない。ファミリーレストランに場所を移し、軽い食事を済ませた後、カラオケに向かった。

いつもなら酒を飲むのが当然だが、そういう気分でもなく、ソフトドリンクで 2 時間飲みまくり、歌いまくった。喉が若干痛むのは気のせいだろうか。



2002年11月28日(木) FrameMaker


木曜日。

朝一番で大きな仕事が決まりそうというメイルが届く。シンガポールからの依頼で、ここ 1 カ月くらい音沙汰なかったのだが、大きなプロジェクトになるとまず最初に声をかけてくれる (らしい) ところが嬉しいところだ。内容をみると、それほど難しいものではない。ただし、FrameMaker を使用するということで、今まで慣れ親しんできた Word のクセを矯正しながら、慎重に DTP も意識した翻訳をしなければならない。サンプルが欲しいということで、少しずつとりかかる。

その後、プールに出かけた。今日は特にクラスに参加せず、一人で練習。平泳ぎやクロールは一人で練習する際のコツをなんとなくつかんでいるのだが、背泳ぎとバタフライについては、なかなか難しい面もある。

背泳ぎはそもそもへたくそである。とりあえずバタバタ手足を動かして 25 メートル足をつかずに泳げます、という程度。まぁ、体力があれば、50 メートルも 100 メートルも泳げるとは思うのだが、かっこうも無様だし、疲れる泳ぎ方、つまり正しくない泳ぎ方なのである。一人で練習するにはまだ早い。クラスでもっと基礎を教わってからにしたい。

バタフライはご存知のとおり、両手を広げたり、派手に水しぶきが上がったりするから、1 コースで両側通行になっている狭いコースで堂々と練習するには気が引ける。もっともうまい人は、水しぶきは必要最低限。すいすいと泳ぐのだが、そのレヴェルに達するための練習ができないのだからこれまた難しい。人がいないときをねらって練習するしか方途がない。

夜は、定番となっている喜八廊。



2002年11月27日(水) 病院、カーオーディオ、平泳ぎ


水曜日。

今日は朝からやることがたくさんある。仕事は最近あまりまじめにしていないが、ここで悩みすぎても仕方ない。まぁ、やりたいこと、今までためておいたことを処理しようという魂胆である。

さて、まずは病院。2 カ月ぶりくらいだった。いつも朝一番に行かなければなかなか混んでいて、診察までに時間もかかるし、処方箋の調剤にも時間がかかる。が、なぜか今日は出発が若干遅れたのにもかかわらず、すいすいと順調に事が運んでしまった。恐ろしいほどである。

そして、とんぼ返りで家に戻ると、先日初期不良で返送したカーオーディオの代替品が届いていた。早速、これを持って友人の会社へ。この商品、三菱の優れもので、CD/MD/カセット/チューナーが同居している。最近は、CD/MD の組み合わせや、MD/カセット、CD/カセットはあっても、3 種類のメディアが全部ひとつのコンポでというのは、三菱以外にない。定価 58,000 円のところ、40,000 円を下回る価格で購入したのだが、最初に届いたのは、不良品だった。早速販売店に連絡をいれ、新品を送ってもらった商品が届いたというわけである。今回は、車の定期点検も併せてお願いした。無事にすべてがはこぶことを祈るばかりである。

さて再び家に戻ると睡魔が襲ってきた。昼寝である。目が覚めると、以前からベランダに出しっぱなしになっていたプライヴェート プールの片づけをした。といっても、作業を担当したのは、友人ら 2 名。俺は横からちょっと手を出したまでである。この友人たち、非常にマメで、俺ならそこまできれいにしなくても…というところまで完璧にきれいに仕上げてくれた。俺に夜は宴会!

プールに行きたかったのだが、その前に車をピックアップした。バッテリーが放電していて交換が強く推奨され、またエンジンオイルもかなり汚れていた。無事オーディオがついたら今度は新しい難題。といっても交換すれば済むだけの話である。

午前中プールに行けなかったため、今日は夜の部に参加した。「きれいに平泳ぎ」である。コーチともすっかり仲良くなり、名前も覚えてもらい、俺の弱点などもうバレバレである。今回の練習では、細長い 1.7 メートルくらいの発泡スチロール製のビート板 (棒?) を使った。これを両脇の下に通して、平泳ぎの腕のストロークが大きくなりすぎないようにするための練習である。腕を体の前で掻いて、それが偏りも後ろにさがるのはよろしくないということで、この道具が登場したようだ。最後には、バランス感覚の練習もあって、ビート棒に腰をかけて、スカーリング (手のかきだけで浮いたり、進んだり、方向転換したり) の練習。これは新鮮で面白かった。

夜は予告どおりの宴会。2 日ぶりのビール。最近ビールが冷たい。




2002年11月26日(火) プールとバスケ


火曜日。

久しぶりに朝一番でプールに出かけた。「はじめて背泳ぎ」と「はじめてバタフライ」に連続して参加。背泳ぎはなかなか難しい。呼吸はいつでもできるはずなのだが、なかなか思うように進まない。といっても、その辺のおばちゃんよりは進んでいるのだが・・・。これも慣れが必要だ。コーチにコメントされても、最初はピンとこなくて、一人で練習しているうちに突然コツが分かって、コーチの言っていたことの意味が後から要約理解できるようになる。何事もそうかもしれないが、牛のように反芻することが大切なのかも知れない。

午後は昼寝。

夕方、友人がバスケットボールを楽しんでいるという集会に見学に出かけた。もちろん俺がバスケットボールをできようはずもなく、観戦して楽しんだという程度である。が、バスケのうまい人たちがプレイしている姿を見るのはなかなか楽しかった。帰りには、見学していた人、招待してくれた友人とファミリーレストランに立ち寄り、おしゃべりにはなをさかせた。これもまた楽しいひとときだった。




2002年11月25日(月) 月曜は定休日


月曜日。

プールも休みの月曜。そろそろ仕事もまじめに仕事をしなければならないというわけで、いろいろなところに営業のメイルを出してみる。早速仕事がやってきた。

午後 2 時頃には無事納品し、昼寝。夜になると熱が高くなってきたような気がする。明日プールにいくためにも、今日は体力を温存しておかなければならない。



2002年11月24日(日) 疲れのせいか…


日曜日。

午前中プールに出かけようと思ったのだが、起きたら出かける気力がなくなっていた。なぜか体調も今ひとつ。

昼ご飯にカレーを食べたのだが、元気にはなれず・・・。



2002年11月23日(土) 喜八廊


土曜日。

昨日から泊まり込んでいた友人が早朝から用事があるということで、送り出し、二度寝。そして、久しぶりにプールに出かける。バタフライも徐々に調子が出てきた。

夜は宴会。しかも大宴会。4 人集結である。となれば当然喜八廊であり、かなり飲み過ぎた。




2002年11月22日(金) Welcome back to Japan!


金曜日。

帰国の日である。昨日利用したタクシーの運転手のおじいさんがなかなかよい人で、今日日本に帰ると話をしたら、ホテルまで迎えに行くと言ってくれたのである。韓国にはタクシーが 2 種類あり、普通のタクシーと模範タクシー (とガイドブックには書いてあった) ものである。前者にはぼったくりなどあることが・・・ということで、料金は安いものの慣れていない旅行者には、割高な模範タクシーが推奨されていた。

が、こういうところで冒険好きな俺は、敢えて普通のタクシーに乗ったのだ。このおじさんは軍隊時代に英語を学んだらしく、かなり流暢だった。ガイドさんのように、空港までの道でいろいろとこれはいつ誰が作ったとか、面白い話を聞かせてもらった。最後には、空港到着があまりに早かったため、飯でもどうだ?、みたいなことになった。が、機内食があることは知っていたので、丁重にお断りし、チェックイン。

免税店でさんざん買い物したため、行きよりも荷物は相当重くなっていた。

飛行機に乗り込むと、もうすぐに眠くなり・・・が、いつの間にやら食事が運ばれて、いつの間にか成田。

帰り道は、途中の駅まで友人が迎えに来てくれたおかげで、スムーズに家までたどり着くことができた。大感謝である。





2002年11月21日(木) 結婚おめでとう!


木曜日。

今日は友人の結婚式。事前に韓国での結婚式について情報を仕入れておいたのだが、そのとおりだった。招待客は、1,000 人。ひとつの円卓に 15 人程度座れる。席は自由で、来た順に勝手にテーブルにある飲みものに手を付けはじめる。式そのものは非常にシンプルで、新郎の入場、新婦の入場、演壇の上で、新郎・新婦の生い立ちが述べられる。

その後、スープから始まって、サラダ、パンとハンバーグ、デザート (なぜか女性にしか支給されなかった) とコーヒー。客は好き勝手に式場を出たり入ったり。日本のように堅苦しくはなかった。


唯一堅苦しかったのは、スーツである。水泳で鍛え抜き、磨き上げられた体には、思いがけず筋肉がついていたようで上腕や大胸筋のあたりがきつくなっていた・・・。




2002年11月20日(水) 2 日目@ソウル


水曜日。

事前にホテルの予約はしないで出かけたのだが、今回の結婚式の新郎が手配しておいてくれて、ガイドブックにも出ている有名なホテルに宿泊できた。ダブルベッドが 1 つ。シングル ベッドが 2 つもついている部屋である。なんだか、独り者の俺にとっては逆にわびしさが増幅されるような気がしないこともないが・・・。

さて、テレビを付けてみると、海外の番組がかなり放送されている。日本の NHK BS も入っており、毎日欠かさずみていた『まんてん』もきちんと見ることができた。そんなことをしているうちに、腹も減ってきて、1 階にあったレストランに足を運ぶ。お粥専門店らしい。自分ではきのこ粥を注文したはずなのだが、おそらく実際に食べたのは、あわび粥だったような気がする・・・。まぁ、うまかったからよしとしよう。

ようやく腹ごしらえも済んだところで、観光に出かけた。まずはホテルのあるソウルの真ん中 (Plaza Hotel の近所といって通じる方はかなりのツ〜だろう) から地下道を通って、明洞 (Myeong-dong) へ。最初から韓国に行ったら新しいめがねとコンタクトを作るということに決めていたので、割引クーポンと地図を片手に地下街を歩き回った。地下のショッピング モールのスケールの大きさには驚いた。新宿でもこんなに店の数はないだろう。俺の少ない旅行経験から言うと、台湾の (地上にある) 商店街に似ている。軒を連ねる、という表現がまさにぴったりである。

店頭には怪しげなカタカナ、漢字表記、日本語のつもりなのだろうが現時では旧漢字 (中国語で言う繁体字) が使用されているため、奇妙に見える。店員さんは基本的にみなさん日本語をカタコトなら話せる。英語の方が通じない。通じたとしても、日本式の発音ではないため、聴き取るのが困難である。もっとも、アメリカにいたとき韓国の友人はたくさんいたのだが、彼らはみんなそれなりに発音にも注意していたから、そのときの経験はあまり役に立たなかった。

めがねは3つも新しいものを作ってしまった。プラス、怪しげ、やばげ、こわめに見えるサングラス、コンタクトをオーダー。今日中に仕上がるということで、夕方またとりに出かけることにした。

帰り道、敢えて日本語の看板が出ていない定食屋に入り、キムチ炒飯をオーダー。つたない韓国語でなんとか注文をとおして、店の人と英語、韓国語、中国語の入り交じった「ちゃんぽん (韓国語でもちゃんぽんは、ちゃんぽんでそのまま通じた!)」で会話を楽しんだ。

一度ホテルに戻り、昼寝。地下道は意外に距離がある。おそらく往復で 5 キロくらいは歩いただろう。




2002年11月19日(火) ソウル デビュー


火曜日。

遠足や修学旅行の前には、決まって眠れなくなるタイプの人間がいるが、俺はあまり関係ないらしい。しかも大人になってからというもの、睡眠は何よりも大切らしい。

というわけで、昨日も普通に酒を飲んでぐっすり寝た。朝起きて、いつもどおり NHK『まんてん』を見て、朝食もかねて近くのファミリーレストランで時間をつぶした。最寄り駅から成田空港までがおよそ 2 時間。ソウルまでのフライトが 2 時間ちょっと。なだかわりにあわないような話ではあるが、そもそも海外に行くのに、わりにあう、あわない、は意味がない。

成田空港には 1 時頃到着。飛行機が 3 時半ごろということで、店を見て回ったり、小腹がすいたから中華料理屋に立ち寄ったり。炒飯と醤油ラーメンのセットで 1230 円には驚いたが、まぁ空港の物価だから仕方ないだろう。

かと思いきや、搭乗すると、機内食のサービス。なんだ。知っていれば食うことはなかったのに。機内では、読書、昼寝であっというまにソウル仁川 (Incheon) 空港に到着。成田では、韓国で使うための携帯電話をレンタルしておいたので、早速友人に連絡を入れる。どのリムジン バスでどこまで行けばよいか聞いておいて、バスに乗り込む。

韓国の高速道路のインフラには驚いた。整備が行き届いているというだけではなく、先進した雰囲気を感じ取ったのだ。右側通行というせいもあるのか、なんとなくアメリカの都市の空港に近いものがあった。いざ、ソウル市内に入ってみると、今度は東京都ほとんど変わらない。ただ看板がハングルで、人々が韓国語を話しているということである。

今日は、友人が迎えに来てくれて、早速飲み会に連れて行かれた。韓国風の飲み方を教わり、ビールをかなり飲んだと思う。周りに英語を話せる人がいて一安心である。

明日は、買い物にでも出かけてみよう。



2002年11月18日(月) 最後の晩餐


月曜日。

明日から韓国ソウル 3 泊 4 日の旅だというのに何の支度もできていない。友人の結婚式に出席するのだから、もちろんスーツは必要。後は、風の便りで、先日もソウルは雪が降ったということらしいから、防寒対策も必要。だが、スーツケースをもっていくのは面倒。ということで、バックパックに詰め込めるだけ詰め込んで、後はスーツ専用のバッグ。
なんとか荷造りは終了。その刹那友人から卓球のお誘いが。当然断る道理もなく、お出かけである。夜は、ハンバーグ屋で日本最後の夜を惜しみつつ、友人との最後の晩餐。



2002年11月17日(日) 美しきスイマー


日曜日。

午前中プールに行く予定が、またはかなくも破れ、結局夕方 1 時間泳いできた。伸びながら手を掻くというクロールのストロークはまだ修得できないものの、伸びることにだいぶ意識がまわるようになってきた。

ラクにきれいに泳ぎたいものである。




2002年11月16日(土) はじめての背泳ぎ


土曜日。

寝坊した、というよりも、昨日の深夜より来客があり、そのため午前中のバタフライのクラスには参加できなかった。責任転嫁である。

さて、昼間はのんべんだらりと過ごし、今日は夕方の「きれいにクロール」のクラスと「はじめて背泳ぎ」に参加した。背泳ぎのクラスは本当にはじめてだったので緊張した。事前にコーチに男の人は浮きにくいから・・・と言われていたのだが、まさにそのとおりで、いくら俺に脂肪があっても、なかなか女性のみなさんのようにキックがきれいにできない。水面を遠くに蹴り上げるつもりで、と言われてもなかなかできないのである。

夜は宴会。いわずもがな。



2002年11月15日(金) チカラを抜いて、ラクに泳ぐことの大切さ


金曜日。

今朝もプールで始まる。「きれいにクロール」である。中級コース。少しずつ、形はサマになってきているらしいのだが、まだチカラが入っていると指摘された。クロールでは確かに一番早く、25 メートルをブレスなしで泳ぐこともできるくらいに成長した。が、コーチ曰く、力を抜いて、ラクに長距離泳げるようになることも大切だというわけである。そのとおりで、実際クロールの場合 25 メートルを往復したらぜーぜーいってしまう。これが平泳ぎやバタフライだとそうでもない。いくらでも泳げそうな雰囲気である。

力を抜いて、伸びる。この練習にチカラを入れていきたい (こいつはまだ分かっていないのか?)。さて、家に帰ってみるとやはりまだ本調子ではないようだ。用事を済ませ、食事。質素なものだが、玄米と納豆。

昼寝ではぐっすり寝てしまった。夕方友人から連絡があり、また会合がうちで開かれるとのこと。それまでに体力を温存しておかなければと思ったのだが、新規ジョブの打診もあり、いろいろと片づけているうちに、友人第一号の到着。

明日のバタフライが楽しみである。



2002年11月14日(木) 初心に返ったら風邪がぶり返した漢


木曜日。

プール。初心に返るつもりで、「はじめてクロール」と「はじめて平泳ぎ」を連続して参加。その後、張り切って、1 時間くらい泳ぎっぱなしだったところ、頭痛がしはじめ、なんだか体に火照りが・・・。風邪がまだ治っていないらしいのだ。

家に帰り、鎮痛剤を飲んで遅めの昼ご飯。カレーである。ハンバーグカレー。最近辛いものに弱くなってきた。ココイチの 10 辛くらいではどうってことなかったのだが、今は 5 辛でもつらい。体調のせいだろうか。それとも水泳でマッチョになってきているからだろうか・・・。いずれにしても、無理は禁物である。

夜は友人が訪れた。喜八廊の板長・・・いつも長話で大変だった人が、今日までで別の店舗の異動になったと聞いた。これはこれでショックな出来事である。このひとがいなくなると、和食はどうなることやら・・・。



2002年11月13日(水) 平泳ぎも難しい


水曜日。(茨城県民の日)

昨日の夜は、翻訳者の都合でいろいろと振り回されたが、こういうときにかぎって、新しい仕事がどんどん舞い込んでくる。友人のバスケットボールの試合を見に行こうか、と思っていたのだが、風邪気味ということで断っておいて、変な具合に成功してしまった。

自分の仕事も結局は夜中の 1 時近くまでやり、それからコンビニに出かけてご飯・・・。友人 2 人が訪れて、それからおしゃべり大会。まぁ、楽しかったなぁ。



今日は、昼間はプールは省略。その代わり、夜の部で「きれいに平泳ぎ」。泳法修得のクラスでは、中級コースである。はじめてこのクラスに参加した訳なのだが、今日は県民の日ということも関係しているのか、参加人数は俺も含めて 6 人。それで 25 メートルプールの 2 つのコースを占拠していたのである。最初のウォーム アップからハイペースでクラスは進み、今まで教わることのなかった、手の動かし方、スタートの方法を勉強した。これは、今後平泳ぎでかなり自習しなければならない。

さて、夜家に帰ってみると、またもや 5 人もの胡散臭い連中が集結していた。最近うちがたまり場になりつつあるが、地元に友達がいなかった 1 年前のことを考えると、嬉しいことではある。しばらくは、そのうちの一人の PC の OS の再インストール作業。それが終わると、しばらくご無沙汰していた居酒屋に出かけた。

俺は家の主であるのにもかかわらず、宴会終了後みんなが家にもどってきてしばらくすると眠りの世界に落ちてしまった。みなさんは朝方まで元気に話していたようである。自営業・自由業の俺は平気なのだが、会社員のみなさんは大丈夫だったのだろうか?



2002年11月12日(火) バタフライ---難しい


火曜日。

プールである。「はじめてバタフライ」。徐々に慣れてきた。両手でストロークすることもできるようになってきた。ただ気になるのは、バシャバシャ音を立てたり、水しぶきをあげて泳ぐのは上品ではない。それに、実際空中でそんな無駄なチカラを使っているのは非効率的でもある。足はなんとかなるのだが、エントリーする際、手でバシャとなりやすい。これからの練習で改善していかなければならないだろう。

夜は大変だった。翻訳を依頼していた台湾の某企業。突然翻訳者の PC がクラッシュしたと言い始め、明日納品の仕事なのだが、どうにもこうにもらちがあかない。というわけで、以前勤めていた会社に自腹を切ってお願いすることにした。バックアップの重要性を再認識したところである。



2002年11月11日(月) プール定休日


月曜日。

月曜が最近では一番つまらない日になっている。仕事はもちろん好きとか嫌いとかいっていられないが、プールが休みなのがネックである。

おとなしく家でじっとしていた。仕事もそこそこした (ことにしておこう)。




2002年11月10日(日) どんちゃん騒ぎ


日曜日。

昨日は宴だった。うちに総勢 5 名の日本男児が集結し、朝方まで狂ったようにどんちゃん騒ぎである。夜中帰った人が一人。その後も 4 人で大盛り上がり大会である。

朝友人の一人を見送りに、高速道路を法定速度をオーヴァーして暴走した。(といってもドライヴァーは俺ではない。)

帰りには、吉野家で牛丼。朝から大盛りである。ラッキーなことに今日は牛丼の日。残念ながらくじ引きでは当選しなかったものの、味噌汁割引券がついてきた。

午後は昼寝。そして、夕方早めの食事。明日からまた新しい一週間である。





2002年11月08日(金) 年寄りだ


金曜日。


昨日の補足から。

あまりに咳がひどく、痰もなかなか切れない。微熱も続くというわけで、いつもとは違う内科の病院に出かけた。初診ということもあり、いろいろ問診票に記入し、さらに身長と体重の測定。なんと、看護婦さんに身長を測定してもらったら、169.1 cm もあった。大学時代は 168 cm でそれ以来、ずっと本人はこの数字が唯一無二の正確な値だと思いこんでいた。(が、健康診断で 167.5 cm という記録が残されており、オフィシャル記録としては、これが採用されるのだろうが。)

本人の勝手な憶測としては、プールで泳ぐようになって、背骨の歪みが多少矯正されたり、実際姿勢が良くなったり、そういう些細な事情が複雑に絡み合っての結果だろうと思っている。いずれにしても三十路目前にして、もう少しで 170 cm というのは嬉しいことである。これで、多少見栄を張って、170 cm といってもそれほど罪悪感を感じることはない。



友人からの仕事の依頼が入ってきた。大きなものではないが、極秘の内容ということで取り扱い注意の書類である。あっという間に仕事は終わった。が、友人もプロの編集者である。こちらが書いたものについて疑問点を事細かに指摘してくる。まさに、微に入り細を穿つ徹底ぶりである。これにも丁寧に答え、無事納品。まだ半分終わっていない部分があるが、これは明日プールに出かける前に対応する予定である。

プールは、「きれいにクロール」。指摘されることもだいぶクリアし、徐々に楽しく泳げるようになってきた。そろそろ「がんばれクロール」に参加しようか、というところである。

最近薬のせいか、やたらと眠い。昼寝と思って午後 2 時過ぎに布団に入り、起きたら 6 時前だった。友人に連絡をとり、卓球で遊ぶことになり、I 県でも大きな市に属する T 市に遠征。途中、本屋で韓国のガイドブックを購入した。今月中旬から下旬にかけて、ソウルに出かける予定があるためだ。韓国語も昔ほんの少しかじったことがあるが、もうほとんど忘れている。旅行でより現地を楽しむためにも少し復習しておきたい。

卓球 = 焼き肉。という等式はみなさんご存知のとおり。今回は、豆腐チゲを食べた。喉の痛みがあったせいか、いつもならどうってことのない辛さでも喉にしみる。まだ全快には時間がかかりそうである。こういうとき、自分が歳をとったことを痛感せざるをえない。



2002年11月07日(木) そろそろきれいな平泳ぎデビューか?


木曜日。

大きな仕事の手配をするので一苦労している。が、納期まで比較的ゆとりもあることだし、海外の今まで仕事をもらっていた業者に見積を依頼してみることにした。日本だと高くつくことが多いが、海外であれば比較的安値で高品質のものが得られることも少なくない。

プールは久しぶりに平泳ぎのコース。なんとコーチから直々に「きれいに平泳ぎ」に参加してみたらどうか、というお言葉までいただいた。実際、最近「はじめて平泳ぎ」には文字通りはじめての参加者が多く、何回かコースに参加している人たちにとって、キックの練習だけで終わってしまい、若干不満が残るケースもある。自分がうまくなったから上のクラスへ…とも考えたいが、物理的に初心者のクラスが混んできているため、少しでも泳げるようになったら上のクラスに送り出したいというコーチの本音も聞こえてきそうである。

夜は、友人 3 人と飲み会。先日まで 780 円だった「洋風鍋」というメニューが「パンとチーズの鍋」という豪華な名前に変わり、値段も立派に 1,480 円になっていた。寒さが厳しきなってきて、客のニーズも増えることを見込んだ営業戦略に違いない。売れそうなものを高く値段設定するとは、えげつないというか、商魂たくましいというか・・・。




2002年11月06日(水) にんたまラーメン


水曜日。

帰宅する日である。昨日の朝の食べ過ぎを反省し、今日は控えめにしておいた。といっても朝 7 時過ぎにはもう食堂に参上し、プレートいっぱいの食べ物を目前にテーブルについていたのだが。

荷物をまとめ、おみやげを物色し、帰途に就く。途中、といざらすで買い物をしたり、地元が近くなってきたときに、にんたまラーメン (にんにくと卵が入っているというだけのものである) を食べたり。家に着いたのは夕方過ぎである。

夕方からは別の友人が家を訪れ、飲み会に繰り出した。明日から日常が戻ってくる。今月はいろいろと出かける機会が多い。仕事もきちんとこなしておかなければ、キリギリスになってしまうだろう。



2002年11月05日(火) 温泉と温泉と温泉と


火曜日。

旅行に出かけると、朝早く目覚めてしまう。朝食はビュッフェスタイル。さすがに中華料理はなかったものの、和食と洋食のミックスでさんざん食べた。朝からこんなに食っても大丈夫なのだろうか、と思うほどである。

食後の休憩の後、温泉に浸かる。プールでさんざん泳ぎ、また温泉。露天風呂もあるのだが、体は熱いが、顔が寒い。周りには鯉が泳いでいるせせらぎがあり、立ちこめる湯気が風情を醸し出している。

昼食や昼寝をとるいとまも惜しんで、体を動かし続ける。ちょっとした休憩の後、卓球を一時間。そして、またプール。そして温泉。夕方になり夕食の時間である。今回は、また別のファミレス。部屋に戻り、再び温泉。



2002年11月04日(月) 呼吸せずに 25 メートル制覇!


月曜日。

朝 9 時前に自宅を出発し、常磐道を上る。谷田部 I.C. で下り、一般道で一路那須に向かう。途中「すき家」で大辛牛丼の大盛りに変更したダブルセット (つうならこれだけで意思疎通は図れるところだ) をオーダー。いつもどおり七味唐辛子をさんざん振りかけて食したのだが、いつもと一味の配合が異なっていたらしく、かなり辛かった…。俺の病的な辛いもの好きをご存知の方なら想像に難くないはずだが、その俺が辛いというのだから相当の辛さだったに違いない。

現地に到着したのは 1 時半頃。小堺一樹くんとはるちゃんをホテルの部屋で見ることができた。本来 3 時チェックインなのだが、特別の取り計らいということで、部屋に上げてもらった。

早速プール。25 メートルでリゾート風のもの。まじめに泳いでいるおばさまも数人、ボートなどでぷかぷか浮かんでいる家族連れも数組。そこで、俺はまじめにバタフライの練習 (今回は両手を使ったもの) やクロールの練習、平泳ぎ、我流背泳ぎを頑張った。途中、友人と無呼吸でクロールの対決をしたのだが、なんと 25 メートル息継ぎなしで泳ぐことができたのである! これには、友人はもちろん俺も唖然とした。ほぼ毎日プールに足繁く通い、2 カ月蓄積してきた結果だろう。

夜は、食事プランを取り入れていなかったため、近くのファミレスで済ませた。



2002年11月03日(日) 生まれて初めての間違い


日曜日。

実は今日から出かける予定だと思いこんでいたのだが、大きな間違いだった。明日からだった。

昼間はごろごろ家で過ごした。夜は飲み会。プールもさぼってしまった。明日から再び那須へ旅行。荷造りをはじめなければ。




2002年11月02日(土) 飲み屋では店員との話しすぎに注意しましょう。


土曜日。

昨日、喜八廊で飲んだ際、板長の熱心なお話に耳を傾けていたのは、周知のとおり。人の話を聴くときに、一人で食っていては失礼かと思い、ビールを一気のみのように、ジョッキ 2 杯流し込んで、ときどきたばこを吹かしていたのがいけなかったのだろうか。今日未明、突如として吐き気が襲ってきて、しかもこういうときはかならずともなう陣痛。貧血の症状。ん〜。まずは、出産しようということで、無事元気な男の子を産み、トイレを流したその刹那、ものすごい吐き気。トイレで、ドヴァ〜と豪快に口からもケツからも大奮発。

おかげさまで、朝は非常に不快だった。が、我慢にも限度があるというわけで、気分転換にプールに出かける。今日は、「はじめてバタフライ」がお目当て。だが、実際に時間になってみると、いつものコーチではない。どうやら今日はお休みらしい。いつもと違うということは、俺がどれくらい初心者であるか皆目見当がつかないというわけで、効率的かつ段階的にバタフライを覚えようとしている俺にとっては、あまり実りのあるものではなかった。右手の片手はほぼ OK。左手はまだ怪しいという段階にとどまることになった。

その後、初心に返る意味で「はじめてクロール」に参加。コーチもはじめての人。今までは別のことを指摘されて、新鮮な気分になる。息継ぎの際、顔を上げるのと反対の腕が外側に向いてしまう、とのこと。これを修正するとラクに泳げるようになるとか。実際に試してみたが、まだ実感はない。





2002年11月01日(金) さらに「きれいにクロール」


金曜日。

もう 11 月。今年もあと 2 カ月で終わりかぁ。年賀状をデザインして、クリスマスがやってきて、あっという間に三十路なんだろうなぁ。

などと感慨深げになっている暇はない。今日もプール。「きれいにクロール」だが、指摘されることに変化が出てきた。手のストロークについて徐々に本格的指導を受けている。もちろん用意周到な俺のことだから、水泳について本やネットでかなり勉強しているつもりである。実際のクラスとはまた別にイメージ トレーニングも積み重ねてきている。最初のうちは、できもしないのに、本に書いてあることを真似して、基本がないがしろになってはいけないだろうと思い、コーチの言うことだけを信じて練習してきた。今でもこの姿勢に変わりはないが、指摘されることが教本でいうところの「ワンポイント アドヴァイス」から「これでさらにスピード アップ!」のような高度な技に変化している。本来のフォームはほぼマスターしたといってよいのだろうか。

そうそう、仕事も忘れてはならない。昨日の夜打診があった件を朝一番で片づけた。といっても外注さんに依頼したのだが。A ならあっという間に仕上げてくれるだろうということで、A さんに発注。内容も得意分野に違いない。

夜友人が訪れ、宴会が始まる。喜八廊にて。板長のおしゃべりには閉口したが、まぁいつものことである。




French Wolf |MAIL

My追加