French Wolf の日記
DiaryINDEXpastwill


2001年04月30日(月) 待つ日 (2)


月曜日。

今日は電気屋がうちにきて、エアコンと照明の打ち合わせをすることになっていた。

ところが、何時という約束をしなかったため、朝から晩まで緊張して待っていなければならなかったのである。最近、待ってばかり…。待つ身はつらい、とはこのことか…。

午後 3 時、もう耐え切れずに、パソコンで引越しの挨拶のはがきを印刷し始めた。ところが、黒のインクが出ない。インク切れであれば、プリンターの LED が点滅/点灯するはずである。何か異常があるに違いない。ということで、プリンターをがちゃがちゃいじり始めた。しまいには、カラーのインクも出なくなってしまった!

何回もヘッドのクリーニングを実行すると、黒インク交換サインが点灯した。ここぞとばかり、黒インクを交換し、カラーのインクも取りだし、もう一度セットアップしなおした。ようやく印刷可能状態になった。これで、4 時半。まだ電気屋が来る気配はない。

挨拶状を 80 枚くらい印刷し、夜を迎えた。

明日の朝にでも、電気屋に連絡してできるだけ早い時間に来てもらおう。あ、そういえば、明日は銀行にローンを組みに出かけなければならないのだった。早く寝なくては。


2001年04月29日(日) 待つ日 (1)


日曜日。

今日は、(1) 本棚、(2) パソコン デスクと椅子が届く日である。残念ながら、午前中配送にしてもらえばよかったのに、午後からの配送を指定してしまった。

というのも、昼寝もできず、結局夕方 4 時過ぎまで待たねばならなかったからである。

さらに、待ちついでに、もう一件待つ用事ができてしまった。東京にいたときは、東京電話を使っていたのだが、その際アダプターを借りていた。それが今回のマイ ラインで東京電話を選択することによって、不要になる。そこで、アダプターをペリカン便に取りに来てもらうことにしたのである。集荷の電話をしたのがお昼頃。2 〜 3 時間で取りに伺う、ということで 3 時ごろまで待っていたのだが、結局来たのは、4 時ちょっと前。

昼寝をし損ねた一日でちょっと不愉快である。



2001年04月28日(土) 表札と家具


土曜日。

午前中、家具の搬入があるということで、眠い目をこすりながら家具屋さんのトラックの到着をクビを長くして待っていた。

と、玄関チャイムのなる音が…。なんと、9 時半に来てくれたのである。今回搬送されてきたのは、(1) ベッドとマットレス、羽毛布団、(2) お客さま用布団 2 組、(3) 整理ダンス 2 竿、(4) 洋服ダンス、(5) サイドボード、(6) ダイニング テーブルと椅子 4 脚、(7) 物干し台と物干し竿、(8) 高枝切りバサミである。

各家具をそれぞれ所定の位置にセットアップしてもらって、すべてが終了したのが 10 時半前後。運送担当の人は 2 人だったのに、さすが手際よく作業していた。プロである。

そして、お昼ご飯まで、新しいベッドでしばしの休息。30 分少々昼寝したことになる。今までは、毛布とタオルケットをカーペットの上に直に敷き、その上で寝ていたので、快適である。さすが 30 万相当のフランス ベッド。

ランチには昨日の残り物の焼き鳥をほぐして、ラーメンを作った。卵も忘れずに入れる。

そうしたら、また眠くなってきてしまったのである。ふと気がつくと携帯がなっている。表札を頼んでいた業者からの連絡で、仕上がったとのことだった。

午後もまた昼寝をしてしまい、結局母からの電話で目が覚めた。パートが終わったらしく、病院で待ち合わせをすることになった。

まずは、表札を頼んだホームセンターに寄って、高級大理石の表札を受け取る。その足で、病院へ向かい祖母を見舞った。

帰りには、これまた定番になりつつある J●SCO で夕食の買い物。

よく頑張った一日である。



2001年04月27日(金) ピアノの足・市役所三昧


金曜日。

朝、NHK 連続ドラマを見るのは欠かしていない。

10 時過ぎ、週前半に依頼してあったはんこ屋に出かけ、実印を受け取ってきた。思った以上にすばらしい出来映えで、これでは自分がはんこに負けてしまう、というくらいの勢いであった。

その足で、近くの pseudo-デパートもどき (多少 redundant か?) に出かけ、新居のリヴィングに敷く 4 畳半程度のカーペットを物色した。いいものはあったのだが、あいにく大きなサイズのカーペットから切断しなくてはならず、そういうことに長けた担当者が 11 時にならないと捕まらないとのこと。残念ではあったが、もし今日中に納品できないようであればキャンセルする旨伝えて、祖母の家に戻った。

母は久しぶりに髪の毛のカットに出かけており、祖母の家から頂戴して自宅で使う品々が多々並べられていた。(もちろん、祖母への報告は事後承諾の形態をとっている!) 11 時過ぎ、デパートもどきから連絡があり、今日中の納品は無理とのこと。諦めて、たくさんの荷物を祖母の家から運び出し、自転車で自宅に向かった。

お昼は自家製、いや正確には、自分特製ラーメンである。昨日の残りである焼き鳥もろもろと卵を入れただけのシンプルなもの。ただし、胡椒、ラー油はふんだんに取り入れた。(一味唐辛子も入れたかったのだが、あいにくどこの棚にしまってあるのか見当すらつかない状況だった。)

午後、母の友人である T 野さんとご主人が訪問。引越し作業中に壊してしまった電子ピアノの足を直すために来てくれたのである。

なんと感動したことか! 壊れたピアノの足の残骸と残った足を器用にボンドで接着し、万力の小型版のような専門的な道具を駆使し、固定してくれたのである。自分は、片足をまるごと取り替えるとばかり思っていたので、壊れた残骸からの復活を試みるシーンを目の当たりにして、職人の洗練された芸術センスをひしひしと感じたのである。

そして、先日銀行からローンを組むための審査にとおったという連絡を受けており、必要な書類として印鑑証明や住民票が挙げられており、それらを取りに市役所に向かった。なんとも忙しい日々である。

それから祖母のお見舞い。帰りに JUSC● で夕飯の買い物をし帰途に就いた。



2001年04月26日(木) 理不尽なシステム?


木曜日。

今日は東京へ出かけた。病院の日である。先週も出かけて、ゴールデン ウィークの分も含めて、薬を 3 週間分もらおうと思っていたのだが、残念ながら先生のポリシーで 2 週間を超える薬の処方はしない、とのこと。それで、今日病院に出かけて、来週をやり過ごそうという魂胆である。

朝 10 時 11 分の特急で上野へ向かう。病院着は、ちょうど正午頃。診察、薬の処方、そして上野に戻ると、13 時 30 分の特急がちょうどホームに待ち構えていたという段取りである。

病院では、ルジオミールが効いていないこと、花粉症対策のポララミンがもう不要であることを告げ、さらに最近も相変わらず心理的・精神的に低空飛行であることを医師に主張した。デプロメールが朝・晩 2 錠ずつの服用になった。ちなみに、今までは、3 食後 1 錠ずつ服用していた。ところで、ここが不思議な点なのだが、薬局での支払いが増えたのである。ルジオミールとポララミンの 2 種類の薬をやめて、1 種類の薬が増えたのだから、よほどのことがないかぎり、支払いは減るものと思っていたのだが…。

夜は久しぶりに祖母の家に泊まった。





2001年04月25日(水) 嵐のような K.V.


水曜日。

昨晩のことである。やはり敵は訪れた。敵? そう。敵である。げろげろ大魔王参上! まぁ自業自得だから仕方ないだろう。

今日はいったい何をしていたのだろうか? 野暮用のピークだった。「いつもお世話になっています。」この場を借りて、K.V. にお礼を…。

夕方、祖母のお見舞いに出かけた。その後、JUS○CO で夕飯の買い物をし、自宅へ赴いた。



2001年04月24日(火) 野暮用デー


火曜日。

以前から予約の入っていた野暮用が本格的に始動した。

一日中その作業に追われて、あっという間に日が暮れてしまった気がする。

夕方には祖母のお見舞いに行き、帰り道、夕飯の買い物。従妹の働いている地元のスーパーでのひとときである。

一昨日、昨日と不在だったご近所さんを、挨拶のタオルを持って再び訪問したのだが、あいにくまたもや不在。家に一度戻り、簡単な挨拶のメッセージを書いたポストカード サイズの紙にタオルを添えて郵便受けに入れてきた。

徐々に生活に必要なものは揃いつつある。が、家具などの大きなものが来ないことには、本の紐も解けないし、ダンボールも迂闊に開けることはできない。(ひっちゃかめっちゃかになるのは、目に見えているからである。) 整理ができないのは心苦しいが、実際例の野暮用でかなり忙しい思いをしているので、ちょうどよい言い訳になっているのかもしれない。

本来なら今日、昨日発注しておいた実印が完成するはずだったのだが、あまりにも忙しく、披露困憊の極致だったため、割愛。

夜は、自宅で過ごす。ちょっと飲みすぎた気がする。今夜あたり久しぶりのげろげろ大魔王が訪れるかもしれない。




2001年04月23日(月) 事務手続きもろもろ


月曜日。

おはようございます。

自宅でお風呂に入り寝たのは昨日の晩がはじめてである。まだ家具が揃わないし、整理もできていないから、落ち着くというのには程遠いが、やっぱり自分の居場所ができたんだ、という心機一転の気分である。

午前中は、昨日と一昨日買い忘れたちょっとした物の買い物に母の友人である O 田さんの車で出かけた。JU◎CO でキッチン シンク用洗い桶などを購入した。

お昼近くになってから、転入手続きもまだ済んでいなかったため、市役所に寄った。会社提出用の住民票も取得。本当は、そのまま警察に行って、免許証の住所変更もしたかったのだが、警察署の場所がわからず家に戻った。

午後は、銀行へ。ローンを組むため支店長に挨拶し、家の売買契約書や昨年度の所得証明 (新宿区にはそういう名前の代物が存在しなかったため、課税・納税証明書をもらってきたのだが) を提出し、事前の審査申込書を記入、提出してきた。自分の収入や年齢、勤続年数などさまざまな条件が総合的に判断され、ローンを組めるかどうか審査されるとなると、やはり緊張する。学生時代の試験とは異なり、人間全部があたかも審査されているような気がしてきてしまうものである。

その足で、はんこ屋さんに立ち寄った。実印を作ったのである。新宿で使っていたものもある (これは前職の同僚、上海出身の K さんが中国で作ってきてくれた“瑪瑙”製の高級品である) のだが、角印であるため、なにやら日本ではあまり実印として相応しくないらしいのである。物事を丸くおさめるといういみで、丸い印鑑じゃないとダメだ、という人がいるほどである。そのため、後々必要になる実印を新たに発注した次第である。はんこにも“相”というのがあるらしく、自分の誕生日で相性のよい材質をはんこ屋さんに選んでもらった。一生使うかもしれないものということで、一番豪華な象牙を選んだのだが、値段もまたご立派。まぁ、その辺には目を瞑るしかないだろう。

その後、母に警察署の場所を尋ね、免許証の住所変更の手続きを済ませてきた。県外からのエイリアンということで顔写真も新たに撮られてしまった。何も悪いことはしない (つもり) なのに…。

そして、祖母のお見舞いで病院へ。自分も病人なのに、なぜこれほどまでに忙しい日々を送っているのだろうか。なにもかも、引越しの成せる業である。

夜は祖母の家に泊まる。



2001年04月22日(日) 買い物の鬼


日曜日。

昨日、多少深酒したようである。夜中に水と牛乳を大量に摂取した。

目覚めはあまりよくなかったが、自業自得。寝起きを叔父からの電話に襲われた。叔父は俺のことをいろいろと心配してくれているらしく、家具や家電製品、台所用品などの生活必需品の買出しに付き合ってくれるとのことだった。

田舎ではあるが、車さえあれば、大型量販店で安く買い物をできるというのはメリットである。ただ、俺はまだ車を買っていない。(実は、家のローンもまだ組んでいない。手付金を打っただけである。) こういうときに、叔父は大活躍である。

まず、家電で有名なコ◎マへ出かけ、冷蔵庫、テレビ、ビデオ、テレビ台、洗濯機、電子レンジ、掃除機を購入。前のマンションでは、洗濯機置き場がなく、一階のコイン ランドリーで洗濯を済ませていたため新規購入。テレビやビデオは持っているものの、自分の部屋に置くことにしたので、リヴィングに置くための 28 型ワイドと S-VHS の G コード対応ビデオとそれらのための台を購入。電子レンジは前に使っていたものを引越しの際捨ててきてしまったため (タダで友人からもらったものだった。たぶん電子レンジが市場に出回って間もないころに買ったと思しき超旧型である) 新規購入。冷蔵庫は、今使っているものは、単身向け。家も買ったことだし、大型の家庭用を注文した。掃除機は最新型のもの。出費がかさむが仕方ない。

その後は、家具屋。ベッド、ベッド用の布団、お客さん用の (掛・敷セット) 布団 2 組、整理ダンス 2 本、洋服ダンス 1 本 (タンスを数える単位は「竿」だと思っていたのだが、家具屋の店員も叔父も「本」と言っていた。どっちが正しいのだろうか?)。それから、カーテンを注文したのだが、事前に家で採寸していたものの、万が一にでも狂いがあると「つんつるてん」になってしまったり、引きずってしまいかねない。念のため、お店の担当の方に夜うちに来てもらって、採寸してもらうことにした。お誂えのカーテンとなると、出来合いのものの何倍にも価格が高くなるらしいが、今度の家はどうにもこうにも、吊るしのものでは間に合いそうにない。何しろ窓がデカイのである。

家具屋の一角には、生活必需品が置かれていた。スリッパをはじめ、物干し台、竿、剪定バサミ、各種洗剤、くずかご、モップ、お風呂セットまでありとあらゆるものを買い揃えた。大事なのは、ご近所に挨拶で配るタオルを 41 本も (!!) 買ったことである。100 円ショップにあるだろうと思われるもの数品を残して、買い物も一段落。

ふと時計を見るともう 2 時。お昼ご飯を近くのラーメン屋でとり、100 円ショップに向かった。バケツや、歯ブラシ置き、台所のスポンジ置き、ほうき、ちりとりなど細々したものを揃えた。

その後、自治会の班長さんのお宅に伺い、この地方のしきたり (大げさだが、田舎だとご近所付き合いも結構面倒なのではないかと危惧していたのである) やゴミの出し方など教えていただいた。結局、隣三軒両隣程度の挨拶でよいのではないか、とのこと! 残るタオルの立場は何処へ??

そして、お世話になっている、先生のお宅にお邪魔し、今日の収穫物などの報告。1 時間ちょっとでお暇し、カーテンの採寸に来る家具屋のお兄さんを待った。そして母とご近所への挨拶回り。意外だったのは、東京から来ている (らしき) 人が多かったことである。

近くのコンビニに冷やかしに出かけた。炊飯器とお米とビールはあるものの、おかずがなかったので調達したしだいである。

疲れ果てて、初めて自宅の風呂を沸かした。1 週間はタイルの乾燥のため、使用できなかったのである。今日でちょうど 1 週間と一日だったため、ちょうどよかったのである。

おやすみなさい。




2001年04月21日(土) 新居でのお泊まりデビュー


土曜日。

木曜日に医者からもらった薬「ルジオミール」が効きすぎた。昨日の夜、所定の服用量である、25 mg 2 錠を飲んだのだが、午前中いっぱい寝てしまった。午後になっても、調子が出ず、ダラダラしてしまった。いや、本来は毎日ダラダラしていないと療養にならないのである。

(そういって正当化しなくてもよいはずなのに、なぜか何かをしていないと罪悪感に駆られてしまう。これも病気の成せる業なのかもしれない。逆にそういう発想が病因になっているのかもしれない。が、いずれにせよ、こう考えてみると「卵か鶏か」の議論に陥ってしまう…。デッドエンドである。)

午後遅くなって、祖母のお見舞いに出かけたと思う。ああ、そうだ。叔父夫婦と母と一緒に車で出かけたのだ。そして、今晩は初めて新居に母と泊まることにしていたため、寝具を揃えたのである。揃えたといっても、必要最小限のもので、決して今後永遠に使える代物ではない。(もっとも、値段だけはかなり一人前だったが。)

お風呂とお酒を叔父の家で呼ばれ、帰りは車で新居まで送ってきてもらった。新築ではないのだが、家具のない、ただしゴミと開封されていないダンボール箱が山積み、紐で縛られた本が散在している家は、寒々しい。母親は 56 歳、年寄りといえば本人に出刃包丁で殺されるに違いないから、敢えてその表現は控えておくが、とにかく自分の 2 倍人生を歩んできた達人である。暖かい敷布団、掛け布団は母に譲り、自分はカーペットの上に毛布を敷き、背中が若干痛むものの我慢して眠りについたのであった。



2001年04月20日(金) 本棚・パソコン ラック・いす


金曜日。

なぜか記憶がない。午後、祖母のお見舞いに行ったことは覚えているのだが…。

祖母の家にいたのか、それとも新しい自宅に行って整理などをしたのか…。(もっとも整理をしたと言っても、げんなりするほど散らかっている事実に相違はないのだが。)


今、おぼろげながら記憶がよみがえってきた。正確に言うと、新しい日記を書いていながら、逆算した結果、今日これをしていなければならない、となったわけである。


近くの家具屋を物色した。本棚とパソコンを置く机、いすを購入した。自宅にあるパソコンのモニターが 21 インチであるため、選定にも限度があった。一番気に入ったタイプは、ディスプレイを机の下に斜め上に向けて設置し、机がシースルーになっており、上からディスプレイを覗きこんで操作するものだったが、21 インチ ディスプレイは置けないカラクリになっていた。残念である。が、実際今回購入した机もそれほど粗悪な商品ではない。自分の部屋に入れてすべてをセットアップしてみないことには、部屋全体の印象もわからないなぁ。本棚は 2 階の廊下に置くことにしよう。



2001年04月19日(木) 上京。三鷹と新宿


木曜日。

東京へ出かけた。病院と区役所が用件だった。

朝 10 時 11 分発の特急に乗り、三鷹着が正午ごろ。診察の結果、相変わらず気分の低迷、不定愁訴などがあるため、もう一ヶ月、つまり5月も休職することにした。また、薬も思ったほど奏効していないようなので、ルジオミールに変わった。

その後、家を買うにあたって銀行でローンを組まなくてはならず、必要書類として所得証明を取ってこなくてはならなかったため、区役所に立ち寄った。書類の発行そのものは、2 〜 3 分で終わったのだが、新宿区役所は、近そうに見えて、駅から結構距離がある。(普段、飲み歩いているときは、そんなに遠いと思ったことはないのだが…。)

上野 14 時 30 分の特急で祖母の家に戻った。

今日はあまりに疲れていたため、祖母のお見舞いは割愛。



2001年04月18日(水) NHK、パソコン、いじゃける話


水曜日。

母も自分も今日は一日がかりで、新居の整理をすることにした。

朝、NHK の連続テレビ小説を見て (ところで、NHK の朝の連続テレビ小説がこんなに面白いと思ったのは始めてである---『ちゅらさん』---沖縄弁もなかなか渋くて耳に心地よい)、自転車で現地に向かった。

母は台所を中心に整理を開始。自分は、自分の部屋に入れるものをまとめ始めた。が、結局本棚を引越しの際、捨ててきてしまったため、整理には限界があると判明。母の台所整理を手伝った。

パソコンのキーボードや電源ケーブル、スピーカーもようやくダンボールから発掘され、パソコン環境も整いつつある。

お昼は、母特製のおむすび。ガスも通じるため、やかんでお湯を沸かし、たまごスープふかひれ味を楽しんだ。

午後 2 時ごろ、例のスポンサー大先生がお見えになり、なんと大事な話があるということになっていた。大事な話なため、ここでは紹介できないが、ちょっと『いじゃっけっちゃう (【茨城県石岡弁】ムカつく)』話だったのである。

ま、そんなこともあるかという程度に抑えておいて、午後 3 時過ぎ祖母の家へと母と一緒に戻った。その後、病院へお見舞い。毎日の日課になってきている。



2001年04月17日(火) NTT とテレビ


火曜日。

母は例によって、家政婦のパートにでかけた。俺は、ひとりで祖母の家から新居まで自転車を飛ばし (といっても、本当にぶん投げて、飛ばしたわけではない)、およそ 20 分のサイクリングをエンジョイした。というのは、多少ウソで、NTT の電話工事が 9 時から入る予定だったのだが、早くも8時半ごろ携帯に連絡があり、もうすぐ着きますのでよろしくお願いします、なんて言われてしまったのである。実は、かなりあせっており、現場に急行したというところである。

電話回線は無事家に引き込まれ、FAX の受信のテストも無事終了。NTT 関連の会社に勤める友人から聞いていた話だが、NTT では、「もしもし」という代わりに、テストでは、「もっし〜」→「u 〜 huh 〜」という『業界』用語を使うらしい。が、実際茨城の NTT でもそれがきちんと普及しているのを目の当たりにして、驚いた。友人がウソをついているとは思っていなかったものの、実際自分の目で見ると、また耳で聞くと、感動に値するものがある。ということで、しばらくは、祖母の家と自宅をいったりきたりすることになると思うが、東京の自宅に電話をかけてもらえば、NTT のお姉さんが新しい電話番号を告げてくれることになっているので、留守電にでもメッセージを残してもらいたいな。

午前中は、自宅の片付けをした。なんと、今回の家は集中アンテナという方式が採用されており、テレビのアンテナを壁に差し込むと、(チューナーなしで) BS が見られるのである。しかも、契約すればケーブルテレビも導入できるということで、今後のインターネット ライフも充実すること間違いなしである。

お昼前に祖母の家に戻り、1 時過ぎにひとり寂しくラーメンを作り食べた。

3 時過ぎに、母が仕事から戻り、二人で祖母のお見舞いに出かける。



2001年04月16日(月) 祝賀会


月曜日。

何をして過ごしていたのか、思い出せない…。最近また体調が悪くなってきた。

引越し・家を買うなどという大きなことをこなしてきて、その前後では緊張感があったため、精神的にも常に圧力を感じていた気がする。そのおかげで、鬱も比較的落ち着いていたのだろう。

荷物はひどく散らかっている状態だが、一応大きなイベントは終わったわけで、それが引き金になって鬱が悪化しているに違いない。

ああ、今思い出した。午前中は、祖母のお見舞いに出かけ、午後からは今回の家を買う一件でスポンサー役を買って出てくれた、母の叔父さん主催の新事務所落成祝賀会に招待されたのである。




2001年04月15日(日) 整理開始


日曜日。

引越してから、最初の日である。当然、トラックから荷卸しした貨物 (大げさではない!) はそのまま、一階の和室ナンバーワンに保管されている。

午前中、叔父から連絡があり、祖母の家から新居まで車で送っていってくれるとのこと。そのさい、従妹の S 子も同乗してくるとのことだった。母と S 子と俺の 3 人で、少しずつ荷物の整理を始めたが、なんせ量が尋常ではない。いくらダンボール箱を開けてみたところで、整理などできるわけがないのである…。



2001年04月14日(土) 引越し本番


土曜日。

いよいよ、引越しの本番である。朝 6 時半に起こされ、朝食もままならないまま、レンタカー屋に向かい、東京へ赴いた。

引越し作業は思った以上に大変で、総勢大人 4 人で取り組んでも、一向に進まなかった。結局、東京の家の荷物を積み終えたのが午後 3 時過ぎ。それから、茨城に戻り、荷卸しを済ませたのが、午後 8 時前後。

叔父の家に出かけ、お風呂をもらって、夜は引越し無事完了の祝杯を近くの居酒屋で上げた。明日から、荷物の整理に追われそうである。



2001年04月13日(金) 引越し準備


金曜日。

昨日から、母親といっしょに東京に帰ってきている。昨日の夜は、狭い一組の布団に母親とラヴラヴで一緒に寝て、体中が痛い。(茨城の田舎なら、広々とした布団で一人ひとり眠ることができるのだが、新宿の我が家ではそう悠長なことは言っていられない。)

なんとか、数百冊ある本をしばり、目立ったものをまとめて、ふたたび茨城に戻った。というのも、明日の引越しでは、茨城からレンタカーを借りて荷物を詰め込むためである。叔父にも手伝ってもらう予定である。



2001年04月12日(木) 入院


木曜日。

入院といっても、自分が入院したわけではない。祖母である。腰の痛みがピークに達したらしく、どうにもこうにも、痛みに耐えられない、というわけで、地元の総合病院に連れていったのである。

どうやら、骨折、しかも圧迫骨折というやっかいな状況に陥っていたらしく、即入院となった次第である。



夜は、母親とともに東京へ向かった。土曜日に控えている引越しのための下準備をするために、明日金曜日にある程度荷物をまとめるつもりである。




2001年04月11日(水) 散髪


茨城県で散髪などいけるものか、と思っていた俺だが、さすがに伸びつづけるもみあげには勝てず、今日、散髪に出かけた。

こんなことになるだろうと思って、先週の金曜日に早々と東京の自宅に戻ってきたのだが、結局東京に戻ってしまうと、それはそれなりに、無意味で不毛に費やされてしまったのである。

お馴染みの広尾の床屋なら、4,000 円とられるところを、3,600 円でまぁまぁの出来栄えに仕上げてくれた、石岡のおばちゃんにも感謝せねばならないだろう。

しばらくは、引越しや、休職の継続や、その他諸々の所用で時間がつぶされていくことを思えば、今日床屋に行って正解だったのだろう。

なんだか、インチキ高校生になった気分といったヘアスタイルである…。



2001年04月10日(火) 接骨院


火曜日。

午後から祖母の付き添いで、接骨院に出かけた。



2001年04月09日(月) またまた東京から茨城へ


月曜日。

朝一番で銀行に行き、毎月の自動つみたてを解約した。というのも、今度茨城に行くと、大都市である水戸まで遠征しないと、取引銀行がないのである。また、引越しで多少まとまった金額が必要になるということも考えられるため、その準備でもある。

とはいっても、たいした手持ちがあるわけではない。泥棒のみなさん、俺を狙っても無駄だよ。



午前 10 時前、ふたたび茨城に向けて出発した。昼前に到着したところ、祖母が倒れたとのこと。なんとまぁ、腰を痛めていたのだが、さらに悪化したもよう。みんなで病院に行ってきたらしい。まぁ、倒れたといっても、不幸中の幸いで別にどこかをしたたかに打ちつけたという様子でもないため、一安心である。

午後、先生から連絡があり、銀行に口座を開いた。その後、不動産屋に立ち寄り、価格のことで議論白熱。契約はまだ済んでいないものの、14 日に引っ越すということは問題ないらしい。



2001年04月08日(日) 一人暮しができない身体


日曜日。

今日は床屋に行く予定だったが、朝から何もやる気が起こらない。テレビを見ているうちに夕方になってしまった。

夜、祖母の家に連絡をとって、引越し先の状況を聞いてみると、なんとか 14 日には引越しできそうである。準備は当日親戚を数人集めてドヴァーとやってしまおう、ということになった。

ただ、ラスカルが電車で来てくれて、手を貸してくれると非常に助かるなぁ。こっちは、トラック 1 台をレンタルして、親戚の叔父さんが運転してくれるし、もう一台、お手伝いに来てくれる親戚一同のための車を 1 台従妹から借りるので、電車で来てくれて、非力な私に頼もしいお力を拝借できると一番助かるなぁ。

それから、M アリー。手伝ってくれるとの申し出、非常に嬉しいんだけど、女性は母と伯母でなんとかなりそうなんだ。ありがとうね。でも、今回は大丈夫そうです。力仕事の方が残ってしまいそうなので、なんとかラスカルには…。(こんなことを日記に書いちゃまずいかな?)



一人じゃやっぱり調子が悪い。明日また茨城に向かうことにしよう。




2001年04月07日(土) 久しぶりの大魔王


土曜日。

昨日の夜は寂しさを紛らわすために酒に飲まれてしまった。

結局げろげろ大魔王である。朝まで悶絶していた。そのせいか、食欲もなく、午前 10 時ごろに目が覚めたものの、午後 7 時くらいまで、布団の中で、自己流森田療法に勤しんだ。






2001年04月06日(金) 東京へ


金曜日。
朝 10 時 11 分発の特急で上野に向かった。まずは、三鷹の病院に寄って、最近の様子を先生に報告。その結果、抗鬱剤がまた増量された。アナフラニールが 25 mg 3回。

急いで新宿の自宅へ向かう。というのも、「新・天までとどけ 2」を見逃してはならないからである。



久しぶりに一人で迎える夜。やはりダメだ。一ヶ月もの間、祖母の家でヌクヌクと過ごしてきたため、一人ではやっていけない体になってしまったのだろうか。

情けない…。



2001年04月05日(木) 準備もしなくては…


木曜日。

そろそろ引越しの準備に本腰を入れてとりかからねば。といくら自分が思っても、例の家を推薦してくれた大御所が動いてくれないことには、こっちも動きをとれない。

とりあえず、薬もなくなってきたことだし、体調もおもったほど改善が見られない。明日は、東京に戻ることにしよう。ついでに床屋にも行って、サッパリとした春風のヘアー スタイルにしてもらおう。



2001年04月04日(水) 久々の再会


水曜日。

日中は昼寝したり、野暮用をしたりして過ごした。

夜ご飯を食べるときに、意外な事実が明らかになって胸を打たれた。というのも、子ども時代自分が使っていた、宇宙戦艦ヤマトのご飯茶碗とカリメロのお椀がなんと、この 20 数年無傷で保存されていたのである。懐かしい、という思いいっぱいで多少量は少ないものの、これらのお茶碗とお椀でご飯とお吸い物をいただいた。自分に子どもができたら、このお茶碗とお椀を使わせよう。




2001年04月03日(火) ちょい重い


火曜日。

野暮用が結構重くのしかかってきている。が、用のあるうちが花だと思うことにする。

引越しの方の手続きが依然として進まない。


2001年04月02日(月) 尽きない悩み


月曜日。

予定では、今回家を買う際、ただならぬ力を貸してくれるスポンサーから連絡があり、茨城県で有名なある銀行に口座を開くことになっていた。が、結局、待てど暮らせど、連絡はなく、結局一日ぼーっと過ごしてしまった。

午後になって、前の職場の同僚 兼 大学の友人から連絡があり野暮用を少々こなした。

本当に自分が一軒家など持つことができるのだろうか? 引越しの手伝いも必要だし、車も借りなければならない。2 トン車を持っている友人などめったにいないに違いない。となると、やはり業者に頼んだ方が早いし、結果として便利なのだろうか? 俺の頭の中では、勝手に千葉県船橋市在住のラスカルや、松戸市在住の K 林、埼玉の S 崎、千葉の M 田、江東区の Cくりんなど候補は山ほどいるのだが…。ダンボールなどを調達したり、いろいろな細かい作業を考えると、女の子を呼んでおくのもいいアイディアだろう。

電話・水道・電気などの手続き、免許書・住民票などのお役所仕事、銀行やクレジット カードの住所変更手続き、インターネット回線の確保 (引越し先にはフレッツ ISDN が導入されていないため、ケーブルテレビ関連のインターネット接続サービスに申し込むか、あるいは NTT などの普通のダイアルアップにするか…)…悩みは尽きない。


2001年04月01日(日) 引越し


日曜日。

寒さはまだひどかったが、午前中に母の伯母のご主人と最終的な引越しの打ち合わせをした。こっちの予定では、4 月 14 日土曜日に東京から茨城の新居の一戸建てに移動することになっている。

また 4 月の 1 週目は野暮用があるため茨城で過ごし、2 週目に引越しの準備に本腰を入れて取り掛かることになるだろう。

住所はもうすでに決まっているのだが、さすがにインターネットで公表するわけにはいかないので、また引越しのお知らせでも送ることにしよう。

長年住んできた東京を離れて異郷の地で、まさに異邦人の気分で過ごさなければならないことを考えると、もちろん親戚が自転車で通える範囲内にワンサカいるにしても、複雑な心境である。いつの日か、また東京に戻ることができれば、それに越したことはないとは思っているものの、体調が真の意味で回復するまで、あるいはお嫁さんを見つけるまで、東京に住むことはできないのかもしれない。

とはいいつつも、床屋は相変わらず広尾に通うつもりだし、病院も当分は三鷹に通うつもりである。毎月 2 回のペースで東京に出ていれば、茨城弁の虜 (?!) にされることもなかろう。




French Wolf |MAIL

My追加