French Wolf の日記
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土曜日。母は例によって例のごとく、パートに出かけている。
今日は本当に寒かった。雪も降っている。
今年は東京の桜を見ることができなかった。残念である。一応 4 月の一週目は茨城で静養し、2 週目は東京に戻るつもりでいる。引越しの準備をしなければらならないからである。
明日は、母の伯母のご主人のお宅にお邪魔することになっている。そこで、最終的な引越しの話も固まることだろう。
金曜日。今日は午後から、将来の自分の家まで自転車で下見に行ってきた。たまたま、ハウスクリーニングの業者が入っており、中身を見ることもできた。新しい畳の匂いがし、また青々とした色が新鮮だった。まだクリーニングは途中だったため、100% きれいに生まれ変わった家、とはいえなかったが、それでもこの家なら問題なく住むことができるだろう、という確信も徐々に芽生えてきた。
夜は、叔父の家にお風呂、ご飯、酒を呼ばれた。
木曜日。やはり雨が降った。
天気予報よりも、俺の体調の方が正確な予報ができる。それに、腰を痛めている祖母も普段と比べて調子が悪い模様で、この病人の館、伊達に病人の館ではない。
鬱の方も思わしくない。
水曜日。毎日曜日を書いておかないと、感覚がなくなっていく。
天気が悪くなるのだろうか。一日中蒲団の中にいた。低気圧だと天気予報よりも正確に、身体のいたるところに普段とは異なる状態が現れる。
火曜日。母は家政婦のパートに出かけてた。
夕方、買出しに付き合わされた。今度は、ビール 24 缶と焼酎 4 リットルである。まぁ、自分も飲むのだから、仕方ないといえば仕方ないことなのだが…。
月曜日。毎日がめまぐるしく過ぎ去っていく。
普段面倒を見てもらっている母が体調を崩した。自分で食べ物くらい用意できるものの心配である。祖母も腰を痛めている。俺ももちろん鬱病患者。まったく、このうちは病人の住処ではないか!
日曜日。今日は一日中…正確にはいつも同じか…ゴロゴロと過ごしていた。
夕方母から一緒に近所のスーパーに買い物に行かないかと誘われた。珍しいと思い付き合って行ってみると、なんのことはない。米 10 キロを買いたかっただけなのである。祖母の家にもずいぶん世話になっているし、米運びぐらい引き受けてやった。しかも、その日の食材は全部俺が払った。偉そうなことを言えた立場ではないが、かつおの刺身、ツマ、コロッケ、餃子、アイスクリームなどなど、本当に全部今晩のおかずになるのか、と疑問に思うほどよくもまぁ、たくさんのものを買ってくれたものである。
今日は、母の伯母の誕生日パーティを叔父の家でやるということになっていた。母は朝っぱらから家政婦パートにでかけており、3 時の終業後直接叔父の家に直行することになっていた。
が、例の母の伯母のご主人から連絡があり、先日外見だけ拝見した未来の我が家 (?) の中身を見につれていってくれるということで、母も仕事終了後一度家に戻ってくることになった。
家の感想は、まず一人で住むには広すぎる、である。それでも、将来のことをいろいろと考えるとかなりよい物件である。キッチンは広い。あれをシステム キッチンと呼ぶかどうかはわからないが、かなり機能的にできているし、収納もたくさんある。2 階にもトイレというか、簡単な化粧室があるのは嬉しい。庭も広く、南に面している。南側には空き地があるため、しばらくは日当たり良好の物件といったところだろう。
夜は、パーティ。豪華な料理で、母の伯母の誕生日を祝った。
昼ご飯に、本当に久しぶりのお子様ランチを食べた。といっても、デパートのレストランで注文したわけではない。母親が作った昼ご飯が、たまたま、ケチャップご飯とヤキソバの盛り合わせだったのである。
なんとも懐かしい味だったなぁ。そういえば、ケチャップご飯のことをチキンライスと呼ぶ人がいるが、ケチャップだけでチキンが入っていない場合もチキンライスになるのだろうか? もしそうだとしたら、納得がいかないな。
28 回目の誕生日である。祖母と母と 3 人で、ビールで乾杯し、刺身を食べた。
もっとも、ビールの後調子に乗って日本酒をガンガン飲んでいたら気分が悪くなり、食べたもの・飲んだもの全部を吐き出してしまったが…。
鬱のひどい一日だった。唯一の励ましは、電話である。数本の電話がかかってきた。仕事がらみのものが 2 件、夜には高校時代の親友から一本。
特に高校時代の友人からの電話には励まされた。自分がたとえ茨城県に住むことになったとしても、遊びに来てくれると言ってくれたのは何よりうれしい言葉だった。ありがとうな、S 崎。
2001年03月20日(火) |
何の変哲もない春分の日 |
昼間、母は例の家政婦パートに出かけてしまい、俺は家でテレビを見たり、テレビを見たりして過ごした。
夜は、叔父の家に行き、お風呂と食事、酒をご馳走になった。
だんだん毎日が平凡化してきている。よくない兆候だと思う。
東京に一度戻った。病院に行きたかったのと、郵便物の確認をしたかったのと 2 つの理由があったからである。母も東京で買い物がしたいということで、いっしょに上京した。
朝 8 時半の電車に乗って、上野へ、そして東京駅から中央線で三鷹へ。病院でははじめて母を紹介し俺の病状を先生から説明してもらった。先日友人とも話したことだが、身内の人間に鬱という病気を納得してもらうのは至難の技である。なまけ病、ぐうたら病のように家族の眼には映るのだろう。
今日は、お墓参りに出かけた。従妹の車を借りて運転したのだが、久しぶりの運転ということと、他人の車を運転するということで、かなり緊張した。まぁ、現地に到着するころには、すっかりブイブイ言わせていたが。目的地は、水戸黄門でお馴染みの格さんのお墓もある由緒正しい墓場である。
その後、お墓参りの後のお決まりの定番メニュー (少なくとも、N 井家では) になっている、うな重を食べた。これがまた格別の味なのである。水戸にお出かけの際はぜひ立ち寄っていただきたい。
昨日の医師の話では、今日も点滴を受けたほうがよいということで、朝一番に点滴を受けに病院へ出かけた。二度目ということもあり、もう濃慣れたものである。
母は、病人である俺を差し置いて、パートに出かけてしまった。家では、祖母とゴロゴロしていた。薬がようやく効き始めてきたのか、のどの痛みは若干和らいできた。
あまりにも熱とのどの痛みがひどいため、病院に行くことにした。
病院にて医師の診察を受けると、即座に点滴をした方がよい、とのこと。扁桃腺がただ腫れているだけでなく、化膿しているというのだから、一大事である。時間なら腐るほど有り余っていたため、その場で点滴を受けた。
点滴なんて、大学時代に胃炎で入院して以来だから、6 年ぶりくらいになるだろう。痛みはないものの、一滴一滴がポタポタと落ちる様子を眺めていると、250 cc でも、永遠の時間がかかるような気がするものである。実際は、1 時間弱で終了したが…。
昼間は家でゴロゴロと療養し、夜は叔父の家に招待されて (押しかけて、といった方が正確か?) お風呂に入り、酒、豪華な食事にありついた。
風邪を引いた。のどが痛い。熱が 39.5 度もある。ただごとではありますまい。
2001年03月14日(水) |
サイクリングと買い物 |
母の伯母の住んでいる家に自転車をもらいに行った。母は自分の自転車をもうもっていたのだから、こうして新しい自転車をもらうということは、これすなわち、自分のため、ということに他ならない。
そして、二人でサイクリングをかねてちょっと遠いジャ◎コまで「冷やかし」に行った。もらった自転車には鍵がついていなかったため、まずは母が駐輪場で自転車の見張り番をし、自分が店内を物色しめぼしい自転車の鍵を購入した。その後は、晩御飯の買い物。
相変わらず、刺身がメイン。同じ魚にしてもいろいろと食べ方はあるだろうに、なぜそこまで刺身にこだわるのかねぇ。
2001年03月13日(火) |
どうしよう…家なんて俺に買えるのか? |
朝ご飯に漬物…これが和食の原点か。
そんなことはどうでもよくて、今日は昨日の先生が探してくれた物件を見に行くことになった。午前中は例によってウダウダとして過ごし、昼ご飯には、祖母特製のカツ丼を食べた。
午後 2 時半過ぎ、先生から連絡があり、車で迎えに来てくれた。そして、例の物件を見に行ったのだが、やはりデカイのである。中にはまだ人が住んでいるということで、外見しか見ることはできなかったのだが、車 2 台分の駐車スペースがあり、広さも圧倒的という感じである。
んんん。迷うところである。自分が田舎に住む…一軒家のオーナーになる…。
今日は、まったく驚くべき事件が起こった。
先日お邪魔した母の伯母のご主人 (税理士をしている地元でも名士・有力者) がやってきて、俺によい物件があるといって、一軒家の見取り図を持ってきてくれたのである。話を聞いてみると、どうやら田舎の連中は、俺がもう茨城に永住して仕事をするものと決め込んでいるようである。そこで、その伯父 (みんなに先生と呼ばれているから、以降「先生」にしよう) は、俺のための物件を探してくれたのである。
まずは呆気にとられてしまった。もちろん自分のために家探しまでしてくれるのは非常にうれしいことである。しかし一方で、鬱状態にあり自分に自信をもてない今、家を購入するというのは、きわめて大きなことである。先生がいくらか負担してくれてもよい、となんともありがたいオファーをしてくれたのだから、その言葉に甘えたほうがよい、というのが親戚一同の一致した見解だった。70 坪を上回る敷地に、40 坪以上の家。5LDK である。土地付きの物件である。今払っている家賃程度で毎月のローンを組めば、20 年前後で完済することになるものの、やはり東京育ちの自分にとって、東京を離れて生活するということは、かなりの勇気を有する決断になる。明日その物件の外見だけでも見てみようということになったのだが、とりあえず見るだけならタダだということで、たぶん見に行くだろう。
夜は、母の弟の家に風呂に入りに行った。というのも、祖母が腰を痛めており、自宅にある風呂場だと何かと不都合が多いのである。昔の風呂で、相当に足を上げなければ湯船につかることはできないし、またシャワーもない。というわけで、週に何回か叔父の家にお邪魔しているらしい。先週も俺はそれに便乗し、風呂に入り、酒とご飯をご馳走になってきた。こんしゅうもしかり、である。
今日は再び田舎へ戻る日だった。 なにやら親戚の四拾九日があるとかで、高幡不動まで出てきていた母と伯母が自宅まで迎えにきた。
荷物はノートパソコンをはじめ、衣類、聖書 (これから敬虔な信者になろうというわけではないが、枕の友としては最適だろう。)、手帳である。
そう言えば土曜日病院にいったことを書いたっけ? いつも死ぬことばかりを考えていると訴えたところ、抗鬱剤が一種類増えた。今はあまり先のことを考えないように、と言われたのだが、そんなことも言っていられない。今は何とか収入があるから生活もできるが、これが病気のせいで本当に働けなくなったらどうしよう…と考えてしまうのはある意味で、当然ではないか。
さて、話は元に戻るが、結局午前中はテレビを見たり、お風呂に入ったり、洗濯したりして過ごし、お昼ご飯を食べてから図書館に借りていた本と CD を返却しに出かけた。
母と伯母が迎えに来たのは 3 時ごろ。三人で荷物を持って、再び茨城へ。
到着したのは 5 時半ごろ。またもやマグロの刺身が待ち構えていた。どうやらうちの母の家系は大のマグロ好きらしい。
昨日の夜は久しぶりに自宅で一人だった。 やはり、今一人になるのは危険だと思った。というのも、頭によぎるのは「死」ばかり。どうやって死ぬか、痛くて苦しいのはいやだし、失敗してしまうのもいや。その中で、飛び降り自殺というのが一番効率がよい気がした。ただし、やる場所をきちんと選ばないと、第三者まで事故に巻き込んでしまいかねない。
とにかく、そう言うことばかりを考えていたので、危険だと思い、田舎の母に電話した。そして結局再び、田舎に戻ることに決めたのである。今日はしばらく病院に行っていなかったし、体調もすぐれない。先生に相談しようと思う。
結局、抗鬱剤が一種類追加された。三環系とよばれる古いタイプの薬だが、効き目のほどは人によって千差万別らしいから、まぁしばらく様子を見てみよう。
とにかく、本来なら仕事からも解放され、春も間近に迫ってきている今の季節、普通の人ならば体調が徐々によくなっていくものだろう。ところが、花粉症の患者であることと、季節の変わり目はもれなく抑うつ的になるということから、今最悪の精神状態である。そんなときに、仕事もせずに一人で自宅に閉じこもっていると、よからぬことばかり考えてしまうのである。
今まで、これほどまでに誰かに頼りたいと思ったことはない。今はそういう時期なのかもしれない。
昨日の熱は下がった。まだだるさや頭に鈍い痛み、喉のイガイガ感が残るものの、思い切って東京に帰ることにした。
まだ雪の積もる昼下がり、現地をあとにし、上野行きの特急に乗った。約 1 時間の小旅行。大塚から都電経由で自宅に戻ってきた。久しぶりに帰る自分の古巣になんとなく、嬉しさがあった。この前の月曜日母親と一緒に茨城に向かったのが、はるか遠い過去の話のように思えた。
なんと間抜けなことか (といっては母に失礼だが) せっかく買ったスイトピー。ちゃんと半分くらい枯れていてくれた。慌てて水を替えてみたが、まもなく寿命だろう。一方、ミントの葉っぱは元気いっぱいである。こいつにも久しぶりの水をやった。かつて大学時代の友人 (♀) に聞いた話だが、「ミントなんて雑草のようなものだ。父親が庭でミントを栽培して、ミントティーを作っていたから…飽きた」。最後の「飽きた」という部分の記憶は定かではないが…。
それから、荷解き。行く前に部屋の掃除をしておいた甲斐があって、しまうのも比較的容易にできた。
ただ、問題は夜になってまた熱が出てきた。まだ風邪が完治していないらしい。と同時に、鬱も復活してきた。『死』というコトバが頭の中をグルグル回っている。
2001年03月08日(木) |
インフルエンザ? 灼熱地獄! |
田舎に来てから、いろいろなところにでかけたせいか、はたまた東京の自宅マンションの気密性が高いため外気に曝されることがなかったせいか、風邪気味だった。
お昼ごはんを食べたのまではよかった。が、その後夕方になるにつれて熱は上がる一方。夕方 4 時の時点では、なんと 39.5 度を記録。このまま死ねるなら、それはそれで構わない…なんてことを考えたりしていた。が、やはり痛かったり、苦しかったりする死に方はお好きではない。結局、解熱鎮痛剤を適当に飲んで、何とか熱を下げ、風邪薬を飲んで、早めに床に着いた。
明日は東京に戻る予定である。というのも、田舎での生活で、食事やお風呂の心配はなかったものの、自分がもっとも苦手とする人付き合い、とくに親戚との付き合いが億劫になってきた。本来、一人でいても改善する病気ではないが、周りから必要以上に励まされたり、心配されたりすると、余計に鬱病とは治りにくくなる、と聞く。これは、今回の帰郷で痛感したことである。たしかに、自分の実家でもないところにいるのだから、それなりに気を遣うのは当然。そんなことは承知しているのだが、やはり一人暮らしが長くなってくると、そういうことに気配りすることが逆に神経をすり減らしているような気がするのである。
昨日の夜は、結局朝型 3 時まで眠ることができなかった。 そして、今朝は 6 時半に目覚めた。寝不足である。
午前中は祖母の家でウダウダと過ごし、昼前に母の伯母 (亡くなった祖父の妹) の家にお邪魔することになった。伯母の家では、昼ご飯をご馳走になった。お寿司である。また、伯母の飼っている犬の散歩もした。なんだか今日はおかしな天気で、晴れたかと思いきや、急に雲が立ちこめてきたり、小雨がぱらついてきたり…。犬の散歩のときも花粉症のせいか、寒さのせいか、クシャミが止まらなかった。
午後 2 時半ごろ、お迎えの車が来て、祖母の家に戻った。途中、買い物をした。田舎のため、ひとつの場所で、すべての買い物の用を果たすのは難しく、何軒もの店を回らなければならなかった。
夕方はいつものとおり、テレビ三昧。夕ご飯は大好物のカレー。
こう書いていると、ずいぶんとのんびり過ごしているように思われるかもしれないが、さらに甘えてだらけきった生活を送っているかのように見えるかもしれないが、本人としてはかなり気を遣っている。慣れていない親戚とのつきあい、自宅ではなく祖母の家にいるというなんとなく落ち着かない気分。これは自分の家にいても同じだが、することがない、という退屈感。自分の家にいれば、一人で閉じこもっていられるが、ここではそうはいかない。ご飯だって、みんなと同じ時間にとらなければならない。要するに、自分のもっとも苦手とする、協調性を求められるのである。
ここまで甘い汁をすわせてもらっているのに、贅沢を言っているのは百も承知だが、やはり自分に居場所はここではないということを痛感させられる。家といっても、他人の家。いくら祖母の家、母の生家とはいえ、自分が生まれ育った土地ではないのである。かといって、新宿の自分のマンションに戻ったところで、そこは一人きり。一人が好きだといいながら、矛盾しているのだが、たしかに居場所はある。が、生きた心地がしない。万が一のとき、誰も助けてはくれない。難しい問題を抱えたものである。
今朝はすっかり老人モードで、朝 6 時前に目覚めた。 もっとも会社に通っていたころは、6 時にはもう都電の駅で電車が来るのを待機していたのだから、それほど驚くような早起きでもないが。
母親はバイト (『パート』と言った方が年齢的にふさわしいだろうが)にでかけてしまったため、祖母の家に祖母と二人取り残され、結局何をするでもなく、テレビを見たり、本を読んだり、昼寝をして、過ごした。
夜は、叔父の家にお邪魔した。これがまた豪華な家で、70 坪の敷地にデンと構える豪邸である。東京だったら、6000 万は下らないような物件で、お風呂まで体験入浴させていただいた。夕食も豪勢に刺身、米沢牛 (松沢牛だったかもしれないが、忘れてしまった…旨かったという意味では同じだから、まぁよかろう)、焼酎 (焼酎が肌に悪いという情報を今日はじめて耳にした。ちなみに、ウーロン茶も胃に悪いらしい)、とんかつ、ほうれん草のおひたし…。いたれりつくせりである。
夜祖母の家に戻ったのは、10 時過ぎ。食べ過ぎのせいか、なかなか寝付くことができず、結局、本棚にあった2冊を読んでしまった。相田みつを『にんげんだもの』と乙武洋匡の『五体不満足』である。前者は詩集というもの。帯には「心のそこから嬉しいとき 涙をこらえて悲しみにたえるとき この本があった」という宣伝文句があるとおり、(おそらく仏教の教義に端を発していると思われる) こころに安らぎを与えてくれる詩。短い散文にはときどき心を揺さぶられる思いがした。
後者は、一時ベストセラーにもなった本だが、読んでみたのは初めてである。障害者について、考えさせられる内容だった。
いずれにしても、気軽に読み流すことのできる 2 冊ではなかったため、全部読み終えた午前 2 時すぎになっても、眠気は訪れず、頭は冴えきっていた。なんとか、無事に眠れるとよいのだが。
今日は母親が来た。 昨日の夜電話で話したのだが、自分の病状が思わしくないのを心配してくれたらしい。柄にもなくなぜかちょっと嬉しかった。
大塚駅に着いたら電話してくれるように言っておいたのだが、なんと最寄の面影橋まで来てから電話をくれた。まぁ、さすがに自分の母親だけのことはある。やることが奇抜なのである。電話をもらったからには迎えにいかなくてはならない。急いで迎えに行った。昼ご飯も作ってくれるということなので、すぐ自宅には向かわずに、近所のスーパーに立ち寄って、うどんの材料をそろえた。
何も手土産にもってこなかったことを多少気にしていたのか、母親が急に「花でも買ってあげる」と言い始めた。花なんかもらっても、うちの部屋を知っている人には言うまでもないが、似合わないどころか、そもそもそういうしゃれたものを置くような物理的なスペースがないのである。まだ、俺の部屋を見ていない母親は、きっとさぞかし整理整頓の行き届いた部屋を想像していたに違いない。結局、花はなんとかあきらめてもらって、それでもスイトピーは買ってしまっていたが、ミントの鉢植えを買ってもらった。
さて、母親は我が家デビューである。入ってみて相当ショックを受けたに違いない。男の一人暮らしなんて、所詮こんなものだと思うのだが、あまりの部屋の汚さ、乱雑さに卒倒しかねない驚きようだった。
本来は、早速昼ご飯のうどんの調理にとりかかってもらう予定だったのだが、急遽大掃除大会が繰り広げられることになった。まずは、万年床になっていた布団をベランダに干し、掃除機をかけ、テーブルの上、パソコンのキーボードやステレオの上の埃をふき取り、台所の整理、床に散乱していた雑誌類の片付け、、、よくもまぁ、そこまで人の家 (とはいってもかわいい息子の部屋だが) でそこまできれいにしてくれるものだ、とこちらが感心してしまったほどである。
結局は古くなった毛布も捨てられ、しまいには、トイレ・玄関掃除まではじめ、大掃除大会は幕を閉じた。
ようやく昼ご飯の時間である。母親お手製のうどん。たまねぎとまいたけとねぎと鶏肉というごくシンプルなものだったが、人に作ってもらうご飯は久しぶりだったので、おいしく食べることができた。
さて、1 時。となれば、「天までとどけ」の時間である。まぁ来客もあったことだし、それほど集中してみることができたわけではないが、楽しかった。
さて、今日は先週の火曜日内科の診察を受けた折、血液と胃のレントゲン検査をした結果が出る日である。母親にはしばらく自宅で待機してもらい、病院に行ってきた。胃の方はまったく問題ないとのこと。やっぱり神経的な要因からきていたものらしい。したがって、特に薬も処方されずじまいだった。血液検査の方は若干問題ありで、もっとも本人も気づいていたことではあるが、肝機能が芳しくないようである。中性脂肪やコレステロール値も高め。ショックだったのは、前回した血液検査では、特に問題のなかった、尿酸値が高かったことである。これはひどくなると通風になるから、気をつけなければならない。医師もいっていたことだが、要はダイエットして肥満を解消すれば、自動的にこれらの数値も平常範囲内に収まってくる、ということである。
自宅もきれいになったことだし、検査の結果もわかったということで、俺はもうご満悦で、わざわざ母親の実家に戻ることもないな、と思っていたのだが、せっかく迎えに来たのに…と執拗に迫ってくる母親。それほど乗り気ではなかったが、田舎に行くことにした。いそいで、下着類、本、大切なシグマリオンをバックパックに詰め込み、茨城県へ赴いた。
出発したのが 4 時過ぎ。それで現地に到着したのは 7 時過ぎだった。久しぶりに会った祖母の第一声が「太ったね」というのには閉口したが、まぁそのへんは事実だからしかたないだろう。
夕飯は、刺身、大根と鶏肉の煮物、度忘れしてしまったが、もずくのような酢の物の海藻、とにかく健康志向のメニューのオンパレードだった。
久しぶりに湯舟にもつかり、ゆっくりと食後を過ごした。さて、明日から何をして過ごそうか。本来は、病気で療養しているのだから、何もせずゆっくりとしていればいいのだろうが、せっかちな性格のせいか、何かしていないと落ち着かないのである。読書でもするか。
2001年03月04日(日) |
amazon.com |
今日はものすごい天気だったな。
昨日図書館で見つけることができなかったクライバーのブラームス第 4 番、amazon.com で見つけることができたため、早速注文した。シッピングの手数料を入れても 20 ドルにならなかった、ということは、日本で買うよりも安く上がったに違いない。
鬱の調子が悪い。
しばらく、母親の実家にお邪魔することにした。日記もしばらく更新できないと思う。
2001年03月03日(土) |
カルロス・クライバーと読書のとき |
今日は雛祭り。
自分とはまったくもって、何ら関係のない年中行事である。年中行事といえば、七五三。これは納得がいかない。地方によってしきたりに差異があるのかもしれないが、うちの実家 (@東京都練馬区) では、3 つ年下の妹が、3 歳、5 歳、7 歳と、3 回とも祝福されていた (気がする) 一方で、男の自分はといえば、遥か忘却の彼方、千歳飴をもらってなだめすかされた記憶があるかないか、微妙、といったところである。
「つわり」と「分娩の際の痛み」をのぞいて、女性に世の中甘い気がするのである。なんで、俺たちが懸垂で体力測定をしているさなか、女性は、斜め懸垂とかいうふざけた懸垂もどきで体力を測定できるのか?? 俺たちが 1,500 メートルの長距離走でタイムを記録しているなかで、女子は、1,000 メートルで許されるのか? 特に俺の通っていた高校では、クロスカントリー大会 (略して「クロカン」と称されていたが) で、男子は 15 キロ、女子は 10 キロなのか?
今日は土曜日。天気が久しぶりによい。気持ちがよい。朝早い時間帯に目が覚めてしまいのは、ある意味で自分の専売特許。今日も午前 5 時過ぎに目覚め、カーテンを開け、朝陽を浴びるつもりで (たとえ寝ていたとしても、朝陽を体内に取り込むのは悪いことではないと信じている俺…。きっと、M も賛同してくれるに違いない)、再び眠りの世界に引きずり込まれた。
とはいうものの、再び目を開けたときに時計がまだ 8 時前、ということで衝撃を受けた人は、俺と同じ世代の人の間では稀有だろう。
結局、活動らしき活動をし始めたのは、午後になってからである。図書館に出かけ、ドリーブ (Delibes) のバレー音楽『シルヴィア (Sylvia Suite)』を借りてきた。本当は、クライバー (C. Kleiber) 指揮による、ウィーン フィルハーモニーのブラームス (J. Brahms) の『交響曲第 4 番』を借りたかったのだが、あいにく図書館にはなかったのである。まぁ、贅沢を言わせてもらえば、モーツアルト (M.W.A.) の『劇場支配人』序曲の CD も探したのだが、見つからなかったのである。
3 月いっぱい、休職するということもあり、図書館からできるだけのリソースを借り出しておこうという魂胆もあり、遠藤周作と加賀乙彦の作品も計 4 冊借りてきた。テレビを見たり、昼寝をしたり、酒を飲んだり、実際に読書に勤しむ時間がそれほど多いわけではないのだが、読むべき本があるというのは、なんとなく安心できる。
2001年03月02日(金) |
生活リズムのマンネリ化 |
休職 2 日目。天気はまあまあよいが、気温が低い。出かける用事もあったので、ちょうどよい温度といえよう。
朝起きてからすることは、もうマンネリ化してきた。朝起きて、朝食をなるべく軽めに済まし (これはあるテレビ番組で見た、「朝食抜きダイエット」に倣ったものである)、8 時まではフ○テレビの「目覚ましテレビ」を見る。
そして、8 時半までは我慢して、「特ダネ」を引き続き見る。我慢しなければならないというのは、この番組、朝っぱらから結構重いネタを提供してくれるのである。情報の新しさを追求する視聴者にはうってつけだろうが、自分のように精神的にデリケートで、しかも朝の調子が悪いタイプの人種には、拷問に等しい。ゆえに、我慢である。
さて、その我慢のときをクリアすると、次はチャンネルを切り替え、「はなまるマーケット」に移行する。実は、俺は岡江久美子の大ファンである。しかも、この番組は、なんとなくほのぼのとした雰囲気が漂っていて、非常によろしい。
10 時過ぎまで楽しむと、今度は昔のドラマの再放送が始まる。今は、「ダブル・キッチン」というのをやっている。これは昔見たような気がするのだが、復習の意味で見ている。
すると、11 時半くらいにドラマが終わり、昼ごはんの買出しに出かける。
最近家に閉じこもってばかりで、まったくといってよいほど体を動かしていないので、なるべく遠いコンビニに出かけるようにしている。(コンビニ本来の raison d'etre からしたら、勘違い野郎甚だしいが…。)
家に戻ってくると、ちょうどお昼のニュースで天気予報が放映されている。どんなニュースでもそうだが、天気予報というのはなぜか、番組の後半に提供される。つまり、ニュースも終わりに近づいているということである。
そして、「笑っていいとも」。1 時からは、「新・天までとどけ 2」。1 時半からは、一応テレビでは「女優 杏子」がついているが、もう昼寝態勢がばっちり整っている。3時ごろに目が覚めて、2 時間のサスペンス系ドラマを見る。
こんな毎日を送って、心の安らぎは得られるのだろうか? 深く考えない方がよいだろう、ということで、よしとしよう。
今日は床屋にも出かけた。けっこうバッサリと短く切ってもらった。春めいてきたのもあるし、あんまり長髪 (というほどの長髪でもないが) に慣れていない自分にとって、髪の毛が鬱陶しくなってきたのである。
その後は、大学の後輩の K 男と飲み会。さんざん延期になっていた飲み会だったので、楽しく過ごすことができた。さんきゅ〜、K 男。
いよいよ待ちに待った休職初日である。
でも何をしたというわけでもない。天気も悪かったし。本当は図書館に行きたかったのだが、寒さに負けて止めてしまった。
ただ、100 円ショップでたくさんの買い物はした。カップラーメンを中心に、カップうどん、カップ焼きそばなどである。(要するに、カップ麺?)
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