French Wolf の日記
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2000年12月31日(日) 今世紀最後の日 = グリル鍋大会

朝起きたのが 9 時ごろ。なんと不思議なことに、鍋にこんにゃくの赤唐辛子 + 豆板醤煮 + ラーメンのカスが入っていた。



昨日の夜の回想:

ということは、昨日の夜自分で作ったのに違いない。そうだ。思い出した。冷蔵庫をぼ〜っと眺めていたら賞味期限ぎりぎりのこんにゃくが眠っていたのである。

さらに、昨日は土曜日ということもあって、久々にスーパーの「ポイント 3 倍デー」に繰り出したのだった。そこで、「細打名●」や「赤○きつね」、「緑のた●き」、ウーロン茶、ビールを買いだしておいたのである。

ということで、昨日の夜にこんにゃくをなんとか消費する方法、かつお腹を満足させる方法を模索し、その結果としてこんにゃくの煮物 French Wolf 風とラーメン (この「細打●人」はノンフライで、300 キロカロリー未満ときている) という組合せを思いついたのである。


今日の現実界:

そして、朝は再びラーメンを食べた。それでもまだこんにゃくの煮物が残っていたが、気にしないことにした。

昨日書きかけだった年賀状も無事書き終えた。さすがに 80 枚は半端ではない。全員に自分の手書きのコメントを書くのがこれほど大変な作業だったとは、、、。去年ラクをするがために、印刷だけの年賀状を送りっぱなしだったことを反省し、自ら選んだ道とはいえ、かなり険しい道のりだったことは言うまでもない。

そして待望の彼女からの電話。集合場所を池袋に設定し、まずはホットプレートの深いバージョン (NEC に勤めるラスカルさんに教えてもらった専門・業界用語では「グリル鍋」) を物色し買う予定だった。

無事待ち合わせに成功し、その足ですぐさまビック※メラに赴いた。目指すは家電売場。彼女がいてくれたおかげで、目に飛び込んできた手ごろなサイズのしかも財布にも優しいお値段の (たしか 2,980 円だったはず) グリル鍋に決めることができた。しかも、わずかものの 1 分と血迷う隙を彼女は与えてくれなかった。会計時には、「ポイントは大きな買い物をしたときに貯めておけばよい。小さな買い物はポイントを使ってしまいなさい」というありがたいお話を頂戴し、結局現ナマを払うことなく、ポイントだけで待望のグリル鍋にありつけたのである。非常非常感謝尓、M!

本当は二人だけの夜鍋 (ん? ちょいと何かが違う気が・・・) を楽しむべく、昼ご飯はきちんと食べてから集合する予定だったのだが、お互いに小腹が空いたため、帰りにマクドナ●ドに立ち寄った。彼女はたぶんチーズバーガー、自分は今までずっと食べたいと思っていたが、その機会に恵まれず、苦しい思いをしてきた「カルビマ○ク」のセットを注文。そしたら、(事前に知っていただろうと言われそうだが) ポテトもついてきた。小腹を満たすだけの当初の目論見があえなく、音を立ててガラガラと崩れていったのである。

さて、今度は本気で家に帰る途中、スーパーで買い物をした。白菜、豆腐、(さかなの) あら、鶏肉、うどん、もち、アクをとってくれるシート、その他諸々である。なんと残念なことに、スーパーにネギがなかった。またまいたけも高いワリに美味しそうではない、ということで今回は却下された。

そして、自宅へ・・・。自分は部屋の大掃除。彼女は鍋の準備、という連携プレーで物事は無事に進んだ。ちょうど自分がテーブルをきれいに片付けた頃、鍋の素材たちが今か今かとばかりに鍋に入りたげな顔をしていた。

さすが・・・。美味しい鍋だった。おっと忘れた。スーパーで変えなかったネギは、近くの八百屋で調達してきたのである。

途中で二人で気づいたのだが、何人前の鍋を作っているのか? というほど、たんまりと鍋が出来上がってしまい、結局明日に持ち越すことになった。

みなさん、よいお年を!


2000年12月30日(土) 年賀状の日

今日は年賀状を書く日とあらかじめ設定しておいた。

というのは、大晦日と元日にかけては、彼女と鍋パーティを繰り広げることになっているからである。

が、しかし実際に年賀状を書き始めた (正しくは、印刷し始めた) のは、夕方日も落ちた頃。無事に印刷したものの、今年は全員にコメントを書くと決心をしてしまったものだから、なかなか全員分のを書くのは一苦労。

結局 10 枚ほど書いて断念してしまった。今日は、昼寝とご飯だけで終わってしまった・・・。ああああぁ〜〜〜〜。


2000年12月29日(金) 川崎にて忘世紀会

今日は休みの初日。やっと仕事から解放されたのである。んん〜。

ただし、昨日家に帰ってきたのが 3 時過ぎだったため、今日はゆっくり起きて・・・という予定だった。ところが、彼女からのコールで目が覚めた。(正確には、叩き起こされたのであるが、こう書くと「優しく目覚ましコールを差し上げたまでよ」なんて言われてしまうので、無難路線を選択。) 11 時くらいだったはずである。

そうそう、今日はオーケストラの O さんのお宅を借り切っての大忘世紀大会の日だったのである。今まで返事をせずじまいだったのだが、これまで数回誘われた O さんのお宅にようやくお邪魔できるチャンスかと思い、彼女と一緒に参加することにした。

11 時からウダウダと 12 時過ぎまで、電話で話していたのだが、当初は 17 時開始予定の宴に早めに到着し準備などを手伝う心づもりだった。15 時ごろ川崎にある O さん宅に到着すればいいかね、なんて話をしていたのだが、実際に寝起きのままの格好で、しかも昨日の夜お風呂にも入らずにいたため、風呂に入らなければならなかった。もちろん、朝食も食べなくてはならない。あれよあれよ、ということで大慌て。そろそろ、家を出なくてはいけないということで、大急ぎで電話を切った。

さて、気になる朝食。ネギラーメンである。朝からよく食うなぁという感じではあるが、ラーメンだけでは飽き足りず、ふと目を外にやると視界に飛び込んできた炊飯器。そうだ、ご飯を食べよう。ということで、おかかご飯を軽く一膳食した。まったく、これだからおかかご飯はやめられない。

そろそろ出発ということで、待ち合わせの新宿へ。

後は楽しい宴である。意外な面子で繰り広げられたこの宴会。ホステスの O さんが、3 種類ものカレーを用意してくれ (タイカレー、コゲカレー、キーマカレー) さらに、サラダ、ご飯、ナン (これは我々も頑張っていっしょに作ったのだが)、ボイルされたソーセージ、などなど、料理が海千山千。(← ちと使い方に誤りが見受けられるが、気にしないことにする。)

とっても楽しい宴だった。

帰り道は、彼女に騙されて、立川経由で戻ることにした。結局、中野で電車がなくなっていることに気づき、タクシーでブーっと帰ってきた次第である。

休みが始まった初日とはいえ、早速酔っ払いになってしもうた。明日から気をつけねば。


2000年12月28日(木) 仕事納め + さらに色づく FW + 夜の新宿

今日でいよいよ仕事は終わった。

3 時に会社を切り上げて、床屋に向かった。会社を出る前に、若者連中で忘年会をやろうということになっていたのだが、自分は途中から参加するということで、W さんから携帯に連絡してもらうことにした。

床屋さんでは、また色を入れてもらった。どんどん明るい色に成長している。最初に床屋さんに忠告されたことだが、一度この世界に足を突っ込むとなかなか抜けられず、しかも深みにはまっていくようである。本人も地毛の黒さを忘れているため、基準となるのは今染めている色である。そうするとどんどん明るい系統に走っていきがちというのも、よくわかる。

カットも多少大胆に。さて、出来栄えというか反響が楽しみである。(こうやって本人が期待しているときにかぎって誰も気にもとめないんだよな。)

それから、前の会社に立ち寄った。仕事の話があるということで、N さんから連絡があったのである。一応フリーの翻訳も承っている俺は、喜んで話に食らいついたということになる。アメリカの Financial Times の和訳ということで、その筋に明るいわけではないが、面白そうだったのでとりあえず、トライアル (試訳) を提出して、出来栄えを見てもらってから仕事を引き受けるという段取りにこぎつけた。

会社では久しぶりに、といっても 1 週間の無沙汰だったが、大学時代の後輩 K に会った。彼の仕事が終わるのを待って、いっしょに帰途に就いた。珍しく、K から「飲んでいきましょう」というお誘いがあり、新宿で飲むことにした。さて、ここで読者賢者はお気づきだろうか。当初、会社の忘年会に途中参加する予定だったことを。ところがなんと、間抜けなことに携帯のスイッチが切れたままだったのである。あ〜。やってもうた。年末の最後の最後まで、顰蹙を買うようなことをしてしまった・・・。きっと会社の連中には「でたよ〜。まただよ〜。付き合い悪ぃな〜」なんていわれていたに違いない。いや、下手するともはや眼中になかったかもしれない。それはそれで哀しいことではあるが・・・。

さて、K とは 2 次会にまで発展した。新宿といえばいつもの、PM である。

家についたのは 3 時すぎ。明日はオケの忘世紀会がある。まだ参加・不参加の意思表明をしていないが、彼女から連絡があれば、まぁ決まることだろう。それでは、おやすみなさい。


2000年12月27日(水) 平凡・日常

今日も会社へ行った。

とりたてて、変わったことは何もなかった。みんな年末の雰囲気で、机の上を掃除したり、倉庫にいろいろと運び込んだり、もう休暇をとっている人がいたり、すっかり年の瀬である。

かくいう自分は、飛び込んできた仕事のため、悠長なことは言ってられない。チャカチャカ翻訳をやっている次第である。

久しぶりに本来のルートで家に帰ってきた。

夜も普段と同じ・・・。ちょっと変化があってもいいかなぁ。でも、明日で仕事納め。なんとかあと一日だけ頑張らねば。そうそう、明日は床屋の予約が入っているから、かっこいい French Wolf の出来上がりである。乞うご期待!


2000年12月26日(火) よし頑張れ、あと 2 日じゃ。

今日は会社に行った。

当然のようだが、行けたことに感動すら覚える。

会社に行く前は、ひょっとしたら出社してももう自分の席がないかもしれないとか、いったらみんなに白い眼でみられるのではないか、とか、不安だらけだったが、案外行ってみると何も変わっていなかった。実際、もう年末休みに入っている人も多いらしく、俺一人ぐらいどうってことないのかもしれない。(ただし、仕事をきちんとこなしていれば、という条件付である。)

一つ笑うに笑えない冗談は、「あれ? French Wolf さん、もう冬休みに入っちゃったのかと思いましたよ。今日は登校日?」だって。面白いんだけど、なかなか辛辣だよね。言われてみれば、5 連休だったことになる・・・。言われて当然か。

昼ご飯は、久しぶりにみんなと食べた。韓国料理屋でビビンバである。石焼にしておけばよかった。あるいは、みんなが食べていた、辛いスープの入った雑炊 (雑炊のはいった〜か?)、うどん、そういう汁物でもよかったなぁ・・・。まぁ、来年にでもまたチャンスはあるでしょう。

きっかり定時 4 時で店じまい。年末なのに・・・というか、俺の場合あまり季節と忙しさは関係ないのだが・・・新しい仕事が飛び込んできた。本来なら多少残業しなくてはならないのだが、やはり 8 時間以上翻訳をしていると効率が悪いので、年末・年始休暇中に多少消化することにした。これで代休をもらえるのだから、そちらの方が自分のためにも会社のためにもよいだろう、という寸法である。

帰りは、護国○で降りてみた。近くにコンビニとかあれば、何か適当なものを買って帰ろうと思っていたのだが、実際には何もなかった。それにものすごく寒かった。タクシーでビュ〜と家まで送ってもらった。最近ゴージャス過ぎる気がするなぁ。まぁ、年末調整で多少ながら懐も温かくなったことだし、よしとしよう。

夜の電話。楽しかった。


2000年12月25日(月) ちょっとグロいネタなので心の準備を!

今日は会社を休んでしまった。

もういいかげん、「は」をやめて素直に「も」にしろ、という罵声が飛んできてもおかしくない頃合であるが・・・。

きちんとした正当な理由があるのである。といっても自分の健康管理が杜撰だから、といわれてしまえば元も子もないが・・・。

というのは、(会社を休んでいたというものの) 金曜日の夜の忘年会第 3 号 (前の会社の同僚とバイト連中の集い) があった 22 日から、米語でいうところのものの Number Two を excretion していなかったのである。(我ながら、婉曲的な表演で大満足。分かる人にしか分からないだろう。(^^ゞ) それに追い討ちをかけるように、昨日の夜はまた深酒をしてしまった。

例によって、吐き気と便意で夜中目が覚めた。今回の便意はなかなか強烈なものがあり、片手で口を抑えながら、もう一方の手でお尻にフタをし (これはよく漫画などでお目にかかる描写ではあるが、実際に男性が股間に手を当てたからといって尿意が軽減するものとは到底思えないのだが・・・閑話休題)、悶絶した。

やはり、吐き気を先に処理することに軍配が上がった。出てきたものが薄ピンクの胃液だった。まさか喀血? とは思ったが、そんなはずはない、と自分の直感だけが頼りの考えを払拭した。でも、今考えてみると、やはり胃液に血が混じっていたのだろうか? 純粋な胃液であれば、ピンクに色づいていてよいのだろうか?

さてさて、そんなことがあり、朝方までトイレと寝床の往復運動を際限なく繰り返した次第である。朝定番になっているとおり 4 時にテレビのタイマーがオンになり (実は先週に今まで 5 時に設定してあったものを 4 時に繰り上げなおした)、4 時半に目覚し時計と相次ぐ目覚まし攻撃を受けつつも、こちらはこちらで、吐き気と便意で迎撃したのである。

結局、会社に行けるだけの体力が残されていないことを悟り、会社に行くのは諦めたわけである。

さて、それで今日一日をどうやって過ごしたかって? つねに次回に続けさせるのがノンフィクション ライターの使命である。とほほ。


2000年12月24日(日) カレーは人を鬱にするのか?

昨日からうちに泊まっていた K くんと近所のココ壱番○でチキンカツカレーの 400g を食べて一日の幕が切って落とされた。

カレーきしめんなるものにも挑戦してみたが、思っていたほどの美味ではなく、チェッという感じである。

昼寝もたっぷりしたのだが、やはり抑鬱てきな症状は拭い去れない。体調が悪いから精神にも影響を来たしているのか、それともその逆なのか、いずれにしても、健康状態が思わしくない。

今考えてみると、カレーを食べるのはたいてい週末であることが多い。それに、鬱状態に陥るのも週末が多い。単なる偶然の一致に過ぎないのだろうか?


2000年12月23日(土) 忘年会第 4 号

今日は土曜日。おととい、昨日と会社を休んでいたことを考えれば、今週末は 4 連休ってことになる。

が、実際にはあくまでも病人だったために、2 日間仕方なく会社を休んだ次第である。本当はどれほど会社の同僚の顔を拝み倒したかったことか・・・。(何も倒す必要はないと思うが・・・。)

体調はといえば、昨日の深酒。しかも、病み上がりの深酒、夜更かし、ときている。よいはずがなかろう。目覚めたのは 11 時前後。今日は高校時代のブラスバンド連中との忘年会 (定例会といった方がよいだろうか) がある予定だった。しかも、千葉県市川市の本八○駅に午後 1 時大集合、というお達しが来ていた。ということは、11 時に起きたことを鑑みても、即時出発せねばならない状況にあったわけである。ところが、なんとなくブル〜な気分であり、大学時代の友人に電話をしてしまった。これが思いがけず長電話になり、結局電話を切ったのは午後 1 時前。

急いで仕度をし、千葉県へ赴いた。

高校時代の連中と会うのは、実に 5 年ぶりである。こう見えても FW は、大学卒業後、大学院進学のため渡米した経験をもっている。高校のやつらは、渡米前の夏休みに会って以来のご無沙汰、ということになる。

率直な感想といえば、みんな結婚していくんだなぁ、ということである。女性陣の過半数が既婚者あるいは結婚予定者。男性人も特定の彼女がいて、安泰というか、あとは年月が解決してくれる的な展開を見せていた。

でもやっぱり高校時代の面影は消えうせてはいなかった。懐かしかったし、楽しかった。S 崎、ありがとう。いつも俺たちの会合の場所を提供してくれるだけではなく、若々しいお母さんがあれこれと世話を焼いてくれる・・・。こんな友人は他にはいない。最後、自分が8時ごろ S 崎邸をみんなより一足先に失礼し、駅まで見送ってくれた車の中で、「またな。メイルとか、電話とか」って言ってくれたときには正直言って涙が出そうになったよ。Thank you guys, my beloved high school mates!!



さて、夜の部。

大学時代の友人がうちに泊まりに来ることになっていた。実は、上述の忘年会で予想外に時間を食ってしまったため、その友人には待ちぼうけを食わしてしまった。この場を借りて、謝罪の意を表明したい。ごめんね、K くん。


2000年12月22日(金) 忘年会第3号 + タクシーでムカツク!

今日は会社を休んでしまった。昨日も? 気のせい、気のせい、、、。

でも今日の素晴らしかった点といえば、会社の始業 (うちの会社の場合、フレックス制度が導入されているから、実際のところ始業時刻なんてものはありえないのだが・・・) 前にメイルで「休みま〜す」メイルを送りつけたことだろう。

今日は忘年会第 2 号がある。どうしようか・・・。会社休んだのに忘年会に出かけたなんてことが万が一にもバレたあかつきには、クビ?? んなわけないにしても、この善良なる市民がかかる良心の呵責に耐えられるものとは到底思えない次第である。

しかし・・・。夕方を過ぎて (通常朝 7 時から働いている FW としては、夕方 5 時を過ぎれば、勤務終了なのである) 体調がすこぶるよくなった・・・気がした。

ということで、忘年会に出かけてしまった。今日の面子は、前の会社の同僚とバイト仲間たちである。まずは、新宿の中華料理屋。歌舞伎町にありながらも、その厳然たる雰囲気。これを高貴といわずして何を高貴と言うのか、というほど豪勢な店構えだった。(店構えだけ?)

2 次会は近くにあったカラオケ屋。呼び込みの兄ちゃんに「おつまみサービスしまっせ」といわれたものの、実際は何のサービスもなかったのは許されじ。せ、まる、き、し、しか、○。

3 次会は、2 次会会場のカラオケ屋が若干高くつきそうだったため、別のカラオケ屋にて開催された。ここの部屋がまたひどく狭いもので、お店の人がサービスのつもりが、大盛のおつまみ (ポテトやチキン、ナゲットなどが入っていたものと思われる) を 2 皿も無料でサービスしてくれた。

最初は 3 人で始まった忘年会だが、最後には総勢 7 名にも膨れ上がり、宴もたけなわの頃合を見計らって、自分はいとまごいをすることにした。年末のせいか、タクシーがなかなかつかまらず、最後には自宅とは反対方面に向かっているタクシーをようやく見つけ、乗り込んだまではよかったものの、その運転手ときたら、傲慢たらありゃしない。「そっち方面 (= 我が家の方面) に行くんだったら、(道路の) 反対側から乗ればいいのに〜」なんてほざいていやがる。行き先を告げると、「遠回りになるけど、いいんですかねぇ」といかにもやる気なさげに応じてくるではないか。

まぁ、怒りを再燃させても何の得にもならないので、考えないことにするか。結局家にたどり着いたのは 3 時過ぎだった・・・。カラオケ屋に取り残してきた面子の行く末が気になるところである。


2000年12月21日(木) げろげろ大魔王炸裂

会社を休んでしまった。

というのも、昨日忘年会から帰ってきたときは単なる酔っ払いで、別に気分が悪かったというわけではないのだが、朝方吐き気を催し、と同時に便意も・・・。どっちをさきに便器に向けるかで悶絶した挙句、口から吐瀉物を排泄する方に軍配が上がった。

なんでいつもこうなのだろうか? 飲んだり食ったりした直後に気分が悪くなってくれれば、吐かれるべきものがちゃんと胃の中に残っているから、吐くにもラクなはずである。なのに、いつも飲んだり食ったりした数時間後に吐き気が襲ってくる。みんな同じなのだろうか? 自分の場合、食物がある程度消化されたと思われる一定時間が経過した後、吐き気が襲ってくるので、実際には胃の中に吐くものが少ないことが多い。こうすると、最後にこみ上げてくるのは苦く酸っぱい胃液である。これがまた辛い。最後には嗚咽が漏れるのみで、何も吐けず苦しみあえぐことになる。

飲みすぎたのだろうか? んん〜。

さらに前々から調子のあまりよろしくなかった胃が、また悪化している気配を感じる。


2000年12月20日(水) 忘年会第2号

今日は忘年会第 2 号のある日だった。普段なら、朝 7 時から夕方 4 時まで仕事をして、そのまますぐ家に帰って・・・というパターンだったのだが、それを若干調整しなくてはならなかった。

まずすごいことといえば、5 時半まで残業したこと。それから、集合場所の池袋まで向かい、現地にはなんと集合時間の 30 分前に到着してしまった。今回の幹事の I ちゃんに連絡したら、「何〜。もう着いちゃったの。早いね」だって。そりゃそうだよね。30 分前は早すぎる。

さて、暇つぶしということで、メガネ●ラックでメガネを超音波清浄。そしたら、お店のお兄さんが「ネジとかゆるんでいませんか」って声をかけてきてくれた。実は、別のメガネドラ○クでネジのゆるみの調整をお願いしたことがあって、そのときこれは部品を交換しないとだめ、って言われてたんだけど、店舗が違えば何とかしてくれるかも、なんていう淡い期待を抱いたりしてみた。結局部品を交換しないとダメという返事。サービスでできるので、スペアのメガネをお持ちのときにでもいらっしゃってください、とのことだった。悔しいが仕方がないだろう。ついでに、コンタクトを作ってもらおうかなと思って、ちょいとその辺の兄さんに声をかけてみたが、あいにく今日の診察は 6 時半で終了。残念ながら無理だった・・・。

その後、まだ少し時間があったので、HMV に出かけた。ホルン アンサンブルでやる曲のプロの音色を聞いてみたかったのである。ところが、ホルン アンサンブルのCD はあんまりないのである。そもそもメジャーな 4 重奏ですら弦楽アンサンブルに比べたら、その数は遠く及ばないのだから、8 重奏なんぞあるはずもない。ようやく見つけた 1 枚。演奏している団体は異なるものの、自分が持っている 8 重奏とまったく同じ曲目だった。ただ、唯一の収穫といえば、大学時代ホルンのトレーナーだった澤大先生がメンバーに含まれている、「角笛集団」という団体の CD を見つけたことである。レジに並んでいると、I ちゃんから電話があった。池袋に到着したらしい。

I ちゃんとは先日のオーケストラの練習以来のご無沙汰である。さっそく R 教大学近辺の会場に移動。飲み会は順調に進んだ。H くんが登場し、また H くん、Y くんという R 教面子に囲まれて、しかも自分以外は全員弦プレーヤーという緊張する環境ではあったが、楽しめた。それにしても、自分はめっきりお酒に弱くなったなぁというのが感想である。

二次会は、その真下にある若干怪しげなムードが漂うバー。

12 時ごろお開きになって、タクシーでブーっと家に帰ってきた。

その後、大学時代の K と久しぶりに長電話。おやすみなさ〜い。


2000年12月19日(火) 特盛の恐怖

今日はやたらと活動的な一日だった。といっても、会社への往復以外特にしたことはないのだが・・・。なんとなく、精神的にハイテンションだった気がするだけである。

朝は最近からきしだめで、5 時 40 分ごろ目覚めて、慌しく着替えて家を飛び出して行く。それでもちゃんと 6 時 1 分の都電に乗れるようになった。

昼ご飯は、会社の最寄駅の駅ビル。地下一階にある「新○」という居酒屋。魚がメインのランチ メニューだったのでちょっと「どうかねぇ」なんて思っていたのだが、ご飯の大盛は無料ということで、「特盛」にしていただいた。そしたら、びっくり。漫画に登場するように、ご飯のまさにテンコ盛が登場したのである。軽く 2 合くらいあるのではないか、と思えるくらいの壮観だった。一人では食べきれないと思い、いっしょに食事に来た F 田さんにおすそわけ。彼は普通の大盛を頼んでいたのだが、それも結構なヴォリュームだった。あ、おかずを書き忘れるところだった。俺が食ったのが、刺身 + エビフライ + メンチのセット。味噌汁、明太子、お新香と例の特盛ご飯がついて、なんと税込み 800 円。お勧めの一品である。

午後もそつなくこなし、4 時には帰社 (これってこういう使い方で合っているのかな? 出先から会社に戻ること? 家に帰るときはやっぱり帰宅? でもそう書くと 4 時には家に着いてしまったみたいだよな・・・。退社にしておけば無難なのか?)。

途中普段は通り過ぎている「江戸川○」駅で降りて、ちょっと散策をしてみた。コンビニで明日の朝食を買い、なんと豪勢にタクシーで家に向かった。まぁ、ワンメータちょっとだったから、たまの贅沢目を瞑ってくださいな。

明日は友人から忘年会の誘いを受けている。まだ返事をしていないのだが、どうしようか迷っているところ。


2000年12月18日(月) 太った? ダボダボの服大魔王 + 夜の秘密

ちゃんと会社に行けた。よかった。

昨日の午後から夜にかけてのブルーは大変なもので、本当に会社イヤイヤ病になってしまっていたのだ。でも実際朝起きてみると、余裕はなかったもののドタバタしているうちに、ちゃんといつもどおりの電車に乗り、7 時にはきちんと会社に到着していた。

昼ご飯には、キムチカルビ丼というものを大盛で食べてしまった。しかも、肉の料が尋常ではなく、2 人前くらいあったのではないだろうか? そこで、おかずが少しあると、ご飯を大量に食べてしまう俺は、さらにご飯の追加注文をした。お店の人は別に驚かなかったが、いっしょにいた会社の面々が、「よく食うなぁ」という顔をしていたっけ。

あ、そういえば、今日会社の人 2 名に、「太った?」と聞かれた。自分では最近食がめっきり細くなり、しかもズボンのきつさ・緩さの関係から言うと、徐々に痩せていた感覚だった。通常自分の場合、やせ始めるとまず、お腹がポコっと飛び出してくる。これは、その他の肉が削げ落ちたため、お腹だけ目立つようになってくるという仕組みである。実際、この数カ月間でその「お腹ポコ」という状態になってきているのである。そして、その後は、お腹が徐々にへこみ、今度は胸がポコっと出てくる。女性なら、セクシーだが男の場合。んんん〜、という感じだろうか。いずれにしても、やせる順序があるらしい。

さて、そこでアドヴァイスを受けたのだが、あんまりきつい服を着ていると、余計にピチピチして余計にデブに見えるらしい。ということで、会社を 4 時に出た後、UNIQ○Oで、XL のシャツを 2 枚ほど衝動買いしてしまった。いや、そのうち一着は衝動買いではなく、実用本位のものである。白のシャツ。襟と袖が汚れるんだよね。しかも、漂白したりすると、変な繊維とか混ざっている場合、黄色く変色してしまう・・・。ということで、まぁ、一枚 1900 円というお手ごろ価格だったので、許してあげることにしよう。



夜は電話した。思い切って。まだ反応はわからない。壊れたものを修復するのは難しいのだろうか? それとも、まだ壊れていなかったのだろうか、あの時点では・・・。いろいろな思いが錯綜する。


2000年12月17日(日)

あぁ〜あ、本当は早起きして教会に行く予定だったのに・・・。起きたらなんと 9 時。大寝坊である。というのも昨日の忘年会で飲みすぎたのか、夜中気持ちが悪くなってはきはき大魔王になっていたのである。布団に入ったのは 12 時半ごろだったと思うのだが、気分が悪くなりトイレに駆け込み、ふと時計を見たとき、朝方 5 時ごろだった気がする。

目覚めも悪いし、頭も痛い気がするし、気持ちは当然よろしくない。まぁ単なる二日酔いだろうと思ってやり過ごすことにした。実際、朝食には金曜の夜コンビニで買っておいた「鶏三色ご飯」をチンして食べた。ん。気持ちが悪かったのは、きっと胃袋が空っぽだったからだろう。食べてしばらくしたら、ムカムカ感はなんとなく消え去っていったようである。

朝食後も今日はウダウダとテレビを見ていた。いつのまにかお昼になり、お昼ご飯は、「緑のた○き大盛」である。精をつけるために卵を入れてみた。赤唐辛子もふんだんに取り入れた。

食後さらにウダウダとテレビを見ていると、友達から電話があり、これまたダラダラと長話をしたようである。またもや電話の途中で寝てしまったらしい・・・。最近多すぎるなぁ。まったく相手には失礼だと思うのだが、寝てしまう寸前に電話を切る、ということがどうしてもできないようだ。問題児である。

起きたらもう夕方。外は暗くなっていた。結局今日は一歩も外に出かけなかったなぁ。テレビをつけて、いろいろと見ているうちに夜。

不毛な一日に終わってしまった。明日から会社でブルーである。後 1 週間ちょっとなのだが、その「ちょっと」が結構厳しかったりするんだよなぁ。


2000年12月16日(土) え?! + マウスピースだけで? + 今年の忘年会第一号

朝 8 時起床。洗濯する前にお風呂に入りシャワーを浴びた。ご飯を食べるよりも先に、洗濯機に汚れたものを放り込み、それから昨日コンビニで用意しておいた「名古屋コーチンガラだしラーメン」を食べた。

食後、洗濯物も仕上がり、部屋の中に干すことにした。というのも今日の午後はホルン アンサンブルの練習が予定に入っており、その後忘年会だったから、乾燥機を回す時間が十分なかったためである。



部屋でくつろいでいると、不意に懐かしい人から電話があった。これが、「?!」の部分である。あまり元気そうではなかったものの、久しぶりに声を聞けたのは嬉しかった。話しているうちに徐々に快活さを取り戻したようすで、なんとも言いがたいが、少しでも自分が彼女の助けになってあげられたらよいなと思った。

正直言って、彼女のことを思い出さない日はなかった。さまざまな行き違いがあって結果として別々に生活しているが、自分の心の中である一定量の存在感というか、とにかく彼女が自分の心の空間をつねに占拠しているのである。これが俗に言う愛なのかどうかは分からないし、考えたところで結論が出てくるものでもなかろう。分からない。今日電話で話したのも、何かの縁かもしれない。再びやり直せるのかもしれない。でも分からない。向こうにその気があるのか、自分にその気があるのか。それに両者がその気になったとしても、かつて二人が起こした過ちに似たことを今後犯さないともかぎらない。・・・ この話題は二人だけで考えるべきか。


その後、ホルン アンサンブルのメンバーに連絡し、昼食を共にすることにした。まもなく家を出発し、吉○寺に向かった。ランチは、バイキング。吉祥●がしばらく見ないうちに実に見事な発展を遂げたのには、もと三●関係者 (大学である) としてえも言われぬ感慨を覚えた。

そしてホルンの練習。後の忘年会会場にて A 子嬢に指摘されたのだが、今日はいつもと違うマウスピースで演奏した。というか、練習した。自分ではそのせいだと思いたいのだが、どうやらひどく音程が悪かったようである。自分ではなんとなくみんなと合っていないなぁとは気づきつつも、すべてが自分の音程の悪さのせいではなかろう、とたかをくくっていた。がはやり、自分の音程が悪かったのだ。マウスピースをいきなり変えると、そこまで微妙なところに影響が及ぼされるとは、しかもそれが第三者の目 (耳?) には明らかな差異を生じるとは、青天の霹靂で、辟易だった。(一応高度な頭韻を踏んだ駄洒落のつもりである。) ただ、今日使ったマウスピースは、高音域が比較的スムーズに出せる。音程さえよくなれば、鬼に金棒だろう。今後練習を積み重ねるしかない。


さて練習が終わると、忘年会である。今年第一号の忘年会。会場は●鷹の居酒屋。なんとまぁ、風通しのよい会場だったなぁ。まぁ単刀直入に言えば、寒かったということである。この French Wolf が寒いというのだから、よっぽどのことなのである。料理はそこそこ。お酒もまずまず。好調な忘年会だったといえよう。ただ、焼酎で割ったお酒が全部「生●●」というネーミングで、直接自分の手でエキスを搾り出さなければならなかった、というのはプラスでもあり、マイナスでもあったが。

二次会は、三○駅近辺に住む○やさんのお宅。大学時代の旧友 C 谷がかつて住んでいたアパートを通りがかったとき、「あ、そうそう。この自動販売機のあるアパートだ」というのが思い出された。そういえば、夜中でもこの自販機で買い物している人がいると、缶がガラガラと立てる音で目が覚めると C 谷氏が言っていたっけ。「きむち」としてこの「日記」に参加している彼女の本名のファースト ネームと同じ名前をもつ二次会会場の主。なかなかの酒豪で、見た目 (人間見た目じゃないね) からはその片鱗すら窺い知れず意外。

帰宅は 12 時過ぎ。たっぷりと練習し、たっぷりと酒を飲んだ土曜日だった。明日早朝に教会に行く予定なのだが、大丈夫だろうか? いささか疑問の残るところである。


2000年12月15日(金) 増量と非日常

仕事はいよいよ今日で終わり。といってもまだ仕事納めまでは 2 週間弱あるが・・・。月曜日に会社を休んだわりには、疲れがたまっている。なんというか、通訳でエネルギーを使い果たした感が否めない。おかげさまで通訳は好評に終わったが、その後がよろしくない。というのは、自分の中で「果たして今時分のしている仕事は本当に自分が求めているものなのか」という疑問が浮かんできたからである。通訳しているときは、つねに高いテンションを維持し、口を動かしているわけだから、眠くなったり、退屈に思ったりすることはありえない。ただ本来の日常業務に戻ると、「あれ? 今まで自分はこういう地道な仕事をしていたんだっけ?」となってしまったのだ。

そういうわけで、ちょっとしたカウンセリングの意味も含めて三鷹に出かけた。会社は 3 時に切り上げた。いつもと少し違うことをしてみたくなったので、JR 京葉線の新●安駅からバスで地下鉄東西線の浦○駅に乗ってみた。以外に 2 つの駅が近いことに驚いた。地下鉄の中では、読書。今読んでいるのは、ウィルバー スミスの『無法の裁き』である。SF 系で、自分としてはこういうものを読むのは珍しいのだが、かつて古本屋で買っておいたらしく、本棚にうずもれていたのを救出したわけである。

抗鬱剤の量がさらに倍になった。Paxil という新製品。一日 40mg を処方されたのだが、先生の話によると今までそこまで増やした患者さんはいない、とのこと。自分としてはこの増量で多少鬱の傾向が軽減されることを望んでやまない。

そのまま家に帰り、白いシャツの漂白をした。洗面器なんて気の利いたものはうちにないため、ユニットバスの流しに栓をして、漂白剤とお湯を入れ、シャツをつけておいた。本当は来るべき忙しい週末に備えて、今日洗濯をしておくはずだったのだが、この漂白が終わるまで延期にしたほうがよさそうである。

明日はホルン アンサンブルの練習。あさっては教会に出かけてみようと思っている。どうなることか・・・。


2000年12月14日(木) 久しぶりの対面

仕事の話は抜きにして・・・飲み会の席でよく交わされる言葉。

今日は久しぶりの対面があった。大学を卒業して渡米したときから、昨日までホルンのソフト ケースを友達に貸していたのだ。それが持ち主の手元になんと約 5 年ぶりに帰ってきたのである。

「おかえりなさい」

という気分。でも自分でそのケースを使っていたのは大学 4 年のごくわずかな時間。なんとなく「これって自分のものだったんだっけ?」なんていう感覚を抱いてしまう。それでも、当時の様子がまざまざと頭に浮かんでくる。

そういえば、D 館にケースを転がして楽器を吹いたよなぁ。授業にもあのケースを持ち込んで「なにそれ? テレビでも入っているの?」なんて聞かれたり・・・。

これからは移動も楽になるだろうし、ますます音楽活動が盛んになりそうな予感がする。

おっし。明日は金曜日。何しようかな。


2000年12月13日(水) ささやかな失敗 + 任務完了 + 風邪の兆候?

今朝はちょっと寝坊してしまった。昨日 Steve を囲んだ宴の席で久しぶり (マジで久しぶりだったよなぁ。一年は経っていたと思う) 日本酒を 2 合飲んだせいか、夜寝ている間にちょいと気持ち悪くなってしまった。そもそも帰宅したのが 10 時ごろで、そのあと友人とおしゃべりなんかをしていたら、あっという間に 11 時。(多分・・・。というのは、最近電話で話しながら寝てしまう傾向があるらしい。笑い事ではない・・・か。) 寝不足気味で、朝も一応 4 時過ぎには目覚めたものの、体が動かなかったので、あえなく断念してしばらく布団の中でぬくぬくしていた。そうしたら、いつのまにかいつも家を出ているはずの時間になってしまった・・・。予定より 30 分の遅れ。

寝ぼけていたのか、都電で今日まで有効だった定期券。なんと昨日で期限切れかと勘違いしてしまい、160 円の乗車賃を払ってしまったではないか。とほほほ。160 円、返してくれ〜。都知事〜。

仕事では無事に通訳の任務完了。

ほっとしたのがいけなかったのか、体中の力が抜けて、緊張が一気に解きほぐされた。そのせいか、風邪を引いてしまったらしい。頭痛が繊細な体を苛みはじめた。

おかげで楽しみにしていたオーケストラの練習も断念して、早々に帰宅し床についた。明日ちゃんと起きられるか、心配である。


2000年12月12日(火) そろそろ通訳も佳境・・・夜の宴会

公の通訳の約束は今日まで。ただこのたび開催したミーティングに全部出席できなかった人のために臨時で全体の復習を行うミーティングが明日催されることになった。これまた、また朝の 10 時からおそらく夕方まで・・・。

いずれにしても、通訳の任務の大半はもうこなしたことになる。ふ〜。自分で誉めてあげたい。よく頑張ったものだ。

そして、今日は Steve に感謝の意味を込めて、ちょっとした宴会をささやかながら企画した。(といっても企画したのは自分ではないが。) いろいろなことを話したのだが、飲み会の席でも通訳せねばならず、まぁ、なかなか大変な経験だった。(実際は、酒が入ると英語が出やすくなるので、それほど苦労は伴わなかったが。)

普段飲み慣れていない日本酒を 2 合も飲んでしまったせいか、ちょっと酔っ払ってしまった。不覚である。明日の朝きちんといつもどおり 7 時に出社できるかどうか心配である。それに明日は、オーケストラの練習もあるではないか! こんな多忙な一週間・・・珍しい。


2000年12月11日(月) 「ポイント 3 倍デー」に騙されるな!

徐々に遊びすぎた週末から明日の会社に備えてペースを取り戻さねば、という一日だった。朝 8 時半に起きられたのは大成功。そのあと、昨日買っておいたコンビニの白身魚ノリ弁を食べた。昼寝すると夜眠れなくなる〜と思いながらも、読書をするつもりで横になったら、やっぱり寝てしまった。再び目を覚ましたら 12 時。あああぁ、「どうなってるの〜」を見はぐってしまった。

昼ご飯はラーメン。カップ麺である。そのあともまた騙された。読書のつもりが昼寝〜。いいかげんに学習しなさい、って感じなんだが、まぁいずれにしても 15 時前くらいには復活していたのでよしとしよう。そして、最近サボってばかりの買い物。水曜日と土曜日に一週間分をまとめて買っておけば、ポイントは 3 倍になるし、他の日に出かける手間は省けるのに、なぜそうできない体になってしまったか・・・。よくよく考えてみると、水曜日には会社終了後オーケストラの練習があったり (もっとも、毎週ではなく隔週の話だが)、土曜日は金曜の夜暴れん坊将軍になって、新宿の町を闊歩しているから当然翌日の土曜日はヘニャヘニャ〜となっていたり・・・。なんだ、正当な理由があるではないか。

ということで、今日の買い物は、牛乳と焼酎。今日初めて気づいたのだが、月曜日は牛乳一本につき追加 10 ポイントがつくらしい。他の曜日も、食べ物のジャンルによって追加ポイントがつくシステムだ。ということは、毎日買うものを決めてスーパーに行けば、ポイント 3 倍デーだけで済ませるよりも、もっとポイントが貯まるカラクリになっているのだろう。(ん? とここまで書いて疑問に思ったが、そうやって毎日スーパーに顔を出させるのが、向こうの作戦なのではないか? お店に行ってしまうと必要のないものまで買ってしまう傾向があるという消費者の痛いところをついてくる戦術に違いない! 危ない、危ない、危うく騙されるところだった。)


2000年12月10日(日) 新しい掲示板登場! + ホクロの恐怖

日曜日。起きたらお昼過ぎ・・・。French Wolf にしては、非常に珍しいことである。というのも昨日食べ放題に出かけ、しかも相当酔っ払い、家に帰ってきてバタンキュ〜状態だったから、当然といえば当然かも。

さて、忘れる前にひとつ宣伝と報告を。このたび新しく掲示板を設置しました。ここです→http://mbspro2.uic.to/user/FrenchW.html。友達から教わった掲示板である。かわいいキャラを登場させたり、掲示板に書き込みした回数に応じて、自分が成長していくカラクリになっている。まぁ、疑問に思われる方も多いだろうが、とりあえず覗いていただければ一目瞭然だろう。



さて、今見ているテレビ番組。ホクロについて恐ろしいことを・・・。髭剃りでホクロに刺激が加えつづけられた状態にあると、悪性腫瘍 (メラノーマと呼ばれるらしい) に変化するらしい。恐ろしいことではないか。

それから、French Wolf の日記を読んでくれているみなさんには是非知っておいていただきたい情報をひとつ。番組の偉い先生のお話によると、ホクロから生えてくる長く黒く太い毛 (そうそう、結構これは誰しも経験していることではないだろうか?) は決して抜いてはならないのである。ホクロに対する刺激と同時に、毛を抜いた際に細菌に感染する恐れがあるらしいのである。どうしても気になる人は、根元からはさみでカットすれば問題ないそうだ。


2000年12月09日(土) 半分以上寝ていた土曜日

朝起きたら H くんがいた。

と書くととんでもないことだが、そうそう、そういえば昨日の夜新宿に繰り出して H くんを泊めることにしたんだったっけ。

仕事もたまっていた。

昼寝もたくさんした。

夕方やっと起きて、風呂に入り友達との約束に出かけた。焼肉食べ放題である。

家に帰ってきてまた寝た。

なんだか土曜日を寝て過ごしたようなもの・・・ちょっともったいなかったかな?


2000年12月08日(金) やっと金曜日 + 飲み会 (3 匹の狼の集い)

今週は長かった。先週は月曜日自宅で仕事だったため (もっともそれが最後の在宅勤務だったが・・・)、実質的に出社したのは 4 日間。しかも今週は通訳で 4 日間が費やされてしまった。いろいろと気を遣ったし、神経もすり減らせた。

ということで、ご褒美に夜は、久々の狼の集いを開催した。参加者は、S さん、H くん。S さんとはまず新宿のつ●八で軽く一次会。2 人で 5,000 円程度の質素なものだったが結構飲み食いした感じで大満足。その足で行きつけの PM へと向かった。そこで、H くんと合流。

往々にしてありがちだが、結局 S さんは終電の都合で 1 時前に帰宅。我々残された FW と H くんは、2 時ごろまで居座りつづけ飲み会を続行した。久しぶりの狼の集い・・・楽しかったなぁ。(H くんがその後うちに泊まりに来たのは言うまでもない。)


2000年12月07日(木) 文庫本のパワーと通訳のコツ

今朝もまたサザエさんをやらかしてしまった。出かけるときに文庫本を持っていくのを忘れてしまったのである。「永遠の都」以来 (正確にははるか昔に読んだ「宣告」だったと思うが)、すっかり加賀乙彦の虜になってしまった。今週の前半に例の「永遠の都」は読み終えてしまい、全 7 巻の長編小説に幕が下ろされた。なんとなくさびしくうら悲しい気分である。一生読みつづけたい、登場人物の行く末を全員が死を迎えるまで見届けたい。なんて勝手なことを思っていた。読み終える直前にはすでに、別の加賀乙彦の作品を購入しておいた。今回は「ヴィーナスのえくぼ」という本である。時代背景も前回のものとは全く異なりもう今の世の中の話である。それを毎日通勤の往復の電車で読むのを楽しみにしていたのだが、それを迂闊にも忘れてきてしまったのである。

仕方ないと諦めて、行きの電車の中ではボーっと目の前を通過する駅名の表示板を眺めてやり過ごした。帰りにはやはり何かすることがないと寝てしまう恐れがあったし、実際降りるべき駅を乗り過ごしたこともあった。めったに買わない週刊誌を駅の売店で手に取り、雑誌のページを繰っているうちに意外にも早く目的地にたどり着いてしまった。

今後玄関には「火の用心、電気のスイッチ、財布、本」という看板でもかけておいた方がよいのだろうか? だいぶ耄碌爺になってきたようである。



さて、話はがらりと変わって、通訳について。今日で合計 4 日間の通訳をこなしてきたことになるのだが、ようやくコツらしきものがつかめてきた気がする。通訳は、絶対に相手の言っている言葉をそのまま別の言語で伝えなおさなければならないものと決め付けていたのだが、そうでもないらしいということに気づいたのである。

たとえば、英語から日本語の場合。英語で何を話し手が言おうとしているのかを自分が理解し、自分の言葉で表現しなおせばよいのだ。何も相手が使った言葉を単語レヴェルにまで緻密に解析して、英文解釈のように翻訳する必要はない、ということに気づいたわけである。日本語から英語にしても同じである。要するに、今まで大前提だと思っていた「通訳は話してに対して質問を発してはいけない」というのが、実はそんなこともないのではないか、と思えるようになってきたのである。相手の言いたいことを自分が理解しなければ、通訳はできない。至極当然のことではあるが、今までこれに気づかなかったとは翻訳屋として情けない。


2000年12月06日(水) 顔の筋肉痛なんてあり?

朝起きたら耳が異様に痛かった。かかったことはないのでよくわからないが、外耳炎とか中耳炎の痛みなのか、と思ったほどである。ひょっとして重大な病気ではないかと本気で心配し、朝 (言うまでもなく 6 時に家を出発したのだが) 会社に到着して 9 時になったら会社の入っているビルの 12 階にある医療フロア (にたしかあったと思しき) 耳鼻科に行こうと決心したほどである。

ところが、その不快な痛みは通勤の時点で若干軽減され、また会社に着くとそれほど激痛ではなくなっていた。すっかり安心してもうこれで病院へ行かなくても大丈夫そうだな、と安堵のため息をついた。

10 時からは地獄のミーティング通訳。と最初は思っていたものの、徐々に慣れてきたせいか、もっとも何に慣れたかは問題であるが (通訳という仕事そのもの? or ミーティングの参加者? ということである)、いずれにしても無難に役割は果たせたようである。ただ、この仕事はとてつもなく疲れる。神経をすり減らすとはこのことだろう。それに Steve がしゃべったら、後を追いかけるようにして自分も話さなければならない。ところどころ説明的に通訳しなければならない場面では、Steve 本人よりもたくさんしゃべる必要がある。(このあたりは、通訳の達人であれば問題なくこなすところだろうが、なにしろ自分の場合は公の場で通訳するのは初めてなのである!) のども渇く。ミーティングが 16 時過ぎに終わった頃にはもうヘトヘトになっているのである。

即刻オフィスを退散。帰り道、ふと気づいたのだが、英語をしゃべるときには日本語を話すときに使わない筋肉を使う。ひょっとしたら最近あまり話していなかった英語を長時間にわたってしゃべったり、もっとも通訳だから日本語を話すのがメインだが、いずれにしてもそういう口周りの筋肉、あご周り、かみ合わせの周囲、その辺で筋肉痛が起こっているのではないかと考えたのである。そうしてみると、すべての辻褄があってくるではないか。

これで明日の朝痛みから解放されていれば、中耳炎や外耳炎の疑いはまず晴れるだろう。ん〜。今週はいろんなことが起こるなぁ。財布を忘れたり・・・耳が痛くなったり・・・。残りの2日間が思いやられるよ。

ちなみに、今日の昼ご飯はとんかつ。新宿サボ○ンというところ。ご飯、味噌汁、キャベツのおかわりはやりたい放題。だから、根性のある人がいたら朝から晩までお店に滞在して 3 食分をいただけるという寸法である。実際にどなたかに試してもらいたい。


2000年12月05日(火) 生まれて初めての失態 -- サザエさんかぁ!

やってしまった。ついに・・・。生まれて初めてのことである。財布を忘れて会社に出かけてしまったのである。不幸中の幸いに定期は持っていたため、通勤の往復には何の支障もきたさない。が、おかしいところと言えば、気づいたのは自宅を出て都電に乗っている最中だった。つまり、一度家に戻って財布を取ってくれば、何の問題もなかったはずである。(どっちにしても、朝 7 時に会社に到着するように 6 時には家を出ているのだから、家を出て 10 分足らずのところで引き返したところで、何ら大きな問題はないのである。)

が、毎日 7 時ピッタリに会社のビルの守衛さんからカギをもらうことをひそかな楽しみとしている自分としては、財布を忘れたくらいの理由で家に帰って、出社時刻が遅れるなんて信じられないことだった。定期を持っているから、安心して会社まで行けるのに、それでも心臓はバクバクしているし、なんだか朝から出鼻をくじかれたとは、まさにこのことかもしれないな、と思った。

一文無しでは、昼食も食べられないし、万が一タバコが切れたときに買うこともできない。もっとも、同僚に一日だけという前提で 1,000 円くらい借りてもよかったのだが、やっぱりお金の貸し借りにはちょっと抵抗があった。少し面倒ではあったものの、9:00 ぴったりに 1 番の番号札をもらって銀行から通帳と印鑑 (なんとまぁ、かばんの中に両方入っていたのが救いだった) で預金を 5,000 円を引き出した。1 日の予算としては十分だったが、万が一を想定してである。

そして、最初の出費イヴェントが昼食。ラッキーというか、アメリカから来日中の Steve がご馳走してくれたのである。ということで、出費はゼロ。

結局家にたどり着くまで、あれだけ心臓をバクバクさせて、面倒ながらも銀行の窓口で下ろした 5,000 円も使われることはなかった・・・。最後に、自宅のマンションの一階でタバコを買おうと思ったとき、当然お札しかなかったため、まず隣のジュースの自販機で必要もない Nude という清涼飲料水を購入し、おつりでタバコを買った。(すぐ上に自宅があるのだから、部屋に戻って小銭を持ってくればよかったのに・・・と気づいたのだが後の祭りである。)


2000年12月04日(月) 記憶にない?

最近会社での仕事は家に帰った途端に忘れてしまう。無意識レヴェルで自分がそうしているのかもしれない。昼ご飯に何を食べたかはきちんと覚えている。今アメリカから来ている Steve といっしょに居酒屋のランチを食べたのである。うん。大丈夫。耄碌はしていないようだ。

それから、最近プライベートの仕事が若干混みつつある。家に帰ってきて、仕事があることは嬉しいことだと思いながらも、やっぱり第一印象は「げ」である。もちろん、お客さんあっての商売というのは重々承知しているのだが、最近年をとったのか、何をするのも億劫である。ふ〜。

明日からはまた通訳の日々である。ちょっと緊張気味。早く寝ることにしよう。


2000年12月03日(日) 記憶にない

今日はいったい何をしていたんだろう。朝8時半に起きて、ラーメンを食べたのは覚えている。(また朝からラーメンか?) そのあと、昼寝というか二度寝して起きたのが 12 時ごろ。

あ、そうだ。ホルン アンサンブルのチラシを作成したんだ。まぁたいした手間はかからないだろうと高をくくって安易に引き受けてしまったのだが、実際始めてみると結構難しい。宣伝用のチラシなのだから、誰が、何を、いつ、どこで、どのようにやるのか、はっきりと書かなくてはならないのはもちろん、見た目の美しさも観客動員数に響いてくるだろう。ということは、美しくてしかも正しい情報を伝達する広告を作成しなければならなかったのである。んん〜。

一応責任者の方には、「たたき台を作ってきます」と言ってあるので、そんなに豪勢な完璧に仕上がったものを期待されているとは思えないが、それでも一応提出からには自分なりに納得のいくものを作りたいと思う。これが予想外に時間がかかったのである。午後トータルで4時間くらいをこの作業に費やしたのではないだろうか?

さてさて、あとはお買い物である。まずは、ダイエット系のサプリメントを購入した。実は、最近家の近くのスーパーの「ポイント 3 倍デー」に昔ほどの魅力を感じなくなってしまったので、というか、それほど気合を入れて買出しに臨まなくなったので、昨日の「ポイント 3 倍デー」も知っておきながら、見逃してしまった。そこで、ドラッグストアの近所にあるスーパーを新規開拓し、一週間分の牛乳を 2 本を購入するつもりだった。が、一本 200 円以上もするではないか! どうせ高いものを買うなら、同じ牛乳じゃなくて、1 本は豆乳にしようと思った。そこで、牛乳 1 本と豆乳 1 本を買って家に帰った。

夕方は洗濯。この週末はずっとだらけていたので、1 週間分の洗濯物がきちんとたまっていた。本当はお天気のはずだったのに、それほどよくもなく、急遽乾燥機で乾かすことにした。

いろいろと大変な日曜日だった。


2000年12月02日(土) 忙しい土曜日: 寝坊 + 仕事 + 三鷹 + 読書 + 昼寝

当然昨日の夜、いや朝方まで酒におぼれていたのだから、寝坊した。といっても、目が覚めたのは 9 時半である。大半の一般市民からしてみたら、ごく平均的、いやむしろ早起きに属する時間帯かもしれない。

昨日自宅の電話の調子が悪い、というメイルをいくつかもらったのでよく電話を覗いてみたらケーブルが抜けかかっていた。お〜。危ないところだった。これに気づかずに NTT に電話したり、工事を依頼していたら、大変なことになるところだった。

いつも FAX で仕事の原稿を送ってくる弁理士先生が、めずらしくメイルで仕事を依頼してきた。(電話が通じなかったのだから当然 FAX も送れなかったわけで・・・仕方ないといえばそうかもしれないが。) まずは朝ご飯を食べて (ラーメン with 単卵)、早速仕事に取り掛かった。A4 1 枚ほどの簡単なものだったので、すぐさま仕上げてメイルと FAX で納品のお知らせを送信。

その後思い立って、三鷹に出かけることにした。三鷹では意外な人に出会った。1年ぶりくらいか、大学時代の友人の K さんである。お互いにそこそこ元気に暮らしているようで、何よりだった。

野暮用を済ませて家に戻ってくる途中、古本屋にブラリと立ち寄った。例の加賀乙彦に触発され、日本の歴史に興味を持つようになった。特に昭和初期からの歴史が面白そうだ、という自分にしては珍しい気分になっているのだ。かつて、翻訳の師匠に勧められて「国民の歴史」という本を買ったのだが、当時は歴史にそれほど興味がなかったため、2、3 ページ読んだだけで、そのまま部屋の床に転がっている。その途中で投げ出した本を再度読み直してみてもよかったのだが、もう少し加賀乙彦の世界に浸っていたかったため、彼の著作を 2 冊購入した。

家に戻るともう 2 時近い。慌ててお湯を沸かし、レトルトのカレーを食べる準備を整えた。あ、言い忘れたが、朝ご飯のラーメンを作っている間にお米を研いでおいたのである。そして、仕事している間米を水につけておき、三鷹に出かける直前に炊飯スイッチをオンにしておいたのである。レトルトのカレーももう備蓄が少なくなってきた。今日の昼食で消費してしまったため、残り一袋・・・。また買っておかねば。いや、ダイエットのためにはすぐ食べられるようなものを極力部屋から駆逐しておいた方がよいのかもしれない。いずれにしても、お昼ご飯はカレーライス。ちょっと物足りなかったので、白いご飯とかつお節 + 梅のふりかけがあったので、それで小腹を満たした。

横になると (食べてすぐ横になると牛になるというが、実際は食後右を下にして横になると消化によいらしい)、もう全 7 巻中最後の本である 7 巻目の中盤に突入していた「永遠の都」を読み始めた。ページを繰っているうちに、やはり睡魔が襲ってきた。おとなしく昼寝することにした。昨日寝たのが 3 時くらいで朝 9 時半に起きたのだから、6 時間半しか寝ていないことになる。自分としては、兆寝不足である。(こっちの漢字の方が雰囲気が出ていてよいなぁ。)



2000年12月01日(金) 通訳デビュー!

昨日予告しておいた French Wolf の 27 年間の人生における一大事が今日起こった。

French Wolf がもともと語学に造詣が深いことで世の中にその名を轟かせているのは、みなさんご存知のとおりである。そのため翻訳をここ 5 年以上 (あぁ、もうそんなに経つのか、というのが正直な感想である) 生活の資を稼ぐ生業としてきた次第である。

今日のメイン イヴェントは、「通訳デビュー」である。会社でアメリカ本社から招聘した Steve がうちのパートナー企業である某○ BM 社とそのパートナー企業である西濃情報シス○ム社を相手にソフトウェアについてのプレゼンテーションをする、というのがメイン。舞台は我が社のミーティング ルーム B。朝 10 時から夕方 16:30 までの長期戦だった。(もちろん適宜休憩をはさみ、ランチは Steve と同僚の翻訳担当 F 田さんといっしょに近くの中華チェーン店で小 1 時間雑談に花を咲かせたが。)

本来 Steve には、逐次通訳で構わないと言われていたのだが、いざ実際にプレゼンテーションが始まってしまうと、生来の余計な努力 (= 必要とされていない場面で自分の能力を見せつけようとする自己顕示欲の強さ) で見栄を張ってしまう性格が災いして、同時通訳に近いことをやらかしてしまった。自分には「おおぉ、俺もここまでできるんだ!」という驚きと次に万が一失態を晒してしまったらどうしようという懸念が、あたかも自分の陰翳のごとくつねにつきまとう気持ちでいっぱいだった。

午前中のセッションで同席していた (自分のパフォーマンスを検証するために鎮座されていたのか?) 同僚の F 田さんからは、「うまいじゃん」というお褒めの言葉をいただいた。実際 Steve の話す英語を聴衆のために和訳する面ではそれなりの達成感があったので、それを認めてもらったという意味で非常に満足だった。が、さすが言葉のプロフェッショナルの F 田さん。自分が今後努力を要する点、更なる改善が望まれる点でのアドヴァイスも忘れなかった。「ただ、参加者から疑問が提示されたとき、それを最後まできちんと把握して、自分の中で意味を消化してから Steve に英語で伝達した方がよいのではないか」というものだった。一瞬自分の不手際を指摘され狼藉したが、その刹那、すぐ思い直した。逐次でよかったものを同時でやろうとしてしまったがために、実際日本人の発言を最後まで聞かないうちに英語で話し始めており、本来日本人が尋ねたかった内容を最後まで聞くことなくして、また自分の脳で理解することなくして、ただ言語の面だけでの置き換え作業をしていることに気づいたのである。

上のような指摘を受けて、午後のセッションでは質問があったときの通訳のスタンスを若干変えてみた。残念ながらその場に F 田氏はいなかったのだが、自分では午前中よりも通訳としての役割を的確に遂行できたのではないかと思っている。来週も火曜日から金曜日まで一日中通訳漬けの日々である。士気を高めて挑んでみたい。


仕事でグッタリと疲れ果てていたため、気分転換が必要と判断した。会社をあとにし H 尾にある行きつけの床屋で散髪してもらった。スタンプ カードが一杯になったこともあって、2 割引のサービスでカットしていただけた。来るべき大地も凍てつく真冬に準備するために、髪の毛を伸ばしているところである。

その後は、以前の同僚だった大先輩 2 人と神楽坂にて飲み会。11 時過ぎにお開きにし、自分は一人で新宿の行きつけの店に足を伸ばした。結局 2 時頃まで飲み、家についたら 2 時半過ぎだった。帰宅後すぐに爆睡に突入したのはいうまでもない。


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