俺が、たとえば誰かのことを思い浮かべたとする。
そのとき、顔とか体つきとかしゃべり方とかその人に関わる記憶とともに、 なにか、「その人を表せるもの」が浮かんできたりする。
それはたとえば、「あかるい」とか「くらい」などの形容詞もあれば、言葉にはできない、まさに「イメージ」であることもある。
ほんとうに、言葉にはできないものなんだ、それは。 名状しがたい性質。それを人は、たまに絵として表現したりするものなんだろう、たぶん。
(こういうことを考えるとき、俺は必ず、自分のことに考えを向ける。)
俺は、他人が持っている俺の「イメージ」は、どんなものだろうと、よく想像する。 そんなの決してわかることはできないだろうが、そして、そんなものを気にして生きるのはばかばかしいと思っているのだが。
要約すると、今日は漫画を7冊ほど買ったし、8時からフジテレビを観ようかな。ということです。
毎日過ごしているんだ、といえばそうかもしれない。 とはいえ、何も考えていないわけではない。と考えている。
ところで、これはある意味、このような文を書く(正確にはTYPEする)上で、 もっとも重要なことであるかもしれないが、
なぜ、こんなことをしている?
「こんなこと」とはもちろんこの文を書く(正確にはTYPEする)ことだ。 前にも似たようなことを書いた気がするが、そのときはある友人の日記に かいてあったことを支持(というか引用)して、一応決着したつもりだった。
ま、それでいけなくはないが。 なんとなく、自分の言葉でもう一度きちんと整理してみたいな、という気が、 ふとしたんだ。
さてさて、いったいなぜ、だろう。
あ、いまおもしろいことに気付いた。 「こんなふうに『なぜ』って考えているのも、この日記に書いてるじゃん」 つまり、ある行為をしながら、その行為の理由を考えているってことだね。 うわ。なんかすげーかっこつけた感じ。
やっぱ理由はたくさんある気がする。
自己顕示。 ストレス発散。 考えをまとめるため。
とかかな。おもな理由は一番目だと思うが。
俺はたぶん自己顕示欲がほかの人より強い。 でもそれを周りに知られると、自分に対する評価が下がるかもしれないと恐れて、なるべく外に出さないようにしている。 心の中は、「俺ってすげーだろ、おまえらよりずっとまさっているだろ」 という思いでいっぱいなのに、それを隠そうとしている。 でも多分、隠し切れてないはずだ。 ちょっと俺のことを知ってる奴なら、「ああ、こいつ、優越感のかたまりだな」 と、思うだろう。 いや、それもまたおれの驕りなのかもしれない。俺がそんなに重く見られていないとしたら、俺の不十分な演技で十分、かもしれない。
俺の表面しか見えていないときは、深く付き合うこともない。 仮面の下(かっこいー)を見たとき、俺の小ささが知られてしまう。
それは、逆でもある、かな。 もっと近づきたいのに、 近づけば近づくほど、とげが相手を刺してしまう。
さて、問題です。「〇〇〇〇〇のジレンマ」空欄を埋めよ。
(ふむ。こんなことを考えられるのも、日記を書くメリットだな。)
こたえ。ハリネズミorヤマアラシ。
ふ。またまたsuperiority complexだな。それを感じたいがために俺は生きているのか。
俺は、自分を嫌悪している。でも、俺が自分を嫌いになってはいけない、という観念が、俺を強迫する。自分が見捨てたら誰も助けてくれないかもしれないじゃないか。だから、無理に、俺は俺のことが好きだと思おうとしていた。それが正しいかどうかはわからない。多分正しくも間違ってもいないし、誰もそんな問題を俺と一緒に本当に真剣に考えることはできないだろう。自分がどう思うかは、まさに自分の問題であるはずで、そんなことをここに書くのはお門違いだろう。でもなぜか書かずにはいられない。俺は、感情よりも理性を優先させるタイプではないかと思う。だが本当はそのバランスは多少感情の方に傾いていた方が人間らしいと思われるだろう。このごろよく思うのは、俺は自分の感情を理性によって無理に矯正させようとねじまげている、ということだ。おれは、はっきりいってそれをバカらしいと思ってない。自分を理性の枠組みに収めることによって評価を得られればいいじゃないかと思う。だが同時に、より強く思うことがある。
「俺は、そんな俺のそんな考えが自分の行動を束縛していることに耐えられない」
俺は束縛されるのが嫌いだ。そう思っている。だが自分でその束縛をつくっているではないか。きっと俺の自己嫌悪はそこからきている。自己顕示の無理な抑えも、その束縛の一種だと思う。結局俺は、今の自分に本当の自信がもてなくて、理想の自分像へと矯正しようとしている。それだけだ。
「揺ぎ無い自信が欲しい。確固たる自分を持てるような、よりどころが」
そう思うことすら理想へ近づくための無意識の操作なのかもしれない。結局、俺が自信を持って自分の考えだと言えることは何にもないのかもしれない。でもたぶん、目を背けていてはいけないと思う。本心は目を背けたいのだが、おそらく理想の自分なら目を背けたりしないだろう。ここでもまた、束縛。
こんなことを書いても、気が晴れたり解決するわけじゃないのに。 ここまで読んだあなたも、すごい暇人じゃなければ、とりあえず興味を持ってくれたんだろう。もし、ここに書いてあることがなんらかの助けになったならそれはそれで嬉しくもあり、また「優越」を感じることができるが、多分そうなることはない、と思う。自分のために書いたんだから。
「おそらく」とか「たぶん」の多い文章だ。 自信のなさの表れだな、たぶん。
ああ、本当にため息が出そうになる。長々と書いても、言いたい事の何パーセントが伝えられるのだろう。
――誰に?
蒼い夜空に月が架かる砂漠で
歩きつづける
肌は冷たいのにのどが渇いている
・・・水。
・・・水を求めて?
だが歩けば歩くほど体からそれは失われる
急に砂が目の前に近づいてきて、顔にぶつかった
・・・転んだのか。
碧い水面に波の輝く湖で
沈んでいく
・・・水だ。
・・・もう渇かない。
光はどんどん淡くなり
いまはもうかすかに上のほうでゆらめいているだけ
・・・空気。
・・・息をしたい。
夕焼けの射し込む教室で
机に頭をもたげている
・・・・・・夢。
・・・・・・なぜ。
廊下にスリッパの足音が響く
・・・・・・誰。
教室の後ろの戸が開く
ゆっくりと振り返る
・・・・・・君は。
そこには水と空気がある
2001年02月11日(日) |
ALL OR NOTHING |
この題はなんとなくです。かっこいいから。
今日はちょっとHP更新。 俺度診断、やってみてもいいけどたいしたもんじゃない。 作ったのも興味本位なので、暇ならどうぞ。
o(”>_<)っ★(#’3’)
ぐはあぁっ。
早いね。もう二月。
いや、まだ二月?
遅ればせながら、俺の目標in21世紀。
「21世紀中健康そして22世紀まで生きる」
・・・とかいいつつ早速風邪ひいてたりする。
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