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『微炭酸ニッキ』  山崎ナオコーラ

(新たなご依頼をいただける場合、あるいは、既刊の作品についてご質問をいただく場合も、
拙著の刊行がある出版社さん宛てにメールにてご連絡をいただけませんでしょうか?
転送してもらえますので、私から返信します)。

蕎麦の具がきしめん
2004年03月29日(月)

母の作ってくれた蕎麦の具がきしめんだった。そういうこともあるのだろうか。

父がDVDを知らないことが発覚。
父「DVDってビデオのことだろ。何でDVDって言うんだろうな」
母「そりゃ違うからよ」
父「DVDってビデオとは違うのか!!」




良いことがありました
2004年03月24日(水)

赤坂の本屋で長井秀和に会った。
ああっと思った。いる、と思った。あまりにどきどきするので、早く本屋を出て行って欲しいくらいだった。
ねぐせだらけだった。
そおっと、後ろ側にまわって、立ち読みをした。
ちらり、と見ると、彼の持っている手提げの中には資料のような紙がどっさり入っている。あと、たくさん書き込みされたノート。ネタ帳だろうか?
彼が立ち読みしている雑誌は「Ray」(女性ファッション誌)だった。

ああ、生きていればこんな良いこともあるんだ、と思った。

次は、今、一日に5回くらい思い出している上田晋也に会いたい。



新宿
2004年03月21日(日)



新宿から神田まで歩いた。



不安
2004年03月17日(水)

不安というのはみんなあるのだろうな。
明るく見せている人ほど、本当は不安なのかもしれない。

将来どうなるんだろう、知らないうちに30歳になっちゃたりもするのかな、
と考えると、すうっと足の親指から血がひくような。

こういうことかも。今、ダイヤを持っているが、あと5年後にはこのダイヤはない。そのときに、『あのときはダイヤがあったのに』って思ったりするのかな、って、そんな気持ちか。
でもよくよく考えると、たぶん今ダイヤはない。
30歳になったらなったで、ルビーがあったりもするだろう。
どうして今、ダイヤがあるような気がするのかと言うと、30歳になったときにそう思うのじゃないか、と想像しているだけで、ようするに、あせりが見せる幻影なのだ。
今あるのはダイヤじゃなくて、サファイヤだとする。
考えて来なかった。でもきっと私は絶対にサファイヤには気が付かないで今を過ごしてしまうだろう。


それにしても、今までの人生、同年代の人に比べると、ちっとも真面目なことを
ふざけたいってことはよく考えていて、今でもちっともふざけ足りない。
どうしようもない。
ふざけたい。きっと30歳になっても、40歳になってもふざけ足りてない。これだけは確かだ。

それで、不安だ、不安だ、と言っても、でもまあどうにかなるだろう、とも思っていて、何だかんだ言ってもなぜか妙に自分に自信があって、神様も棚に上げて笑ってしまう。
どうしようもない。

こんな駄文を書いている間に、他のことをやった方がよい。
ばかだ。



品川
2004年03月15日(月)

土曜日にマンドリンのコンサートに行って来ました。品川教会でありました。
みんな楽しそうに弾くので、それが一番、こちら側にも楽しいのだと思う。
青ラムさんも一緒に行ってくれたのだけど、青ラムさんが何でも楽しめるいい人だということもあると思うけど、マンドリンを知らない人でも楽しめたり、一緒に行きませんか?と誘えるような、こういうアマチュアのコンサートってあんまりないんじゃないかな、と思った。

演奏ももちろん素敵でした。
選曲も気さくな感じで、弾いてる人も聴く人も楽しいような、いい選曲だなあと思いました。

しかし指揮者が太鼓を叩いたり、変なカスタネットのようなものを叩いたりし始めたのにはすごくびっくりした。あまりの相変わらずぶりに、とても嬉しくなりました。

帰りにナスを食べました。



10年
2004年03月09日(火)

今日も面接をした。
それから御徒町から上野まで歩いたら、大道芸の人が風船を膨らませていたので、じっと見た。握手した。
まだ咲いていない桜の枝が伸びていた。何回目の春なのかが曖昧だった。
25回目くらいだろうか。
いろいろと思い出したが、その春が去年なのか何年前かなのかが、どうもはっきりしない。そんな歳なのだろうか。
「10年後の自分がどうなっていると思うか?」という質問に、わからない、と正直に答えた。25で、10年後のことをぼんやりとでも見る人っているのだろうか?私は未だに、10年、というと、永遠、と同義に聞こえる。
「仕事とは?」プライドを持ってお給料をもらうこと、と答えたが、へえーと思った。この前就職活動をしたときは自分はもっと甘いことを考えていたような気がする。たぶん、前の仕事をやって、失敗をしたりして、そんなことを考えたのだろう、と思った。
たいしたことは出来ないが、給料をもらわないと生きていけない。
お金が世界からなくなったら、交流だの、意義だのもなくなってしまうのだろう。



            秘書がやりました?
2004年03月06日(土)

よくあいさつで、「もう3月なんて、早いですよねー」「もう春なんて信じられないですね」なんて言うが、この返事として「そんなことないです」「信じられますよ」と答えてもいいのだろうか。

このHPは始めてからもう4年以上経っているのだけれど、どうも調子がおかしいらしく、アドレスも勝手に変わってしまって(一応書いておきます。http://members.at.infoseek.co.jp/kyuuu/index-14.html)だから、なんだかもう、前のでリンクしていてくれた人やお気に入りに入れてくれてた人はもう来られないのかなって思う。
そんなことを思うと、もしかしたら、とうとう幕切れか?とふと感じたのだが、いやいや、まだまだ毎日更新してやる、ひとりでも見てくれればいいしさ、って思いました。

今までいろいろと自信のないことが多かったけれども、「自信がないから」っていうのは自分中心の考えだなあとしみじみ思う。
人生は短いから、自分の能力や容姿のことを考える暇に、他の人のことや、相手の気持ちや、あるいは自分の「やりたいこと」ができるかどうか、を考えた方がどんなにいいか。

なんだか自己啓発書染みてきて私のHPにあるまじき雰囲気だが、私は頑張る。
やりたいことやるために知恵を絞らないと。
これからはあんまり人に不親切にならないようにしよう。
メールがきたらすぐ返そう。
会いたい人には自分から電話してみよう。

こういう妙にやる気を出しているときが、私にもたまにあるが、気まぐれなので続かないだろう。



秘書がやりました
2004年03月05日(金)

飛行機から成田のネオンが見えたとき、決して郷愁じゃなく、落っこちたくなった。

人間とは不思議なものだ。
男とは縁が切れるのに、たくあんとは縁が切れない。





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