サニーズというバンドのライブに行って来ました。 わたしが雑誌作りでインタビューさせていただいたバンドです。 本当に楽しかった。うっとりする三人組なのです。 ライブハウスにいると胸が音を受け止めますね。 音が大きいので、胸板にがんがん当たって息苦しくなる。 女の人にも胸板ってあるんだなあ。 その後、年越しということで、そばとカツ丼のセットを食べた。 がつんと食べたいと思ったので。 たくさん食べるのって楽しい。 来年こそはちょっとスリムに、と思いつつ、やっぱり食べるぞ。 でもこれ以上はふっくらしないようにしよう。
私が前から思っている疑問で「人間関係において、果たしてあやまるのは意味があるのか?」というのがある。 自分が失礼なことをしてしまった時、相手にあやまりたくなるものだが、果たして相手の立場に立つとどうだろうか。 相手としては、別に「自分が悪かったと認めろ」とか、「下手に出ろ」とか、そんな欲求は持ってないだろう。きっと全然別の欲求があるはず。 「自分がいて、相手がいる世界観」だと、ついあやまってしまうのだが、「相手がいて、自分がいる世界観」を持てるのならば、もっと違うことが出来るように思う。 例えば、「遅れてごめん」よりは「待っててくれてありがとう」の方が相手には効くはずだ。ごめんなさい、すいません、と使う場面で、ありがとう、を使いたい。(そう思うがそれも難しい) 兎に角、自分の場合は、相手にあやまられてもなんとも思えないのだ。 これは他の人にはそんなにいないかもしれないが、私は真面目にあやまられてもあまり心が動かない。 むしろ、言い訳が可笑しい時に許す。 面白い言い訳の方が、意味があるように感じる。 それで、つまらない言い訳だったら絶対許さない。 それは何なんだ、と思うに、こういうことだと思う。 面白い言い訳、と書いたけれど、別に面白いことが言えない人でも、それぞれの空気を持っていて、話をしているとふわってするものがあると思う。 人はそれぞれ空気があって、だから人と人とが話すと温度差があったり、 そうすると、つむじ風が起こると思う。 それで、つむじ風にやられると、許す、とか思ってる。 要はあやまるあやまらない、じゃなくて、 風にやられるやられないじゃないのか。 だからあやまらなくていいから、つむじ風を起こして欲しい、 と私は思う。
最近、自分の顔が老けてきたように感じる。 だからという訳ではないのだが、これからは自分のことを「女の人」と思おう。 日本では私ぐらいの人間を指しても「女の子」という言葉を使うことがあるけれど、よく考えるとやっぱり似合わない。 「女の子」じゃない、「女の人」。 他の人に「女の子」と言われたら訂正するくらいの勢いで女の人になりたい。 色々なことを考えると、色々なことはすぐには変わらない。じれったい。 今、困ってること、我慢ならないこと、コンプレックスに思ってること、どうしてもやりたいこと、人に迷惑をかけていることを止めたいこと、 そんな色々なことが、明日にどうにかなることはないみたい。 でも一ヶ月後、三ヶ月後は少しは変わってるだろうか。 (三ヶ月で人は全部の細胞が入れ替わるらしいし) そっちの方向を向いてちょっとずつでも何かしていれば、ちょっとずつ変わるのか。 先のことって今作ってるのか。 10年後のことが今この瞬間、決定されてたりもするのかも。 兎に角、女の人の責任で、強くあらねば。 そして人に優しく出来れば。 私はしょっちゅう、優しくなりてえ、と思うわりにどうしても出来ない。 周りの色んな人の気持ちがわかればいいのだが。 修行が足りない。修行。
オレはスポンジになりたい 荒川の水 多摩川の水 阿武隈川の水 エーヤワディ川の水 吸い込んで 乾いてそうな人に 無理矢理含ませたい
クリスマスも過ぎて年の瀬ですね。 毎日更新、と言って出来なかったです。申し訳ない。 反省だわ。来年からします。一行の日も出来ちゃうかも知れないけれど。 自分のHPを作ったのがおとどしの12/24だったのでかれこれ2年過ぎました。(引っ越しもしたけれど) 近々大幅リフレッシュするつもりなので、これからもよろしくお願いします。 書き込みしてくれた方たち、レスが遅くなって申し訳なかったけれど、書きましたので見て下さい。これからは早めにします。 ところで、クリスマスイブは皆様どう過ごされたでしょうか? 私の周りにはひねくれものが多く、クリスマスに批判的な話をよく聞きました。 でも私が思うに、クリスマスって、神様がくれた最大の恵みではないでしょうか。 なぜなら急に神様が「やっぱりクリスマス無くしまーす」と言ったら大打撃を受ける人がたくさんいるからです。 主に、ケーキ屋、苺農家、本屋、羽を付けてるスタバの人、オモチャ屋、お父さん、アクセサリーショップ、雪、新宿サウスエリア、靴下屋、ラッピングの人、ゴミ収集車、JR東日本、山下達郎、橇屋、トナカイ牧場、サンタなどです。 サンタが一番打撃を受けると思いますが、収入は減らず、支出が大幅に減り、無くなるのはアイデンティだけで、むしろそろそろ「俺はサンタじゃなくてもいいんだ、ただ生きてるだけで素晴らしいんだ」と気付く頃なのでかえって良いかも知れません。 そんなこんなで2002年が終わりますが、振り返ってはいけません。 振り返ると連れ戻されるからです。
最近思うが、自立だな、自立。
先日、大学の後輩に「お酒飲まないんですか?」と聞かれて、そういえば、去年は「酒と音楽がないと人生はやっていけない」と考えていたことを思い出した。 今はそれらと距離を置いてる。特にお酒に対しては酔っ払うのがいやになったので、これからはもう酔うほど飲むことがないと思う。 でもそれでも楽しいし、やっていけてる。他に楽しいことがあるからか。 そういうことを考えると、今「これは必要だ」と思っていることでも、実際はなくてもやっていけるのかもしれない。 身を投じれば馴染む。 またクリスマスについて、「去年はもっと嫌っていた」と言われて、そういえば「豆球をひとつひとつつぶしてやる」と言ったことを思いだした。 これでもまるくなったのか? あと、昨日神保町に行った。小川町まで歩いた。 マニキュアを塗ろうと思いつつ塗らない。 時間が無くてもマスカラだけはつけようと思っていたが、無くても気にならなくなった。 后の位も何にかわせむ。 自分のニノウデにキスをして眠る。
この駅は水の中にあって、いつも舟で乗り付けます。
最近、忘れていたものがあるような気がする。 やさしさ。 この世界にいるのは、自分が気持ちよく生きるためでなくて、世界にやさしくするためなんじゃないのか。勿論、自分も大事だが。 そういえば、この前高校の頃の日記を読み返したのだけと、 「葬式やセックスの最中にも冗談を言う人をみつけて絶対結婚する」 と書いてあって、ちょっと笑った。葬式とセックスって何の関連なんだろう。 たぶん、ずっとふざけたかったんだろうと思う。 「人生の横腹つつく」「人生、からかってやる」「神様笑わせる」とかそんなことばかり書いてある。 こういうふざけた人生観、ちょっとは変わっただろうか? 少なくとも、ほとんどの人が実はまじめで、私ほど芯が腐ってる人はいないな、と、それは今は思う。 結婚はジョンにとってのヨーコみたいな人みつけて、自分からプロポーズしよう。 人まかせにしない。 とにかく、たくさんの人に愛されたい。 できるかぎりたくさんの人に。 たくさんの会社に、人に、必要とされたい。 私は性根が腐ってるし、顔もあんまり美人じゃないし、出来ることも少ないけれど、 やさしくして、にこにこして、 世界のはじっこに乗っかっていたい、と思う。 できるかな? 失敗もたくさんしたし、遠回りもよくやるし、人を傷つけたりもしたと思うけど、 そうしよう。 孤独と不安を犬のように可愛がって、私が神様のように頭撫でてやろう。 まばたきをたくさんして、シャッター切ろう。 世間は気にしない。何もしてくれないし。 組織も。 それから理解されなかったり、嫌われたりしたって、立ち直ろう。 大事な人にそう思われても立ち直ろう。 ある程度、自分の考えを信じようと思う。 自分は強いと、期待しようと思った。
みなさんこんにちは。 ミャンマーの魔除けの金のみみずくと、遠野で作った藁の馬。
|
| |