Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2015年02月28日(土) |
「ピーちゃん(井谷)は天才です」 |
喫茶茶会記へ。
2015年 2月 28日(土) open 19:00/start 19:30 橋爪亮督 - tenor & soprano saxophones 加藤崇之 - electric guitar 井谷享志 - drums, percussion
企画としては橋爪と加藤の初共演、に、井谷を加えた経緯のライブ。
ぼくは、加藤崇之の名盤『Guitar Standards』を聴いて、藤井・田村・加藤・エリオットシャープの完全即興ライブ、たしか狭山だったかな)、加藤さん本人とは「あれは面白かったね、CDにもなってるよ」「ええっ?」、演奏のジャズ強度といい、求心力、冒険力、まさに神のようなギタリストだ。『Guitar Standards』は、再プレスも売り切れになってたそうだ。
橋爪亮督は、マーク・ターナーと並べてECMがその才能を開放すべきだと考えている、わしがじゃ、益子さんもじゃ、世界に耳は付いておるんか、という神サックス奏者、底知れずの。
ナタの切れ味シンザン、と、天馬ディープインパクト、みたいなもんです。はあああ。
井谷享志は、ソロ『なんか夢みたい』■をタガララジオの草稿としていたままだが、図書館ユニット「ライブラリ」、「ライブラリ」については福島恵一さんのライブレビュー■をこそきちんと参照熟読いただきたい、おいらが20年前から追っかけ状態になっていたザ・ギタリスト平井庸一のクール・ジャズ・セプテット(とかいろいろある)で叩いていたのは井谷だったとうのは最近まで意識していなかった(!)、な!なんと!、多田が追っかけと自称していてもその程度なのかっオオボケオヤジ、それはそうとして、平井のエルメートパスコアールプロジェクトも井谷だ、
それにしても福島さんのライブレビューは、すごいな。事態の凄さを、明確に捉えている。あ、上から目線になってる?読みながら、ジグソーパズルがカチッカチッとはまって視えてゆく知的快楽。完璧なチームワークによる「なかまわれ」、なんてたまんない表現だ。音楽の謎であることの謎の存在証明、みたいな。
そうそう、それで。
加藤崇之は、開演コメント?で「是安によく言っていたんだけど、怒っちゃヤーヨ的なかんじで、よろしく(笑)」と。
いやー、井谷のパーカッション即興の、局面局面のスイッチ切り替えを果たしてしまう天然的大きさ。鬼才加藤の近作をタダマスで益子さんに聴かせてもらって、その引き出しの宇宙的な拡がりというか、ギタリストを超えたサウンド作り(といっても即興なのだ)にぶったまげていたものだったが、この日の加藤の縦横無尽に対して、スッと空間性を拡張してしまう井谷の打音。
シンザンとディープインパクトが競っているコースの外側コース外を暴走する井谷、という。
萩原朔太郎賞の詩人三角みづ紀さんが「ピーちゃん(井谷)は天才です」なんて言っていたっけ。ソロCDを聴いて、その価値に気付いていたつもりだったが、いやはや、こんなにだとはー。
7月に土取利行、エヴァン・パーカー、ウイリアム・パーカーが共演するけれど、もちろん焦点は惑星ウイリアム・パーカーの存在。おれはねー、井谷にウイリアム・パーカーと共演させるべきだと思った。もちろん、その思考にはミルフォード・グレイヴスが念頭にある。すなわち、井谷はミルフォードの大きさがあると、そういう直感なのだ。
そう。それは、正しく70年代的な、もしくは20世紀的な感覚的発想なのかもしれない。オッサン、古いよ、自分でもそう突っ込むかなあ。
この日の橋爪のことを書いてないや。橋爪は響きのトーンに重心を込めて、加藤と井谷の空間をグライダーのように飛翔しているようでもあり、サウンドを地上にとどめておくのに懸命であるようにも聴いた。
ラストのコンポジション、「When We Were Boy」、橋爪の独壇場となった旋律。いやはやこれには涙した。いい旋律を書く。いい音色だ。いい演奏だ。まだCDに収録されていない。きくと、橋爪は、今日の3にんのことを思ってできた曲だという。はよ、CDにしておくれ!
思うに。即興演奏をいろいろ聴いてきたけれども、新しい世代はほんとに新しく乗り越えて新しいのだな。井谷は「こないだ Magda Mayas と演ってきました、よかったですよー」なんて、言っている。
加藤さんに安田芙充央との共演のことをきいたさ。安田はキレてるからねー、井谷くんがキレている存在なのはこないだわかったからね、と。
ね。そういうこと。
そうそう、でもね!橋爪が、次の演奏は加藤さんとふたりで会話してみたいので、ダメになったら入っていいけど、と井谷に目配せして、お、これはバラッド橋爪とアコギ的加藤とのインプロが始まるか!と息を詰めてインする沈黙の瞬間に!井谷がゲートを突破する暴れ馬のようにドン!打音を目をまん丸にして。橋爪、もう?笑、井谷を見る。観客も笑う。結局何事も無かったようにトリオ即興に突入。おれは、そこはデュオ聴きたかったぜ。まー、ピーちゃんだから許すか、みんなそんな笑顔の相。
2015年02月27日(金) |
明日は tactile sounds vol.17 |
ごおおお。明日は tactile sounds vol.17
2015年 2月 28日(土) open 19:00/start 19:30 橋爪亮督 - tenor & soprano saxophones 加藤崇之 - electric guitar 井谷享志 - drums, percussion
なんというそそる顔合わせ。
演奏力のみならず、どうとでも、どこへでも行ける可変性、
聴くほうとしても、どこまで開放できるか試されるという怖いライブだ。
あさイチに!小澤征爾登場!!! 有働さんが、言葉がよくわからないオペラには敷居が高いんですが、と。小澤さんは、サイトウキネンの成り立ちや子供たちの変化という音楽のチカラを。 指揮棒をパクった話や、指揮棒を忘れてきたきっかけで素手で指揮するようになった話。 まあまあ、とにもかくにも、小澤征爾の発言は、声のトーンや思考の回転数がそれこそ他人を変化させるのだわよ
川崎の中1少年刺殺事件で18歳の容疑者逮捕。
東田陽介プロデューサー その男、意識高い系。新入社員一条ジョー 女優伊藤歩
N響ライブラリーの涅槃交響曲は、まだ設計図を再現するのにこなれていないカンジかな。最高傑作録音はこれじゃない。
ペペ・ロメロのヴィンテージ録音でのアルハンブラの思い出は、これは史跡レベル人類遺産レベル。アルハンブラでもなく、おのれの住んだ土地たちの思い出。
2015年02月26日(木) |
土取利行、エヴァン・パーカー、ウイリアム・パーカー公演日程 |
土取利行、エヴァン・パーカー、ウイリアム・パーカー公演日程
■2015年7月17日(金)19h 京都府民ホール・ALTI ■7月20日(月祝)19h 郡上市総合文化センター ■7月22日(水)19h 東京・草月ホール (チケット予約は近日中)
恐ろしいトリオが!うう、日程的には郡上というところへ行くか、郡山の誤植ではないのか!何県なんけ???
堀内さん、誘って、京都みたいに「ツアー」しよう!www ライヴ終わったら夜通しで帰ってこないとなりませぬが。
行く行く!運転はまかせておくれろ。チケット入手をお願いー
を! 行きますかっ!
てな、やりとりで。行きますぜ、幹事長、みなさん。 おらのグランディスは7にん乗りだし。
みなとみらい、待機、で、横浜中華街へ。独りで来たことはなかったもん。 てきとーに路駐できるみたい。小雨。 明るい雑踏に出るとそこは関帝廟。あ。あ。 過ぎ去りしいくつもの日々の明るい休日のワンシーンたち。 20代のぼくや彼女。40代のおれ。おやじおふくろ。2さいのかなみちゃん。 時空のエアポケットに迷い込んだみたいだ。 さっと暗い中華屋に入って、台湾で人気の牛スジラーメンをたのむ。 よーだいかんも好きだったかもしれないぜ、おやじ。
六福楼 牛腩湯麺 台湾で人気の牛バラそば
「人類もまた有限だという感覚が、月着陸以降、この四十年近くの間に、意識されないままに忍びより、いつのまにか私たちをとらえようとしているのではないか、ということです。」加藤典洋 311以降、有限性が内在化された
高橋源一郎 鶴見俊輔、思い出袋、教育再定義への試み
「腑に落ちなければだめだ」
夜、靖国神社を正面に。坂本慎太郎「ナマで踊って」を聴きはじめる。
たまたま図書館予約が回ってきてサクっと拾って、蕎麦食べたあと駐車待機場所の最適地がそこだったからなのだけれど、異様なマッチングをみせる。
文脈的には絶対に合わないソフトロックなサウンドに柔らかい声、だがしかし、かつてこの國には怖ろしい仕組みがあってきみのパパやママは闘ってそれを壊した、だなんて、平易なゆえに涅槃に響くような不穏な
ジョーミークだろ、背後に居るのは!誰も指摘していないのはなぜだ。
なぜこの作品が現在に斬り込んでいるかというと、 スプートニクから始まった人類の有限の発見、 その反対は無限の発見が宗教哲学文明を起動させた人類史ということらしいけど、
2015年02月23日(月) |
クレーン運転士・上圷(かみあくつ)茂 |
72時間 赤羽おでん屋エレジー
築地市場の移転先、豊洲新市場の方向、走るのはゆりかもめ。
プロフェッショナル 仕事の流儀 アンコール 『港のエース、ガンマンの絆 クレーン運転士・上圷(かみあくつ)茂』 ■
かっけー!速くて一人前、やさしくて一流。
スガシカオ(kokua)の「プログレス」は、もちろんクルマに搭載されているぜ。
おいらもめざすぜ。
Jazz Tokyo 更新CDレビュー2枚
# 1181 『新垣隆 吉田隆一/N/Y』 ■
# 1180『David Virelles/Mbókò - Sacred Music for Piano, Two Basses, Drum Set and Biankoméko Abakuá』 ■
ディスクレビューって、なんやろ
ともあれ図書館CDをパカパカ聴きまくっている。モダンジャズ名盤というのも落ち穂拾いのように聴くけど、油井正一のラジオや児山さんや悠さんのラジオで、はたまたジャズ喫茶で聴いた時のようなトキメキはやっぱりないぞ。
2015年02月22日(日) |
NHKスペシャル、腸内フローラ |
午後、文京区小石川図書館へ。クルマにツェッペリンのプレゼンスを載せとかないと。ヘッド博士の世界塔やペットサウンズもカフカ断章も。高橋悠治のゴルトベルクを入れたら複雑骨折しているようなピアノに聴こえ。内田光子も聴いてみよう。
それにしてもタダマスや松籟夜話や月光茶房や細田さんで聴いた音楽しか、素晴らしいとは思えないでいるよー、文京区の通りにサクラが咲いていた。
オーモリさんから半年ぶりに電話。阿佐ヶ谷へ会いに行く。ジョナサンでパフェとドリンクバーをごちしてもらう。オーモリさんはハーフの赤ちゃんのおじいちゃんになったそうな。
NHKスペシャル、腸内フローラを観る。 ■ 人口甘味料はやばいのか。 セブンのアイスコにガムシロップ入れたのを毎日2・3杯のんでいるのはいかんなー。 五十肩をビオフェルミンで治したっけ。給料日きたらビオフェルミン買いに行かなきゃ。
明日用のチャーハンに食物繊維を多くしようとファミマのキャベツの千切りを入れたら、へんなチャーハンになってしまった。
で、腸内フローラでスリムになったり若返るためには何を食べたらいいのけ?
クリステンセネラセエ(Christensenellaceae)と呼ばれる細菌種
ヨン・クリステンセンを聴きたくなるのはおれだけか。
2015年02月21日(土) |
『業晒し / 古川壬生』 1978 |
Tale From A Forgotten Kingdom 失われた王国の物語 / Gandalf ガンダルフ 1984 You're Dead! / Flying Lotus - Never Catch Me (Official Audio) ft. Kendrick Lamar やはり聴けない
20年ぶりくらいにサンマルクへ行く。タガラにサンマルクがあるのは知っていたけれど。ブランチ・モーニングなんてやってんだ。
焼きたてのパンなんて食べてしまったら、もう他所でパンを食べることはないやね、おねえさんがサーブしてまわる11種11個を食べて限界。
これなら一日一食でいいかも、という
『ルイジ・ノーノ ヴァイオリン、ライヴ・エレクトロニクスとテープのための「ノスタルジー的ユートピア未来の遠景 La lontananza nostalgica utopica futura」(1988)』
Bishop records で国内盤化された2CDを聴く。 ■ むかしエアチェックしたものとずいぶん印象がおとなしく感じられる。若きクレーメルの即興演奏を素材に、という発端だったか。
SUB ROSA レーベルも集めたいと思ったことがあったなあ、聴きたい聴きたい ■
『業晒し / 古川壬生』 1978
友川かずきも三上寛も好きだけど、古川壬生は知らなかったー
★田口史人(高円寺「円盤」店主)が書いたライナーノートより抜粋 「こうしてCD化され誰の耳にも触れることができることになろうが、その濃度は数々の自主盤を聞いた後でも印象は色あせることは無く、日本各地にあまた発見される自主制作フォーク、ロックの数々の中で屈指の「秘境盤」であることは未だ変りない。いやむしろ多くの人の耳に触れることができるようになればなるほど、本作は孤立し、その秘境盤としての魅力はよりいっそう際立っていくことになる気がしてならない。」
HMVレビュー
過剰なる自意識の放出=自主制作盤の凶器にして極致とも言えるアルバム遂に復刻!
友川かずき、三上寛を産み落とした津軽から、恐山、イダコ、ネプタ、化粧地蔵、、、この世とあの世を通低するための呪的機関を唄わんとする陸奥(みちのく)のオルフェウス(吟遊伶人)=古川壬生が残した1978 年の超激作!衝撃の初CD化! 詩人でもある壬生が三歳でこの世を去った弟(壬生)の皮膜を生きるために死者を騙る。歌が念仏となり叫びとなりこの世を乱舞しあの世へと吸い込まれる。あまりにも強烈なフリンジ・ミュージック。
2015年02月20日(金) |
ほそださん編集CDR《150125tadamassansongs》 |
午前中空いたので眺望のよい霊岸島の亀島水門で日向ぼっこ一服。
午後は運転手控え室でマッサンを観て昼寝して国会中継。労働問題系は志井和夫書記長つおい。アメリカやフランスの最低賃金のかさ上げと中小企業支援の施策をモデルにしたらどうか、との厳しい提案。あまり見られない塩崎厚労相と安倍首相の苦虫顔。庶民にも経済活動させろ。
日本橋へ任務してそのまま浅草。
かつて環七梅島店のクレームでヤーサンに呼び出された懐かしの浅草ビューホテルの横、とんとん島で焼き肉。
A5ランクの焼き肉なんてはじめて食べたぜ。
あー、そうだな、おれも20代の頃はよく徹夜麻雀して、そのまま翌日出勤していたっけ。
カンソヤンさんがサムギョプサルを目の前で焼いてくれて、菜っ葉に巻いてレモン汁と味噌つけて「あーん」してくれる。
これがむすめでこっちがむすめむこだよ、若いっておだててー、また来なきゃならないでしょー。
おとーさん、これは世界の終わりですね、クレヨンしんちゃんのテーマ曲になったRPG?炎と森のカーニバルだい。おとーちゃんもセカオワ好きなん?
おまいら浅草の一等地に住んでいて、楽しくていいな。いずれ橋本や町田のほうにゆくのかい。浅草にいるうちにいろんなもの食べようぜ。
今度は中華街へ行こうなー
おおお、おらも編集CDRを作りたい気持ちがー。リスナー生活の完全復活は近いか。いやいや高柳や近藤や大友をディスってはいないよ、アーティストは老いて音楽の進化の波に洗い流されてしまうこともあるさね。
この多彩さ、耳のトップアスリートを聴け
ほそださん編集CDR《150125tadamassansongs》
01 Sound And Vision / David Bowie 『LOW』 1977年 02 Always Crashing In The Same Car / David Bowie 『LOW』 1977年 03 Baby / 暗黒大陸じゃがたら 『南蛮渡来』 1982年 04 夜へ急ぐ人 / ちあきなおみ 1977年 05 Musicawi Silt / Hailu Mergia And The Walias Band 『Tche Belew』 1977年原盤 2014年再発 06 Neighborhoods / Olu Dara 『Neighborhoods』 02年 07 やさしいにっぽん人/JOJO広重 with 日野繭子 『死神に出会う時のように〜JOJO'S WORLD〜』 12年 08 彼女はフィクション/ 吉野大作&後退青年 『NOWHERE STREET』 1989年 09 The Look Of Love / Dusty Springfield 1967年 10 Solo / ピヂンコンボ Tom Cora 『The Long Vacation』 1988-1989年録音 11 レースのむこう / 青葉市子 『檻髪』 11年 12 Max Reger : Aria Op.103a nr. 3 I. Adagissimo / Pieter Wispelwey & Paolo Giacomet『Max Reger :3 suites for cello solo & works for cello and piano』 1996年 13 Clergyman's Dream / Ornette Coleman 『An Evening With Ornette Coleman』 1967年 14 Parker's Mood / Charlie Parker『Bird : The Savoy Recordings (Master Takes)』 15 Mahligai Kayangan / Saloma 『ポリネシアン・マンボ~南海の国際都市歌謡』 1950年代後半録音 2013年編集盤 16 In a Sentimental Mood / 加藤崇之 『Guitar Standards』 2001年 17 A Different Time / John Medeski 『A Different Time』 2013年 18 Mine / Herbie Nichols 『Herbie Nichols Trio』 1955-56年 19 blanc 20 Surrender Rose / Don Cherry 『Hear & Now』 1977年
ゆうべのベストオブクラシック、キーシンのピアノ、打音の強さ、の重さが魅力か。チョンミョンフンの指揮は、スルスルと盛り上がりの間の無い感じ、が、いいのかわるいのか。シフのパルティータを久しぶりに聴く、この軽さ、もっとゴツゴツしたのを聴きたくなってきた。
2015年02月18日(水) |
高柳昌行(g),安田芙充央(p),山崎弘(ds) |
有働由美子さんがあさイチで、「あれはぼくの弱点です、緊張すると」と言う稀勢の里関に、目をパチパチさせるのは作戦じゃないんですか?猫だまし的な、と、かぶせる神コメント。ほおおお、有働さん、1969年生まれというのは45さいなのか、かわいいぞ。
高橋源一郎『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』岩波書店 2013
池田さんからきいた、下北沢アポロ店主が加藤崇之が来店するとかけるクラシックピアノはルドルフ・ゼルキンのベートーヴェンで、なんでも共演する安田芙充央が推薦したのだとか。ええっ?あの安田芙充央ピアノ。ええっ?80年代に高柳昌行とピアノトリオをやっていたの???
安田芙充央は日本では共演するひとは限られていて加藤崇之とはやるんだそうだ。
それで05年にリリースされた83年アケタの店ライブCDというのがあるというのだ。 高柳昌行(g),安田芙充央(p),山崎弘(ds) ■
な、なんてことだ。2730円、衝動買いしてしまったではないか。はあはあ、聴いてしまった。
さもありなん、な、演奏でございました。無印でよかです。とほほ、とほほ。
CD裏ジャケがTDKカセットAD音源からCD化したという写真。
この画面がなつかしいぜ。
2015年02月17日(火) |
歌女 Kajo 2014 |
Satin Doll / Kimilo Kasai with Gill Evans Orchestra 1972 高柳昌行の名があるも。なんも得るものが無いけうな録音。
The Band 1969 わからぬこともないけどおいらの風景にはぱっとしないなあ。
歌女 Kajo 2014 打音にもフィーレコにも文法なり響きの意味なり色彩なり、あり、伝統日本の身体所作というほうがしっくりくる認識のラインがあり、この沈黙と打音と響きは、仏教密教だと言いたい誘惑にかられる。金属音好きなせいもあるけど、おいら。いやあ、音質良し、空間性。track 8 だわこないだのライブは。
あらっ。チャーハンづいている。ランチ代が浮くし。材料選んで買って切って炒めて味つけして。
ドンキん時はたまに肉野菜炒めか卵焼き作って持っていってたけど、過半はカップ麺夜勤でした。
ひとりでランチお出かけするのをちょっとお休みね。
すかさず長女からメール。まーくんがおとーさんにも年始のごあいさつをという。な、なんつう良い娘婿なの。時間?ありまんがな、作りまんがな、よっしゃ金曜の夜な、浅草で焼き肉しよか。
こないだ九州おもてなしフルーツ村■で みかん一箱千円ネット購入したの、宅急便を受け取って、え?たったこれだけ?ばかでかいミカンと小さすぎミカンの詰め合わせ?味はいいけど、でかいのは皮がぶ厚いし。これで千円?1.8kg、契約通りだわ、規格外ミカンであることも表示されてるわ、問題ないのね。五百円でも買わない。
茨城で5kg千円のミカン箱買って美味かったので、その連想でいた。茨城は在庫処分セールだったのかしらん。
人生は山あり谷ありである。
2015年02月16日(月) |
国分寺のプー横マスター渡邊千博さん |
学生時代に通った国分寺のプー横マスター渡邊千博さんが昨年亡くなっていたと知ったのはなぎらさんのFBで。なぎらさんが生前のマスターにぼくのことをきいて中継してくれていたっけ。お店の場所が移転していたそうで、ぼくはてっきりやめたのかと思っていたから余計に嬉しかった。そのうち機会を見つけて行けるかなーなんて考えているうちに。
ジスモンチのアルマ(ブラジルEMIのほう)、ギルエヴァンス&スティング、ネイティヴ・ダンサーはマスターに聴かせてもらって、おいらもアナログ購入していた。今も手放していない。
ただくんの好きなガルバレク、リピダル、クリステンセンがジョージ・ラッセルとやった盤が角の中古盤コーナーに出ているよー
昨日は風強かったねぇ。北海道は暴風雪だったみたいだし。光ヶ丘図書館に行くも、借りてた泉鏡花の文庫本が見つからなくて。はっこうださんんんーと冷たい強風を走って帰宅。
広い体育館のような自動車整備工場、兼、駐車場があり。屋上に向かうゴンドラは4基あり、いろんな夢でそれぞれ見たもの。男女のマークと二つの片扉、男子マークはエレベーターになっていて並んでいると、女子マークはトイレになっていて扉から出てくるOLたちが怪訝な表情で過ぎる。あっ!10時15分出発指示、今14分、あわててクルマに乗り、砂川市西ニ北四の交差点に車寄せする、スーツ姿の社長以下3人が交差点に近づいてきている、間に合った!何故かぼくは自転車にまたがっている。三人が自転車の後ろに次々と乗ってきて3人目はぼくに肩車してくる、うわっ無理無理。ちょいと遠いけれど敦賀まで。ええっ?敦賀まででしょうか?やっぱり社用車クラウンで行きませんか?それもそうだなあ、悪いけれど指示変更頼むよ。せっかくクラウンに乗り換えたのに、三人が乗り込んでくると、やはり肩車の自転車状態になってしまうもので、これは困ったと思っていると目が醒めた。
ラジオのかわりに高岡大祐音響をかけて、日差しを浴びる桜田通り飯倉交差点に向かう景色が、たまらなく日向ぼっこになり、どこか知らない異界へと誘う気が遠くなる。
59分とパーキングメーターで検索すると、なるほどなるほど新事実。クルマでランチドライブもかなり行けそう!だけど、今日は財政難のため自炊チャーハン、シャウエッセンとピーマンと下仁田ネギとたまご、塩コショウで作りすぎたわ、まいうう。
月光茶房、行くよー
いついく?
2015年02月14日(土) |
歌女Kajo @ Burrell House, 20140214 |
おたおめ、きよりん、長野オリンピック団体金メダルから、17年なのね。
どうして泣いていたの?きよりん(コラムの最後配置の写真) ■
副都心線で5つ目の池袋までクルマで行く、10メートル以上外気を歩かない主義なのかえ?おいら。
パーキングメーター19時越えの枠内に停まられなかったら帰ってこよー、バクチ打ち的にライブお出かけ。
福島さんも原田さんも益子さんもいるー。高岡大祐さんの、釣り人は死体が流れるのを見る話、老人の人命救助したたいした話もあった、高座を楽しんだだけで元が取れたような気持ち。
1曲ずつの2セット。ファーストは高岡大祐と打楽器奏者の右足菓子フタがいい。店内の金魚鉢の水槽ポンプの音が空間的に層になって涅槃に誘う(なんだそれ)。持続の高揚でエンディングに向かう手法は、巨人軍の勝利の方程式っぽくてすれっからしおいらの耳にはよほどの強度がなければK点超えは難しいかも、なれど、高岡大祐の演奏意識の視野はすばらしく、みんなで道後温泉に入ってきたような達成感、どうして道後温泉。
「福島さんがいるのはわかっていたけど、益子さん、多田さん、そして池田さんまで。2015年のバレンタイン・デーは記憶に残る一夜でございました。」原田さん
麻布十番で奥さまとバレンタイン鰻重をしていた池田さんも、後半駆け付けて。
CD『歌女』がすばらしい。
購入した高岡大祐ソロ、『MEGIXIMA』が、これまた、至福のサウンド。Tuba solo and field recxording との表記、それはそう、なのだけど、何の音かわからないようなぼやっとした聴取にふと立ち現れる話し声、この動かし難いアトモスフィア。
2015年02月13日(金) |
カラーでよみがえる東京 |
美しい皇居の松の姿を撮ったつもりなんだがー。なんじゃ。化けもんの後頭部でも映ったかと思ったが、センターラインの植え木、じゃまや。
NHK「カラーでよみがえる東京」 ■
録画しといたのを観て夜更かししていたんだ。
丸の内、銀座、日本橋、東京駅、浅草・・・。おいらが53で転職して、日夜、あちこちの十字路に停めてラジオ聴いて待機していたり、ランチを探してお散歩したり、喫煙所を探して月を見上げている、
そして、いつも、想っている。
亡くなった父母の人生の時間。亡くなった親類縁者の人たち。ぼくはぼくでいる理由なんて、そうたいそうなことではなくて、生命の大河のひとコマであって、だれかに何かを伝えに行かなくっちゃとは思うけれども、それは自分の子どもたちやおいっこめいっこだけじゃなくて、かわいそうな若者や、どうしょうもない性格のオッサンや、これから誰かの子どもとして生まれてくる人たちにかな。
なーんてお坊さんみたいなこと書いているが、誰かと他愛のないおしゃべりをして、うなづきあったり笑っているのが毎日うれしいだけという。
運転手控え室で、小林よしのりの新刊『新戦争論1』「ようござんすね?このまま戦争で。」を読む。だけどね、明治維新ん時から、トーマス・グラバー卿が日本を動かしてきたところから類推すると、ストップをかけられないのではないかな。故郷の山河を想うことしかできないよ。
Jazz Tokyoに『N/Y』とヴィレージェスECM盤のレビューを提出した。せっかく聴かせてくれた編集長との約束を反故にはできない、というか。少しは、まだ、書ける、かな。
David Virelles Mbókò - Sacred Music for Piano, Two Basses, Drum Set and Biankoméko Abakuá
David Virelles piano Thomas Morgan double bass Robert Hurst double bass Marcus Gilmore drums Román Díaz biankoméko, vocals Wind Rose (Antrogofoko Mokoirén) The Scribe (Tratado de Mpegó) Biankoméko Antillais (A Quintín Bandera) Aberiñán y Aberisún Seven, Through The Divination Horn Stories Waiting To Be Told Transmission The Highest One Èfé (A María Teresa Vera)
これぞ、精神の深淵を覗き込む音楽的体験。
ピアニスト、ダヴィ・ヴィレージェスのECM初リーダー作、かあ。益子さんと入店した表参道の月光茶房で、ベーコンサンドを注文して聴きはじめる。静かな打音、沈黙に立ち現れるリズム、最初の数分で、この演奏の行く手の闇の深さに身動きできなくなってしまう。
「いや、この、何と言うか、謎を追い続けさせるちからというもの、かな・・・」
打楽器がジャズのものではない。ひょっとしてこれはECM流のアメリカン・クラーヴェ・リスペクトなのかえ?なんていう突拍子もない感想も浮かぶ。
7曲目、8曲目がハイライトだ。恐るべし21世紀のスコット・ラファロ、トーマス・モーガン(ベース)の打音。そこまで聴いて、ばばばっと、1曲目からの全体構成スケールを演算し直してみたい衝動に駆られる。
ヴィレージェスのルーツであるアフロ・キューバンの宗教的音楽を基礎付ける打楽器リズムが召喚されている。
益子さんが、ヤコブ・ブロ、ヨン・クリステンセンとのトリオで来日公演していたトーマス・モーガンにこの盤を見せたところ、「ぼくは、彼の音楽がほんとうに好きなんだ」と嬉しそうに小声で言ったという。あの、必要最低限なことしか発言しないモーガンが、だ。
それは、今聴いているぼくたちにも同時に共感している。このエピソードへの反応としてではなく、最初からともにこの録音時に立ち会っているかのように共感している。
クレイグ・テイボーン、菊地雅章、アーロン・パークス、と、ECMアイヒャーは演奏者の強烈な新しい局面をリリースし続けてきたが、第4の衝撃波だ。これまでのジャズ史に波紋を投げかけるマイルストーンの一撃だ。
耳が、謎を追い続ける。もっと音楽を、聴いてほしい。その音は、そのリズムは、その瞬間的な宙吊り状態を、それぞれの奏者は、どう互いに耳をそば立てながら、経験が蓄積された身体から搾り出して音を放っているものなのか、ほんとうの音楽は物理的に鳴り響いている音のその向こう側に謎の生命体のように浮遊している。それを捕まえることができるなんて、おこがましい。聴く者も、精神のすべてを投入して、耳をそば立たせるしかないのだ。
タダマス(四谷音盤茶会)の年間ベストで、この盤を掲げた(http://gekkasha.modalbeats.com/?cid=43767)。マーク・ラパポートさんもたしか選んでいたと思う(CDジャーナル参照)。ニューヨークの現代ジャズ・ミュージシャンたちの投票でもランクインした(http://elintruso.com/2015/01/14/encuesta-2014-musicos-internacionales/)。
2015年02月12日(木) |
碁盤の目のように整備された高速道路 |
Friday Let Me Down / Hall & Oats みみになるなる ■
シマダヤの生ソバまずいよお、空知産の茅場町たかね十割そば以外は
ライフイズザショウタイムすぐにわかるのさ、きみとぼくとは、こいに落ちなくちゃ!
今年版のマップル全東京が発売されているー、世田谷区梅丘を南北に抜ける新道もマッカーサー道路も描かれているわ、首都環状線と練馬平和台バイパス開通する版まで待つか迷う
とにかく人口減少がニホンの大問題。年寄りはまとまって住めば、冷暖房費用も医療措置も、防災道路工事も、いいのではないか。
明日の金曜ロードショーは崖の上のポニョだよ。 たださんの趣味は?ジブリとセカオワですねー、
山形県の即身仏を拝見しにお出かけしたいぞ!十穀断ちして木の実だけにして漆を飲んで痒いのがまんして。土中入定。木棺。二本の木管。湯灌をしてお湯をみんなで有難く飲んだとな。
NHK「即身仏〜東北に息づく信仰の謎〜」 ■ ナレーターは田中泯さんだったのか!夕方再放送観てたら終わってもうたやんけ。
山形には一度だけ行ったかな夜から朝までだけだけどね、
いやいやべつに彼女ができたとかそういう浮いたハナシはないぜよ。
碁盤の目のように整備された高速道路があって、そこを回遊しているのだった。
ずーっと行くと高速道路は海上を空高く浮かんでいる様相で、T字になっているので右折すると、実は右下に坂を下るような直進路がスーッと地上の島に向かっていた。おおお、あの下り坂は痛快な走り心地だろうなー、今度直進して走ってみようとウキウキする。
右折したので、さらに向こう側の右折に回れば元の場所に戻れるな。
相当高い空の上の道路を飛ばしてゆくと、どんどん道が狭くなっている。
狭くなるどころか、鉄骨一本が空中に浮かんでいるような頼りなさで。
ぼくはクルマではなく、身体ひとつで鉄骨一本にしがみついているのであった。
なんだなんだ、未完成の工事中なのかよー、と、しがみついた鉄骨から落ちたら大変だとロープをたぐり寄せるように鉄骨に手を伸ばしてじたばたしている。
布団を握り締めて目が醒めた。
「多田さんのNiseko-Rossy,,の写真はどれもこれも好いなぁ!」と電話口で聞いたよ。
友人の友人からそんなリアクションをいただいていることを知る。
えー?えー?どの写真ー???と小躍りするような気持ち。だけど、画像の解像度がいまいちなのだし、いい写真をアップするという意識よりは、思い出の家族写真みたいな気分なのだし。
今日の画像は先々週かな、パシフィコ横浜の待機所から見た風景。
休みなので昼過ぎまで寝て、午後4時から東久留米の竹林公園を散歩してあっという間に日が暮れて、何年かぶりの吉祥寺に出てみたけれど西友でうどんを買っただけでディスクユニオンにもカフェズミにも寄らずに帰宅。うどんを食べて、マッサンの録画をみて4時間寝たら深夜、眠れない、当たり前だー。
吉祥寺で、学生の頃に立ち寄ったジャズ喫茶でエアーとオーネットのアンティルズ盤に出会ったっけ。ずいぶんそこを掘って生きてきたものだなあ。ジャズ喫茶があった建物のあたりは跡形もなく新しいビル街になっている。よく食べたラーメン屋もない。
妹が二階を改造したと言っていたが、函館時代に買った古い花柄の絨毯はどうなったんだろう。数年前におふくろとベランダで洗剤かけてゴシゴシ水洗いして、水を含んだ絨毯を干すのに重たくて重たくて息が切れたっけ。3さいの妹と花柄のラインを道に見立ててミニカー遊びしていたっけ。
今の仕事の歓びも、ミニカー遊びみたいなところもあるなあ。
どこの十字路にも、建物たちが夢見た、晴れた風景が映っている。
地下の出口から十字路の地上に出て、見上げた多くの人たちの眺望。建物の屋上から十字路を見下ろした多くの人たちの眺望。
ドライバーは行き交う。
かつてあったものが無くなっている風景ばかり、こないだの代ゼミ造形学校と原宿校もそう。そういうところばかりが気になるというのは、いいトシになってきたということだろう。
おいしいみかんの産地直送、一箱千円をネット注文。
夜を疾走せねば。
2009年頃の日記、元気やなー、おれ。■
ボツにするわ。いやはや、とっても長い時間を費やしてしまったんだが、もうこういうのはやめよう。うん。猫に戻ろう。なんだそれ。
01. Vertigo (新垣隆、吉田隆一) 02. 野生の夢〜水見稜に〜 (吉田隆一) 03. 秋刀魚 (新垣隆) 04. 皆勤の徒〜酉島伝法に〜 (吉田隆一) 05. Spellbound (新垣隆、吉田隆一) 06. 怪獣のバラード (東海林修) 07. Stage Fright (新垣隆、吉田隆一) 08. Embraceable You (ジョージ・ガーシュウィン) 09. The Birds (新垣隆、吉田隆一) 10. Sophisticated Lady (デューク・エリントン) 11. Topaz (新垣隆、吉田隆一) 12. 明日ハ晴レカナ、曇リカナ (武満徹)
現代音楽×フリージャズ。まさに、頂上決戦の演奏水準。
聴いたのは70年代フリージャズのプロデューサーMさんと、カーステで。Mさん、おおーバリサク、吉田隆一、サイコーではないか!ピアノは見事な伴奏になっている、と、唸っている。(まさに絵に描いたように見事なバリトン・サックスの演奏、さすがだ、それにしてもこの新垣隆のピアノの解像度の高い対応は、ちょっと現代音楽系のピアニストとしては破格な気がするー)と思いつつ、はやくECM新譜の David Virelies と Vijai Iyer のピアノ盤を聴きたいのであった。
「新垣隆は08年のPoint de Vue Vol.II で聴いているよー(おやじカンタービレ2http://homepage3.nifty.com/musicircus/rova_n/rova_r12.htm)、鈴木輝昭の次に良かったかなー」「佐村河内はNHKスペシャルも観たし、レコード藝術リーダースチョイス2011では現役作曲家で唯一セレクトされていた(http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20130412)のだし、『交響曲第1番』には感動していたよ(http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20140204)。」
ここで、日記からの転載 『識者からは、映画音楽ふうだ、現代音楽水準では発注書に応じた課題の実施だ、との、上から目線ばかりだが。スコアの出生はそうだとしても、読み込んで練り上げたこの大友直人の指揮は、この東京交響楽団のちからを尽くした演奏は、どうなのだい?スコアの世界から音楽を断ずる思い上がりは不愉快だ。スコアなんてものは音楽のほんの一部であり時に有害でしかない。そんなしたり顔にはだまされないのさ(Flipper's Guitar 調で)。そして、二度とこのような録音は生成しない。この録音は受胎したのだ、奇跡を起こし、受難し、そしてやがて再生するという、クラシック世界を支える核心にあるストーリーと同型な経緯を辿る可能性は、ある。音楽は聴く者が創る。荒川修作せんせいから、ぼくはそう教わっている。』
こないだの「ガキの使い」大晦日SP!「絶対に笑ってはいけない大脱獄」マツコ・デラックス、新垣隆が奇跡の共演、を、観ていました。現代音楽の作曲家なのだから、現代音楽はオーケストラ作品なのであるから(これはわたしの持論)、新垣先生はオーケストラ作品を作るべきなのになあ、と、笑い物にされている先生が痛々しいだけでした。
さて、この『N/Y』に戻ると。新垣隆の解像度が高いピアノというのは、その反応するセンスと置かれる打音の理路整然さと強弱のつけ方の巧みさとも言える。吉田隆一のバリトン・サックスも、技巧の限りを尽くしているところがある。新垣隆のピアノはどの瞬間にも難易度の高い打音を模範解答のように響かせている、クールな鬼のようだ。この二人の身体能力からすれば、当然の見事さとも思える。二人のダンサーが丁々発止と、高度な演技を披露しているだけに聴こえる。ジャズ特有のコクとか雑味が無くて、教材感がハンパない。この演奏には、ぼくの耳を持続させる“謎”がない。演奏の質をたどるも、ヨーロッパにもアメリカにも着地しない。
プロデューサーMさんはぼくに、好みじゃないみたいだね、と指摘していた。好みという問題なのだろうか。ぼくと益子博之がやっているタダマス(四谷音盤茶会)でセレクトする現代ジャズのラインナップには乗らない。若い世代の柳樂光隆さんの Jazz The New Chapter のラインにも乗らないだろう。
むしろ、このカンペキな教材感こそが類を見ない地平か。サングラスかけて、テレビの音楽番組に出演して、このダンサブルな丁々発止をお茶の間に披露する、「あの新垣隆が!」とみんなが注目、充分に満足できるカンペキさ。ジャケのセンスもそんなかんじなのだわ。音楽界の二十面相、ゲーム音楽からジャズも現代音楽もこなす天才、新垣隆、そういう予定調和的な経路でいつかはオーケストラ作品を・・・・。ううむ、そのオーケストラ作品にわたしは期待できるだろうか。うむむ。そこんところがうまく想像できなくなってきたぞ。
“謎”のない音盤をあえておおやけのサイトでレビューしようとしているなんて、どうかしている。不健康なかんじ?
いや、むしろ新垣隆の期待に応える能力について包括的に認識するという鑑賞が要請されているのではないか。
そう考えると、少しだけ落ち着いてくるのであった。
べつにお水取り修二会の行法は12日の夜だけじゃないわけだ、土日かけて泊りがけでいいや、もうトシだし。東大寺のうどんを食べるのはいつか、ね。
まっさんで北大路欣也が!ここにも出たか、頭取!(半沢直樹)と盛り上がる。くら寿司でも寿司食ってる北大路欣也が前方を睨んでいて。頭取!半沢を出向させといてこんなところで寿司食ってんじゃねー、とふざけて女子店員にうざがられ。それにしても北大路欣也、濃い顔だ。ほかに使いようがないー。
毎日、東京タワーの展望台から早朝の富士山を眺めている、に等しいロケーションの眺望。地上21階。こないだ震度3。ゆらんゆらん免震構造。おれは高所がこわいわ。
ジャズ評論家はシロートの民間人を名誉毀損だの侵害だの心外だの申し立ててきて、ゼニを要求していた黒歴史があるでしょ!同業者に煮え湯を飲ませるよな数々も。せいせいしているひと、おおい。どこも追悼特集なんてやらないと思う。
来月7日に中目黒から大井への山手通り地下を走る首都高速が開通する。虎ノ門ヒルズの環二マッカーサー道路の開通に次ぐビッグイベント。どこにどう渋滞がシフトしてゆくのか、その変化を観察するのにワクワク。
夜任務が無さそうなので初台オペラシティの三善晃
演奏曲目 全曲 三善晃作品 ピアノ協奏曲(1962) ヴァイオリン協奏曲(1965) 蔫歌・波摘み(1998) 響紋 児童合唱と管弦楽のための(1984)
S席4000円かー、よし行こうと財布を見るとランチ散財で3000円しかないー。プロのオケではないし、まいっか。
ところが、これが相当に素晴らしい公演だったという!
なむさん。こういうのは録画や録音では伝達しないものなのだ。現代音楽というものは、オーケストラ作品のことである。極論すれば。
サンクスの新しいチョコスイーツを食べる。うーんー、おいしい。なんとなくヤケではある。幹事長と一緒にコンサート聴いたのは昨年の金沢だった。
えー。新垣隆と吉田隆一のピアノ、バスクラデュオ。これはあちらこちらへとわたしの耳の関心方向へはフィットしないのだけれど、いい作品だ。ハードコアカクテルデュオとして、他に達成できない境地がある。
ジャズ評論家の中山康樹の訃報が届く。スイートベイジルでカーラブレイ公演に入れてくれたっけ。
ミスチルのたぶん新曲が、BMWのCMに流れている。似合わない。理由は明白なのだが。
2015年02月05日(木) |
レトロすぎる中華屋「伸来軒」 |
昨夜は八丁堀の交差点にある、レトロすぎる中華屋「伸来軒」、カツ煮ともやし豚肉炒めの2皿の650円定食。調味料たくさんの昭和の濃い味だ。毎日これだと身体悪くするよなあ、と思いつつ満腹。
子どもの頃、砂川の東洋高圧の労働者がチケットで通っていた共同銭湯の高い高い浴場の天井を思い出していた。伽藍のようになっていて、遥か高い頂上は四畳半くらいの正方形空間に四辺が板ガラスになっていて、2箇所くらい空いていた。どうやってあのガラス窓を空けるんだろう、どうやって掃除するんだろう、どこにも登るところはないのだし、だいたいどうやってあの部分を作ったのだろう。そう、思っていたわけだ。
4さいくらいの頃、父方の男兄弟3にんの家族が揃って定山渓温泉に泊まったのだ。離れの大広間を占拠して布団を敷いたと思う。道東から択捉島までが載っているテーブルくらいの地図があって、択捉島の大きさが怖かった。人々が飛行機に乗り込むと飛行機が怪鳥になっているマンガのひとコマがあって、怪鳥の目の表情が怖かった。怖い怖いと騒ぐと、余計におじさんがぼくに見せつけた。夜中に3にんの若い嫁さんたちが、泥棒だ!出歯亀だ!と騒いで、男たちが怒声をあげて旅館の管理人と警察を呼んでいた。外の積雪に足跡がついていた。父親に抱えられて外に出るときに玄関の黄色い丸電球を見つめた。昔からいる神様のように思えたし、これで択捉島と怪鳥のマンガから逃げられると、安心した。
今頃になって思い出したりする。
札幌の妹から電話があった。父母が亡くなって空いた二階のスペースを改造して、ダンナが介護の会社を立ち上げたと。木曜の夜は看護婦政治活動で上京して赤坂のホテルに泊まると。
羽田空港から茅場町「たかね」ざるそば大盛りを経由して目黒雅叙園、そして初台オペラシティへ。21時46分。musicircus 今年聴いた10枚企画推進会合。依頼作文の枠組みを宣言する。
川越街道を南下する深夜、ぜんぜん雪降らない。現金輸送ドライバー時代に走っていた経路、はじめてドンキに配属された新座野火止店、群馬に住んでいた頃に渋谷タワレコの帰りに寄った中古盤屋があった空き地、しばらくぶりに通ったので思い出や忘れていた感情が次々押し寄せてきてちょっとだけメランコリックになる。
冷たく濡れたアスファルトをタイヤが走る音。
ドゥダメル指揮のチャイコフスキー5番がとっても心地良かった。
ちょうど今月、クルマの免許を取って100万キロ無事故走行を達成する計算になるのだった。今日にしておこうかなー。
ざまさんが内田光子とレイブライアントにハマっていると。ニューヨークはマイナス10度。
マッサンで、としおさんとはなちゃんが結婚することになる。このところ涙腺が緩みっぱなしじゃ。
2015年02月04日(水) |
タニタ食堂 / たいこま定食 |
月曜ははじめてのタニタ食堂丸の内日替りランチ。OLお嬢さんレベル高し。丸の内オフィス街のサラリーマンになりたい。恋して東京フォーラムを駆けてみたい。
火曜は八丁堀居酒屋かく山の刺身定食。毎朝オバちゃんチャリで築地に仕入れに走る。
今日は神谷町たいこま定食。うますぎて泣ける。バチがあたるわい。
アンタずいぶん楽しそうで良かったねえ。長女作成の社印で、いずれ役員になる長男を社用車送迎することを夢見る親父だなんて、出来過ぎのドラマだよ。次男は丸の内で個展開いて。次女が製作する家具のアンテナショップが丸の内仲通り。銀行好きのパパがおれをここに連れてきたのが明白でさ。パパはゆうべから信託のバーで呑んでいるよ。ホントにどこをほっつき歩いてるんだろうね。
冷たくて強い風が吹いているビルの間を歩く。亡くなった父母はぼくの網膜にいて、いつもいろんな思い出話をしている。おれもあとひと遊びしてからそっちに行って、ぞろぞろと行列を作って、さてどこへ行こうかねえ。アンタはほんとに極楽トンボだからね。誰に似たのかね。トシオさんだね、アタシじゃない、産んだのは間違いないアタシだよ、親の言葉とナスビの花にゃ万に一つも無駄が無い、ていうんだよ。
2015年02月01日(日) |
阿佐ヶ谷の「白線」へ 松籟夜話2 |
昨日は稲岡親分と、青梅レコード倉庫へ出かけた。倉庫というより、蔵。井上道義のデビュー盤のアナログを探しに。2時間ほどで退散。蔵の中は寒くて寒くて。青梅街道は渋滞していて、休日に多摩地区はー。
阿佐ヶ谷の「白線」へ。音響、環境、即興。
David Toop のクォーツ・レーベルの音源を中心に。 ■
フィーレコ音源が位相を変化させるたびに、視える(と感じられる)風景がふわっと変わる。
ニューギニアの笛の演奏が見事に呼吸しインプロヴァイズしていたのに唖然とする。インプロヴァイズと呼称するのは、そういう認識の概念がこちらにあるからであって、クラシックの演奏会でも稀に、日本の伝統音楽の達人の卓抜した演奏に、時に、連れてゆかれる体験に通ずるところのもの。30年以上も前にメロディーかアドリブかというジャズ論争があったけれど、若いぼくたちは「同じじゃん」と即座にアウフヘーベンしていたものだ。
David Toop のオブスキュア盤のトラックは・・・。子どもの頃、何十メートルも高い天窓に覆われた空間で、そこは巨大な銭湯、炭鉱夫や東洋高圧の労働者たちが芋洗いになって入っていた銭湯、の、お湯の流れが反響していて人々が使うカランがランダムに時に妙にリズミックになって鳴り響いていた、それをじっと聴いて湯船に入っていた時間を思い起こしていた。
ソヴィエトフランスという盤にも惹かれた。
高岡大祐というドネダと演奏意識を共有している奏者を知る。
プログラム最後の2曲だけが、「説明できる」作品に聴こえた。スティルライフの最新作が、「フィーレコ/演奏」の分けがたい、耳の鳥肌が立ち続けるような「謎」に満ちている、気配の察知に翻弄され続けるような捉えがたい傑作なのだと、ちゃんとレビューできていないでいる作品なのに対して、2曲はずいぶん平たいものだった。耳を歓ばせる作為が、想定的である、というか。
一緒に帰ったひろこさんも同じ手ごたえだったよう。豊穣な沈黙と、聴く者を黙らせる沈黙、とか言っていたかな。
聴く者の無意識にまで届いてゆくような作品と、聴こえている要素が並んでいるだけの作品の対比が、明確に感じられたという点で、その2曲は他のトラックの大きさを照らしていたとも言える。
福島さんや津田さんの言葉に、ぼくたちの前の席に座っている原田兄さんがうんうんうなずいている、同時にぼくたちもうなずいていて、ヘッドバンギングごっこしているみたいに楽しい。聴取の事態をうまく言葉にできないままに、感動ばかりしているぼくたちに、発見の輪郭を与えてくれる二人のコメントはじつに正しく触発的であって、こういう言い方は適切ではないかもしれないが、心地良い。言葉によって、より連れ出されているという体験。
それにしても。なぜ、このように耳をすまして、これらの音源が気持ちよいのか。
思えば全身が耳になってしまう時間に支配されていた。会場に面した路上から聴こえる子どもの声や通行人の歩調も、揺るぎない音楽となって耳に到来する。かかっている音源の時空、この場所に届いている現在の音響、その交感、イベントに集まった十数名の耳たち、耳たちから根をはる無意識。
いわゆる演奏された音楽を聴くと、そこに奏者の意図なり感情なりを聴いてしまう。そこを、うざったい、という構えはある。フィーレコを聴いて、これは何々の音だと一時も早く判断して安心してしまいたい、という構えはある。奏者が居るのか居ないのかわからない事態、何の音なのかまったくわからない事態には、髪の毛が逆立つように集中して耳のフォーカスの触覚が彷徨うところはある。
でもそれだけでは心地良いという体験の理由には、うまくつながらない。生理的に不快であっても不思議ではない。
なぜ、これらの音源が気持ちよいのか、と、つらつらと思いながら帰路。フィーレコ的音源には薄っぺらだったり意図が見え見えだったりラジオドラマみたいのがある一方で、ごおおおっと耳が連れてゆかれるような、謎の深淵に身動きできないものがあり、後者を「傑作だ」と判断している。その判定基準を言語化できていない。思えば初めてのフィーレコ体験だったマイケル・ピサロの「ジュライ・マウンテン」はじつに映像的で牧歌的なものだったが、それはそれで青春のように輝いているから許す(許す?笑)。
それにしても、福島さんも津田さんも別々に歩みながらずっと以前からミシェル・ドネダを把握していたというエピソードは啓示的だ。
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