Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2011年11月29日(火) |
遠くに羊蹄山が見えて夕暮れ |
母の容態が悪いらしい。四つんばいになって風呂で湯につかっただけだったというし、今朝は腸からの出血が確認されたという。看護婦の妹から、今日はとりあえず入院させた、付き添うと。
先月母とふたりで軽自動車に乗って積丹半島を一周した。いつもどおり何度もきいたようなむかしばなしやらをしながら札樽(さっそん)自動車道にのって小樽へ向かった。小樽のあまとう本店の駐車場に着いたのは午前9時30分。喫茶部の開店まで30分あるというのでアーケイド街を手をつないで歩いた。もう買うものはないと言いながら洋品店をぶらつき、ハンカチを買ったりした。
さてどこへ行こうかというので、なあに、明日なき暴走だぜ、おふくろ、じゃじゃ馬億万長者のノリで行くとこまで行こうぜ!と西へ西へ。蘭島海水浴場を通りすぎる、この夏はあたしゃ60年まえと同じ砂浜への道のかたちにカンドーしたよ。
余市、積丹岬、神威岬、泊原発、岩内、遠くに羊蹄山が見えて夕暮れ、帰路につく。
余市に戻ったら少し安心した気持ちになって、小樽に着いたときにはもう帰ってきたような気分になった。小樽の花園だんご本店をアイフォンで探して駆け込む。「東京から、この花園だんごをめざして来たんだよー」と若い女性店員にうそをつくわたしたちであった。店内でだんごと茶で休憩して。
だんごを30本も買って「どもー」と店を出ると女性店員は見送りに出てきて頭を下げた。わはは、札幌ナンバーの軽自動車でどうして東京から来たことがあるか、ばれたね。
米山医院院長の米山公啓さん
「レントゲン検査は肺がんの早期発見には無効だという結論が、アメリカではすでに出ています。それなのに、日本の健康診断ではいまだに採用されている。撮れば病院は儲かりますが、正しい医療ということでいえば、本当は撮らないほうがいいのです。」週刊現代11月26日号
黛敏郎オペラ「古事記」を観て、島根県にすみたいなあと。 ああ、四国にも行きたいし。 高良山あたり、奈良もいい。 老後難民という語をテレビで知ったが、少ないだろうが年金はかけてきたから何処へでも住めるだろう。 おねえちゃんをおっかけて転々と旅をするのである。 独り暮らしの老婆を次々とナンパして冷蔵庫からハムやソーセージやついでにCDの棚から何枚か失敬しながら、朝から昼間はとにかく歩き夕方にスーパーやデイケアサービス施設でナンパして、西へ西へと水戸黄門のように行くのだ。
えっ!すでに東日本のおおかたは人が住めない事態なのですか? 木下黄太のブログ放射能防御プロジェクト、に、 α線核種、って、なんなんですか!
ベラルーシで、チェルノブイリの被害者の治療に当たっている、現地の専門家は、「日本の皆さんには、申し訳ないけれども、チェルノブイリのときには、γ線核種がほとんどで、それでもいろんなことが起きましたが、それを超えるα線核種がかなり広範囲に広がっている以上、東日本のかなりのエリアは住むことは、難しい」と話しています。
2011年11月25日(金) |
編集CDR 夜会Jポップ特集 2011.11.22 |
ああいけない図書館から野矢茂樹著「語りえぬものを語る」をリクエストしてまで借りてきていたのを早朝に帰宅してワインによくあうイカのガリシア風缶詰をはむはむしながら読みはじめたら、おもろい!
仲間がクレーマーともみ合いになって手の親指骨折という。だめだな、あずみを読んでないからそうなる。
ロイホのホットチョコサンデーは小腹すきモードで食べるのが作法であるようだ。また食べに行くど。
編集CDR 夜会Jポップ特集 2011.11.22 01. 家族の風景 / ハナレグミ 02. ネコラジ / 神聖かまってちゃん 03. Welcoming Morning / Chappie 04. パペピプ♪パピペプ♪パペピプポ / 佐々木希 05. ひみつ玉 / さねよしいさこ 06. いちょう並木のセレナーデ / 原由子 07. いちょう並木のセレナーデ / 小沢健二 08. 強い気持ち•強い愛 / 小沢健二 09. T.O.M.M.Y 10. EVERYDAY AT THE BUS STOP 11. Bloomin’ ! 12. ★CANDY POP IN LOVE★ / Tommy february6 13. そして僕は途方に暮れる / ハナレグミ 14. アザナエル / 特撮 15. Hero / Mr. Children 16. 恋は夕暮れ / スピッツ
「つねに現在進行形で変貌と深化を遂げる現代のジャズ。気がつけば本場アメリカのブルーズの求心力を失い、ジャズ本来の別の可能性である遠心力に活路を見出そうとしたとき、ECMは突然、周縁でありながら中心でもあるという奇妙な重力場へとせりだしてきた。80年代にジョー・ロヴァーノとビル・フリーゼルをピックアップした法王ポール・モチアンの軌跡は、見過ごされがちだが現代ジャズの最も重要な震源だったように思う。浮遊するタイム感覚の上でお手玉や綾取りをしているような同質楽器の対話、夢の輪郭をなぞるようなサウンド……。いきなり化けたベースのトーマス・モーガンは菊地雅章とのトリオ作が予定されている。現代のすべてのサックスを手にする学生が参照点としているマーク・ターナーも捕獲された。建築鍵クレイグ・テイボーンは、「ピアノ・ソロの革命がまたもECMから」というべき作品を問うた。」
このテキストは音楽批評•益子博之さんはじめ耳の6兄弟たちとの交流のなかでかたちになって、苦労をかけた次男坊に読まれてオヤジえらいなと言われた矢先に法王モチアンの訃報に。この春先のニューヨークVillage Vanguardでは若きエリックハーランドと週替わりで叩きあうかのスケジュールで現代ジャズを鳴らしていたではないか。
intoxicateに追悼文を書こうと思います。
2011年11月22日(火) |
R.I.P Paul Motian 1931.3.25ー2011.11.22 |
Face Book 益子博之さんの投稿で知る。
2011年11月20日(日) |
黛敏郎オペラ「古事記」 |
今日、昼、上野、気温26度。 車で東京文化会館へ、駅の屋上駐車場へ日曜午後、入庫待ちで開演に間に合うかと一瞬ビビった、16000円のチケット代ふいにするか?黛敏郎オペラ「古事記」オープニング観れなければ7割がたダメだろ、オペラなんて、天地開闢観ないとさ。テレビカメラが入ってましたからBSプレミアムとかで放映あるでしょう。
実に秀逸な舞台美術で、あの暗がりの照明色彩は特別な感覚を呼び起こしました、何というのでしょう、そうそう数年前にいわきで観た山海塾の神話的とも言うべき世界の色をしていた。
黛のコンポジションの牙はオープニングの数十秒に凝縮されていかんなく。 そしてエンディングに。 オーケストラであの電子音響的ざわめきの毒を潜めさせた響き。
黛敏郎オペラ『古事記』
11月20日(日) 東京文化会館大ホール
・・・1万6千円もするチケットなんぞ。3月5日ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団2万6千円の世界水準の柔らかく輝く響きに圧倒されてきた以来なのだけれど直後の震災と放射能情報でわたしの耳からは音楽は精彩を失っていたこともあるが、衝動買いで駆け付けてきてしまった黛作品を!という藁をつかむようであったのはExileじゃない日本を聴きたいなんて気になっていたわけだし・・・。
オープニングのオケの響き、十数秒で、わたしは音楽を取り戻した気持ちになった。
明らかに、電子音響を手がけた、戦後日本に最初に持ち込んだ黛が、それを手法とするのではなく西洋のオケの響きの中にアウフヘーベンした、揺るぎなきざわめき。これは洋の東西も、現代と神話の時代も、聴く者の意識を拡張させる、いや大いにデカすぎる話なのである、だいたい語り部に風格のある観世銕之亟(かんぜてつのじょう)が出てきているし、おれはガキの頃にテレビで観ていたエラそうな天然パーマのエロそうなおやじ黛に「涅槃交響曲」以来の凄みを感じたのだな。
照明も良かったし、シンプルな舞台セット、二重丸をプレートにしただけの究極のミニマリズムとでもいうのか?、も、良い。おれは9列目に座っていたのだが、オペラが始まって舞台奥の黒いカーテンが開いたような気がしていた。開いた切れ目が細いVの字になって光がすっと降りてくる。舞台中央に細長いタテの光の剣が降りてきたように見えていたのだが、それは舞台後方の幕が裂けたことによって生じたものだとしか思えなかったわけなのに、その光の剣は舞台の中央に降りてきたものらしく民衆の演者が剣のまわりを動いているのだ。この光の剣はどのように現れたのだ?目を凝らして見ても、この光の演出のしくみがよくわからない。不可思議体験、ふつー、できない。
・・・子どもの頃、祖父の寝室にラジオからイヤホンを伸ばして昼過ぎまで寝ているじいちゃんにこずかいをねだりに行くのだった。鴨居のうえには天皇陛下と皇后の写真と頭に金色の鳥がついた杖を持ったヤマトタケルか何かの肖像画、この肖像画の背景が深緑色の薄明もしくは闇、これに魅入っていた。・・・それを、一昨年にいわきで観た山海塾の「卵をたてることから-卵熟」の舞台の世界と同じ色彩だと感じた。・・・この『古事記』のステージも同じものだった。
エンディングにも語り部とオケの響きが置かれた。
出雲の国、島根県に住みたいものだ。6年前の正月に次男が美術の甲子園みたいのに入賞して会場の島根県浜田市に家族旅行ドライブした楽しい記憶、バイト先のほっぺたと白目と胸のふくらみと声がたまらんかった島根出身の女子大生の記憶、
とろとろに溶け出して、ジミヘンやマイルスやピンクフロイドみたい、ではない、日本の藁の腐ったような匂いがする、うようよとする幻想のようなものに引き込まれていた。実際のステージは節度のあるオペラであった、に過ぎなかった、多分、そして歌われる音声はドイツ語ではあったにせよ字幕の日本語がハウリングを起こすように意味を重層的にわたしの脳から紡いでゆく・・・。
作家島田雅彦が言ったように、オペラは無意識状態で眠ったように観るのがいいとか、高橋秀実が小林秀雄賞をとった『おすもうさん』で書いた大相撲をテレビ観戦していると眠たくなる謎といい、まあ、今わたしはばっちり目が冴えて書いてますけれども、
そうそう、23日に観た友人が松岡正剛の『連塾・方法日本Ⅰ・神仏たちの秘密~日本の面影の源流を解く』の第二講とつながってこのオペラを楽しんだ、と、それはぜひ読んでみたいものだと夜勤明けで横になると目の前の枕の横に積まれた本の背表紙がそれでした、読み終わったはずなのに。
帰ってきて、昨年購入した『黛敏郎の世界』(京都仏教音楽2010実行委員会編集)を読む。オペラ『古事記』(1993)は、89年にオーストリアのリンツ州立劇場から委嘱されている。古語で書かれた『古事記』を、擬古ドイツ語で表現した、なるほど。オペラ『金閣寺』(1976)は吉田秀和がきっかけを作っていたとか台本を三島由紀夫に相談したのが会った最後だったとか、それにしても、日本では誰も黛にオペラを委嘱しなかったのだね。
オープニングとエンディングに黛らしい牙を聴いたわたしですが、オペラ本編のほうは現代音楽していなくてエキゾチックな伊福部調も含みつつも歌い、流れるようであったのはそれはそれで一流のバランス感覚だったかと思う。
2011年11月19日(土) |
菊地成孔の粋な夜電波バックナンバーぜんぶ聴ける |
菊地成孔、きくちなるよし、と入れる前に候補に表示されるiPhoneだ。 …一句詠んでるみたいだな。 iPhoneでiPodで菊地成孔の粋な夜電波バックナンバーぜんぶ聴ける! いやあ、iPhoneにして良かったぞお。 74の伯父さんと温泉談義をしていて、函館のさ… 同時に「日の出湯!」と剣の達人どうしの斬り合いみたいになって、 しかし伯父さんは砂川から5時間かけて行って二度もフラれたまま、 最初は違う同名銭湯に入り、二度目は定休日だったというツキのなさ。 おれは東京から東北自動車道、海峡フェリーの14時間で一発ツモだい。 何のハナシだっけ、 伯父さんが「そのケータイならパソコンもデジカメもカーナビも懐中電灯も要らんべや」と、 いや、さらにラジオも要らないよ伯父さん!と書こうとしてた。 菊地成孔の粋な夜電波、おもろい!
最初に彼の名を知ったのは川端民生が逝去したときにニフティの会議室に「キクチさんが書き込みしてる」ときいてのぞいたら菊地雅章ではないキクチさんである彼の名を見て。 テイポグラフィカもグラウンドゼロも聴いていたのに。 次にはOut There誌で、東京ザヴィヌルバッハを取材するのに下北沢の駅で彼と待ち合わせたのだった。駅から15分くらい二人で歩いて話した記憶が。 五十嵐一生、坪口昌恭、菊地成孔の東京ザヴィヌルバッハ。 2000年のことである。 発端は新宿ピットイン昼の部でやっていた坪口菊地に五十嵐が声をかけたのでしたよね。この3つの個性が開くサウンドは、これはこれで今となっては失われた秘蹟のような可能性を感じさせるものだったが、ひとりでも欠けてはならなかったし、あの時の彼らでなければならなかった、そんなこと言うのはいけないんだけどね、いまを生きるJAZZリスナーとしてはさ。
ま、そんなことはおいといて、粋な夜電波、おもれー!しばしハマるずら。
あ、いかん、早く寝て、東京文化会館でのコンサート黛敏郎オペラ「古事記」 に出かけなければっ!!
2011年11月18日(金) |
菊地秀行さんゲストの回 |
20日、23日に公演がある黛敏郎オペラ「古事記」 ゲネプロをみたかたから、これは一生モノになるだろうという知らせが。 まだ当日券もあると思う。 ゲネプロてことばは今日はじめて知りました。はい。
菊地成孔さんの話題のラジオ番組「粋な夜電波」を先月二回聴きました! 年のはなれたお兄さんの菊地秀行さん出演の回のときめき。 おれも聴いてて成孔さんになってしまったかのような、 あれ?ベッドの天井に貼ってあったポスターはどのアイドル?だっけ、 兄は「おれはそんなもの貼ってない!どうせオヤジだろ!」という ありえない返答に、必殺技を放ったはずの弟が絶句的苦笑! 兄の部屋に残されていたソノシートやレコードで音楽に目覚め、 兄に買ってもらったサックスでついに世界的名門レーベルと契約に 至った弟の、弟はやっぱり弟なのだという、 貴乃花は若乃花にやっぱりこけてしまうに匹敵する日本史的一瞬であったと、 そういう指摘を誰もしていないので書き留めておこうと思います。
すごく音楽的。菊地成孔の音楽の質感と同一性までおれは認めたですよ。
風邪が流行っているらしいおいらも熱発で休みました、 ブックオフで「あずみ」1から20巻を買いじっくりと布団の中で。 新しいシリーズ幕末「AZUMI」のほうは9巻すでに投了ずみ。
松岡正剛「誰も知らない世界と日本のまちがい自由と国家と資本主義」春秋社 いつだかひととおり読んだはずなのに初めて読むみたいなのは、 ほんとーにおれの記憶力ははちゃめちゃなゆえに。 忘れることが仕事なものだから職業病ということで。
すき焼きを作って食べてたが春菊を入れ忘れた。 これじゃあまるでしらたき牛丼ではないか。
日経新聞の見出し、たしか世界の投資マネーの膨張のこと。 ヘッジファンド投資、欧米年金拡大、ハイリスク覚悟、高収益狙う。 おれは現代の「白鯨」をイメージした。エイハブ船長にならねばのう。なれんがのう。
Motian Sickness という法王ポール•モチアン作品集が出ている。
「僕は君たちに武器を配りたい」瀧本哲史著講談社という わたしらしくない本は千歳空港の紀伊國屋書店で。 なかなかいくつかの労働現場に接してはきた怠け者の中年期のおわり、 まあさ、そんなリアルは若いうちに知っておくべき本か。 午前3時に交通便なく寒空に放たれる交通誘導警備員、 ひとのよいまじめがとりえの若者は重たい荷物を持ち。 日々の繰り返しに何を思いつか。話せばJAZZを聴くという。 コテコテデラックスを古本で読んでCDあつめているという。 そのせんせいと話したことあるよと言ったら、なんでですかと おれはグランドグリーンにはまったとしか応答できず。 やはり印刷物になったテキストは長く影響を及ぼすものだなあ。
ああ、話がそれた。
法王ポール•モチアンが重篤な状態にあるらしい。
3月25日に80歳になっている。 わたしの上のむすめと同じ誕生日である。
paul motian でググると、 マラビー在籍時のエレクトリックビバップバンド動画がありますぜだんな。 モチアンのメンバー紹介がいい。 特に何が良いということでもなく、語りの中に彼の生命が宿っていさえするような気がするではないか。 うそをついているやつはわかるものだぜ、 それにしてもモチアン盤をレビューするウェブ上のみなさまよ、
神の御加護を。
2011年11月12日(土) |
いつか聴いた「Hero」が聴こえない |
ふいにミスチルの「Hero」を聴こうと、それは、昨夜この曲を聴き始めて夢中になって寒い夜空を見上げていた場所を見たからで、 ところが、そのように聴こえないのであわてている。
かつて、上尾のバーバー富士で即興演奏家のライブがあって、主催者がミスチルばかりをかけていたという話をきいて、 インプロとミスチルの組み合わせなんて、おれとおんなじだなーと思っていたっけ、それはそうと。 2・3年前からクラシックのコンサートに通うようになっていた。 ミスチルを聴くことがなくなったし魅力も感じなくなっていたのは07年あたりだから4年経ったのかな。
くりかえしくりかえし、あんまり聴くものだから、しまいに吐き気がしてくるくらい、それくらい聴いた曲なのに。
アレンジの楽器の位置や、リズムや、テンポまで、しっくりこない。 まったく聴いた憶えのないピアノの残響のありようや、楽器間の隙間の物足りなさ、が、耳に痛ましく響きさえする。
そして今日は、「Hero」をこうして何度も聴いている、 まるでかつて見事に滑り降りれたスーパー大回転のコースを復習するように、それでもぎこちなく転んだりしてばかりいる。
あわててしまうのは、そういえばこないだアバドのマーラー9番にこの世のものとは思えない美しい響きにうっとりしていたけど、 そういった「これはゼッタイ!」と思う演奏は、自分でも過去の自分には確からしさが危ういということなのだ。
最近手に入れたりしたCDは大丈夫なんだな。ちゃんと確からしく聴こえる。
お。いろいろCDRを取り出して聴いてみてんだけど、バンプの「グングニル」、コニッツECM「ラヴァーマン」、すげえいいじゃんか!
2011年11月11日(金) |
パペピプ♪パピペプ♪パペピプポ♪ |
最近は名曲のことを神曲というみたいだな。 キラーチューンのことか。橋爪亮督の「十五夜」なんかを神曲と言っていいだろう。
なんだかよ。職場の有線で何度もかかるものだから、しまいに感心してしまいましたよ。 世も末な歌詞だよな、と、思いきや、切ない本音がチラりとフレーズに乗るサビが効いている。 やーさんの微笑みとか、彼女のふくれっつらとか、ぐっとくる法則。

佐々木希の「パペピプ♪パピペプ♪パペピプポ♪(期間生産限定盤)(DVD付)」 噛むんとフニャン、というロッテのCM登場も、この曲の聴取においては布石になっている。
若い女の子の関節の柔らかさの別格は、少女合唱団のコーラスと等値である。
マンガの「けいおん」の描画がなまめかしいのはそこをきちんと捉えていることだ。
えろじじいといわないでください
2011年11月07日(月) |
マンフレート・アイヒャー「レディオヘッド、いいねえ、わたしもよく聴くよ」 |

粋じゃねえか、イントキシケイトさん、おらの執筆を巻頭にウェブ掲載するなんて・・・、おいオヤジおふくろ、子どもたち、未来の孫ども、よく読み暗記暗誦をするように! ■ ダイレクトアドレスはこれ→■
それで、マンフレート・アイヒャーが「レディオヘッド、いいねえ、わたしもよく聴くよ」(この発言大文字)と、 レコーディングにスタジオ入りしていたミュージシャンに最近話したという情報を表参道方面から得た。
『OKコンピュター』以降のレディオヘッドのことだろうなあと考えるけれども。 ちょっと待ていや、セカンド『ザ・ベンズ』(1995)の1曲目は、ニルスペッターモルヴェル『クメール』(1997)の1曲目と まったく同じビートではないのか?
それを言えばオザケン「ぼくらが旅に出る理由」のビートがポール・サイモン『グレイスランド』の曲と一致していると それがどうした、まったくモンダイない!というくらいのものだ。
いいのか?いいのか。
それにしても、おいらのプロフが本誌から大切な以下の部分が削られているのは残念だ。 「音楽批評・益子博之と現代ジャズを聴くイベント「四谷ティー・パーティ@喫茶茶会記(四谷三丁目)」(次回10月23日)を定期開催中。」 日付けだけ消して残してほしかったなあ。ちょっとリクエストしてみよう。
欲しいCDがタワレコの店頭にしか在庫なしときくと、CD1まいのために新幹線で仙台往復するわたしのアニキ分が、 さすがに札幌のタワレコにCD1枚飛行機日帰りはと躊躇していた。
わたしの優秀な姪っ子まりえちゃん小学校1年生はわたしの老いた母親とタワレコピヴォ店へ行き、ケータイ画面を操作して取り置き票を店員に呈示し見事そのCDの捕獲に成功した。すでに昨年ひらがな漢字四則計算英会話をマスターしていた、わたしをニセコロッシという命名までしたこの天才児、まちがいなく国立大学医学部現役合格だろう。くれぐれもメセニーやジャレットやガルバレクを聴いて人生の階段を踏み外すことのないよう、おれは背中で伝えてゆきたいと思う。
2011年11月06日(日) |
新聞配達労働者の集金はたいへんなのだ |
日曜午後11時過ぎのデニーズ東浅草店に今日は長女と次男と。
長女を待っていたら、ビルの入り口に新聞配達バイクにまたがって不貞腐れている兄ちゃんがいるなあ、とは思っていただよ。
なんとそれは不在な長男が11時にと新聞代金支払いを約束した、 すっぽかされている新聞配達労働者なのであった。
長女が「あ、まだ待ってるんだ」と発音して発覚した。
あわてて次男に詫びと支払いにゆかせた。おれは激怒した。
長男には次回の回転寿司で見ているだけ刑を課することにした。 家族内最高刑を通告した。
新聞配達労働者の集金の大変さをわからないやつはクズだ!
R.I.P. Paul Motian 1931.3.25 - 2011.11.22
「つねに現在進行形で変貌と深化を遂げる現代のジャズ。気がつけば本場アメリカのブルーズの求心力を失い、ジャズ本来の別の可能性である遠心力に活路を見出そうとしたとき、ECMは突然、周縁でありながら中心でもあるという奇妙な重力場へとせりだしてきた。80年代にジョー・ロヴァーノとビル・フリーゼルをピックアップした法王ポール・モチアンの軌跡は、見過ごされがちだが現代ジャズの最も重要な震源だったように思う。浮遊するタイム感覚の上でお手玉や綾取りをしているような同質楽器の対話、夢の輪郭をなぞるようなサウンド……。いきなり化けたベースのトーマス・モーガンは菊地雅章とのトリオ作が予定されている。現代のすべてのサックスを手にする学生が参照点としているマーク・ターナーも捕獲された。建築鍵クレイグ・テイボーンは、「ピアノ・ソロの革命がまたもECMから」というべき作品を問うた。」
タワー・レコードのフリーペーパー「intoxicate」2011October(#94)に掲載されたばかりだった(http://tower.jp/article/feature/2011/11/07/eg_manfred_eicher)。
CD仲間と夜会と称して坂本真綾の「Feel Myself」やACOの『irony』、Cuusheの『Red Rocket Telepathy』を聴いて、CD棚にポール・モチアンのリーダー作が並んでいるのを指でなでながら「そういえば容態が悪いみたいだけど・・・」と話して、部屋に戻ったら訃報が届いていた。
70年代にトリオ・レコードで稲岡さんとECMを担当していた原田和男さんが、モチアンの「It Should’ve Happened A Long Time Ago」の動画をFace Bookでシェアして哀悼の意を表した。この曲は、モチアンが80年代初頭に2人の俊英ジョー•ロヴァーノとビル•フリーゼルと組んだトリオがECMで出した初作の1曲目、タイトルナンバーだ。このトリオが、その後の現代ジャズの可能性を開いた。この人選に当時パット•メセニーが絡んでいたというのは唐突な気がしていたが、なるほど、ともに夢見るような資質において同じだったかと、今さらながらに気付かされていた。
70年から2年滞在した日本で失意にあったゲイリー•ピーコックは、菊地雅章らと2枚の録音を残している。これを聴いてECMアイヒャーは録音オファーを彼らに伸ばしたが実らなかった(ここでゲイリーとプーさんが世界標準化していたら、またジャズの歴史は異なったものになっていたはずだ)。ピーコックの孤高は、ラファロ以降の、であり、アイラーと革命同志であったところか。時を経て、90年に菊地とピーコックはトリオを構想したときに「rubber drummer…時間を伸び縮みさせられるのはPaulしかいない!」とモチアンを招いてテザート•ムーンが結成されている。
この90年にモチアンはロヴァーノ、フリーゼルとのトリオを拡張した編成で、エレクトリック•ビバップ•バンドを開始、それが現代のNYジャズシーンを文字通り形成した。サックス陣はロヴァーノに続いてジョシュア・レッドマンやクリス・ポッター、トニー・マラビー、クリス・チークらが、ギター陣はフリーゼルに続いてカート・ローゼンウィンケル、ウォルフガング・ムートシュピール、ベン・モンダー、ヤコブ・ブロらがモチアンのバンドで次々に変容開花していった。ミュージシャンたちはいつの時代も獰猛に新言語を察知しあっている。
タガララジオ21(http://www.jazztokyo.com/column/tagara/tagara-21.html)で書いた、2011年、今年のニューヨークのタウン誌が掲載した現代ジャズ・アイコン・ベスト25が、1位が法王ポール・モチアン、2位が魔王ウイリアム・パーカー、3位があらい熊ウイントンマルサリス、4位は覇王ヘンリー・スレッギルであったこと、は、やっぱり書いておきたい。まったく正当である。
それにしても・・・。この春先には聖地ヴィレッジ・ヴァンガードで若き覇者エリック•ハーランドと週替わりで叩きあっているスケジュールが見られて息をのんでいたばかりじゃないか。ポール・モチアン・オクテットだとか、新しいトリオだってスタートしたばかりじゃないか。・・・死因は骨髄異形成症候群というもので、9月の菊地雅章、グレッグ・オズビーとのヴィレッジ・ヴァンガード公演を完遂できなかったともきく。
ジャズ史に残る名盤『ワルツ・フォー・デビー』、ビル・エヴァンス~スコット・ラファロ~ポール・モチアン、黄金のトリオ、思えばこれもヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ録音だった。
多田雅範(Niseko-Rossy Pi-Pikoe)
<追記> ジャズ喫茶四谷いーぐるで現代NYジャズ・シーンを考察する講演を続ける音楽批評・益子博之さんと出会ったのは新宿ピットインでサックス奏者・橋爪亮督に「今日の演奏はすごい、現代ジャズシーンの世界レベルだ、いや、超えている、橋爪さん、化けたね!」と言い付けに声をかけたときで、現代の伝説となったサックス奏者ジョー・マネリの訃報に際して「マネリがモチアンと共演していなかったのは不思議でしたね」という話で意気投合していた。その後益子さんにお願いして、現代ジャズの新譜を聴くイベント「益子博之=多田雅範 四谷ティー・パーティー@喫茶茶会記・四谷三丁目」を始めた。2012年1月29日(日)に第5回を迎える。
今年リリースされたポール・モチアンの作品2枚、80歳にして最高水準の名人芸。 『ザ・ウィンドミルズ・オブ・ユア・マインド / ポール・モチアン』 (Winter & Winter→ボンバ・レコードBOM25011) 『ライヴ・アット・バードランド / リー・コニッツ,ブラッド・メルドー,チャーリー・ヘイデン,ポール・モチアン』 (ECM→ユニバーサル)
ポール・ブレイさんへ。最近のモチアン・インタビューで知ったのですが、アルバー・アイラー、ポール・ブレイ、ゲイリー・ピーコック、ジョン・ギルモア、ポール・モチアンでのセッションがあったそうですね。どんなでしたか?音源は残ってないのですか?
R.I.P. Paul Motian 1931.3.25 ー2011.11.22
『ワルツ•フォー•デビィ』で叩いているからジャズ•ファンには最も聴かれたドラマーだったろうか、伝説のビル•エバンス•トリオは三人とも革命的奏者だった、とか、何度も死んだとばかり言いつけられるJAZZはついに、とか、書き出しそうになる。この春先は、聖地Village Vanguardで若き覇者エリック•ハーランドと週替わりで叩きあっているスケジュールが見られて息をのんでいたばかりじゃないか。
ポール•モチアンが80年代初頭に2人の俊英ジョー•ロヴァーノとビル•フリーゼルと組んだトリオが、その後の現代ジャズの可能性を開いた。この人選にパット•メセニーが絡んでいたのは唐突な気がしていたが、モチアンの訃報を受けてFace Bookで彼らの初作品「It Should've Happened A Long Time Ago」にリンクされたのを聴くと、なるほどともに夢見るような資質において同じだったかと、気付かされている。このトリオで、2人の俊英は大御所に成長したのは明らかだし、モチアンもこれを拡大したエレクトリック•ビバップ•バンド(EBBB)を90年に開始して、それが現代のNYジャズシーンを文字通り形成した。
70年から2年滞在した日本で失意にあったゲイリー•ピーコックは、菊地雅章らと2枚の録音を残した(これを聴いてECMアイヒャーは録音オファーを伸ばすが実らなかった)。ピーコックの孤高は、ラファロ以降の、であり、アイラーと革命同志であったところか。時を経て、90年に菊地とピーコックはトリオを構想したときに「rubber drummer…時間を伸び縮みさせられるのはPaulしかいない!」とモチアンを招いてテザート•ムーンが結成されている。
つまり90年にはモチアン・メソッドとも言うべきジャズの新風は用意されていたということだ。ミュージシャンたちはいつの時代も獰猛に新言語を察知しあっている。ロヴァーノに続いてはジョシュアやマラビー、チークらが、フリーゼルに続いてはローゼンウィンケル、ムートシュピール、モンダー、ブロらがモチアンのバンドで次々に変容開花していった。
R.I.P. Paul Motian 1931.3.25 - 2011.11.22
『ワルツ•フォー•デビィ』で叩いているからジャズ•ファンには最も聴かれたドラマーだったろうか、伝説のビル•エバンス•トリオは三人とも革命的奏者だった、とか、何度も死んだとばかり言いつけられるJAZZはついに、とか、書き出しそうになる。この春先には、聖地Village Vanguardで若き覇者エリック•ハーランドと週替わりで叩きあっているスケジュールが見られて息をのんでいたばかりじゃないか。
ポール•モチアンが80年代初頭に2人の俊英ジョー•ロヴァーノとビル•フリーゼルと組んだトリオが、その後の現代ジャズの可能性を開いた。この人選にパット•メセニーが絡んでいたのは唐突な気がしていたが、モチアンの訃報を受けてFace Bookで彼らの初作品「It Should've Happened A Long Time Ago」にリンクされたのを聴くと、なるほどともに夢見るような資質において同じだったかと、気付かされている。 このトリオで、2人の俊英は大御所に成長したのは明らかだし、モチアンもこれを拡大したエレクトリック•ビバップ•バンドを90年に開始して、それが現代のNYジャズシーンを文字通り形成した。この90年には菊地雅章はゲイリー・ピーコックとトリオを構想したときに「rubber drummer…時間を伸び縮みさせられるのはPaulしかいない!」とモチアンを招いてテザート•ムーンを結成している。
つまり90年にはモチアン・メソッドとも言うべきジャズの新風は用意されていたということだ。ミュージシャンたちはいつの時代も獰猛に新言語を察知しあっている。ロヴァーノに続いてはジョシュアやマラビー、チークらが、フリーゼルに続いてはローゼンウィンケル、ムートシュピール、モンダー、ブロらがモチアンのバンドで次々に変容開花していった。 今年届いた2枚、共演することで伝承されてゆくジャズの核心が聴こえる。
多田雅範(Niseko-Rossy Pi-Pikoe)
※掲載する2枚は
ザ・ウィンドミルズ・オブ・ユア・マインド / ポール・モチアン (ボンバ・レコードBOM25011)
ライヴ・アット・バードランド / リー・コニッツ,ブラッド・メルドー,チャーリー・ヘイデン,ポール・モチアン (ユニバーサル)
2011年11月01日(火) |
ジスモンチんちの便所で困る夢 |
おぼえていたゆめ
なんか高価な航空券を手にして、ずいぶん遠くの国にやってきた。 築五十年はしていそうな木造家屋にいる。 いかにも日本の下宿部屋の風情なのだが、 ここは異国の地。窓の下の雑踏は、暑苦しいマーケットのようだ。 いつ帰るのか、どうやって帰るのか、航空券には何も記載されていない。
練馬のアパートの上の階に住んでいる顔見知りの幼稚園児と若いお母さんが 「あら、こんなところで偶然ですね」と話しかけてくる。 ちょっと一緒に帰るのに連れていってくださいと頼み込む。 いま部屋に戻って航空券を取ってきます…と 二人を炎天下に立たせたままにしている。
部屋に戻ると太って老いたエグベルトジスモンチが座っている。 ここはブラジルなのですね、あなたの演奏好きですよ、山梨でのソロ公演に行ってましたよ、いまからすぐに帰らなければなりません、と言いながら、 たしかここに置いたはずの航空券を探す。
ジスモンチは、次々とLP帯付き日本盤を出してくる、 そのどれもがスタンリーカウエルの見たことのない二枚組ばかりなのだった。 えっ?えっ?えっ?とあせる。 ゆっくり聴こうぜとジスモンチが次々と出してくる、どれもがトリオレコード盤である、どのオビ文句にも衝撃的名盤とか書いてある、なむさんー
はやく便所をかりて帰らなければ… 木戸をあけると大便と小便がまだらのように入り組んでいる空間になっていて、あああっ、これはどうやって用を足したものか、 エグベルトジスモンチはこんなところで用が足せるのか、 ああ、臭いで吐き気がしてきた、 これからクソまみれで飛行機に乗れるわけないじゃないか
あああっ、クソもしたくなつてきた、ますますどうしていいかわからんではないか
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